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2018.08.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のセミウォーキングは上牧駅裏から梶原高架下迄で、帰りはシャルマンを通った。
中学校のサマースクールに参加した。今日は、少し人数が少ないようだった。

***

久しぶりに美術鑑賞だ。日経日曜版に4日に亘って掲載された、スペインのロマン主義画家フランシスコ・デ・ゴヤ (Francisco de Goya:1746-1828)の作品だ。作品と共にその時代背景の解説が成されていたが、これも面白く読んだ。スペイン独立戦争辺りの背景から、理解していくのが望ましいが、何しろヨーロッパの王室くらい複雑なものはないので、端折りながら見ていく。

私と連れ合いもスペインのプラド美術館へは行ったことがあるのだが、何しろツアーに組み込まれた短い鑑賞時間だったから、実際の絵画の記憶は数えるほど敷かない。

先ず、「裸のマハ」と「着衣のマハ」だが、女性の裸体画を部屋に飾ることなど当時のスペインでは考えられなかった事だ。マハとは粋な下町娘という意味だ。それは後に付けられた名前で、ゴヤ自身が付けたのではない。この絵の所蔵者は宗教裁判に掛けられたという。

「裸のマハ」の発注者はカルロス国王夫妻の寵愛を受けた宰相ゴドイで、当時の政治を取り仕切っていた男だ。女性関係にも精力的で、王妃のマリア・ルイサとも愛人関係にあり、アルバ女公爵とも情を通じてたと言われる。ゴヤは、国王夫妻のお気に入りで宮廷画家まで上り詰めた男だが実権を握るゴドイ宰相の思惑も聞く必要があったわけだ。

この時代の上流階級では、趣向を凝らしたヌードを愛好する風習があったようで、ゴドイは、私邸で賓客をもてなすためにゴヤに命じて描かせたのが、「裸のマハ」だという。それを隠すために、後に「着衣のマハ」を描かせ、「裸のマハ」を被うように掲げていたのだとのことだ。

「裸のマハ」が精緻に描かれているのに比べ「着衣のマハ」の筆致は荒く、手早く描かれているのはそのためだという。写真などで見る限りは、そんな差は今まで気づかなかった。


いやはや、現代なら、一笑に付されるようなことが当時はまともであり、女性の老ける(体形が崩れる)のも早かったようだ。
同時期くらいに描かれた「黒衣のアルバ女公爵」と比べてみると、なるほどと思わせるものがある。

ゴヤは人間の不安や不条理を表現するようになり、その道の先駆者として仰がれるようになった。ドラクロワ、マネ、ルドン、セザンヌ等は、ゴヤの作品に魅了されたとあり、多分に影響受けたであろう。後のピカソなどもゴヤは別格の存在であったようだ。「ゲルニカ」などもゴヤに刺激を受けたものだという。改めてゴヤの偉大さを思う。

然し、ゴヤの実態は、案外と世俗的で、立身出世に一喜一憂し、王侯貴族にあこがれ金銭に執着して生活していたとのことだ。ゴヤの竹馬の友、サパテール宛ての書簡でそういったことが明らかになった。

主席宮廷画家に上り詰めた、ゴヤが、渾身の力で1年近くかけて描いたのが「カルロス4世の家族」だ。この絵画はプラドでの鑑賞時にも印象に残る作品で、他に比べて、とてつもなく大きかったのを覚えている。
「カルロス4世の家族」には、愚鈍とも揶揄された国王カルロス4世が黒い服装で、凛々しい姿で配されている。その左で、ほぼ画面の中央には、実力者ゴドイと情を通じていたという、実質的な支配者の王妃マリア・ルイサが幼いふたりの子供を伴って描かれている。

この絵の出来栄えに王妃マリア・ルイサは大変満足したと伝えられているが、それも頷ける。本作は、前世紀の大画家ディエゴ・ベラスケスによる王族一家の集団肖像画「ラス・メニーナス(女官たち)」を意識して描かれているが、各人の目線が一定ではない点、何かしらゴヤの宮廷を見る目が隠されているとのことだ。ゴヤ自身の姿も、左の端に暗く描かれている。

その後ゴヤは、重病で、聴覚を失うことになった。後半生は、無音の世界に生きた画家で、その分目に見える世界への目は鋭くなったといわれる。王家だけではなく、多くの肖像画を手がけたゴヤだが、聴覚を失う前後で、その作風は明らかに違っていた。

そんな肖像画の到達点を示す名作が「サバーサ・ガルシア」だ。有力政治家ペレス・デ・カストロの姪に当たり、漆黒の背景に、無駄な装飾を排して、女性の顔、とりわけ強い眼差しに焦点を当てた、描写は、女性の美を余すところなく表現している。

サバーサが、結婚し立ての16歳の時の肖像と言われるが、叔父カストロの肖像画を描いていたときに中断を乞うて、描いたと云うから、相当に気を引かれる美人であったのだ。

1808年にマドリードで起こった民衆の暴動は長い戦争の発端だった。「1802年5月2日」はその時の戦闘を描いた作品だが、民衆が向かったのは、フランス軍の親衛隊に編入されていたエジプト人傭兵だ。壮絶な迫力で描かれているが、この暴動はフランス軍によってすぐさまによって鎮圧された。


ゴヤの名声を不滅のものにしたと云っても良いだろう。

ナポレオンが、フランス領土を拡大せんと、スペインに押し寄せた一連の戦闘状況を、「8月2日」と「8月3日」に凝縮して表現しているのだ。

元は、カルロス4世の、政治に無関心さが呼び寄せたものだろうか。あの「カルロス4世の家族」で、左の方に青い服で描かれていた息子のフェルナンド7世との親子の対立が、招いた結果とも云えそうだ。ナポレオンがこの親子をスペイン国境に近いフランス西部のバイヨンヌに呼び付けたそのすきにこの暴動が起こっている。

やがて、スペイン民衆の蜂起は全国に広がり、さしものナポレオンもゲリラとの戦闘に疲弊して、スペインは独立を果たすことになる。そして幽閉先のパリから戻ったフェルナンド7世だが、その後は、民衆の期待とは裏腹に、絶対専制を敷くようになる。「裸のマハ」を描いたゴヤも告発の対象となった。

晩年のゴヤは、「アリエータ医師と共にいるゴヤ」を残している。重病にかかり、医師アリエータに献身的な看病をして貰った感謝を込めての作品だ。この時「聾の家」と呼ばれる別荘で、ゴヤは悲壮な気持ちで、陰鬱な画を描いている。中でも「我が子を食らうサトゥルヌス」は異常だ。新聞の記事を読んで、ゴヤが如何に追い詰められていったかが思い知れる。



そこで描いたのが、今までに描いた画よりも清新な「ボルドーのミルク売り娘」の肖像画だ。この絵は,ゴヤの作品ではないという説もあるようだが、後の研究に待ちたい。
又、有名な「巨人」はゴヤの作品ではないと分かっているようだ。

そして最後の作品、白髪に杖をついた老人を描いた黒コンテ「それでもわしは学ぶぞ」を残して、壮絶な82歳の生涯を遂げたとのことだ。

【古今和歌集】

522.行く水にかずかくよりもはかなきは 思はぬ人を思ふなりけり (よみ人しらず)

流れていく水の上に数書いても消え去ってはかないが、さらにはかないのは、思ってくれない人を慕って思うことだ





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Last updated  2018.08.24 08:27:24
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