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2019.07.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のセミウォーキングは大阪染工から宝寺踏切迄で折りかえし、往復とも第1小学校の裏を通った。

孫の野球の試合を観戦した。残念ながら2-1で時間切れ敗退だ。試合初めの3塁ゴロ(孫は3塁を守っている)をファンブルしたことで得点に繋がってしまったのは痛かったが、近くで見ていると、ファールであったようにも見え、特に残念だった。

最終回には、守備では3塁でタッチアウトを取ったり、打ってはセンター前のヒットだったり活躍したが、時間が足りず敗退した。まぁ、試合は良かったと思う。

帰宅後庭木の剪定5日目を行った。松の仕上げと、槙のトップの刈り込みをした。素人としてはまずまずと自己評価している。刈り終わって切り取った葉の片付けの方が時間も掛かりしんどかった。途中1軒おいて隣の垣根の一寸した刈り込みを頼まれ、対応した。近所付き合いだからやむを得ない。

***

インドの細密画(ミニアチュール)の紹介があった。インドに関しては殆ど何も知らない。それでも、行きがかり上知り合ったインド人は50人を超えている。仕事で知り合った人たちばかりだから、一定のレベルの人たちであったと思い出す。ドバイで運転手をしてくれたのもインド人だった。12年前に知り合って、まだ独身だったが、今は40手前になっていることだ。

残念ながらインドの地は踏んだことが無いが、インドとUAE、又サウジまではとても近いので、中東で働いている人は多いようだ。インドでは私が日本工営に出向したときに最初に赴任するかも知れないと名前が挙がったところだ。

でも幸か不幸か、話を聞くだけで終わってしまった。旅行などで、タージ・マハルの話が出てくるが、一度行ってみたいと思う宮殿だ。インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟とある。

インド・イスラーム文化の代表的建築であると紹介されているが、今回紹介されているのはそのムガル帝国時代の芸術作品(細密画)で、ペルシャの影響を受けたイスラム系の作品(ムガール絵画)とヒンドゥー系の作品(ラージプート絵画)の2つに大別されるのだという。



作品が数点紹介されていたので、名前だけでも書いておこう。
バサワンとチェターが描いた「アクバルナーマ」はその1つだ。小品だが、精密に描かれている。ムガル帝国第3代の君主アクバルの治政を記した年代記なのだ。

アクバルはアラビア語で「偉大」を意味する。ムガル帝国を仕上げた正に偉大な人物であった。徳川家康と同じ時期の人物らしく、そういった意味では、何となく親しみが湧く。現在のインドでも人気が高い人物のようだ。

「アクバルナーマ」は象にまたがって戦闘する様を現した色彩豊かな絵だ。ムガル帝国はトルコとモンゴルの流れを汲むバーブルによって創設された国だが、そうなると、一躍世界が拡大する。バーブルは、かのチンギス・カンの血と繋がっているのだ。

アクバル自身はムスリムで、ヒンドゥー教のラージプート諸国と協定を進め、后も迎えている。ペルシャでは偶像崇拝を禁じていたがアクバルは自然物の観察とその再現を尊んだと書かれている。現代ではイスラム教徒は偶像を忌避しているので、何やら違和感がある。

ルネサンス期のデューラーの影響を受けたとの解説があり、芸術には垣根がないものだと感心する。

2つの絵の意味は分からないが、象にまたがって攻め込む様や戦いに参加している人たちの様子が描かれている。

アクバルが下地を作ったムガール絵画は息子で、第4代の国王ジャハーンギールの時に最盛期を迎える。宮廷画家マンスールに描かせた「カンムリキジ」は背景の壮大さと相まって、出来栄えは素晴らしい。一寸見ると日本画のようでもあるがインド人の画家の手によるものだ。

また、本人は肖像画を描かせている。ここでは、アブル・ハサンの手による「聖母の絵を持つムガール帝国ジャハーンギール」が紹介されている。手にはマリアの肖像画を持って描かれているこの絵は、キリスト教(カトリック)への興味を示しているとか、芸術に垣根はないとか、はたまた新たな勢力への恐れからかとも云われている。

日本にも徳川時代にカトリックが上陸してきたが、西洋の嵐は途中のインドへも訪れていたのだと改めて感心する。

イスラム教国であるムガル帝国はインドを300年に亘って支配したと云うから、丁度徳川家とほぼ同じ時期に、より長い期間を統治していたことになる。その間も土着のヒンドゥー教が廃れていたわけでは無く、インド西北部のラジャスターン州ではラージプート系の自治が認められていて、別途魅力的な細密画が制作されていた。



ここではインドでは絶大な人気を誇る神話的叙事詩「マハーバーラタ」の中にも登場するクリシュナとラーダにまつわる絵画が紹介されている。この叙事詩はインド神話を構成する重要な文献の1つで、世界3大叙事詩の1つともされる。(他の2つは「イーリアス」と「オデュッセイア」)。

絵画の作者はニハル・チャンドで、「クリシュナとラーダの愛の3場面」だ。同じ画面の中に3つの場面が同時に表現されている特異な絵画だ。最上部に背景となる美しい夕暮れが描かれていて、中間には優雅な船遊びをする様子が描かれている。そして、下段には船遊びで向こう岸に辿り着いた2人が森の中で愛を語り合うという構成だ。

この絵は18世紀中頃のラージャート系のキンシャガル国で描かれたもので、当時の国王はクリシュナの大の信仰者で、それに高じて弟に国の半分を譲って隠遁生活をしたと言われている。

この国王は、宗教だけではなく女性にも執着があり奴隷のバニ・タニを愛し、自らをクリシュナに、バニ・タニをラーダに投影したとも云われている。逆に画家はモデルをバニ・タニにしたとのことだ。

最後に紹介されている2作品は、共に作者が不明だ。1つは「ラシカ・プリヤ」で、インド西北部のメワール王国で描かれた作品だ。取り上げられているのは、同じくクリシュナとラーダだ。ラーダの周りには動物が群れベッドには蓮の花が置かれている(絵が小さいのでそれとは見分けが付かない)。



緑が描かれているのは砂漠にあって理想郷を求めていることと、当時自由な恋愛が禁じられていたために想像の中で自由恋愛を楽しもうといった意味が込められた絵画だという。

最後の「ラーガ・メガ・マーラ」はモンスーンの到来を祝う絵だ。画面中央のクリシュナは女性達が奏でる楽器に合わせて踊り豊作を記念しているようだ。

恋愛と音楽、そしてダンスは現代のインド映画の共通するテーマだという。

一寸インドを旅した気分だ。

【古今和歌集】

794.吉野川 よしや人こそつらからめ はやく言ひてしことは忘れじ (みつね)

たとえあの人が冷たい態度をとろうとも、以前の言葉は忘れません

(吉野川・・・よしやを引き出す枕詞、よしや ・・・ たとえ )





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Last updated  2019.07.09 07:30:42
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