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2020.07.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のウォーキングは第1723日目で8912歩だった。何とも怪しげな曇り空だ。
今日のお昼はココ一番のテイクアウトだ。
曇り空で暑さは少しましだったので庭木の剪定をした。高枝切りばさみを使ってタイサンボクと金木犀の半分くらいで疲れてしまった。

芸能界には特別な感情はないが、このほど唐突に自殺の報があった三浦春馬には、なぜかとの疑問を持った。表向きの報道を見聞きする限りはかくも順風満帆な彼がなぜという感じだが、よくよく読むと、家族関係(対母親)に問題のルーツがあるようだ。

素直に見えても、心の奥底で自分を追い込み、ついには自死を選ぶ。見かけにはよらないそんな悲しい人生があるのだと、改めて、人の世の難しさを知った気がした。きっと生真面目で、完璧主義的な面があったのでは無かろうか。生きる価値を見失ったのか、絶望したのか、突き詰めても到底理解出来るところでは無い。

***

トルコのエルドアンは、世界遺産のアヤソフィアをモスクに戻そうとしている。トルコ、特にイスタンブールは、1度は行きたいと思っていた。丁度1年前、姫達夫婦と連れ合いとの4人で僅か5日間の短い旅だったが、行けて良かったと今更のように思う。(このブログの2019年8月28日からの5日間を参照されたい)

今や、トルコもご他聞に漏れず、コロナ禍で侵されている。7月22日現在で、感染者数221,500人、死者は5,526人を数えている。感染者の多さでは世界15位、死者も20位あたりで、多い方だ。今ならとても行けるような数字ではない。

イスタンブールを象徴する1つにアヤソフィアがある。我々はその直ぐ近くに泊まった。


その後、焼失して、テオドシウス2世によって直ちに再建されたのが415年だ。再度の焼失を経て今日に至るが、兎も角キリスト教の聖堂であったわけだ。

そして時を経ること1000年、1453年にオスマン帝国皇帝メフメト2世がコンスタンティノープルに攻め入って、ここを占領し、イスラムの勢力下に収めたのだ。

そして、このアヤソフィアをイスラム教のモスクに造り替えると宣言したのだ。
コンスタンティノープルは今も昔も東西の文化、貿易などの交点のあったわけだ。

そして、アヤソフィア・ジャミィと呼ばれるようになったこの聖堂はオスマン帝国の君主が毎週の金曜礼拝に訪れる帝国の最も格式の高いモスクの一つとされたのだ。
こうして経緯の中、元キリスト教会の大聖堂がイスラム最高モスクとなったのだ。

丁度スペインのメスキータの逆バージョンといったところだ。メスキータは、イスラム教徒のモスクであったのがキリスト教徒の手によって、大聖堂へ改修されたのだ。

モスク(英: mosque)は、イスラム教の礼拝堂のことだが、アラビア語ではマスジド(masjid) 「ひざまずく場所」と言い、それが訛った語だ。マスジドがスペイン語でメスキータ (mezquita) となり、それが英語ではさらに訛ってモスク (mosque) となったとある。

当時のスペイン王カルロス1世は、メスキータをキリスト教の大聖堂に改築すべく、建設許可を与えた。しかし、着工後にコルドバを訪れ「メスキータがこんなに素晴らしいものと知っていたら、工事の許可を与えなかった。世界のどこにでもあるものを作るために、世界に一つしかないものを壊してしまった。」とつぶやいたと言う。

それを機に工事は中止、残されたメスキータは、モスクと聖堂が共存する、世界に2つとない貴重な建造物となったのだ。ここも連れ合いと訪れたことがあるが、カルロス1世でなくても感動すること請け合いだ。

この逆で、アヤソフィアを改修するに当たって、1717年、アフメト3世は内装のひどく損傷した漆喰の補修を命じたのだ。こうして多くのキリスト教のモザイク画が漆喰の下に覆われることになった。



こうして、博物館となったアヤソフィアは、白漆喰に覆われ隠されていたモザイク画を表に出し、我々に歴史の流転を語りかけて呉れたと云う事だ。

このような流れの中、現代トルコにおいて、アヤソフィアの建物をモスクや教会など宗教的行事の場として使うことは厳しく禁じられてきたのだ。

しかし、最近になってエルドアンはこのアヤソフィア博物館をモスクへ戻す方針を宣言(時代に逆行)し、トルコ政府として、アヤソフィアをモスクとする宣言と共に、コンスタンティノープル征服567周年記念式典を開いてイスラム教の聖典「コーラン」を朗読せしめたのだ。

東方正教会の中心だったアヤソフィアのモスク化には、ギリシャを始め西欧諸国(キリスト教の国々)はこの決定に強く反対したが、エルドアンはイスラム教徒以外にも門戸を開き続けるとしたうえで「祈りの場とすることは我々の主権に基づく」とこの決定を変更することはなかった。

キリスト教とイスラム教、この永遠の敵対関係は、ここに来て再度公に晒されたことになる。



神(ゴッド、アッラー)は恐らく同一の存在なのであろう、見る方向と教えで以て名前が変わっているだけだ。アヤソフィアの元の素性はこの際言及しないとしても、我々が訪れた、ドームの裏側にキリストを抱くマリアの像と共に、アラーやムハンマド預言者の名を刻むアラビア文字の円盤状の装飾が共に掲げられた平和の象徴的建造物をこれまでと同じ姿で、継続していく方が、余程素晴らしいことのように思えるのだ。

コンスタンティノープルの征服は預言者ムハンマドが望んでいたとされており、その象徴であるアヤソフィアのモスク化はトルコの宗教保守派や右派が長年主張してきたということだ。本来平和を希求する宗教者であるべきところ、こうした後世の者達に、両宗教間の騒動を再燃させるような、申し送りは、許されるべきではないだろう。

幸いにも、我々4人は、博物館として開館されていたアヤソフィア内に入ることが出来、壁に残された多くのモザイク画を見て往時を振り返ることが出来た。

そんな内部のキリスト教の宗教画については「礼拝の間はカーテンか光線で隠す」と述べられたとか。今後も、通常は観光客の目に入る形になるとのことだが、何かしら違和感を感ぜざるを得ない。

モスクに変えても、年間300万人以上に上る観光客はやってくるだろう。しかし、見学の仕方も変更される。現在100リラ(約1600円)の入場料は今後、無料になるとはいうものの、モスクとして礼拝を行う間は、祈りをささげるイスラム教徒以外は入れないことになる。

モスク化を巡っては、否定的な反応が少なくない。米国や欧州連合(EU)は非難や失望を表明した。約1000年にわたって東方正教会の中心だった歴史的経緯から、ギリシャやロシアの正教会が反発しているほか、ローマ教皇フランシスコも「深い痛みを感じる」と述べた。

イスラム教のアラブ諸国でも冷淡な反応が目立っている。トルコは四面楚歌(そか)の状況で、アヤソフィアをモスクとして宗教的行事で活用することになる。
世界遺産という名ははぎ取られるかも知れないとのことだ。





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Last updated  2020.07.24 09:17:44
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