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2020.07.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は雨のためウォーキングは中止だ。
久しぶりに太郎君と孫が顔を見せてくれた。少しだけ庭の木を刈ってくれた。高枝切りばさみを最大に伸ばすとノッチが空回りして切れない。コーナンに持って行ったら、何と交換してくれた。何となく気分が良い。
帰りにドンでテイクアウトした。
連れ合いは、玄関扉をリニューアルしたいと注文したら、扉の採寸にやってきた。
夕方、連れ合いが町内会のくじ引き大会で特等が当たり、ビール6本貰って帰ってきた。

***

コロナ禍だからと云うわけでは無いが買いだめていた「韓非子」を読み終えた。
朝のウォーキング時に、読むのだから、毎日数ページを、読むというか、流し見る程度だ。韓非子とはどういう人なのかが分かる程度で、内容を詳しく分析することなど叶わない。

文庫本で、上下2巻に別れていて、全55編1000ページ余と、ぶ厚い。本来なら原文毎読むのが良いのだが、そうしていると途中でギブアップしそうなので訳文だけを流し読むことにした。

何と読み始めたのは2019年5月25日で、上下巻を読み終えたのが2020年7月23日だ。
途中他のものを読んだり、読まない日もあったりで、全延べ読書日数は120日余になった。

頭の中に殆ど残っていないのだが、思い出しつつ、一寸気になった箇所を書き出してみた。

***

韓非は、紀元前280年?~ 紀元前233年に生きた中国戦国時代の思想家だ。背景を後から知るのだからいい加減だ。秦から漢と、中国が統一される前時代で、戦国七雄(韓のほか、趙、魏、楚、燕、斉、秦)が鼎立していた。

韓非の生国韓は最強国秦の隣国であり、かつ「戦国七雄」中、最弱の国であった。故郷が秦にやがて併呑されそうな勢いであり、何度も韓の王に進言すれど聞き入られず、最後は自殺に追い込まれる。用いられぬ進言を自らの思想として形にして残そうとしたのが「韓非子」だとのことだ。

荀子の弟子との説が通説で、性悪説に近いとのことだ。之くらいの背景で、読み終えて、どのような思想かと聞かれても、とても要約できる力は無い。

ここに書ける範囲で、少し目に留まったところを抜き出してみる。前半はボーッと読んでいたようだ。後半に掛けては、安倍晋三のやり方と対比しながら読んでいたようだ。

第11 孤憤篇(核となる編とされる)
・・・君主の側近は、必ずしも知者ではない。君主が人の弁舌を聞くというのは、その人を知者だと考えるからであるが、そのあとで側近たちといっしょにその聞いたことを検討する。これでは、すぐれた知者のことを愚者と検討していることになる。君主の側近は、必ずしも賢人ではない。君主が人を手厚くもてなすというのは、その人を賢人だと考えるからであるが、そのあとで側近たちといっしょにその人物の行為を品評する。これでは、賢人の行為を小人物と品評していることになる。知者はその献策のよしあしを愚者によって決定され、賢人はその行為の可否を小人物によって品評される。こういうことでは、賢人や知者は恥ずかしく思うだろうし、君主の評定も結局誤ることになろう。(之って今井らのことかな?)

第19飾邪編


第20解老編
兆しも分からない前に動くことを前識という。明確な根拠も無しに勝手に憶測することだ。
老子はこれを「前識は道のあだ花で、愚かさの始まり」というのである。

第22説林上編
あまねく大空の下、王土でない所はなく大地の行きつく限り、王臣でない者はない。今君が天子であるならば、私は天子の臣と云う事になります。


第22説林上編
・・・聖人のような管仲、知恵者の濕朋でも、自分の分からないことは、それを知っているならば馬や蟻でも師とすることをはばからない。それなのに、今の人は愚かな心を持ちながら聖人の知恵を師として学ぼうとしない。何と過っていることではないか。(コロナの専門家会議のことかな?)

第25安危編
国を安全に保つ道に七つあり、国を危険に曝す道に六つある。安全に保つ道は次のとおり。
一つは、賞罰が事の是非に従うこと。二つは、禍福が行いの善悪に応じていること。三つは、
生き死にが法度に準拠していること。四つは、行いが賢いか愚かかが判断の規準で、愛憎に                                      
よるものでないこと。五つは、知恵があるかないかが判断の規準で、毀誉褒貶による分けへ
だてがないこと。六つは、客観的な尺度を規準にして、臆測によらないこと。七つは、信義
が守られ詐術が行われないこと。
危険に曝す道は次のとおり。一つは、法規によらずに私的に処置すること。二つは、法規をそれて勝手に裁断すること。三つは、他人が害とすることを己の利とすること。四つは、他人が災いとすることを己の楽しみとすること。五つは、他人が安んじていることを危うくすること。六つは、愛すべき者に親しまず、憎むべきものを遠ざけないこと。(之って安倍に読んで欲しい)

第28功名編
賢明な君主が功業を立て名誉を揚げる条件に四つある。一つは天の時、二つは人の心、三つは技能、四つは勢位である。天の時に背けば、たとえ尭が十人いたところで、冬に穀物の種一つ生やすことはできない。人の心に逆らえば、たとえ孟賁・夏育のような勇者がいても、人々に全力を尽くさせることはできない。だから、天の時を得れば、とくに努力しなくともしぜんに穂は生え、人々の心を得れば、促さなくともしぜんに人々は働き、技能に頼れば、急がさずともしぜんに事は早く運び、勢位を得れば、わざわざ推し進めなくとも名誉は揚がる。それはさながら水が低きに流れるがごとく、また船が水に浮かぶがごとくである。自然の道を守って、窮まることのない命令を行う、それが明主なのである。

第28功名編
いったい才能があっても勢位がなければ、賢人でも愚者を支配することはできない。しかし、いま一尺ほどの短い木を、高山の上に立てれは千仞もの深い谷を見下ろすことになるが、それは木が長いからではなく位置が高いからのことである。桀でも天子になれば、天下を支配することができる。それは賢いからではなく権勢が重いからのことである。尭でもただの庶民であれば、三軒の家も治めることができない。それは愚かだからではなく、地位が低いからのことである。千鈞の重さでも、船に乗せれば水に浮かぶが、錙銖ほどの軽いものでも、船を失えば沈んでしまう。それは千鈞が軽く錙銖が重いのではなくて、勢という条件があるのとないのとの相違である。だから短いものでも高所から見下ろせるのは位置によるのであり、愚者でも賢人を支配できるのは権勢によるのである。・・・(安倍に自覚を促したい)

第32外儲説左上篇
・・・・ところで、今の世の談論は、みな巧みな表現やうまい修飾語を用います。そこで君主はその修飾のうまさに惹かれて、実用の面を見落としています。ところが、墨子の言説は、先王の道を伝え、聖人のことばを論じて、広く人々に告げ知らせるものです。もしもそのことば遣いを巧妙にしたならば、恐らく人々はその修飾された部分を心に留めて、本質のところを忘れてしまうでしょう。・・・

第34外儲説右上篇
酒を商う商人が売れずに困っていた。
知り合いの村里の長老に尋ねると、飼っている犬が猛犬だからだという。そして、答えた、「人が犬を怖がるからさ。もし、人が子供に銭をもたせ、酒つぼをさげて買いに行かせても、犬が跳び出してきてかみつこうとする。こうして酒は酸っばくなり売れないのだ」。いったい、国にも犬がいる。道を心得た士がその術を胸に抱き、万乗の君主に説き明かそうと思っても、大臣が猛犬になって跳びかかってかみつこうとする。
こうして、君主は臣下に目をふさがれ脅かされ、また道を心得た士は国に採用されないのである。(これも今井のことらしい)

第35外儲説右下篇
秦にひどい飢饉があった。応侯が願い出た、「五つの御苑の野草・野菜・橡・棗・栗は、十分民を救済することができます。ぜひこれを開放してください」。昭襄王はいった、「わが秦の法では、民に功労があれば賞を授け、罪があれば罰を受けさせる。ところが今、五苑の野菜や果実を開放したならば、民に功労があろうとなかろうと、みな同じように賞を受けることになる。いったい、民に功労があろうとなかろうと、みな同じように賞をうけるのは、国が乱れるやり方である。だいたい五苑を開放して国が乱れるよりは、棗や野菜を捨てても国が治まるほうがましだ」。といって放っておいた。

第36難一編
・・・楚の人で盾と矛とを売る者がいた。盾を誉めていった、「わたしの盾のじょうぶなことは、どんな物でも突き通せる物はない」。また矛を誉めていった、「わたしの矛の鋭いことは、どんな物でも突き通せない物はない」。すると、ある人がいった、「あなたの矛であなたの盾を突いたら、どうなるのか」。その商人は答えられなかった。いったい、突き通すことができない盾と、突き通せない物のない矛とは、同時に存在することはできない。・・・(矛盾は韓非子から来ているのか)

第49五蠹編(核となる編とされる)
・・・大国につかえて連衡派にくみしながら、それによる利益も受けられずに、領土を失い政治も乱れることになるのである。また、臣下のなかで合従派に加担している者は、すべて「小国を救援して大国を打倒しなければ、勢力の均衡は失われるであろう。均衡を失ってしまえば国も
危うくなり、国が危うくなれば君主の権威も失墜する」といっている。ところが、小国を救援してみて、なお期待したほどに大国の勢力を弱くできないということになれば、自国の軍隊を動員して大国に敵対することにもなってしまう。小国を救援しても、必ずしもその国を救えるとは限らないが、大国と敵対すれは、その国と仲たがいをしないということはまずない。仲たがいをすれば、その大国に制圧されてしまう。兵を進めればうち破られ、退いて守れば城は攻め落される。小国を救援して合従派にくみしながら、それによる利益も受けられずに、領土を失い軍隊を壊滅させてしまうことになるのである。(故に習近平を国賓で招こうとしたのか?)

第59 顕学篇
世間にもっとも知られている学派は、儒家と墨家である。儒家の始祖は孔子である。墨家の始祖は墨翟である。・・・主義主張は反撥しあい食い違っておりながら、各派ともに孔子と墨子の正統をうけつぐものと自称している。孔子や墨子が再生できないものである以上、だれに後世の学派のどれが正統であるかを判定できるであろうか。・・・儒家と墨家のどちらが真実であるかということも判定できないのに、今や三千年も前にさかのぼって尭舜の道を明らかにしようとするのである。思うに、とても無理な話ではなかろうか。確かな証拠もないのに、こうだと断定するのは、愚か者である。





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Last updated  2020.07.26 08:42:25
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