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2021.01.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のウォーキングは午前中に連れ合いと水無瀬神宮に初詣するつもりなので中止した。歩き初詣で代替だ。
私は、日経の私の履歴書をスクラップして、1ヶ月の掲載が終わって一気に読むことを常としてきた。

去年の12月は福川伸次氏だった。それを読もうと、持って行ったようだ。(ようだというのが甚だおぼろげだが)何と、どこか途中で落としてしまったのだ。連れ合いと一緒の初詣だったので、荷物を預けたりと、やり取りした間に落としたのかも知れない。

初詣そうそうついていないことだ。過去にもウォーキング時にもう1人の履歴書を落とした記憶があるが、名前は覚えていない。

友人曰く、自慢話が書いてあるだけなので、面白くないと云う事だが、私にとっては、生まれて、高校を卒業する辺りまでが興味がある。人は、様々な環境の中で、過ごしてきて、今日があるのだと言うことで、人それぞれ、某か人生の転機が那辺にあるのかなど見るのが面白い。

勿論双葉より芳しいという人が多いが、中には、自分の過去をさも自慢げにスキャンダラスに書いているものもあって、人柄を押し知る事も出来る。
福川伸次氏の場合は通商産業事務次官と言う記憶があるが、その後東洋大学理事長などを経られたとかで、現在88歳。エリートの典型なのだろうが、その辺りには関心が無い。2日目から5日目くらいの幼少期の部分に興味があったのだが、落としてしまったので縁が無かったと云う事だ。

神宮では、距離を取ってお詣りだけして、恒例のおみくじを引くこと無しに帰ってきた。
帰宅後、改めてイオンで夕食分をテイクアウトして、元旦は静かに過ぎた。



一方では、東京のコロナの新規感染者が1337人と年末の最後っ屁の如く最大になった。
世界全体では、毎日18万人の感染増と、1万6000人ほどの死者の増加数で、納まる気配がない。この辺りクリスマスで浮かれたつけが回ってきたのかとも思う。悲惨だが現実だ。

心なしか、他の犯罪が減ったかの如くだが、恐らくコロナの陰に隠れているだけなのだろう。

***

悲惨な話題から離れて、ネットで観た紀行探訪から、歴史を振り返る。
ギリシャを偏愛したローマ皇帝で、「五賢帝」のひとりとされるハドリアヌスだ。

かつて連れ合いとイタリアを旅行した時、バスの中から円形の巨大なサンタンジェロ城を見たことを思い出した。ハドリアヌスが自らの霊廟として建設をしたのだという。

ハドリアヌスで思い出されるのはハドリアヌスの壁だ。英国イングランド北部,スコットランドとの国境近くに残るローマ時代の防壁で、塩野七生の「ローマ人の物語」でも記されている。
だが、残念ながら写真でしか見たことがない。

ローマ皇帝ながらギリシャを偏愛したとのことだ。そんな記事の紹介を読みながら、少し端折って書いてみた。

子供の頃からギリシャを愛していて、自らもギリシャ風によそおったと云う事だ。ローマの文化的先輩への敬意だったのだろうか。それだけではなくアテネに多くの記念建造物を造たっという。それには、ローマを守るためにアテネを復興させ、ローマの縦にするつもりだったとのことだ。



ハドリアヌスは、現在のスペイン南部セビリア近くの都市イタリカの貴族の家に生まれたが父親が亡くなり、従兄であり後に皇帝となるトラヤヌスに引き取られた。こうした運命にあったのもまた興味深い。

これが彼の出世の糸口だったようだ。不幸を吉に変える、幸運な人だったようだ。トラヤヌスのもとでローマ帝国は急速な拡大を成し遂げた。トラヤヌスの死後ハドリアヌスは皇帝の座を継いだ。

このように、ローマ帝国は、皇帝トラヤヌスのもとで史上最大の領土面積を持つに至り、西暦117年にハドリアヌスがこれを譲り受けた。巨大な帝国を治めるには、東方を安定させる必要があった。ギリシャ世界が鍵であると考えたハドリアヌスは、自身のギリシャ愛が帝国の運営にも役立つと踏んだ。ギリシャを熱烈に称えることで、東方から西方に至るまで、帝国を統一することを狙ったのだ。

この頃はダキア(現在のルーマニア)やメソポタミア(現在のイラクのあたり)までもがローマ帝国の支配下に置かれていた。

ギリシャ神話なども私は好きだが、ローマ時代にあってギリシャはあこがれの地であり、ハドリアヌスはそのことに忠実であったようだ。ローマ人は皆ギリシャ人に憧れていた感じだ。



ハドリアヌスはまた、オリンピアの最高神ゼウスに捧げる神殿、オリンピア=ゼウス神殿を完成させた。

ギリシャは紀元前86年にローマに征服されてから数十年後、「ローマ時代のアゴラ(広場)」がアテネに造られた。パルテノン神殿よりも豪華なものにしたいと、ハドリアヌスは考え、アテネのエリートたちもこれを支持した。

帝国マネーがなだれ込んだアテネは建築ラッシュだった。皇帝の4度目の訪問を歓迎するためのハドリアヌスの凱旋門は完成したばかりで、他にも大規模なプロジェクトが進行中だった。ゼウス神殿には象牙と金でできた巨大なゼウス像が収められた。また、ロドス島とローマの巨像等も建てられたのだ。

西暦132年を最後に、ハドリアヌスがアテネを訪れることはなかった。138年、ナポリ近郊でハドリアヌスは亡くなった。彼がアテネに残したものは、しばらくの間、存続したものの、それらも時の流れとともに廃れていった。

ハドリアヌスの死から200年が経った西暦330年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがビザンチウム(現在のトルコ、イスタンブール)に帝国の中心地を建設した。こうして文化の中心はアテネではなく、さらに東のビザンチウムとなったという。

私と連れ合い、更に姫夫妻が共に旅したイスタンブールの街は、オスマントルコの支配の前にビザンツ帝国の中心地であったのだ。
歴史を知り、彼の地を訪れることで、かつての空気が感じられる気がする。そんな空想も旅の光景と共に楽しく思い起こされるのだ。





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Last updated  2021.01.05 11:29:30
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