新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

PR

×

Profile

のらくろ君A

のらくろ君A

Comments

GX革命の旗手久保田玉鋼最高峰@ Re:第4の革命(カーボンゼロ):GXの衝撃(07/24) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
マイコ3703 @ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) 私もブログを書いているんですが内容が偏…
のらくろ君A @ Re[1]:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) やーやさん そう、アクリル画でしたね。 …
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08)  私もお名前書き間違って、女流画科さん…
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) 素敵な「ひつじ達とお散歩」は ポスター…

Favorite Blog

のらくろ君 のらくろ君さん
八十艮の広場 八十艮7633さん
ようこそ ばあこ … ばあこ5577さん
こんにちわ♪ kalunguyeyeさん
何の日=つぼんち16 つぼんち16さん
2021.10.20
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のウォーキングは第2094日目で8512歩だった。
連れ合いもご近所ウォーキングに出かけた。

久しぶりにゴルフ仲閒の家を訪れ、その足で、友人宅を回って、コーナン、コープで買物をして帰った。

朝のモーニングショー番組で、老化を遅らせる成分が解明されたという話があった。ワシントン大学教授で、抗老化研究の第一人者である今井眞一郎氏の話だ。
現在はマウス段階とのことだが、飲み薬(サプリメント)としてNMN(ニコチンアミノモノヌクレオチド)が提供されていると言う。然し高い。

2016年の段階では60歳相当が40歳相当にまで若返ると言った話だ。また2011年には糖尿病のマウスが7~10日間の投与で、インスリンの効果が増加したことが確認されている。
長生きの薬というわけではなく、所謂「ぴんぴんころり」が可能になるように、健康寿命を長くするという目的だという。

マウスでは効果は確認されていて、健康寿命はオスで、9.1%、メスで、16.4%延びたとのことだ。
こうした結果、病気が減り、寝たきりが減り、認知症も減って医療費が減ずるとのバラ色の将来が見える。


法則1 「運動」で老化制御に欠かせないNADを増やす。
法則2 「朝食」をがっつり食べて生体リズムを整える。
法則3 長生きしたいなら少し「小太り」くらいがベター。

その気になれば俄に採り入れる事も可能だが、法則3の小太り(BMI=25~26.9)が最も死亡リスクが低いとのことで、之については、少々力強い話だと聞いた。

***

太平洋戦争後、フィリピンのルバング島山中のジャングルに30年もの間留まり、戦い続けた日本軍情報将校小野田寛郎さん(故人)の話が出ていた。驚異的なことであるし、嘗てグアム島に取り残された横井庄一さんもそうした境遇であったことを思い出す。戦争が悲惨であり、特に気合いだけで立ち向かった戦いが最後に悲惨な状況になったことは我々は良く知っているつもりだが、なかなか切実感が無いのかも知れない。

安倍晋三や高市早苗などは、それでも軍事力を強めて諸外国と対応することに躍起だ。仮想敵国は、北朝鮮、中国、韓国と言ったところだろうか、はっきりしない。というか知りたくもない。

小野田さんの戦後は、日本が高度成長期にかかる頃だ。それまで100人以上の日本の捜索隊が訪れてもがんとして戦いを止めなかった。そんな手記を垣間見る。

敗戦を知る契機になったのが、昭和49年2月20日、ルバング島山中を訪れた鈴木紀夫さん(故人)だ。このとき、鈴木さんは24歳、小野田さん51歳だったとのこと。

この鈴木さんは私よりも6歳若いようだ、昭和49年には、私は就職し、仕事ではベテランの域に差し掛かりつつあるころだ。

小野田さんは、4日前から鈴木さんの行動を把握し観察していたという。戦争が続いていると信じている将校の行動だ。



密林での生活はバナナやヤシの実、水牛などを食していたという。時には、馬、野ブタ、山ネコ、1mもある大トカゲなども食べたというが、壮絶だ。

私も1ヶ月ほどフィリピン南部をどさ回りしたが、気候は温暖で、食べ物はふんだんにあるし、何とか生きられるであろう事は推察がついたものの、尋常の精神力ではない。

小野田さんは、島の者達から「山の王様」「山ネコ」と呼んで恐れていることなど、鈴木さんはいろんな話をした。この鈴木さんも勇気のある男だ。小野田さんに撃ち殺されるかも知れないという状況を認識していたのだろうから。

鈴木さんのルバング訪問の目的は、小野田さんに会って、戦前の日本人の考え方を生で聞いてみたいと思ったからだという。本当に陸軍の将校がそこにいるのなら、その実体験と考え方を知りたく思ったのだろう。

そして、鈴木さんは、小野田を英雄だと言った。かつての日本(開戦時)は一億玉砕、百年戦争を叫んで日本は戦争に突入したのだが、2発の原爆で無条件降伏とあっさりしたものだ。あっさりとは、一寸語弊があるかも知れないが、敗戦を知りながら、散々無意味な抵抗をした割りには、結果はお粗末だった。



小野田さんは、全く日本の状況を知らなかったわけではないようだ。捜索隊として送り込まれた、日本人が残した新聞などで、本土の様子は窺い知れたという。然し、それらを、日本人をおびき出す作戦だと認識したようだ。

新聞や雑誌を巧妙に改ざんした謀略、宣伝工作だ、と信じて疑わなかったというから相当なものだ。

日本の政府は米国の傀儡であり、真の政府は満州にありと云ったことを信じていたという。
現状の政府を見れば、大きな意味では傀儡という言葉が当たっていなこともないようだ。米軍基地に覆われ、あまつさえ沖縄では、治外法権的な米国優遇策を採り続けているのだから。

それにしても、朝鮮戦争が勃発時に、戦争の継続を信じたのはルバング島への赴任の命令を受けたことに符合していたとか、大本営の好き勝手な解釈、命令が日本を揺さぶり続けたその典型的な例として認識される。

日本本土が占領されても、「日本政府は満州(現中国東北部)に転進、関東軍を中心に徹底抗戦を図る。大陸には陸軍80万人の兵力が温存されている。反撃攻勢の時期は3年ないし5年後と想定される」といったまことしやかな命令があれば、SNSの無い時代、それは最高級の虚偽情報であったのだ。

加えて、米国軍がベトナムを北爆する事態になって、米軍がこれほどの戦力を投入するからには「仏印方面で日本軍が再度、猛反撃に出たのだ」と、まだ戦争が継続していているとの誤認識を上書きしたというから、途方もないことだ。

そして極め付けは、戦争が終結している証拠「任務解除命令」が届いていないことがあった。
軍隊というものの非情さと、命令一下、殆ど何事も従うことが必然とされる、極めて危険な存在である事が、再認識されることになった。

小野田さんは最終的に1974(昭和49)年3月、谷口少佐からの命令で任務解除を認識、マルコス政権下のフィリピン軍に身柄を拘束され、日本政府に引き渡された。当時のマルコス大統領は「オノダの過去のすべてを赦す」と恩赦を与え、小野田さんが起こした30件ほどの刑事事件は不問に付された。

私がフィリピンを橋梁の検査で回ったのは、遙か南部のビサイアス地域だったが、セブでも、パナイでもボホールでも、日本人に対する敵愾心を感じたことは無かった。マルコスの決断が拭ききったのかも知れないが、これが韓国だったら、今でも生きて帰れるかどうかは疑わしいことかも知れないと感じる。

人の寛容性などは、どこに宿っているのだろうか。小野田さんの壮絶な30年と共に、そんなことも考えてしまった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.10.28 13:07:35
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: