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2026.04.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
連れ合いは友人のところへ訪問し九州旅行の土産を貰ってきた。
姉の姪、私の姪に当たる女性(既に還暦を過ぎたとか)が急遽姉のホームを訪れてきたので一緒にあった。流石に大きく変わっていたが、姉の3歳上の姉もその上の姉も生きているとのことだ。
庭の清掃を少し広めたが、45Lのゴミ袋満杯になるまで枝葉を切り落とした。肥料も全面にわたり広げた。
その後連れ合いは元の同僚さんと石川で夕食を共にしたようだ。往復は電車で行った。

***

ベスビオ噴火はいつ起きた? について8月24日(目撃)と言う記録や10月説(考古学的)もある。
その根拠を下記に示す。

小プリニウスが記録した記録は歴史家タキトゥスに宛てた2通の手紙によるもので、約30年後の西暦108年ごろに書かれたものだ。

ローマ都市ポンペイとその一帯を襲った火山噴火は2日間にわたり、有毒ガスと火山灰、さらには津波までもが起こった。


手紙の中で小プリニウスはタキトゥスに、おじが部下とともに噴火現場を目指して航海し、ポンペイの約8キロ南で停泊したと伝えている。
生存者たちの証言によれば、大プリニウスはスタビアエの街にある友人宅に立ち寄った後、火山と炎を間近で見ようと、軽石の雨の中、頭を守る枕一つで屋外に出た。そして、火山の煙で窒息死したと記録している。

第2の手紙では、爆発による津波やすべてを覆い尽くす黒雲といった「異常で恐ろしい現象」について記述している。

「全世界が私とともに消えていくという慰めだけが、私を生き続けさせた」と小プリニウスは回想した。
小プリニウスの噴火に関する記述は古代史で最も有名なものの一つだ。しかし、手紙そのものは現存しない。

古代の写本は数世紀にわたり写本者から写本者へと受け継がれてきた。その過程では誤字、誤訳、間違いが生じやすい。この手紙が最も広く受け入れられている。書かれた日付は8月と10月か11月だと読み取れる。写本者たちが小プリニウスの記述を間違えた可能性が考えられる。

写本、訳本によって起こった日が異なるのだ。

ポンペイの考古学調査からは10月説を裏付けている。
ポンペイで発掘されたザクロやイチジク、クルミといった秋の果実の痕跡は、10月の噴火を示唆している可能性がある。

ただし、西暦79年以降、噴火を生き延びた人々が一時的にポンペイに再び定住したと信じている。生存者や食べ物の痕跡が残された可能性もあり、かつては噴火で命を落とした人々の遺物のみを含むと考えられていた。

もう一つの手がかりは、ポンペイの住宅で発掘された、西暦79年7月または8月に鋳造されたと考えられる硬貨だ。



2018年には、噴火が10月に起きた可能性を示す別の手がかりが発掘された。当時改装中だったと思われる住宅に木炭で書かれた10月の日付だ。

もろい木炭で書かれていたため、長くは持たず正確には大災害の1週間前に書かれた可能性が高いトの説がある。

これに対して簡単に消えないとの説もあるようだ。詰まるところ現在ではどちらであるかを断定しにくいのだ。

重要なのは火山がいつ噴火したかではない。どのように噴火したかだ。噴火についてわかっていることを披露と、地獄のような32時間、火山は高さ約5.8mに達する灰の柱を発生させ、午後7時ごろから灰色の軽石の雨が降り始めたと結論付けている。マグマの流出後、1日半を経てようやく降灰は終息した。

この噴火は「従来考えられていたより複雑で壊滅的だった」とのことだ。山腹から流れ出たマグマとガスの火砕流によって引き起こされた噴火の破壊力は予想以上だった



この火砕流は「ポンペイを灰と軽石の数m下に葬り去ったとのことだ。

ポンペイで研究を続ける研究者は「ポンペイでは、破壊の様相は均一と程遠く、住民たちは何時間もかけて、異なる時間に異なる原因で死亡した。こうした発見は極めて貴重だ。

噴火の状況については、以前より多くのことがわかっているかもしれない。しかし、8月説と10月説の論争は果たして決着するだろうか? 決定的な証拠がさらに見つからない限り、ベスビオ火山の影で行われる考古学調査には、噴火の正確な時期に関する疑念の影が付きまとうだろう。

これだけの年月が経てば、日付が8月であろうが10月であろうが本質的ではないと思うのだが。





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Last updated  2026.04.03 16:09:58
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