ゆうさんの日記

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2026.05.26
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国家戦略特区の指定から数ヶ月。延岡の臨海部では、旭化成を中心とした次世代クリーン産業プラントの建設が急ピッチで進んでいた。
 それに伴い、街の風景は劇的に変わりつつあった。プラント建設を担うエンジニアや、将来の稼働を見据えた専門家など、アジアやヨーロッパを中心に多くの外国人労働者とその家族が延岡へと移り住んできたのだ。
 しかし、急激な「国際化」は、静かだった地方都市に小さくない摩擦を生んでいた。
「言葉が通じないから、ゴミの分別ルールが守られていない」
「夜遅くに外国の音楽が大音量で流れていて、近所迷惑だ」
 市役所の地域振興課には、連日のように住民からの苦情の電話が鳴り響いていた。
「……五ヶ瀬くん、このままだと、外国人住民と地域住民の間に決定的な溝ができてしまう。何か対策を考えてくれ」
 課長からの指示に、幸太は「分かりました」と答えたものの、頭を抱えていた。
 さらに幸太の心を重くさせていたのは、推進室の人間関係だった。

「凛、明日の経産省とのウェブ会議の資料だけど、あのデータの修正をしておいてくれ」
「はい、高峰先輩。すぐに取りかかります」
 二人の洗練されたやり取りを見るたび、幸太の胸はチクリと痛んだ。あの祝勝会の夜、凛が「仕事だけの関係じゃない」と言ってくれた言葉が、まるで遠い幻のように思えてしまう。今の凛は、高峰の完璧なパートナーとして、再び「東京のエリート」の顔に戻っていた。
 ある日の夕方、幸太は意を決して、外国人住民との摩擦を解消するためのイベント企画書を高峰と凛に提出した。
「外国人労働者と地元住民を集めた、多文化共生フードフェス……?」
 企画書を一読した高峰は、鼻で笑うように書類をデスクに置いた。
「五ヶ瀬くん、相変わらず泥臭いというか、非効率なことを考えるね。そんな仲良しごっこをしたところで、言語や文化の壁が根本的に解決するわけがない。行政がやるべきなのは、多言語の警告看板を増やすことと、ルールの厳格化だよ。凛もそう思うだろう?」
 高峰に振られ、凛は一瞬、困ったように幸太を見た。しかし、すぐにいつもの冷徹な表情を作り、淡々と告げた。
「……効率の面から言えば、高峰先輩の言う通りです。フェスにかかる予算と人員を考えれば、警告の徹底の方がコストパフォーマンスは高いです」
 その言葉に、幸太の限界がきた。
「コストパフォーマンスですか……! 看板を増やして、ルールで縛り付ければ、確かに一時的には静かになるかもしれない。でも、それじゃあお互いに監視し合うだけの、冷え切った街になる! 僕たちが目指す30万人都市って、そんな冷たい街なんですか!? ……すみません、失礼します」

(凛さんまで、高峰さんの味方をするのか……。やっぱり、俺たちの見てる未来は違うんだ)
 激しい悔しさと、孤独感が幸太を支配していた。
     *
 高峰には却下されたものの、幸太は諦めなかった。地域振興課の独自の予算と、商店街の有志たちの協力を取り付け、手弁当での『多文化共生フードフェス』の開催へ向けて奔走した。
 そして迎えた、フェス当日。

 幸太は地元の有名店の協力を得て、巨大なフライヤーを持ち込み、揚げたてのチキン南蛮を振る舞うブースを用意していた。
「さあ、いらっしゃい! 延岡名物、チキン南蛮だよ!」
 幸太が大声を出すが、最初は地元住民も外国人住民も、お互いに遠巻きに見合っているだけで、どこかギスギスした空気が漂っていた。
 その時だった。
「……五ヶ瀬さん」
 人混みをかき分けて現れたのは、私服姿の凛だった。白いブラウスにデニムという、普段のスーツ姿からは想像もつかないラフな格好をしていた。
「橘さん……!? どうしてここに。高峰さんは……」
「高峰先輩は、本社の役員とゴルフです。……私は、自分の目で確かめに来ました。あなたの言う『冷え切っていない街』がどんなものか」
 凛はそう言うと、幸太のブースに入り、エプロンを紐解いた。
「手伝います。おもてなし、でしょう?」
「えっ、でも、橘さんにこんな泥臭い仕事を……」
「口を動かす暇があるなら、私に指示をください」
 凛は少しぶっきらぼうに、しかし真っ直ぐに幸太を見つめた。その瞳は、推進室での冷たいものではなかった。
「……じゃあ、チキン南蛮にかけるタルタルソースの盛り付けをお願いします!」
 そこからは、戦場のような忙しさになった。
 揚げたての鶏肉を甘酢にくぐらせ、キャベツと一緒に皿に盛る。そこに凛が、不器用ながらも丁寧にタルタルソースをかけていく。
「ヘイ、マダム! これは何という料理だい?」
 ブースにやってきたのは、旭化成のプラント建設のためにドイツから赴任してきた高身長のエンジニアだった。英語で話しかけられ、周囲のボランティアスタッフが萎縮する中、凛が完璧な発音の英語で応対した。
「これは『チキン南蛮』。延岡が発祥の、最高に美味しいローカルフードよ。甘酸っぱいソースと、この特製のタルタルソースの組み合わせが絶妙なの。食べてみて」
 凛の綺麗な笑顔と流暢な説明に促され、外国人のエンジニアはチキン南蛮を口に運んだ。
 一瞬の沈黙。そして、彼の顔がパッと輝いた。
「オーマイゴッド……! アメイジング! チキンが信じられないくらいジューシーで、このソースはアメイジングだ!」
 彼が大声で絶賛すると、周りにいた外国人労働者たちが一斉にブースに詰めかけてきた。
「私にもちょうだい!」「僕も!」
 言葉の壁なんて、一瞬で吹き飛んでいた。美味しいものを食べた時の笑顔は、世界共通だった。
 それを見た地元の高齢者たちも、「口に合うたかい?」「もっと食べんね」と、拙い身振り手振りで外国人に話しかけ、チキン南蛮の皿を回し始めた。
 ギスギスしていたアーケードが、一瞬にして温かい笑い声と熱気に包まれていく。
     *
 夜、大成功に終わったフェスの片付けを終え、幸太と凛は二人で誰もいない夜の商店街を歩いていた。
 心地よい疲労感の中、凛がふっと足を止めた。
「……五ヶ瀬さん、私が間違っていました」
 凛は俯きながら、静かに言った。
「推進室では、高峰先輩の前で、あんな酷いことを言ってしまって……ごめんなさい。私はまた、数字と効率の檻に閉じこもろうとしていました。でも、今日のみんなの笑顔を見て、よく分かりました。ルールや看板じゃ、人は繋がれない。美味しいものを一緒に食べて、笑い合う。その泥臭い積み重ねこそが、本当の街作りの基盤なんですね」
 幸太は、凛の隣に並び、彼女の顔を覗き込んだ。
「謝らないでください、凛さん。僕の方こそ、凛さんの立場を考えずに怒鳴ってしまって、すみませんでした。……でも、嬉しかったです。今日、来てくれて」
 凛はゆっくりと顔を上げ、街灯の光の中で、幸太をじっと見つめた。
「私、高峰先輩の言う通りのマシーンになりかけていた。でも、あなたの前に来ると、どうしてもただの『橘凛』に戻ってしまうんです。あなたの真っ直ぐな熱さが、私の冷たい理性を溶かしてしまうから……」
 その瞳には、隠しきれない情愛が揺れていた。
 幸太は、もう躊躇わなかった。一歩近づき、凛の細く、冷たくなった手を、今度は両手できゅっと握り締めた。
「マシーンなんかにならなくていいです。僕の前では、ずっと、僕の好きな凛さんでいてください」
「……五ヶ瀬さん」
 凛の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。彼女は拒むことなく、幸太の胸にそっと頭を預けた。
「私、あなたのそういう『泥臭いところ』、本当に嫌いじゃないよ。……ううん、好きなの」
 祭りの後の静かな夜風が、二人の体を優しく包み込む。
 チキン南蛮が起こした小さな奇跡。それは、国籍の壁を越えて街を一つにし、そして、すれ違いかけていた二人の心を、これまで以上に強く結びつけた。
 しかし、恋人同士となった二人の至福の時間は、長くは続かなかった。
 次なるステップである「延岡科学技術大学の誘致」に向けて動き出す二人。だが、プロジェクトの進展と共に、高峰の嫉妬と、凛に突きつけられる「東京帰還」というあまりにも残酷な運命の足音が、すぐそこまで迫っていたのだった。





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Last updated  2026.05.26 00:05:21
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