ゆうさんの日記

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2026.05.26
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多文化共生フードフェスの成功から数ヶ月。延岡の街には、外国人エンジニアやその家族が地元住民と笑顔で挨拶を交わす、温かい光景が定着し始めていた。
 プロジェクトは、いよいよ中盤最大の難所である「次世代の人材育成」へと突入する。
「産業が生まれ、街が国際化しても、それを支える『頭脳』がなければ、30万人都市の未来は持続しません」
 推進室のデスクで、凛は幸太に向かって新しいスライドを示した。二人が恋人同士になってから、仕事中のやり取りにも、どこかお互いを深く信頼し合う空気が漂うようになっていた。
「現在、延岡には優秀な『延岡高等専門学校(高専)』があります。これをベースとして4年制の総合大学へと改組・新設する、あるいは最先端の『延岡科学技術大学』を誘致・創設する。これが市長からの新しいミッションです」
「大学の誘致か……!」幸太は目を輝かせた。「若者が高校を出てすぐに福岡や東京に流出してしまうのを防ぐだけじゃない。全国から、いや世界から尖った理系学生を呼び込むことができる。そうなれば、街の活気は本物になりますね!」
「ええ。ですが、文部科学省の認可や、莫大な設立予算、そして何より『なぜ延岡に新しい大学が必要なのか』という明確な大義名分が必要です。五ヶ瀬さん、今回は大学のキャンパス候補地となる、五ヶ瀬川沿いの視察へ行きましょう」
「分かりました。僕が最高のロケーションを案内します!」
 二人がそんな会話を交わしていると、部屋の奥からカツカツと足音が響き、高峰が書類を手に現れた。

 高峰は幸太を無視し、凛のデスクに手を突いた。
「大学を作るなら、臨海部の工業地帯のすぐ隣に、徹底的に効率化されたビル型のキャンパスを作るべきだ。学生なんてプラントの労働力になればいい。わざわざ川沿いの自然豊かな場所にキャンパスを作るなんて、コストの無駄だよ」
 高峰の冷徹な効率主義に、幸太は口を開きかけたが、それを凛が制した。
「高峰先輩、学生は単なる労働力ではありません。次世代のイノベーションを起こす研究者です。彼らの創造性を育むには、環境も重要な要素です。私は、五ヶ瀬さんの提案する川沿いの候補地を見てから判断します」
「……ふん。まあいいさ。せいぜい無駄なドライブを楽しんできなよ」
 高峰は不機嫌そうに目を細め、部屋を出て行った。高峰は最近、明らかに距離が縮まった幸太と凛の様子に、激しい焦りと嫉妬を募らせていた。
     *
 午後。幸太と凛は、公用車で五ヶ瀬川の上流へと向かった。
 車窓から見える五ヶ瀬川は、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。街の中心部から少し離れたその場所には、広大な緑地が広がっていた。背後には雄大な山々がそびえ、目の前には清流が流れる、息を呑むほど美しい場所だった。
「ここが、僕の考えているキャンパスの候補地です」
 車を降り、二人は川沿いの遊歩道へと歩き出した。風が木々を揺らし、心地よい葉擦れの音が響く。

 凛は足を止め、深く息を吸い込んだ。いつもの張り詰めた表情が、大自然の空気に包まれてゆっくりとほどけていく。
「でしょう? ここに最先端の実験棟や、ガラス張りの図書館を作るんです。学生たちは研究に疲れたら、この川沿いのベンチで議論を交わしたり、お弁当を食べたりする。世界的な研究者だって、東京のコンクリートジャングルより、こういう豊かな自然の中でこそ、誰も思いつかないようなアイデアを閃くと思うんです」
 幸太の熱い語りに、凛は愛おしそうに微笑んだ。
「本当に、五ヶ瀬さんはロマンチストですね。でも、そのロマンが、今の日本に一番足りないものなのかもしれません」
 二人は自然と、川沿いに置かれた古びれた木製のベンチに腰掛けた。

 凛は五ヶ瀬川のせせらぎを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……実はね、幸太さん。私、東京の大学に通っていた頃、一度だけ心を病んで、大学に行けなくなった時期があるんです」
「え……凛さんが?」
 幸太は驚いて彼女の横顔を見た。常に完璧で、隙のない彼女からは想像もつかない過去だった。
「毎日、満員電車に揺られて、ビルの中の閉鎖的な研究室にこもって、成果だけを求められる日々。周りの人間全員がライバルに見えて、誰を信じていいか分からなくなった。あの時、私の心を救ってくれたのは、実家の近くにあった小さな川の音だけだったの。……だから、分かるんです。最先端の科学を学ぶ若者たちにこそ、この五ヶ瀬川のような、いつでも自分を受け入れてくれる優しい自然が必要だってことが」
 凛はそう言うと、少し恥ずかしそうに下を向いた。
「東京のオフィスにいた頃の私は、そんな過去を必死に隠して、誰よりも冷徹な人間になろうとしていた。でも、この街に来て、幸太さんに会って……私は私のままでいいんだって、初めて思えたの」
 彼女の告白は、幸太の胸の最も深い場所に届いた。
 幸太はそっと、凛の肩を抱き寄せた。凛は驚くこともなく、自然に幸太の肩に身を預けてくる。彼女の髪から、微かにシャンプーの優しい香りが漂った。
「凛さん、話してくれてありがとう。僕は、あなたのその繊細で、優しいところが大好きです。このキャンパス計画、絶対に成功させましょう。全国から集まった若者たちが、この川のほとりで大きな夢を抱き、世界へ羽ばたいていく。そんな未来を、俺、凛さんと一緒に、この街で見たいです。……ずっと、隣にいてくれませんか」
 幸太の真っ直ぐなプロポーズのような言葉に、凛は顔を上げ、瞳を潤ませながら大きく頷いた。
「はい……。私、ずっとあなたの隣にいます。一緒に、この街の未来を見届けさせてください」
 二人の唇が、自然と重なり合った。五ヶ瀬川のせせらぎが、二人の誓いを祝福するように優しく響いていた。
     *
 数週間後、幸太と凛が作成した「環境共生型・延岡科学技術大学創設計画」は、文部科学省の審査会で驚きをもって迎えられた。
「大自然の力を活かした、次世代のクリエイティブ・キャンパス」というコンセプト、そして旭化成の最先端プラントと直結した画期的なインターンシップ制度は、まさに地方創生の新しいモデルとして絶賛され、見事に新大学の設置認可が下りたのだ。
 さらに、周辺自治体の協力により、学生向けの格安のシェアハウスや、国際色豊かな学生街の整備も決定。全国から、そして海外からの留学生からも応募が殺到し、延岡は一躍「学術と若者の街」としての顔を手に入れた。人口は、ついに20万人の大台を突破しようとしていた。
 新キャンパスの起工式の日、活気あふれる会場の隅で、幸太と凛は手をつないでその様子を眺めていた。
「やったね、凛さん」
「ええ、幸太さん。私たちの夢が、また一つ形になりましたね」
 幸せの絶頂にいる二人。しかし、その様子を遠くから冷たい目で見つめる男がいた。高峰だった。
 高峰の元には、東京の本社から、特区プロジェクトの成功を讃えるメッセージと共に、一通の「内示」が届いていた。
「……五ヶ瀬くん、君の勝ち誇った顔もそこまでだ。凛は、僕が東京へ連れて帰る」
 高峰は手に持った辞令の書類を握り潰した。そこには、特区立ち上げの成功に伴う、『橘凛・東京本社復帰(栄転)』の文字が刻まれていたのだ。
 公私ともに絶好調の二人に、今、最大にして最も切ない「遠距離恋愛」の影が、静かに忍び寄ろうとしていた。





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Last updated  2026.05.26 00:06:08
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