ゆうさんの日記

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2026.05.28
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「こんにちは、女将さん。今日も『樹里スペシャル』を一ついただけますか?」
ここ二ヶ月ほど、うちの店にちょくちょく顔を出すようになったお客さんがいる。名前は貴史(たかし)さん、二十八歳。近くにあるボイラー関連の会社で働く営業マンで、現在は独身らしい。
彼はとにかく、下町の路地裏には少し不釣り合いなほどのイケメンだった。一八〇センチ近いスラリとした高身長に、シワ一つないスーツを着こなし、言葉遣いもいつも丁寧で爽やか。お弁当を手渡すたびに「いつも本当に美味しいです。午後からの仕事も頑張れます」なんて真っ直ぐな瞳で言われるものだから、三十歳になったばかりの私の心も、ほんの少しだけそわそわしてしまっていた。
(二十八歳と三十歳……うん、二歳差なんて今どき全然アリよね)
誰もいない厨房で、私はそんな勝手な解釈をしては、一人で小さくニヤけていた。レースクイーンを引退し、結婚と離婚を経て、下町でがむしゃらに割烹着を着て働き続けてきた五年間。そんな私に、久しぶりに大人の恋の予感が舞い込んできたのだ。
そして、彼が通い始めてちょうど二ヶ月が経った金曜日の午後。お弁当を渡す際、貴史さんが少し照れくさそうに耳の裏を掻きながら、一枚のショップカードを差し出してきた。
「あの、明美さん。もしよければ、今度の週末、仕事終わりに駅前にできた新しいBARへ一緒に行ってみませんか? 一人だと少し入りづらくて……」
デートのお誘いだった。
私は一瞬驚いたけれど、胸の高鳴りを隠しながら「喜んで」と微笑んだ。

駅前のBARは、薄暗い間接照明が灯る、下町らしからぬお洒落で隠れ家的な空間だった。
「大人のデート」という雰囲気に、貴史さんも少し緊張しているようで、最初は仕事のボイラーの熱い話などを一生懸命に語ってくれていた。そんな彼の初々しさが、年下の男の子らしくてなんだか微笑ましい。
ところが、二杯目のカクテルが運ばれてきた頃から、店内の空気がおかしくなり始めた。
「……あれ? もしかして、から揚げ弁当の明美さんですか!?」
隣の席に座っていた若いサラリーマンの二組連れが、私を見てガタッと椅子を鳴らした。
「あ、はい、そうですけど……」
「うわ、本物だ! ほら、先月のマラソン大会で地方紙のトップ飾った超美人の女将さんだよ!」
「いつもお弁当食べてます! 今日は割烹着じゃないから一瞬分からなかった、めちゃくちゃ綺麗っすね!」
彼らの興奮した声は、静かなBARの店内に筒抜けだった。すると、カウンターの奥にいた別の常連客たちや、なんとバーテンダーさんまでが「えっ、明美さん!?」と色めき立ち、お店全体がちょっとしたお祭り騒ぎになってしまったのだ。
「明美さん、今日のランニングの調子はどうですか?」
「新しい割烹着、すごく似合ってます!」

「え……あ、あの……明美さん……?」
隣で貴史さんが、完全に顎が外れたような顔をして固まっていた。
彼はただ、近所の美味しいお弁当屋の「綺麗な女将さん」を純粋にデートに誘ったつもりだったのだ。まさか彼女が、下町中の男たちを狂わせている伝説のセクシーランナーであり、街のメガインフルエンサーだとは夢にも思っていなかったのだろう。
「ごめんなさいね、貴史さん。私、この辺だとちょっと目立っちゃうみたいで……」
私が申し訳なさそうに小さく肩をすくめると、貴史さんは赤くなったり白くなったりしながら、「い、いえ! とんでもないです! 僕の方こそ、なんだか凄い方を誘ってしまって……!」と、敬語がさらに過剰になって恐縮してしまった。

翌朝、私はいつものように午前三時に起き、真っ白な割烹着に袖を通した。
デートの結末を智恵子さんに話したら、きっと「明美ちゃん、大物芸能人みたいね」って大笑いされるだろう。大吾さんや透、それに親衛隊の男の子たちに知られたら、それこそ貴史さんがボイラー室に連行されかねない。
「ま、これはこれで下町らしくて悪くないか」
私は苦笑いしながら、今日も『貴史さん、また来てくれるといいな』と淡い期待を抱きつつ、山盛りのから揚げを揚げるためにフライヤーのスイッチを入れるのだった。





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Last updated  2026.05.28 19:57:29
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