ゆうさんの日記

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2026.05.28
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樹里が東京の大学に通い始め、私の店に毎週のように顔を出してくれるようになってから、さらに数ヶ月が経った秋の日のこと。
お昼の営業を終え、いつものように厨房の片付けをしていた私の前に、再びあの男が現れた。ブォォォンと静かなエンジン音を響かせ、店の前に停まった黒塗りの高級外車。運転席から降りてきたのは、少し白髪が増えたものの、相変わらず隙のないスーツを纏った元夫――鉄雄だった。
「……久しぶりだな、明美」
暖簾をくぐってきた鉄雄は、かつてのような冷徹な威圧感をどこか削ぎ落とした、穏やかな、でも少しバツの悪そうな顔をして私を見つめた。
「鉄雄さん。どうしてここに……?」
「いや……勝手なことをしたと思ってな。お前に何の相談もなく、突然樹里にすべてを話し、ここに送り込んでしまった。すまなかった」
あのプライドかたまりのような男が、私に向かって小さく頭を下げたのだ。私は驚きつつも、「ううん、感謝しているわ。あの子をこんなに素敵に育ててくれて、本当にありがとう」と、心の底からの言葉を返した。
鉄雄はお茶の代わりに私が出した冷たい麦茶に口をつけると、少し真面目なトーンで、今日ここに来た本題を切り出した。
「実は、樹里の将来のことで、お前に頼みがあるんだ」

「ああ。あの子は本当に出来る子だ。大学での成績も優秀だし、何より物事の本質を見抜く力がある。……親バカと言われるかもしれないが、私は将来、樹里を私の会社に引き入れ、後継者の一人として育てたいと考えているんだ」
鉄雄の言葉に、私は黙って耳を傾けた。大企業の役員としての顔、そして一人の父親としての顔が、そこにはあった。
「だがな」と、鉄雄は少し困ったように苦笑した。
「私が直接そんな話をしても、あの子は『パパの会社なんて興味ない』と一蹴するんだ。……だから、明美。その辺のことを、お前から樹里に、少し話してみてくれないか? 私はあの子の気持ちを一番に尊重したい。もし、どうしても他にやりたいことがあるなら無理強いはしない。だが、私の会社という選択肢も、決して悪くないということを……母親であるお前の口から、伝えてみてほしいんだ」
「……鉄雄さん」
私は窓の外の、穏やかな下町の景色に目をやった。
かつて私を「学歴も教養もない」と切り捨てた男が、今、娘の未来を左右する大切な相談を、この小さな弁当屋の私に託しにきている。
「わかったわ。次に樹里が来たら、それとなく聞いてみる。でもね、鉄雄さん。あの子はもう、自分で自分の道を選べる立派な大人よ。私の娘だもの、きっと一番格好いい答えを出してくれるわ」
「そうだな……。よろしく頼む」
鉄雄は少しホッとしたような表情を浮かべ、残りの麦茶を飲み干すと、また静かに車へと戻っていった。
男なんて、もう本当にいらない。

「明美ちゃん、今の元旦那さん!? 何かあったの!?」
隣の整体院から、智恵子さんが目を丸くして飛び出してくる。奥からは大吾さんが心配そうに顔を覗かせ、遠くからは透が「ちょっと明美、新しい恋の予感!?」と相変わらずな声を上げている。
「ううん、何でもないわよ! さあ、今日もこれからひと走りしてこようかしら!」
私は真っ白な割烹着を脱ぎ捨て、お気に入りのスポーツブラとランパンに着替える。
形から入る私の人生は、四十歳を超えてなお、ますます加速していく。

(『下町のから揚げシンデレラ』・完)





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Last updated  2026.05.28 20:11:19
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