ゆうさんの日記

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2026.05.31
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カテゴリ: まこととかおり
「薫、次のサビ前、もうちょっとスネア引っ張れる?」
煙草の煙が白く立ち込める三畳一間の宅録部屋で、**史華(ふみか・24)**がヘッドホンを首にかけながら振り返った。
彼女は薫の二つ年上で、所属するインディーズバンドのボーカル。そして、付き合って二年になる恋人だ。
「……ん、やってみる」
**薫(22)**はスティックを回しながら短く答えた。
彼らのバンドの腕前は、身内贔屓(みうちびいき)抜きにしてセミプロの領域に達している。すでにインディーズでミニアルバムを一枚リリースしており、タワーレコードの片隅に彼らのCDが並んだこともある。もっとも、「売れてる」とはお世辞にも言えなかったが。
日雇いの倉庫バイトがない日、薫が帰るのは実長の2DKではなく、決まって史華の住む駅近くのワンルームマンションだった。
薫は、この史華の部屋にも毎月きっちり「二万円」を入れている。
実家に入れている二万円と合わせて、計四万円。日雇いフリーターの薄給からすれば、これはかなりの大金だ。実家の母親や香織からすれば「薫は自分のためにしか金を使っていない」ように見えるだろうが、彼なりに二つの居場所を維持するための、これが限界の「誠意」だった。

しかし、二人の夜の営みには、薫にとって少しばかり深刻な「問題」があった。
「ねえ、薫……」
深夜、音楽の話がひと段落し、狭いセミダブルのベッドに潜り込むと、史華が潤んだ瞳で薫の首に腕を絡めてくる。
彼女のステージ上でのクールな姿からは想像もつかないほど、ベッドの上の史華は情熱的で、少しばかりマニアックな要求をしてくる。
彼女のフェイバリットは、いわゆる「駅弁体位」だ。
「史華、今日もそれ?」
「だって、薫の鼓動が一番近くで聞こえるんだもん」
そう言われて拒める男はいない。薫は覚悟を決めて、彼女の細い体を抱え上げる。
だが、これが想像を絶する重労働なのだ。
(くっ……、腰が……ッ!)
薫はバンドのドラマーだ。普段から手足を激しく動かし、体幹は鍛えられているはずだった。しかし、全体重を腕と腰だけで支え、重力に抗いながらピストンを繰り返すこの体位は、使う筋肉がまるで違う。

「薫、そろそろ就職とか、考えたりする?」
ある日の午後、遅めの昼食にレトルトのカレーを食べながら、史華がぽつりと言った。
二つ年上の彼女は、実年齢よりも大人に見える瞬間がある。バンドは楽しい。だけど、このままインディーズの底辺で燻(くすぶ)り続けることに、焦りがないわけではないのだろう。
薫はスプーンを止め、しばらく窓の外を眺めた。
実家の父・誠は「真面目に正社員になれ」と口を酸っぱくして言う。だけど、スーツを着て満員電車に揺られる生活なんて、想像しただけで吐き気がする。かといって、自分たちのバンドがこれから大ブレイクして、武道館に立てるかと言われれば、それも現実的ではないと分かっていた。

「そっか」
「でも、音楽は辞めないよ。最近、スタジオミュージシャンの仕事とか、裏方のドラマーとしてやっていくのもアリかなって思い始めてる」
それは、薫が最近見つけた、現実と夢の妥協点だった。
自分のドラムの腕には絶対の自信がある。誰かのバックバンドや、レコーディングのサポート。それなら、音楽で飯を食っていけるかもしれない。派手なスポットライトは浴びられなくても、職人としてドラムを叩き続ける生き方。
「いいじゃん、それ。薫のドラム、めちゃくちゃ正確だし、絶対需要あるよ」
史華は自分のことのように目を輝かせ、薫の皿にコロッケを半分分けてくれた。
実家の冷え切った空気や、親たちの歪な関係から逃れるように転がり込んだ、このワンルーム。
少しの生活費と、折れそうな腰の痛み。それと引き換えに、薫はここで確かに「自分の未来」を模索していた。
「あー、でもその前に、マジで一回整体行かないとドラム叩けなくなるわ……」
「え? どこか悪いの?」
「……いや、なんでもない。ちょっと腰がね」
クスリと笑う史華の横顔を見ながら、薫は心の中で(頼むから今夜は普通の体位にしてくれ)と、切実に願うのだった。





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Last updated  2026.05.31 04:38:39
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