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心を支える天風語録 その2
3 本当の「思いやり」とは
-- 『叡智のひびき』 箴言四
自己中心主義からの脱却
《語録》
「思いやり」という事を現実にするには、先ず何を措いても相手方の気持になって考えて見る事である。
「思いやりということが、いかに尊い、聖なる情念であるかということは、何人といえども知っている。しかし、しからばそれを真実実行している人はというと、特に現代、遺憾ながら、まことに少ないのが事実である」
天風はこう指摘している。
思いやりとは、相手の気持ちになるということだ。「自分が相手の立場だったら、どうだろう」という気持ちをめぐらせることである。
ところが、私たちは自分の利害関係だけを重視して、他人を思いやることは損することだと思う傾向にある。人は人、自分は自分というわけだ。
これは自己中心主義である。それは、利害が対立する場合には他人排斥主義になりかねないものだ。
そんな姿勢を天風は、孔子の教えである「君子の道は 忠恕 のみ」(君子は正しい思いやりで生きる)をもって批判し、さらに、「他人の立場に自分を置いてみれば、幸せな人生が送れる」というイギリスのことわざをもって自己中心主義を否定している。
しかしそうした倫理観だけで、天風は思いやりの尊さを説いているのではない。思いやりこそが、人間をはじめ、万物万象(宇宙そのもの)の真理であり、相互の協調によって、すべてのものは存在しているという真実を、天風は踏まえている。この真実を知らないがゆえに、つまり真の世界観・人生観を知ろうとしないがゆえに、思いやりを持とうとしない人が多くいる、と天風は看破するのだ。
では、思いやり(すなわち協調を基底とする宇宙の真理)とは何だろうか。
そもそも人間を含めた万物や万象は、すべて「空」と名づけられる、唯一の実在という絶対のものから造られている。
この「空」は何もないという「無」ではなく、すべてを生み出す根源というべきものだ。『般若心経』でいう「色即是空・空即是色」の「空」と考えてもいいだろう。
永遠不滅の絶対的な実在物である「空」から、一切の万物万象が造られているという真実を認識すると、独自に存在しているものは皆無であるということに気づく。お互いが協調しあって存在しているのだ。
すべての存在は互いに助けあって調和を図りながら存在している--この真実に気づけば、自己中心主義といった考え方は、根本から否定されるはずだ。
存在するものの調和が何かの原因で崩れると、それを回復させようとする力が働く。不完全を完全に戻そうとする作用が働くのだ。これの繰り返しによって物事は継続し、ひたすら完全に向かって向上し進化している。
それが宇宙の真相だとする天風は、自分の存在だけを重視し、他との協調・調和を考えずに生きることは宇宙の真理に背くことだ、と断じている。
天風のような宇宙観・世界観から導き出される人生観は「自他共存主義」である。天風流にいえば「自他統一主義」ということになる。
思いやりが、宇宙観・人生観の根幹となるという天風の説は、現代でも傾聴に値するのではないだろうか。
4 愛情を持って生きよ
-- 『叡智のひびき』 箴言六
「いのち」への普遍的な愛惰を持て
《語録》
正しい愛情とは、お互いが活きて、此世に存在して居るという厳粛なる事実を衷心から尊敬し合うことから湧いて来る。
これも難しい言い回しだが、要約すると、「正しい愛情とは、お互いがこの世に存在しているということを、お互いに心の奥底から感じ取り、お互いを尊敬しあうことから生まれてくるものだ」ということになる。
禅の言葉に「把手共行」(『無門関』第一則)というものがある。お互いに手を取りあってともに生きるという意味だ。これは、禅が説く「無」の公案を心身ともに受け止めて、「無」の境地に達した歴代の祖師たちと、ともに歩もうというものだ。
「把手共行」は禅門の中のことだが、天風の「愛情」は、もっと広く深いものである。
「お互い人間が、こうしてこの世に活きて存在している」
そういう厳然たる事実に立って、この事実を認識し、その存在と生命を心の底から尊敬しあう。それが真の愛情であり、人間の生きる根本的な姿勢でなければならない、というのが天風が「愛情」という言葉で言わんとすることだ。
いわば、生きている「いのち」に対する尊敬という心理が、「本当に愛するという気持ち」「正しい愛情」の根源となるのだ。そこには、人間の営み(呼吸し、飲食し、排泄し、ものを言い、心を感じあい、感情を理解するなどのすべての営み)を尊い生命の発現として、それに対して心から敬うという姿勢がある。
そういう根本姿勢があれば、正しい愛情が心から湧き起こってくるはずだ。それ以外には正しい愛情をつかむことはできない、と天風は言っている。
この愛の心は、宇宙の根本的な主体の心(宇宙霊の心)であり、神仏の心であるが、それがわかっていたとしても、生きている「いのち」に対する尊敬を徹底させなければ、正しい愛情を表すことができない。
天風の言う「愛情」とは、自分の「いのち」と同時に、人の「いのち」に対しても限りなく尊敬の念を持て、ということに尽きるのだ。
私たちはともすれば、「いのち」の尊さを頭だけで理解し、「戦火や飢餓に苦しむ人びとの『いのち』を大切に」とか「犯罪に巻き込まれた被害者の『いのち』の尊さを」などと訴えることがある。もちろん、それはそれで大切なことではあるが、天風はそれらを包括したところにある「いのち」の尊さを、説いてやまないのだ。
5 不平や不満を超える自己統制法
-- 『叡智のひびき』 箴言ハ
精神生活を積極化する自己統制
《語録》
不平や不満を口にする事が 愧 かしい事だと気がつく様になったら、少なくともとも自己統制が出来て来た証拠である。
「不平は天からうける最大の貢物である」(『随感録」)
そう言ったのは、『ガリバー旅行記』を書いたイギリス人作家のスウィフトである。当時の祉会に不満を持っていたスウィフトは、その思いを奇想天外な作品にぶつけたのだ。
世の中には、不平や不満があるからこそ進歩があり、満足はその停止であるといった考え方がある。しかし天風は、この考え方に真っ向から反対している。
「人間が不平不満を感じ、かつこれを口にするからこそ、人間世界に、進歩とか向上とかいうものが、現実化されるのだというような極端な誤解を、誤解と思っていない人すらある」
天風にとって不平や不満は、いたずらに苦悩や煩悶を心に感じさせるだけで、価値ある人生には寄与しないものだ、と断じる。
さらに天風は、不平や不満を持っていると、自分で自分が統御できない事態に陥ってしまう、と警鐘を鳴らす。
天風にとって「自己統御」は、大きな意味合いを持つものだ。自分の心はもちろん、感情や意識を自分自身で統制することこそが、人間たるものの本然であり使命である。
この自己統制があってこそ、身体も健全に機能できる。それは、「できる」「できない」といった事柄ではなく、人間のあり方を心底から考えれば、必然的に行われるべきものだ。そのため、心身の自己統御の妨げにしかならないマイナスの意識は、唾棄すべきものとなるのだ。
私たちは、何かというと自分の不幸や他人から評価されないことなどに対して、不平を言ったり愚痴を吐いたりする。
そうすることで鬱憤が晴れ、心が軽くなったように感じることもある。しかし、不平は不平を呼び、不満は不満を呼ぶ。不平不満ばかりこぼしていると、際限ないマイナスの意識の沼に落ちることになるのだ。
それは天風によると、自己統制ができていないせいだ。そんな人は、船を操縦することを知らぬ人間が、わずかな風波にも色を失って、慌ておののくと同様に、人生を本当に安心して活きていないのである。
自己統制ができないのは、平素の心の持ち方、すなわち精神生活に対する態度が積極的でないからだ、と天風は断言する。
さらに天風は、不平不満の心から自身を解き放つためには、人のために生きることだ、と説いている。
天風は言う。「人が人の世のためを本位として活きる時、その心の中に卑しい不平不満の火は燃えない」(『真理のひびき』箴言四)
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