フリーページ
積極精神をつくるには (その3)
中村天風講演記録
人間は先ず第一に、自分自身が自分自身の身体や感情に負けない心を作らなといけない。
それは何故かというと、人間の心が自分の身体や感情に負けちまうと、負けたがために結局また、身体の中に非常に大きな損害を招き寄せちまうんですよ。これを多くの人が気づいていないんです。
痛いから痛むのは当たり前だ、苦しいから苦しむのは当たり前だ、腹が立つから怒るのは当たり前だ、悲しいから泣くのは当たり前だ、これじゃあいけないんだ。お前の場合は痛かろう、無理もないからまあしょうがない、痛がりな。これで許してくれりゃあいいけど、そうはいかないんだ。
本当に痛くて痛がっても、本当に痛くなくって痛がっても、同じ結果がくるんです。要するに真理は同情してはくれないんですよ。
これから教わる神経反射の調節方法を知らないで、わずかな感覚や感情の刺激、ショックが心に送り込まれるときに、心の感応性能というものの調子が狂っていると、こりゃあもう、針ほどのことを棒ほどに伝えるんですよ。
するとその結果はどうなるかというと、原因が針ほどに小さくても伝わったところが棒ほどだというと、その棒ほどの大きさが、再反射を起こして肉体の生きる力の上に、きわめてよくない現象を生み出しちまう。
そりゃあもう、仇や疎かに考えられない重大なことなんだけれども、どういうものだかなあ、この講演聴いてるときだけはなるほどなと思うらしいね。けども一人の人生に生きる場合に、人問だものそりゃあもう、頭痛がしたり、腹が痛かったりすると、そういう場合に元の木阿弥にならないまでも、何の為に講習会に来たんだか分からないような気持ちになる人も、ときどきあるらしいぜ。
そういう人間はね、自己弁解が極めて卑怯な弁解しているんです。その卑怯な弁解っていうのはねえ、「そりゃあまあ、先生の教えることはいい方法には違いないけれど、何言ってもまだ先生ほど偉くないんだから」とこう言うんだよ。
私はねえ、偉くなってる人間に偉くなる方法を教えているんじゃないんだから。何も知らない人間に、我々同様な状態で生きられるような方法を教えてるんで、それを真剣にやらないから結局そうなるんだろう。
もっとも考えようによると、まだ苦しみ方が足りないのかもしれないと思うな、私は。そういう人は、もう今日が明日というような状態になったら真剣にやるだろう、そりゃあ。まあどうにかこうにか、ぐちゃぐちゃしながらも生きていられるもんだから、本当に真剣にならねえんじゃないのって。
それも非常に難しい方法じゃあないんですからね。それを難しくない、易しい方法を真剣にしないで、相変らず、この肉体の方からくる感覚や感情の刺激を心に受け入れてると、命を営む一切のすべての細胞が全然マイナスになっちまう。
消極的な心のもたらす害
私もこの方面の研究ってものを近代科学の上にのっとってしてきましたので、最初からこれはもう大きな損害になることは知ってましたけど、説明の言葉が、一番最初の間は、「血液が濁るぞ、諸君。心配したり驚いたり怒ったり焦れたり、心に悶えを持っているってえと、人間の命を保つ、一番根源をなす血液やリンパというものが、こりゃあもう極めて健康を破壊するような汚いものになっちゃって、いくら長生きしようと思っても長生きできないよ」、というようなことを昭和の十年頃まで言ってましたが、それからつい先ほど頃までは、「循環器障害と臓器障害を起こす恐れがあるから、これを分析的にお話して諸君の反省を求める」と言って、それを主として説いてきましたね。
人間の心が消極的になると、一番先に起こる循環器障害というのは、末梢動脈から静脈に還流しようとする際における血管の中に起こる恐ろしい変化だと。
それは結局どういう現象になるかというと、血管を硬化せしめると同時に、恒に血圧を高めるという不用意な人生に生きるために、いつなんどきこの循環器に大きな破壊するような状態が起こるかもしれないと、いわゆる血管の破裂によって命を失ってしまうんだと。
そうして更に恐ろしいことは、臓器障害といって、肝臓、膵臓、脾臓、腎臓、そういう重要なものの働きがすべて調子を狂わせちまうんだ。
活力を貯蔵する 神経 叢
それでは、どういうわけで人間が心配したり腹立ったり、あるいは煩悶したり苦労したりすると、循環器障害や臓器障害が起こすかというと、結局要するに、神経系統内におけるところの精力のボルテージが低下してしまうんですよ。
生きる力の大根大本の力が弱っちまうからいろんな故障が起こるのは当然ですよ。こう一つでも考えてごらん。「ビックリした!ああ、おっかない」、となるってえと、す-っと青くなっちまうんだろう。
結局要するに、こういうマイクだって今電気が通ってるからあんた方聞こえてるんだぜ。今そこの調節するところで、ピッとスイッチ切ってみろ、何も聞こえないから。それと同じような状態になるんだよ。
おもちゃ屋行って、蓄電池を使わなきゃ動かないおもちゃ買うんだ。それで買いたてはよく動くよ。だけど使っているうちにだんだん、蓄電池というくらいだから、蓄電されていた電気が放電されてくるわね、だんだんだんだん蓄電池の気が抜けてくると勢いよく走っていた自動車なんかが、走らなくなる、どう、ああ、なるんだよ。
人間の身体に生じる疾病というものは、よろしいか、その原因は人間の生命の精力のボルテージが下がったから生ずる現象なんです。どうしてボルテージが下がるのか、それは各種の感覚や感情の刺激、衝動を、心が受けた刹那刹那に、体内の枢要部に散在する神経叢、すなわち俗に急所といわれるこの神経叢に直接、針のようなものさえ棒のようにして送り込んで動乱せしめるからなんだ。
神経叢というのは、分かり易すく言うと、生命維持に必要とする活力の貯蔵所なんです。ところが、感覚や感情の刺激、衝動を受けると、その程度に応じて生命エネルギーは、必然的に相当の損失を受けます。そこで、この神経叢から保留してある活力を急激に放出することになる。
ところが放出すると同時に放出した分量だけ、また直ちに補充できれば別に何の問題もないのだが、活力というのは失うのは瞬時でしかも無限であり、受け入れるには時問がかかりしかも有限ですよ。
強烈な打撃を受けたとか、極度の驚きのために死ぬ人もいますが、これはその刹那無限に活力を失うからで、更に普通の病いの場合などを考えても、この消息はよく分かりますねえ。病いには一寸した不注意ですぐなるが、これを回復せしめるには相当の時間がかかる。
とくに神経過敏の人は、より一層失う分量が多く、受け入れるには相当の時間を費やさなければならないという、有り難くない傾向が顕著といえる。
ということ聞いたら、原因と結果がすっかり分かったろう。つまり始終自分の蓄電池に豊富な電気力を満たしておきゃあ、いいんだよ。
そこでどうすれば、その目的を達成できるかと言えば、感覚や感情の刺激衝動を心が受けた瞬間に、特殊の用意を肉体の各所に施して、体内の神経叢の安定を確保し、その動乱を鎮圧防止するのであります。この特殊の用意というのが、すなわち神経反射の調節法なんです。
神経反射の調節法
極めて簡単に方法を言う。
すべての感情、感覚の衝動、刺激を、今まではすぐ心で受けて、あるいは驚き、あるいは怒り、あるいは悲しんでいただろう。今度はそれを腹で受けろ。と言っただけじゃ分からないだろうな。
何がなしの感情なり感覚の衝動、刺激があったらば、まず第一番にぐっと腹に力をいれる。同時に忘れてならないことは、その時にアット・ワンスに肛門を締めて、肩を落とす。
腹に力を入れて肛門を締めて肩を落としていると、どんな大きな動揺がきても少しも身体に動揺を感じないばかりでなく、心に少しも変化を起こさない。
ショックや衝動をいちいち心だけで受けているというと、そのショック、衝動に心がいたぶられてしまうんです。ドカーンと音がしただけでも、ビクッとするだろう。
昔の武士は"肚を練れ"ということを、非常にやかましく言ったのはそういうことで、へそを中心とする腹腔神経節から脊髄に連絡しているこの神経系統が、自律神経系統の動乱を防ぐゴールデン・キーなんです。
ところが、今の人間は肚を練るどころじゃない、腹の減るときに物を食いたがるだけだ。
もう一辺言う。何かドカーンときたらキュッ。これを三位一体でやるんだ。丹田で力を入れると同時に、肛門を締めてそして肩を下ろす。肩が上がっちゃあだめなんだ。肩が上がってしまうと、横隔膜が上昇するから。横隔膜が上昇すると、気分の中に空虚を感じるんだ。
これは昔からもあるけれど、水に溺れた人間でも、尻の穴が締まっていると救かる。木から落ちた人間でも、尻の穴が締まっていると救かる。
肛門を締めるということについて、末梢神経が自律神経系統の活躍を結論づけている。ところが、肛門を締めていないというと、フーッと分散しちまうんだね。
駆け足するときでも肛門だけは締めて駆け足してごらん。全然疲れを感じませんから。
ましていわんや、肛門が締まって膀下丹田に力が入って、肩にしゃくしゃくたる余裕があったときには、自律神経系には何の被害も受けない。
正々堂々たる人生を
聞いてしまえば何でもないこの方法ですが、求めている人間は、非常にこういう話を貴重に感じるんです。
だからこれだけ多数集まった諸君の中でも、この話を「ああ、そうか」と感じて聞く人もあるだろう。けれども、感じ聞かない人もあるだろう。
感じて聞いた人は、今後の人生に今日教わった方法が大きな役立つものとなって表れるかもしれない。結局は諸君の聞いた後の応用の程度だから。
そうだろう、道を聞いたって歩きださなきゃ何にもならない。こういう方法だって、聞いて実行しなきゃ何もかわらない。
だから実行してみさえすれば、その事実が無言の雄弁で諸君に教えてくれるんです。それで現在よりはるかに、日夕暮夜の間、いつも泰然自若たる心で生きられる人間になったら、どれだけその人の毎日が、本当に階級の高い生き甲斐を感じて生きられるか分からない。
しかし、こういう方法を知らなければ、今日の仕事は辛かったなあとか、今日は難しいことをやらされたなあとか、自分の現在の日常生活を楽しみよりも苦しみの方を余計に感ずるというような結果がきます。そうして薄い氷の張った上に立たされたような、ビクビクした状態で人生を生きていたのでは、人生何をかなさんや、であります。
人生は、どんな場合があっても、自分自身を苦しく生かしてはいけない。如何なる場合があろうとも、自分自身が本当に明るく朗らかに、活き活きと勇ましく生きられなければいけないのであります。
そうして初めて万物の霊長たる人間の本来の面目が発揮できるばかりでなく、本当に荘厳に雄大に正々堂々たる人生が生きられるのであります。
中村天風講演テープより 編集部編
若返り法 2019.12.14
苦悩の中に人生の幸福がある 2019.06.21
積極的な気持ちの作り方 2017.03.17
PR
カテゴリ
New!
瑠璃月姫さん
New!
みお&ゆきさんコメント新着
カレンダー