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この子はすごいピアニストになる
伸行が大会で賞を取ったのは、小学一年生の時、全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部で優勝したのが最初でした。小学生から専攻科まで全国の盲学生が 鎬 を削る大会で、保育園を出たばかりの子が栄冠を手にしたというので注目の的でした。
三年生の時はモスクワ音楽院大ホールで演奏する機会を得ました。新聞記事を偶然見て応募したところ、予選に合格してモスクワに行けるようになったのです。嬉しかったのは、ロシアの音楽界の実力者である同学院の主任教授・カステルスキー先生から「この子はすごいピアニストになる」と太鼓判を押していただいたことです。
先生が来日された時、直接レッスンを見ていただいたこともあります。この時も「伸行君からはレッスン料は取らない」とおっしゃり、親身になって指導をしてくださいました。「この子は素晴らしい感性を持っているから無理強いは絶対に禁物。それよりもよく遊ばせてあげなさい」と繰り返し私に伝えられたのを覚えています。
ピアノの道を歩もうと思ったら指の怪我は禁物です。特にコンサート前になるとスポーツなどを 慎 むのが一般的です。しかし、私たちはカステルスキー先生のアドバイスもあって、山登りでも海水浴でも、伸行が希望することは何でもさせました。
それでよかったのだと思います。大自然の中で小鳥のさえずりや小川のせせらぎなどが、すべて彼の音楽に生かされ、その感性を 育 んでいったのですから。
その後もよいご縁は広まりました。カステルスキー先生が日本の音楽シンポジウムにゲストとして招かれた時、作曲家の 三枝 成 彰 さんがご一緒でした。カステルスキー先生は偶然居合わせた伸行のことを「この子のピアノを聴いたことがありますか。素晴らしいから一度聴いてごらんなさい」と話されたのです。
演奏を初めて聴かれた三枝さんはいたく感動され、九八年、伸行が十歳の時にご自身のコンサートで大阪センチュリー交響楽団と共演する機会を与えてくださいました。伸行にはこの上ない光栄なデビューでした。
指揮者の 佐渡 裕 さんとも不思議なご縁でした。伸行の演奏テープを聴かれた佐渡さんは「ぜひ、この子に会いたい」と連絡をくださいました。楽屋に招かれて直接演奏を披露すると号泣され、数か月後のパリのコンサートにピアノ奏者としてご招待くださいました。
伸行がここまで歩んでこられたのは、このような素晴らしい出会いに数多く恵まれたからにほかなりません。伸行の大らかで楽天的な性格が不思議と人を惹きつけてしまうようでした。 音楽界に何の 伝 もなかった私たちにとって、そのご縁は「ありがたい」としか表現できません。
曇りのない無心の演奏が心を打つ
あまり自分の願望を口にしたい伸行ですが、十七歳の時、「どうしても出たい」と主張したコンクールがあります。五年に一度開かれる有名なショパン国際ピアノコンクールでした。
これには私たちも驚きました。ご指導いただいていた川上先生も「これまでのコンクールとはまったく格が違うよ。若いんだし次の機会でいいじゃないか」とおっしゃったくらいです。しかし本人は「ファイナルでコンチェルトを弾くんだ」と聞く耳を持ちません。
長丁場でしたが、先生も私も早くからポーランドのワルシャワに入り、懸命に練習を重ねました。本番はとても張り詰めた雰囲気で、伸行よりむしろ私のほうが胃がキリキリするありさまでした。結果はセミファイナルで落選。批評家賞をいただいたものの、勝ち気な本人は納得できない様子で、 「ファイナルで弾けなかったのが大変悔しい」と何度も言っていました。
その後、伸行は待望のCDデビューを果たし、全国ツアーも行うなど充実した音楽活動を楽しんでいました。忙しさもあり、本人の中では「コンクールはもういいかな」という思いもあったようです。
音楽事務所の社長から「伸君、もうコンクールに出る気はないの」と声がかかったのは二十歳になった時でした。「課題曲が多くて大変だけれど、レパートリーを増やすいい機会だよ」という言葉に後押しされて、軽い気持ちで出場したのが、二〇〇九年六月にアメリカで開かれた名門のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールです。
ショパンコンクールの時と比べて伸行にはある変化がありました。三年間で実力が格段に高まっていたこともありましたが、世界的コンクールであるにもかかわらず、なぜかまったく気負いがないのです。予選の段階から肩の力が抜けて、とてもいい演奏ができているのが私にも分かりました。「ああ、これはいけるかも」と思いました。
それでも、いざ本選となると私の心中は穏やかではありませんでした。名だたる大会で入賞を重ねた実力者が顔を揃えていたからです。素晴らしい演奏が披露されるたびに圧倒されそうになります。
しかし、伸行に緊張した様子はありません。本選を通過した時、「ファイナルの六人に残れただけでもいいね」という私の投げかけに、「うん、そうだね」と笑顔で答える余裕すらありました。
客席には伸行のファンも多く、伸行が登場すると歓声が上がります。さながらコンサートのようでもありました。そういう雰囲気が彼にはよかったのだと思います。本人も後の記者会見で 「聴衆の心と自分の心が一つになったと感じた」と話していたように、大きな愛情に包まれるようなリラックスした雰囲気が、実力をフルに発揮させたのかもしれません。
結果は優勝。私たちの期待を大きく上回る快挙でした。演奏中、伸行の心にはおそらく「いい演奏をしよう」とか「審査員に受けよう」という気持ちがまったくなかったのだと思います。いわば無心です。一点の曇りもなく無心で奏でるピアノの音色が審査員だけでなく、聴衆の心を強く 捉 えた。それは間違いないと思います。
審査結果の発表後、表情を崩して涙ぐむ伸行の姿を見た時、小眼球症と診断された時の苦しみ、ピアノを弾き始めた時の愛くるしい笑顔など今日までの出来事、その時見せた伸行の表情の一つひとつが甦ってきました。「ああ、ついにここまできたんだな」。私は感無量の思いで、自分自身にそう語りかけていました。
そしてその思いに応えるように伸行は記者会見でこう言ってくれたのです。「もし僕に一つだけ見える目があったら、一番見たいのは両親の顔です」と。
他と比較せずその子の本分を伸ばす
常に子供の目線で見て考え、語りかける。私は伸行を育てる上でいつもそのことを心がけてきました。私自身、そういう育て方をされたからかもしれませんが、例えば 何か失敗しても、頭ごなしに 叱 ったりせずに、なぜそうなったのかを落ち着いてゆっくり説明してあげることは大事だと思います。そして当然ながら、うまくいったらよく褒めてあげることです。
ことピアノに関しては、伸行は納得いくまでとことん練習しますから「もっと頑張りなさい」という言葉は必要ありません。しかも、私のピアノの実力など到底及ばないレベルに行ってしまったので、ある時点から私が何かを説いて聞かせることはなくなりました。むしろ「こんな短時間で、ここまで弾けるようになったの!」と褒め役に徹します。私自身があまりピアノを弾けないものですから、心から上手だと思うんです。それで、伸行もまたやる気を出してくれたように思います。
伸行を育ててきた経験から、子供の可能性とは本当に無限だと感じています。 私は現在、インターネット上の「辻井いつ子の子育て広場」を通して、子育てに悩む方の声をお聞きしたり、講演活動をしたりしています。その中で「この子はこうだから駄目、などと勝手に判断せずに、何事も諦めないで挑戦してください」とアドバイスすることが少なくありません。中には「伸行君は特別だから」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、そうではありません。 伸行は盲学校の小学部で洋服のボタンを留めることもできない"劣等生"でした。しかし、私はあまり気にすることなく、伸行の長所を伸ばすことを心がけてきました。
周囲と比較するから些細なことで一喜一憂するし、子供も萎縮してしまいます。第一、それでは子育ては楽しくありません。母親が自分を犠牲にして子育てをしている、自分がいることで苦しんでいるという雰囲気は必ず子供に伝わり、気持ちを暗くします。だから、私はできるだけ自分が無理をしないでやってきたつもりです。
人と絶対に比較せずに、その子の本分を見つけて思い切り伸ばしてあげる。 月並みかもしれませんが、私のこの信條を子育てに悩んでいらっしゃる方にお伝えすることで、少しでもお役に立てればと思っています。それを考えると、 挫 けずに二人三脚でここまで歩いてきて本当によかったなという思いを強くします。
母・いつ子さんの子育て信條 1 2010.02.20
楽力を高め3ボレで生きよう 2008.06.17 コメント(2)
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