フリーページ
日本人が日本人であるために いま、何をなすべきか
日本人が日本人でなくなった、個を主張して公を大事にする心が失われた、といまを分析し、自分が誰かの役に立つことを実感することが蘇りになる、と説く櫻井よしこさん。
この明晰な諭客に、日本人を取り戻す道をうかがう。
ジャーナリスト櫻井よしこ
さくらい・よしこ - ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業後、「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局勤務。日本テレビニュースキャスター等を経て、現在はフリージャーナリストとして活躍。薬害エイズ、個人情報保護法、道路公団民営化、北朝鮮拉致問題に積極的に取り組み発言している。著書に『日本人の美徳 誇りある日本人になろう』(宝島杜)他多数。最新刊は『明治人の姿』(小学館)
日本人が日本人でなくなった
危機と好機は背中合わせです。物事が大きく動き出す時、それをどの方向に持っていくか、いい方向に持っていけるか否かは、その人、その社会、その国次第だと思います。
歴史の必然、あるいは運命の必然ということをいいます。人間は小さな存在ですから、どうしても避け得ない必然というのはあるのかもしれません。しかし、多くの人間が関わってつくり上げてきた歴史に学ぶと、動いていく現実を前に、何を考えるかどんな希望を持つか、いかなる勇気を奮うかで、実は、人間は必然とされてきたものを乗り越えていけるのだ、と信じることができます。
いま日本が抱える問題を、ひと言で言えば、日本人が日本人でなくなった、このことに尽きます。
日本列島に生まれ、育ち、暮らしている、それが日本人であるということに、一応はなるのでしょう。しかし、自分はなぜここに生まれ、ここにいるのか、そのことへの理解がなければ、本当の日本人とはいえないと思います。
自分がここにいることへの理解とは、家族、地域社会、国家の歴史を知り、その中での自分の位置を知ることに他なりません。自分をここに導いてくれた人々が大事にしてきた価値観を知って感謝し、それを受け継いでいく自分の位置を知った時、それは志を抱かせる源になります。
それが本来の日本人の姿です。これが崩れてしまいました。そうなった原因は、短期的に見れば日教組の教育ということになりますが、これは後述するとして、もう少し幅を広げれば、GHQの戦後政策ということになりましょう。
いまに至る日本の歴史は、明治維新で、それ以前を否定して西欧の価値観を採り入れ、敗戦でまたもやそれ以前を否定してアメリカの価値観を採り入れてきました。その時点ではよかれと思ってなされたことですが、いまになってみると、日本の歴史的価値観の否定が明らかに非建設的に作用してしまっています。
日本と日本人をどう立て直していくか。素晴らしい先生が一人いると、子供はたちまち変わるもの。 それと同じではないでしょうか。
日本人を育んできた文化、伝統、歴史、それらを実感できれば、瞬時に日本人の力は蘇る 。私はそう思っています。それをするのが、真の国民教育だと思います。
瞬時といいました。しかし、これは容易なことではありません。学びには時間がかかります。蓄積も必要です。しかし、日本の文化が、伝統が、歴史が実感できた時、 自 分は誰かの、何かの役に立つ存在であることが分かり、そういう存在である自分に恥ずかしくないようにやっていこう、という自覚が生まれるのです。それが日本人の力を取り戻すということです。
そう確信させるものを私は見ました。あれは水泳の日本選手権大会だったと思います。一人の選手が優勝しました。彼はゴールすると、派手にガッツポーズするでもなく、雄叫びを上げるでもなく、静かにプールを上がり、きちんとした姿勢で深く一礼し、黙々と去っていきました。その控えめな態度には清々しい美しさがありました。
後でコメントを聞いて、なるほど、そういうことかと思いました。彼はこのところ成績が振るわなかったそうです。どうしても勝てません。コーチが悪い、環境が悪いと原因を転嫁していました。そうなると、不満ばかりが募ります。
最近になって、武道に接する機会がありました。一心に打ち込んでみて一つのことに気づきました。 原因はすべて自分の中にあるということです。 それは彼が日本の伝統を実感した瞬間といえましょう。
水泳選手としての自分が省みられました。すべての原因が自分にあるととらえると、技術の問題が見えてきて、態度もおのずと謙虚になりました。そういう心の磨きが優勝となり、控えめで礼儀正しい態度になったのでした。
まさに日本を実感したことが、彼という人間をつくったのです。
真の勝利を握る者
しかし、と頭の隅で思うことがあります。謙虚であることが日本の文化であり、伝統であるとしても、たとえば国際社会の中ではどうなのか、ということです。
アメリカをはじめ諸国は国際政治の常道として力を外交の基盤とします。中国は嘘も含めて自国の利益のために巧妙に振る舞います。そのような外交の場では謙譲の美徳だけでは敗北します。
人間はそれほど器用にはできていません。人間の集合体である国家も同じです。国内では慎ましく、外に出ては図々しくなどと、機械のようにさっと切り替えることはできません。しかし、と私は思います。その民族のよさ、力は、それが必要な時に輝き出す、ということです。
いま世界でもっとも大きな政治、経済問題は、地球環境問題です。日本には世界最高といえる省エネ技術があり、日常の国民生活の場では地球環境を守るという価値観を実践しています。にもかかわらず、地球環境を題材に、これをマネーに結びつける国際競争では負けそうなのが現実です。地球環境問題をビジネスにするという点では、日本人の控えめな態度や宣伝下手の文化や伝統がマイナスに作用していることは否めません。
しかし、環境問題の解決、エネルギー消費の仕方は、その国の文化や伝統、社会の仕組み、生活習慣のあり方を基盤にしなければ、どんな技術も生かされることはありません。地球環境を守ることを是とする価値観を欠く社会にどんな技術を持ち込んでも、猿真似の域を出ず、最終的には矢敗するしかない。私はそう信じています。
現に、アジアの国々は日本を見、手本にしています。日本の技術を社会の仕組みや生活習慣の価値観とともに採り入れたいと、動き出そうとしています。私の予兆は現実になりつつあるといえます。
このことは教育を考えれば分かりやすいでしょう。
競争には勝ちなさい、そのためには他人を蹴落としなさい、という教育で育てられた人がいます。そういう価値観を身につけた人は、競争には強いでしょう。勝ち上がっていくに違いありません。しかし、最終的に勝ち上がれるでしょうか。現実を見ると、最終的に勝ち上がっているのは、自分は自分のためだげに働くのではないこと、公のために役立つことが大事であると知っていて、その上で、責任をもって自分の役割を果たす人、半歩下がる謙虚さを備えている人、急がば回れということを知っている人ではないでしょうか。
局面局面の勝ちが本当の勝ちではないのです。その人が生きている会社、社会、国家が基本として大事にしてきた価値観に立たなければ、本当の勝ちは握れないのです。
公を大事にする心
私は先に、日本人が日本人でなくなった、と述べました。今度の選挙で強く感じたのもそのことです。日本人の質が変わりつつある、と思わないわけにはいきません。では、どう変わったのでしょうか。
幕末の一八五八年、日英修好通商条約締結のために来日したイギリス使節団の一員に、オリファントという人物がいました。彼は日本での見聞をつぶさに書き記しています。
それによると、彼は日本を、封建制の下で人々は上から頭を押さえられ、共同体の犠牲になり、個人の自由はない国だと思っていました。確かにそういう側面は見受
けられましたが、考えていたこととまったく違うものがありました。それは日本人の姿です。共同体に縛られて個人の自由がないはずの日本人の誰もが、生き生きと伸びやかで、幸せに満ちた表情をしていたのです。なぜあんなに幸福で満足そうなのか、とオリファントは驚きをもって書いています。
それは公を大事にする心の表れだと思います。 文化、伝統、歴史の中で育まれる、自分は誰かのために、何かのために役に立つという実感。それは公の精神に他なり
ません。公を大事にする心が人々を伸びやかに充足させていたのです。
西欧の個人主義的感覚を身につけたオリファソトが、そうした日本人の一面を理解できなかったのも無理はありません。 かつての日本人の多くが持っていた公を大事にする心が失われている。日本人が日本人でなくなった、というのはそのことであり、それを強く感じさせたのが今回の選挙でした。
それは各党のマニフェストに如実に表れています。農家の所得を補償します、子ども手当をあげます、高速道路を無料にします、高校の授業料を無償にします ---差し上げますのオンパレードです。
日本人にとって公は、自分が何かをするものではなく、何かをしてもらうものになってしまっているのです。 自分がするのではたく、もっともっとと、してもらうことを求める姿勢には、不足感がつきまとい、不満は解消されません。不足を埋めてほしい、とさらに求めます。 そのことを競い合ったのが今回の選挙だった、と言っては言い過ぎでしょうか。
公はしてもらうものという姿勢は、他にも見られます。
新型インフルエンザが流行の兆しをみせていますが、ワクチンが足りません。ともかく生産と輸入によって一千八百万人のワクチンを秋には確保する見通しが立ちま
した。さて、これをどういう順序で配るか、です。決まった配布順序は、まず医療関係者です。治療に当たらなければならない人を第一に置くのは当然でしょう。次は子供、そして妊婦、さらに病人、という順序になっています。そこには、警察官、自衛官、消防隊員などはまったく出てきません。そして、このことに異議ありの声はどこからも聞こえません。
これは驚くべきことです。公のために働く人を放置して何の不思議も感じない、こんな国は他ではちょっと考えられないことです。
社会の秩序の枠組みを守るということに誰も注目しないとしたら、国家など成り立ちません。個人がバラバラに生きていくとしたら、その中でインフルエンザから身を守ることも容易ではないでしょう。公を大事にする心が失われていることは、こんなところでも顕著です。
人間の認識力は限りがある 2018.12.02
ゆするということより 2016.10.16
山口ザビエル記念聖堂 2013.05.17
PR
カテゴリ
New!
瑠璃月姫さん
New!
みお&ゆきさんコメント新着
カレンダー