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*本日2つ目のUpですので、連載4回目からお読みください。
炎の画家 ゴッホの終焉地
オヴェール シュル オワーズへの旅
le petit voyage de Auvers sur Oise

ガシェ医師の庭からみた町なみ(セザンヌが住んだ界隈が近い)
テオは彼の死から2か月後、兄の回顧展を開きます。しかし、10月。彼の心も張り裂けてしましました。ゴッホがテオのために死を選んだことに気づき、彼の優しい心が耐えられなかったからです。ゴッホの死の半年後の1891年1月25日。
テオは妻のヨハンナと子供を残し、天に召されました。
ガシェ医師の庭 ゴッホ(オルセー)
私は全くテオやフィンセントと一緒に生きている。ああ、あの間柄は際限もなく思いやりのある、優しい、美しいものだった。どんなに二人は互いを深く感じ合っていたことか、どんなに相手を理解し合っていたことか、また、ああ、ときにフィンセントの依存ぶりはどんなにいじらしかったことか、-テオは決してそれをフィンセントに感じさせなかった。
私のかわいい人、なつかしい、なつかしいテオ、一つ一つの言葉に、文章の一行一行に、私はあなたのことを思い出している。私たちが一緒に暮らした短いときの間に、あなたはどんなに深く私をあなた自身の一部にしてしまったことか。私はまだあなたと一緒に、あなたのそばで暮らしている。あなたの霊が私に霊感を与えつづけて下さいますように。そしてあなたの小さな子供が無事息災でやっていけますように。
1892年3月6日 テオの妻 ヨハンナの日記より

ドイツのボンから演奏旅行に来ていた若者たち。メゾンラフィットでこの夜公演予定の合間に訪れていた。
旅行記の最後に
ゴッホの部屋に入ったときから、熱いものがこみ上げてきて胸が苦しくなりました。部屋があまりにも小さかったこと、絵の具のあとが生々しく残っている戸棚を見て、まぎれもなくゴッホはここにいたんだと思うと、言葉にならない感情で心が震えました。
オヴェール・シュル・オワーズは印象派の聖地であり、ゴッホ以外にもたくさんの画家が集まった場所です。しかし、短い期間であっても何故人々がゴッホを訪ねてこの街にくるのかが、今回の小旅行でわかりました。
あの場所にはまだゴッホの魂が残っているからです。それも絵画にかける情熱ももちろんですが、絵を書くという気持ちはすべてテオにお金を残してやりたいという無償の愛が動機。
自分の生をかけて筆を進めたゴッホの気迫が、村のあちこちにまだ存在しているから私たちはこんなに惹きつけられてしまうのです。
カラスの描かれた麦畑は私が訪ねた時はきれいに刈り取られ、何もなく、ただ青空が一面に広がっていました。そこはとても静かで、風の音しか聞こえません。ゴッホがこの場所ですわって書いただろうと思うところに私も座り、死を選んだゴッホの気持ちと自分の気持ちを重ね合わせてみました。
あの絵は空は黒く渦巻き、カラスが群がり、道は途中で途切れているように見えました。しかしそれはゴッホが、弟への愛情と自分の生へのこだわりのはざまに、ほんの少しためらいを感じた自分を許せなかったのがあのように絵に噴出したのではないか・・・というのが私の感想です。死に行こうとしている自分に対し、まわりの自然はあまりにもまぶしく、生命の息吹が生き生きとあふれんばかりだったからです。
巨匠といわれる精神世界へ降りていって、追体験するのはこれが初めてで、しんどい作業でもありましたが、私の人生のこの時期にゴッホに出会えてよかったと思います。
無償の愛をかけてくれる母と、ひとりしかいない妹のことを自然に考えてしまいました。。。
F I N
駅と村役場の間にあるゴッホ公園(旧ドービニーの庭)のとちの実
オヴェール シュル オワーズへの旅 4 2008/10/07 コメント(4)
オヴェール シュル オワーズへの旅 3 2008/10/07 コメント(6)
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