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日本に本帰国したのが2009年の2月。それから4年がたってしまいました。あれから音楽を続けているかというと。。。ゼロ。耳の治療をして、就職して、妊娠して出産し、2011年の3月11日をきっかけに西日本へ移住し、その地で就職して。。。音楽をしなくちゃとあがいていたけど、仕事・生活の方が先行し、もう音を紡ぐことを半ばあきらめかけていたのが今の現状でした。しかし、ほんとうに偶然なことが起こり、私の歯車がコトリとまわったので、久しぶりブログを書く気になりました。2013年、4月、GW初日に京都にゴッホ展が来ているということで行ってきました!今思うと、ゴッホが私を呼んでいたのか!?オランダからパリへ出てきた空白の2年間を明らかにしたこの展覧会はすごく興味深いものでした。アルル、その後のパリとオ―ヴェル・スィル・オワーズのことを調べ、良く理解していたので、この展覧会の内容はすごくドキドキしたし、彼の思考錯誤の様子が手に取るようにわかるものだったので、私の心にガンガン響いた内容でした。彼が亡くなった時の年齢とパリにいた時の私はほど同年代だったのに、いつの間にか私のほうが年を重ね過ぎていて、音楽をする気持ちを無理やりねじ伏せてたこの何年間。死んだのも同然でした。ゴッホがスタイルや色などにこだわったように、私も音楽を追求していたら今の私ももっと違っていたでしょう。だけど。。。人生の歯車が音をたててまた回りました。また音楽を続けることになりそうです。手段は違うけど、またステージに立つ日まで。。。今度はあきらめないで頑張ろうと思いました!詳しくはまたお知らせします。
2013/04/29
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10月25日(日曜日) 普門館にて渡仏まで指導にあたっていた某大学付属の高等学校吹奏楽部が全国吹奏楽コンクールで見事 金賞に輝きました!!!!街で偶然一人のOGにあったのがきっかけで全国大会出場の知らせを知りました。ある生徒の一人に連絡してみると、「先生、いよいよ全国大会です。本当に信じられません先生に聴いていただきたいです」とメールで返事をもらいました1週間前だったのでチケットを手配しようと思うのが無謀なのですがYAHOOオークションでとことんねばり、幸運にもGETできたので応援に行ってきました!!今でこそ歌を歌っていますが、実は私も中学、高校は吹奏楽部で全国大会の会場である普門館は子供の頃からの憧れだったので、行けるとわかったときは本当に興奮しました! ここの吹奏楽部は「軍隊バンド」と名前をつけている人がいるくらい規律に厳しく、部活動も朝練習(早い生徒は朝の4時半に家を出ます。)から夜8時まで、春、夏の長い合宿はもちろんのこと、コンクール前も合宿があり、一年に何人もの生徒があまりの苦しさにリタイヤしてしまいます。部内でも係や役割分担がきちっと決まっていて、部内の運営のスムーズさは当初びっくりしてしまいました。(イスをすわろうとするとイスを出してくれ、教室を出ようとすると係の生徒がドアを開けてくれます。言葉使いも素晴らしいの一言です。。。)私は今年3年生が1年生の時に指導にかかわらせていただき、実際にBバンド(30人の小編成のバンド)では指揮をさせていただきましたので、その時多くのメンバーが今の3年生だったということから、今回の全国大会出場という知らせは格別な気持ちで聞きました。久しぶり見るステージの彼らの姿は見違えるように立派になっていました。全国大会の舞台を踏んだ生徒達はコンクールとは思えないくらい舞台上でうれしそうで、誇らしげに輝いて見えました。もちろん演奏も最高でしたが、何よりも他の学校と違う彼らのサウンドがしていたので聴いていた時から「金賞は間違いないな!」と確信していました。 そして・・・金賞は複数校にいただけるのですが、金賞に値する演奏をしたところではないといただけません。ドキドキして結果を待っていると「ゴールド、金賞!」と発表があり、2階席からは彼らの喜ぶ叫びがあがりました!!!演奏後生徒と久しぶり会った時は言葉を交わす前から泣いてしまいました。顧問の先生ともハグして健闘を称えあいました!!しかしもう指導にはかかわっていないので、会場から帰る時は、以前には当たり前のようにバスに乗って一緒に移動していたのに今回は見送る立場で一抹のさみしさを覚えました。しかし「一音一心」をスローガンに掲げる彼らの音楽にかける真っ直ぐな姿勢を久しぶり垣間見て、私は背筋が伸びる気持ちでした。こういう情熱こそ、いつまでも忘れてはいけないのだと強く思い、彼らからたくさんのことを学ばせてもらった一日でした。*********************明日からいよいよ女声ヴォーカルアンサンブルの立ち上げ第一回目練習、その帰り新幹線に乗り、関西進出のお仕事第一弾のミーティングのため京都へ向かいます。私の日本での音楽活動はまだまだ続きます・・・・。
2009/10/30
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コンクール本選出場しました第一部が学生部門で予選を通過したのは17人中7人。第二部は私が出場した大人部門で予選を通過したのは84人中8人でした けっこう狭き門だったみたいで、出場者はみんな実力揃い。今年4回という方もいらっしゃり、シャンソンや現代のフレンチポップスなどを上手に歌いあげられてました。 私は個性を出したいと思ってクラッシックをミュージカル風にアレンジして歌いましたしかしいつもマイクなしの地声で歌っているため、マイクの扱いに慣れずすごく緊張!人前で歌うのはコンセルヴァトワールの試験以来で10か月ぶりということもあり、本番は実力の50パーセントも出せませんでした。そして社会人になって練習のペースがつかめずに練習不足だったという反省も残りました。もし今後プロでやっていくなら、こんな練習の足りない歌はお客さんは聴きたくないだろうな・・・いかにうまく時間を作るかが今後の最大の課題です。 さて、結果のほうですが・・・・。順位は出ないのですが、2位に該当する賞をいただきましたこんなきっかけをくれた方々、応援してくれた皆様に感謝です。耳の病気であきらめかけた歌をやめなくて本当に良かったと思いました。賞をいただいたということは、またチャンスをいただいたことと思って今後もがんばっていこうと思います。近々のコンサートは11月頭に受賞記念コンサートを主催者さんが開いてくれるのでもう一度そちらで歌い(恵比寿)、12月に友人とフレンチバロックのライブ(赤坂と秋葉原)、2月に関西に初進出することが決まりました。(神戸)これが実質プロ初仕事になりそうです。3月には横浜でも、たちあげたばかりの女性ヴォーカルアンサンブルをちょっとしたコンサートでお披露目する予定でいます。こうやってすこしずつ音楽の道が開けていくので少しホッとしてますがコンクールの結果を戒めにして(本当に満足に歌えなかった)、今後も精進していこうと思います。明日は教え子が吹奏楽の甲子園と呼ばれる全国吹奏楽コンクール(普門館)に出場するので応援にいって、若いパワーをもらおうと思います。この様子はまたブログでUPしたいと思います!お楽しみに!
2009/10/24
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前回日記に書いたコンクールの結果がきました結果は・・・Felicitations! 見事最終審査に出演できることになりました。社会人部門には8名の人が残ったみたいです。赤坂にある大きなホールが会場みたいなので、がんばらなくちゃ!ある有名なフランス人のシャンソン歌手のお弟子さんが多いみたいですが、私は私らしく自分の歌を歌おうと思います!その歌手の方のブログによると、2年前のコンクールのことを ”je peux vous dire que "C'etait scandaleux!!" ”と書いていらっしゃったので、ちょっとドキドキ。不安だなあ。なぜならそのコンクールの内容はFreeで規約のないものらしく、2年前のResultatに問題があったみたい。。。まあ、私としてはどんなことになっても、どんなハプニングになっても、一前で歌を歌える日が来たことを喜びたいアマチュア最後の勝負になるよう、あと少しの日程を調整したいと思います(^^)
2009/10/01
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コガクな毎日、久しぶりのUpです今まで読んでくださった方はご存じと思いますが、耳の難病のために留学を途中で断念し、日本に帰ってきましたみなさまには多くの励ましの言葉をいただき、本当にありがとうございました!!日本に帰ってきて逆カルチャーショックというのでしょうか?日本の新たな環境になじめず、自分でも驚くくらいネガティブな毎日でした。耳の方は皆既日食の日あたりまで内耳の痛みが続き辛い日々を送っていました。2月18日に帰国したのでちょうど半年。最近聴覚のほうも安定し、気持も落ち着いてきました。そこでようやくですが、やっと音楽をしようという気分になってきましたここまでたどり着くのはとても大変だったです。大学の友人はバンバン演奏会をして活躍していて、CDを出す人も。。。私は生計をたてるために英会話スクールの事務に就職したのですが、OLをしている毎日に割りきれなくて落ち込んでいました。しかしやっとエンジンがかかってきました音楽のリハビリ第1弾に選んだのは「フランス語で歌うコンテスト」というコンクールです。今日は昔からの音楽仲間の友人宅で提出用のCDのレコーディングをさせてもらうことになりました。久しぶりに横浜のセンター南で降りましたが、すごく変わっていてびっくり!中西圭三さんの右腕と知られるK氏。もう10年くらいの友人です。今も音楽業界第一線で働いておられ、レコーディングや編曲を頼むと1曲40万円・・・というギャラなのですが私は特別!ということで破格な値段で引き受けてもらいました。ありがとうーーーー選んだ曲はHahnというクラッシックの作曲家の1曲。カラオケも二人で5時間かけてレコーディングし、やっと歌入れ♪ちょっとへとへとになりましたが、がんばりました!久しぶりの歌入れはやはり難しかったです。喉のコントロールがうまくいかず、イメージ通りにレコーディングができませんでした。でもPrix decouverte de la Franceという賞を取るとパリまでの往復航空券がもらえるので何としてもテープ審査を通らなければ!これからも少しづつリハビリして、自分の音楽の道を自分らしく切り開いていくぞ!
2009/08/28
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なかなか日記がUPできなくてすみません。余裕があまりありませんでした。その間にたくさんの方にご心配をおかけしました。先週の水曜日にとうとう大きな2回目の耳の発作を起こし、病院を変えて検査してもらったらメニエールに間違いないということでした。Avis d'arret traivaileという働いてはダメだという法的効力のある手紙をお医者さんが出してくれたので、ステイ先の掃除の仕事は1週間Stopさせてもらいました。その間にお手伝いでムッシューのお母さんが来てくれてたので仕事はしなくてすみました。が、私が貯めた何日間分の洗濯物を見て(私はこの家で家政婦のように働かされ、家族5人分プラス自分のものを毎日洗濯、パンツ以外にアイロンをかけなければいけない。)「Incoyable 信じられない」とか日本語に訳しにくいですが「C'est pas possible」とかさんざん嫌味を言われ、結局ストレスが増して体が休めなかったので土日はパリにホテルを予約して休みました。でもあと少しで帰国です。銀行口座を閉めるかどうかすごく迷っていて、まだ係の人とランデブーを取っていないので帰国日を決められずにいますが、順調に行って来週の火曜日には帰国の途につきたいです。空席がなかったら24日くらいのフライトになると思います。気持ちはいたって前向き、元気になったらどの曲から練習を始めようかなあ!と夢見る毎日ですが、内耳が痛いので手術も必要かと思うと内心不安もあります。先日やっとCarte sejourがとれて(滞在許可書)、もう必要ないけどあまりの嬉しさに少しはめをはずしました。自分のご褒美もかねてDebussyの生家兼、住居が役所から近かったので訪ねてみました。そこで彼の直筆譜やDeath Maskを見て、「人間みんないつか死ぬんだから、それまでの一生を私もけんめいに生きていこう!」と思いました。3月には新宿のオペラシティにあるホールで開催されるオランダで教鞭をとっていた先生の勉強会に参加する申込をすませました。(クロージングコンサートにも参加できるので、リハビリにはちょうど良いかな?)、6月の日仏のLa fete de la musiqueに参加するつもりでいるので早速プログラミングも始めました。何でもチャンスを生かして一生けんめいやろうと思います。この1週間に雪が2回もつもり、まだまだ寒さの抜けないフランスですが、それでも-10℃を下回ることもなくなり、日差しには春の気配を感じます。この間はスノードロップが咲いているのを発見し、嬉しかったです。明日はモロッコ人のグラフィックデザイナーのAlainがお別れにフランスのTraditional料理をごちそうしてくれるというので、Odeonまで出かけてきます。彼はソルボンヌで学んでいたので、サンジェルマン・デ・プレ界隈を中心にリブ・ゴーシュ(セーヌ河の南側)においしいお店をたくさん知っています。冷蔵庫整理のために残りの食材で適当に食事を済ませているので、明日は食べるぞ!(今日は友人にもらったカップスープの素にクラッカーを入れてふやかしたものが夕食。おなかいっぱいにはなるけど、栄養はなあ。泣)あと少しでフランスが終わりなのもなんだか信じられない。やっとフランスにもフランス人にもなれてきて、彼らの思考や生活の雰囲気がわかってきたところなのになあ。でもこのまま居続けたらきっと聴覚を失うだろうから、今は治療に専念したい。今年は少しまた走ることも始めようと思う。前は10キロくらいは走れていたのに、今は全然。パリマラソンなどの市民も走れる国際マラソンに出られることを目標に頑張ってみようかな。泳ぐのは三半器官の病気の人は止められているらしく、ちょっと残念。日仏の友人で自転車を始めた子がいるので、それもいいな。今日のMetroの新聞では今年の自転車ロードレースのヨーロッパの日程が発表になっていて、読むだけでわくわくしてしまった。悪いのは耳だけだから、留学を辞めてしまうエネルギーのぶつける対象を早くみつけたい。でも一生フランス語、フランス音楽からは逃れられないんだと思う。ずっと日記を書いていないうちにたくさんの出会いがあった。フレスコ画家の高橋久雄先生、指揮者の小澤征爾さんとは写真もとった!AutunのNicola夫妻、Dijonにホテルを始めたばかりの夫婦、帰るとわかってからフランスでの生活が充実した感じがする。良い曲との出会いもあった。画家のモーリス・ド二やギュスターブ・モロー、作家のアレクサンドル・デュマなども普段日本にいても何も思わなかった偉人もすごく好きになった。時代はずいぶん逆行するが、フランス王家に嫁いできたカトリーヌ・メディチの複雑な心境なども、実際に存在したところに立ってみたから伝わってくるものもあった。そう思えば途中棄権してしまうこの留学も意義があったし、今後学ばなければいけないところの焦点がはっきりしてきたので、とても収穫があったということだろう。このブログの継続は今後の体と相談しながらまた続けたい。
2009/02/10
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水曜日にアメリカン・ホスピタルで診察を受けてきました。メトロの3番線の終着駅からかなり歩いたけど、有名な病院らしく聞いたおじさんが丁寧に教えてくださったので予約時間15分前には着くことができました。病院の中では日本セクションと言って日本人の医師の詰め所があり、事前に予約していた松下先生(女性の先生)にカウンセリングや受付をしていただき、心強かったです。「あなた、まさか音楽家ではないでしょうね?」と聞かれた時には今まで我慢して一回も泣いてなかったのに涙が出てきてしまいました。 さて診療開始。私の担当医師はめまい専門のフランス人の女医さんでした。なぜか松下先生は姿を消してしまい、結局フランス語で先生とやりとりすることに。「金曜日の夜にめまいを感じ、嘔吐4回しました」などと細かいことを説明すると、先生は開口一番に「なんでもっと早くこなかったの!?」と、怒られました。実は耳の病気は皆さんご存じのとおり、発作がおこってすぐにいかなければダメみたいなんです。とくにめまいの発作はおこって5日以内にいかなければ眼球の揺れがおさまってしまうらしく、正しい判断がしにくいようでした。 診断結果どアドヴァイスは・メニエールの初期段階であると思う。(でも今の段階でメニエールだと断言するのは発作がおさまってしまっているので難しい。)・現在すべての音域の音は聞こえているので大丈夫。・次の発作が来たら、今度はすぐに来院すること。・1週間は絶対安静、運動とくにプールは控える、歯医者もだめ・今の環境を変えること・とにかく疲れをとること・・・ でした。母と一時間くらい今日は国際電話しました。そして、音楽よりも体のほうが大事だね・・・という結果に至りました。 航空券の期限、一年間のオープンジョーが切れる時を私の完全な帰国日に決定しました。 こんなことを予想しませんでした。今は昨日の人工的にめまいを起こす検査機械で疲れているのもあり、昏々と眠った日だったので、あと2か月しかいられないことを夢のようにしか受け止めていません。 でもせっかく受かったオペラのオーディション(予定では5月29日にフランスデビューだった)をキャンセルしたり、コンヴァトを退学願出したりするうちに実感として湧いてくるんだとおもいます。 とりあえず前期の試験は良い成績でパスしたいので今は気持ちを入れ替えて勉強するしかないです。 たくさんのお金を使わせておいて結果も出せずに帰国になってしまい本当に残念ですが、4月からどこかに就職するチャンスかもしれないのでこちらのほうも並行してやっていかなければいけません。 ちょっと自分を納得させるのに時間がかかりそうなのでしばらくはブログを休むかもしれません。でも最後の2か月、精一杯フランスのことを届けられるように早く復活したいです。 今後の予定16日 11区コンヴァト今年最後のレッスン 試験曲にフランス風ジェスチャーをつける指導がある20~22日 TOULOUSEにオルガンコンサートを聴くためにマリの家へ行く24~25日 サクレクールの中にあるベネディクト修道院にこもってクリスマス31日 日仏学院時代の友人N子さん来仏。一緒に年越し。
2008/12/12
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みなさん、前回はたくさんのコメントありがとうございました!めまいの発作があったのは金曜日の夜、現在は火曜日の夜です。この4日間本当にいろいろ悩んだり、誰かに相談したり、落ち込んだり、病院探したり大変でした。コメントのお返事が書けずにすみませんでした! 報告ですが、皆さんのアドヴァイス通りメニエールに近い症状が出ているので聴覚を失わない為にも病院に行くことに致しました。サルコジ大統領が住んでいる、ヌイイ市(パリ市のすぐお隣の高級住宅地)にある外国人が良く行っている私立病院の「アメリカンホスピタル」に日本人の通訳をしてくださると医師がいらっしゃるということで、そこを選びました。診てくださるのはフランス人の”めまい”を専門としているお医者様だそうです。 私立なので一回の診察料が150ユーロでべらぼうに高く迷ったのですが、『留学を続けるかどうか』をかけている診察なので、少しでも環境の良い病院と思いそこにしました。明日の午前中に予約が取れたので行ってきます。(私は日本の保険AIUに入っておらずフランスのACSを選んでしまったので、私費で診察を受けます。いくらか保険料は返ってくるかもしれませんが、あまり期待できず親には迷惑をかけます。ごめんね。) 今日のコンヴァトでは、一応リズムもずれることなく、伴奏の人とあわせて歌うことができたのでほっとしました。事情を知っている先生は「音程大丈夫だったわよ。イーぺル モティヴァスィオン Hyper Motivationを持ち続けてね」と励ましてくれました。先生ありがとう。今日は先生の誕生日。なんとか泣かずに歌えてよかった。 耳はあいかわらず、聞こえてくる音はすべて2重に聞こえている状態で、少しひずんでいる状態です。今日は内耳が痛むので、そちらのほうが気になってしまいました。 では明日の診察がすべての私の未来のカギを握ります。希望を失わず、診察を受けてこようと思います。*今日はいつも仲良くしてくれてるクラヴサン奏者のMちゃんもお誕生日。おめでとう!これからもずっと仲良ぉしてな!
2008/12/10
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今日はTOURSのコンヴァトの日だったのに、お休みしてしまいました。実は水曜日から耳がつまった感じになり(山を降りても気圧が中で変わらずこもってる感じ)、耳が聴こえにくくなってしまいました。携帯も左でなってるのに、右でなってるような感じがします。そして昨日はついに耳鳴り(耳の中で金属音と蝉がいつも鳴いている感じ)が始まり、夜にはめまい(ベッドに寝転んでも天井がまわる、寝がえりもぐるっと世界がまわるのでできない)、吐き気、嘔吐4回とちょっとただごとではない感じ・・・。朝おきて少しおさまっていましたが、旅先で具合がなるのは避けたいと思いTGVも予約し、ホテルもとっていたのに、今日はお家です。 耳の病気で詳しい方、何かアドヴァイスはありますか?情報いただけましたら幸いです。三半器官の病気かな?と思っているんですけど、どなたかわかる方いらっしゃいますか? 私はこれ以上滞在費を削るわけもいかず、なるべく病院には行きたいくありません。 最悪はもう何もかもやめて、帰国かなあ。。。。
2008/12/06
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フランスのクリスマスアドヴェント・カレンダーCalendrier de l'avant以前勤めていた学校がカトリック系の学校ということもあって毎年この時期はアドヴェントカレンダーを楽しみしています カレンダーには待降節(*前回の日記を参考にしてください)が始まる日曜日、もしくは翌日の月曜日からクリスマスの日(またはイヴの日)までの小窓があり、毎日指定された日の窓をひとつずつめくっていくものです。上記のように、フランスはとても充実していてスーパーで2ユーロ10くらいから買うことができます。なかにはちょっとしたおまけつきの豪華なものまであります自分用に1枚買ってきたのですがステイ先の子供が過剰反応し子供達用に3枚追加!このカレンダー(キャランドリエと発音する)には窓の中にチョコが入っているのでわらわら群がり、ほっとくと全部の窓を開けてチョコを食べそうだったので「今日の分だけだよ~」と言うと早速一つだけ開けて食べてました私がキャランドリエを買ってきたのが金曜日それからずっと子供たちはキャランドリエのチョコが食べたくてしかたがないのです。 さすが1個ずつちまちま食べるのが嫌だったのか、今日の夕方「ただいま~、見て~!」と差し出したものは、ママにおねだりして買ってもらった別のキャランドリエ!おい!君たち、3つで10€近くしたんだぞ!貧乏学生の10€は大金なんだぞ!それなら最初からママに買ってもらいなさい!(良かったねー、と必死にこらえましたが。ママは今までこういう機会を作ってなかったみたいで、本当に子供達ははしゃいでいた!きっと学校で教わって、それぞれの家庭でしてたから羨ましかったのかもね。きっかけを作ってあげたということでは良かったのかな。でも2枚はいらないな。)お金持ちのおぼっちゃんだからあまりお金の感覚がないのね。友達のお誕生日会には30ユーロのプレゼントを持っていくのが相場らしいから。。。 気分を変えて、今日の写真! 雨に濡れるPOISSY市役所前のメリーゴーランドです。雨に濡れてる石畳が光って、いつもより余計きれいでした!〈今日の出来事〉11h15から13h30 コンヴァトでレッスン。主にリュリの3重唱モテットをやる。当然ラテン語はフランス語読み。音とり完璧だが、他のフランス人、全然してきてない。はあ~。14h トゥールのコンヴァト仲間のアリスにベルニエの重唱課題のコピー渡す。通りの名前、Rue de RivoliをRue St-Hororeと間違えて伝え、アリス困る。あちゃー。15h~18h また11emeに引き返し、カンプラのアリオン、モンテクレールのバス歌手との二重唱の曲、パーセルの妖精の女王のソロの音とりをする。3時間久々にみっちり練習。この間から歌いすぎていて、声帯がひっついていない。今日のレッスンはル・カミュの小品を持っていったが、声帯の調子の悪さを腹筋がつかえてないと言われがっくりくる。低い音がとくにひっつかないから用心しなくては。 〈今日の勉強の収穫〉(バロック声楽を勉強されてる方は参考にされてください。)・ ル・カミュの時代のフランス語の発音はランベールの時代のものにあわせてよい。ただし装飾音符のトランブルマン・リエは、終止音の少し前でトリルの着地音を処理するので注意がいる。モンテクレールやラモーは終止音とOn the Beatでよい。・フランス語読みラテン語で今まで勘違いしている発音があった。TUUM はトゥーアmではなくトゥーオゥmというかんじ。深く処理する。今まで日本で勉強してきたものとほぼ変わらなかったので、ちょっと安心。mを表記上つけたが、唇をあわせてムというかんじにしない。つけるだけです。不完全二重母音のように、飲みこむように処理します。
2008/12/03
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待降節が始まりました 【全体図】拡大表示ラファエロ 大公の聖母 今日(30日 日曜日)からカトリック教会の暦では待降節(たいこうせつ)が始まりました。この日はNoelの4週間前の日曜日にあたり、教会暦では今日が新年にあたります【全体図】拡大表示 ラファエロ 王座の聖母子と、洗礼者ヨハネ、バーグの聖ニコラウスフランスでは「サンタさん」は「ペール・ノエル Pere Noel」と呼ばれており、そのモデルはサンタと同じ聖ニコラウスです。バーリの聖ニコラウスは、黄金を渡し身売りされそうだった貧しい貴族の娘を救う伝説のほか、食肉として切り刻まれようとした子供を救った伝説や、死後、嵐を沈め船乗りを救ったなどの伝説が残る聖ニコラウスは、小アジアのミュラで生を受けた司教で、サンタクロースの原型となった人物である。 【全体図】 ラファエロ ベルヴェデーレの聖母子拡大表示朝起きてみると、うっすらですが雪が積もっており新年にふさわしいすがすがしい朝でした。 【全体図】 ラファエロ 美しき女庭師(聖母子と聖ヨハネ)拡大表示 家にも朝から郵便のおじさんが雪の中2009年のカレンダーを売りにくるなどこの季節ながらの風景も見られました 【全体図】 ラファエロ カニジャーニの聖家族 聖母子、聖マリアの父母聖アンナと聖ヨアヒム 洗礼者ヨハネ 拡大表示待降節ではイエスの誕生を前にこの期間中、何かを我慢したり、節制したり、喜んでもらえることをしたり心がきれいになる行いをして、Noelを待ちます。 【全体図】 ラファエロ キリストの遺骸の運搬(ボルゲーゼの十字架降下)拡大表示 それなのに、私は妹へひどい言葉をメールで送ってしまいました。体調を心配するメールだったつもりだけど、きつかったみたいで。。。妹は母同様病気の身なので、普通の人と同じ感覚ではいけなかったのに。。自分を律するという難しさ後悔、罪悪感で新年を迎えてしまいました。ごめんね 【全体図】 ラファエロ 小椅子の聖母拡大表示 表示フランスに来てから日本のことも、自分のことも、家族のことも考えることが増えました。私の結論は、今研究している音楽を日本に広めるということも大事だけど「家族」が大事だということです。とくに私の家族は波乱ばかりで、各々個人主義で生きてきた感じがします。だけどお互いわかりあえたら・・・という気持ちを持っていると思います。私が中1の時過ごしたクリスマスが家族ですごした最後の時。いつかみんな元気で一緒に過ごせたらいいなと思います。 このクリスマスは心静かに家族の為に祈りたいと思います。 【全体図】 ラファエロ キリストの変容拡大表示
2008/12/01
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かあちゃん孝行 その7 -ランキング5位 その2- アルルのゴッホの足取りを訪ねて アルル一日目。少し小雨のぱらっとくる時もありましたが、観光には十分の空模様。跳ね橋を見て感激した私たちはアルルの中心街までタクシーでもどり、次に向かった先はOffice de Tourism(www.arlestourism.com)観光案内所。 ここに来たのは明日の観光予定をたてる為。アルルは近郊の観光地にバスで移動できる要所なのですがオフシーズンはバスの本数が減るために時間を確認しておかなければ大変だからです。 私の予定では午前中はゴッホが収容された精神病院のあるサン・レミ、午後は母の巡礼の希望地であったサン・ド・ラ・メールに行こうと思っていました。 しかし予想以上に本数がなく、案内所の人も2か所行くのは「不可能」と断言するくらい。 私はサン・レミに行きたいし、母は巡礼地に行く気になってるし・・・。もう泣く泣く母の方にあわせましたでもそこでの思い出はランキング1位に輝いたので結局は良かったのかな エスパス・ヴァン・ゴッホ ゴッホが入院していた病院を、彼のアルル移住100年を記念してカルチャースペースとしてオープンしたもの。当時の姿をそのまま残している。 次に私たちが向かったのは、観光案内所から歩いて10分くらいのエスパス・ヴァン・ゴッホ。ここに収容された時期が彼が死に向かう時期の転機になったと筆者は思っているので、どうしても見ておきたかったのです。ゴーギャンは1888年10月にゴッホのもとへ来た。しかし数週間滞在しただけだった。(ゴーギャンが画廊職につく弟テオとの人間関係を重視するためだったのかも?)アルル駅からも近いラマルティーヌ広場。ここに二人が共同生活をした黄色い家があった。 12月23日(弟テオにあてた手紙 第565信)ゴーギャンはこのアルルの町にも、われわれが仕事をしている黄色い家にも、ことにこの僕に、いくらか失望しているようだ。(略)だがこの困難は、外部というよりも寧ろわれわれの内部にあるのだ。結局は、ゴーギャンがきっぱりとここを去るか、それとも残るか、そのどちらかになるわけだ。(略)僕は彼が、完全に平静な気持ちで決心をつけるのを待っている。この手紙はクリスマス・イヴの前日に書かれたもの。おそらく周りのクリスマスモードとは裏腹に暗い気持ちで彼はクリスマスを過ごしたのであろう。クリスマスというもっとも孤独を感じてしまう時期に(フランスは家族で過ごす習慣があるため)、彼は次の事件を起こしたと筆者は推定する。ある夜ゴッホはゴーギャンめがけて、アブサン酒の杯を投げつける。翌日、ゴーギャンは去る決心をし、ラマルティーヌ広場を横切ろうとしたところ(上記写真の広場)、背後に人の気配を感じた。振り返ると、ゴッホが剃刀を手に、じっと睨みつけていた。気づいたゴーギャンは逃げた。正気を逸していたゴッホは自分の耳を切り落とし、ゴーギャンに贈ろうと駅まで追いかけるが間に合わず、馴染みの娼婦にプレゼントとして送りつける。これが有名な耳切り事件である。耳を切った直後に入ったのがこのアルルの「オテル・デュー」(施療院)でした。それは新しい年1889年が間もなくあけようとした頃でした。パリから弟がここに駆けつけます。年が明けた元旦1月1日には以下のような手紙を送っています。 1月1日(第566信 鉛筆書き)(略)君が(弟テオ)わざわざ出向いてくれたことは、とても残念だ。君には巻き添えを食わせたくなかったし、結局たいしたこともなく過ぎたし、何も君を煩わすほどのことはなかったのだ。君が心の平和を取り戻し、ボンゲル家の人たちと愉快にすごしたときいて、それがどれほど僕を喜ばせたか言葉ではいえないほどだ。(略)元気を出したまえ。手紙はラマルティーヌ広場2番地、直接僕宛にしてくれ。もしゴーギャンが望むなら家に残していった作品をすぐに発送してやる。彼が支払った家具の代金の借りがある。君に握手を送る。もう一度入院しなければならないが、近いうちに本当に退院できそうだ。彼がアルルに来た意味、ゴーギャンを誘った意味を考えると胸が痛くなる。・弟テオのやっかいにこれ以上ならないため、黄色い家で芸術家協会みたいなものを持ちたかったに違いない。そこが成功すれば弟から金銭的に独立できると考えらからだ。・ゴーギャンを迎えるにあたり、花嫁を待ちわびる花婿のように、弟テオから300フランの借金をして家財道具をとりそろえた。それが全部無駄になった瞬間だった。・ゴーギャンの部屋のために、ゴッホはまごころこめて「ひまわり」の大作を仕上げ壁を装飾していた。それも無駄になった。・残ったのは多額の借金と疲労感、絶望感だけであった。 母はエスパス・ヴァン・ゴッホのおみやげやで、いろいろ買いものをして楽しんでいたが、私はこれらのことを考えると結構思いつめてこの建物にたたずんでしまった。 翌日はミストラルが来るという。ゴッホのことが心の中で荒れ狂っている筆者にとっては最高の天気である!
2008/11/29
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かあちゃん孝行その6 ランキング5位 アルル時代のゴッホの足取りを求めて 南仏への旅をしたのが10月29日からなのでなんとちょうど1か月たってしまいました。月日がたつのは早いですね。パリでは最高気温6度の日が続き、すっかり冬になってしまいました さて母の希望もあって初めての親子旅行に行き先に選んだのは南仏。母のみたいところはたくさんあり、セザンヌの書いたサン・ヴィクトワール山、マティスの礼拝堂、マグダラのマリアがこもったといわれるエクサン・プロヴァンスに程近いサン・マキシマムの洞窟、マリア様の付き人のサラがたどり着いたといわれるサン・ド・ラ・メール、ピレネー地方になりますがルルド・・・。すごいマニアックなところのオンパレード実はアルルのリクエストはなかったんです 南仏でたくさん過ごせるかな?と思っていましたが、前後の私のスケジュールからすると3日がMAX。だから二人の要望の中間をとりアルルにしました。ここだと頑張ればアヴィニョン、エクサン・プロヴァンスにも行けると思って・・・!私がゴッホにはまってたというのもあるけどね 二人の旅はパリ・リヨン駅 Gare de Lyonから始まります。ここまで直通のメトロ1番線に乗らなければいけないのに間違え(7番線)、Chatletという大きな駅で乗り換えるという失態を早速してしまいました。母の重いスーツケースを上り下りのある階段でひきずって、ついた時はへとへとでした。すっかり不機嫌になってしまった私は(自分のせいだろ!)ちょっと母に悪態をついてしまったのでした。母ちゃんごめんよアルルについて嬉しそうな母 でも母は見るものすべてが新鮮なのであまり気にしてない様子。TGVも快適で、昼食に用意したバゲットのサンドイッチもぺろっと食べてくれました。アルルは曇り。風もあって結構寒かった今日のお宿は「地球の歩き方」にのってる、駅から結構近いホテル。インターネットから予約したので、かなりお得な価格でした。(2人で1泊50€)かわいいお部屋でしたが河に面してなかったので、無理を言って河側に変えてもらうことに。10€追加になりましたが、この母の笑顔を見たら本当に良かったと思いました。*ここのホテルのご主人さん、本当に良い人です。母の体調も気遣ってくれ、タクシーを手配してくださったり、ゴッホの足取りを紹介してくださったりしました。奥様は掃除好きで部屋は2つ☆と思えないくらいピカピカ!超お勧めなので紹介しておきます。Rgence(レジャンス)5,rue Marius Jouveau tel.04 90 96 39 85http://www.hotel-regence.com/朝食も本当においしかったです。安くて良いところを見つけました!今日は旅初日でアルルに着いたのも午後だったのであまり無理をしないことに。それで一番アクセスが悪くて、行くのが難しいと思われるゴッホの跳ね橋を見に行くことにしました。母の体調を考えてホテルからダイレクトにタクシーで行くことに。車に乗りながらアルルの位置関係、距離関係をつかむのも目的です。以前Auver-sur-Oiseに夫婦で来られていたドイツH堂にお勤めのO氏も(お元気ですか?)「ここは歩いていかない方がいい。街からちょっとあるし、何もないような、人もいないようなところを歩くので、女の子一人では危険だ。」とアドヴァイスを受けていたからです。でも車ではあっという間でした。道中タクシーの運転手さんとの会話もはずみ、南仏のなまりに出会って筆者もびっくり!ほとんどわかるのですが、ainなどのeにつくナザール(鼻にかけるアクセント)をこちらの人はやや広め明るめに発音するので、途中治されたりしました。パリの人はaやeにつくナザールを区別していないので、筆者はそちらにすっかり染まっていたようです。これも良い体験でした。そしてゴッホの跳ね橋に到着!ついた時は嬉しくて母と大喜び。少し涙がでました。場所は以前あったところから移築されていますが、ほぼこのあたりだったようでゴッホのアルルの黄色い家から歩いて2時間くらいあるこの距離を彼は思い画材を背負い、良い題材を求め歩いたかと思うとそれだけで胸がジーンとくるからです。 一口メモ: 絵のタイトル「ラングロワの橋」(1888年3月)この橋はゴッホを夢中にさせたようで、油絵2枚とデッサン数枚を描いている。現在復元された小さな跳ね橋は、アルルとポール・ド・ブークを結ぶ運河にかかっていたもので、当時の祖国オランダにあった跳ね橋を思い出していたのだろう。 時期からするとアルルに着いたばかりのころにあたります。太陽を求めて南仏に移った彼はこれからゴーギャンと一緒に新しい活動をしようと夢見ていた頃なので、希望に胸が膨らんでいたころだと思います。温かい色調、雲一つない空からは彼の期待がうかがえるようです。母はこうやって画家の絵の追体験をするのは初めてのようでゴッホにあまり興味がなかったようでしたがやはり画家としてのインスピレーションを触発されたようで喜んでくれてよかったです。 こうやって二人の珍道中は始まったのでした ランキング5位 その2へ続く
2008/11/29
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最近 コンセルヴァトワールのことが軌道に乗り始めとたんに忙しくなりました 一番気がかりだったのが2つのコンセルヴァトワールの授業料をまだ払ってなかったこと。TOURSのほうは封書で請求が来ていたので今日早速109ユーロをシェック(小切手)で郵送マミーの誕生日も近いのバースデーカードもあわせて送る。ホッ でもパリ11区のほうはウンともスンとも言ってこないので、今日は学校の事務所が開いている時間に行ってみました。 そうするとInscription(登録)ができてないと言われたなんだと~ さすがフランス。確かに書類をたくさん書いて登録したのに。おまけにTOURSのほうも登録できてないと通知がきていたな。もうフランスのいい加減さにはあきれることがある。こういう時日本はすごく良い国だな、、と思う。 でも11区も164ユーロシェックで払って無事に終了。実はそれぞれの市内に住んでいればその半額で年間授業料がすみました。ちなみに市内だと137ユーロ(16,851円)くらい。私が払った総額は273ユーロ(33,579円)。(今日のレート:1ユーロ123円の計算) この授業料の安さは何・・・!ちなみに個人レッスンはやっぱり高くて芸大クラスの歌の先生だと最低でも75ユーロします。(60にしてくれた方もいたけど)だからみんな個人レッスンやめて学校に入ろうとするのね*私立エコール・ノルマルの授業料は年間2900ユーロくらいするので注意 パリも物価が高いので生活費は東京で一人暮らしするくらいお金がかかりますが学校の面からみると全然違う。。。お得です!話は変わり、昨日トゥールーズにいるマリからメールがたくさん来ました彼女のお父さん(世界的有名なオルガニスト)がトゥールーズでクリスマスの演奏会するから来ない?と誘ってくれてるの。うれしいなあ行けるといいな。ちなみ彼女のおじいちゃんは映画「アメリ」の音楽を作曲した人で一族で音楽家なのでした。でもマリはとっても素朴ないい子です。 明日はコンヴァト仲間のアリスに楽譜をコピーして渡してあげないといけない。留守電が携帯に入ってて、返事のメールを出したけどうまく会えるかな。今日は先生(ノエミ・リム)からもメールがきていて次のアンサンブルの組あわせが発表されたもんだから私同様、みんな慌てている様子。頑張らなくちゃ! そうそう、11区の学校の前で先生(ジュリー・アスレー)に偶然に会い、「ソフィ、最近ちゃんとヴォーカルテクニックの練習してる?やらなくちゃね。古楽ばかり歌っていると、スケールが小さくなるから気をつけなさい。」と言われた。 本当にジュリーは良い先生だ。良い師匠に恵まれて幸せ。火曜日にCRR de PARISのハワード・クロック先生に楽譜を返しに行ったらもう自分と関係ない生徒になったせいか対応が冷たかったのでこんなもんか・・・と思った!30分ほどドアの前で待ってたからちょっと腹がたった。 今の私には先生の知名度よりも(ジュリ―もノエミも有名な人だけど)私を大切と思ってくれていて一緒に音楽を楽しもうとしてくれる師匠が一番必要だ。 そんな心のある師匠に出会えてラッキーなんだから今はちょっとしんどくてもがんばり時だと思う明日もがんばろう! 今日の反省 ・本 livreが男性名詞というのをころっと忘れ、会話中活用を間違えた。最近冠詞の間違いが多すぎる。基礎からやりなおし。文を長い文章で言えず、先生に怒られる。 今日の良かったこと ・今日は様々な事務的雑務をてきぱきこなせた。ほとんどフランス語のメールだったが、かける時間も少なくなってきて進歩。 今日の写真凱旋門側から見たシャンゼリゼ大通りのイルミネーションです!奥の丸いのはコンコルド広場の観覧車。今はフードがついてるから寒くないよ! 予告:かあちゃん孝行 その6 ランキング5位「アルル時代のゴッホの足取りをたどって」お楽しみに!
2008/11/28
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ブログをはじめてちょうど2か月目たくさんの方に訪問いただきありがとうございました! 勉強とブログの釣り合いが難しくなっている今日この頃ですが読んでくださる皆さんの為にもこれからもがんばって続けたいです さて4444番のキリ番を踏んでくださった方は44452008-11-26 01:46:59*.t-com.ne.jp 44442008-11-26 01:02:48レイ4759さん 44432008-11-26 00:41:00*.dion.ne.jp 44422008-11-26 00:03:35***.t-ipconnect.de 44412008-11-25 23:05:57さくらりぼんさん 44402008-11-25 22:59:12にこにこ笑人さん レイ4759さんでした!ありがとうございます それでは今後もよろしくお願いします(^^)マリ・ソフィ
2008/11/25
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かあちゃん孝行 その5 ランキング6位 芸術の都パリ ~エコール・ド・パリに憧れて~モンパルナスとモンマルトル(シャンソニエ オ・ラパン・アジルを訪ねて)Montparnasse et Monmartre Au lapin Agile http://www.au-lapin-agile.com/ モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット Moulin de la Galette の風車の前で。旅も中盤にさしかかり、疲れが出始めた母。 かあちゃん孝行 旅行紀も第5回目。今日は母のお気に入りランキング6位に入ったエコール・ド・パリという19世紀後半から20世紀初頭にかけてパリで活躍した外国人画家たちの足取りを追ったのものをUPします! 巡礼の旅を終え、ピレネーからTGVで6時間かけパリに戻ってきました。旅も中盤にさしかかったため、この日は母の体調を鑑みて移動だけの日というふうにスケジュールを組んでいました。 しかし・・・母「せっかく花の都パリに来たんだから、シャンソンを聴きたいわ」絶対疲れるからやめたほうがいいよ!という私のアドヴァイスは耳に入らない様子。しかたなく有名なシャンソニエ、オ・ラパン・アジルを21時に予約しました。(お店は21時から。) 母 ランキング6位:モンパルナス界隈に、かつてモディリアニが、ユトリロが、シャガールが、そして日本のフジタが安宿を求めて集い、美学を語りあい、芸術論を闘わせたのを、私たちも安宿に滞在し同じ境遇を偲ぶことができ良かった。 モンパルナスに着いた母は、エコール・ド・パリの画家達がこの界隈に住んでたことに感激し落ち着きません。安宿(こぎれいなホテルを取ったつもりなんだけど・・・)に着くと、準備していた本を私に朗読して聞かせ、エコール・ド・パリの画家達の講義を始めました。「わかった、わかった」と、母をつれて街にでると、エドガー・キネのメトロの前はいつも食べ物のマルシェが出ているのに、今日はなんと画廊の画家さんがテントを張ってマルシェを開催しているのに出くわしました針金だけでできたオブジェ。その存在感にはびっくり!他にも絵画や彫金などたくさんのアーティストがいました。この催しものは毎月第1,3日曜日にMarche de la Creationとしてやっています。ピレネーは土砂降りだったのに、パリは晴れていて、こんなマルシェにも出会い母は本当にラッキー!「これこれー!お母さん、こういうの見たかったの。元気がでるのよ!」母のコメント:テント画廊で地元の現在の画家たちの制作の情熱に触れられ良かった。疲れが出るのでは・・・シャンソンまで体力持つかな?と心配していると、案の定。出かけるまでに時間があったのでホテルに戻るとそのまま高鼾で母は寝てしまいました。20時になって声をかけると本当につらそう。その30分後に起こすと「もう行きたくない。疲れた。このまま寝たい・・・。」 あんだけ言ってたシャンソンはいいの!?私の怒りは爆発です。 ここまで私は母が2度も手袋を無くしたのを取りに行ったり(最後は捨てられていた)、母の安いスーツケースで車輪があんまり動かないのに(最後は壊れた)25キロほどの荷物をつめたものを石畳で大変なのに私が持ち、TGVの確認や、もろもろの通訳、レストランの予約・・いいかげんにして! 母に喧々囂々と怒りの言葉を投げつけるとさすがに悪いと思ったのか起きてきました。 この旅で得た教訓は今までの母と同じような感覚で接してはダメだということ。みかけが変わらないので、こちらもついペースを上げがちなのですが母は紛れもなく、癌の手術を5か月前にしたばかりの人なのでした。 この後は母も私も、務めて明るく元気を振り絞ってモンマルトルの丘の夜を満喫しました。でも、まともな写真が一枚もないのは、私も母もへとへとだったということ。シャンソニエはとても素晴らしくて(ロートレックの原画があった。絵そのものの雰囲気で歌もとても良かった!チェリー酒おいしかった!)、モンマルトルの丘もすごくいい雰囲気だったんだけど、残念ながら私の気力がなかったのか写真がないのです。 そこで母のために先週の日曜日にモンマルトル リベンジしてきたよー!しかも11月には珍しく快晴皆様もお口直しにどうぞ楽しんでください。オ・ラパン・アジルの前に広がるぶどう畑。ここのぶどうでワインが作られています。(ガメイ種とピノ・ノワール種)生産量が少ないので「幻のワイン」と呼ばれています 画家達が現在も集うテルトル広場。ユトリロの絵そのままの風景が現存する地域です。似顔絵かきの人も多かったけど22日は小さい絵を売ってる人でひしめきあってました。モンマルトルは坂が多いので、このプチトランが大きな味方。すごくかわいい サクレ・クール聖堂の横の壁では大道芸の人たちが。白いおじさんは、私が真剣に見てたのでこっそりウィンクしてくれたよ そして丘にそびえたつのはサクレ・クール寺院。ここで私はこの度不思議な体験をしました。クリスマスのミサの時間を訪ねようと教会内にある受付のシスターにたずねたところ、「お座りなさい。」と目の前のイスをすすめられました。M.S「クリスマスのミサは何時ですか?その時間帯に交通手段はあるのですか?」シスター(以降S)「ミサは真夜中に行われます。なので交通手段は終わってしまっているの。あなたどこに住んでらっしゃるの?」M.S「パリ近郊です。私の住んでいるところは教会がないんです。」S「あら、それではミサに行けないわね。あなたここでミサにあずかりたかったのかしら?ちょっとお待ちなさいね。(どこかに電話をかけてくれる)もしよろしかったらこの教会に隣接している私たちの修道院の泊まりませんか?幸いベッドが空いているようですよ。1泊そしてクリスマスの24と25日のお食事つけて33ユーロ。どうかしら?」M.S「本当ですか?夢みたいです!?是非お願いしたいです。」S「それじゃあ、これから私たちの修道院へご案内しましょう。」そしてシスターに導かれるままベネディクト修道院(一般立入禁止)へサクレ・クールの横扉からダイレクトに案内してもらいました。この修道院は私が通った大学の母体、イエズス会修道会の創始者、イグナチオ・ロヨラが終身誓願を建てた修道院です。なので大学ではイエスのみ心(サクレ・クール)の祝日を大事にしてきました。 なんだか神様の不思議な力がここでも働いたのかな。。。そんな気がしてならないのでした。クリスマスはサクレ・クール寺院で母や妹、みんなの幸せのためにお祈りします教会を後にし、穏やかになった私の目の前にはパリの町並みが美しく広がっていました
2008/11/25
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母ちゃん孝行 その4 ランキング7位母ちゃん ダ・ヴィンチ先生に会う*ダ・ヴィンチに先生をつけたのは母の要望によるものですル・クロ・リュセ城とアンボワーズ城(ロアール地方 トゥール近郊)Le Clos Luce et Chateau d'Amboise 晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチが住んだル・クロ・リュセ 母ちゃん孝行の旅の後半、二人で現地のツアーに運良く参加でき、ダ・ヴィンチの足取りをたどることができました実は、母に古城めぐりのツアーをプレゼントするまでダ・ヴィンチがフランスに住んでいたこと、彼がトゥール近郊で亡くなっていたことを筆者はまったく知りませんでした ダ・ヴィンチコードは出版直後早速読んだし、関連書物やTVの特番まで見ていたのですが、すっかりこの部分は抜けてました。(記憶の片隅に彼の館がテーマ・パークになったのはあるのですが)母ちゃんのおかげで、素敵なところを見学することができました!母ちゃん、ありがとう(親孝行、してみるもんだね!) ダ・ヴィンチが実際寝たベッド!母 ランキング7位 : ダ・ヴィンチ先生の晩年の様子に触れることができ、またアンボワーズ城では彼のお墓参りができたことが良かった。ダ・ヴィンチ先生に深い鎮魂の祈りを捧げることができた。ダ・ヴィンチが過ごした居間 母は画家なので、ダ・ヴィンチのことを師匠のように感じているらしく、必ず「先生」をつけて呼んでいました母ちゃん、ちょっとそれはいくらなんでも・・・ル・クロ・リュセはご存じの方も少ないと思うので少し説明すると・・・(博物館パンフレットより)ダ・ヴィンチの使用した薬戸棚。もちろん毒薬なども含まれていたと思われる。レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の館、クロ・リュセ城とそのパークは、トスカーナ出身の発明家のアートと多彩なビジョンが融合した初の場所です。この知識のパークで、ダ・ヴィンチの世界を自由に散策できます。民事・軍事技術者であり植物学者、天才的建築家でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチの直観の全容が、訪れる人々の視線を通してよみがえります。フランソワ1世に招かれて、レオナルド・ダ・ヴィンチが生涯最後の3年間を過ごし、1519年5月2日に亡くなるまで、その発明の完成に没頭した場所はクロ・リュセ城でした。それは1471年に建設されたれんがと石灰華の石でできた館。内部には寝室、台所、仕事部屋、ルネッサンス調の部屋、弟子作のフレスコ画のあるチャペルがあります。レオナルド・ダ・ヴィンチが考案し、IBMが当時の資材を用いて製作した40の機械が、工兵技術、都市計画、機械装置、飛行装置、水力学といった、この巨匠が取り扱った5つのテーマに沿って展示されています。詳細なプレスブックをご希望の方は、下記連絡先へご連絡ください。(英語・フランス語で) Catherine Simon Marion宣伝広報代表Tél. 06 60 65 15 31c.simonmarion@wanadoo.fr www.vinci-closluce.comGaël Ibramsah商品化担当Tel : 06 18 02 47 37g.ibramsah@vinci-closluce.com ダ・ヴィンチの本物の鉛筆画。彼の寝室から見えるアンボワーズ城。同じアングルに立った時は鳥肌が立ちました。この館から北西500Mのところにその城はあります。イタリアに魅せられたシャルル8世が古代からあった要塞をリフォームしたアンボワーズ城。現存するのは当時の一部のみ。ダ・ヴィンチは生前から、城内の礼拝堂に埋葬されることを遺言としていました。 城内、聖ユベール礼拝堂。シャルル8世がイタリアに心酔する以前にフランドルから呼び寄せた彫刻家たちの素晴らしい内装が残っている。ゴシック・フランボワイヤンの傑作 ダ・ヴィンチの墓。ここに彼の墓があることを知らないで来たので、見つけた時は鳥肌がたった 城の影から、礼拝堂を見た夕暮れのシーン 個人的にショックを受けたのはこのアンボワーズ城が新教徒の大虐殺の舞台になったことだ。このことはまたどこかで触れられたらいいと思う。 この旅行をしたのは秋まっさかりでしたが、今日はなんと初雪が降りましたクリスマスももうすぐ!フランスは冬に突入です!ではみなさま今週も元気にお過ごしください(^^)
2008/11/24
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母ちゃん孝行 その3 ランキング8・9位トゥール古城めぐり 先日の元気のないブログ内容で母をはじめ多数の人を心配させてしまったようですので本日は気分転換のためにも、たまっていた母との旅行記の続きを書こうと思います問題解決したわけではないですが、すっかりポジティヴになってますので大丈夫TGVの1等車に乗り、ご満悦の母 旅行も終盤にさしかかり、コンセルヴァトワール・トゥール校の授業にあわせて11/7~9、私達はトゥールで過ごしました。モンパルナスからTGVに乗ったのですが、母が駅のトイレの帰りに迷子になり私が駅のアナウンスで呼び出されるというハプニングが母は日本語と得意の絵で受け付けの人に説明したのですが待ち合わせした場所にあるモザイクの壁画を書いてもフランス人には伝わらず(芸術的すぎたのか・・・)半泣きで私を待っていました。迷子じゃなくて迷母でしたが、私の顔を見たとたん顔がくしゅくしゅなった母は小さい子と一緒でした旅の一番の笑い話です秋も深まったトゥールに着き、駅のエクスカーションツアーに運よく申し込めいそいそ向かった先は数々のロアールの古城!これはカトリーヌ・ド・メディチが実際寝ていたベッド(シュノンソー城)母 8位:古城のかつての栄華を極めた王や華族・貴族の城の室内に掲げられたタペストリーの絵柄からは、かつての庶民の生活やフランスの歴史の一端が偲ばれた。ディアーヌ・ド・ポワティエの肖像画 彼女はアンリ2世の妾。20歳も年が離れていたんだそうです。(出会ったのは王が15歳、彼女が35歳の時。)この絵は彼女が50歳の時のもの。美しすぎてひょえーーーシュノンソー城はもともとアンリ2世が彼女のために贈った城なのでした(1547年)。私も美貌を保ち続けるといいことがあるのかなー王は一生彼女を愛し続けたそうです。ちょっと良い話で胸がじーんとしました。*MYバスツアーの人と偶然遭遇し、一緒にガイドが聞けました(こっそりと)。なんとそのガイドさん、去年私がヴェルサイユに行った時のガイドさんと同じ人で、思わず話かけてしまいました!こんなこともあるんだなーーーとびっくり! ルイーズ・ド・ロレーヌの部屋(アンリ3世の妻、シュノンソー城)母 9位:特にシュノンソーではポワティエらが暮らした部屋が見られ、その華やかさと優雅さを再びトゥール美術館でその時代の絵画展と関連づけてみることができ、濃い時間を過ごすことができた。 上の写真の部屋はとくに私たちが度肝を抜かれた部屋で夫アンリ3世が暗殺された後、ルイーズ・ド・ロレーヌが祈りを捧げ過ごした部屋です。部屋には死の悲しみを象徴する銀の涙の図柄、未亡人の象徴である編みひも、茨の冠(キリストの受難の象徴)などが壁一面に描かれ、異様な雰囲気でした。婦人はここで修道女とともに王室の喪中の作法に従い白い服で一生を過ごしました。 16世紀にシュノンソーが建てられる前はマルク家の城がありました。その家の紋章、キマイラと鷲の紋章が見られる井戸の前でポーズをとる母。 この次の日も実は古城めぐりツアーを母のために用意していて果敢にも英語、フランス語の解説しかないツアーに頑張って行ってくれました。日本人一人で本当に心配しましたが、元気にニコニコで帰ってきてくれてさすが母ちゃん彼女のタフさを子どもの私たちは見習わなくてはいけないかもね。 旅の終わりはアンボワーズ城のワインカーブでロアール地方のおいしいワインを試飲。すっきり飲める味わい深いワインでした そうそう、今日はボジョレーヌーヴォーの解禁日でしたね。フランスのラジオでも朝から伝えていました。私はスーパーで2.40ユーロくらいのワインを買いましたが周りにはそんなの見向きもしない人がほとんど。こんなに騒いでいるのは日本だけかもね。。。みなさんはおいしいワイン飲まれましたか?私の買ったものはまあまあでした 次回予告:母ちゃん孝行 その4「母ちゃん、ダヴィンチと出会う!ダヴィンチの眠る城 アンボワーズ」お楽しみに
2008/11/21
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ブログを始めて訪問者が4000人を超えました 家族へ向けて、留学の現状報告をするのが目的のブログですがいつも訪問してくださる皆さんの励ましもあって毎日ではないですが続けてこられました。ありがとうございます 4000番の切り番の方は・・・40022008-11-20 10:06:40なみ45りんさん 40012008-11-20 10:05:47ぷろとたいぷさん 40002008-11-20 10:05:25任天童さん 39992008-11-20 10:05:22元気10000倍さん 39982008-11-20 08:52:30mogurax000さん 39972008-11-20 08:17:40***.2iij.net 39962008-11-20 07:03:24junk artさん 任天童さん でした!いつも来てくださってありがとうございます! それでは皆様今後もよろしくお願いいたします
2008/11/20
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今日はシンプルにまとめてみます主に現状報告 母が帰国して秋休みも終わり、日仏時代の友人Yさんもニースへ行ってしまって昨日から通常の毎日がもどってきています。 あれだけ大掃除してお仕事にも支障がないようにしてるんだけど最近マダムが私の仕事ぶりが気に入らないのか?私をコントロール下におさめたいのか?仕事ぶりを信頼してくれてないのを感じる。 たとえばトイレの洗剤を「指定したのを使ってない」とか(古いのから使用してるのに)。あとは、掃除しながら子供の面倒を見るのは無理だし、今日は玄関のインターホンがおかしかったのに、来客に気付かなかったのを私のせいにして、私の水曜日の行動表を作ると言われたり・・・。 今日は思わず、初めてだけど口ごたえしました。12,1月はコンヴァトのスケジュールがびっしりとなってくるので、仕事と勉強とコンヴァトへ通うことの両立が大事になってくると思う。そのためにもキチンとやってることはアピールすべきだし、ダメなところは認めるのも必要だと思っている。口ごたえしたことでまた信頼関係が無くなってしまったけど、私の頑張りぶりで信頼を取り戻さないといけないと思っている。当分ストイックにならないと勉強にも支障がでるので、母の旅行記をまとめるのは精神的余裕があるときにしたいと思う。 今日の反省点・語学学校の今のクラスはアメリカ人2、オーストラリア人2。あまりの彼らの自己主張の強さに1時間半のクラスでもクタクタになる。ここで負けていると今日も授業で5回しか発言ができなかった。ストレスがたまる。そうするとヒヤリング能力がぐっと落ちるので、今日は大事な言葉を聴きとれず授業後半にそれを質問して「今まで何を聞いてたの?」と先生からも注意されてあきれかえられた。(でも今のクラスは本当にストレス。)悔しくて、メトロの駅で泣いてしまった。・今日は一日笑顔になれなかった。ネガティブ思考は良くない。 今日の良かったこと・POISSYの図書館で児童書を借りて読んでみた。多少見慣れない単語でとまどうが、もっと活字にあたる量を増やさないといけないと思っていたので(メールやプリント、新聞を読むだけではかたよる)、小学1,2年生くらいのレベルの児童書を多読してみることは自分にプラスになると思う。・仏検2級の自己採点は55点で合格ラインの60点に達しなかった。(準2級を飛ばして2級を受けたこと自体が無謀だったか?)今の勉強の仕方が間違っていることが再確認できて良かった。勉強の方向を動詞の語彙を増やしていくことに切り替えたので、さっそく単語帳を作り始めた。
2008/11/20
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☆祝☆バッハ・コレギウム・ジャパン初 パリ公演 大成功 Masaaki Suzuki, direction Hana Blazikova, SopranoRobin Blaze, AltoJan Kobow, TenorPeter Kooij, BasseBach Collegium JapanProduction : Thatre des Champs-ElyseesCantate BWV102,140 Messe breve en sol mineur BWV235jeudi 13 novembre 2008 20h ブログをお休みして試験勉強に打ち込むはずでしたがこれを報告しなければ落ち着かなかったのでUPすることにしました G大の恩師の鈴木雅明先生がBCJをひきつれ、初のパリ公演を行ったのです先生はバッハ研究のスペシャリストとして世界でも名高い方ですがフランスという土地柄のせいか、今まで一度も公演したことがなかったんだそうです。 フランス人の先生・友人の間でも鈴木先生を知っておられる方は多くFNACや図書館にも先生のCDがたくさんあるのでパリでも人気が高いことは知っていました。ですが、由緒あるシャンゼリゼ劇場がほぼ満員で、拍手の大きさなどから先生の素晴らしさを改めて実感しました知った顔がずらっとシャンゼリゼのステージに並んでいて、すごく誇らしかったです! そして嬉しかったのはヨーロッパに現在散らばって留学している級友にたくさん会えたこと将来日本をしょってたつ夢の鍵盤奏者の集合写真☆左からAちゃん(現在ミュンヘン)、Kちゃん(ケルン)、A君(パリ SNCM)、Gちゃん(リヨン SNCM)みんな元気そうだったよーーーー! 終演後のT君。なんとシャンゼリゼの大舞台をH美先生抜きで一人で弾ききった!お母さん亡くなったあとで大変なはずなのに、演奏は本当に素晴らしくて、半年前に一緒に卒業した仲間で彼みたいな人がいると思うと、私もがんばらなくちゃと思うのでした。お疲れ! いつも調弦がずれてたり、たての線があってないフランスでの音楽になれるとここまで緻密に作られた音楽は天国の調べに聞こえましたそれもそのはず、合唱人、オケもただものではないお方が勢ぞろいですから。。。左上:門下の先輩でバーゼルでの留学を終え博士にもどってこられたU先輩。先輩の声、良く聞こえてましたよー!右上:博士の途中で学校をやめ、留学先のハーグにそのままいついちゃってる門下の先輩のMさん。さらさらヘアーは健在!下:左はカン(フランス・ノルマンディー地方)にいるSちゃん。この日のために駆けつけた一人。Sちゃんはこの間シャルトルのオルガンコンクールで1位になりました!おめでとう!!お隣は雅明先生の息子のM君。ますますご活躍で、将来は先生のあとをつぐんだろうなあ。お二人ともすごいです。他にはバロックオーボエの師匠である、3ちゃん先生にも会うことができ本当にここはパリなのを忘れそうでした。今回一番会えてうれしかったのは、やっぱり先生!先生おめでとう!本当に素敵でしたおみやげにシャンゼリゼで買ったラデュレのマカロンを持って行ったら雅明先生「あ、東京にラデュレが進出したでしょ。そのお店、僕のいとこがまかされてやってるんだよね」恐るべし鈴木家!本当にあの一族はただものではないということが判明!でも甘ーいものが大好きな先生はとても喜んで受け取ってくださり嬉しかったな公演後の興奮も冷めきれず、時間が許す限りみんなと劇場の前で喜びあいました!今度いつ会えるかわかんないもんねー。。。 シャンゼリゼ劇場を出て、アルマ橋の奥に見えるエッフェル塔はBCJの成功を祝うかのようにいつもより輝いていました(この青いエッフェル塔もフランスがEUの議長国を務めている時だけ。11月末には普段の白色にもどります。) 先生 本当におめでとうございます!これからも体に気をつけて活躍してくださいねー
2008/11/15
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大変だ!母が来ていたので、すっかり旅モードになっていましたが明日よりイベント、試験が続くのでブログをお休みにして、日々の生活を大切にします。母は重いデカラジョレ(時差ボケ~)みたいで返信が一つもありませんが。。ねえ、ちょっと、生きてる? 一応私の今後の予定を知らせておきますブログは火曜日にUPできたらいいな(日本の水曜日未明) 13日 G大教授のM.S先生がパリで公演!応援に行きます。Thatre des Champs-Elysees "Messe en sol minuer"J.S.BACH 20h0014日 午前:語学学校 午後:仕事 夜:ベビーシッター 試験勉強15日 午前:仕事 午後:試験勉強 夜:日仏学院時代の友人Yさん お迎えにCDGへ 16日 文部科学省後援 実用フランス語技能検定試験2級 8:30-10:55Diplome d'aptitude Pratique au FrancaisLycee victor-Duruy 33BD. Des INVALID17日 オペラ座(バスティーユ)で魔笛のパリ初日公演を観劇Opera Bastille "La Flute enchantee" Mozart夜:日仏学院 デザミ・パリ支部 初例会 19h サンジェルマン・デプレ界隈で18日 ヴェルサイユの県庁で滞在許可書の申請のランデヴー10hその後コンセルヴァトワールで15hからレッスン、授業Conservatoire 11eme Lecon individuel 15hその後 急いで帰って仕事 当面こういったスケジュールです。連絡なくても心配しないでねー! *妹へ 母から連絡きた? 〈今日の勉強メモ〉 *学者犬さんのブログで良い言葉をメモされていたので 私も見習うことにした。・Tu es alle(e) を書くことには問題ないが、発音の時、トュ エ ザレとなめらかにリエゾンできない。もういい加減にPasse composeの口語間違いを少なくするべし!・J'ai fait la machine・・・「私は機械を使った」で洗濯したの意味になる。
2008/11/13
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かあちゃん孝行 その2番外編エリオット君よりメールが来た! 今日の日本時間9時過ぎに母は無事日本に到着しました今日はランキング9位の記事を書くつもりでしたが、昨日紹介した、TGV(フランスの新幹線みたいな鉄道)の中で出会ったエリオット君より、今日メールが届いたので紹介しますお母さん、びっくりでしょ!? Bonjour, Je suis Eliott Est ce que tu te souviens de moi dans le TGV ou nous avions écri en japonnais. Est ce que tu as affiché l'alphabet que je t'ai écri? Merci pour les écritures en japonnais. Ta maman est-elle toujours en france? Je suis de nouveau rentré à l'école. Demain j'irai au tennis avec mon papa , peut-être que je vais faire une partie avec mon copain Mathieu. gros bisous Eliott こんにちは、僕はエリオット。僕たちがTGVの中で出会って、日本語を書いたのを君は覚えてる?僕が書いたアルファベットの表を君は持ってるかなぁ?僕に日本語を書いてくれてありがとう。君のママはいつもフランスに居るの?僕、新しい小学校へ入ったんだよ。明日は(水曜日は小学校はお休み)パパとテニスをして、友達のマチューと出かけるかも。君に大きなキスを送るよ エリオット旅先で出会った人でも、こうやってやり取りが続けば一生の宝ものになるね!お母さん! エリオット君は、私たちが日本人でフランス語がわからないだろうから。。。と思ってアルファベットの表を作ってくれたのでした。そして私はかわりに「えりおっと」「エリオット」と日本語で彼の名前を書いてプレゼントしてあげました。 まだ6歳くらいの男の子だったけど、彼は小さいのに動詞(もちろんフランス語)の活用もスラスラ言えるほどお父さんに勉強を仕込まれていて、学校にいかずにお家で勉強を積んでいたみたいでしたが、たぶん試験に受かって新しい学校に入れたんだと思います。 こんな出会いがあるから、やっぱり旅はいいね!母は来年3月にモナコ国王から表彰されることになりなんとまたフランス行きが決まりました。 母ちゃん、それまでにフランス語ばっちりにしておきなよ第1次世界大戦終戦記念の祝日(今日はフランス全土お休み)に届いた心あたたまるメールでした
2008/11/12
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母ちゃん孝行2 -母が選んだ旅のランキング10位 人との出会い-長い間ブログをお休みしていましたが、やっと今日から復活!これからはしばらく、母との旅行のことをまとめていきたいと思います かわいいホテルでくつろぐ母 そこで母に今回の渡仏で思い出に残ったことを10個選んでもらいました。その10位から順に紹介していきたいと思います! 10位 「人との出会い」母:TGVでエリオット君に出会って、とても楽しい時間が過ごせた!楽しそうに日本語についてインタビューするエリオット君 母は英語もフランス語も全然話せないのですが、笑顔だけは特別なので旅先で出会う人に笑顔だけでコミュニケーションをはかる、かなりのツワモノ写真のエリオット君も、彼が話しかけてきたきっかけは母の笑顔でした。Gare de Lyonの前坂で重い荷物を持ってへとへとになっても笑顔だけは絶やさない母。久しぶりに会ってみると、体調も万全ではなく疲れやすかったり、胃の消化能力が落ちていたりそのため便通にも障害がでてきていて、ガスがたまりやすくなっていたり・・。以前の母ではありませんでした。アンボワーズの町並み時々電池がきれたように動けなくなることも。笑顔にだまされそうになるのですが、かなりこちらのペースを落としてあげないとダメなのがわかってきました。ゴッホの跳ね橋まで連れていってくれたタクシー運転手さん でも母の笑顔で、旅先で会う人はみんなニコニコ。タクシーの運転手さん、レストランであった人、河川を歩く人・・。みんな母の笑顔を見て「Bon jour」と言葉をかけていってくれます。なんと太陽までひきつけられるのか行く先々、重要な観光の時に必ず晴れるのです!!かあちゃんすごい!レストランであったちびちゃんこれは冗談じゃなく、ほとんど毎日フランスでは雨が降っており南仏ではミストラルの警報まで出ていたのに・・・。母ちゃん参った!!!フランス最後の夜の母。「お母さん、本当に晴れ女なのよ~」となんだか偉そう・・・。 母の今回の旅のテーマは「祈り」でした。行く先々で今後の作品(絵)の内容について現在練っている構想を聞かせてもらいましたが、「死」というものを身近に体験したせいか様々な宗教の枠を超えた精神世界を表現したいということを母は何度も言っていました。 こういう話をじっくり聞けるのも旅の醍醐味。久々親子の会話、芸術家同士の会話・・・将来のこと、仕事のことたくさんのことを話しました。 けんかもしたし、わがままを言ってすねる母を怒ったりしてしまいましたが外国に来て、言葉の壁があって思うように動けないというジレンマは私にもよくわかったので、母といられる時間を大切にこの旅を私も心の底から楽しむようにしました! そうそう母「あなた、いつも同じ服ね・・・」 あ、気がついた?貧乏留学生ってこんなもんなんだよ
2008/11/11
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母とジヴェルニーに行ってきました無事に飛行機恐怖症を克服して、母がフランスへやってきました(がんばった!) 昨日は時差ボケにも関わらずがんばって夕食を食べ、今日は朝から元気にMYバスツアーに参加してくれました! MYバスのお店の前で朝7:45。フライトの疲れも見せず、てくてくホテルから歩いて集合場所へ。私はコンヴァトを休んで、今日半日(午後は仕事があるため)母ちゃん孝行のためにこのバスツアーにつきあうことに。参加人数は私たち含め6人!少ない人数にびっくりしたけど、そのほうが母にはいいかな? 楽しそうにミニバスに乗り込む母。車内の中でも「きれいねー、きれいねー」とフランスの秋の風景を満喫している。連れてきて良かったなー パリから西方約70KM、車を飛ばすこと小1時間。セーヌ川沿いのこの町は、印象派を代表する画家クロード・モネが晩年を過ごした所。ガイドさんがいるおかげで、少し予習ができました。 今日からヨーロッパ全域に寒波がきているためにすごい冷え込み!でもそのために空気がとても澄んでいて、周りの景色は輝いていました。ツアーのために、じっくり見ることはできませんがそれでもモネの暮らしぶりにふれることができ家の中にある本物の浮世絵のコレクションにもびっくりロダン美術館のゴッホの絵と同様、印象派と浮世絵の強い結び付きをあらたに感じたのでした。 モネの絵、そっくりに写真がとれた!(撮れたて!)本当に絵を閉じ込めたかのような世界に二人とも感激 オランジュリー美術館でモネの「睡蓮」を初めてみたときはその美しさに涙が止まらなかったですがここで、この場所でキャンバスをおいて描いたんだと思うと感慨ひとしおでした。本当にお天気に恵まれ母はラッキー!睡蓮も咲いてなく、花も少なかったでしたが紅葉がちょうど見ごろで、しばし母とモネの庭園を散歩してゆったりした時間を過ごしました。 でも個人的な感想は、モネも苦労した人だけどこうやってお金もちになって、自分の手で土地を買い求め絵のために庭を作り、アトリエ(お土産物屋になってる3番目のはすごく大きい)を3つも持っているモネの実態を知って私は、恵まれなかったゴッホのほうがなんだか共感できると思ってしまったのでした。 最後にガイドさんがいるから見学できたところをご紹介します。モネのお墓の手前に、彼に憧れてアメリカから多くの若い画家が渡ってきてこの地で新アメリカ印象派なるものをきずくのですが、近くの小さなカフェの裏に彼らのアトリエがあるのです。 母は今回の旅でここが一番のお気に入りになったらしく「いつかこんなアトリエを持ちたい!」と夢が膨らんだようでした。そこで 早く私がお金もちになって、こんな場所を作ってあげる!と約束。いつか実現するといいです この後、私は仕事に戻りましたがなんと母は単独でコンシェルジュリー(マリー・アントワネットがギロチン直前まで収容されていた牢屋)とサン・シャぺル教会に行ったようで、そのパワフルさには脱帽。あとで疲れがでないといいけどな・・・。 明日からアルルの旅がはじまります。いつUPできるかわかりませんが、今度は私にとっても初の南仏。二人で楽しんで来たいと思います 母ちゃん孝行 その2へ続く
2008/10/29
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いよいよ本日フランス時間(26日から冬時間になりました!)の17:25に、日本から母がやってきます。 母に肺癌の告知をしたのは私が渡仏する前日の3月29日。すごく迷いましたが、私が言わなければと思って告知しました。 「私も異国の地で一人で頑張るんだからお母さんも頑張って!」母はその気持ちに応えてくれ、4月14日に精密検査の結果正式に癌というのがわかりましたが気持ちも乱れず冷静に受け止めてくれ5月17日に入院、19日に手術でした。 癌のステージは2a期、5年後の生存率は60パーセントです。その数字は決して高いものではありません。肺ガンの中でも非小細胞ガン(腺癌)といわれる部分のもので取りにくいところに発症していましたが手術が成功すれば完全治癒も可能とのことでした。手術はすべてのカギを握る重要なものでした。そして成功! 母は日本画家で、今一番油ののった時期だと思います。(1949年生まれ。) 肺ガンと聞いた時すでに留学の準備が整っていた筆者は行くのをためらいました。病気の妹にもこの現実を受け止めるのは重すぎたと思ったからです。私が居なければ・・・と迷いました。 でも母は私が行くのと望みました。母の夢は私を外国で勉強させることだったのです。 そして妹も母の介護をきっかけに、少しずつ良くなってます。姉妹の絆も以前より強くなったのを感じてます。 そして今日。術後5か月しかたってない母が今日AIR FRANCEにのってCDGに着きます。飛行機恐怖症で、まだ肺も痛むだろうに私に会いにきてくれるのです。 母の愛をひしひしと感じる筆者でした。 この秋休みは親孝行します!ブログは頻繁にUPできないかもしれませんが、母の笑顔をみなさんにお届できると思います。 早くルルドに行って奇跡のお水を飲ませてあげたいのでした。 では空港にお迎えにいってきまーす
2008/10/27
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ゴッホ作の「タンギー爺さん」を見ました(ロダン美術館) ロダン美術館の庭にて左:ナポレオンの墓でもあるアンヴァリッド、 右:エッフェル塔そのちょっと下にロダンの「考える人」 強烈な3ショット さて、昨日に引き続きロダン美術館に行ったことに触れますが、今日はそこへ行く動機になった、ゴッホの「タンギー爺さん」について書きます。タンギー爺さん(Le père Tanguy) 1887年92×75cm | 油彩・画布 | ロダン美術館(パリ) 写真の本館2階、右側の展示室にその絵はあります。 ”ゴッホのパリ滞在期の代表的な肖像画作品のひとつが『タンギー爺さんの肖像(ジュリアン・タンギーの肖像)』。1887年の秋に制作された本作はモンマルトルのクローゼル通りで画材店を営んでいたジュリアン・タンギー氏、通称≪タンギー爺さん≫を描いた作品である。タンギー爺さんはパリの若い画家たちを熱心に支持しており、金銭的に苦しい画家に対しては画材代金の代わりに作品を受け取る場合も多かったと伝えられている。 ゴッホもタンギー爺さんには多大な恩恵を授かっており、本作では同氏に対するゴッホの深い敬愛の念を感じることができる。”サルヴァスタイル美術館 2008年7月15日掲載文より(salvastyle.com *フリーに掲載して良いとのことなのでそのまま引用)以下 サルヴァと記す 弟にあてた手紙の中で(「ゴッホの手紙」岩波文庫)、ゴーギャンが家を出ていった直後(耳切り事件の直後)の1888年5月3日(自殺の2年前)にも 「タンギー爺さんはどうしているのだろうかーー僕に代わってよろしく伝えて欲しい」 と安否を気遣っている。 私がこの絵を楽しみにしていたのは、今マイブームなのがゴッホというのもあるがそのタンギー爺さんの絵にジャポニスムが関係しているからだ。ゴッホのこの絵を初めて見た人は、その色彩の美しさと浮世絵の存在に驚くと思います! ”タンギー爺さんに見られる太く力強い筆触による描写や厳格な正面性も、この頃の画家の表現様式を考察する上で特筆に値する出来栄えである。 また本作の背景を構成する複数の浮世絵も(本作の)最も注目すべき点である。画面左中央に二代目歌川豊国の『三世岩井粂三郎の三浦屋高尾』、左下に二代目歌川広重の『東都名所三十六花選 入谷朝顔』、中央には歌川広重の『富嶽三十六景 相模川』、右上には同じく歌川広重の『東海道五十三次名所図 会石楽師』、右下には渓斉英泉の『雲龍内掛の花魁』が描かれていると推測されており、本作には表現的な影響はあまり感じさせないものの、ゴッホの日本美術への強い傾倒(画家は浮世絵の熱心な収集家であった)や、その後の平面性・奇抜な構図展開などの取り入れを予感させる。なおゴッホは1887年の冬から翌88年初頭にかけてほぼ同様のタンギー爺さんの肖像をもう一枚制作しており、こちらは現在S・ニアルコス氏が所蔵している。” * サルヴァより引用特にタンギー爺さんの左横の"高尾"という名の*花魁の絵は実物そっくりゴッホは何枚か浮世絵を所有していたようで、壁にピンで留めていたのか今でも本物の浮世絵には穴があいている。*吉原(よしはらと読む)を代表する花魁が高尾であった。三浦屋に伝わる大名跡。当時もっとも有名な花魁であった。吉原の様子は 坂辺周一「百人遊女(全5巻)」リイド社、安野モヨコ「さくらん」講談社などの漫画がわかりやすくおもしろく読めて筆者のおすすめ。ただし題材が題材なだけに性的描写あるので注意。「吉原再見」というサイトも当時の吉原の地図と現在の地図を重ねるなど、とても興味深いもので、興味がある人にはおすすめしたい。 本物の絵を見た時は、涙をこらえるのに結構大変でした。ゴッホの厚塗りの絵の表面は本当に躍動的で、描いているときの楽しい様子が伝わるようでした。そして、自分が愛して憧れてやまなかった浮世絵をタンギー爺さんの親愛の印として絵のバックに飾ったのです。 これを手にいれたロダンは、「ゴッホが自然の絵を書くときにはその素直にむきあう姿勢に共感するが、人物画はたいしたものではない。でもこの色彩の豊かさと、厚塗りの豪快さには圧倒されてしまうのだ・・」と言葉を残しています。 ゴッホ自身、「モネが睡蓮の絵を描くように、自分も人物画を描きたい」と言っています。生涯にわたってモデル不足に悩んでいたゴッホは自分の肖像画を何枚も書いて人物画の練習をしていますが、このタンギー爺さんも画材のお礼のためか練習のためなのかは?ですが3年後に自らの命をたってしまうのを微塵も感じさせないくらいの生命感溢れる絵なのでした。 この後の不幸な彼の人生を思うとこの絵をただすごい、とか色がきれい・・・などの感情で見られないのでした。水曜日にはゴッホが夢を抱いて向かったアルルに母と向かいます。ゴーギャンの裏切り、弟テオへの申し訳なさ、癲癇発作・・・ゴッホの不幸の転換期となった場所をしっかり見てこようと思います。 ロダン美術館を出た直後は晴れ渡り、すがすがしい青空が。タンギー爺さんを見た余韻に存分浸りながらこのまま帰りたくないなあ・・・と思いつつしばらくその場にたたずんだ筆者でした。FIN
2008/10/26
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ロダン美術館へ行ってきました Musee Rodin79,rue de Varenne (7e)Metro: 13 Varenne 今日からフランスは秋休み!(Toussaintが近いので)家のマダムとちびちゃんも朝日本へ向かって出発。今日から静かな毎日の始まりです 日頃頑張ったご褒美に今日はロダン美術館へ行くことにしました。今日は寒い!吐く息が白いです。でも心はウキウキ!シャルル・ド・ゴール・エトワール駅(凱旋門の最寄の駅)でバス92番に乗り換え。あ、バス来ちゃった!早く横断歩道渡らなくちゃ!アルマ橋の上より運転手さんが女性だったので待ってくれてたMerci~☆しばらく16区のスノッブな建物を車窓から楽しむことに。今日はなんだかエッフェル塔も上のほうが霧でかすんじゃってます。 アンヴァリッドの前で降りて、徒歩で歩くこと3,4分。ロダン美術館の前の街灯の柱がすごいアートなことになっていたので見てみると・・びっくり!Entree Gratuite(入場無料)のシールがたくさん!ロダン美術館って18歳以下は無料なんです。その時もらえるシールを若者が貼ったのね・・・。 さて、入場券も順調に購入でき、今日は奮発してオーディオガイダンスも借りました。いざ美術館の中へ! 最初に特別展(Passion at Work・・・Rodin and Freud as collectors oct.15,2008-feb.22,2009 ロダンの収集したエジプトの彫刻などが展示)を見たあと、お庭から見学することに。最初、あの有名な「考える人」を見て、おおー!と思って次へ。(まだこの時点ではロダンのすごさがわかっていない私。) 次は写真のカレーの市民。カレー市でたくさん人が処刑された題材なんですが死刑台に向かう男性たちの苦悩がよくあらわされています。ロダンは最初のこの人物をカレー市の広場に単体ずつ、離れて設置することを望んだらしい。でも、こうやってまとまってみると人物の気持ちがすごい迫力でこちらに伝わってくる。お庭の空気が違うようでした。 これも良く知られた「地獄の門 Porte de l'Enfer」。G大に通っているとき、国立西洋美術館の上野側の庭にどーんとレプリカ?があったので見なれており、あれか!というかんじでしたが、考える男が上のほうで、地獄を客観的に観察して思いにふけっている様子やダンテの神曲の登場人物で断食の刑が苦しくて子供を身捨てる父親、カミーユ・クローデルとの禁断の愛の地獄に陥った作者の姿など今回はじっくり見ることができました。 ロダン美術館は庭園が本当に素敵で(庭園のみだと1ユーロで入れる!)今回は良い匂いの落ち葉を踏みしめながら、凛とした澄み切った秋の空気の中ロダンの素晴らしい作品を見ることができました。かなり広いので、ゆっくり回ると時間が必要です。 今まで彫刻は色がついてないし、ちょっと・・・と思っていた私でしたがこのあたりからロダンに対して気持ちが変わっていきました。物想いにふけりながら秋の小道を歩いていると、美術館のCAFEが!お昼がまだだったので、思い切って昼食を取ることにしました。ここはサラダが充実しているのですが、私は今日のシェフおすすめのParmentaine(8.3€) じゃがいもとお肉のお料理(濃厚でとてもおいしい) とCafe Creme(3.2€) カフェオレを頼むことに。美術館でお茶するのが大好きだけど、まわりの雰囲気もとてもいいし一人ではもったいなかったなあ お腹も満たされ、いよいよ本館の1階から突撃!最初の部屋で彼の出世作(37歳)「鼻のつぶれた男」と出会う。そうか、ロダンも遅咲きだったんだ・・・とすごく共感。 次の部屋では彼の若いころ習作が続くが、家族を養うために室内装飾工房(ベルギー)に勤め、作りたくない作品も作っていた事実を知る。そして「青銅の時代」という若い男性の像が目に飛び込んできた。 文字ではこの感情を表すには少し難しい。でも、間違いなくすごく心を掴まれた感じがして、彫刻ってなんかつまんないものかも・・と思っていた心が完全にふきとばされる。 実は今日ロダン美術館にきたのは、ゴッホの「タンギー爺さん」に会うためだったのです。ロダンが晩年手に入れた彼のコレクションが一緒に展示してあるから。ちょっとロダンは付録的な扱いだったのに・・・。 もうそのあとは、偏見もなくロダンの素晴らしさを満喫。そしてカミーユ・クローデル(彼の弟子でもあり恋人)の作品も鑑賞。決して許される恋愛ではなかった二人。ロダンは元の奥さんのところへ帰ってしまう。しかし、この別れの苦しみを両者とも作品という形でアートに昇華していました。 有名な作品はガイドブックに載っているので ちょっと違うものを。上記の作品はロダンの「L'Adieu さよなら(別れ)」。女性は痩せた肩に薄い毛布のようなものをはおっていて口元に手を、ぼんやりした視線で遠くを見ています。 去っていく人をみながら、呆然として、別れの言葉も嗚咽もあまりにもショックすぎて出てこない・・・という瞬間がここで凍ったかのように表現されています。今日ロダンの作品をみていて、一番ぐっときた作品でした。 「アドニスの死」という作品の前で ロダンはブロンズ、大理石(女性の体のなめらかさを表現するのに良く用いたそうです)を普段使ったそうですが、「L'Adieu」のように石膏を使った作品も良いものがたくさんあり、発見でした。 ロダン美術館はおすすめです! パリへこれから観光に来られるから、ロダン美術館あなどれません。オルセーなどもはずせないけど、・人生の転機である。・疲れている・何かゆっくりアートをみながら考えごとがしたいこれらに該当する方はとくにいいです。今日は曇りで寒かったけど、それも作品に集中できて良かった!楽しい一日でした
2008/10/26
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祝ブログ開設 1か月! 妹に言われて気づいたのですがブログを開設してなんと1か月がたちました! こんなに続くと思っていなかったですが毎日続けていると見えなかったものが目にとびこんできたりアクティブになったりしてブログをやって本当に良かったなあと思いました これも妹パピちゃんのおかげです。妹は「カレイな毎日」というブログを再開して丸9か月、アクセス数が50000回にもなったみたいです。(おめでとう!!) アクセサリーや宝石、毎日の日々の葛藤をつづっていますが内容は私のものと違い、自分の心の吐露をも書きつづっているので書くのもさぞかし、しんどかろうと心配しています。しかし、自分のことを綴ることにより前より少しづつですが元気になっていて母も私も喜んでいます。今では体調・心調のすぐれない妹がこの私のブログにアドヴァイスしてくれたり心配したり喜んだりしてくれています。これからも彼女のためにも綴っていこうと思うのでした。 1か月過ごしてみての筆者の感想でした今後もみなさまよろしくお願いいたします!
2008/10/24
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2009年のツール・ド・フランス 動き出す!フランスのメトロなどの駅では無料で配られているDirect(matin とSoirがある)やMETROなどの新聞があります。 私はRERのA線でChatletで降りているので、いつもMETROを読んでいます。今日のスポーツ欄には、なんと来年のツール・ド・フランスの記事が!!! そう友人間でも有名なのですが私は大のツール・ド・フランス ファンだからフランスを留学先に選んだわけじゃないんだけどね 今年の夏はテニスのしすぎで膝の副側靭帯を切ってしまい、4週間も家に閉じこもり。でも毎日TVでツール観戦をすることできました。しかも日本じゃないからしっかり生放送、細かいところも見られます。毎日1時半にはTVの前に座り、夕方5時過ぎまで観戦する生活をしました。こんな贅沢な夏は二度とやってこないだろうなー これが今年のコース。最終日のシャンゼリゼにはしっかりホテルを取って臨戦態勢を整え悪い足をひきずりながら応援しました! もうサストレが優勝(マイヨ・ジョーヌ)のインタビューを受けているのを見て泣いてしまうくらい興奮 しかし、今日のメトロの新聞の見出しではLe Ventoux pour boucler la Boucleベルトのバックルを締めなおすためのヴァントゥ山!? ディレクターのMr.Prudhommeのコメントには「2008年では生き生きとした顔でコースを走っている選手の顔を見ることができなかった。」とあり、コースを大分検討したことが書いてありました。 7月4日から26日まで行われる2009年のツールは今年と違い、イタリア、スイス、スペインに越境するコースが設定されています。 コース頭のモナコ(モナコの王様という道)での15キロはチームの作戦とテクニックを発揮する見せ場。地中海沿いのロングコースはマルセイユ経由を通過し終点のバルセロナまで誰が勝つか最後までわからず、はらはらするところになるだろうと書いてありました。 見出しになったVENTOUX山は去年のコースにはなかった山で標高1912メートルを自転車で上ります。(2000メートル級を山越えすることはしょっちゅうですが・・)7・8%の傾斜が20キロ続くコースで(今年のL'Alpe duezは10%の傾斜が15キロだった)しかもゴール直前の前日に超難級の山岳地帯が待っているのだからマイヨ・ジョーヌをねらっている選手にとってはありがたくない山でしょう。(どうしてかというと、終盤は山岳地帯が続き疲れます。しかしここで休んだらマイヨ・ジョーヌの栄光に輝くことはないからです。今年のエヴァンスも山岳地帯がだめだったからな・・・)ベルトを締めなおす・・・良い表現かもしれません。 アームストロングのようなスーパーがつく選手がいない現在誰にでもマイヨ・ジョーヌを手にするチャンスがあるなかこのコース設定はきっと、来年のツールを盛り上げる要素になるに違いないです。 そういえばジャパンカップがもう少しで始まりますね。リクイガス(チームの名前)が初めてジャパンカップにのぞむそう。この間のロンバルディアで勝ったクネゴも日本へ行くからすごい豪華メンバーみたいです。宇都宮森林公園であるそうなので、良かったら見に行ってみてください。 ああ、来年のツールにはフランスにいないかもと思うと悔やまれる。でもしっかりTV観戦を夜な夜なしようとたくらんでいるのでした今日もオタク記事でごめんなさい!!
2008/10/23
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メディアテークに行きましたMediatheque Christine de Pizan (Poissyの駅のすぐ横) 水曜日は朝からメディアテークが開いてるので、暇があれば寄るようにしています。今日も借りていた本を返しに行きました入口はこんな感じ。 これは中から入口のほうを見た様子。照明デザインや家具の色、デザインが凝っていてとても素敵な図書館です。年間35ユーロで一度に本が2冊、CDが5枚、DVDが2枚借り放題なのです。期間は3週間で長め! 今はやりのMANGA(フランス語になっています。マンガまたはマンギャと発音してます。)もたくさん!フランス語の良い勉強本です。 私のお気に入りスペースはここ。奥のスペースには雑誌コーナーがあり、パリスコープなど買わなくてもチェックできるから超便利! そしてお世話になってるメディアコーナー。あらゆるジャンルのCD,DVDがおいてあります。クラッシックも充実してる!しかも、日本ではありえないようなフランスのバロックなど、マニアックなものもちゃんとあり、さすが自国フランスの文化のものはしっかり確保してあるなあという品揃えです。ありがたい。 今日はゴッホ関係の本を2冊、セザンヌの革命というゴッホも関係あるDVDを一つ、ケルト音楽、JAZZ、Francois Couperin作曲のクラヴサンのCDを借りて帰りました。 ルーティーンワークの一日でもメディアテークに寄っただけでHAPPYになれたのでした
2008/10/22
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コンセルヴァトワールの授業を受けてきました報告2*本日2回目のUPです。前のものからお読みください。 いよいよ9時半から新入生・在校生の新学期の登録です。たくさんの人が9時半前から受付に並んでいました。みんなこの日に授業料も納めており使っているのは小切手。私もまさかの時と思っていたので、早速使うことに。昨日の受験料24ユーロを払いました。 そして10時にAUDITORIUMに集まり先生方の紹介や授業内容の紹介が。2008年度からなんとグレゴリオ聖歌の授業と、ルネサンス歌唱の授業が新設され担当の先生たちが紹介されていました。やはり噂は聞いたとおり!そして集合時間や場所などをアノンスされるが、すごい早口でわからない でも大丈夫!なんとサブレ講習会の時一緒だった仲間がたくさんいたのです。日本人のS田さんも発見!!彼女は旦那さまがフランス人なのでフランス語はペラペラです。いろいろ助けていただきラッキーでした。 授業は一応、内容と場所が掲示版に張り出され、今回はそれらをまわって個人レッスンの時間と講義をどれをとるか決めるという日のようです。しかし授業は今回から始まります。 とにかく講義内容が充実していて、とりたいものばかりで困りました。歌の先生が私があまり欲張っているので、「これでは個人レッスンをオーガナイズできないわ」といったほど。少し削ることにしましたが、ルネサンスものの授業をかなり取ることができて満足! G大ではファクシミリを読む講義が私のいる間に開設されなかったので今回取ることに。バロックのものはたやすくよめてもグレゴリオのネウマ譜とバロックの間の時代の楽譜というのは全然規則を知らないので大変でした。 これはスペインのある修道院から貴重な楽譜を先生(Marc BUSNEL氏)が借りてきたもの。一般には絶対公開されないものです。まだまだヨーロッパの修道院にはこのような貴重な文献、楽譜が山のように眠っています。 今回の課題はSebastian AGULERA de herediaのCANTICUM BEATISSMAE [VIRGINIS DEIPARAE MARIAE]です。幅1メートルくらいの大きな楽譜で、各パート(この曲は7パート)見開き2ページに大きな楽譜で書いてあり、一斉にみんなで見て歌うというものです。 オタクな人が集まると聞いていたこの学校でもすらすら歌えたのは2,3名。ネウマが少しわかるのでなんとかいけましたが、やはりすごい難しい。この土日の授業だけでもかなり鍛えられました。 そして、音楽を学ぶのと同時に良かったなと思うのは友達ができたこと。中には最初から知ってるフランス人も何人かいるので、私がこんな人だというのをまわりに伝えてくれたみたい。 一緒にご飯を食べたり、講義内容をかみくだいて教えてくれてる仲間は必要不可欠。本当にありがたい!一緒に同じ歌のクラスに入ったレンヌからきてるオーレリー、パリからきてる上の黒い服をきているアリス、地元のドミニク(元同僚のM氏にそっくり)も仲良くしてくれるので良かった! 11区と並行にこれから頑張る目標ができました。来月のトゥールは別の団体と公演するOPERAのオーディションもあるのでがんばりたいと思います!! 日曜日はくたくたになってM&Hちゃんのお家に夜の10時に到着。HARIBOしかおみやげに買う時間がなく、申し訳ない。今度はブリオッシュを楽しみにしててね! ああ、なんだかほっとした!応援してくださった方々、そして家族のみんなありがとう!!!!
2008/10/21
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コンセルヴァトワール 受験してきました報告1 Conservatoire a Rayonnement Regional Fracis PoulencTOURSDepartemente de MUSIQUE ANCIENNEDirecteur :Jean-Marc COCHEREAUProfesseur coordinateur :Marie-Anne POTTIERRenseignements : 2ter,rue du Petit Pre -37000 TOURS フランスには様々なコンヴァトがあります。各学校によりすごくカラーが違います。私が2つ目のコンヴァトに選んだのはC.R.R. de TOURS(前C.N.R de TOURS)コンセルヴァトワール・トゥール校です。 この学校は歌手友達のH美ちゃんが通っていた学校で、他の学校にはあまりない中世のものに力をいれているところだそうです。バロック歌いは音楽界でもゴロゴロいます。でもルネサンスになると古語になるし、楽譜の難しさもあって携わる人の人口がぐっと減ります。まさにオタクの世界・・・ そしてフレンチのものになると、まさに希少価値があがるので私はこの分野を開拓するために、ここを選びました。さて、どうなることやら・・・ 10月17日(金曜日)語学学校と仕事を休んで、いざトゥールへ。幸先よく今日は車窓から馬が見える。前日もよく眠れず、慢性の睡眠不足のまま受験に突入。練習不足、のどが固いなどの不安材料をたくさん抱えながらの出発となる。少々お疲れモード?でも目力あるからよし! Austerlitsの構内TGVで行くとパリ・モンパルナスとトゥール間は約1時間半。でもなるべく電車代を安くあげようとして、パリ・オステルリッツ(Austerlitz)からの出発を選ぶ。約2時間から3時間の旅となる予定。モンパルナスと違い、全然人がいないので、本当にTGV出てる駅!?と心配になる。でもパリ・リヨンからここまでバスでうまく乗り継げてきたので、それだけでもホッとしてベンチで1時間、軽食を取りながら待つことに。 食べてたら、すずめの大群がわらわらと寄ってきた!日本のより色がすこし茶色で薄い。 ちょっと話はずれるが、帝国大学教授の古市公威氏がこのmoineauを「雀」と訳さなかったのは有名な話である。これを辰野 隆氏は興味深かったのかあちこちの講演でお話されていたと言う。古市氏はフランスに長く留学された方だが、「チュン チュン」となかず「チー チー」と鳴くこの小鳥を区別されたのであろう。この小鳥の語源となったMoinは僧のことで、Moineauは小さい僧侶「茶色い服をまとった子僧さん」と慶応の教授の松原氏は何かの本で書いておられた。私はアッシジのフランチェスコが小鳥に話しかけられたお話をこのとき思い出した。 昼の14時過ぎにやっとTOURSにつく。ここは学生の街!大学もあり、若い人の姿をたくさん目にする。近くには古城もあるし、レオナルド・ダ・ヴィンチの終焉の地でもある。試験は18時から。その前にクラヴスィニストのセバスチャンとリハーサルが16時からあるので、とりあえずホテルにチェックインする。 いろんなところに立ち寄りながらコンヴァトに到着。しかし、受験の案内も何も書かれておらず、同敷地内に小学校、中学校、コンセルヴァトワール、大学が併設されているのでとても広い。たどりつけるのか心配になり、窓口で聞くが?? 迷いながらも一番奥の建物が古楽の棟ということがわかり、受付へ。その間、音大特有のピアノやトランペットなどの学生たちが練習している音が聞こえてくる。11区ではあまり耳にすることがなかったため、敷地ないに広がるこうした音のゴミも筆者にはひさしぶりで心地よいものだった。 リハーサルはセバスチャンはあまり練習してなかったのか、結構大事なところで間違える。でもあまり気にせずに本番にのぞむことにする。 試験まで1時間あったので、一度ホテルにもどる。その途中劇場で今夜ハイドンの「ARMIDE」を上演するのがわかり切符を購入。こんな歴史的建築物でオペラが見られるのは幸せだ。でも受付のお姉さんがフランスで出会ったワースト1感じの悪いフランス人でもう会いたくないと思った。 いよいよ本番。入口付近には受験者が大勢集まっている。今回は先生も知らない人ばかりなので、入れる人数(Place)が何人なのか全然情報がない。他の人に聞いても?地元の人が半分、パリから来た人が半分だった。 受験の順番も張り出されておらず、誰から?と聞くとリハーサルの順番だという。たしかリハーサルの順番は私は電話をして、電車の時間が14時だから14時からのリハーサルは無理で、16時にしてください。・・・と頼んだ。最初は「14時に」と言われていたので、それで「oui」と言ってたら1番だったのだ危ない、危ない。コンクール同様、出演はあとの方が有利である。こういうところは本当にフランス的だと毎回だが思う。日本ではありえない。私はそれでも4番目。まあまあか。 すごい緊張したけど、歌は11区の時よりうまく歌えたかもしれない。自分としてはノーミスだったと思う。のどもなめらかだった。なかなか大きな本番でこうできるのは難しいから少し進歩したということか? そのあと面接がその場であり、なんでフランスにきたの?など聞かれたが「フランス文化が好きだからです。」と強調構文で答えておいた。そうすると、「まあ、それは当たり前のことですね」などと言われ先生たちは笑っていたので大丈夫だったと思う。 途中、歌の先生のノエミと目があい、笑顔を返されてきたので歌の手ごたえを感じることができた。 退出時に「日本人もこんなに歌えるのねー。」と話すのが聞こえ、(聞こえてますよー。まだ出てませんよー)と思いながら退出した。でも正直足も震えていたし、終わったあとはしばらく手の震えが止まらなかった。 みんなの演奏が終わったのが20時すぎ。あ、オペラはじまっちゃった!と思っていると、全員が試験会場に呼ばれた。 すらっと一列に並んだ私たちにディレクターの先生が「今年はレベルが高く・・・みなさん大変良い演奏をありがとう」みたいなお話を聞く。結果は郵送なのか、掲示なのかと思ったら、「私たちは残念ながら全員を選ぶことができませんでした。今年のメンバーは・・・」っていうから まさか 口頭 この場で 頭がくらくらしてるところに「Marie Sophie」と呼ばれたんで、おおおおおおーーーーーーー一瞬ほんとに受かったのかどうか迷ったんだけど、まわりがニコニコしてるので受かったとわかる。 今回はさほど狭き門でなかったにせよ、落ちた人もいるんだと思うと頑張らなくてはと思った。。。。その夜のハイドンのOPERAは超つまらなかったけど、ご褒美で鑑賞しました。
2008/10/21
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私事ですが、明日いよいよ受験当日のため、ブログはパリにもどる日本時間火曜日の未明までお休みします! みなさん良い週末をお迎えください!Bon week-end a tous!M.S.E
2008/10/17
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今日は結構音楽のことばかり考えていた一日だった。 私は練習してるときよりも歌っているときよりも実は次は何の曲を歌おうか決めるときが一番好き 2日後にはCNN de TOURSの受験があるけどある意味もう一人の歌い手である以上今後のリサイタルや演奏会に直結するものを選ばなくちゃいけない でも演奏会のプログラミングのことよりも自分の成長過程のことよりも曲の魅力に逆らえずに選んでしまうことがある でもやっぱり前回はエール・ド・クールで 注1喉の硬さが気になってしまったのでフランス革命がすぐ其処・・・というくらいの後期のものを選ぼうと客観的になってる自分がいる やっぱり卒試で歌ったMONTECLAIRの別の曲をレパートリーとして増やすかな。装飾♪の確認にもなるし・・・ Julieの勧めてたCantateは「Le Depit genereux 豊富な恨み・・」なんというタイトルなんじゃい!しかも前奏がなんとなくベートーヴェンの運命に聞こえないこともない・・!? 歌詞の意味をなんとなくチェックしたら・・・ まことの神よ! 復讐の神よ!あの裏切りものを許してやってください。ののしりの言葉を吐き、誓いに背いた者を運命のアトレに満ちたあなたの目の上で遊ばせてください・・・ ああ、いつもの感じですか・・。どうして古い歌はこういうのが多いのでしょうねぇ(ためいき)これ日本で歌った人いるのかな?もう本当にマニアックすぎて歌う歌がことごとく日本初演なんてこともあります たまには穏やかなロマン溢れる近代歌曲が歌いたくなりますなぁ秋の夜長は美しいのがいいですなぁ♪今の気分はFaureのClair de Lune(フォーレの月の光)かな お知らせ:本日の妹のブログはとてもきれいな月の写真特集です。みてやってくださいまし。papiratta 「カレイな毎日」です では また明日ー!おやすみなさい。 注1: エール・ド・クールとはAir de Cour 字の通り宮廷歌曲です。ブルボン王朝のアンリ4世からルイ13世のころに盛んに歌われていた歌。当時のフランスはリュートを演奏するのが流行っていたために伴奏には大型リュート(テオルヴォ)が用いられていました。(*なんと幼きルイ13世の宰相リシュリーも弾きたかったのだ!)メロディーは素朴なものが多く、近代ものよりも言葉のウェイトが大きいです。その割には2番目になると装飾音符を多用するのはやはり宮廷の音楽で王を喜ばせるためのものだったからでしょう。王様は夜はリュートの演奏を子守唄にお休みになったと言われています・・。
2008/10/16
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ペール・ラシェーズ番外編 Les temps des cerises桜んぼの実る頃 なんだか私のブログはこだわりだすと、かなりな読み物になってしまうのですがよろしければおつきあいください。 前回の日記で受験の合格祈願のためピアフのお墓まで行ったというところまで書きましたが、実はシャンソンにまつわる場所がこのペール・ラシェーズ墓地にあるのです。*以下 大野修平・野村次郎 編著 『シャンソンで覚えるフランス語ー1』第3書房 東京:2003年 より抜粋 22-25頁 この歌(注:桜んぼの実る頃。クレマン作曲 Les temps de cerises)には悲しくまた美しい思い出が刻み込まれています。1871年3月28日、世界が初めて労働者階級が政権を取った自治政府パリ・コミューンが成立します。しかし、その命は長くはありませんでした。5月21日から28日にかけて、ヴェルサイユに本拠を置く国民議会軍はコミューン連盟兵と一般市民の虐殺を始めます。(注:この様子が描かれた絵がオルセーにありました。)連盟兵たちはパリの街頭あちこちにバリケードを作ってたたかいました。そのなか、フォンテーヌ・オ・ロワ通りにあったバリケードに20歳くらいの看護婦が姿を現わします。手にはさくらんぼの入った籠を持っていたと言われています。危険も顧みず、彼女は傷ついた兵士の手当をしました。 5月27日、約200名の連盟兵たちは国民議会軍によって、パリ東地区のペール・ラシェーズ墓地に追い詰められます。激しい白兵戦の後、147名が捕虜となり、墓地北東の壁の前で銃殺されます。銃殺のあったあたりコミューン評議員でもあったクレマン(この曲の作曲家)はのちに「桜んぼの実る頃」に4番目の歌詞を書き加えました。「僕の心にはあの時から開いたままの傷がある。。」そして、この歌はあの看護婦ルイーズに捧げられたのでした。クレマンの墓はちょうど「連盟兵の壁」を見守るような位置に建てられています。 J'aimerai toujours le temps des cerises,C’est de ce temps-la que je garde au couerUne plaie ouverte...Et Dame Fortune, en m'etant offerteNe pourra jamais fermer ma douleur...J'aimerai toujours le temps des cerisesEt le souvenir que je garde au couer!僕は いつでも桜んぼの実る頃を愛するでしょうあの時から 僕の心に秘めるのは開いたままの傷運命の女神が僕のもとを訪れたとしても傷の痛みを決して和らげられないでしょう...僕は いつでも桜んぼの実る頃を愛するでしょうそして 心に秘めた この思い出も今回はカザフスタン人のDenisがそばに居たので登って弾のあとなどを確認できませんでしたが(クレマンのお墓も)、今度は桜んぼのなる5月にもう一度きてみようと思います。 今日は受験の願かけのつもりでしたが、思いがけずいろいろ収穫のあった訪問でした。 余談昔のアニメで「ラ・セーヌの星」というパリ・コミューンの話が題材になってるものがあり妹と土曜日の朝は早起きしてみた記憶があります。(あまり覚えてないけど)主題曲はショパンの「幻想即興曲」。ジャ―ン♪というピアノの開始音のあと、ころころころがるパッセージが歴史の運命に翻弄されるパリ市民の不安な心を良く現わしていると子供心に響きました馬、トリコロールの旗、銃の煙、人々の争いその時は濃い歴史のあるパリに憧れました。無謀にも「幻想即興曲」を発表会で挑戦しようとしたのも良い思い出です。子供のころの記憶と、学校で習った社会と、自分の好きな音楽と一つにつながった時の喜びは格別ですね。だから人が熱く生きたところを無意識に求め歩いているのかもしれません。。。 私の人生の旅も続くのでした
2008/10/15
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今日はコンセルヴァトワールの日でした私の通っているコンヴァトは11区のConservatoire du 11e Charles Munch。パリ市内にはそれぞれの区に一つずつのコンヴァトがあります。(ちょっとずつ特徴が違ったりしますが、これらはパリ市役所の行政管轄で運営されてます。)その20校の頂点の位置にあるのが21校目で地方行政の(国立・県立にあたる)Conservatoire national de region -ecole Superieure d'Art Dramatiqueです。ピアノ科などは恐ろしく若い年で受験の年齢制限が来てしまうのでみなさん高2の時に高校を中退して通うみたいです。私はこの11区にバロックの初期ものとフレンチバロックの得意なJulie Hasseler先生がいらっしゃるので決めました。師匠の相性は大きいですゆくゆくはフレンチルネサンスまで手を広げたいので古いフランス語の発音で歌を教えてくれるJulieは私にとってなくてはならない存在です! 今日のレッスン・今日は新しい曲 Joseph Chabanceau de la Barre(1633-1678)の「Quand on vous dit」というAirs de Cour持って行く。・課題の大きな目標点:2番の歌詞に付けられている装飾音符を歌詞を損なわずにきれいに処理できるかということ。・反省:装飾や2番の部分は慣れもあるのかうまくいくが、私場合は歌詞の発音と今日は喉が固く、音楽が小さくまとまりすぎたため、もっと言葉よりも音を優先させてといつもより逆のアドヴァイスを受ける。練習不足のためか今日は喉の筋肉がへろへろしていて、がりっとなってしまったところが2か所もあった。まずい・・。・今後の注意: de, Ouのウの深さの違い。Avantのものが苦手。queとか。C'estのetreは広めの発音で処理。わかっていても間違えてしまう。・よかったこと Trembrement リエの処理はフランス人よりも良くできてる!ふふ。・次回:Monteclaireあたりの後期もので声を鳴らす方向に。でもDidonはもういい。 以上 自分のためのメモでした。母へ こんなことをやってます。 さて、気づいたら受験まで3日なのでした!!まずい。今日のレッスンの声の鳴りでは非常にまずい。それでかつての巨匠の墓参りに願かけにいきました向かった先はコンヴァトから歩いてすぐのペール・ラシェーズ。Cimetiere du Pere Lachaise(Metro No.2,3)パリ最大の墓地です。すごい人たちが眠っています。今日はその中でもよりすぐって歩いてみました。まずはジョルジュ・ビゼー。オペラ「カルメン」を作った人であまりにも有名です。彼のお墓の上には竪琴が装飾してあり、いかにも音楽家というお墓でした。ドイツにおられるH堂のO氏は「アルルに行くときは、ビゼーのアルルの女のCDを持って行きなさい」とアドヴァイスしてくださいました。そのことを思い出しながら「あなたの才能を分けてください。」とお願いしました。 次はフレデリック・ショパン。ビゼーとは違い、ファンの人たちのお花が今もいっぱい!実は私の入試10月17日はショパンの命日だったんです!ちょっと運命を感じました。もちろんあなたの才能をわけて。。。とお願いしました。*ショパンの心臓はここにはなく、故郷ワルシャワにあるそうです。 次は骨壺安置所でマリア・カラスを探すがみつからず断念!30分も時間をとったのでしょうがなくOscar Wildのお墓へ。うわー、キスマークがいっぱい!ワイルドの作品を一度も読んだことがない筆者はこのキスのは共感できませんでしたが本当にファンが多いんだなとうなずけました。早速読んでみなくては!と思いました。 しかし・・・マリア・カラスがあきらめきれない。よし、これはアタックするしかないと思って、とおりがかった優しそうな男性に「すみません、あなたのもってるマップとわたしのと比べていいですか?」と聞いてみることに。そうすると「あ、私も今行くとこなんでいっしょに行きますか?」と意気投合。 彼はなんとカザフスタンからやってきていたロシア語と英語を話すので英語で話すことに。当然か!(久々なのでうまく出るまで時間がかかった。爆)カザフスタン人と話したのは初めて。名前はDenisといいすごく良い人で良かった! もう一度骨壺安置所Columbariumにもどり、一度探してたところを案内するとあったーーー!私が学部の時、大好きで毎日聞いていたオペラの歌姫カラスのお墓。でもショパンなんかとくらべると骨壺だけで、なんだかさみしい。Denisも「カラスって大きな存在感だから、こんなにお墓が小さいとなんだか変だよね」と言ってました。ここでもしっかり「金曜日、しっかり歌えるように応援してください」とお祈りしました。 次はDenisのおすすめでシャンソン歌手 エディット・ピアフのお墓へ。ここはファンの人がいっぱいで墓に近づくのが難しいくらい。恋人の飛行機墜落の訃報をクラブの出演前に聞いたのに、気丈にも歌い始めたピアフ。でも有名な愛の讃歌の途中に倒れます。この歌詞はその時のピアフにはあまりにもむごすぎるのがわかると思います。 Si un jour la vie t’arrache a moi,Si tu meurs,que tu sois loin de moi,Peu m'importe si tu m'aimes.Car moi,Je mourrai aussi.Nous aurons pour nous l'eternite...いつか人生が 私からあなたを引き離してもあなたが死んでしまっても、私から遠ざかってしまってもあなたが私を愛してくれるなら、どうでもいいのこの私だって 死ぬのでしょうから私たちは 二人のための永遠の世界を手に入れるの・・・ 大野修平・野村次郎 編著「シャンソンで覚えるフランス語1」より ピアフのお墓を訪ねたことでどうしてもペールラシェーズで訪れなければいけないところを思い出しました。それは有名なシャンソンの「サクランボの実る頃 Le temps de ceries」にまつわるところです。この曲をVan Goghという映画(Jacques Dutronc監督 1992)の中で聞いたばかりなので思い出したんですが、実はこの曲は悲しい思い出が秘められているのです。 長くなったので番外編に続く・・・・
2008/10/14
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土日はブログがUpできなくて、3日ぶりの日記です。先週末はパリ在住で、ヨーロッパで大活躍中のプロの声楽家 香織・Iさんのお家にお泊りに行きました香織さんは私の師匠Julie Hassler先生のお家にも近いサン・ド二(Metro:Saint-Denis l'Universite)に住んでいて、なんと歌の稼ぎで一軒家まで買ってしまったというすごいお方です。 上の写真は歴代フランス王の墓所でもあるサン・ド二 バジリカ聖堂です。あのマリー・アントワネットもここに埋葬されています。 しかしサン・ド二は少々物騒な治安の悪い地域が多いので行く時はいつも200%くらいの用心をしていきます。 今回も無事に到着(前回は音楽仲間の後藤姉妹も一緒でした。)。目的はいよいよ今週金曜日に迫ったコンヴァトの入試調整のための練習を香織さんのお家でさせてもらうためと(ルノワールが、二人の少女がピアノを囲んでいる絵を書いていますが、その同型のピアノ メーカー:Pleyel があるのです!)、なんと・・・! 「アルバイト」のため!世界各国を飛び回る多忙の声楽家はお家を掃除する暇もなし。今回のla Missionはお家のお掃除☆彼女は先週の金曜日にマルセイユでのオペラ公演を終えて帰ってきたばかり。さぞかし疲れてるだろうと思うってお邪魔すると・・・・。 パワフルの一言に尽きます。土曜日の午後、日曜日は一日中、バロックダンスのレッスンに行ってしまわれました。 私はその間にお家をピカピカにするというのがお仕事内容。でも庭も離れも屋根裏部屋も地下のワインセラーもあって、「いつもの仕事量と変わらんじゃん!」と思うほどの広さ。歌の練習はそこそこにとどめ、お掃除しまくった! そして香織さんのお家でとれたPomme de terre(じゃがいも)の収穫祭をしました!ちょっと赤みがかったイモでうまい!主食でいただきました そしてアルバイト報酬で2日で60ユーロ、ご飯代もすべて出してもらったにもかかわらず、こんな素敵な靴までいただいてしまったのでした(初のフランスでの収入で、本当にうれしい!!!) ただ、あまり素敵な自然環境なため、毎晩、蚊の襲撃に遭いわたしのおでこは数えただけで10か所もかまれるという大災難にあったのでした。汚い絵ですみません 明日はコンヴァト(11区)の授業の日!De la Barreの「Quand on vous dit」を初めて持って行くので頑張らなくちゃ!(Julieが私に選曲した課題で、はじめて持っていく曲)日曜日は喉が硬かったので、治るかなー?今日は早く寝て、明日に備えることにします。Bon nuit a tous! *当ブログの写真はすべて筆者が撮った、とれたてのものをお送りしております
2008/10/13
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秋 深し天 高く 馬 肥ゆあれ、これも? きみ、お口が黒いよ・・・・ぶたさんも コロコロしてますね 今日はPOISSYでいつもと一味違ったマルシェがたっていました。いつものマンションの駐車場に設置されてるのは同じですが足元には藁がしかれ、秋の収穫をイメージしてあります!おなじみのチーズ(でかっ!)ワイン、洋服、はちみつ、SAUCISSONと呼ばれるサラミを売るお店エスカルゴやブルターニュのお菓子、TOUSSAINT(こちらのお盆)が近いので菊中心のお花やさん(フランスもお葬式のイメージの花は菊です。)そうそう、ハロウィーンも近いのでかぼちゃも売ってました!今日撮れたての秋の1シーンでした 土日はいよいよ受験1週間前になったので調整に入るためブログはお休みします!ではみなさん良い週末を!
2008/10/11
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今日は母と国際電話をしましたステイ先のP家はフランステレコムのサービスで、固定電話への通話なら無料安心していつも電話できます。 今日電話したのは実は母がフランスへ10月末に遊びにくるという相談妹のブログでご存じの方もおられると思いますが、母は5月に肺がんの手術をしたばかり。 でも経過が順調で、なんとドクターの許可が降りたからなのです フランスはもうすぐTOUSSAINT(トゥッサンと発音)。11月1日がキリスト教の諸聖人の大祝日になっており、日本のお盆にあたるため小学校をはじめ、企業も秋休みがあるのです。 メモ:万聖節、万霊節とも言う。All Soul's Dayと英語では言い、この世を去ったすべての信徒を記念する日にあたる。その翌日は諸魂日。Richard Straussの歌曲で「万霊節」という歌がありますが、詩もメロディーも本当に美しいです。おすすめ!!!! 私のコンヴァトももちろんお休み。そこで母と南仏旅行を計画することになりました! 私のマイブームはゴッホなので、アルルに行って彼がひまわりを描いたアトリエの跡なども見たいですけど、本当の目的は・・・・ 聖ベルナデッタがマリア様に18回会ったという聖地がフランスの南部にあるからです。その地はルルドといい、マリア様が出現したところのお水を飲むと難病が治るという奇跡がたくさんおこっています。だから今も全世界から巡礼者が後をたちません。詳しくはhttp://www.cybersuds.co.jp/ge/lourdes(ルルド巡礼センターのホームページです。) 母も術後は順調ですが、まだまだ再発の心配をしています。だからルルドのお水を飲んで(沐浴もできるそうです)その心配を取り除いてあげたいのが私の希望。 お母さん、早く手配するので、パスポート早く手配してねーフランスは今紅葉まっさかり、空は澄みわたり、とてもきれいだよー!
2008/10/09
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新型メトロ メトロ2番線 駅:NATION今日はちょっと疲れているので、火曜日にコンヴァトに行ったときに乗った新型メトロをUPしまーす パリに来られた方は「意外にパリの電車って古くて汚いかも・・・」と思われたと思います。電車のアナウンスもないし、扉も自動で開かないし・・・。自動改札になって、NAVIGOもできてずいぶん便利になりましたが、本体は・・・。 これが私のパリに来たときの感想。東京の生活の便利で、早くて、快適なのも世界の視野からみると稀有な存在なのかもしれませんが。 しかし!メトロにも新型が!いつできたのかは実は知らなくて、初めて遭遇して感動ーーーーー私は左膝の側副靭帯を切断してからはたくさん階段のあるメトロが嫌いになり、もっぱらバス派。(バスはいいですよーーー!)でも、このメトロなら乗ってもいいな!ね、ドアも自動だし、電光掲示板もつくし、アナウンスも流れるの♪得した気分になりました。 が・・・、 その帰りの話。RER線に乗り換えて、POISSY行きに乗ってたらいつの間にか車内に人がいない!外を見ると地下鉄の構内みたいにまっくら。電車もずっと動かない・・。新聞を読んで集中しているうちに、乗り換えるのを忘れて電車が車庫に入ってしまったのでした。「これで車内の電気が消えたらまっくらじゃん。怖い。。困った」と途方にくれてると、窓の外から覗いてる男の人が・・・・背筋がぞーーーっとしました。その人はドアのボタンを外から押して車内に入ってきて(この時はボタン式も良いと思った!)、「 Vous avez dormi?寝てたの?」と聞くので、助けてくれると思い、違ったけど、すかさず「Oui」と答えました。「ついてきて」というので、何やら電車の外の暗い細いトンネル道をとおると、そこは運転席のある一番前の車両!「入って」と勧められ、そのおじさんは鍵をとりだし、電車にあかりをつけると運転しはじめたのです。私服だからてっきり怪しい人と思ったけど、運転手さんだったのねそのまま、無料で乗り換え駅まで運転してくれ、「POISSY行きは階段上がって向こう側だから」と親切に教えてくれました!運転手さんありがとう!Je vous remerci!(RERの運転席に入った日本人初かも!?)でした。 明日は今日オペラ通りの近くのBOOK OFFでゴッホの手紙を入手したので、それについてかければなあと思います。 ***今日の お昼ごはん***今日のお昼はまた味噌ラーメン開発!(パリの全部の味噌ラーメンをリサーチ中)今日はルーブル近くの「ひぐま」に行きました。 パリの味噌ラーメン 勝手にランキング注:これはあくまで個人的な主観のもとに書いています。1 ZEN 善 スープ、麺とも一番おいしい。ちゃんと日本人のスタッフが作ってる。今年の春オープンした新しくてきれいなお店。9ユーロ。MENUもあるよ。麺はさすがに自家製麺と感じられる卵入りの中太縮れ系。でももうちょっと開発もできるかな?と2回目の時は思いました。ここの1品料理、カレーライスもなかなかおいしい。夜の晩酌セットみたいなのもなかなかでした。寿司コーナーもある!2 ひぐま スープおいしい!麺は自家製?卵入り太麺で、スープとの相性もばっちり。あとコストパフォーマンスが素晴らしい!7ユーロ。中国系のホール係の人ばかりだったので、料理人も中国の人?内装もそんな感じで中国・日本のインテリアがごちゃまぜな感じ。でも満員で人気店みたい。日本の観光客たくさん。3 かどや 完全に中国系?ベトナム系?の人が経営してるお店。国虎屋のななめ前で、そこが満席だから偶然に入ったお店だけど、中華系の人がやってるお店の麺はおいしい。たまご入りの太いちぢれ麺。スープもおいしいし、上にのってる野菜もたくさんでかなり満足。4 きんたろう スープがおいしいのでこの位置にきてる。お昼時はいつも満員になる日本人が経営してるお店。だけど、厨房はフランス人のお母さん風な人が一生懸命作ってる。でも麺が・・・。なぜ灰色!?ぷつぷつ切れるし。残念。BOOKOFFのななめ前だから、利用はしやすいかな。5 熊本ラーメン 麺は4位のきんたろうと同じもの。ここはホールの人は日本人、作ってる人は半々?ちょっと見た目ではわからなかった。スープはまあまあなんだけど、もう一つ味に深みが欲しいところ。焼きそばはとてもおいしそうだった。6 サッポロラーメン2 サッポロラーメン系 チェーン店になってて、オペラの近くと、St ROCH教会の近くと、国虎屋の横にある。オペラの近くのお店は近くのホテルと提携していて、ペットボトルのお水がただでもらえてよかった(2007年)でも味は・・・。いま一つ。2のほうは、多分味噌ラーメンのためにはもう行かない。JAZZ PIANISTのクリヤマコトさんがブログで大絶賛してたので行ってみたけど、、、まずい。麺は例の灰色の麺です。スープは薄いです。色がついてるだけ。フランス人の(移民系?)人が作ってるからしょうがないのかもしれないけど、経営はパリには珍しい日本のおじちゃんって感じの男性が切り盛りしてる様子。食べたことあるのかなー?友達がバイトしてるので、また行くかもしれないけど、味噌はやめておこうと思いました!以上勝手にランキングでした。これからもおいしい味噌ラーメンを求めてパリの町を探し歩こうと思います。母へ:こんなにいつも食べあるいてないからね。ラーメンを食べにいく、うどんを食べに行く時は、ちょっと元気ないとき、落ち込んだ時だけです。1杯1000円以上するからお財布のひもを固くしてるので、安心してください。ただ、マクドナルドがセットで7ユーロ50くらいするので、それを考えるとラーメンのほうがいいかな・・と思うだけです。ちなみにサンドイッチの相場はパリだと4ユーロです。高いの!!!!
2008/10/09
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連載5回目 最終章*本日2つ目のUpですので、連載4回目からお読みください。 炎の画家 ゴッホの終焉地オヴェール シュル オワーズへの旅le petit voyage de Auvers sur Oise ガシェ医師の庭からみた町なみ(セザンヌが住んだ界隈が近い) テオは彼の死から2か月後、兄の回顧展を開きます。しかし、10月。彼の心も張り裂けてしましました。ゴッホがテオのために死を選んだことに気づき、彼の優しい心が耐えられなかったからです。ゴッホの死の半年後の1891年1月25日。 テオは妻のヨハンナと子供を残し、天に召されました。 ガシェ医師の庭 ゴッホ(オルセー) 私は全くテオやフィンセントと一緒に生きている。ああ、あの間柄は際限もなく思いやりのある、優しい、美しいものだった。どんなに二人は互いを深く感じ合っていたことか、どんなに相手を理解し合っていたことか、また、ああ、ときにフィンセントの依存ぶりはどんなにいじらしかったことか、-テオは決してそれをフィンセントに感じさせなかった。 私のかわいい人、なつかしい、なつかしいテオ、一つ一つの言葉に、文章の一行一行に、私はあなたのことを思い出している。私たちが一緒に暮らした短いときの間に、あなたはどんなに深く私をあなた自身の一部にしてしまったことか。私はまだあなたと一緒に、あなたのそばで暮らしている。あなたの霊が私に霊感を与えつづけて下さいますように。そしてあなたの小さな子供が無事息災でやっていけますように。 1892年3月6日 テオの妻 ヨハンナの日記より ドイツのボンから演奏旅行に来ていた若者たち。メゾンラフィットでこの夜公演予定の合間に訪れていた。 旅行記の最後に ゴッホの部屋に入ったときから、熱いものがこみ上げてきて胸が苦しくなりました。部屋があまりにも小さかったこと、絵の具のあとが生々しく残っている戸棚を見て、まぎれもなくゴッホはここにいたんだと思うと、言葉にならない感情で心が震えました。 オヴェール・シュル・オワーズは印象派の聖地であり、ゴッホ以外にもたくさんの画家が集まった場所です。しかし、短い期間であっても何故人々がゴッホを訪ねてこの街にくるのかが、今回の小旅行でわかりました。 あの場所にはまだゴッホの魂が残っているからです。それも絵画にかける情熱ももちろんですが、絵を書くという気持ちはすべてテオにお金を残してやりたいという無償の愛が動機。 自分の生をかけて筆を進めたゴッホの気迫が、村のあちこちにまだ存在しているから私たちはこんなに惹きつけられてしまうのです。 カラスの描かれた麦畑は私が訪ねた時はきれいに刈り取られ、何もなく、ただ青空が一面に広がっていました。そこはとても静かで、風の音しか聞こえません。ゴッホがこの場所ですわって書いただろうと思うところに私も座り、死を選んだゴッホの気持ちと自分の気持ちを重ね合わせてみました。 あの絵は空は黒く渦巻き、カラスが群がり、道は途中で途切れているように見えました。しかしそれはゴッホが、弟への愛情と自分の生へのこだわりのはざまに、ほんの少しためらいを感じた自分を許せなかったのがあのように絵に噴出したのではないか・・・というのが私の感想です。死に行こうとしている自分に対し、まわりの自然はあまりにもまぶしく、生命の息吹が生き生きとあふれんばかりだったからです。 巨匠といわれる精神世界へ降りていって、追体験するのはこれが初めてで、しんどい作業でもありましたが、私の人生のこの時期にゴッホに出会えてよかったと思います。 無償の愛をかけてくれる母と、ひとりしかいない妹のことを自然に考えてしまいました。。。F I N 駅と村役場の間にあるゴッホ公園(旧ドービニーの庭)のとちの実
2008/10/08
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連載4回目(最終回第1章) 炎の画家 ゴッホ終焉の地オヴェール シュル オワーズへの旅le petit voyage de Auvers sur Oise 今日は彼の最後の65日間を追ってみたいと思います。 1890年5月17日、南仏のサン・レミ病院を去り、ゴッホはオワーズ川沿いの小さな村、オヴェール・シュル・オワーズに移り住みました。 その前にはパリのテオの家にも一時滞在しています。 テオ「 兄さんだいぶ良くなったね!元気そうだ!あ、フィンセトの顔を見てよ。会うの初めてだろ。兄さんの名前をつけたんだ。」 ゴッホ「 そうか、ありがとう。おやヨハンナも顔色が悪いじゃないか。病気なのかい?お前もすいぶん疲れてるみたいだが・・。」 テオ「 そうなんだ。子供たちは流行り病で病気ばかりするし、この家の問題も少しあって・・・。兄さんには黙っていようと思ったんだけど、実は仕事のことでもいろいろあって。」 ゴッホ「 ・・・!。私のせいでなにか問題があるのか?」 テオ 「 そうじゃないんだ。兄さんも知ってるとおり、パリではサロン画がもてはやされてるだろ。」 ゴッホ「 ああ。印象派達の絵がコンクールでことごとく無視されているという話は聞いている。」 テオ 「 そうなんだ。みんなちっともわかっていない。会社の上司が嫌がらせで新人のような仕事ばかりこちらにまわすんだ。僕が印象派の絵をたくさん仕入れたものだから。。。」 ゴッホ「 ・・・・・。」 テオ 「 兄さんには関係ないんだ。だから、大好きな絵をいつものように書いてて欲しい。兄さんの絵はやっと認められはじめたんだ!それに、あの村の夏の風景は最高だよ!あ、それに今夜は兄さんが来るのを聞きつけてロートレックがご飯を食べにきてくれるんだ!会うの久しぶりだろう? 」 ゴッホ「 ・・・・・。(耳に入らず考え事をしている。)」 注:この会話は大体の内容は事実に基づいていますが、あくまで筆者の想像によるものです。ゴッホの家をでたすぐの階段につづく小道この風景も、村役場(Mairie) この風景も、ノートルダム教会この風景も、教会の裏、墓地の前に広がる麦畑この風景も、私が描けば!! ゴッホは毎日思い画材を抱え、オヴェール中のあらゆる風景を描いていきました。(実際歩いてみましたが、ポントワーズに近い農家の家はかなり遠いです!バス停4,5つ分はあったと思います。)油彩がかわく時間も惜しむように。移り住んで75日の間に70点以上の作品を残したといいます。およそ一日に一枚半というペースになります。とくに、テオが大変だと知った7月以降の作品だけでも25点も残しています。 ゴッホの部屋の戸棚。絵の具のあとが生々しい。 この村出身のコロー(バルビゾン派)がこの間亡くなったと聞いた。死後、彼の絵の値段は上がり、代表作「晩鐘」にはすごい値段がついたと聞いた。 テオは私に十分良くしてくれた。かわいい子供二人も持ったというのに、まだ援助を続けてくれている。しかし、もうこれ以上彼を苦しめてはいけない。私が死ねば、この絵はもう少し高く売れるだろう・・・。麦畑の上の空7月27日。ピストルが彼の胸を撃ちぬきました。これは完全に計画され、発作によるものではありませんでした。場所は絵の舞台にえらんだ教会裏の麦畑あたりだろうと言われています。ゴッホの部屋 しかし死に切れず、自力で3階の部屋までたどりつき、ベッドの上で2日間もだえ苦しみました。隣の住人がその苦しみの声を聞いたと語っています。主治医であり、親交もあったガシェ医師が治療にあたりました。 7月28日。パリからテオが駆けつけます。ゴッホはもしかしたら弟を待っていたのかもしれません。 7月29日。早朝。こうして死にたかった ゴッホの最後の言葉。37歳4か月 テオに看取られながら息をひきとりました。 ぼくは生きている限りこの悲しみを決して忘れないでしょう。ただ一つ言えることは、彼が自分の望んでいた休息を見出したということです。しかし、今となって、よくあることですが、誰もが彼の才能を盛んに誉めたてています......。ああ、お母さん、彼はあんなにも、ぼくの、ぼく自身の兄さんだったのです。 テオが母へあてた手紙よりゴッホ(左)とテオ(右)の墓。 最終回第2章へつづく
2008/10/07
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連載3回目炎の画家 ゴッホの終焉地オヴェール シュル オワーズへの旅le petit voyage de Auvers sur Oise フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の37年という短い生涯を閉じたのは、ここオヴェールシュルオワーズ。 私はついにその地に降り立った。まさにオルセーで彼の絵からインスピレーションを得た時からここまで導かれるように・・・。 絵画好きな人なら彼がオランダ人ということはご存じであろう。何故、このフランスの地で最後の時をむかえたのか!? ゴッホは死産だった同名の兄がおり、そして3人の妹、生涯彼をいつも援助していた4つ年下のテオともう一人の弟に囲まれた7人兄弟の上から2番目だった。 彼の父は牧師だったが伯父3人が画商という絵が身近な環境で育っている。 16才のとき(1869)ゴッホは伯父が共同出資するハーグの画廊、グーピル商会に就職。勤勉で有能な店員だった。弟のテオも1872年(15才)でブリュッセルのグーピル商会に就職。テオは一生この会社に勤めながら、ゴッホを支援するのです。。。 今回の旅先で出会ったドイツのH堂におつとめのO氏に聞いた話だと(ありがとうございました!)、テオはその画廊に勤めていたため兄の作品が後世に残るものだと確信していたそうである。そのため、画材は何世紀も保存が効くように当時最高級のものを与えていたという。厚塗りのゴッホであるから画材も大量に必要だっただろう。ゴッホはまさに弟の力あってのゴッホなのだと確信。 テオは後に妹にこう手紙を送っている 「彼をいつでも援助し続けているのはまずいことではなかろうかと、ぼくは何度となく自問した。 そして、彼に自力でやってもらおうかと思ったこともいく度あるかもしれない。 しかし、同じように続けていくべきだと思う。彼は確かに芸術家だ。 やがて、彼の作品はおそらく崇高なものとなるだろう。もし、彼にまともな勉強ができないようなことをしたら、それは恥ずべき仕打ちだということになるだろう」 と。 20歳のゴッホは赴任先のロンドンで初恋、そして失恋を経験する。しかし彼女にはすでにフィアンセがいた。この出来事は彼の人生を大きく変え、また性格をも変えてしまう。 やる気を失ったゴッホは解雇され、職も転々とし始める。 そこで出会ったのが神。キリスト教に心のよりどころを見出した彼は牧師になろうと猛勉強を始める。しかしその度を超えた情熱は人々が理解しがたいものだった。 挫折のうちにデッサンをはじめる。その中に自分の生きがいを見つけ、独学で絵の勉強を始める。 1888年アルルに移った彼の行動であまりにも有名なのは耳切り事件。 彼は「黄色い家」で芸術家の共同体を作ろうといろんな人に声をかけるが、来てくれたのはゴーギャンだけ。強烈な個性の持ち主の二人の生活は長くは続かなかった。怒って錯乱状態になったゴッホはカミソリをもってゴーギャンを追いかけるが間に合わず、自分の耳たぶをきりとり、娼婦の女のところへ贈り物だと送りつけた。その女が警察に通報し、事件となる。 この後からゴッホは発作を起こすようになる。その引き金になったのはゴーギャンが去ったショック、大量のアルコールなども考えられるが、ゴッホを支えてきた弟の結婚も不安の一部だったと言われている。自分はみんなに見放される・・と思ったのだろう。とくに彼を支えている弟の援助が打ち切られるという恐怖はゴッホにとってかなりなものだったようだ。 サン・レミの精神病院では病室以外にテオはもう一つアトリエとして病室を用意していた。順調に見えたゴッホだったが、彼は単調な毎日で創作活動が停滞するように思え、他に移ることを希望する。 そして、この地パリ近郊のオヴェールに移りすむことになるのです。 ゴッホの住んだカフェ ラヴー(3階がゴッホの部屋) なぜ筆者がまどろっこしく、旅行記を書かず、ゴッホの一生に触れたか・・・。オヴェール シュル オワーズに移りすむまでの苦労がわかってないと、ゴッホとテオの兄弟の絆を理解していないとこの地でのゴッホの真の気持ちはわからないと思ったからです。できればこれを読んでくださる人とも一緒に共感したい!!! 彼は精神錯乱の発作を抱えており、狂人と呼ぶ人もいたかもしれません。ゴッホは最後ピストル自殺をします。しかし、それは完全に計算しつくされ、慈愛にみちた彼なりの愛の表現だったのです! 次回へ続くこうご期待! 次回最終回:ゴッホの最後の65日。1890年の暑い夏。ゴッホよ、あなたに会えて良かった。(写真を加工するソフトを入れてなくて、うまくできるかどうか・・。文章だけになったらごめんなさい!)
2008/10/07
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連載2回目炎の画家ゴッホの終焉地オヴェール シュル オワーズへの旅le petit voyage d'Auvers-sur-Oise 1回目の終わり方が心臓に悪いと母から指摘がありました。ごめんごめん!でも、本当に大変だったんだから!(あまり大変で写真をとる余裕がなかったため、今回は文字がほとんどです。)++++++++++++++++++++++++++++++乗り換えするプラットホームを早速間違えた!!(汗)しかし人気がないのに気がつき、走って隣のホームへ行き セーフ。Creilから来た電車に飛び乗る。これで間違えなければ、あと4駅でAuvers sur Oiseだ。車窓からはのどかな田園風景が広がり、赤い屋根のかわいい家も見られる。電車の地図で何度も確認。そこであることに気がついた! がーーーん!!!!ここはZONE5のエリアで実は定期で来られた範囲だった!!!切符は往復で10ユーロ(今日のレート145円。1450円くらい)近くする。「10ユーロあったら1週間暮らせたのに!!!」日ごろ、超がつくくらいの節制生活をしている筆者はここですごーく落ち込んでしまった。 落ち込んでいる内に電車は「Valmondois」に到着。(目的地の隣駅)しかしなにやらたくさん人が降りはじめ、斜め後ろを振り返ると階段の上に「Auvers sur Oise」の文字が!!(一体ここはどこ?)・・・と考えているうちに黒人の男の人がなんだかぶつくさ言いながら降りている。一瞬のその言葉の中に『Auvers sur Oise』の言葉をキャッチする。 (着いたの!?)看板は間違えようもなく大きな文字でAuve・・・と書いてあるし、でもホームの看板にはヴァルモンドワと書いてあるし・・・。 とりあえず荷物をつかんで電車を降りる!ホームでどうしようとパニックになってまごまごしていると、(あ、やっぱりここは違う!!!!!!!)と気がついたとき・・・ぷすーーーーーーーーー無情にも電車のドアはしまった! そうです。やってしまったのです。あと一駅で着くというときに電車を降りてしまったのです。定期で来られることを知って動揺してしまっている内に冷静さを失い、とんでもない間違いをしてしまいました。 *みなさんは直通電車で行かれることをつよくお勧めします。 そこへちょうど白いマフラーの黒人の女性が通ったので、「ここからオヴェールシュルオワーズまで歩けますか?」と聞くと 「C'est pas Possible 不可能よ。」 ・・・と、あっさり言われてしまいました そうなのです。郊外だから1駅の間隔がとても長いのを忘れていました。 次の時刻を確認しに、電光掲示板を見ると・・・11時!今は10時!え、一時間もないの!!!! 土曜日なので電車の本数も減るし、もともと郊外だから覚悟はしていましたが・・・(爆)気温は日が昇ったとはいえ約10度強くらい。1時間待つことはできても、トイレは我慢ができないかも・・・などと不安が渦巻きます。 そこへ黒髪で目がくりくりしてるフランス人の女の子が近づいてきました。(何か探してる様子で) 女の子「この辺にバス停あるか知ってる?」 私 「ううん、知らない。私、間違えてさっきの電車降りちゃったの。」 女の子「次のまで一時間ないね。バス一緒に探す?」 そこで意気投合!女の子はかなりアクティブで、次々と会う人に声をかけバスのことを聞いてくれています。そこでわかったのはバス停は3箇所あるが、土曜日なのでバスがないかも、あっても少ないこと。会う人がみんな「チャンスに恵まれたらいいわね。」と同情してくれるくらい本数がない! そして私たちは駅の周りをくるくる歩き、3箇所のうち2箇所を発見!ついに彼女が行きたがっているPONTOISE行きのバスでAuvers sur Oiseを通るのを見つけました!バスは10分くらい待ってるとちゃんと来ました 彼女の名前はAurel オーレル(一般的に多いのはAureliaのほうですが、彼女は愛称なのかこちらのほうを名乗っていました。)パリの大学でAssistante socialale ソーシャルワーカーになるための勉強をしていて現在3年生。今年で大学を卒業したら働くんだそうです。年齢は18歳なので飛び級をしたのかな?(だったら優秀!)福祉関係のお仕事を目指してるだけあって心の温かさを感じる、すぐに意気投合できる素敵な雰囲気をもつ子でした。今大学で日本語を勉強しているそうなので家もPONTOISEで割り近いし、(なんとPOISSYからバスで1本で行けるのがわかった。爆)これから語学Echangerをするのを約束しました *だって、「あなたの国はどこ?」と聞かれ、最初全然わからなくってえ、PHOTO?え?それなあに?という感じだったのです。国はたいてい学校で習うフランス語はPaysで、photoっていったら写真・・・。若い人の使うフランス語は本当に日本と同じように違う言語みたいです。それを教えてもらうことにした! 旅に出ると出会いがあります。失敗しても、そこには何かの意味がある・・・。今回の出会いはその言葉を象徴するようでした。こうして私のゴッホの終焉地を訪ねる旅は始まったのでした! 次へつづく 次回予告:ゴッホの最後の部屋、ゴッホの絵と本物の風景。ゴッホの最後の65日 間に触れ、筆者の心はたまらなくかき乱される!カラスの群がる麦畑、オヴェールシュルオワーズ教会、ゴッホと同じ視線の先に筆者が見たものは!? こうご期待!
2008/10/06
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連載1回目炎の画家ゴッホの終焉地オヴェール シュル オワーズへの旅le petit voyage d'Auvers-sur-Oise 今日から何回かに分けて、ゴッホの終焉の地 オヴェール シュル オワーズを訪ねた旅行記を書こうと思います。術後の為に体力の心配な母と、薬が機内にもちこめないため旅行のできない体の弱い妹がこれを読んで同じ気分を味わってくれたらいいなあと思います!本当に今日は最高の日でした!!!!!起床6:15。まだ夜が明けてないため晴れかどうかはわからず。お弁当と水筒をリュックにつめて7:20、いざ出発! いつものバス停に着く。土曜日はバスが本数が少なくなるため、1本逃すと大変なことになる。どうやら間に合ったみたい。7:35に来るって書いてあるけど、まだかな? 今日は本当に寒くて吐く息が白いほど。こごえちゃうよー!あ、やっとバスが来た! 土曜日だからバスはガラガラ。バスもびゅんびゅん飛ばしてる。いつもと同じバスなのに、なんだか遠足気分。すごくわくわくしてきた!あ、もう少しで夜明けだ!雲は多いけど、なんだか良い天気になりそうだな!7:52、順調にPoissyに到着。ちょうど58分発のRERがあるからそれで行こう!無事に電車も出発!Poissyからパリまでは約30分。そのあいだに何度か蛇行しているセーヌ川の上を通る。あ、ちょうど夜明けの時にセーヌの上だ!今日行くオヴェールはオワズ川の近く。ピサロやセザンヌも好んで題材にした川。今日は見ることができるかなあ? どうにかB線にも乗りかえられてGare du Nordへ到着。早く着きすぎて、9:56分の直行便にはまだ1時間も時間があるなあ。待てよ、あと3分でPontoise行きの電車がある!試しに乗ってみよう!(乗り込む)…間違ったかな。31番線からのっちゃったけど、本当に平気かな?2番目の駅名であってるし、大丈夫か!(本当に気楽な私。)安心したのでおまちかねの朝食!サンドイッチとバナナとあったかい紅茶旅行気分を満喫!かなり一人で盛り上がってる!!(笑)(でも心配でなんどもSNCFの地図と駅名を確認してしまう小心者なのでした。)Gare du Nordを出発して、Saint-Denis....Groslay....Presles Courcells.....おっと、次のPersan Beaumontで乗り換えだ!あと4駅でつくということは目的地には10:03には到着だな。よしよし ところが!!!!人生そんなに甘くないのでした。容赦なく悲劇が筆者を襲ったのでした。 2回目へ続く・・・こうご期待
2008/10/05
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Gare du Nord に行きました 今日はほとんどmetro-boulot-dodoの日でした。でも一つ違うのは・・・初めて北駅に行ったこと! 今日も朝から微熱で這うようにして語学学校に行ったのですが、それには訳が・・・!北駅で土曜日にゴッホの終焉の地Auvers sur Oiseへ行くための切符を買うのと駅の下見がしたかったからです。 いろんな方の旅行記やブログを読んで、「これは今日行っておかないと大変なことになる・・・」と感じたから。 なぜって・・・1北駅はスリや犯罪が多い・・・TGVやユーロスター(ロンドンとかに行ける国際TRAINですね。)なども出いりしていてるため、お金をもった旅行客が多い。なので「あ!」、という間に鞄や財布をすられる。囲まれるときもある。2METRO、RER線などものりこんでいるために乗り場が複雑で非常にわかりずらい。しかも、駅の人もどの列車がどのプラットホームなのか理解していない。そして駅自体がけっこう大きいので迷うと大変。3当日の切符窓口は大変込み合う!・・・なのに封鎖してあるGUICHETもある。どうして! こんな感じなのです。そういえば、はじめてモンパルナスに行ったとき心臓がばくばくして、本当にTGVの切符が買えるかどうか心配してた去年のことを思い出しました!(今は多少語学力がUPして、フランスにも慣れたので死ぬほどドキドキはないけど・・。でもスリは怖い!) 上記の写真でもわかるようにいろんな通路が入り組んでいて、下にはメトロとRERが走っており、アトリウムを囲むように最上階に大きな2つのプラットホームがあります。 試しに3つの窓口で「普段、Auvders sur Oiseへ直行の電車ってどこからでてるの?」と聞いてみました。 ・TGVのおじさんは「ここじゃないよ。まっすぐいって右。(21番ホームのほう)」 ・21番ホームの前の窓口のお姉さんは「ここじゃないよ。明日は17番だよ。(もときたTGVのほう。」 どっちやねん! ・下の窓口のお兄さんは「えー、いつもころころ変わるから。掲示板みてね。」これが一番まともな答えかも。 フランス人はいつもツンとしているイメージですが、困ってる人、いかにもフランス語ダメそうな人(この私。いつもすごい形相で必死に質問しているためか、みんな眉をひそめるの。くすん。)には親切今日のお姉さんはメモを書いて渡してくれました。MerciSNCFの掲示版。Auvers sur OiseはSt.LazareからPontoiseまで行って乗り換えるという手もあるんだけど、土日はGare du Nordから直行便がでているため、今回はこっちから行くことにしました。ChatletでAからB線に乗り換えるだけで行けちゃうし。(東京の感覚でいうと、私の住んでいるところは田園都市の中央林間(poissy)で、渋谷(Chatlet les Halles)でJRの埼京線(SNCF)に乗り換え、赤羽(Auvers..)まで行く・・・というかんじでしょうか。距離的にもそんな感じ?) 今日からマダムとムッシューはバルセロナに夫婦で旅行に行っていて、マミーが昼からきたから、ちょっと家の中はごたごたしてるんですが、明日は下見もしたことだし、ばっちり一日満喫してこようと思います!では明日にこうご期待
2008/10/03
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今日は朝から熱がでてダウン。ちょっと最近気温がぐっと下がった時があり、無理したのもあって喉が腫れて熱がでました。でも午後2時くらいには汗もたくさんでてシャワーを浴びるとすっきり! 私は現在Fille au pair(最初にJeuneをつけることもあるが、若くないのであえて言わないようにしてる。)フィーユ・オ・ペーという住み込みの家庭教師を仕事としています。でもそれは名前だけ・・・。本当のオペーとは全然かけ離れた仕事をしています。 オペーを知らない人のために説明すると、小さい子供のいる家庭に住み込んで、子供がエコールに行っている午前中は(9時から12時まで。たくさん勉強しないとオペービザが降りないため)語学学校、午後は少し自由時間があって午後4時くらいにエコールにお迎えに行き、宿題を手伝うというもの。お給料は語学学校の月謝と光熱費などがただになるというものです。これが普通の姿です。 しかし、ここの家のオペーはかなり苛酷で、家政婦にきたと思わないと精神的にやっていけない内容です。 朝は9時から10時半の語学学校で(規定より少ない。だから私は語学学校のの学生ビザで登録しています。)、自由時間もなく家に直行。片道約2時間の道のりなので、家についたらすぐ仕事時間。 仕事内容は2時から家の仕事で、大きなお屋敷をホテル状態にぴかぴかに掃除するというもの。子供の家庭教師は最初はやっていたけど、ベビーシッターがほとんどで、Femme de menage(掃除婦)といったほうが良いという感じです。 掃除はとにかく広いお屋敷なので6時にやっとすべてのフロアが掃除でき、そこからアイロンかけを終わるまで(平均7時か8時まで)かけるというものです。 そして子どもは全員、チョーがつくほど活発な男の子3人。今は慣れて、私たちの間にもそれなりに親密な関係ができましたが、それまではいたずらされる、暴力はふるわれる、つばを顔にはきかけられる・・・。小さいとは言え許されないことをいっぱいされました。まあ、こっちもおしりぺんぺんしましたけど(笑)今は子供たちがかわいいので、がんばっていられます。 しかし、当初予想と違うことに面喰い、大学院生活とのギャップと自分との理想の差にかなり苦しみました。(鬱になりかけた。)でも、マダムはやる気のある人が好きで、仕事に支障がなければコンヴァトに通っても良いということだったので、がんばれば学費、食費だけで通えるこの素晴らしい状況は自分には代えがたいものだったので、ここで頑張ることを決めました。(パリは家賃が高い!全部支出すればすぐ何十万円という資金があっという間に飛んでいってしまう。)節約すれば、一か月60~70ユーロで生きていけるからです。ユーロ高だった今年前半はお金の節約は死活問題でしたからね そんななか、やはり体の調子も悪くなるわけで、今日もダウン。まさか子供のお迎えはないよなー・・・。と思っていたら容赦なく「今日は上の子を病院につれていくから、調子の悪いとこ申し訳ないんだけど、いつもの時間に行ってくれるかなー?」 ・・・もちろん、Ouiというしかありません。幸い熱が下がっていたため、気を奮いたたせていきましたよ。来たばかりのオペーの人だったら憤慨してただろうな。こういうシチュエーションが多いので、がっかりしたり、怒ったり、ストレスが貯まるのです。でもかわいい子供のためだから、がんばるか! パリはじめ、フランスの小学校は必ず(!)親の送り迎えが要ります。年長になってでもです。一人で帰ったり、子供同士で帰ることは許されていません。小さい子供が好きな変質者から守るためだと思うのですが、フランス人の女性は家庭に入ったりということが皆無。働きながら、みんな頑張っています。そこにたちはだかるのがこのお迎え。だから、みんなベビーシッター、オペーなんかが日常必要で、女の子のアルバイトでもベビーシッターはすごく需要があるので大抵の人が経験しています。 じゃあ、今日の報告。 Je suis allee chercher les enfants.お迎えを表現するのに「探す Chercher」を使うのは、なんだかかわいい表現ですぐ覚えたお迎えコースのいつもの小道。今日はあいにくの雨です。エコールの入口。かわいい絵がかいてあります。門のところには給食の献立が!今日は第1週のJEUDI。見えるかな?今日のメニューは・・・Betteraves, Mais 前菜にはビート(こっちでは小さいものが出回っていて生でサラダとして食べてます。もちろんお砂糖もとれます。)と、とうもろこしTarte provancale プロヴァンス風のタルト おいしそう!Salade verte グリーンサラダ 家の子は食べなかっただろうな。Saint bricet うーんわからない。見間違いかな?メイン料理の一種?Mousse au chocolat おいしそう!これは残さず食べただろうな!門を入ってすぐ右に曲がると校庭が広がっています。今日はあいにくの雨なので誰も遊んでないけど、いつもは子供でいっぱい。(いなかったから写真もとれたけど!)校舎まで入って、二人をGET!先生たちにはもう顔を覚えられて、Ma cherieと呼んでくれるまでになった。なんがか嬉しい。水色のカッパが真ん中の子のEti(一応愛称です。7歳)で、黒い傘の子がEdo 5歳。(Edoの下の図は石けりの枠です。日本にも似たのがある!)あーん、Edoー、その傘は私のなんだけど。。。しょうがなく微熱の中、雨にざぶざぶ濡れて帰りましたとさ。今日はもうこれで寝マース(現在7時!)おやすみなさーい
2008/10/02
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今日のお買いもの MUJI(無印良品)の単語カードForum des Halles にて日本だと158円なのが、こちらでは1.50ユーロ(今日のレートは1ユーロ148円だったので222円) いつも勉強している様子が感じられないブログなので、今日はやる気だけでもアピールしておこうと思います! 今日から10月。仏検受験まであと1か月半になってしまいました。いまさらながらに力を入れているのが語彙力のUP! でも覚えたら覚えただけ、複雑なことが日常会話で表現できるようになるので面白い。今日も早速覚えたてのEnvisager(計画する)を会話の授業で使ってみた。すーんなり意味が通じているのでおもしろい!現地にいるとこういう実験ができていいですな。(笑) そこで、私が普段愛用しているのがMUJIの単語カードシリーズ。最近のはパワーUPしていて、カバーはポリプロピレンで水ぬれにも安心だし、なんとインデックスがついていたり、色厚紙でしきりもあったり、バラバラしないようにゴムがついているものもある!本当に役にたってます。こっちで買うと割高だけど、機能が抜群に良いので、これ以外に使えないです。今日は2級を勉強し始めて3つめの単語カードを買いにいきました。1つに100枚カードが入っているので、2級レベルの約200語が制覇できたといったところ。(MUJIはシンプル好きなフランス人にも好評です。)仏検グッズ そこで私の勉強で愛用しているのが、上記の本。・完全予想 仏検2級 富田正二著(駿河台出版社)←左上・仏検2級・3級対応 フランス語重要表現・熟語集 久松健一著(駿河台出版社) ←右上・仏検合格のための 傾向と対策 準2級 森田秀二著(エディションフランセーズ) ←左下・仏検2級対応 でる順 仏検単語集(駿河台出版社) ←右下 準2級のはさくさく解けるのですが、やっぱり2級は難しい!知らない単語や表現が多すぎて本当に困ります。持っている級は実は3級。しかしパリは準2を実施しないので、やむ負えず2級に挑戦になりました。 2級は3級と違いディクテ(ヒヤリングにあたるもの)があるのですが、これが本当に苦手。意味はわかってもスペリングミスをたくさんしてしまいます。(ご存じのとおり、リエゾンや動詞の変化でふりまわされちゃう。) そこでいろんな補助教材もあわせて使っています。聴くだけのラピッドは単語のCDこれらは文法書 リュミエールには本当に助けられてます。あまり難しい本はないのですが、やはり基礎固めが大切なので仏検3,4級レベルの本も何度も見直しています。今日も関係代名詞のOUの使い方を忘れていて、恥ずかしかった! 最近では仏仏辞典が必要になってきました。フランス語で当たり前に使っていた言葉をフランス語で説明せよといわれて絶句することが多くなったから。私はMini Hachetteを使っています。やっぱりMiniは読みにくいので、今度はラルースを買ってみようかな左がMINI HACHETTEで、右が講談社学術文庫の「フランスことば事典」松原秀一著 フランスのことばを知る意味でとても興味深い読み物が「フランスことば事典」。フランス語を習ってなくても、言葉に興味のある人にも楽しく読める本です。結構役に立つので、日仏学院時代の友人にはすすめています。私はとくに古楽を古いフランス語で現在歌っているのでおもしろく読みました。言葉だけでなく、フランスの風物詩や文化なども垣間見ることができる1冊です。 さて、仏検2級でカヴァーしなければいけない単語数は600語。MUJIの単語帳があと3つ増えるかなー。まだ半分も終わってないのね。とほほ。。。(しかも熟語もある!)勉強しまーす!!!*仏検2級対応語句参考問題・・・でる順 単語集よりunbanisationとinflationのせいで、そのregionは深刻なfinaciere困難にPlongerした。(答えは明日!)
2008/10/01
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Musee d'Orsay1, Rue de la Legion d'Honneur 7eオルセー美術館(パリ三大美術館の一つ) 今日は朝からあいにくの雨。気温も低めで、相変わらずの出不精なので外出をためらっていましたが、今日はなんとフランスにきてちょうど半年!せっかくコンヴァトも休講の日なので、前からもう一回じっくりと見たかったオルセーに行ってきました 今回のお目当ては一番最上階にあるゴッホの「オヴェールの教会 Eglise d'Auvers-sur-Oise」。前回来たときは地上階から見始めたので、バルビゾン派のミレーなんかはじっくりみたのですが、一番上のロートレックなんかにたどり着いたときはふらふらになっていたので、今回は印象派をじっくり見ようと計画して回りました!セザンヌ「首吊りの家」 まず入ってすぐに目に飛び込んできたのはセザンヌの絵の数々!今まであんまり意識してみたことなかったし、特別好きでもなかったけど、今回見てとても好きになってしまいました。とくにこの「首吊りの家 cour de ferme a Auvers」は物騒な題名の絵だけど、お目当てのゴッホの終焉の地オヴェール・シュル・オワーズで描かれたものなので興味深くみていくうちに、その絵の味わいにひきこまれてしまいました。ゴッホ「オヴェールの教会 Eglise d'Auvers-sur-Oise」「双子 Les deux Fillettes」 セザンヌの絵で癒されたーと思って次の部屋へ行くとこんどは!!!!ゴッホのお部屋でした。なみなみならぬゴッホの気迫に圧倒されそうになりました。そしてお目当てのオヴェールの教会を発見。なんどもテレビのドキュメンタリーで取り上げられ、この教会をTVでみたことがあるのですが、普通に穏やかな教会がゴッホの目を通すと・・・。この2枚の絵は自殺した同年に書かれたもの。銃殺自殺をしてしまうほど心が荒んでいたゴッホにはかわいい双子もこんなにいじわるく映ってしまうんだろうか・・・と少し悲しくなりました。もう今週の土曜日は絶対Auvers-sur-Oiseをたずねてみようと心に決めましたアールヌーヴォーのお部屋メトロの看板がこんなところに!Hector Guimardの「Enseigne d'entourage du metropolitain 1900」 今回、いろいろな作品があるなかで印象深かったのは中階にあるアールデコ、アールヌーヴォーのコーナー。妹が観たら喜ぶだろうなあと思われる作品がたくさんありました! エミール・ガレのガラスなんかもよかったんだけど、前回は全然見た記憶がなかったのに今回は「すごい!」と思ったのが家具の数々。花や植物をモチーフにした曲線が家具のフォルムに用いられ、部屋全体がアールヌーヴォーしているところも!わずか10年で廃れたとはいえ、こうやって現在からみてもとても美しい パリ滞在中にぜひ観ておきたいのがメトロの看板で有名なギマールの建築物。パリ万博のときにデザインされたメトロの看板は約100年前のもの!すごいなー!ぜひ今年の秋にギメールのデザインを探しに古楽仲間の萌ちゃんとパリの街角を一緒にまわろうと思います。 妹が始めたブログがきっかけで、こんなにアクティブに毎日を楽しむことができています。ぱぴちゃん本当にありがとう。いつか元気になって、一緒に見て回ろうね!だから早く元気になってください。お母さんもだよ二人が興味がありそうなところをこれからもレポートできたらいいな。では明日からもがんばります!
2008/10/01
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