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と見るのが正しそうだ。これで、どんなに福田政権がジリ貧になろうとも町村や麻生に代えて任期満了まで瞬間最大風速を頼りにしながらノラリ・クラリと誤魔化すのだろう。かたや小沢代表の方も行き詰れば再びプッツンして前原の思惑どおり岡田が再登板するのかも知れない。あんまり書きたくないが橋下が結果的に勝ったということは幾ら理屈が通っていてもダメだと云うことである。もう長々とした理屈を聞き届けるほど人々からは心理的な余裕と云うものが奪われてしまっている。ただ何か変りそうだという漠然とした受けとめでしか選べないのだ。アメリカと距離を置き成功しているEUに比べて日本も韓国も余りにも極端にアメリカに引き摺られて散々な状況に陥っている。けれども韓国では日本よりも急速な勢いでジリ貧の流れに自国の方向性を乗せようとする動きが先の大統領選でハッキリ示されている。日本はどうか。いままでの流れで政策決定して良い筈がない。すくなくとも年金の問題は何年前からなのか。あるいは少子化といいながら産婦人科も小児科も実態は何か改善されようとしているのかい。社会保険がマトモに機能しないアメリカを範とした国づくりの方向性がマトモな訳がないと。もはやガソリンの25円をウダウダしているだけでは済まされない。それが電気やガスの料金を巡る4月以降の値上げに象徴されている。もっと本質的な問題であるエネルギーの在り方を通じての安全保障というか危機管理を政策パッケージとして練りこまないとピンと来ないし。食料を巡るトラブルも原産地も含めた環境問題に視野を広げる必要性を感じる。そう考えれば靖国問題などでゴタゴタするよりも良質な食糧生産を支援するために日本の政府ができることというのは確実にあるはずだ。なにかをあげつらうのではなくて良くする方向をつくりたい。
January 31, 2008
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という位に12月と1月とではNHKのトーンが変わっている。たしかに先週のNHKを見て三宅民夫の語りを聞きながら「エッ?」と時折、耳を疑ってはいたけれど。いったい「ワーキング・プア」の特集を流していた12月のNHKは何処へ行ってしまったんだろか。ホント。某ブログを読んで本当にエライことになっているのだと痛感する。あの「夜スペ」は明らかに何かを強いている。それだけは確かだ。いたるところにある公立中学校を「効率」中学校へとブリッジするための夜7時のNHKニュースか。部活を禁止する都の重点支援高校も一緒か。防衛省の組織再編は石破が以前も防衛庁長官時代に提案したものの守屋に潰されたのを守屋の失脚に乗じて再び持ち出したらしい。軍事評論家は文民統制という問いかけに「むしろ政治家や官僚がイラク派遣を推進し幕僚は反対した。だから逆に良いかも知れない。」と言ってた。たしかに守屋のスキャンダルやNHKのスキャンダルそのものは事実だ。けれど何となく材料として使われている気がしている。かたや民主党の政治家へスキャンダルが波及するのを恐れ一方は未だ安倍チンだけでなく中川倅がNHKを脅しているというのがバレバレの展開かな。どうもサンゴ事件以降、朝日の新聞とテレビも違和感を覚える。新聞を仕切る若宮の倅が竹中平蔵を熱狂的に支持し、テレビでは田原が純一郎の強烈なサポーターとして立ち回る。どうも「撃ちてし止まむ」の活字を躍らせた嘗ての体制翼賛的な「朝日」が大日章旗に見えてくる。けれどもメディアの良心なのか、未だベタな扱いでも新聞をよくよく見れば、テレビやラジオに耳を澄ませば客観的な事実としての報道は何とか残っている。ただ酷いと思うのはバイアスがかった報道に否応なくアクセントがついていること。これで何となく刷り込まれてくのだ。なぜガソリンなのか。もっとデカイ山はあるんじゃないか。これから延々と垂れ流されていく防衛省のカネ。これこそスキャンダルの責任として「自粛」させろ。そして年金問題を徹底的に議論しろ。いま20年度の予算を審議するときに何故、年金問題や防衛問題が浮上しない。ほんとうに生活を云々する上でキチンとムダを指摘するにはアグラを掻いている年金や防衛の問題を前の国会から引き続いて徹底的に洗い出さなきゃならない。その手間と労力を惜しんで安易に目先の期限がぶら下がってる法案を頼りに無手勝流の喧嘩を売っても野暮に過ぎない。これでは猪瀬に巻き返される。それこそ中途半端で自信のない民主党は一昨年の通常国会同様みっともない醜態を晒すことになる。いま福田が無責任を決め込んでいても退行する民主党にマトモな支持を表明するバカはいない。そこのところをキチンと読み込めるのだろうかいな。
January 30, 2008
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おととしは東横インの社長が発したコメントに複雑な心境となり、きょねんは安倍チンの演説に何ともいえない絶望を感じた。たしかに、いやーな空気は以前から蔓延していたけれども、なんかオカシイんじゃないかと思わないと自分の方が変になりそうな世の中になってきたよ。なんでも巷の流行りに飛びつくのが馬鹿らしくなってきた。そういう気持ちが、自分を旧暦の正月へと惹きつけている。なんでもグローバル・スタンダードでは狂ってしまうというのが、すくなくとも経験則として手前勝手ながら多少の自信を持って云える。まさに温故知新かと。ほとんど後知恵だと嗤われようが構わない。もっと時間を置きたい。あんましセッツイテだと確かに急がなきゃイケナイ、と云われるのもわかるが自分なりの判断を下そうとするには納得しないと前に進めない。そんなに慌てても最早、慌てるような状況だったら手遅れだろうに。いつも皆が賢い訳ではない。そういう意味で人間の集団は愚かだ。それでも寡頭制を否定するのは個人の尊厳というのを集団の在り方とは別に認めるという価値観を持つ共同体の存在を抜きにして語れない。たしかに間違いは起こる。取り返しのつかないことになるかもしれない。粒の大きなものは、いきなり目の細かいフルイにかけても通らない。ものごとにはステップがある。あたりまえのように何かの考え方が集団の内部に結果として支持されるようになるには実に幾重ものステップが必要となる。けれども人々の選好というものは不安定なものである。ベルルスコーニが仕掛けた完全比例代表で政権は皮肉にも僅差でプローディへと交代したと思いきや小党連立がこけたイタリア。選挙管理内閣下で再び小選挙区比例代表制に戻るらしい。いくらフォームを問うたところでママならぬ。さりとて今の状況も好ましい訳ではない日本。昨年12月のソウルの大統領選に始まり、ワシントンへの大統領候補レース、3月のタイペイの総統選、5月のロシアの大統領選と日本を取り巻く各国ではトップの交代が相次ぎそうだが2期目に入ったペキンと院政を引きそうなロシアと変革のソウル、ワシントン、タイペイか。地方選挙とはいえ負けた小沢。もう民主党に生活なんたらと云われてもピンと来ないというのが大阪府民の正直な声なのだろう。たしかに橋下への支持と民主と共産の候補者への支持とは大きな差ではない。けれど何かに向かって、まとまれない弱さというのは良いとは思えない。そういえば同じことを昨年の愛知県知事選挙でも思った。けっきょく根本的なところでは何も変わってはいない。ほんとうに勝つんだったら、橋下の自公に対して民主と共産は統一候補を立てる位の気迫を見せる必要があった。ただ共産が擁立を見送るだけを頼みにしていないか。ようするに民主党だけで自民党と公明党を倒せない、という単純なことが民主党にはいまだに見えていないし、わかろうとしていない。連立で楽をする癖のついた小沢は飽きもせずに適当な政局の材料をみつけては格好だけの与野党対決をうそぶくだろう。そんなホンネが見えた。
January 29, 2008
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きのうの出来事は後付けが利く。大阪国際女子も初場所の千秋楽も大阪府知事選も。30キロまでしか走らずに42.195キロのレースに挑む選手と監督の思考。3場所連続の優勝を何とか飾った横綱と2場所休場後に千秋楽を沸かせた横綱。弁護士に管財人を任せた大阪府民。とちゅうまでレースをテレビで眺めていたが彼女がぶっつけで走っていると知ったのは19位でのゴールを報じた晩のテレビだった。あのトラック内でしっかり足をつけろと馬鹿丸出しの指示を出していた監督。ああいう好い加減な指導者だから選手も可哀想だなあと感じました。マラソン競技で転倒するというのは選手の体調が極めて危険な状態に陥っている証拠なのに。あれだけ正月明けの箱根駅伝で脱水症状からダウンした選手の数々を見ながら彼女の監督には何も伝わらなかったのかという何ともいえない思いがあります。あれで指導者なのかいなと。そういう意味でスポーツの世界に饒舌は要らない。どうも彼女の言動にはマラソンをたんなるペキンへの踏み台くらいにしか考えていない甘さが見え隠れしていた。ああやって自分の準備不足をゴマカシテいる。その姿は何か他のプロ・スポーツの世界でも見たような気がします。その反面を初場所の千秋楽は見せた。いろんな意見はあっても初場所を沸かせたのは朝青龍。けれどもいろんな意味で千秋楽の結果は相撲ファンの溜飲を下げた。しばらくは朝青龍の復活としての優勝と白鵬の連覇とが大相撲の話題として首の皮一枚をつなぐことになるのだろう。大阪の抱える問題の根は深い。こういう指標を並べることが適切かどうかは別として沖縄県の指標が学力テストの成績や離婚率あるいはジニ係数で下位に挙げられているように、北海道と並び大阪も名前が挙がってくる。そういう意味では都市の格差を象徴している地域でもある。もし本気で民主党が格差の問題を考えたなら大阪府民に何を訴えるべきかは明瞭だった。それはガソリンなどといった目先の問題ではなかった。むしろ冷え込みに冷え切っている大阪という地域が何によって温もりを取り戻せるのかということを具体性を持って述べるべきだった。すくなくとも、ここ数年、いつも通常国会の時期になると思うのは、あれほど騒いでいた数々の問題はなんだったんだ、ということです。いつの間にか知らないうちに、どうでもいいことを吹聴されて一時的な騒ぎは起こるけれども肝心の問題は放置され続けているのですよねえ。あの日本年金機構がスタートしてしまうと何が現実の問題として生まれるのか。もう郵政民営化によって嫌と云う位に味わったはずです。その痛みを共有している人間なのか。そういう、つきつめをしてかないと肝心な問題を見失いそうです。年金問題と格差問題は繋がっている。
January 28, 2008
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けっきょく24日までに会長と副会長も詰め腹を切らされたNHK。日曜の昼前に新会長へのインタビューを流していた。企業メセナや都の美術館長などの職には留まるという。副会長職にはNHK出身者を充てる意向らしい。少なくとも経営委員長に比べたらマシな人選なのか。晩の6時過ぎにNHKを見ていたらケニアの情勢を伝えていた。あのケニアが約10年あまりの間に酷い惨状に置かれているのを見て考えさせられた。EUの選挙監視団が大統領選につき現職側に不正の疑いを投げかけ対立候補側と現職側とが部族間紛争を激化している様は複雑。そして晩の9時過ぎに見たNHKでは日米同盟をテーマに取り上げていた。25日にひっそりと署名が交わされた在日米軍駐留経費負担特別協定。それと呼応するかのように外相の高村は日米安全保障条約を超えたレベルでの同盟国としての関係を強調していたのが気に懸かった。さらには10時過ぎに見た教育テレビでは戦前の雑誌「改造」に寄せられながらも伏字や切り取り不掲載となった原稿の数々を通じて自主規制に端を発した言論の統制が最終的には廃業にまで追いやる様を刻々と描いていた。これと今の状況とに大きな差を感じないのが怖ろしい。
January 27, 2008
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曲線 F(x, y) = 0 上の点 P(x, y) と, 原点との距離が限りなく大きくなるとき, 点 P から一定直線に下ろした垂線の長さが限りなく小さくなるような定直線が存在するとき, その直線をこの曲線の漸近線 asymptote という。*以上、某ホームページから拝借による引用です。こんなシャチホコばった定義を即座に理解するほど柔軟な頭脳ではなくなった。もっと簡単にイメージすると「完全に、くっつきそうでいて、くっつききらない」と云う状態であろうか。たいていの事象というものは明瞭な軌跡を描きながら断定的な軌跡とはならないものである。いろいろと面倒がってフタをしていたものをひっくり返して見ると思っていた以上の状態で、ああ、やっちまったかなと多少の悔恨の情を覚えつつもドブを浚うように淡々とこなしていくことを決める。そうやって自分なりの明確な定義づけを一つひとつの困った出来事に与える。いつも時折あれは問題だなあと思い出しながら少しづつシークエンス・ランダムな読み出しと書き込みとを繰り返しながらエッチラ・オッチラと厄介ごとを片付けていく。どこまで根気を出すか。ただ、そこに懸かっている。とはいえ妬き切れてはいけない。その見極めに迷うが。ともあれ余裕がありそうでない。ただ自分の裁量があるというのが救いだ。あとは好い加減の程度そのものを自分なりに見定める勇気しかない。どこまでを自分で引っ張ればいいのかな。そういう見立てを試行錯誤する。こればかりは推測しかできない。あとでどう思われようと。たとえば定年まで残り5年前後のリーマンと20年前後のリーマンとでは干支ひとまわり分のズレがある。ある程度の牧歌的な郷愁にも似た平穏な追憶と現在とを好意的に良心的に重ねることのできる世代と最初の違和感から抜け出せずに拘泥している意識を抱える世代とのズレ。
January 26, 2008
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心の中に引っ掛るものを抱えながら年を越してしまった。できることならばサッサと片付けてしまえると気が楽になるのだけど。けれども何か気に懸かるからいいのかも知れない。どこかで自分を戒めるために。とはいえそんな余裕めいたコトバを垂れるほど呑気な日々でもない。ここのところ、というか年初から暫く経った時期と云うのは自分でエイヤッと踏ん張りながら足を前に踏み出そうとしないと、寒さのせいか何となく気持ちが坂を登る途中でのズリサガルような感覚にとらわれてしまいそうになる。というか、もうすでに実際にも転んだ訳だがね。それにしても、この頃は何だか腹の奥底から冷え込む。どこかイカン。ゆびさきから冷え切り二の腕の外側やら肘の辺りやらヒンヤリ感がただよっているのを自覚する。この空間の空気を暖めてやらないと消えない冷気。だからといって、やたらと暖めてしまうと何かを失いそう。どこかに意識が正気であるということを確かめたい。そう思ったときに冬の寒さは襲ってくるのではないかと勝手に考えている。それは脳ミソに酸素が必要となれば欠伸をするように何か自動的に組み込まれているのではないか。そういう方向へ自分を持って生きたいと無意識に。こうやって、かますびく巷では自分とは関係なさそうなニュースがすり抜けて行くけれども。いったい自分にとって本当に意味や価値のあるニュースとは何だろう。もっと世間などからは離れた極めて私的な領域を耕すことの意義。そんなものをむしろ大切にするべきなんだろう。そう考えながらも引っ込みがつかなかったり、逆に突っ込みようがなかったり要するに時機を明らかに逃してしまっている物事の数々が再び脳裏を過ぎり単に動揺を掻き立ててくれたりもする。どっかで体のよい区切りはつくのだろか。このエンドレスなバトンを持て余している。
January 25, 2008
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ということに今さら気づく。この時期に東京で雪が積もる、ということは気象異常そのものだということをようやく認識する。こうした極端な冷え込みと猛暑だけが日本の気候を規定して四季というコトバを過去の話にしつつある。ほんとうに秋とか春とか一体どこへいったのか。どうやらスキャンダルというものは事前に周到な仕込みがされているものらしい。そういったことを連日の特にテレビ・メディアで垂れ流されるニュースを時折、眺めながら感じている。なんで臨時国会後に守屋や宮崎らは保釈されたのか。そこら辺り匙加減みたいなものがある。どこまでも米国の逆鱗に触れない様にしたいということか。まるで2008年を待っていたかのようにテレビ・メディアからは連日のように「改革」の蒔き直しが連呼されている。これはあからさまなプロパガンダだ。こうやって再びマインド・コントロールされていくのかいな。いろんな騒動はあったNHK。どうも騒動は意図的に煽られているフシがある。それが平蔵のNHK潰しに見事なまでにリンクする。その動きは会長を任期満了まで安泰とさせず揺さぶり続ける。あの朝日新聞の社長から吐かれるコメントはナベツネより遥かに危険な香りがする。なんとなく「改革」のヤリダマとして近年になって話題化しているものの相当数は米国にとり収奪のターゲットそのものでしかないのではないか、という確信が強まってきた。サブ・プラ問題を見ていると東京市場だけでなく日本政府あるいは日本国民の資産まで収奪されそうだ。とうとう日本での国民負担率は40%台を確実に突破しつづけそうである。これで何で年金や介護や医療や育児といった社会保障・福祉のレベルがジリ貧に下がり続けているのだろうか。その反面で相変らず悠長に道路特定財源は当面の間を連呼しながら既得権化し続けているし。この国民負担率にしてあまりにも粗末な社会福祉。そこに日本の国が抱えている問題の病巣は示されている。じゃあ国民負担の大半は何に費やされているのか。それを国民の前に晒す仕事こそが議員の第一義的なものではないのか。それをしないで互いにはしゃぐのはやめてくれ。そういう意味で輿石の腰の引けた代表質問は情けなかった。せめて市田くらいのセリフを吐くのが常識だと思うしマトモなセンスだと思わないのか。あんだけ地方の地域医療を崩壊させてドクター・ヘリを整備するというセンスと同じボケ・ツッコミを浜四津オバサンには感じた。たしか限界集落となった地域の大半は昔、国の政策に素直に従った。あの夕張だって同じ様に当時の国からの政策メニューに素直に従った。それで今は逆にナンクセをつけられ批難されるのは何ともやるせない。それと同じニオイを民営化路線は放っている。素直に信じられない。
January 24, 2008
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なんだか突き詰めていくと、みじめな感情に行き着く。こうやって雪景色を眺めながら溜め息をついている。もう雪が積もった矢先から雨に変わり再びグシャグシャの地べたが姿を見せて現実というものを見せる。それは自分の内心における心情を表現しているかのように見える。おととしの不安は今の怯えにつながっている。それは毎年がネコの目みたいに変わり続けてく半径5メートルくらいのちっぽけな、けれども軽視できない日々の世界というものの限りから読み取られる感覚みたいなものと極めて密接な関係を持っている。なんだか、逃れられない。かたや入れ替え可能だ、と云いながらコアの部分ではオリジンを失いたくないと叫んでいる。そういう情けないくらいに怯えている自分が映っている、窓。そんな透き通りそうな世界しかないという現実は既に鏡などという強力な反射すら失っていて何だか頼りないの極みである。すこし浮かれているとグサリとやられてしまいそうな恐怖。そんな不安定感の中をただよっている。なかなか抜け出せそうにないトンネル。その行き着く先を見るのも何かためらわれる。さむい、というのは何かに吸い取られそうな感覚を自分に呼び覚ます。そんな気がしている。
January 23, 2008
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そんな思いが日増しに募る。いつの間にか日の暮れ方は12月よりも緩やかとなり旧暦の方が正確に春の訪れの兆しを告げてくれている。あと一週間もすれば新暦の正月は終わるけれども本当の初春は旧暦の正月が近づくほど実感できる。それが数日来の冷え込み加減と合わさる。いつか福田康夫は今のガソリン価格は四半世紀前と変わらないし二十数年前には169円まで高騰したと平然と口にしていた。あの当時と同じだと云いたかった本当の気持ちは何なのか。どうやらアメリカの衰退と軌を一つにして日本も衰退の道を着実に歩み始めた証なのだろう。どうも最後の所で結局は消費税率の引き上げをしないと今の現状は打開されないと云う風に巷で流れるメディアの言説は統一されている。そうだろうか。もっと根本的な所へ遡れないのは何かが邪魔しているのではないか。そんな懸念を年明けからの数週間で実感をして来ている。ほんとに道路公団民営化は正しかったのか。あるいは郵政民営化はマトモな選択だったのか。それは今のJRやJTやNTTは当時に喧伝されていたとおりだったのかということとの対比からでも再考されなければならない。そんなことをプライマリ・バランスという言葉に想う。あの当時も増税なき財政再建とか云って歳出削減を予算枠方式で行い赤字国債の発行をゼロにした途端、一般間接税という言葉で消費税が持ち出された。そして20年ほどが経っても同じ様な手口で再び騙されようとしている。もっと市井の人間は身近な過去の歴史に敏感であれ。さらに付言しなければならないのは20年ほど前の当時と違って日本は完全に米国から搾取の対象とされ続けている、という事実である。もはやモノ・ベースではなくレートというカネ・ベースの価値体系に縛られた米国を中心として金融という世界に日本は縛りつけられている。ほんとうの民主主義は効率とは直結しない。むしろ国家の内に遍く富を分配するために機能をさせるための道具立てに過ぎない。つまるところ経済的な効率を極限まで追い求めていくなら市場を極大化し政府の存在は皆無に近づけばいい。それが新自由主義の簡単な考えそのもの。たしかに日本の外と如何に折り合いをつけるかという側面を忘れてはならない。けれども徒に協調という言葉を何でも無原則に受け容れるべきか。もう少し考えた方がいい。あるがままに呑み込むだけでは互いの言い分は行き交わない。せめて話が行き交うくらい話はできないか。あのEU諸国の国富は軒並み目立つ反面で日本の衰退は名実ともに顕著になった。そのことを某大臣は敢えて言いたかったのか。どう考えても今の日本は貧しい。それは経済的な富を適正に配分するべき役割を本来的に担っている政府の空洞化を象徴しているのだとも云えまいか。そう考えると中身を失ったガバガバの政府という存在がナンクセをつけて収奪したカネは政府という名のザルを通過して収奪された奴らをせせら笑うかのようにして見知らぬ誰かの所へと還流していくようにも見える。その一つが消費税の益税だったりキャピタルゲインだったり。この国は、いや、この国の政府は一体、誰のために存在しているのか。そういう根本的な疑問をやはり抱いてしまう。どんな形でも生まれた子どもにマトモな権利を与えもせずに社会的な立場を抹殺してしまうよな国で出生率は回復するのだろうか。制度が差別を生んでいないか。いわば本音と建前のタテマエだけが理屈が良いからとスルーする社会になってきているヨウナ気がします。もっとホンネのところを掘り下げて考えたら、ヒトがシアワセになる、であるという状態とは、というレベルから物事を考えられるようになるんじゃないかと思うのですが。
January 22, 2008
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らしく一昨晩に宿から土産物屋へ行こうとした屋外で思い切り後方へ転倒し後頭部を痛打して再び宿へ戻りフロントでアイスノンを借りて寝た。どうも冬の温泉場は昔からダメで露天風呂で転んだりしている。いつも受け身を意識しないと等と反省しながら懲りずに転んでいるが。
January 21, 2008
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おとといの晩から出かけて戻ってきた。だんだんスキーそのものへの興味は大して湧かなくて何となく気分転換のために行っている。ただ日々の細々としたクダラナイ下卑た心情を消して単純な無邪気さにも似た懐かしさを帯びた感情の芽生えを暫しの間だけ楽しみ寛ぐのだけど。
January 20, 2008
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January 19, 2008
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January 18, 2008
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January 17, 2008
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January 16, 2008
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January 15, 2008
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January 14, 2008
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January 13, 2008
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January 12, 2008
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January 11, 2008
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January 10, 2008
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というか何となく考えさせられるコトバの断片を思いつくまま気づくまま拾って貼り付ける。こうやって意図的に改行したりしてみると文章にも詩のようなリズムを感じる気がする。いや惹きつけられる文章と云うものには独特のリズムが内包されている、というのが適切なのか。 やっぱり官僚やブレーンより当事者こそ切実なニーズを持っている。 これまで「利害の絡む当事者に公共の政策づくりはできない」と行政は相手にせず、 民の側も「行政には当事者の気持ちなどわかるわけがない」 と思い込んでいたのではないか。 相互不信と自己保身である。 どこまで緊張感や使命感が持続するかわからないが、 忍耐強く政策立案のプロセスを共有することで官と民に信頼が生まれ、 当事者による自律した公益活動の可能性を開いたのではないだろうか。 年金のデタラメぶりは官の怠慢や傲慢(ごうまん)を白日の下にさらし、 コムスンの不正や相次ぐ食品偽装は営利企業の倫理の欠如を露呈した。 絶望的な現実を救えるのは公共哲学や倫理を身に着けた当事者かもしれない。(夕刊編集部)毎日新聞 2008年1月9日 0時02分 ※以上、毎日新聞ホームページから抜粋 朝日(新聞)にとって格差是正や生活問題は選挙の争点ではないらしい。 これだけ昨年からワーキングプア問題が議論され、 格差是正が人々の政治意識の中心的関心になりつつあるのに、 朝日はワーキングプア(貧困問題)が構造改革によって齎された社会の病だという常識的な 認識を持たない。 それを無視して、 バラマキ批判という形で社会保障削減論を唱導している。 記事の中身だけ読めば、 朝日新聞は新自由主義の新聞だと言われてもおかしくない。 社会保障財源に手当できる予算支出の無駄は無数にある。 そしてそれらは放置されたままなのに、 朝日はそこに斬り込もうとせず、 官僚による国民の税収奪の論理をそのまま自社の論説にして記事を書いている。 感覚がズレているのだ。 そうでなければ官僚と財界から買収されているのだ。(抜粋の順序は前後するが・・・) 小池百合子と竹中平蔵が「改革新党」を立ち上げる。 そこに前原グループと小泉チルドレンが参加表明する。 百名近い巨大な衆院新勢力が永田町に出現する。 山本一太や世耕弘成ら参院議員も呼応の動きを見せてマスコミで立ち回る。 「改革新党」が総選挙の台風の目になる。 選挙区では、 自民党、民主党、改革新党の三つ巴の戦いになる。 これまで、 自民と民主の二大政党の戦いが想定されていた選挙情勢は大きく変動する。 争点の構図も一転する。 生活と格差の問題は背後に退き、 改革かバラマキかという「改革新党」の争点設定がマスコミを通じて世論に浸透する。 朝日新聞がそれを応援する。 民主党に「改革新党」と政策歩調を合わせるように指導する。 選挙後には連立を組めと指南する。 日経新聞と読売新聞は、 自民党に対して「改革新党」と政策協調して選挙後に連立を組めと言う。 米作農家への支援や高齢者医療費負担増の猶予などはバラマキだから止めろと言う。 社会保障を削減する「小さな政府」を目指せと言う。 選挙が終わる。 結果が出る。 三党の議席数はどうでもいい。 大事なのは、 民主党の過半数を阻止することだ。 民主党と共産社民の合計で過半数を割らせることだ。 選挙が終わった。 次の日、 自民党は「改革新党」と連立政権を組むことを発表する。 その次の日、 「改革新党」は自民党との合同を発表して党解散を宣言する。 「改革新党」は使命を全うして短い命で終わる。 つまり、 選挙のためだけの新党を立ち上げたのであり、 目的は自民党の政権を延命させることと、 自民党の政策を再び構造改革路線に引き戻すことだった。 チルドレンも路頭に迷わずに済んだ。 さて、 菅直人と小沢一郎の民主党だが、 残念ながら悲願である政権獲得を果たせなかった。 その次の次の日、 民主党参議院の若手グループが民主党からの離脱を宣言する。 独立会派を作る。 民主党の参院過半数体制が崩れる。 独立会派は自民党と歩調と揃える。 こうして、 日本の政治は小泉政権の時代へと帰る。 自民党が衆参で安定多数を占め、 政策は新自由主義の改革路線を純粋に貫徹する。 消費税は上げる。 格差は広げる。 朝日新聞は地団太を踏み、 選挙で「改革新党」と共闘しなかったから政権を取れなかったのだと喚き、 菅直人に失敗の責任を押しつけて糾弾する。 「改革新党」の戦略。 この戦略は、 二年半前の小泉純一郎の「刺客選挙」が下敷きになっている。 あのとき、 選挙区は、 自民党公認、 民主党、 公認を外された無所属の三者の戦いとなった。 勝敗はそれぞれだったが、 争点は完全に郵政民営化一本に絞られ、 郵政民営化に反対した現職議員と郵政民営化に曖昧だった民主党候補が落選した。 ブームが起きた。 人々は今と同じように生活不安に喘ぎながら、 郵政民営化による楽園の到来の約束を信じて、 マスコミが誘導するままに小泉自民党に投票した。 天下りの官僚を恨みながら、 カネまみれの保守政治家を憎みながら、 みのもんたと岸井成格の教導に従って改革政党の自民党に票を入れた。 マスコミを使えばブームは簡単に興せる。 現在の民主党のモメンタムを止め、 政治状況をリセットし、 政治選択の構図をリニューするためには、 「改革新党」のラウンチが最も効果的だ。 作って壊す「改革新党」。 地方に組織を作る必要もない。 手間はかからない。 カネは日本経団連が出す。 宣伝はマスコミがやってくれる。 候補は現職チルドレン。 すぐにできる。 効果は十分に計算できる。 選挙後の新内閣の外務大臣は前原誠司、 防衛大臣は小池百合子、 総務大臣が竹中平蔵。 ※以上、ブログ「世を倦む日日」(http://critic3.exblog.jp/)から抜粋
January 9, 2008
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のかなあと。また信用金庫のロビーで窓口の順番待ちに日経を読む。ちょうど一面の記事には経済産業省の事務次官が20年前にスペインで老後を暮らすと云っていたが今やスペインの方が物価高であると書き、どこかの紙面には鴻上尚史がロンドンの物価高について書いていた。これだけエネルギーや食料などの生活基盤となる資源を国外からの供給に依存している日本は結果平等を国内で追求し続けてもグローバル化した経済と向き合えずに失敗するのではないかというのがどうやら日経の主張したい論陣なのだろうか。内向きになるとダメになるのだと。たしかに日本では300円台で外食できる。これが逆にスペインでは桁違いに跳ね上がるのだからプラザ合意以降の物価の逆転現象は1ドル360円の固定レートを突き破ったニクソン・ショック以上に強烈なものがある。このまま1ドル100円から更なる円高基調になるのか。それにしても劣後した債権をサブプライム・ローンとして証券化しながら流通市場をもたないまま適当に金融取引の場面に撒き散らした予後は日本のバブル経済崩壊後の不良債権そのものでしかない。バランスシート外とは即ち簿外債権であり債権の飛ばしそのものでしかないし。鴻上は結果平等が維持できなくなったが故に演劇などの文化が欧米などのように格差の存在を前提としている社会では成熟しているのだし日本も報われない一生懸命さを嘆くよりは人生を工夫してそれなりに楽しむ社会へと変容していかざるを得ないのではないかと説いていたが。おそらく少子高齢化の日本は人口減少社会として急激に国の構造が縮んでいく。そういう視点から同じく日経では企業再生の経験から経済の身の丈に合った形でヒトの移動も必然的にあるのだと説く論調もあった。けれど簡単にヒトは移動できなくなるときが来るのが実際なのだ。だから突き詰めて考えると日経の論調には厚生経済的な観点は極めて希薄である。あくまでも竹中ジアン的な増税は経済成長を阻むから社会保障を削り込めという基調からの論調である。もう既に増税せずとも社会保障の削りこみと個別の社会保障費の個人負担増加は進んでいる。あの省庁再編は機能しているのか。厚生省と労働省が一体化した意味は何なのか。本来ならば構造的に変化してきた社会に対応し高齢者に対する生活保障は生活保護なのか年金給付なのか医療給付なのか別の複合的なものなのか雇用の流動化に伴う社会保障の枠組み等が問われる。けれども実際はどうか。あのトヨタで起きた過労死を巡る労災認定のあげくに労働基準監督署が認めた給付の算定は何なのか。いきなり国の直轄事務へ引き上げた年金や職安の状況は何を物語っているか。この国の省庁そのものに切り込まない限り地域の自立も安定もないだろう。
January 8, 2008
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今月9日から実施予定の夜間授業「夜スペ」に対して。義務教育の機会均等などの観点から「NO」 たしかに最初のニュースで知ったときは違和感が強かった。いまや小学校6年生の二割近くが中高一貫教育などを希望し私立の中学校を受験する時代になった。かたやオール公立とオール私立とで3倍もの費用格差が生じる。国が教育にカネをかけない分だけ機会均等は減るのだ。日本の国富が今世紀当初は世界3位だったものの今や18位つまり主要先進国でも下位にまで凋落したのと同じ様にPISAの順位も急落しているのだと見てもいい。これだけ教育と騒ぎながら実際に投下している資本の貧しいこと。どうも復古主義の土台くらいにしか見てない。まず教育を議論して政府が介入するならキチンとカネを出せ。それがない政府の介入策は何ら実効性を担保していない単なる精神論であり戦前の悪しき教育観を再現するものでしかない。二宮金次郎の解釈をどうだと云う前にカネで改善されることは幾らでもあるだろと云いたい。年賀はがき、キャンペーンもむなしく、引き受け枚数は前年比4%減少 6日までに引き受けた枚数。29億枚弱。7日分を加算した最終枚数も前年実績を下回るのは確実これで年賀はがきをノルマで社員に売りつけていたということが明白となった。それでもまた同じことを繰り返すのだろうか。それにしてもバイト確保が例年の7~8割にとどまったとの報道があったけれど原因は何だったのか。「元旦配達」のノルマを嫌った影響なのだろうか。それにしても何でも収益という露骨さが巧みに織り込まれていて嫌気が差す。それでも小包は大きさによって未だ宅配便より安い。これが唯一の生命線か。いまさら竹中に政府系ファンドとか云われてもゆうちょ銀行になる前の郵便貯金は見事な政府系ファンドだったじゃないか。あの350兆円とも云われた巨大な政府系ファンドをやすやすと有権者の選択は解体・整理の結論とした。これと同じことが多分、外交問題でも繰り返されそうだと毎日のコラムに書いてあった。もっと問題の本質を自分の理解できる形で納得しないと人は何回でも騙されるのだ。
January 7, 2008
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記す様な出来事もなく正月最初の日曜は過ぎていく。なんとなく正月から新聞各紙に衆議院の立候補予定者が載り始めて暇つぶし半分と嘯きながら目を皿のようにして読み込んでいたり。そうしていたら野呂田の次期総選挙不出馬のニュースを晩のテレビで伝えていたりしていた。ついでに衆・参両院のホームページから質問主意書・答弁書を眺めていた。とくに今回の臨時国会では給油新法や年金記録に絡んでの質問主意書の提出が目立つ。それより目を引いたのが鈴木宗男衆院議員による質問主意書の件数である。とにかく他の議員よりもズバ抜けて多い。とくに外務省関係や北方領土問題あるいはロシア関係。しかも最初の答弁書に納得せずに延べ3回にわたって質問主意書を提出しているものもある。彼が無所属議員だからというだけではなく世論に訴える政治家として控訴審の判決を控えながら精力的に権力側と闘っているのか。これらを丹念に読んで分析していくと多少なりとも見えてくるものがある。いわば鈴木宗男は外務省の情報公開を進めようとしていなくもない。それは多分にも意趣返しの側面を否定できないものだとしても比例・北海道ブロック選出代議士として地道な活動をしているといえる。ようやく初当選した川田龍平も暮れになって2件の質問主意書を提出している。ひるがえって田中康夫は未だ質問主意書を提出していない。あれだけ院外での言論活動に忙しい割には彼が未だ質問主意書を1件も出していないことに違和感を覚える。もともと期待していないのか。たしかに質問主意書に対する答弁書の内容には何とも慇懃な霞が関の答弁が記されるのみの、人を馬鹿にしたものが多い。こういった人を馬鹿にした文面を何故、主要各誌は掲載しないのだろうか。そこに一種のフィルタリングみたいなものがかかっている。そう考えられないか。
January 6, 2008
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正月の土曜。そう今日の午前中にめずらしく外に出たら雨のように降るが雨粒を感じさせない浮遊物のようなものに気づく。駐車場の冠二郎を見ると窓ガラスに白い粒が見える。とはいえ公式には東京の初雪にはならない。これで明日は3月下旬の陽気になるという。狂っている。暮れに職場で使うための石油ストーブを買ったがモタモタとしていたので本日に運び込んだ。ちょうど雪らしきものも舞う時期なので何とか間に合ったか。ともあれ昨シーズンも加湿器を買い込んだり自腹で機材を持ち込むというのも今の職場が初めてだ。なんなんだよと思うが。おそらく次はシュレッダーか。暮れにストーブのついでに見たのが在庫切れで入荷は二週間も先だと云っていたので気が向いたら見に行くか。この二年近くで前任者と同様やたらと書類が溜まり下手に再生紙にも回せないので裁断したいが都度、始末しないとなかなか片付かない。小包を出しに郵便局へ行く。まさか郵便番号簿が千五百円で販売されているとは。どう考えて見ても民営化はデタラメに思える。そういえばテレビCMに山梨の風景が流れるのは民営化に反対した堀内に配慮してなのか。旧UFJ系ATMシステムへの移行の経緯も何かあるのか。なかなか世の中というのは単純な二項対立の世界とはならない。たとえば消費税を上げるか、上げないのか、といった議論も実際には消費税という一点だけ取り上げて考えても無意味だ。その議論の範囲には国民負担の定義づけから始まって負担と給付の均衡見通しも必要だろう。まだ成長路線なのか。そのために消費税の税率でなく社会保障負担を引き上げるということであれば国民負担とりわけ企業以外の個人生活へのシワ寄せは同じ結果を招来する。いままでの国や地方の政府が政府自身の為に抱え込んできた富を明らかにしていく。それが情報公開だ。しかし情報は国の省庁や地方の役所に埋もれたまま。たとえ薬害肝炎リストや債務返済とばしが明らかになっても政府内部が自己保身のために小出しにしか情報を開示しない。このこと自体を変えなければ時の勢いだけに任せても結果は昔と変わらない。それが今、問われている。あのトナミ運輸のオーナーと手を携える小沢に本当の意味で生活者の心情が判るのだろうか。もし否であっても彼らにタナボタを与えなければならないのか。いくら道路特定財源の暫定税率をカットしても日銀総裁人事を振り回しても肝心の部分で何かを欠いていてはダメだろう。たしかに昨夏の投票行動が実感できるような現象が起きないことには次の展望も何もないが。あと10日位で民主、自民と党大会がある。これまでに何も変化が起きないとは考えにくい。あれだけ暮れに内閣改造と云っていたのに。給油新法の再可決を巡って何か起きそうなのか。だいたい公明党のために総選挙をサミット以降にするという考え自体がナメテイル。それなら給油新法だってテロとの戦いに向けた国際という名の米国協調とか云う以前にコンだけ原油を吊り上げた米国系の投資機関とペキンや中近東の政府系ファンドをもっと罵るべきだと思う。
January 5, 2008
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そういう一日だった。けれども暮れと違って変な焦燥感はない。また来週も毎日が締め切りと追いかけっこだ。なんとなく言い訳がましくバタバタ感を周囲に見せつけつつ愉しんでいる。やることが尽きない、ということは正月から商売繁盛で縁起の良いことだ位に思っておこう。この6日の休息は年末年始の気分を味わうのに丁度よかった。あと1日、多くても少なくてもダメだった、と思う。なんでもダラダラが過ぎると良くない。そういう気持ちを実感できた。あまり多くのことを欲張らずに只管ただ出来得ることだけに専心していく。そういう気持ち。この時期、知り合いの院生は修論の締め切りに追われている。などと他人事ではないのだが。もそもそでもいいから卒論のモチーフを描かなければ。と焦っていたら来年度の授業料振込み用紙が届いていた。再度入学で3年次に編入して2年が経つ。そういえば履修届はどうした?私人間効で何か書けないかと漠然と考えたまま頓挫している。なんとなく公共政策との関連で基礎的な論文が書けないかと考えている。法をベースとしながら政策を考えるという意味では刑事政策が書きやすいのだが。もう少しレベルを法解釈の次元でベーシックに考えたい所か。学部レベルの卒論をクリアするものを書くのが先決問題か。そろそろ時間との兼ね合いで結論を出すべきか。知的な探求をするうえでの道具立てをキチンと整える必要を最近つねづね痛感し始めている。そのために一つひとつのハードルをキチンと乗り越えていかなければならん。停滞した現状を打ち破るための構想。それを練り直す時に来ている。ただ徒に時間だけ費やす時期は過ぎた。少しでも物事を進めなければならない。そういう時点に至っているのだという自覚が徐々に芽生えて来た。この自覚を消失させることなく数ヶ月は取り組んでみたいかと。
January 4, 2008
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何ぞや。実際には客観的なモノサシを当てれば不当なことでも罷り通ってしまう言説のこと。とりあえずは今の時点では、そのように解している。あるいは半ば否定的に思っているのにもかかわらず表立って反論できない様か。そういう意味で少なくとも最近の5年くらいそうか。パキスタンに戻ったブットが殺されたのも彼女が国を飛び出した経緯を考えれば不思議なことではない。なんとなく米国が彼女をムシャラフの牽制として送り込んだだけでパキスタンでは彼女の夫と息子が後を継ぐという世襲的な態度に呆れていることは容易に想像がつくだろう。それにしても原油高騰の割には円高にならない。なぜ政府系ファンドは米国の投資ファンドを資金救済しているのだろう。しかもペキンや中近東の政府系ファンド。ここに米国と彼らとの協調がミテトレル。そこから日本は置き去りにされている。この空気は一体、何を意味する。どこでも同じ話を繰り返し喋れる人は政治家に向いている。そんなことをラジオのリメイクで流れてくる猪瀬の話に感じる。例の昭和初期の山手線のダイヤと羽田空港の24時間化を繰り返し引き合いに出しながら石原の云う都市工学を彼なりの解釈を交えながらアピールしてく。どうにも京都議定書による削減スタートに合わせる様にシタリ顔で環境というコトバを連呼し始めた感がある。排出権取引をマユツバで様子見していた日本は結局EUの目論見どおり上客となりそうである。やはりルールを自分の土俵にできない日本の弱さを再度、見た気がした。これからEUの価値観は早晩、強烈に米国と競り合うことになる。そのときに日本は彼らとは独自の価値観を提示できるのか。そのことが日本の今の姿をどの方向へ変えていくかの試金石となる。むしろ空気だけに振り回されずに落ち着いて価値観を見直すくらいの構えが欲しい。
January 3, 2008
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ふと考えた。この時期はテレビよりラジオにスイッチすることが多い。どこも録画や録音だと思いながらもテレビに比べるとラジオの方が社会や世相というものを上手くとらえている気がする。とはいえ正月というものに何か思考が巧みに遮断されてしまって考えもまとまらない。元旦の新聞に入っていた折り込み広告を見たら暮れに買った石油ストーブが更に値を下げていたので少しショックだった。あのとき店員は船便で仕入れるからいつ入荷するかわからない等とトボケテイタ意味がこれだったか。まあ底値を探せばキリがない。そういうことだと思う。なにも晦日や元旦くらいノンビリと過ごせないものか。そう思っても周囲が必ずしも年末年始という形で休まない。だから年末年始という概念も実際は人それぞれの「像」でしかない。ともあれ正月三が日は静かでいい。どことなく昼間の空も陽射しの輝きが素敵に見えたりして。
January 2, 2008
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を迎えても大した感慨はない。ただ正月になると冷え込みが厳しくなるなあと云うことくらいが感慨か。いつも賀状は元旦以降に書くと決めているので今回も届いた賀状への返信を書かせてもらった。どう考えても12月の中旬から25日の間に何を書いていいのか思いつかない。おそらく一年の反省というか振り返りというのは実際には正月を迎えてから漠然とジワジワと考えが浮かんでくる。それは過ぎてしまったから考えるのであって常に成就感とかからは遠い感覚である。むしろ果たせなかったから想起されてくる物事にこそ大切なものがあると思う。そういう意味では昨年は過剰からの離反みたいなものが自分の心の中では一つのテーマとして無意識ながらも結果としては意識されていた様な気がしている。それは人との別離という形で今も燻り続けていたり単純な図式では描けない自分の心中そのものを表しているのだけれど。
January 1, 2008
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