漫望のなんでもかんでも

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まろ0301

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2005.04.19
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 永六輔さんの『さよなら芸能界』(朝日文庫)を読んでいたら以下のような事が書いてあった。

 戦争が、日本の敗北に終わった日のこと、先生が、「勝つといっていたのに負けた」と言って謝り、さらにこう言った。
 「まもなく陛下が責任をお取りあそばす。先生はその日に、この教壇で切腹する。」
そう言って、教室を出て行った。
 級長だった子が教壇に上がった。
 「先生が切腹するって言った。」
 僕たちはうなずいた。
 「ここで切腹するって言った。」
 みんな緊張して、次の言葉を待った。

 僕たちは強くうなずいた。


 戦争についての話を聞いたときに、母はこう言った。
 「神風が吹くとは思ってなかったけれど、自分が生きていて戦争が終わるとは思ってもいなかった。」

 「一億玉砕」が叫ばれていた時代だった。国の為に死ぬ事がアタリマエで、若者は特攻隊員として飛び立っていって還らなかった。

 『消えた春』牛島秀彦 河出文庫 という本がある。
 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)のエースであった石丸進一投手が、24歳の若さで特攻隊員として最期を迎えるまでを描いた本だ。
 石丸は、特攻に指名された後、友人の本田少尉とキャッチボールをしている。剛速球を投げ込んだという。
 いざ出撃となった時、彼は、飛行帽の上から締め上げていた鉢巻をほどいて前日キャッチボールをしたニューボールをくるみ、滑走路に叩きつけてから飛び立っている。何を思ったのだろう。

 長野県には、戦死した画学生の遺作が展示されている無言館がある。



 「死して虜囚の辱めをうけるなかれ」(捕虜になるくらいなら死ね)と命令した東条首相は米軍が逮捕しに来たときにピストル自殺に失敗して米軍の治療を受けて、後に絞首刑となった。

 敗戦直後に自決した高級軍人、政府首脳は少ない。

 阿南陸相は腹を切った。介錯を入れなかったため、絶命するまでの数時間は言語に絶する苦しみであったと思う。 

 靖国神社は、東条英機をはじめとするA級戦犯(極東軍事裁判で絞首刑となった14名)を1978年10月17日に合祀した。こっそりやったが、翌年の79年4月19日に判明した。

 私は、中国が批判しているいないに関係なく、この愚行を許せない。国民と将兵に死を強制した張本人たちが阿南陸相の如く腹も切らずに「虜囚の辱め」を受けた事自体が噴飯ものではないか。靖国神社は言うに事欠いて彼らのことを「昭和殉難者」と呼んでいる。


 私は阿南陸相のことを「昭和殉難者」と認める。彼は、「一死もって大罪を謝し奉る」と遺書に記した。大罪とは何か?日本を敗戦に追い込んだ責任の事を指す。

 将兵と国民に死を強制し、自分は生き残って「虜囚の辱め」を受け、日本の敗戦という大失策の責任も取らぬ、この卑怯者を「昭和殉難者」?ちゃんちゃらおかしいとはこのことだ。

 大岡昇平は『レイテ戦記』の中で以下のように記した。

 「近代の戦争は、職業的に訓練された軍事力によらずには行われない。歩兵についていえば、それは開けた第一線において弾雨を冒しての突撃、陣地死守ができなければならない。
 ・・しかし、一般国民にこれを課するのは治者として残酷であり不仁である。国民は国家の利益のほかに、おのおの個人的家族的な幸福追求の権利を持っている。

 従って軍が徴募兵に戦いを続けさせる条件の維持に失敗した場合、降伏を命令しなければならない。そのため諸国は互いに俘虜に自軍の補給部隊と同じ給与を与え、あとで決済する国際協定を結んでいるのである。
 しかし旧日本陸軍はこの国際協定の存在を国民に知らさず、『生きて虜囚の辱めを受けず』として自決をすすめた。

 こうしてレイテ決戦に敗れた上は、大本営はフィリピン全域の現地司令官に降伏の自由を与えるべきであったという平凡な結論に達する。
 そうすれば、ルソン、ミンダナオ、ビサヤでの日米両軍の無益な殺傷、山中の悲惨な大量餓死と人肉喰いは避けられたのであった。」『レイテ戦記』下 P290 中公文庫

 首相が靖国神社に参拝するとは、「皆さん、このように卑怯者でもいいのです。自分の言葉に責任を持たないで良いのです」という事を日本国民に宣言することではないか。
 そして、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」・・。一人で、公用車を使わずに歩いていけよ。

  小泉首相は、「死ねば仏ですから」と言った。これは、靖国神社という特殊な神社の性格を知らぬ(或いは隠す)発言としか思えない。靖国神社は、幕末から明治初年の戊辰戦争の戦死者を、「官軍の死者」限定で祀った「招魂社」をその前身とする。

 古来、日本では敗軍の兵たちの魂を鎮めるために祀りを行った。味方の死者よりも先に祀ったという例さえある。この点、靖国は敵味方ともに祀るという日本の伝統から大きく外れた神社といえよう。

 そのために「官軍」であった時期の会津藩士の戦死者(例えば蛤御門の変)は祀られ、「朝敵」となった長州藩の戦死者は祀られていない。馬鹿みたい。

 会津を初めとする東北諸藩の人々は、「賊軍」として祀られてはいない。大河ドラマの主人公となった新撰組も祀られてはいない。彼らには彼らなりの忠節があったにも拘わらず。 
 城山で「賊」として死んだ西郷隆盛も祀られてはいない。
 靖国神社は、死者を選別している。


 敗戦後、官庁街では、重要書類を燃やす煙が何日も空に昇っていたという。戦争中に自分たちがやった事がそれほど恥ずかしかったと思われる。

 戦争中に、「鬼畜米英!」「神州不滅!」「一億玉砕!」を叫んでいた右翼の巨頭は、敗戦が決まった数日後に、警察に、「米兵相手の慰安施設設置の許可」を求めている。「日本の良家の婦女子を守るため」だそうだ。

 戦争中に「お国の為に」と各家庭から集められた貴金属類は返還されることなく、分配された。

 戦後日本はこうして出発したという事は知っておいたほうが良いかと思う。


 電車の中で幼い子どもが土足で座席に上がっている時に、母親に注意を促したら、その母親は子供にこう言った。
「おじちゃんが怒るから下りようね。」

 中国が怒るから靖国神社に参ってはいけないのではない。日本の恥だから参ってはいけないのだ。





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Last updated  2005.04.19 00:24:24
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Comments

まろ0301@ Re[1]:ファクトチェックはやめます(01/11) maki5417さんへ  ただ、不法移民が居な…
maki5417 @ Re:ファクトチェックはやめます(01/11) 米国は、古い移民が新しい移民を搾取して…
まろ0301@ Re[1]:ハンナ・アーレント(01/08) maki5417さんへ  「倫理」は、本来は、…
maki5417 @ Re:ハンナ・アーレント(01/08) 「受験の倫理」とはおさらばだ。 今は倫…
まろ0301@ Re[1]:1月20日(01/06) maki5417さんへ  上下両院で、トランプ…

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