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私が学生時代だった頃、母が他界しました残された父はもう60代でした周囲の人は父の境遇を心配してくれて後添いを薦めてくれる方もいました父からもそんな話があるが・・・と聞かされましたし内々に私に対して「お薦めして良いか」と事前に尋ねられる方もいました当時高校生だった妹がいたので「妹が結婚するまでは・・・」とお話を断ったり、父にもそのように話しました今から思えば残酷な事をしたのではないかという後悔があります私も結婚生活にも入っておらず夫婦や男女について浅慮だったと思います。父にとっては子供たちとは違う「安らぎ」が必要だったのだろうと思ったり、「人を愛する情熱」を奪ったのではないかと考えたりします。親子であっても内面はわからず「薄情なこと」を息子の立場でしたのではないかと今でも悩むところですそんな父の世代に近づくにつれて、高齢者の「恋愛」について考えてしまうのです青年期の男女には「恋愛の自由」という錦の御旗があり高齢者にはそれを許さないというのはある意味のハラスメントのような気がしますこれまでは「年甲斐もなく、分別ある人が」という批判が高齢者に対しては多かったと思います自由恋愛の時代はまだまだ遠いのでしょうか?
2006.10.05
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昨日、仕事の帰りに本屋に寄って何気なく新書のコーナーを見ていると「売れてます、10万部突破」の帯が目に入りました。タイトルを見ると「スローセックス実践入門」真実の愛を育むためにアダム徳永著・講談社 アルファー新書でした。スローライフは聞いた事あるけれど「スローセックス」は何だろうという知&性的好奇心もあって購入してしまいました。レジで「カバーが入ります?」って聞かれてどういう意味かなあと思ってましたが、電車とかバスに乗る時のことを考えてくれたのだと後でわかりましたよ。最近は「それでも私はやっていない」ではないけれど「痴漢」に間違われる事も多いようですし、そんな時に読んでいた本のタイトルがこれならば疑われてしまいますね。はお出かけでしたので帰宅してざっと目を通してみましたが自分自身の事を振り返って大いに反省させられました。アダム氏は週刊誌でも取り上げられている有名人のようです。週刊誌の記事ならば「読者」を意識した際物記事だと疑ったと思います。新書本でしたの真面目に読んでみました。日本では「性教育」はあっても性愛についての「教育」はほとんどありません。それぞれが男性・女性週刊誌などの媒体や友人間の話から知識を得たり、体験の中で獲得するのが私たちの年代では通例のようです。今では、ネットもあるしDVDもあるし情報が多いのでしょうが・・・・女性と男性の「性差」の違いについて大きな勘違いをしていましたね。男性を形容する時に「攻撃的、積極的」、女性は「受身で、消極的」とするものが多いののですが、これを鵜呑みにして発想する勘違いですね。この本の著者の指摘の中で「ジャンクセックス」という言葉の定義は重要です。ジャンクフードという言葉からなのでしょうが、男女の間の「美しい、お互いの深い絆」を感じるセックスをお互いが単なる欲求を身勝手に満足させる行為としています。現実にお互いの肉体の交わりはあっても「自慰行為」と同じだというのです。この原因に、AVでのシーンや官能小説での濡れ場と言われる描写によって「多くの人」が勘違いをしているとの説です。つまりAVであれ、官能小説であれ「売る事」を目的としたものであって本当の愛の姿でも、性の姿でもないと言う指摘です。いうならばジャンクフードは売る為に誇大な宣伝をしているようにAVや官能小説でも相当いい加減な表現をしていて、それを見た人がAV俳優のように反応したり行為しないと「自分はおかしい」と思ってしまうという悲劇です。男女が肉体の関係を持ってもそれぞれが欲望を早く満足させるような行為はお互いにとって不幸な事で本当の「官能」を得てはいないとしています。確かに、熟年世代は性知識をどこで得たかとなると相当にいい加減です。欲望産業に操られてきたと言っても過言ではありません。単なる知&性的好奇心によって買った本ですが、まともな話を聞いたなぁという読後感です。この筋の話はどうしても際物扱いをされてしまうし、一歩間違えば風俗産業と同様に見られるのです。まだまだ日本では男女間の愛の姿についてまともに論じる事ができないようです。ところで私の掲示板は「生と愛と性について」というタイトルになっています。そして「生きることって健康な時は簡単ですが病気をすると家族への愛を感じ始めます。でも俗人は「性」を解脱できません。50代半ばで突然病気になり2回目の人生が始まりました」という解説をつけています。生命の不可思議さや尊さに触れ、そして家族との繋がりを再確認したわけです。これで悟りに近づくならば良いのですが、凡人、俗人の楽々としては「性」を放棄するまでにはなりませんでした。熟年者が人前で「性」を語るのは礼儀に反するでしょうし、そんな年代でもないというのが普通なのでしょうか?人生という意味を考えた時に、自分自身を正直に認識しないといけないと思いました。高齢になるに従い、「性」からは遠ざかるのは自然なことなのでしょうか?生きている限り、愛するという感情とともに男女間ては「性」を意識しないわけには行かないと思います。お互いがそれを尊重してこそ豊かな人生といえるのではないかと思います。性が「生殖」としての行為、期間とされる20代から30代までの事だけだとは思えません。動物のように「繁殖期」があってそれに合わせて両性の身体も整うというわけでなく、「生殖」という行為以外にも存在するのは人間だけのようです。私自身の体験としても、数人の子供をつくる為のの生殖行為よりも圧倒的に「男女の営み」としての行為回数が多いわけです。誰もがそうなんですが・・・・性について「欲望に支配されていた」と反省をしておりますよ。
2007.03.16
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