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外は晴れているというのに、これで3日は外出していません。お腹の締め付け感が、16日の外来検査以来、一段とひどくなったからです。でも、おかずが切れる明日は、ぜひとも買い物にゆかなければなりません。徒歩10分、自動車なら5分。自動車は、ものを運ぶのは楽ですが、ハンドルを切る際に、時に激痛が全身に走り、「こんどはハンドルが切れずに衝突するのでは」という恐怖感があります。 天気予報では、明日は、日差しがないそうです。うぅっ。日曜日だからスーパーも混んでいるだろうな。レジで立って並ぶ時間がまたとても長いのです。でも、ゆかなければなりません。ニンジン、ダイコン、ヨーグルト、スキムミルク、ショウガ、うどん、パン、缶詰などなど。 昨日は、小生の病気に効くという漢方薬を発注いたしました。病院で予防的、或は本格的な化学治療が始まるまでに、先手を打つためです。今晩は、11歳年上の姉さん(実際の姉ではなく父方の従姉。私には兄弟はいない)から、励ましの電話を1時間いただき、勇気をいただきました。 もはや、我執は日々薄れてゆきます。かくなる傷だらけのおのこが、身丈に合わぬ夢を見るのはやめたのです。はーやく、はーるになあれ。梅が咲き、桜が咲く、いまはそれだけが、楽しみです。 追伸 『妙法蓮華経秘密釈』は、体調がもう少し良くなったら再開する予定です。もうしばらく、ご猶予ください。
2008年01月19日
退院してからは、自宅療養ということで、ずっと一人きりで家にいます。あれほど楽しかった一人暮らしがこれほど苦痛になろうとは、以前の私が想像力をいかに欠いていたかが分かります。 買い物・料理・掃除・洗濯そのほかいろいろ、いわゆる家事が、病人の病状をかんがみることなく回ってきます。腹の傷は、しばらく歩いたり、同じ姿勢を続けると痛み、掃除など何かの工程一つこなすと熱が上がり、ベッドに横にならなければなりません。病院にいるときのように、早起きをして、朝・昼・晩の食事を取りたいのですが、疼痛のため、病院から与えられた睡眠薬と痛み止めを飲んでも夜が寝られず、夜が明けて寝付くと昼だとか1時になっている次第です。それでも連続して取れる睡眠は、せいぜい2、3時間です。外科手術というものが、病巣そのものよりも、他の痛みでこれほど苦しむものだとは知りませんでした。 きょうは、さいたま市はとても寒かったですが、晴れていたので、買い物をすぽっかすために、近所のそば屋さんで、2時過ぎに、普通人のランチメニューをいただいたのはいいですが、家に帰ると、具合が悪くなり、お腹を締め付けられ、かつたたかれたような痛みで、6時近くまで横になっていなければなりませんでした。無理をして全部食べたのがあだとなったのです。ちなみに、この日は食事はこれ一食となりました。 時間は自由にあるように見えて、痛みで本もまともに読めず、DVDも見られず、迫り来る漠然とした絶望感に縛り付けられます。それでも、生きなければならない残酷さ。小生としては、当ブログで11月まで(実際書いていたのは、10月中旬まで)展開した『妙法蓮華経秘密釈』の思索と修行に戻り、1冊の本にまとめ上げたいという最後の願いがかなうかどうか、いよいよ分からなくなって来ました。 小生の苦しみは、術後の過程での一般的出来事なのか、皮下脂肪など縫い合わせの不具合なのか、こんどの16日の外来で、勇気を出して主治医にたずねますが、お腹の縛り加減などで再手術などやはりあり得ず、「仏法サラリーマン」としての復帰を考えると、お見舞いに来てくれた上司や同僚には本当に感謝の気持ちでいっぱいで報いたいのですが、それはまた非常に慰めのないものに思えて来て、もう語るに悲しみにたえません。「どうして、おまえは、痛みで、苦しい、苦しいと言いながら、ブログは平気で書けるのだな」「私のような単独者が、病気と闘う方法は、書くことしかないからです。小生のさがです。嗚呼、苦しい」
2008年01月13日
約2カ月ほどの入院生活(手術からは1カ月強)を終えて、一昨日、退院いたしました。手術は、約10時間に及び、切り刻まれた痛みは、今なお続きます。いつ死んでもいいと、仏法を学問として修行する身でありまがら、いざとなると、親兄弟、妻帯なしの単独者でありながら、猛烈な生への渇望を求め、手術に臨みました。お念仏の増上寺のすぐ近くの病院で、必死に心で題目をとなえ、あとは何を思っていたのか、思い出せません。手術は、一応成功ということですが、切られた傷が深くうずきます。 生まれて初めての入院で、大手術からの生還、小生の人生観は、人間を失格していたことだとつくづく気づきました。男も女も、30までにはお互いに伴侶を求め、生活の基盤を築き、お互いを知り合うことで、人間を構築してゆく。そして、二人の結果から、その子孫が、親や祖父母を養い、歴史を伝えることに人間社会というものの根幹がある。かの『人間失格』を書いた太宰ですら、社会を築いていたのです。 伯母や従姉や従兄などの親類、会社の上司や同僚、友人などが、約30人ほど病室をたずねて来てくれたことは、ほんとうに嬉しく、彼らが帰ったあとに泣いたものです。 一般の現代人が死に至る時、仏教の教理などは役には立たないということも分かりました。私がずっととなえていたのは題目ではあり、一切の意味を失った「ナムミョウホウレンゲキョウ」でした。鎌倉時代の聖人が、すべてを『法華経』にゆだねるという他力を、題目のもとに一念三千の天台理論を修行としたのです。しかし、題目は、意味をもつ限り、修行にはならないのです。 病気やけがなど自分ですべてコントロール出来ると思っていた自分が、主治医に絶対的に自分の命を預け、その結果は、法(法華経)に任せたのです。幼少のみぎりより、母の影響でとなえつづける題目、そこには深い意味などなかったのです。それゆえに修行たりえたのです。私は、もう、死んでも、生きても、いい。
2008年01月09日
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