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これは、ある三人姉妹の家族の話である。子供達は三人ともみな結婚して、孫も出来しあわせな家族であったが、三年前に父が亡くなり母一人となったが、母だけの一人暮らしでは、不安で心配だという姉妹の意見となり養老院へ入れることとなった。 その時、母は怒り「この親不孝者達が、この事はお父さんによく報告しておく」とえらい剣幕で騒いだそうであるが、最近、姉妹が交替で母を訪ねると、いつも鼻歌交じりで陽気に元気になったとのことで、ある娘が母に言ったそうである「お母ちゃん、こちらも都合があるのであと10年で死んでもらわなければ困るよ」と言うと、母はいわく「あと10年で死ねるかなぁ?」と切り替えしたそうである。母ちゃん 頑張れ~~~~~。
2008.01.31
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あるTV局でメタボリックシンドロームについての番組をしていた。メタボでは長生きが出来ないが、そのメタボを治すということで二つの事を大きく取り上げていた。それによると100歳以上の方達の意見や実生活から出たことを基ににして出た答はよく歩き、菜食主義に集約されており、散歩をして、菜食主義で腹八分目を食することを勧めていた。 その中で目玉のコーナーはメタボを治すスープというのを作っていたので紹介してみますとまず、飲むヨーグルトを用意して野菜や果物(トマト、りんご、ぶどう等)をみじん切りにして飲むヨーグルトの中に入れてスープとして良くかんで食することでメタボが治るとのことでした。しかしTV情報ですからそこの所は、みなさんの受け取り方しだいという事でお願いします。
2008.01.29
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私は、TV番組では水戸黄門はかかさず見る時代劇ファンの一人です。 時代劇ほど単純明快の物語はなく悪きをくじき正義は栄える。そして、ハッピーエンド で終わり、楽しくて仕方ありません。今の世の中がこうあってくれたらと 願いも多分にあり、こうあってほしいとの祈りに近い気持ちも込めて見ています 黄門様が印籠を出して悪をこらしめる殺陣などの場面等は見ていて心がすっきり します。年寄りは時代劇が好きだと言われますが自分はそんな気はないと思いつつも 最近では黄門様を見終わって、よく涙を流す始末で、我ながら、まこと齢をとった ものだと痛感させられることもしばしばある毎日です。
2008.01.28
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今日、久しぶりに母と二人で米の買出しに出掛けた。我家は私と母の二人暮らしですが、シーズ犬が5匹もいるため7人家族と同じ様にお金や手間がかかります。 それに育ち盛りのため何でもよく食べ、二人で静かに食事など出来ず、悪がき同然の犬はお膳の上に乗ったり、手を引っ張って食物をねだるので、ドックフードのほかに、人間が食事をする時は、同じ食べ物を用意しないと納得せず、言うことを聴かない悪がきどもばかりです。それに、コタツの上に乗ったり、いもや大根など野菜をかじり散らかしたり紙の外でも用を済ます事もあり、これもみな、しつけの手抜きのためだと後悔の毎日です。しかし、母は夜寝る時は、みな母の布団の中にもぐって寝るので温かく助かっている様です。悪がきども、母を頼むぜ。
2008.01.27
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最近、すぐキレる人が問題であるそうですが、あるTV局でやっていました。番組ではキレるのはコミュニケーションが不足している人間に多く、社会参加を積極的に行うことが必要となり、それが若さを保ち感情のコントロールする力も養うのだそうです。子供も近頃では身体を動かすことがあまりなくなり心を鍛えるチャンスを失っている状態の様ですもし人からぶつかられても「ぼんやりしていて失礼しました」と言うぐらいの余裕が今の人間は、経済的に不安定な生活をしいられているため「ゆとり」がなくなっています。したがって政府の偉い人は格差社会の改善を良く考えて頂いて、それを実行してもらわなければなりません。また、節約も重要で大切になってくる社会となるのでしょう。冷静な行為が必要となるのかもしれません。
2008.01.26
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私は、頭の後ろに大きな禿げがあり、髪の毛でかくしていましたが、今日、弟にバッサリと切り落としてもらいました。私は、ある有名の俳優の5分がりを希望したのですが、母は許さず「私は囚人と一種に暮らすのはごめんだ」と怒り出し「近所の人の笑い者になる」というのである。弟も母の言うままで私の、希望はかなわず、ショートカットの髪型になり幾分幾分かの満足を得ました」。その、名優の映画を3本見てすっかりファンとなりました。今までは幼児より洋画のみで育ちましたが、 この歳になってやっと邦画の魅力が分かり出しました。素晴らしい名優もいたのかとうれしくなりました。もう年配ですがいつまでも、元気で頑張っていい仕事をして欲しいと願ってやみません。
2008.01.25
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最近、私はあることで悩んでいます。 私は、いろいろなブログへ参加させていただいているのですが、 昨年の末より、あるブログを訪れると年月日に更新はなく、今までどおりまるでゴーストタウンに迷い込んだ様で気持ちが悪くなります。今年も3~4回訪れましたが、新年のコメントはなく昨年同様の内容で、友を含め私は出し抜かれおそらく皆で引っ越してしまったのでしょう。私が、いかに嫌われ者か痛感させられています。「もう、ここにはこないでくれ!!」って感じで悲しくてなりません。我が何をしたついうのか??出しゃばって書きすぎたのがいけなかったのだろうか?昔から生意気で嫌がられる性格はわかっているが本当に心に堪えている。 みんなどこへ行った~~~。皆さんもこうならないようにくれぐれもご注意を!
2008.01.24
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今回ドラマでおじさんをチカンにして遊ぶ女性二人組みの物語だ電車がゆれた時に女性にふれた男性をもう一人の女性がチカンだと騒ぎ男性を罪に落とし入れる卑劣な行為のドラマであった。私も以前電車で通勤していたが、ある時ブスの女子高生が足を出して見せるのでつい見ると大木の様な太い足に驚いた。それから女子高生に変なおじさんで広まったらしく、私が電車で肘掛に手を置いていると、ある女子高生がそこへ女性の局部を触らせようとするので手を引くと、彼女は大声で「私、ショック」と二回叫んだそれが会社に変な風に伝わり友からも冷やかされ上司より「お前は、やめたらどうだ」と柔らかくリストラにもっていかれて一生をだいなしにされた男である。今でも思い出すとそのブスがくやしくてたまらない。ゆるせない。しかし、許さなければ自分がくるしくなるのだ。もう忘れる様努力しよう。
2008.01.23
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我家は、母と二人暮らし、弟が遊びに来た時に一週間分のおかずを買いだめしておく毎週シャケの切り身はなぜかかかさず買ってきて弟が塩を振り冷蔵庫にしまって「よく、塩ヌキをして食べるんだよ」と母に言っておくが今朝そのシャケの切り身をおかずに食べると塩をなめている様なショッパさなので「もう少し塩ヌキした方がいいよ」と言うと母はすねて、怒り出した最近、ちょっとのことですぐ怒るのだ、それだけ歳をとったのかなぁと思いちょっぴり寂しくなり、大切ににして言葉に気をつけようと心に誓った。
2008.01.22
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今日、あるTV局でスーパーの万引きの番組を見た。 一口に万引きと言うがいろいろな種類の万引きがあるのに驚いた。 前にも一度、本屋の万引きを見たことがあるが一冊の本を万引きされると何十冊もその本を売らなければ利益は出ないそうで店にとっては大打撃になるそうである。見ていて私なら万引きするくらいなら、食せずとも一家で餓死の道も辞さないと思った万引きは悪質であり、許せぬ卑劣な行為だと新ためて腹が立ち、怒りがこみ上げてきたしかし、その反面、善悪を超えた世の中の悲しく切なさや人間の弱さ、もろさを見せ付けられた気もして、怒りを越えた何ともいえぬ複雑な気持ちにもさせられた。
2008.01.21
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今日、あるTV局で昔のアニメの声優のスターにTV出演をお願いする番組があった。 出るというスターもいるし、出るのはいやというスターもいたが、あるアニメの主人公 の声優のスターの言ったこんな言葉が深く印象に残りました。 「TVに出るとイメージが崩れると思うので出るのは、まずいと思うのですが この様な人間でも、出来るのだと思って下さる人もいるかもしれないので、こんな顔ですが 出演します」非常に渋いジェントリーな二枚目のいぶし銀の様な方でした。
2008.01.20
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真の今とは絶対界から一瞬、一瞬、新たに創出される今である。いわば絶対の今であり、永遠の今とも表現できる。一方、過去の蓄積から創られている今がある。過去に行ったことにより、今の私があるという場合の過去による今である。しかし、過去はすでになくそこから出てきた現在も新たな今からのパワーがなければ次第に衰弱するのみである何時までも過去の栄光に頼ることは出来ないのである。命は絶対の世界から一瞬ごとに生まれている今を生きているのである。だから常に新生であり永遠性を保つのだ。過去から力を得るものは無から有を得る様なもので枯死する、過去の蓄積は有限だからだ。常に新たに一瞬ごとに永遠の今が生まれているのに過去に頼る必要はない。永遠の今こそ無限であって尽きない泉なのだ。過去から今になるのではない、過去の影響があったとしても、今は、それ自体が独立し、新しく生まれているのである。だから常に新鮮なのだ、過去が今になると思わず、一瞬一瞬新生する今を感じることにより若々しさが保てるのだ。春が夏になるのではない、夏が秋になるのではない、秋が冬になるのではない、冬が春になるのではない。宇宙が春、夏、秋、冬、を創り出しているのである。
2008.01.19
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どうしても、いきずまって書けません。私があるブログで書いていたものを紹介して見ようと思います。見た人は、とばしてください。 我、歯を抜けり 何十年もお世話になりしこと感謝して 別れを告げぬ 抜きたる歯の根本に大きな穴ぞあきて 血がほとばしり出でて容易に止まらず これぞ歯達の惜別の涙なのか 病院の窓より見ゆる木々は若葉茂り 白雲いずこにか流れ行かん
2008.01.18
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人間の生活は、調和にあるはずである。助け合い、補い合い、笑いのある生活でなくてはなるまい。 それには、己自身の調和をつくっていく、自己を見つめる厳しい態度を外して正しい生活はありえない。 大自然と人との関係を通してはじめて自分自身の自覚に到達できる今日に生きるものは強者だが、人間は死の瞬間まで希望を託して生活していくものだ。その希望が「自己本位」に傾くと人との調和が崩れて自分自身も立っていられない。信念のあり方も「調和という中道」にかなったものでなければならないし「正しい念」は無制限に発展する欲望をコントロールし、足ることを知った人生の目的を自覚した願いでなくてはなならない。 また反省を積むことにより心と肉体の調和が生まれ己の心と大宇宙の心と合一がはかられ、ねたみ、怒り、そしり、や諸々の執念から離れられるには「反省」をおいてほかにあるまい。
2008.01.15
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謙虚は「徳」であり損得勘定の「得」でもある。なぜなら「謙虚は幸せを呼び傲慢は不幸を呼ぶのです」上座より下座の方に下がるのが幸せなのです。下座に下がる程、それだけ光を仰ぎ見て、多くを受け取るからだ。下がった分だけ周囲が上がり喜びも増してくるのだ。丁度お腹を空かした分だけ食事が美味しくなる様なものだ。当たり前が幸せとなり、ちょっとした事で喜びとなる。どん底から仰ぎ見るなら全てのものは無限の幸せで一杯になる。嫌だと思って居た事が瞬時に変化する、また 苦しみなどいろいろなものから逃げていた者も、そこへ下れば幸せ感が出てくる。逆に「幸せを追うなら、幸せは逃げる」のである。むしろ苦しみにかまわず、下っていくなら苦しみは雲散霧散して幸せに気がつくのです。下座に下って幸せを受ける心の態度とは、感謝の言葉なのです。謙虚の徳と幸せが一挙に現れます。
2008.01.12
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最近TVを見て何故か見終わると後味が悪くて仕方がありません。自由主義なので視聴率を上げるためには手段を選ばず、出演者にはじをかかせ、馬鹿にして、いじめて、人の不幸を見せている番組が多いのに気づくと思いますそれも最近はいじめ等すべてがエスカレートしてきました。子供達が一緒に見ていたら、きっと、いじめや人を馬鹿にし、人の不幸をたのしむ事など普通になり、まひされて何とも思わなくなってきていまに怖い日本になって行くだろうと思えてなりません。もっとマスコミの人々に「愛」のある番組創りをお願いし、人をいじめ、はじをかかせ馬鹿にし、不幸を喜ぶ事は、人としての道に反することを教えてくれる番組を期待してやみません。
2008.01.10
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毎年、元旦の楽しみの一つに年賀状がありますが、私は友達が少ないせいもあり、今まで自分が出さない人から賀状が届いた事がありません。何時も出した人の賀状を見て、その筆跡や個性あふれるハガキを見て退社した今では、その人の顔が浮かんできて楽しかった事や苦しかった事などさまざまなことをなつかしく思い出します。また、賀状を出した人から数日たっても届かないと何してるかなぁ?身体は大丈夫なのか心配になりますが、成人式の頃には忘れて、またその年の一年がスタートするのです。今年も一年間、皆様にとって素晴らしい年であります様お祈り申し上げます。
2008.01.08
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今日「悪の存在」についてもう一度読み直してみて大変なうそを書いてしまい私の間違いで時代遅れであることを痛感しました。世の中は、もう新しく大きな止めようのない大波が押し寄せており。悪と闘わなければならぬ時になりました。 どうしてあのような事を書いたかと言うと私は今、怖くてたまらないのです。「お前はあと一年の寿命さ後わずかで死ぬのだよ!!」と言われており、どんな小石や草一本でさえもその存在理由があるのではないか!と言うことを強調したくてたまらずあの様な事を書いてしまいました悪い事がどんどん出て来て暴露されてきた今こそ、皆で悪を正していく新しい時代になったのであるとつくづく感じます。うそであり間違いを書いて大変申しわけありませんでした。みなさん、あきれたことと思いますがお許し下さい。力をあわせて悪と闘いよりよい世の中にしていこうではありませんか!!
2008.01.07
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人を泣かせたり、いじめる人は、それでエネルギーを得ている。 弱い者の肉を食べ、それで生きているのだ。だから彼らは自分より弱い者はいないかと獲物を狙っている。肉が美味しいということは、殺した動物の弱さを味わっているのであり自分の強さも分かってている。けれども、肉食動物はそうすることで、いつのまにやら弱者の肉の毒が蓄積されるのを意識できず、弱者の犠牲で成り立っていた力に陰りが生じてきて、ある日たまった怨念でバッタリと倒れるのである。いやがり抵抗する者の肉を殺して食べてはならない。それより、むしろ喜んで生命を与えてくれる植物を食べる方が健康に良い、植物は食べられる事で種を拡散出来るのだ。肉より野菜は美味しくないが生命のエキスでいっぱいである。食べる方も、食べられる方も共に喜んでおりプラスのエネルギーとなるのだ。反対に相手をいじめて泣かせる事で自分の喜びを受けるのがマイナスのエネルギーである。我々は何時もプラスのエネルギーで生きて行きたいものである。
2008.01.06
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人間は、すべてを受け入れるのはエゴが少ないことであり、それだけ心の容量が増してくるゆえに、すべてを受け入れて、それを尊び「我以外のものすべて師なり」と尊び価値を見出しすべてに感謝出来る様になれば、光を見つけられ自らも光り出すのである。そしてエゴを少なくするだけでなく、与える量も増やす事だ。与えて与えて、己を無くしていく、それこそが感謝の達人であり、いわゆる幸福の達人でもあるのだ。しかし、人は、エゴがなくいつもおとなしく、真面目だけではだめな気がしてならない。時には、羽目をはずして全力で思い切って、そのものに、ぶつかることもなければならない事もあると思うのである。1+1=5になる様なことも大切だと感じてならない。しかし、それが人の支えとなり、犠牲になることが感動を生むのだ。そして、その徳を積むことが将来に良い種まきとなることもあると思うのである。
2008.01.05
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皆さん、こんばんは 今日は朝日のまぶしさに目が覚めました。起きて顔を洗い、神様の水を取り替え体操をして母屋へ行き母にあいさつをしておぞうにの朝食となります。 母の味付けは天下一品で自ら「私は、一流の料亭の味で育ってきたんです」と豪語するのですが、私にはちょっと薄味なのです。しかし兄弟や嫁もほめる煮付けやキンピラなど一度手を付けると止まらなくなります。毎日、これの繰り返しですがこの平凡な生活こそ幸福で天国なのだと最近つくづく思える様になって来ました。日々感謝を忘れず何時も笑顔で自分に自信をもって生活していける様に心掛けたいと願っています。
2008.01.04
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元旦の午前0時30分に我家の近くにある神社へ初詣に出掛けた。途中すれ違う人達と「おめでとうございます」とあいさつを交わしながら神社に着くとすでに100m位の人が並んでおまいりの順番を待っていた。よく調べたわけではないのだが、この神社は、川崎大師の分身で昼も、こんもりと大木に囲まれて神聖なる場所を感じさせる。とにかく由緒ある神社であるらしいのだ。鳥居をくぐるとき一礼をして入り、よく手を洗い、口をすすいで、お賽銭をあげて、二礼二拍手一礼のお決まりの作法により家内安全、身体健全等をお祈りした医師には止められている酒ではあったが、甘酒がくばられていたので、ご馳走になりお札を求め、星たちがまばたく夜空を仰ぎ星座を確かめつつ会う人たちとあいさつをかわしながら家路へいそいだ。
2008.01.03
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皆様、新年あけましておめでとうどざいます。今年も頑張りますれば、よろしくご指導、ご鞭撻の程お願い申し上げます。今年こそ飛躍の年にしたいと思っている皆様方どうぞ願いが叶います事を願っております。人間は成功するには、開放的で、親しみ深く、細やかで、親切で、思いやりがあり、陽気で自信があって、仕事を楽しんでいる人に訪れると言われています。ゆえに、人間は、苦しさ、短気、貪欲、不親切、批判、非難、うぬぼれ、わがまま、欲張りでは肉体の病気になりやすいのです。又人生の皮肉は世間的な財産と成功に関心がなくなったとたんに、それが流れ込んでくる道が開けると言います。「笑う門には福来る」で何につけても今年はいつも「にこにこ笑顔」で感謝を忘れぬ一年でありたいと念じております。
2008.01.02
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