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3月に入って忙しさ3倍増しで、休みなし状態です。3連休初日は、何とか時間が取れたので、町内会関係の野暮用を済ませたり、家事手伝いを済ませたりと、1か月の溜まった用事を処理しました。雨も上がって、夕方時間が出来たんで、すっと手がついていなかった、F8のオイル交換をしようかな・・・って思ったの運の尽き雨も止んだんで、いつものポーチへF8を引っ張り出してきて、オイル交換の準備開始。ポイボックス、オイルボトル、ドレンボルトのガスケット準備完了今回は、あんまり距離乗ってないんで、フィルターは交換せず、オイルだけ入れ替えます。オイル交換だけだから、ポイボックスも小さめ・・・それが完全に裏目出てくるオイル量にポイボックスの吸着が間に合わず、ポイボックスから廃オイルが、ドバドバあふれちゃったじゃんもう大惨事古新便で廃オイルをガッツリ覆って、何とかタイヤにオイルを付着させずに脱出することに成功。でも、ホイルの内側にオイルが飛び散ってるのはなんでスタンドに付着したオイルが飛んでるのかこりゃスタンド回りを全部ふき取らんといかんぞ。この後、車体下回りと、リヤタイヤ周りを一通り、ふき取って、ポーチのタイルは、古新聞とスポンジで、あふれた廃油を吸着させて、最後に雑巾できれいにふき取って、サルベージ完了。廃油跡は、黒ーく残ったけどね。最後の最後に、オイルを補充したんだけど、オイルが若干足りないオチのオマケつき・・・。トホホな週末でした。
2022年03月19日
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昨年の秋にオイル交換して約4,000km走ったので、オイル交換適齢期です。っていうか、1年間に4,000kmしか走っとらんのやね。今年もクッソ忙しかったね。チャチャっと交換しましょう。オイル用のドレンボルト緩めて廃油掃き出し中。思いのほか汚れてない。まだ茶色今までは、カストロールのパワー1の100%化学合成種の「レーシング」シリーズを使っていたけど、今回からAZの同種のものに変更します。カストロールの「レーシング」って廃盤になったみたいで、「アルティメット」に継承されたみたい。中身が少し変わったんだろうけど、併せて値上げされたんで、思い切ってリーズナブルなAZに変更です。今回はオイルフィルターも併せて交換です。オイルフィルター部のオイルも、しっかり抜いてあげましょう。今回からオイルフィルターはK&Hを使用します。K&Hは高性能+フィルターヘッドにレンチボスがついてるから、わざわざオイルフィルターレンチを使わなくても、普通のレンチで取り外しができるのが便利なんよね。F8のオイルフィルターの場所って、アンダーカウルがあったりして、オイルフィルターレンチが、かけにくかったんよ。送料対策で、まとめて2個かったんで、しばらくは大丈夫やね。カストロールが2.1L程残ってた。思いのほか残ってたな。ドレンボルトも綺麗にそうじして、ガスケットも新調。キュキュッと、締めてオイルゲージで適量までAZ足していったら、+0.5Lで丁度いいくらい。次の交換の目安は33,000kmね。AZは3.5L残ってるし、次回はフィルターは交換せんし、オイル缶は買わんでええね。
2024年12月15日
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地域の掃除やら、お祭りやら、嫁さんの出張の留守番やら、子供の試合の送迎やら、消防団のイベントやらでなかなか自由な時間が取れず、久々の開催です。仕事がくそ忙しくて、なかなか乗る気になれなかったんよね。さて、'25 11月の遠征ツーリングは、「メガ盛り・かき揚げ」ツーとして、呉の江田島に行ってきました。先週、様子見でF8引っ張り出してみたんだけど、完全にバッテリー上がってました。セルがキュっとも言わんかった。今日は万全を期して前日からバッテリーチャージャー付けときました。一発始動だぜ~♪今回の参加者は、F8、フォルツア、Z750の3台Z750は新規参加です。よく見ると…。Z750は、サイレンサーが同じ「デルケビック」のスリップオンです。全く同じ形のものだな。デルケビックってお値段がめちゃ安なんだけど、同じものを付けている人初めて見た。こんな近くにいるなんてね・・・。山陽道を西進して高屋JCから東広島呉自動車道に乗って南下。音戸経由で江田島に向かいます。江田島にわたる早瀬大橋はお色直し中でした。ここも橋下は重要航路なんで、航行船舶用にしっかりクリアランスを確保していますね。江田島の倉橋まで来ました。今日は、ここ「ゆりいち」さんの名物「かき揚げうどん」を食べに来たんよ。元広島(現オリックス)のピッチャーの九里選手も来てる。フォルツア先輩は麺は細麺で、麺も具も大盛。Z750は麺は細麺で、麺も具も普通のサイズ。普通サイズで丼の中が1枚と外に4枚かな具を大盛すると、丼の中が2枚、外が6枚になるのかな私は太麺の麺も具も大盛にしました。もうね、どんぶりを前にしたら、笑いしか出んのよ早く食べないと、かき揚げが出汁を吸ってどんどん重たくなってくるのよ。結局、丼の中の2枚と外の1枚は食べたんだけど、そこでギブアップ。もうね、うどんの汁がなくなっちゃたんよ。更に島を北上して、長瀬海岸へここの海中遊歩道なんだけど、高潮の満潮で潮位350㎝以上の時だけ、逆に水没しちゃうんです。今日の午前11時が大潮で丁度いい時間だったんだけど、ゆりいちさんの開店も11時だったから、かき揚げを優先したんよね。現在12時。我々がかき揚げに悪戦苦闘している間に、潮が引いて、終わってしまってました。ここは次回の宿題やね。毎回ミッションコンプリートとは行かないですね.さて、第二音戸大橋まで戻って来ました。通称日招き大橋。2013年(平成25年)に完成。この第二音戸大橋ができて、バイパスと接続したことで交通渋滞が一気に解消されたそうです。この第二音戸大橋は工期を短縮して、船舶への影響を少なくするために、国内では前例のない空中ジョイント方式で建造されました。呉の工場で組み立てて、クレーン船で持ってきたものをその場で架設しています。架設状況は一般公開されていて、当時ネット配信で見ましたわ。第二音戸から下流の本家?音戸大橋こちらは1961年(昭和36年)に完成。当時の総工費で3憶6千万ってすごない?第三音戸橋?の遊歩道橋。音戸大橋も第二音戸大橋もこの遊歩道橋からが一番よく見えます。平清盛が日招きをして一日で切り開かれたという伝説がある音戸の瀬戸。橋の赤色は、平清盛と関係の深い厳島神社の鳥居の赤と同じ色にしてありるそうです。向こうに見えるのは呉海軍工廠跡地。日本製鉄の瀬戸内製鉄所呉地区は、戦艦大和を造った旧日本海軍の工廠跡地に昭和26(1951)年建設され、日鉄に吸収された旧日新製鋼の主力製鉄所として地元経済を長く支えてきたが、国内需要の減少など厳しい事業環境の中で、令和2年2月に閉鎖の方針を決め、令和3年9月に高炉を休止しました。72年の歴史に幕を下ろし、以後10年程度で解体することが決まっています。今回解体現場をバイパスから覗いてみたら、かなりの面積が更地化されていた。空母っぽい大きい艦艇が2隻、沖に停泊してる?予定してなかったけど、アレイからすこじまに寄ってみようか。「アレイからすこじま」では、かつて呉港が軍港だった時代、魚雷などの揚げ下しに活躍した経歴を持つクレーンがお出迎え。「アレイからすこじま」は、1985年(昭和60)に海上自衛隊第一潜水隊群司令部前から護岸沿いの約200mの車道に沿って整備された公園の名前です。潜水艦の停泊艦艇数も少ないし、停泊艦艇のラインアップもいつもと違うような・・・。あの、奥のエンジン掛ってる平たい船体は・・・。あのシルエットは空母?わー。航空母艦って初めて見たわ。今日こんなラインアップって知ってたら、事前の見学予約しておけばよかったなあ~そもそも、「アレから」には寄らない予定だったからなあ~「アレから」の帰りに、ロド軍団続々登場しかもレッドばっかり。給油口の所にみんな「SR」のおそろいのロゴステッカーが貼ってあったからオーナーズクラブSoulRed Loversの集まりかな?呉の商店街へやって来ました。久々の「昴珈琲」さんへオーナーさんの刀も健在ですね。このピンクの刀は、先般亡くなった漫画家の「東本昌平」氏の漫画にも登場してましたね。「東本昌平」氏は「キリン」や「RIDE」の作者って言えば分かるかな。珈琲いただくに茶菓子を買いに行きましょう。昴珈琲前の信号を渡って、商店街を進みます。ローソンのある角を右折。福住フライケーキ店で、フライケーキ購入平たく言えば「餡ドーナッツ」なんですけどね。再び昴珈琲へ戻りましょう。呉の書店街って自転車、原付天国やね路上駐輪場の整備が凄いな。「呉焼」ってあるの昴珈琲さんは、珈琲豆の販売をされているんですが、店頭でコーヒーの販売もされています。もちろん店頭販売の珈琲豆は、店内で買えますよ。専門店の美味いコーヒーがLサイズで300円なんでリーズナブルなんですよね。ベンチに座って、フライケーキをお供にアイスコーヒーを頂きました。さて、お土産を買って帰路につこうかと思いましたが、お土産を買おうとした「メロンパン」さんは今回も閉まってる。今回は売り切れなのかな何回もツーリングで呉には来てますが、未だ行けず・・・。相性が悪いですね。野呂山経由で帰ります。野呂山までの呉市広地域の渋滞には毎回閉口しますが、夕日を受けた、紅葉の中の約10㎞のワインディングは、走りごたえがありますね。展望台から見えるのは、安芸灘とびしま海道の島々と、東方には、しまなみ海道も見えます。瀬戸内海に浮かぶ島々を、庭園をわたる飛石(とびいし)にたとえて名付けられた「安芸灘とびしま海道」は、朝鮮通信使や参勤交代大名の寄港地として栄えた下蒲刈島「三之瀬地区」、伝統的な建造物が残る大崎下島「御手洗地区」は、おすすめの立ち寄りエリアですよ。野呂山の山頂から、北へ降りるルートの林道郷原野呂山線を北上します。並走する「東広島呉自動車道路」から見える急勾配のカタパルトみたいな橋「紅葉橋」が見てみたかったんよ。もみじ橋は、橋長L=214m。深さ 90mの渓谷部をひとまたぎするため「鋼上路式逆 ローゼ桁」を採用しています。縦断勾配は6%で、来てみたら思ったほどのカタパルト形状じゃあなかったな。まあ、冬季は凍結が怖いだろうね。紅葉橋を下って、郷原ICから東広島呉自動車道→高屋JC→山陽道と渡って無地帰岡しました。いつもにガススタで満タンにして帰還。今回は440㎞の旅でした。まあまあ走ったね。燃費は23㎞/L弱でした。晩御飯は、「ゆりいち」さんで食べきれなかった、かき揚げを再びカリッと焼いた「かき揚げ丼」と、フライケーキの残りは、デザートで頂く前に女衆が食ってた。デザートは、帰還途中に休憩で寄った小谷SAで入手した、生もみじアレコレ。昴珈琲さんで買った、ドリップ珈琲アレコレは、隠しておこう。年内もう1回開催できるかな
2025年11月22日
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3月末がF8の車検・点検時期なんだけど、この時期に併せて自分でオイル交換しています。オイルはカストロールのパワー1の高い方ですレーシングシリーズね前のハーレーやビューエルは、高い全合成オイル入れたら、ヘッドから滲んでたから、あえて安い部分合成オイルを入れてたんだけどねさて、Amazonでオイルもフィルターもガスケットも廃油ポイポイもそろったので、サクッと交換しましょう。前回、廃油ポイポイをケチって、小さいのにして廃オイルをぶちまけちゃったので、今回は標準サイズにしましたよ。ドレンボルトからしっかり時間をかけて抜きましたよ。廃オイルは、そこまで汚れた感じやないな。今回は、フィルターも交換しましょう。廃オイルも抜けきった様なので、新しいの入れていきますか。ドレンボルトも綺麗に洗浄して、ガスケットも交換します。オイルは、サービスマニュアルでは3.5L入るみたいなんですが、3.1Lで打ち止めでした。これでも若干入れすぎで、アッパーレベル一杯でした。前回は、あと少し足りなくて、慌てて追加を1缶買って間に合わしたんだけど、今回は大目に準備したから、1缶丸々余っちゃったなお昼から時間が空いたので、神崎緑地公園へ神崎梅園は、神崎町の遊楽山と呼ばれる丘にあり、神前(かむさき)神社南に隣接しおり、神崎緑地公園に隣接しています。地元町内会が昭和40年代の頃から梅林を管理してきました。隣接する神崎緑地と合わせて20種類以上、約500本の梅林があり、開花時には「梅まつり」が行われ、多くの花見客でにぎわうんですよ。残念ながら、コロナの影響で近年は「梅まつり」は中止となっていて、2023年の開催も中止となっています。神崎緑地公園の遊具で、こんなブランコを見つけました。これなら小さい子も安心ですねメジロがたくさん梅の蜜を吸いにやってきてました。警戒心が薄く、全然逃げないんですね梅園の梅は、もう少しって感じで、3月上旬までは楽しめそうですよ。
2023年02月23日
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’25 8月の遠征ツーリングは、「丹波ビフカツ」ツーに行ってきました。今回も朝活バージョンで開催です。早起きして、涼しいうちに移動します。第一集合場所:山陽道瀬戸PA 6:00集合出発出がけにちょっとトラブって10分遅れで到着。ニンジャ、フォルツアと連ねて第二集合場所を目指します。第二集合場所:中国道加西SA 7:20集合出発ここには時間丁度でつきました。ここでCBとサンダーエースと合流。サンダーエースはいつ以来かね。本日は、この5台で回ります。舞鶴道春日IC下車して「90」で朝食購入。突如、田園地帯のど真ん中に奇抜なオレンジ色の工場?倉庫?登場。ここは手作りサンドイッチのセルフ販売所「90(きゅうまる)」丹波市産の卵を使い、和風だしを効かせた「たまごサンド」と、ボリューム満点の「かつサンド」を気軽に味わえます。カツサンドと、たまごサンド、飲みのもの用の三つの冷蔵庫があって、そてぞれの冷蔵庫の中にある各サンドもバリエーションが豊かで、たまごサンドは2種類、カツサンドは3種類かな?カツだけのパックもありました。勝手に商品を取って、支払い口にお金を投入するセルフ形式になっています。おっさんたちも、思い思いの朝食をゲット。セルフ自販機?形式だけど、品物の補充やおつりの両替はインターホンでお願いすれば、お店の方が出て来てくれます。せっかくなんで、眺めのいい高谷山の展望台で朝食にしましょう。ここ眺めは最高なんですが、上り道がかなりの酷道だった。南側の道で上がって来たんだけど、急こう配ヘアピンの連続と、落ち葉と道路の苔が凄いのよ。高谷山の山頂には展望台のほか、駐車場やトイレ、休憩所などの施設も整っています。数年前に、展望台周りを伐採して眺めを取り戻したそうです。このサンド、ボリュームが凄かった。みんなこのボリュームにノックアウトされてたサンドイッチのあまりのボリュームにみんな「腹パン」で動きが鈍いので、消化のために、道の駅「丹波おばあちゃんの里」で休憩。疾風巡拝の御刻印集めのために、柏原(かいばら)八幡宮によります。兵庫県丹波市柏原町に鎮座する柏原八幡宮は、古くから厄除けや家内安全にご利益があるとされ、「丹波柏原の厄神さん」として親しまれている関西屈指のパワースポットです。柏原八幡宮の歴史は古く、創建以来、幾度となく戦火や災害に見舞われてきました。南北朝時代には荻野安芸守と足利氏の合戦、戦国時代には明智光秀の丹波攻めの際に社殿や三重塔が焼失するなど、激動の時代を生き抜いてきました。しかし、その度に再建され、現在の姿へと至っています。これらの出来事から、数々の伝説や逸話が生まれています。三重塔が神仏分離令を乗り越えて現存していることや、境内にある弁天社にまつわる神秘的な話など、多くの謎と魅力に満ちた場所なんです。ちなみに明治の初めの神仏分離令の後も神社に塔が残っているのは、全国で18例しかないそうです。一の鳥居のすぐ右側に弁財天(厳島神社)がたっています。この厳島神社には、明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられています。織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった黒井城主、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いていました。まず光秀は、赤井悪右衛門直正の甥で赤井忠家が城主の高見城を攻め、落城します。そんな激戦のなか、飛んできた敵の矢を調べると、鏃に「𡈽屋(はんや)」の印が入っていたといい、これは、地元の豪商「𡈽屋」で造ったものであることが判明します。これに激怒した光秀は、𡈽屋の家族全員をひっ捕らえ、八幡下の池の畔で火あぶりの刑に処したそうです。その𡈽屋の妹・岡女は、高見城主である赤井忠家の妻でした。岡女は高見城落城後、一時は自害を考えましたが、兄たちの菩提を弔うため、柏原新町西願寺の尼僧になります。そして処刑された家族の供養をしながら暮らしていましたが、不運にも若くして病没してしまいます。その後、𡈽屋の家族が火あぶりに処された池の畔に、毎夜のようにうめき声や火の玉がでるようになったといい、それを恐れた人々は、浄財を持ちより池の畔に弁財天を祀ったところ、亡霊は鎮まったといわれています。ちなみにの話なんでけど、山崎の戦いで光秀が敗死したのは1582年6月13日なんだけど、ここ柏原八幡宮を焼き払ったのも、その3年前の6月13日だったといわれ、これは「神罰」だと書かれた史料が神社に残っているそうです。集めてきた疾風巡拝の「御刻印」も兵庫の3箇所はコンプリート。岡山の一つと合わせて、4つ集まりました。次に近いのは四国の10箇所。四国のどこかで1本目は、コンプリートしそうだな。柏原八幡宮の近くには、天然記念物で「木の根橋」と呼ばれている「柏原の大ケヤキ」がありました。このケヤキは幹径6m、樹高22mで推定樹齢は1000年だそうです。その根の1本が幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成していました。ちょっと移動して、本日のメイン篠山城です。篠山城は徳川家康の命で1609年(慶長14)大阪や京都から山陰、山陽への街道が通る交通の要衝地、篠山盆地の独立丘陵に豊臣秀頼の大阪城攻略拠点として築城されました。約8万人を動員した天下普請で、縄張りは築城の名手藤堂高虎、築城総奉行は池田輝政で半年という短期間で完成させました。本丸と二の丸はすべて犬走が設置された高石垣で囲まれ、その外側に三の丸と堀が巡っています。さらに外堀周辺には武家屋敷、その外側には町屋を配置し城下町を造りました。天守台は築かれましたが、天守の工事は中止されています。このことは、この城が軍事的拠点としての実戦性よりも、政治的象徴としての性格を強く意識して設計されたことを示しているそうです。篠山城大書院は、慶長14年(1609)の築城と同時に建てられた城内最大の建築物です。京都二条城二の丸御殿に匹敵する壮大な書院造でした。一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えていましたが、昭和19年(1944)に火災で焼失。その後、篠山市民の寄付により、古絵図、古写真、発掘調査等の総合的な学術調査に基づき、平成12年(2000)に木造復元されました。床面積は739.33㎡、棟高は12.88m、屋根は入母屋造り、こけら葺き。内部は8部屋あり、上段の間には、江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵が障壁画として転用され、往時の雰囲気を再現しています。篠山城跡 南堀の蓮は「篠山城蓮(ささやまじょうばす) 」という固有種で花弁が少なく、大ぶりな花をつけることが特徴だそうです。かつては夏の風物詩として、南堀一面にハスが咲き誇っていましたが、2005年頃に突然消滅しました。原因は、当時流行していた「ミドリガメ」と呼ばれる「ミシシッピアカミミガメ」を長く飼いきれず、堀に捨てるという行為でした。2014年からアカミミガメなど外来種の駆除や種レンコンを移植するなど、小学生や地域の方の活動により、2020年夏、15年ぶりにハスが開花したそうです。御徒士町武家屋敷群は、篠山城西側の外堀沿いに整備された武家町で、下級武士・御徒士たちの住まいが南北400mにわたって連なっています。茅葺の主屋や白壁の土蔵、棟門と土塀が連なる景観は、天保の大火後の復興形式をよく伝えています。篠山城下町、ここ御徒士町武家屋敷群を含む城の周囲の武家屋敷群と、東に展開する商人の町、河原町妻入商家群が、平成16年(2004)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。武家屋敷群の中の変電所も、門構えは旧家造になってましたよ。本来なら、ここで少し移動して、畜産会社直営の肉屋で丹波牛のビーフカツ定食の予定でしたが、①お城をゆっくり見でオーダーストップ時間まで時間がない事、②実は朝のカツサンドがボリューミーでお腹がすいてないことから、城の前の地物定食屋さんで、簡単に食べることにしました。丹波篠山って牛肉だけでなく猪肉も有名なんです。せっかくなんで、丹波猪肉丼と丹波黒豆の定食にしました。せっかくなんで、城東部に展開する商人の町、河原町妻入商家群を散策しながらお土産買ってかえりましょう。老舗のパン屋さんで、「まめパン」買おうとしたらなんと施設整備で長期お休み中老舗和菓子屋さんの水羊羹は何とかゲット。さて、帰ろうかと思ったら「や、やられた!」先輩に我々を代表して、北野武巡査に詫びを入れてもらったら・・・。許してもらえましたよミニスカポリスに!ここは、人形制作などを手掛けている会社の倉庫の前で、通学路でもあるこの道路に対して「何か交通安全対策にできることはないか」っていうことから、この人形を置いてみたんだって。ちゃんと地元の警察に許可も取ってて、ロゴは「POLICE」じゃなくて「PEACE」になってた。まあ、SNSですげ~バズるわなちなみに、ミニスカポリスは人形制作会社の社長さんの好みをフギィア化してるんだって。お隣にはコンテナを改造したお洒落なピザ屋さんもあります。ピザ屋さんの駐車場も、ごらんのとおりです。このピザ屋さんで、お茶させてもらったんだけど、外観と違って、メニューはどれも美味そうだった。自家製のジンジャーエールが辛口で美味かったんだけど、先輩の頼んだ、かき氷も美味そうだったな。それじゃあ、来た道を弾丸で帰りましょう。帰りは、社PAで休憩して、県北組とは福崎JCで流れ解散。県南組とは山陽ICで流れ解散して、いつものガススタで燃料満タンにして、18時半に無事帰宅です。今日の弾丸は400Kmでした。まあまあの弾丸でしたね。今日のお土産は、社PAで目についた、可愛いパッケージのミニラーメンと水羊羹です。せっかくなんで、娘に抹茶入れてもらって美味しくいただきました。今回は面白い集合写真を沢山撮ったんだけど、欲しかったら、メールちょうだいね。一式送るからね。
2025年08月23日
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