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(前回の続き)■1979年11月4日(日曜日)、日本シリーズ第7戦。9回裏、1点差を追う近鉄バファローズは無死満塁となり、一打逆転サヨナラのチャンスをつかんだ。一塁ランナーは平野光泰、二塁は吹石徳一、そして三塁には藤瀬史朗。打席には代打・佐々木恭介。広島 101 002 000 =4近鉄 000 021 00 =【近鉄メンバー】1(6)石渡 茂2(3)小川 亨3(9)チャーリー・マニエル4(7)栗橋 茂 → (PH)(2)梨田 昌孝5(2)有田 修三 → (7)池辺 巌6(5)羽田 耕一 → (PR)藤瀬 史朗7(4)クリス・アーノルド → (PR)吹石 徳一8(8)平野 光泰9(1)鈴木 啓示 → (PH)阿部 成宏 → (1)柳田 豊 → (PH)永尾 泰憲 → (1)山口 哲治 → (PH)佐々木 恭介 ■佐々木恭介の一打をあらためて見てみた。ビデオを見る限り三塁・三村敏之のグラブに打球が触れているようには見えないが、三村は後になって「打球がグラブに触れたか否か、その事実は墓場まで持っていく」と話していた。そして事実、何も語らないまま2009年11月3日、心不全で急逝した。いささか謎めいたシーンではあるが、ボクは後になって、このシーンについてあることを妄想するようになった。それは現・法政大監督の金光興二のこと。■金光は高校時代からプロ球界に注目された選手だった。1973年夏の甲子園では、主将として広島商高を優勝に導くなど傑出した選手だった。その後進学した法政大では東京六大学リーグで優勝5回、さらに明治神宮大会連覇に貢献し、江川卓らとともに「花の(昭和)49年組」と呼ばれた。そして迎えた1977年のドラフト。当然プロ球界は金光に熱い視線を送った。本人もプロ入りを希望、そして地元・広島への入団を熱望した。広島もその気で、両者は相思相愛だという報道もあった。だが結局、広島が金光を指名することはなかった。代わって指名したのは近鉄だったが、金光をこれを拒否し、その後はアマチュア野球の指導者の道を進むことになった。■もしこの金光が希望どおり広島に入団していたら、1979年の日本シリーズ第7戦・9回裏の展開はどうなっていたのだろう? ひょっとしたら、まるで違ったものになっていたのではないか???ここからが、ボクの妄想である。金光のポジションは内野手。当時、広島のショートは高橋慶彦だったからポジションを奪うことは難しい。だが三塁手ならポジションを奪取する可能性は十分にあった。もし金光が三塁を守っていたら、佐々木恭介の一打がどうなっていたのだろう? 三村は後に「あの時、自分の身長が低くて助かった(173cm)。もし衣笠が三塁を守っていたら、グラブの先に打球を当てて、フェアになっていたと思う」と語っていた。ちなみに衣笠祥雄の身長は175cm。金光の身長は179cmである。もしこの場面で金光が三塁を守っていたら、きっとグラブの先に当てて、打球はフェアになっていたに違いない。だとすれば、三塁走者の藤瀬史朗、二塁走者の吹石徳一が相次いで生還し、近鉄は日本一を達成していたかもしれない、と。※金光の身長が179cmもあったら、打球はグラブに収まり、5-2-3の併殺が成立したのでは? といった指摘もあると思うが、それはボクの妄想には存在しない。念のため。今日も1クリックお願いします
2013.02.16
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(前回の続き)■1979年11月4日(日曜日)、日本シリーズ第7戦。9回裏、1点差を追う近鉄バファローズは無死満塁となり、一打逆転サヨナラのチャンスをつかんだ。一塁ランナーは平野光泰、二塁は吹石徳一、そして三塁には藤瀬史朗。打席には代打・佐々木恭介。広島 101 002 000 =4近鉄 000 021 00 =【近鉄メンバー】1(6)石渡 茂2(3)小川 亨3(9)チャーリー・マニエル4(7)栗橋 茂 → (PH)(2)梨田 昌孝5(2)有田 修三 → (7)池辺 巌6(5)羽田 耕一 → (PR)藤瀬 史朗7(4)クリス・アーノルド → (PR)吹石 徳一8(8)平野 光泰9(1)鈴木 啓示 → (PH)阿部 成宏 → (1)柳田 豊 → (PH)永尾 泰憲 → (1)山口 哲治 → (PH)佐々木 恭介 ■佐々木恭介の一打の直後、広島ナインは一様に胸を撫で下ろした。三塁を守っていた三村敏之の回想。「あぁ、ファールか、よかったなと思ったですよ。そして、ぼくがあんまり背が高くなくてよかったと思ったですよ。なまじか背が大きくて、少しでもグラブに当たっていたりするとフェアになっていましたからね」捕手・水沼四郎も、三村と同じことを考えていた。「もしこの時、サードを衣笠が守っていたら、果たしてファウルになっていただろうか。背も高く、ジャンプ力のある衣笠であれば、もしかしたらグラブをかすって、ポトリと衣笠の背後に落ちていたかもしれない」■そして一塁の衣笠祥雄がマウンド上の江夏豊に歩み寄り、声をかけた。江夏豊が言う。「お前(江夏)がダメなら俺も辞めてやるから、と衣笠が言った。ブルペンが動いたことを言ったんやね。この時俺の頭がカーッとなっていたことがわかるわけやね、コイツには。嬉しかったよね。もう、この時の周りのムードといやぁ、100人いれば99人までが近鉄ファンという気がしたもんね。だから俺と同じ気持ちでいてくれるヤツがいるということが嬉しかった」衣笠が説明する。「ブルペンはブルペンでいいじゃないか。いまボールを持っているのはお前だから、お前が投げなければ始まらないじゃないか。だから一切外を見ないで、バッターとキャッチャーだけを見て勝負せぇよ。お前はお前なんだから、お前らしさを出して打たれるならスッキリ打たれてしまえ、と言った。中途半端に投げて負けるということは許されなかったですね」江夏が続ける。「このサチ(衣笠)の一言で、ものすごく気持ちがラクになった。開き直ったよね。負けたなと。よし、それなら気持ちよく負けようかと。特攻隊みたいなもの。ボテボテの打球で1点とられるよりか、外野フライで1点とられるよりか、カーンとライナーで真芯に当てられてきれいに負けたかった」2人の会話に出てきたブルペンとは、江夏がマウンドを降りた後のために投球練習をしていた池谷公二郎と北別府学を指している。そして江夏の怒りの矛先は、池谷と北別府をブルペンに行かせた広島・古葉竹識監督に向いていた。俺が抑えの切り札ではないのか。なぜ、俺の後の投手を用意するのか! と。投手とは、とてもプライドの高い生き物である。そして江夏はさらに輪をかけたプライドをもつ。これまでの実績という裏付けもある。それをよく知っている衣笠が江夏を宥め、江夏は自分を取り戻し、最終的に勝利を掴んだ。■このシーンはあまりにも有名である。ただボクには、江夏が古葉監督に対して腹を立てたことことに違和感がある。なぜならこの時、延長の制限時間まであと1時間ほどを残していた。もし同点になり、延長に進んだ場合、打順が江夏にまわれば当然代打を出すことになる。だとすれば、いやでも次の投手を出さざるを得ない。だから古葉監督の指示は、至極全うな判断である。江夏がカーッと腹を立てる筋合いのものではない。いかに江夏が実績のある投手だったとしてもだ。■余談だが、江夏のリリーフ転向にまつわるエピソードをひとつ。かつて阪神を追われた江夏は、移籍先の南海でも思うような投球ができなかった。当時の野村克也監督は、そんな江夏に「プロ野球界に革命を起こそう」と言ってリリーフ転向を勧めた。迷っていた江夏がリリーフ転向を決断したのは、ある日、近鉄‐南海戦で西本近鉄にノックアウトされた日である。場所は大阪球場だった。そして月日を経て、1979年11月4日、江夏は日本シリーズ第7戦で近鉄を相手に見事なピッチングを見せた。場所は大阪球場。不思議な巡り合わせである。
2013.02.11
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(前回の続き)■1979年11月4日(日曜日)、日本シリーズ第7戦。9回裏、1点差を追う近鉄バファローズは無死満塁となり、一打逆転サヨナラのチャンスをつかんだ。一塁ランナーは平野光泰、二塁は吹石徳一、そして三塁には藤瀬史朗。打席には代打・佐々木恭介。広島 101 002 000 =4近鉄 000 021 00 =【近鉄メンバー】1(6)石渡 茂2(3)小川 亨3(9)チャーリー・マニエル4(7)栗橋 茂 → (PH)(2)梨田 昌孝5(2)有田 修三 → (7)池辺 巌6(5)羽田 耕一 → (PR)藤瀬 史朗7(4)クリス・アーノルド → (PR)吹石 徳一8(8)平野 光泰9(1)鈴木 啓示 → (PH)阿部 成宏 → (1)柳田 豊 → (PH)永尾 泰憲 → (1)山口 哲治 → (PH)佐々木 恭介 ■カウント1-1から江夏豊は佐々木恭介に対し、第3球目を投げた。<14球目> 内角低めに落ちるフォーク。ファール。カウント2-1。佐々木が強振した。打球は一度佐々木の足元で地面に当たり、その後大きくバウンドすると、三塁・三村敏之がジャンプして真上に差し出したグラブを越えて、ラインから30cmほど外れファールグラウンドに落ちて跳ねた。この瞬間、球場を埋め尽くしたスタンドから大きな歓声が上がった。近鉄ベンチからは西本幸雄監督と、その隣りに座っていた有田修三が飛び出し、打球の行方を見守った。そして三塁塁審が両手を大きく広げてファールを宣告すると、2人は呆然としてベンチ前に棒立ちしていた。この直前、サインを送る西本監督の隣りで、まるで我れ関せずといった表情で唾をペッ、ペッと吐いていた有田。吐いた唾が打者・佐々木の視線と西本監督のサインを遮るのでは?とボクが心配するほどだったが、やはり有田もこの試合に関心があったのだ・・・。ま、こう書くと有田の悪口みたいになるが、ボクの真意はそうではない。有田のしぐさは当時の近鉄選手らしい奔放さとも言えるが、わざわざ西本監督の隣りで妙な行動を繰り返す有田は、ひょっとしたら何か特別な任務を負っていたのではないか?という疑問である。もちろんサインは西本監督から出ていたに違いない。だとすれば、有田はどんな任務を負っていたのか? いっくら考えても答えは見つからない・・・。■さて、話を戻す。佐々木の話。「打った瞬間、うわぁ、ゲッツーやと思う気持ちと、抜けた!と思う気持ちが短時間の間に何度も交錯した」西本監督は三村のグラブに打球がかすったことを疑った。だが三塁コーチ・仰木彬が何も抗議しなかったため、その疑問を胸の内に閉じ込めた。野村克也はこの場面を振り返り、佐々木は江夏にたんに振らされただけだと言った。「江夏のカウント稼ぎに振らされたんですね。江夏は次に胸元に思い切って球を放った。ファウルされたけど、これはウイニングショットの前の捨て球です。次の5球目にもうひとつ、内角低めに真っ直ぐを投げる。これも捨て球ですわ。で、最後に5球目とまったく同じ球道で、バッターの近くに来てスッと落ちるカーブを投げた」■ボクはこの場面をテレビで見ていた。佐々木が打った瞬間、打球はただのボテボテのファールに見えた。だが、テレビを通して大歓声が聞こえたものだから、その歓声につられて、おっ、惜しい当たりだったのか! と思うに至った。だからボクにとって、この打球自体への思い入れはさほどない。球場で見ているより、テレビのほうがよく見えることもある。ファールを宣告され、球場の大歓声は一気に鎮まった。江夏はまるで慌てなかった。「あのコースを引っ張っても、絶対にヒットにならないんだ。ファールか、内野ゴロになってもボテボテの当たりになる。絶対フライにならないはず。だからあの時、オレは慌てなかったね」
2013.02.10
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