あま野球日記@大学野球

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2006.12.28
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カテゴリ: 近鉄バファローズ
中村、自由契約の可能性も=1億2000万減で交渉難航



28日、分かった。
代理人の茂木立仁弁護士が同日、4度目の交渉に臨んだが、
条件提示にも至らなかった。下交渉では限度幅を大きく上回る
1億2000万円減の8000万円を提示されており、茂木立氏は
「自由契約の話が出ているのは確か。(トレードなど)いろ
いろな方向性があるのは認識している」と語った。
中村は今季、左手首の故障などが影響し、出場85試合で打率
2割3分2厘、12本塁打に終わったが、「痛くても試合に出続け
てきた」と当初から公傷扱いを要求。「それを考慮することに
はならない」(機谷俊夫球団代表)とする球団側との溝が深ま
っている。金額は推定。 
                     (時事通信)


中村紀洋 。近鉄ファンだったボクは当然、ノリのファンでもあった。
いや、それ以前に高校時代から彼を知っていた。91年の夏、
2年生ながら4番打者として甲子園に出場していた。高校は大阪
・渋谷高。「大阪でなぜシブヤなんだろう?」と不思議に思った
のがキッカケ。その後、シブタニと読むことを知った。

92年、ドラフト4位で近鉄に入団。「 伝説の10.19 」から
4年を経過していた。4位といいながらも、球団の中村に対する
期待は大きかったように記憶している。

金村義明 (報徳学園高)がおり、レギュ
ラー獲りは難しかったが、95年に金村の故障を機に三塁のポジ
ションをゲット。中村ノリの華やかな(はずの)プロ野球人生が
スタートした。

以降、ノリの選手生活は順風満帆だった。ファンからすれば打って
欲しい時に打ってくれる4番打者であり、身体つきにはそぐわない
俊敏な動きで守備も上手かった。まさに近鉄の将来を背負って立つ
はずの有望株だった。

当時、幼かった息子にせがまれてノリのサインボールを球場で買い、
そのボールは我が家の居間の特等席に、貴重なものとして偉そうに
鎮座していた。


ノリはチーム内で孤立していたようだ。 ローズ (近鉄-読売)とは
仲がよかったようだが、あまりに 「お山の対象」 になり過ぎていた。

そして'02年のオフ、近鉄を飛び出しメッツと契約寸前に破棄。

フィフティワンズ(ドジャース)と契約。わずかな期間をメジャー
で過ごすものの、実績を残すことなく同年末にはさっさと日本に
帰国してしまう。

お山の大将が、その立場を守りたいがためのわがまま放題。これで
はだれでもが傍から離れていく。

いったいどうしちゃったんだ?

今回あらたに火種になった「公傷扱い」、実際のところ問題はそんな
ことではなく、傲慢な態度になってしまった、もっと根深いこと(ノ
リ自身)にあると思う。

もし自由契約になったら、その後拾ってくれる球団はあるの?


さて、わが家にあったノリのサインボール。
居間の特等席にあったものが次第に格落ちし、息子とのキャッチボー
ル用になり、たった一年で帰国した頃にはノック用のボールに再び
降格。いまではボロボロになり、ノリのサインなど全く見えなくなり
ただのドス黒いボールになってしまった。



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Last updated  2006.12.29 01:23:01
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