ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表スタッフ会議が2日、
宮崎市内のホテルで開かれ、代表チームを率いる原辰徳監督をはじめコーチ陣が、15日に代表33選手が集合する宮崎合宿のスケジュールや
練習メニューなどを話し合った。
合宿は22日までで、練習は投内連係やシート打撃などの実戦形式が中心。
約1カ月後に迫った大会に向け、最終調整とメンバー選抜が目的となる。
原
監督は 「個々の技術は、もともといいと信じている。団体としてどう動くかが
求めるテーマ」
と説明。採用が決まった延長戦でのタイブレークなど独特の
ルールについては、 「
決められた規約や規制の中で戸惑わず、そういう場合
はどう戦うのかという意識を持ってもらう」
と語った。(時事j通信)
昨日に続き
、今日はWBC・ 原辰徳
日本代表監督の東海大時代のこと。
<東海大時代>
東海大相模高を卒業時、プロから注目された原だったがそれを完全拒否。
系列の東海大への進学を宣言した。東海大が所属する首都大学リーグは
それまで今ひとつマイナー感があったようだが、スター選手の原辰徳を加えた
ことで、(少なくとも)マスコミからの注目度は格段に増した。
人気だけではない、もちろん実力だってハンパじゃなかった。リーグでは3度の最高殊勲選手、7度のベストナイン、2度の打撃三冠王を獲得した。
■チームメイト■
東海大相模高時代のチームメイト、 津末英明
(元・日本ハム)や 村中秀人
(現・東海大甲府高監督、東海大)らがいた。また大学入学後、新たにチーム
メイトになった選手に市川和正(元・横浜、国府高)や高野光(元・ヤクルト、
東海大浦安高)らがいた。
■首都大学リーグ内のライバル■
だれかいるだろうと思って探してみたけど、東海大の選手以外にこれといった
選手が見つからなかった。
■大学野球のライバル■
法政大・ 江川卓
(現・解説者、作新学院高)、早稲田大・ 岡田彰布
(前・阪神監督、北陽高)らが好敵手として有名。
以下、「 JANJAN
」より引用。
東海大・原辰徳vs法政大・江川卓
「1977年秋の明治神宮大会、江川の法政と東海大学が決勝でぶつかった。
原は江川から堂々のホームランを放った。このホームランは新たな大学球界NO1
バッターへの狼煙でもあった。だが、最終打席は江川の豪腕がうなり原は三振に
しとめられ、格の違いをみせつけられた。優勝は法政」
東海大・原辰徳vs早稲田大・岡田彰布
「1976年、原は前代未聞の1年生でありながら、日米大学野球に選ばれた。
ポジションはサード。岡田は日米大学野球のセレクションで卓越したバッティング
センスを見せながら、メンバーに選ばれなかった。原の父貢氏が選考のとき強引
に岡田を落としたという噂があったもの事実である。『岡田はアメリカ向きではない』
という理由に岡田は納得できなかった」
が原と思っていたが、実際に選ばれたのは岡田だった。
「岡田は春のシーズン3ホーマー、首位打者は惜しくも逃したが、そのシュアーな
打撃は高い評価を受けていた。このとき、原は高校2年のとき、全日本高校選抜の
メンバーとして壮行試合で対決したオール大阪のピッチャーを思い出した。
岡田である。しかも、今度は、岡田が全日本のサード4番として原の前に立ちはだ
かったのである」
(以上、JANJAN)
原と岡田、大学時代のサード争いは激しかった。高校時代もオール大阪の投手
だった岡田は、全日本高校選抜の打者・原と対戦した過去があった。いつもいつも
この2人はライバル関係にあった。もちろんプロ野球の世界でも。
こういったライバル関係を改めて知ると、
昨年読売に大逆転優勝を許した阪神・岡田監督の辞めたくなった気持ちが、ボクは
理解できそうな気がした。
林昌勇の球は正面勝負だった 2009.03.28
星野仙一、WBC優勝祝う 2009.03.26
イチローを敬遠しなかった理由 2009.03.24
PR
Keyword Search
Calendar
Comments