野球害毒論、早稲田旧選手・河野安通志談(1)
■ 河野安通志
の懺悔が始まった。
野球のために選手が学科をなまけ、そのためにともすれば落第するもののあるは蔽うべからざる事実である。私なぞも選手中は非常になまけて今では後悔しているようなわけだ。私も早稲田なぞへ入らずに高等商業へでも入ったらば、と時々思わぬでもないが、
今さら何を考えても詮ないこととあきらめている。京浜電車会社にいる 獅子内君
(※)
は自分でも言っているが全く早稲田の野球部のために犠牲になった人で、彼の人にして父母の言うがごとく、盛岡の高等学校へ入ったらば今より幸福であったろうと思う。
その罪を懺悔す。野球選手が華美な服装をするということも日本野球の弊風であるが、その最初は私等が38年の渡米から帰った時、浅い考えから妙な服装をしてその風が日本全国へ伝播するに至ったのだ。今から考えれば私はその罪を懺悔せずにはいられない。・・・入場料をとることも・・・教育者間でやかましく言うならば安部部長は入場料徴収を中止しようと言っておられた。
選手を買収す。早稲田大学では目下学生一人について図書館費と運動費合して3円40銭をとっているが、選手のみで運動場運動器具を占有しており、他の学生は球を手にすることさえもできぬ状態にある。・・・早稲田、慶應が野球を学校広告に遣う、明治はことに甚だしいと御紙の記事にあったが、いかにも明治は私もひどいと思っている。早稲田の第二選手の投手であった山下などは明治へ買収されて行った形跡がある。
※獅子内君とは、後に「岩手野球の父」と呼ばれた 獅子内謹一郎
のこと。 第1回目の早慶戦
には早稲田大の5番・センターとして出場している。また 天狗倶楽部
のメンバーでもある。余談だが盛岡中学校時代は詩人・ 石川啄木
とも親交が深かったらしい。
■「野球と其の害毒」を通じて批判された内容(「成績不良」「華美な服装」「入場料徴収」
「学校広告」)など一つ一つを丁寧になぞりながら、そのすべてに対し河野は懺悔した。
あまりにも違和感の残る記事だが、(前回も書いたとおり)この直後、河野はこの記事が捏造であるとして東京朝日に反論を開始した。
その反論記事は第13回目(9月10日)に掲載された。(続きは 次回
に)
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