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今日で1月も終わり^^いかがお過ごしですか?東京はどうなんだろう?ものすごい不景気、とかリストラ、とかあるんだろうけどがんばって生きましょう。だって、すべてのいのちには必ずこの地球でできることがあるはずなんですから。こちらは、わたしの方はどうも、長すぎて風邪と呼べないような咳と耳の難聴的な(これは12月中ごろから)感じがよくなるかなーと思わせてはまたぶり返してなんで病院行かないの?と言われるけれどだって治りそうだったんだもん、というジレンマにいまだ苛まれています。主人も一緒に暮らしているとあまりに長いし治ったかなーというころまたぶり返すので治すぞという気が起こらないみたいで、わりとほっとかれています。今朝はまたちょっとひどくなっているのでこれはいっそのことユタさんにでも看てもらいたい、そのために治らないんじゃないの?と思ってみたりしました。うらはらに最近の私の家でのいでたちは半袖短パン裸足。そうかと思うと寒かったりするので単純にお天気にからだが順応しきれない状態かもしれません。ハローワークに通っていた主人は、沖縄での第一歩が決まりました。古島という、那覇のモノレールの駅前に2月9日にオープンする「大きな手」という治療院で鍼灸師として籍を置きます。「大きな手」は面接日が主人の誕生日で2人で話し合い(完全歩合制だったり新規オープンだったり就業日まで日があったりしたので)OKの電話を入れたのが旧正月。そしてオープンが、私たちの引越し1月9日からひと月。ハローワークからしょぼしょぼとやってくる求人の用紙を並べて「これだろう(呼ばれてるのは)」と思いましたが(他のは条件悪すぎというのもありましたが)今のところそうなってるようなので従ってみています。蓋をあけてみないとまだどうなるんだかわかりませんが。鍼灸師は主人だけで、設備や宣伝などの企画にも参加させていただき場所を使って存分にやってください、といったスタンスなのでいい勉強と修行になるだろうし、本来やりたい治療ができることが何よりです。これでだめなら、その次もないだろうし。時間も融通が利くようなので、糸満「Ruach」でも「大きな手」でも受けていただける体制でいけそうです。この間知り合ったボーカルの男性はスパリゾートのマッサージスタッフだそうでHP見ると、波動とかヒーリング、人間としての回復、経絡、経穴を念頭に、なんてありました。スパでですよ。さすが沖縄。沖縄で、ご自分のメンテナンス、ぜひお勧めです。私たち夫婦は沖縄ファンとか沖縄好きで移住してきたわけではなく主人の言葉を借りれば「人間になりに」私は、地とより繋がるために、来たのですがその見込みは結構あたりだったかもしれません。恐らくパワースポットの最高峰、首里城から。
2009.01.31
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旧暦新年を迎えたあたりからようやく自分のからだに戻って来た感じがしています。引越しってば、ものすごい物理的エネルギーを要求される作業でもうどうにも、スピリット・モードが鈍かったです。鈍かったのか、必要だから物理モードだったのか。物理モードが悪いとは思わないけど、基本重たいし、無意味にしあわせ感を感じられないしやっぱりおもしろくないです。こちらに到着したころなんて沖縄来たけど、あれ?全然あがらないぞ、って感じで夫婦ともに結構不機嫌にもくもくと作業してました。あと、東京の家の荷物を箱詰めし始めたとたんに体調をくずし、あれは家の中の気が乱れたからだと感じ、初めて確信しました。風水あなどれない・・・。やっぱり物がごちゃごちゃしてる環境ってからだに良くないなと思いました。物理次元の作業はほどほどに、没頭せずに、できればもう少しよかったかな。夫婦ともに意外ととことんかたづけたいタイプだったのね、と再認識。おかげでおかたづけはだいたい済みましたが。で、夕方時間があるときは夕日を見るのが日課です。今のところ。おなじみ美々ビーチです。玉城跡にて。糸数城跡。戦いの匂いがします。
2009.01.29
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旧暦の元旦でした。糸満市は学校も漁も市場も一部の病院もおやすみ。ここは海んちゅの町なので、沖縄でも旧暦のしきたりがもっとも色濃く生きてるそうです。ディープな沖縄に住めてよかったなー。糸満ありがとう。今日はうちから一番近い島瀬長島の夕日を見てきました。元旦の夕日。縁起物かな。みなさんにも沖縄から地球のパワーが届きますように。
2009.01.26
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というか、朝と昼とおやつが一緒になってしまったくらいのご飯をベランダで食べました。紅芋や葉にんにくがたくさん入ったチャーハンでものすごく色鮮やかだしおいしかったです。ごはんを食べていると、小さい男の子3人が川向こうを歩いていてこっちの川底を指差して「ヤンバルクイナだ!ヤンバルクイナだ!やっぱりいるさー!」と叫んでいました。実は何日か前に、ヤンバルクイナに似た鳥をみつけたのですがこんなにイージーな場所(しかもわざわざどぶ川)にヤンバルクイナがいるものなのか全くわからないので二人の間で保留にしていました。子供たちがかなり興奮していたのでもしかしてそうなのかな、と思っていたら3分後くらいに今度は中学生くらいの女の子が6~7人で歩いてきて「あ、ヤンバルクイナ!」とその中の一人が叫びました。じゃあもう、そうなのかな、と思ってなんだか嬉しくなってしまいました。ベランダからみていると今日も知らない鳥が来ました。2日曇っていたので晴れたのが嬉しいのか今日の鳥たちの鳴きっぷりというより歌いっぷりはすごかったです。よーく見ると青鷺がいます。アヒルににわとりのトサカみたいなのがついたでかい鳥です。うちの前の名前のない川です。今調べたけどヤンバルクイナはやんばるにしかいないみたい。だけど、すごい、うちのどぶ川。
2009.01.25
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えー、ようやくパソコンデスクのセッティングが完了しセラピーベッドのお部屋も整備されました。今日は久々にRuachのHPを更新しました。お電話によるセッションとメールによるセッションのメニューを作りました。ご用のある方はぜひご覧ください。こちらをクリック!→Ruach お電話・メールセッションスカイプも準備中です。よろしくお願いします。ところで、私はだんなさんから自転車を買ってもらいました。人生で初の、ママチャリじゃない自転車。マウンテンバイクです。海まで10分。海沿いを20分ほど走って隣の埠頭の100円ショップまで行きマウスパッドをいっこ買いました。海上の橋を走るのは恐ろしく最高な眺めです。写真は美々ビーチの夕日。
2009.01.23
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まだご近所を行ったりきたりしてるだけだけどこちらに着いた初日からびっくりしたのは子供たちでした。道を歩いてる大人ってあまりいなくてほとんどは中高生以下の子供たち。小学生以下の子達はとにかく私たちを見かけるとじーっと目を見てきます。なんか話しかけたい感じでもぞもぞしたりこんにちは!って言ってきたり自転車でふざけて私のすぐ後ろについてきてけらけら笑っています。中学生くらいになるととてもシャイな感じがします。大人も、シャイです。みんなシャイなので自分の振る舞いがなんだかつっけんどんでつよそーに感じたりしてしまいます。私も東京ではシャイなほうだったんだけどな。ガスの開通手続きで「はんこおしましょーねー」と言われておかしかったけどお店でもどこでも「じゃあ預かりましょーねー」と言われます。すごくかわいいです。あと、神社がありません。昨年の御札を返す暇がなくて持ってきてしまったのですが近所の神社に行ってみたところ鍾乳洞のような岩をお祭してあって神道の神社とは全然違います。社務所もないし御札もないです。どうしよう・・と思っていたところに女性がやってきて、はだしで神さまの前にひざまづいて儀式を始められました。うわさのユタさんなのかな…。あちこちに参拝するための場所(岩とか洞穴)があって参拝者はお供えものを置いていかないようにという看板がはってあります。沖縄はやはり、大地そのもの、自然そのものに祈るところなのかなと思います。お祈りの仕方や由緒やしきたりを知りたいけれど本当になにも説明がありません。とても気になります。
2009.01.19
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うちの前は川なんですが残念なことに排水が臭います。川には大きなゴミがいっぱい捨てられています。「千と千尋の神隠し」のクサレ神さまみたいです。満潮になると水が増えて干潮だと水がなくなります。でもそんな川に、青鷺さんをはじめたくさんの鳥が住んでいて鳴き声は私の知ってるのと全然違ってジャングルのBGMみたいです。それからうちの前はその川の水からマングローブが茂っています。窓からはマングローブの茂みが見えるしでっかい亀や魚も泳いでいます。くさいんだけど、絶対に立ち止まって覗き込んでしまいます。この川がきれいだったらどんなにいいだろうと一日に何度も思います。うちはお洗濯にピリカレって洗剤を使っていてこれは、抗酸化溶液が入っていて、使うほどに環境を浄化するせっけんでした。(今はえみなって名前に変わりました。)これで洗濯するとベランダの排水溝にお花がいっぱい咲いていたので安心して洗濯排水をお花や野菜にあげていましたがあげるほど元気になりました。拭き掃除に使うと空間がぴかぴかになりトイレにも、換気扇の掃除にもなんでも使っていました。沖縄でみんながこれ使うと川ももう少しきれいになるんじゃないかな~と真剣に思ってます。それから、スーパーの野菜は東京の都立大付近(東京でも物価が高い)と変わらなかったので残念に思っていたのですがJAの糸満直売所をみつけることができていってみたら糸満産の野菜が安くものすごい元気なオーラを放ちながら並んでいました。昨日は豊見城のJAをみつけて喜んでいたのですが糸満産はさらに元気においしそうに見えます。やさいパパイヤ、紅芋、ふーちばー(よもぎ)沖縄にんじん、もずくなどをもりもり食べていますが、本当に最高です。ただ、今夫婦で失業しているので喜びがやはりいまいちです。仕事は私たちにとっては自己表現なのだな~と改めて話し合っています。奉仕と自己表現なしには生活の喜びは満喫できないのかもしれないな。
2009.01.18
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2週間歌っていない。ここ5年でほとんどなかったことなのでからだがちょっともんくを言っている。星に向って1曲歌ってみた。頭が忘れていると、からだがお知らせを出してくるものだな。からだ、さすが。
2009.01.16
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沖縄入りから一週間かぁ・・まだご報告できるようなこともないのですが今日はレンタカーでようやくご近所の海を拝むことができました。糸満はうみんちゅのまちでキャッチフレーズは「ひかりとみどりといのりのまち」。本当に歩けば歩くほどそのものだと感じます。それから、おじいちゃんに、無事移住を報告してきました。平和の礎(いしじ)はもう3回目。沖縄戦で亡くなった方全員の名前が祀られていますがなんだか天国みたいなところで行くたびに生き返る感じがします。ここへ来るといろいろな大切なことを思い出させてもらえます。本当に、平和祈念公園なんだ、と思う。それから、ガンガラーの谷。カフェになっています。なんかすごかった。奥はツアーでしか入れないんだって。今日は入り口まで。えーっと、私は沖縄にいのるためにやってきたんだ…糸満に来られてよかったな~と今日は感じることができました。ではおやすみなさい。
2009.01.15
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転入届出しました。車がまだないのでどこに行くのもとても大変です。だけど、糸満の旧市街のさびれっぷりが好きです。市役所は巨大で、海に浮かぶ要塞のようです。上は市役所駐車場から。そういえば引越し前々日の朝、私の携帯に沖縄らしきナンバーで間違い電話がかかってきました。間違いが何かの間違いだろうと思い、その後しばらくかけなおして来るのを待ちましたがそのままでした。家の前で沖縄ライブがあったのに続いて驚きました。
2009.01.14
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滑り込みセーフ、2009年元旦に書けました。沖縄への引越しの荷造り真っ最中です。陣中見舞い歓迎です^^主人の方は今日は疲れが出たのか体調を崩し一日中寝ていて今もまだ寝てます。私は昼から私の唯一の過去の歴史的な遺物、写真と芝居の台本、過去に掲載された雑誌などの一まとめに入った箱をあけ小さな箱に分納しました。元旦ってどうしてこんなに穏やかなお天気が多いのだろう。子供の頃から不思議に思っていました。ベランダの窓全開で22~4年前の芝居の台本をそーっとめくりました。(ボロボロで崩れそう)長セリフを探して適当に読んでみました。すると、あの頃の、ではなく、新たなドキドキや胸が締め付けられるような感動が全身に巡りました。わかっていたつもりだけど全然わかってなかった!こんなすごいことやってたんだ~!とびっくりの連続でした。87年9月の、スピリチュアルの世界ではハーモニックコンバージェンスという記念すべきアセンションの時私は初主演でM版真夏の世の夢~惑星探査船キャプチュード外伝~という芝居をやっていました。私はその宇宙船の乗組員で環境調査官の聖さんという役でした。物語の狂言回し的役どころになんとW・シェークスピアが出てきたりして。(スピリチュアルでは、シェークスピアは有名なマスターが過去に転生したと言われてます)私、聖は移住可能な惑星を調査中に失踪します。物語はそこから始まるのですが、これがもう、説明し難いスジです。私が失踪した星は、シェークスピアが言葉と役割の創造主として支配しているのですがしあわせ、というものを創造するには何かが足りていません。彼は、その星の住人の、不定形生物ユウたちに代わる代わる役割を演じさせてしあわせを求めます。そこに私、聖が調査にのために上陸しますが聖のなかにある「思い」が一人のユウとシンクロして私はそこからどこにもいけなくなってしまいます。…というようなスジだったことは今日初めてわかりました。というか今書いていても合ってるか定かではありません。聖は、自分の中に、どうしてもこう生きたい、というような駆り立てられる思いなく生きていました。それは少女の頃のことですがその思いがないため、どこにも進めないでいました。「小さな頭を小さな思いでいっぱいにして生きている人を見てうらやましくて泣いてばかりいました」というようなセリフが出てきます。復讐のためでもいい、迷いなく一生を賭けるような生き方がしたいと彼女は言っています。つまりそういう思いなく、どう生きていいか選べないのです。そのセリフは、当て書きです。つまり、21歳の時の私がしゃべったことを作家がセリフにしています。けれど「死なない限りは人は歩き続けなければならない」と悟り生きることを始めます。セリフを読んでいると痛いばかりですがこの芝居はものすごいエンターテイメントになっていて劇中あらゆることろに小劇場ならではのパフォーマンスが組み込まれクライマックスシーンは延々と戦闘シーンが続きます。私はそれで、大人気になりました。ちょうどその頃、エイリアン2が封切され私のコスチュームも武器も先輩がリプリーそっくりに作ってくれ私の筋肉と殺陣はめっちゃかっこよかったらしいです。歌とダンスもやりまくりました。公演が終わり、プロのカメラマンが撮ってくれたたくさんの舞台写真を見てその表情や動きにびっくりしもしかしたら私は、自分で思ってる以上の何かをやっているのかもしれないと初めて感じました。劇場を出てくる人たちが握手を求めてくれ「ありがとうございました…」と言われる体験をしたのもこの公演の時でした。しあわせに生きるためには役割と言葉に、思い入れが必要だったようです。でもそんなことよりあのエネルギーです。それから「わが町」をまた読んでしまいました。死んだエミリーが墓場からこの世を省みて言うセリフ。エミリー:さようなら、グローバーズコーナーズ、ママやパパ。 時計の音よさようなら。 それからママのひまわりも。 それから、あったかいお風呂。 それから、眠ったり起きたりするのも。 ・・・・・・ ああ、地上の世界よ、それはあまりにもすばらしすぎて 誰にも理解できないのよ! …人生を、一刻一刻を生きている間に人生を 誰か本当に理解できた人はいるんでしょうか?進行役: いませんね。 聖者や詩人なら、いくらかはね。私はまだ一年生で役につけなかったのですが、このエミリーのセリフを何十回口にしたかわかりません。そのたびに号泣しました。でも今日は号泣より驚嘆のほうが大きかったです。それは、あれから20数年間こんなにも様々な体験をして成長したつもりでもこの芝居の世界は相変わらず完全なる宇宙観と神の視線を微動だにせず保持し続けていたからです。偉大な芝居にはかなわないな。芝居ははなから、宇宙より地球という小さな小さな舞台を見下ろして書かれている。もちろん、それは偉大で奇跡的にこの世に降ろされたものに限るのだけれど。■Ruach■
2009.01.01
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