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今週火曜日、楽天のショップで買い物をしました。来週月曜日の病院行きのときに持って行きたいカバンを購入したのです。治療に4時間ほどかかるので、その間に使えるかどうかわからないながら、ノートPCと着替えなんかを入れられる少し容量のあるカバンが欲しくて、取り急ぎ注文したという経緯です。当該商品は、「1〜2営業日に発送」となっていて、遅くとも木曜日には発送してもらえるものと思っていました。が、14:30ごろに注文したのに、確認メールが23時近くに来たので、少し嫌な感じがしました。結構対応が遅いショップなのかも。。でも、到着の指定日が金曜日(30日)〜になっていたので、通常、指定しなければそれ以前に到着するのが楽天のショップの常識です。加えて、佐川かクロネコなら、会員登録しているので、事前に配送希望を聞いてくれるメールが到着します。という背景から、日時指定せずに注文しました。が、木曜日になっても発送メールが来ないし、佐川あるいはクロネコからのメールも届きません。来週月曜日に使いたいとなると、最低でも日曜日には到着して欲しいわけで、金曜日には発送していただかないと……。加えて、台風の影響も心配です。ショップの所在地が埼玉県で、台風から遠いのに、大雨の被害があったと聞きました。木曜日の夕方(16時過ぎ)にメールを送信しました。「1〜2営業日に発送となっている商品だから、問題ないと思っているのだが、使いたい日があるし、台風の影響もあるだろうから、なるべく早く発送してほしい」といった内容。しかし、返事は届かず、金曜日に。ショップによっては、発送メールを送らずにいきなり商品を送ってくる場合もあるので、そちらに期待していたのですが、金曜日の夜、クロネコから配送に関するメールが届きました。こちらからの問い合わせにも返信せず、発送したのか、と、ショップの対応についてはちょっと残念に思いましたが、クロネコを使ってくれたので、よしとします。「土曜日午前(8〜12時」を指定しました。本日7時過ぎ、クロネコからメールが。「荷物の到着が遅延しています。指定の日時にお届けできない可能性があります」とのこと。おいおいおいです。そうでしょう。埼玉の大雨については、発送の遅延をもたらしたかもしれないけれど、金曜日に発送したことは事実なので、私にとっては、それ以上でもそれ以下でもないわけです。しかし、岐阜でも大雨になっていたので、これに引っかかるのではないかと危惧していました。そうであるのか、それ以外の問題だったのかはわかりませんが、結果的に荷物の到着が大幅に遅延したのは事実で、その後のメールによると、13時過ぎに到着したという通知。すぐさま持ち出して配送するということでした。14時過ぎに無事到着。配達のスタッフに「大変でしたね。皺寄せはこれからですよね。頑張ってください」と声をかけました。何しろ、午前配送希望の私の手元に届いたのが14時過ぎなのですから、数時間押しているわけです。きょうの配送からこぼれる荷物もあるのではないでしょうか。物流は24年問題もあり、大変な状況になっているようです。そこへ台風などの自然災害。元旦の地震の影響もまだまだ解消していない状況。アホの政治家と世間知らずの官僚がつくった変な法律、何とかならないものでしょうか。いまの日本、司法はおかしいし、政治家はバカだし、官僚は自分のことばかり考えて、国のことなどどうでもいいという輩ばかりだし、税金をチューチューする団体が嘘ほどあるし。これはこれで改めて書きましょう。最近には珍しい時事ネタか。はい、近々。日曜までに荷物が到着するかとヒヤヒヤしましたが、何とか届いてよかった。月曜日は8時に病院到着、終了は14時くらいという結構なハードスケジュール。新しいカバンを持って、行ってきまーす。
2024.08.31
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これは、怖い主治医と何の関係もないのだが、自分のことを「虫けら」と呼ばせていただく。思い起こしてみると、私は決して恋愛遍歴を披瀝できるような華麗な経験をしたわけでもなく、人様にお伝えできるようなこともないのだが、ここに記しておかなければ、間もなく、その事実さえ無きものとなってしまうので、とりあえず、虫けらの一人語りということで。●13の春中学に入学したら、小学生のときによく会話をしていた二つ上のお兄さん(後に「先輩」と呼んでいた)が、とんでもなくカッコいい3年生になっていて、驚嘆すると同時に、おかしな一目惚れをしてしまった。「一目」ではないのに、余りにも昔と違うので、違う人として恋してしまったということなのだ。手紙を書いた。が、返事もなく、一年が過ぎて、卒業してしまった。途中、先輩の同級生の女に嫌な言葉を吐かれたりしたが、卒業式の日に虫けらの同級生がサイン帳にサインをもらってきてくれて、虫けらの恋は終わった。しかし、この3年後、虫けらが高校二年生になった年、アルバイト先のレジで事務作業をしていたら、新入社員の研修御一行様が前を通った。最後尾の人が振り返って虫けらを見ていた。先輩だった。ドッキンドッキンした。アルバイト先には(部署は全く違うが)虫けらの不良姉がいて、姉を通して先輩が虫けらのことを聞いてきたりしていたが、虫けらは徹底的に避けた。中一のときの自分の行動が恥ずかし過ぎて、顔を合わせることができない。そうこうしているうちに、先輩は結婚して、転勤した。しかし、その後も通学のときに先輩に会ったことがあった。向こうが気づいていたかいなかったかはわからないが、目が合った気がした。ちょっと、運命を感じた人だった。●15の夏虫けらが本格的に恋をしたのは14歳(中二)のとき。一年生のとき、三学期だけ同じクラスで過ごした転校生がいた。私はソフトボール部でピッチャー。彼は野球部でピッチャーだった。部活のとき、使用しているグラウンドのエリアが隣り合わせなので、外野を守っているときは、後逸したボールを取りに行ったりして野球部の部員と会話したりすることもあるのだが、彼とはピッチャー同士だから、そういう機会もなかった。二年生以降、彼とは、同じクラスになることはなかったのだが、なぜか、いろんな場面で同じ枠組みにいた。生徒会にいたことが大きかったか。そして、3年生のときに、向こうから告白してくれた。晴れて付き合える! と歓喜したのが夏休み前。夏休み中に一度散歩した。本当に散歩だった。会話もほとんどすることなく、彼の転校前の学校や地域をぐるりと歩いて帰ってきただけのデート。夏休み後に「無理、ごめん」と言われて終わった。何が無理なのかよくわからなかったが、私側に、彼のファンというか、彼を好きだという女どもがひどい言葉と態度で虫けらを罵倒してくれたので、こういうことが彼側にもあったのではないかと推察した。彼の言葉を素直に受け入れた。ときは過ぎ、28のときに同窓会で再会した。改めて二人で食事に行き、中学生のときに聞けなかったことを少し聞いて、わだかまりを胃の腑に落として青い時代の思い出に蓋をした。なぜなら、彼は間もなく結婚すると言ったからだ。しかし! それで終わりではなかった。20年後、謎の封書が届き、手紙には「連絡を下さい」と書かれていて、何かあったのか! と驚いて、記載されたで番号に電話したら、単に会いたいという話。再再会以降、年に数度(コロナのころは1年あいたが)、いまだに連絡があるし、会っている。15から何年たっているのだ。彼は「僕たち、縁があるんや」というが、縁を繋いでいるのは、確実に彼であって、私ではない。9月にも会う約束をしているので、あと1年もないことを告げて、この関係をまとめなければならないと思っている。●23の春虫けらの父親は大変横暴な人だった。アホ兄が原付免許を取るときに誘われて虫けらも免許を取りに行く算段になっていた。しかし、親父が大反対。意味がわからないのだが、「女は一生単車にも車にも乗るな!」と言う。アホ兄が虫けらを誘ったのは、自分だけ試験に受かって虫けらを馬鹿にする魂胆だったと思う。あの人は、虫けらを虫けら以下の扱いしかしなかった。もし虫けらが試験に通ったら、「ずるしたに違いない!」と言うだろうし、虫けらだけが試験に通って兄が落ちたら、それこそ一生嫌がらせされるかもしれない。結果的には親父が反対してくれてよかった。こういう状況だから、普通自動車の免許もなかなか取りづらい日々を過ごした。運よく、22で少々無理やり独立を果たし、そのときについていた職業をやめたタイミングで合宿免許にチャレンジした。合宿先は福井。ごはんが驚くほどおいしかった記憶がある。旅館の仲居さんがご馳走してくれるおやつがまたお米由来のものばかりで、ちょっと太って大阪に戻った。大阪に戻る直前、最後の教習を終えてリムジンバスに乗り込んだ私のところに、教習で2度乗ってくれた教官がバスに入ってきた。「嫁にこい」と言う。実は、虫けらもその教官のことが気になっていた。しかし、その言葉を発した後、教官はすぐにバスを降りてしまった。一人取り残された虫けらは、呆然とするしかなかった。すぐに「はい」と言うのは憚られた。大人の女としては、当然だと思うが、田舎の男性は、もっとストレートな思考をしているのかもしれない。大阪に戻って悶々とした。こちらから連絡をするとしたら、教習所に電話をかけて、呼び出すしかない。しかし、合宿組は大変目立つ存在なのだ。大阪という大都会から来ているということもあるし、やはり、ファッションとか、考え方がどこか違うのだそうだ。教習中に、教官の何人かからデートに誘われた。そういう状況だから、こちらから連絡できずにいた。すると、1ヵ月後、電話があった。教官の声を聞くと、涙が出そうになった。「あぁ、私はこの人からの電話をこれほど待っていたんだな」と胸が熱くなった。教官とは一度だけ会った。福井の自宅に招いてもらって、母上にも会った。が、結婚は無理だと思った。田舎なので、嫁の氏素性には大変気を使う人々で、まして、資産家の家系だったので嫁入り道具がどうの、同居がどうの、仕事がどうのと制約が多すぎた。23の女には、到底受け入れられない世界だった。そこで終わったはずだったが、それから何年かして、教官が連絡をくれた。結婚して子供が生まれたが、お嫁さんの産後の肥立ちがよくなく、お子さんも保育器から出られないというかわいそうな状況を話された。教官の心が落ち着くまで相手をし、電話を切った。それっきりだが、それからずっと「どうしているだろう」と考えている。虫けらが人生最初に結婚を意識した人だったからか、好きなのに諦めなければならなかったからか、いまとなっては自分の気持ちすら思い出せない。と、長々書いてしまったが、ここに夫が登場していないことでもわかるとおり、まだ幾つか書き記しておきたい恋愛物語がある。近いうちに、第2弾を書くとしよう。
2024.08.30
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先々週の入院時、手術中に怖い主治医が手術室を訪ねてくれたのに、虫けらは気づかなかった! というエピソードを書いた。ずっと目を見開いて手術の痛みに耐えていたのに(目をつむると神経が手術部位に集中されて、余計痛いように感じる)、ほんの一瞬目をつむったときに怖い主治医が私の顔を見て、声をかけるのを遠慮したというのだ。そんなことある?と自分で自分に問いただしたほどだ。ずっと、怖い主治医が来てくれるのを待っていたのに、そんな偶然の一瞬があるものか! と。ことほどさように、私の間の悪さ、タイミングの悪さはピカイチなのだ。怖い主治医の話でも、もう一つある。私が他の病院から回されていまの病院に来た日、内科外来を受診してすぐに緊急入院となって病棟に行き、病室に入った。が、緊急手術まで時間があったのと、手術着だけでなく、手持ちのパジャマを着るタイミングがあることを知り、家に取りに帰った。その間に怖い主治医が訪ねてくれたのだ。これは、随分後になって、怖い主治医の口から聞かされ、大変恐縮した。もちろん、その日の夕方に再度訪ねてくれて、言葉を交わしたのに、そのときには言ってくれなかった。これは、私が怖い主治医に対して強い態度に出られない一つの要因になった。トラウマというほどのことではないが、外科部長である偉い先生に2度も足を運ばせたことは、しかも、まだ患者にもなっていない(訪ねてくれた時点では、内科の患者)人間に対して、要らぬ労力を使わせたことは、ずっと詫び続けなければならないことのように思えたのだ。間の悪さ、タイミングの悪さは、夫が一番よく知っていて、いつもツッコミを入れられていた。●左折信号のない交差点で左折するとき、必ず自転車か歩行者が邪魔をする。向こうにしたら、「なぜこのタイミングで左折してくるんだ!」となっているだろうが、私が左折する前後に全く人影がないのに、なぜ?である。幹線道路で、割とスピードを出して走っているので、できればブレーキングせずにさっと曲がってしまいたいのに、なぜか邪魔な人がいるのだ。後続車にブレーキを踏ませるのが苦痛だ。助手席の夫「いっつもや。お前、ほんまに間が悪いのぉ」●原付信号待ちのとき、余り先頭でスタートしたくないのだが、致し方ないタイミングで先頭になったときに限って、原付が私より少し前にスタートし、行く手を阻む。「スピードが出せないのだから、最後尾からスタートしろ!」と毎回思うのだが、信号で止まっている車の左側をスルスルと走って先頭に出てくる。さっき、やっとの思いで追い越したのに!信号ごとにこの攻防を繰り返すことになる。この攻防の途中で、ネズミ捕りにひっかかかったことがある。腸が煮えくり返る思いだった。夫「気持ちはわかるけど、ネズミ捕りにひかかるかー(笑」●宅配便ずっと待っていたのに、全然来る気配がないので、トイレに入ったやいなや!オートロック式のマンションだと、まずインターフォンに出ないといけない。トイレとインターフォンが遠いと取り返しがつかない。宅配便のお兄ちゃんは、何度もコールしてくれない。1回で諦めるので、インターフォンがつながっているわずかな間に何とかたどり着かなければならない。トイレだけではなく、シャワーとか、2階に何かを取りに行ったときとか、キッチンで手の離せない作業にかかっているときとか。ずっと待っていた時間を返してくれ! と言いたい。夫「僕がおらんときに限って、そんなことになっとるな。お前、よっぽど時の神さんに見放されとるんや」●電話スマホは大抵身近に置いている。が、トイレまでは余程のことがない限り持っていかない。大切な電話は、いつもトイレに行っている隙なのだ。電話があったことにしばらく気づかないことも多い。気づいてコールバックすると、今度は相手が出ない。このチグハグ感、何度経験したか。夫「スマホ、首からぶら下げとけ。大丈夫。電話かかって来んよ。お前が持ち歩いている間は」●お誘い好きな人、会いたい人、近づきたい人、気になる人からのお誘いがあったとき、必ずと言っていいほど他の用件が入っている。「はい! まいります」と即答できることがまずない。「他の用件」が、そのお誘いと比べることができないほどつまらないことであっても、ビジネス上の約束なら、違(たが)えるわけにいかない。こういう状況で、どれほど出会いや恋愛の機会を逃したことか。そして、「他の用件」の相手を恨んだことか。夫「僕のときはスムーズにいったよな。あ、それは僕がタイミングがええんか」●生い立ち私は、望まれずしてできた子で、生まれるはずがなかったのに生まれてしまった子で、自分の子を持てないと5歳のときに言われた子で、大学に行けない貧乏人だったのに、無駄に成績がよくて周囲を困らせた子で、家族に愛されなかったのに、家族に無償の愛を注いだだけで終わった子で、仕事ばっかりしていたら、間もなく死ぬと告げられた自分の人生を皆目生きられなかった子だった。生まれたことからして間が悪かったのだ。これからも、間が悪い時間を過ごして、タイミング悪く死んでいくのだろう。人様に迷惑をかけなければいいとしよう。自分で自分を哀れむだけの間の悪さで終わって欲しい。ただ、怖い主治医との関係についてだけは、もう間が悪い出来事がないように願いたい。少しでも、心配や不安や後悔がない時間にしたいのだ。いまの私にとって、よすがとするのは怖い主治医しかいないのだから。奇跡のようなタイミングであとわずかな時間を生き抜きたい。 切 望
2024.08.29
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この先、台風の影響がいろいろあるだろうと予想される水曜日。(我が家は大阪)少し早いが、店の家賃の振り込みに行き、ついでにショッピングでもするか、と外に出たのはいいけれど、間もなく雨が降りそうな空模様。しばらく商業施設にいる覚悟で、足早に銀行へ。最近、銀行そのものも、ATMも少なくなった。きょう出かけた場所は全ての都市銀行や大抵の地銀の支店が揃っているが、一駅離れると、悲惨な状況である。バブル崩壊後、金融機関の統廃合が相当進んだが、今後、さらに壮絶な生き残り合戦が繰り広げられるだろう。日銀の利上げ政策のおかげで、ペースダウンしてしまったが。ま、そんな話はどうでもいい。きょうは、サングラスを買いたいと思っていた。無印良品だか、ユニクロだかで買ったサングラスが壊れてしまった。どのタイミングかわからないのだが、フレームが割れてしまっていて、レンズが落ちるので、買い替え時だと観念した。(1300円/9年使用)3coinsでいいのを見つけた。300円ではなく1000円だった。その向かいの店にも。1210円と手ごろだったので、どちらかにしようと思った。が、まだあるかもしれない。上のフロアにも足を運んだ。ふと、珍しく、帽子専門店があるのに気づいた。この商業施設には何度も来ていたのに、気づかなかった。実は、前々からハンチングが欲しいと思っていた。女性物のハンチングは珍しい上、カバンなど他の雑貨と一緒に帽子を扱う店に置いていることはまずない。最初にハンチングが目に入ったので、自然と足がそちらに向いた。が、すぐに男性物だと気づいた。男性物でも、色や柄が気に入ればいいことなのだが、まず、サイズが合わない。しかも、その店のハンチングは、いかにも「男性物」という色合いと柄だった。すぐに見切りをつけて外に出ようと思ったら、女性店員が目ざとく私を見つけて声をかけてきた。軽く笑顔でいなして外に出る。外から店の正面に歩を進めると、面白い色のキャップが目に入った。グリーンとブルーとグレーの間の色。服と合わせやすいのか合わせにくいのか。ウォーキングのときにキャップを被りたいのだが、手持ちのキャップは色が余りよくないので、これはいいかもしれない、と立ち止まった。手に取ろうとしたら、件の女性店員が声をかけてきた。「こちらは人気の色味なんです」「不思議な色ですね」「でも意外に服に合わせやすいんですよ」私が手を伸ばした帽子を見て、「それはMサイズなんですが、大きいと思います。こちらのSでいいかと」おお、私の頭のサイズがわかるのか!さすが専門店の店員さんだ。このブログでも何度か書いたが、私は異常に頭が小さい。が、そう見えないのだ。面の皮が厚いとか、大きな顔をしているという態度が邪魔になって、人に「頭が小さい」と言うと一笑に付される。「多分、これでも大きいんですよ」と言いながら被る。ぶかぶかである。「アジャスターがありますから……どうでしょう」女性店員がアジャスターで縮めてくれて手渡される。ジャストフィット。タグを見ると、Sサイズは56.5cmとなっている。中学2年生のとき、54cmの帽子を特注したのを思い出した。『13歳から変わってないんかい!』と心で突っ込みながら、被った姿を鏡に映す。「頭が小さいのに、背が高いですね」「すらっとしていらっしゃって、かっこいいです」「お顔が小さいから、帽子がお似合いです」「無駄肉がないですね」「体型維持、大変でしょう?」「あ、すごい筋肉質ですね」「ジムに行ってらっしゃるんですか?」「姿勢がいいですね」矢継ぎ早に褒め言葉を並べる。いや、褒め言葉とは限らないな。女性なら、ちょっと嫌な言葉も混じっている。少なくとも私くらいの年の女を形容する言葉ではないかな。単に、その店員さんの常識や固定観念に当てはまらない人間だったのだろう、私が。率直な感想だったような気がする。「いや、運動は何もしてないし、アラ還ですよ」と言うと、えに「 ゛」がついた声を発していた。そう。足や腕の筋肉を見せると、皆、私がジムでトレーニングしていると思うようだ。何もしていない。私のハムストリングを見て(触れて)、カイロの先生が、「どんなトレーニングしているんですか?」と聞く。「ママチャリ漕いでるくらいです」と私。「あり得ない。競輪並みにスピード出してる?」「まあね」競輪並みではないが、スピードは出している。常にハムストリングにストレスがかかるくらい力強く漕いでいる。前腕、二の腕、胸筋は、随意筋よろしく筋肉をグリグリ動かすことができる。先日、小学生の頃からの友達(看護師さん)と旅行したとき、中学生の頃と変わりない私の筋肉たちを見て驚いていた。頭のサイズも筋肉も、中学生の時のままか。筋肉は、少し動かせばすぐに増量する。服のサイズが変わるのが嫌で、余り動かさないようにしているが、病気になってからは、筋肉量を維持するために少し筋トレをしている。サイズは余り変わっていないが、とても硬くなっている。頭のサイズはちょっと困ったものだ。今後、脱毛が予想されるのだが、ネットであれやこれや探しても、この頭に合うウイッグが滅多にない。既製サイズとしたら、SSサイズもしくは調整可能なSサイズということになるのだが、ほぼほぼサイズがない。Mサイズが主流で、大抵の場合サイズが選べない。自分に合わせた特注となると、金額の桁が変わってしまう。雨をいなすために少しショッピングをしようと思ったら、自分の欠点を見直す機会となってしまった。結局、サングラスを買わず、帽子を買ってしまった。サングラス……幾つか持っているので、何とか使えるのを探すか。もう新しいのを買うのはもったいない。あと何度も使うものではない。来年のこの季節はもうないかもしれない。帽子とは対照的に、私はメガネが全く似合わない。サングラスとて、似合った試しがない。が、日焼け防止には必要不可欠だから致し方なくかけている。というわけで、とにかく買いたい、というものでもないし、帽子が手に入ったなら、それはそれでいい。とりあえず、きょう買った帽子はウォーキングで使い倒そう。最近、暑くて歩けていない。なのに、あすからは台風でどうなるかわからない。……しまった。来週明け早々、2度目の抗がん剤治療だ。副作用が出ると、ウォーキングどころではなくなる。日曜……台風が過ぎ去っているだろうか。この台風はどうも足が遅すぎる。上陸すれば、早くなるだろうが、いつになることやら。考えても仕方ないことは考えるまい。 南無
2024.08.28
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先週末から営業(飲食店)が続いていて、ちょっと疲れたかな、と思う節はあるものの、抗がん剤治療以前と比較して、大きく変わりない日々を過ごせているように思う。自らの心境の変化についても、当初から想定し、予定していたとおりと言っていい。抗がん剤による副作用の発現を細かく追跡すると、やはり、平常時にはないものが幾つかあるのだが、それを「不快」「つらい」「対処が必要」と思うほどのことはない。初回の抗がん剤治療を開始してから2週間が経つので、数多くの副作用が発現しているはず。と、治療前に、怖い主治医や薬剤師、抗がん剤専門の看護師から聞いていた。という前提があるので、「私の場合」として言及しなければならないかもしれない。使用している抗がん剤が私の体に対してどう効いているのかいないのか当人に理解しようがないからだ。次の診察のときに、怖い主治医に何を聞かれて、私がどう答えて、それに怖い主治医がどう反応して、どんな所見や叱責、怒声を浴びせられるかなんてわからないが、とりあえず、現在の状態を。。下痢は解消(要6日)。微熱も解消(同上)。食欲に変わりなし。飲酒……はい!皮膚障害は多分なし。口内炎は、「できたか?」とぷくっとした膨らみがあるのを認識するが、すぐに治る。舌先が割れている(痛い。胃腸が悪い時の症状)。頭皮が敏感になっている。ブラッシングすると、痛痒いところがある。いつもなら気にならないぐらいだが。。脱毛の予兆か!?皮膚障害の一つかもしれないらしい。いまのところ、これくらいか。治療前には、「一旦出たら、治療をやめるまで治らない」「副作用とは、長く付き合う必要がある」「一緒に生きる覚悟を」と言われていたのだが、口内炎などは、痛みがほとんどないうちに治ってしまう。というのが、現状の報告。うーん、今後、突然たくさんの副作用が出るというのはやめてほしい。副作用というのは、出ても出なくても、患者の心をこうも悩ませるのか。願わくは、副作用のない抗がん剤をおつくりくだされい。 哀願
2024.08.27
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1回目の抗がん剤治療が終了して8日経つ(9日目)。怖い主治医や薬剤師、抗がん剤治療専門の看護師から副作用について散々聞かされていたのに、いまのところ悲惨な症状は出ていない。気づいたところでは、「下痢」「味覚の変化」「手の指先の知覚過敏(痺れ)」くらいで、きのうから「胸焼け」が加わったのだが、これは抗がん剤ゆえか、食べ物、飲み物の影響を受けてのことか、はたまた単に食道か胃が傷んでいるのかはっきりしない。そろそろ、「口内炎」「皮膚障害」が出てくるころである。他にも、劇症でないので気づきにくいが、「だるい」「疲れやすい」「立ちくらみ」などがあるらしいが、余りというか、通常以上に感じることはない。が、筋トレをすると、すぐに乳酸がたまるので、糖質(栄養)が足りない、水分やミネラルが足りないなどの現象があるのかもしれない。さらに、直接抗がん剤が影響しているのかもしれない。ん?これでいいのか?と思ったのは、治療前にいろいろな体験談の中で、「副作用が強く出るのは、抗がん剤が効いている証拠」という解説を読んでいたからだ。こんなに副作用が弱いのは、抗がん剤が効いていないのか?少し不安になった。何しろ、効果がなければ「手を変え品を変え、メニューを持っていく」と怖い主治医から脅されているからだ。つまり、効くまで治療をやめないということ。幸いか、あいにくか、私のがんは、大抵の抗がん剤が適用するらしい。これは長引くぞ。恐怖。で、調べてみた。「体質は、抗がん剤の副作用が出やすいかどうかに大きく関係してる。 一般的に、健康的な生活習慣を持つ人や、免疫力が高い人は、副作用が出にくいとされている。 アレルギー体質でない人や、過去に重篤な副作用の経験がない人も、副作用のリスクが低い。 体の基礎代謝や、薬剤への感受性も、副作用の出やすさに影響を与える要因。 特に、肝臓や腎臓の機能が正常である患者様は、薬剤の代謝や排出がスムーズに行われ、副作用が出にくい」(大阪がんクリニックHPより)これは当てはまるかもしれない。私の体には、がん以外の問題がない。局所的に悪くなることはあるが、生活習慣病などの持病は一切ない。高血圧、高コレステロール、高脂血症など血液検査で中高年が引っかかる項目も全てクリアしているので、常用している薬はない。アレルギーも持っていないし、基礎代謝も高い。肝臓と腎臓にも抗がん剤の代謝に対する問題はない。「喫煙」や「飲酒」も副作用を増大させるらしいが、喫煙はしない(やめたのではない。最初からしない。昔から、喫煙者と認識されることが多く、閉口する)。酒は大変飲むが、肝臓の数値が悪かったことはない。ただ、消化器全般がストレスに弱いようには思う。初回の治療から、大変な副作用に苦しむ人がいる。治療前にたくさんの手記を読んだが、「地獄」だと思った。だから、このブログでも、治療開始のときに「地獄の治療」というタイトルにした。しかし、いまのところ、想像の1/5程度の症状だろうか。症状が全くないわけではないので、抗がん剤が私の体内で作用しているのは確かだ。もちろん、いやな副作用はこれからだ。しかし、もう既に発現していてもおかしくない症状もたくさんあるが、まだ出ていない。全てこれからなのか?ある日突然、ひどい症状が発現するのだろうか。いまの症状が楽なだけに、落差は大きいだろうな。いやだいやだ。というわけで、退院1週間が過ぎた。
2024.08.25
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長い人生、体重はさまざまな局面で増減するものだ。学業、スポーツ、仕事といった、躍進のために肉体や精神を駆使したとき、家族の病気や、逝去、それの後片付けなどの雑事に忙殺されたとき、自分の生活の変化、人生の転換点、病気など疲弊やストレスでやられたときなど、好むと好まざるとにかかわらず、肉体の変化が起こり、体重が増減する。あ、「減」の話ばかりだな。「増」は、いつだろうか。私の人生には、余り「増」はないな。「減」じることがあって、ほとぼりが冷めると自然と「増」する感じか。2年前に夫が亡くなって、体重は激減した。といっても、3〜4kgの話だが。50kgちょっとあった体重が46kg台に減った。1年ちょっとかけて徐々に増えて、49kg〜50kg弱に達して、ようやく人から「だいぶふっくらしてきたね」と言われるようになった矢先、病気になった。手術直後は43kg程度まで落ちたと思う。(体重を計る機会がなかったのだが、退院までに増えたであろう分を差し引いた数字)退院時はは45kg台だった。そこから1年、体重を増やすためにせっせと食べて、最近では49kg台をキープしていたが、転移を知ってからは、同じように食事していも、48kg台に落ちてしまっていた。がんのせい(がんは栄養と血液を消費する)かもしれないし、ストレスで消化吸収が悪くなったのかもしれない。しかし、手術のための入院をするにあたって、少しでも体重を増やしておこうと、いつもはしない間食も積極的に取り入れて50kgに届くまでになった。抗がん剤を投与されると、食欲不振になったり、吐き気や嘔吐に見舞われることがあると言われていたし、味覚障害のために、食べられるものに制約が出たり、味が変わって食べられなくなるという事例も知った。結果、抗がん剤による吐き気はほぼなく、味覚障害はないわけではないものの、大抵の食べ物の味は80%くらい変わりないし、従来と全く変わりないものもあるので、食欲不振に陥ることはなかった。しかし、下痢が続いて、消化吸収がうまくいっていないと思う。きょうで6日目になるが、下痢は治っていない。1日15回のトイレ通いをビオフェルミンで5回に抑えられているものの、よい状態に回復したわけではなく、回数を減らしているのみである。体重は、47kg台に落ちた。3kg近くダウンしたことになる。元々、余力のない人間なので、1〜2日食事がうまくできないと、2kgくらいすぐに落ちる。この体重減は余り気にしてはいないのだが、病気が病気だけに、筋肉が落ちないように気をつけなければならないと思っている。「がん患者は筋肉が薄い」とは周知の事実なのだ。がんが筋肉を食んでしまうのか、筋肉が薄い人ががんにかかりやすいのかははっきりしていないが、がん患者は、筋骨隆々の人より細身の人の方が多いのだという。私は、細身だが、筋肉は多い方だ。というか、脂肪がほとんどどない。胸も尻も貧弱なので、脂肪のつきようがないのだ。タニタの体組成計では、内臓脂肪も少ないと出ている。筋肉もそうなのだが、一番難儀しているのが、顔が痩せてしまうことだ。若いころは、顔が痩せるのは最後だったが、年を取ると、顔が真っ先に痩せる。そして、顔に身がつくのは最後という本当にどうにもならない、切実な状況なのだ。また顔が痩せた。せっかく人様に戻りつつあったのに、またサルに逆戻りだ。これで髪が抜けてしまったら、目も当てられない。顔に身をつける方法はないものか。ないだろうな。しかし、この下痢、いつまで続くのだろうか。抗がん剤による下痢には、特別な薬が処方されるらしいのだが、病院に行くのは面倒なので、次の外来までうっちゃっておこうかと思うが…。来週も下痢が続いたとして、次の外来の時にそのことを怖い主治医に言ったら、しこたま怒られそうなので、週明けにでも、電話してみるか。決して下痢を軽く考えているわけではない。が、私は元々下痢体質なのだ。30年近く、週に3回は下す人間だったので、「またか」くらいに思う部分がある。その原因も、ストレス、飲酒、過労、寝不足…さまざまあって、今回も抗がん剤治療以外にさまざまな要因があるわけで、何もかもが抗がん剤のせいにできないのも確かだ。というわけで、下痢が原因の体重減少なのだが、顔が痩せたのをどうしよう、という悩みだ。あれ、そうだっけ?1回目の抗がん剤治療終了から1週間経ったが、幸い、それほどつらい副作用は出ていない。これからだとは思うが、食べているし、飲んでもいる。仕事もしているし、割と眠っている。(ちょっと不眠気味だが、トータルでは5〜6時間)幸いだ。ランチは煮込みハンバーグとブロッコリーにした。夜も栄養のあるものを食べよう。
2024.08.24
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ベッドで寝ようとしたら、誰かが手を握ってくる。ベッドの端、壁ギリギリのところ、布団の膨らみをめくると、目を瞑った夫がいる。私の手を力強く握り締めてくる。なぜそこに夫がいるのかわからないが、私は言葉を発せずにいる。その刹那、夫はハッと目を見開いた。瞳はブルー。喋らないのに、「おなかがすいた」と言っていることがわかる。私は大きなフライパンで肉や野菜を焼いて、チーズをかけたボリューム満点の料理をつくり、夫に食べさせる。……なんだ、この夢。まだ続きがあるのだが、支離滅裂で、文字にするのが難しいので割愛。ただ、色は明確にあったし、夫の顔は夫だった。これまで、何度か夫が登場する夢は見たが、夫の顔ではないことばかりだった。夫の顔をした夫が夢に登場したことに、「うれしい」という気持ちは多少あったが、シチュエーションが奇妙過ぎて、目が覚めてしばらく、「なんじゃ?」の気持ちがまさった。(夫は2年前に亡くなっています)食欲は大変強い人だったし、毎日私の料理を食べて満足気な顔をしていたので、ありがちな夢なのかもしれないが、蘇ってまで、あんなに食欲を爆裂させなくても、と、夢が暗示することを知りたくなった。ネットで調べてみたら、「夫が生き返る夢は、近々幸運が訪れるメッセージ」「再スタートの意味」「運気がリセットされ、よい出来事が起こる」と。そうなの?「再スタート」→「がんが寛解」「運気リセット」→「新しい出会い」ないない。とはいえ、これまでの仕事や生活を一気に変えてしまうのにいい機会、なのかも。治療中は、副作用や体調不良でこれまでのようなペースで仕事はできないだろうし、それならば、店の維持費を確保するのは難しい。積極的に何かをする、という状況ではないが、まず引き算をして、無理なく生きていける状態にし、そこからできることを考えようか。天満のエロ男爵こと「ヘルシンキの君」に怖い主治医に見せた原稿(がん医療に関する紙媒体の書き換えコピー)を見せたとき、へ「ヘぇ、こういう仕事、またもらえるかもよ」などと言われた。病院(怖い主治医含む)からは無理だろうけど、そういう仕事に復帰してもいいかもしれない。アマゾンで電子書籍を出版したことがある。キンドル版だけだが(書籍はつくらなかった)、気軽にできる作業なので、また何か書くか。それとも、昔からしたかったことをやってみるか。……何もないなぁ。仕事ばかりの人生だったから、仕事で使う車にちょっと興味を持って、外車をあちこちに見に行ったことがあるくらいで。趣味もないし、得意な手芸もない。(手芸は一通りできる。編み物、刺繍、裁縫…、が、「作業」としか捉えられず、趣味にならない)ゴルフは10年くらいやったけど、私のゴルフはスポーツゴルフで、ゆったり、のんびりやる感じではない。自分の思った距離、思った方向、思ったインテンショナルで打てなければ、決して満足しないという切迫したゴルフなので、楽しくないし、一緒に行っていた人々はもうおじいちゃんばっかりだ。趣味が仕事になるのが一番、というけれど、仕事にするなら、趣味が苦痛になろう。と、いろいろ考えながら、しばらく楽しもう。病気になって以来、未来のことなどちっとも考えなかった。処理しなければならないこと、会っておかなければならない人、行っておくべきところ、なんてことばかり考えていたし、全てをなし得ることは無理だと、焦燥感に駆られてばかりだった。久々に見た夫の顔に和みながら(とはいえ、決して柔和な顔ではなかった。目はブルーだし、腹が減って険しい顔をしていた)今晩も出てこい! と言いながら眠ることにしよう。
2024.08.22
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最近のこのブログのテーマは私の闘病記になっている。その中で頻繁に「怖い主治医」と「虫けら」という表現を使っている。「虫けら」は私。「怖い主治医」は、昨年6月の手術以降、虫けらの主治医となってくれている消化器外科部長。偉い先生である。虫けらより2〜3歳年下の計算。(あくまで計算上。留年や浪人の歴があれば、この限りではない)怖い主治医は、私を「虫けら」のような目で見るから、「虫けら」と呼んでいる。どんなときに虫けらのような目で見られるのか、例えば、▶︎外来診察のとき、ドアをノックした後入室し、「よろしくお願いします」「失礼します」と言いながら丸椅子に腰掛ける。怖い主治医はモニター画面を見続けていて、無言。10秒ほどして目の端だけを動かして虫けらを見て「あ、こんにちは」と虫けらを見るような視線と冷たい声で言う。虫けら、打ちのめされる。(ややこしい。真ん中の虫けらは本物の虫けら)それでなくても、検査結果が悪いのではないか、怖い主治医からひどいことを言われるのではないか、つらい治療を言い渡されたらどうしよう。などという不安や恐怖の感情が渦巻いているのに、この塩、いや、氷対応は虫けらの心を震え上がらせるのに十分な効果があるのだ。そして診察後、虫けらが診察室を出るやいなや、次の患者の入室を促すアナウンスをする。「早く出ていきやがれ」「お前に使う時間はねぇ!」と言われているかのようなネガティブな心境に陥る。大して時間を使ってもらっていないのに。そんなに疎ましいんかい、と。例えば、▶︎診察時の会話。怖い主治医の言葉に続けて、虫けらが何かを言うと、必ず否定する。否定しないまでも、違う意見を言う。怖「何か薬、飲んでる?」虫「いえ。でも、サプリは少し」怖「どんなもの?」虫「ハイチオールCとかビタミンD…」怖「それは問題ないけど、副材でビタミンEやAなんかが入っていたら、肝臓に影響あるよ」血液検査で、肝臓関係の数値が基準値よりわずかに高かった。(問題にしたのは虫けらだったが)この虫けらの言いようだと、「ほかの原因かな」となりはしないか。その後に副材の話をするならまだしも。虫けらが主治医の言いように納得できない表情をすると、怖「気になるんやったら、いろいろ検査するよ」と、内心苛立ちながら、しかし飽くまでも冷たく静かな声で言う。この言葉に何かを返せる患者がいるだろうか。いつも観念せずにいられない。とりあえず、虫けらが意見や疑問を口にすると、それに同意も賛同もしない。(することもあるのだが、それは別記とする)例えば、▶︎転移を知らされたとき。造影剤撮影の画像を見ながら虫「このままだと、後どれくらいですか?」怖「1年」即答か。しかし、これには虫けらは余り動じなかった。怖い主治医はそういう人だとわかっていたし、「一概には言えません。あなたの体力や治したい気持ちの強さで変わってきます」なんて言われたら、かえって疑心暗鬼になる。しかし、虫けらのような状況の人間にこんなに端的に言うものかとも思う。(状況:家族なし、一人暮らし、仕事持ち、女)怖い主治医は怖い主治医なりに、虫けらの傾向を分析してくれた部分もあると思う。言葉多く語るより、端的に一言で言い切った方が性格に合うと思ってくれているような気がする。……違うか。これは怖い主治医の主義のような。ま、この比類なき端的さは、さすがに虫けら相手ならではだとは思うが。「いじめたい」」「悲しむ顔が見たい」というサドチックな意思がないとも言えないのが怖い主治医の怖いところである。しかし、こうした怖さは、最近変容してきている。それは、虫けらがれっきとした「患者」に昇格したからだ。これまでは、検査程度の薄い儲けしかもたらさない「エセ患者」だったが、先日の「入院・手術・治療」から、それなりに儲けの出る患者になった。しかも、意図せず個室を取ってしまったので、看護師にも大変やさしくしてもらった。怖い主治医とて、その認識に大差ないものと思われる。言葉を尽くして説明してくれるし、虫けらの意見もじっくり聞いてくれる。とはいえ、これからの治療は数値と画像を挟んで淡々と進んでいくものだ。感情を挟む隙はない。感情が加わる場面があるとすれば、虫けらが「つらい」「もういい」と言うときだけだろう。入院時に見た、意外な怖い主治医の素顔とて、治療には何ら影響を与えない。怖い主治医はもちろん、虫けらもそういう姿勢だ。ただ、治療の目的が微妙に違うので、いつか、きちんと修正しないといけない局面が来るだろうと思う。それまでは、淡々と。けれどたまには、冷たい視線ではなくあのやさしい眼差しで、温かい言葉をかけてくださいよ。怖い主治医先生。
2024.08.21
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きのうは、大好きな寿司(回転)を食べに行きたいと思いながら、雨と熱発(37.9℃)のため、断念した。まる二日近くうまく出ていなかった便がようやくお目見えしたと思いきや、すぐに水様便に変わってしまって、朝までに10回以上トイレ通いをした。本日は、曇りながらお天気が持ちそうだったので、いざ寿司へ!熱は、●19日午後 → 37.9℃● 20時 → 37.2℃●20日06時 → 36.9℃●20日14時 → 37.3℃以後、ずっと37.3〜37.4℃もともと体温が高く、このくらいでは通常と変わりなし。ただ、熱が上がる理由があるのだろうとは思う。寿司(生もの)は問題ないようだ。冷たい飲み物は影響しているかもしれない。怖い主治医から、冷たい飲み物が飲めなくなるかも、と何度か脅されていたのだが、氷をしこたま入れたお茶や焼酎のソーダ割りを飲んでも全く「冷たすぎる」「刺激が強い」と思わなかったので、いつもと変わりなく飲んでいる。発熱と下痢は連動しているだろうと思う。(腸が動いていないようだ。抗がん剤の副作用か)きょうも10数回トイレ通いに励んだ(継続中)。あすは、冷たい飲み物を控えるか。(飲めるうちに飲んでおきたいのだが)味覚については、「醤油」は香りも塩味もはっきりわかった。魚は、繊細な味わいが脱落していた。甘めのシャリは、そのままの味だった。ビールは苦味が薄かったように思う。きのうもそうだったが、舌に薄い膜がかかっているような感じがする。口内炎はまだ出現していない。回転寿司屋の入っている商業ビルの地下に食品売り場があり、そこで、購入したお菓子がひどくおいしくて、驚いてしまった。結構お高かったのだが、イタリアのお菓子のようで、衝動買いしてよかった。見た目はパイだけれど、生地がパラパラ落ちることなく、シュークリームの皮をパリッとさせたような感じで、中にミルククリームが入っている。パクパク食べた。甘味に対する味覚の変化は余りないようだ。仕事が仕事だけに、この程度の味覚変化でも、致命的なのだが、できるだけ繊細な味付けを避けて、体得しているレシピを駆使しながら、仕事を続けていきたい。問題は、指先が冷たさに敏感になるということ。いまのところ、水道水もぬるいので全く問題はないが、冬が近づくと……恐怖である。口内炎にも要注意。が、いまは発熱と下痢か。そんなこんなの4日目だった。
2024.08.20
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17日(土曜日)の午後15時に抗がん剤点滴が終了。きょうでまる二日が過ぎた。気づいた症状は、【便 秘】●17日〜18日午後にかけて便秘 下痢体質のため、まる1日以上の便秘はつらい 病院食にすると、6食分程度がおなかの中にある計算●18日午後から少しずつお目見え 夜中まで5回ほど●19日早朝、ようやくおめみえ●午後、下痢に転換。水様便 夜までに6回ほど。腹痛はなし【熱 発】●19日午後、暑さを感じる。少しふらつく 37.9℃。ベッドで休むと、6時間ほどで37℃に●平熱が36.6℃なので、大した熱発ではないが、 ゼリー飲料や水分補給程度しかできない●夜になって、空腹であることに気づく(食欲あり)【味 覚】●起床時にお茶を飲むが、ハトムギ茶の味がおかしい●香りは感じる●そばを食べたが、うっすら味が薄い●甘味は余り変わりないが、塩味は少し薄く感じるかも●舌に薄皮がかかった感じ【感 覚】●口内が冷たさに対して過敏になるとのことだが、 いまのところほぼなし。口蓋垂あたりに 違和感があるが、通常の飲食に問題はない●手の指先は、冷たいものにピリピリする 足はわからない 指先のピリピリも、2度目は緩和される【体 内】●タニタの体組成計で計測すると、体内年齢が上がった●病院食を完食していたにもかかわらず、体重が減った●入院中運動が不十分だったせいか、体脂肪率が上がった●全体的に数値が悪くなった(治療のせいか、 入院のせいか、退院してからの生活のせいかわからない)これから考えられる副作用は「口内炎」「皮膚障害」「脱毛」など。気づいたこと、変化があれば、記していこう。
2024.08.19
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CVポートの留置手術と初回の化学療法のための入院が終了した。初回の化学療法は、患者の状態を監視するためで、虫けらのような急性期症状が出なかった患者にとっては、余り意味がないようにも思われるが、それは、やってみないとわからない、という話だ。幸い、虫けらには災難が襲ってこなかったが、すぐに対処が必要な症状が出る人もいる。病院にとって、この入院は、儲けにならない医療行為だそうで、しかし、患者の安全のためには仕方なく受け入れる、という類のもののようだ。そんなことはつゆ知らず、虫けらは個室を取っていたので、看護師の皆さんはとてもやさしく接してくれた。(それだけじゃないだろうが)4人部屋のときにはなかったサービスも受けた。(大した話ではない。冷蔵庫の使用が無料だとか、「ゴミを捨てましょうか?」と聞いてくれたり、ブラインドの上げ下げをしてくれようとしたり。結局、虫けらが自分でしたが)ありがたい。副作用は、これから出るものがある。急性期症状はなかったので心配なし。吐き気や食欲不振などは、ある程度出ても、次の治療までの2週間以内に一旦治(おさま)る。治療でまた出て、また治るの繰り返し。しかし、手足のしびれ、味覚障害、知覚過敏、脱毛や皮膚の障害などは、一旦出たら出っぱなしである。化学療法を終えない限り、治らないのだ。これが厄介である。では、「終える」「やめる」のはいつなのか。通常、化学療法だけでがんが消滅するということは稀だが(がんが発生した部位やステージによる)、これが達成できれば、治療終了となる。あるいは、複数あるがんが減り、放射線治療に切り替える、外科手術が可能になる、それ以外の治療法を望む、という場合だろう。それか、もう、効果の望める抗がん剤がなくなった、というとき。虫けらの場合で言うと、最後の場合しかない。つまり、生きたいと思っている限り、化学療法しかないということだ。それはそれで嫌なので(そんなことを言うと、怖い主治医に「終わらせません」と説教される)、状況を見て、打ち切ることを考えている。それは「いつ」「どんな場合」とはっきりとは言えないけれど、副作用に苦しむ状態を解放されてから死にたいと思っているので、それを見極めるのは、とても難しいと思う。幸い、怖い主治医は状況をきちんと教えてくれるし、こちらの意見も聞いてくれるので、話し合いながら、ということになるだろう。とりあえず、退院して家に戻り、洗濯物を済ませてからワインを飲みながらお菓子を食べている。病院のように、決まった時間にご飯が出てくるわけではないので、「おなかがすいたら食べよう」なんて思っていたら、一日じゅう食べないということになりそうだ。これは、治療のせいではなく、そもそも虫けらは食に対する欲がないので、「食べたい」と余り思っていない。おなかがすいたら食べればいい、という生活なので、これからは気をつけなければいけない。栄養をきちんと摂って、痩せないように、筋肉が落ちないようにしなければならない。実は、大好きな寿司を食べに行きたいと思っていたのに、更新したクレジットカードが届くため、家を出ることができず、寿司を食べ損ねてしまった。きょうは大丈夫だと思ったのだが、これからは免疫力がどんどん低下するので、生ものには注意しなければいけないと思う。食べられるものが少なくなるのは嫌だな。とりあえず、あした、寿司に行こう。と決意し、夕飯のことを考える。
2024.08.18
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アップが後先になるのだが、16日の夜、「地獄、いよいよ始まる」で、怖い主治医が病室に訪ねて来てくれるか、くれないか、という書き込みをした。その日、もし訪ねてくれたら、3日連続になる。前日の夜、部屋を出るときに「あしたも明るい笑顔で会えるように」という何ともやさしい言葉を残してくれた怖い主治医。多分、訪ねてくれるのだろうと思いながら、1日目は19:30過ぎ、2日目は19:30前に訪ねてくれたのに、20:00になっても……。虫けらの聞き間違いなのか?仕事が押しているのか?はたまた、のっぴきならない用件が入ったのか?YouTubeを観ながらそわそわしていたが、20:30になって、ようやく諦めがついた。そんなこともある。用がなければ、わざわざ患者の病室を訪ねたりしないものだ。1日目は手術のこと、2日目は始まった化学療法の副作用のことをチェックするという用件があった。3日目は、引き続き副作用のチェックくらいだろうか。それなら、こんなに遅くなってから無理して来るほどの用件とも思えない。20:45、グルーミングして寝よ。洗面所で用を済ませ、点滴スタンドをゴロゴロ引きながら、物入れの前でスキンケアを済ませた瞬間、ドア付近で物音が鳴った。そちらに顔を向けると、素早く部屋に入ってくる人物が。怖「こんな時間に、すみません」虫けら、固まる。驚き過ぎて言葉が出ない。不意過ぎる。待ちわびて、待ちわびて、来なかったと諦めて帰りかけたとき、待ち合わせ場所に恋人が突然現れたような驚きと感動。違うわ。消灯直前に夜這いされたような恐怖。もっと違うわ。虫「お忙しかったんじゃないですか? こんな時間に訪ねてくださって…」そこまで言ったら、点滴スタンドを蹴って倒しそうになり、ハンドルに掛けていた心電計を落としてケーブルを抜いてしまい、わちゃわちゃしながら体勢を立て直して怖い主治医に向き合う。といっても、ベッドを挟んでいるので、結構距離があったが。虫「もう来てくださらないと思った」怖「そんなことはないよ」な、なに? この少女漫画のような展開。何があっても来てくれるつもりだったということ?…自分のアホ過ぎる妄想にハッとして我に帰り、怖い主治医の話を聞く。怖「ちょっと検討したんですが、次の外来日を 変更させてもらいます」と、再来週に設定されていた木曜日の外来日を次の週の月曜日に変更する旨と理由を告げられた。怖い主治医が話していると、館内放送が。消灯のコールである。部屋の明かりが消える。よかった!珍しく、ベッドの上にある間接照明をつけておいたのだ。これがないと、真っ暗になる。ドア横にあるスイッチまで行かないと点灯できないが、点滴スタンドを押してごちゃごちゃしていたら、慌ててつまづいたり、転んだりして、恥ずかしい思いをすることにもなりかねない。何もせずとも、怖い主治医の話が続き、少し暗くなって、ムーディーさが増した空間で、会話が続く。虫けらとしても、木曜日の外来が難しいように思っていた。外来で処置した後、抗がん剤を家でも点滴するのだが、それを外すために病院に来る必要がある。それが週末にかかると、スタッフが少なく、段取りが悪くなるのだ。しかも、怖い主治医の外来日は金曜日。木曜日に来るとなると、他の医師に担当してもらうということになるのか? と疑問を持っていた。虫「月曜日に来ることは問題ありません。 でも、先生の外来日は金曜日ですよね。 ほかの先生が診てくださるということですか?」怖「いえ、僕が診ます」虫「月曜日に?」怖「そう。特別ですよ(笑」虫けら、思わず頭を下げる。いや、よく考えたら、外来に掲げてある担当医師を示す看板に怖い主治医の名前が金曜日の当該診察室のところと月曜日の枠外に記入されていたのを思い出した。月曜日は、私のような患者に対処するための日なのだろう。血液検査の結果を受けての化学療法になるので、その日も怖い主治医に会うことになる。退院以降、最初の診察か。どんな感じになるのだろうか。転移が発覚するまでのような、冷え冷え〜の3分間、ということにはならないだろうが、怖い主治医は冷静沈着なタイプだし、虫けらも意味なくよそよそしい雰囲気を醸す変わり者だから、これまでと大して変わらないだろうなんて、妄想をしていたら、怖い主治医の説明は終わっていた。怖「何かわからないこと、ありますか?」虫けら、次に、怖い主治医に会ったときに聞こうと思っていたことがあったことを思い出すが、それが何かわからない。突然の展開と妄想で、思考がパニックだ。虫「あの、きょう外来治療の看護師さんが 『木曜日の予約だから、主治医が変わるのかも』 とおっしゃっていましたが、 これからも先生が主治医ですよね」怖「はい」虫「なら、どうでもいい話ですけど、 『執刀医が主治医になるのかな』 とおっしゃるので、思わず嫌やーー と叫んでしまいました」怖い主治医、珍しく大笑い。怖「そんなことはないよ」虫「それから、まだお聞きしたいことがあって…。 (引き伸ばしに必死) あ、このポート、化学療法が終わったら、 外してもらえるんですよね」実は、病気をしてから2〜3ヵ月に一度、リンパマッサージに行っているのだが、このポートがあると、とても支障になる。外すまで行けないとなると、先が長くなる。虫けらとしては、3ヵ月で終了、としたいのだが。すると、怖い主治医の真骨頂、「終わらせません」が始まった。虫けらが、「状況次第では、すぐやめると言うかもしれません」と言うと、必ずこの話が始まる。抗がん剤を変えたり、スケジュールを変えたりして、できるだけ長くやる、ということを。当たり前の話である。抗がん剤をやめると、治療終了となる。外科手術や放射線ができるようになったのなら、それは終了ではなく、中断であって、必要があればまた再開する態勢でいるということ。治療終了なら、緩和ケアしかできない。もう怖い主治医は主治医ではなくなるし、外科が虫けらを患者として扱うことはない。虫「それから…、あ、コピー、読んでいただけました?」入院初日に怖い主治医が訪ねてくれたときに渡した、がん治療に関する紙媒体のコピーを書き換えたものに対する質問だ。怖「はい」虫「違っていたでしょう?」怖「全然違う。でも…、面映ゆいね」虫「いえ、先生の原稿は全部生かしてますよ。 コーディネートが仕事なんですよ、プロは。 あれは、プロの仕事としては質が低過ぎる。 あんなものが通用する世の中になったのが嫌で、 私は辞めたんです、この仕事」と、虫けらは広告界の現状と、若い人への論評をし、怖い主治医も参戦して、病院の若い医師の話や今回の執刀医の話などもした。虫「先生、学生の頃、スポーツされてました?」怖「いろいろしたよ。バレーボール、サッカー、草野球」虫「草野球の守備は?」怖「ピッチャー」虫「わー、先生らしい」怖「ショートやレフトもやったり…」虫「守備がうまいんですね」怖「うまいんですよ(笑」プライベートな話を、そんなに? というほどしてくれた。ま、これは虫けらの作戦だったのだ。前夜、何を聞き出そうか考えていた。自宅の場所や、出身地、趣味なんかを聞くのは出会い系の話。ストーカー扱いされるのは嫌なので、学生時代の話を聞こうと思っていた。虫「先生、この病院、もう長いですよね。 転勤とか、昇進とかがあるんじゃないですか?」怖「どうやろうね。どんなパターンがあるやろ」虫「コンバートされて、別の病院の院長、とか」怖「ないない」虫「じゃ、この病院の院長」怖「ハンコつく仕事か」虫「先生はそういうタイプじゃないですよね」怖「いや、別にハンコ人生でもいいよ」虫「先生がよくても、患者さんが許さないでしょう」怖「そう言ってもらうのはうれしいけどね。 医者としては、そう言ってもらえるうちが花やね」怖い主治医の今後を一緒に予想する。虫けらが調べて知っていた、怖い主治医の過去の経歴も出して。いや、好奇心から調べた訳ではなくて、紙媒体の原稿を書くために病院のプロフィールなどの資料に目を通したということだ。ま、興味はあるから、怖い主治医のプロフィールは一瞬で覚えたけれど。虫「お仕事は、終わりました?」怖「ん、まだ帰れないな」虫「お忙しいのに、足止めしてすみません。 できることがあったらお手伝いしますよ。 メールで送って指示してくださったら、 仕上げて送ります」怖い主治医、やさしい笑顔でこちらを見る。虫「治療の間は仕事も余りできませんから、暇です。 できることがあったらいつでも声をかけてください。 ギャラは要りませんから」怖「とりあえず、あしたは出て来たくないから、 もう少し仕事やね」虫「無理なさいませんように」30分近く話しただろうか。怖い主治医が出て行ってすぐ、担当の男性看護師が入ってきた。「点滴見にきたら、先生がこの部屋に入って行ったので、待ってました」見られていたのか!虫「治療日程の変更を伝えにきてくださったんですが、 私が足止めしてました。お待たせしてすみません」看護師は、怖い主治医と虫けらが長らく話していたことを変に疑うような素振りは見せなかった。というより、自分の話をしこたまして行った。看護に関する話や、自分の家族の話、登山とかバイクなど趣味の話と、すごい情報量の話を15分ほどぶっ放して出て行った。ああいう人でよかった。ま、別にやましいことはないのだが、30分近く消灯後の部屋で患者と話している怖い主治医をどう見るかは人それぞれだ。そういう心配をよそに、虫けらはうれしかった。怖い主治医が3日連続で病室を訪ねてくれ、いろいろな話を聞かせてくれたことで、決して楽しくない治療に対する沈んだ虫けらの気持ちを明るくしてくれたのは確かである。あー、個室を取ってよかった。もうすぐ退院。よい入院生活だった。もうこんな入院生活は送れないだろうな。これからの状況はどんどん過酷になる。そんなことを一瞬忘れさせてくれた。ありがとうございます。怖い主治医先生。
2024.08.17
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地獄の治療(化学療法)を開始して3日目。薬剤師や怖い主治医から受けていた説明で聞いた副作用は、●初期症状:かゆみ、顔のほてり、蕁麻疹、頻脈、息苦しい●吐き気、食欲低下●手足のしびれ、冷たいものへの過敏、感覚が鈍るだが、私の場合、初期症状は全くなかった。アレルギーのような急性期症状なので、今後は起こらない。吐き気と食欲の低下もなかった。これからは起こりにくいと考えられる。手足の痺れはないが、冷たいものへの過敏はある。本来、冷たいものを飲んだとき、より冷たく感じ、痺れるような感覚が出るようだが、私の場合は、「ミントが入ってますか?」程度。つまり、清涼感程度の感じだった。それはきのうの夜(2日目)から感じ出し、今も変わらない。手足の感覚はわからなかったのだが(冷たいものが身の周りにない)、朝、自販機で冷たい飲み物を買ったら、ボトルを持つ手の指先がチクチクした。「おぉ、出とる、出とる」と感激した。説明の中には「口内炎」があったが、いまのところない。それから、ちょっと便秘気味である。これも症状として掲出されていたが、きのうの朝に出てからお目見えしていない。いつもなら、1日3回程度出会うのだが、1回だけだったし、今朝はまだ出会っていない。看護師さんに症状を申し出たが、対応はしてもらっていない。怖い主治医がお休みなので、きょう、あすの対応は期待できないかもしれない。神経に影響しての便秘なので、簡単な市販薬ではどうにもなるまい。※「今後」「これから」が指すのは、 初回投与後から次回投与までの間。 毎回およそ2週間ある。 そのサイクルで、副作用は出る。 下記の「脱毛」や「皮膚症状」は 一度出たら、治療中は継続する。現状はこんな感じ。脱毛や皮膚症状が出るのはあと3〜10日かかるようだ。嫌な話だが、それまでに必要なものは用意しなければ。最新の医療なのに、こんなに副作用が出るのはどうなのか。開発途中の薬剤ならまだしも、承認薬になっているのにだ。抗がん剤の多くは海外製。確たる理由があって言うのではないが、日本の製薬会社が開発していれば、こうした問題は抑えられていたように思う。日本では、承認薬になるハードルが高いし、開発者のモラル的に、こんな中途半端な状態で世に出すように思えないのだ。研究開発費のせいなのか、海外企業が開発を妨害しているのか、どんな理由があるのかわからないが、さらなる改良を望むばかりだ。 黙考
2024.08.17
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15日から地獄が始まった。昼食後、吐き気どめの点滴に始まって、4種の抗がん剤の点滴バックを1時間、2時間、5分、46時間と、順に交換していく。点滴は、入院すれば、あらゆる場合について回るので、さほど苦痛ではないのだが、通常の点滴と違うのは、滴下速度を厳密にするためにコントロールマシンがついていること。バッテリー内蔵ながら、電源ケーブルがあるので、動くときはケーブルを抜く必要がある。長い時間抜いているわけにはいかない。ソファセットのある広い個室なのに、ベッドの上にいることを強いられる。もったいない。しかも、心電計と酸素濃度計を常につけている。ケーブルが邪魔で仕方ない。左手人差し指には、酸素濃度計をつけているのだが、通常のクリップ型とは違って、巻きつけテープ方式なので、キーボードをタイピングできる。これはありがたい。吐き気どめの点滴をしているせいか、私の場合、吐き気は全くなかった。食欲の低下もない。かゆみや蕁麻疹、息苦しい、頻脈などの過敏症の症状もなかった。いわゆるショック症状に近いので、これがあるとつらいだろうと思う。かくして、初日の点滴は、問題なくクリアした。15時から入れた点滴は、夜をまたいで翌日14時までだが、それが終わるとまた23時間の点滴バッグに切り替える。点滴をしている間はシャワー不可なのがつらい。丸二日、シャンプーができないのかと、看護師さんに相談したら、洗髪してくれてスッキリ。体は持参した「体拭きシート」で何とかなった。昨夜は一睡もできなかった。少し考え事をしていたら、どんどん考え事が押し寄せてきて、あれもこれもが頭の中をぐるぐる回る。頭の中がしんとして、眠気が全く襲って来ない。仕方ないから、眠れるまで眠るまいという姿勢でいたら、朝になってしまった。何を考えていたかというと、一番多数の課題を抱えている処理事。実家の売却や現住居のこと、遺産相続のこと、昨年相続した夫の家の墓の処理のこと、銀行口座や年金、クレジットカードなど私名義の金融関係の事後処理のこと、一番厄介なのが、店の処理。機器類の処理業者を決めておく必要があるし、現在契約している業者への契約解除の方法。そして、葬儀業者との契約と処理方法の決定。急に死んでも大丈夫なように、連絡先と処理方法を書面にしておかなければならない。それに必要な現金の確保とあとを託す姪への説明等々。ある程度の整理はついているが、最終的な作業を早急にしなければならない。それから、退院後の生活のこと。今の状態なら、何の問題もないが、弱ってきたときに、どう生活するか、どのタイミングで緩和ケアに入るか、考えても考えてもキリがない。これは、一人で考えてもどうしようもない部分があるので、専門家に相談するしかあるまい。そうした複雑な事どもの合間合間に挟まってくるのが怖い主治医との会話。手術が終わった夜、病室を訪ねてくれた怖い主治医の怖い顔。意外な展開だったひと時。そして、2日目の夜も病室を訪ねてくれた。私の様子を聞いて、すぐに引き上げようとする怖い主治医を引き止めて話をした。大した話はしていないが、私の話し相手になってくれ、最後には、「あしたも、明るい笑顔で会えるように」と言って帰って言った。きょうも来てくれるのか?幸い、私はきょうも元気だ。嫌な副作用が全く出ていない。もし来てくれたら嬉しいと思う。が、なんか嫌な予定が入っている。自宅で抗がん剤を使用するときの注意事項をレクチャーしてくれるミーティング的なものがあるらしいのだが、時間が決まっていない。主治医が来てくれたときとバッティングするような気がしてならない。何しろ、間が悪い、タイミングが悪い虫けらだから。実は、最初の入院のとき、怖い主治医が訪ねて来てくれたのに、虫けらは部屋にいなかった。パジャマを取りに家に帰っていたのだ。後でそのことを知って、大変恐縮した。今回は、逃(のが)すわけにはいかない。あすは土曜日。怖い主治医は多分お休みだろう。退院が日曜日。話せる機会はきょうしかないのだ。怖い主治医は外来診察の日。16時ころまでは外来にいるだろう。夕食の前か後か。点滴バッグの交換に来てくれた看護師さんにレクチャーの時間を尋ねるも、「わかりません」とのこと。焦るではないか。またまた、虫けらの真骨頂発揮か?虫けらが部屋にいなかったら、再度来てくれるだろうか。無理だろうな。ま、これも運命。私の人生は、そういう人生だったように思う。たまーに、驚くほどうまくいくときもあるのだが。今度、その話を書いてみよう。そんなこんなで、いま、23時間の点滴バッグが交換された。焦っていても仕方ない。昼寝でもするか。
2024.08.16
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昨年来、入院・手術のことや、外来診察の具体的内容、検査での出来事などをこのブログに書き連ねておりますが、自由ページに記載しておりますとおり、私亡き後、家族や友人、知人がこれを見て、病気になった後もこんなふうに生きて、こんなことを考えていたのかと少し楽しくなるような文章を残すのを目的にしております。同じ病に苦しむ方へのアドバイスや、先に経験したことについての忌憚なき感想、今後の治療への期待や展望といった、崇高な念を抱いてのブログ活動では決してありません。日記というか、記録的な単純なものであり、その中にちょっと笑いや驚き、感動を織り交ぜて、私なりのコラム的、ノンフィクションドラマ的に仕上げております。娯楽の一環としてご覧いただければ幸いです。ただし、治療や医師との会話については真実に基づいておりますので、何らかの参考にしていただくことは一向に問題ございません。というわけで、これからも地獄の治療を初め、今後経験するあれやこれやを書き連ねて参りますので、何卒よろしくお願いいたします。病気や治療についてのご質問があれば、わかる範囲でお答えしてまいりますので、コメント欄に記載していただければ幸いです。残命1年と言われたのがもう3ヶ月前。それほど長い時間は残されていないのですが、体力と状況の許す限り書いていくぞー! 感謝
2024.08.16
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生き地獄の1時間が終了し、手術室から病室に戻った。早速手術着から自前のパジャマに着替え、PCを開いた。一連のことをブログに書き留めておこう。「地獄の前の生き地獄」を書き始める。このとき17:30くらい。食事は18:00前なので、それまでにブログを1編だけ書き終えることができるだろう。なぜ、時間を気にしているかというと、病室まで怖い主治医が来てくれるのではないかと期待しているからだ。手術に関して聞きたいことがあるのが一つ。手術中に来てくれなかったのはなぜかというのが一つ。それから、前回の外来のとき検査待ち中に手にしたがん治療に関する紙媒体のことを話題にした。怖い主治医に勘違いされるような言動をしたことの後悔があり、説明するための原稿を書いてきていたので、それを渡したいという、この3つの目的を果たすためにどうしても怖い主治医と話がしたいのだ。怖い主治医が来てくれるとしたら、タイミングは食事が終わってからだろう。虫けらは、そんな時間に主治医と病室で面談したことはないが、以前の入院のとき、廊下を歩いていたら怖い主治医が病室から出きたことがある。それが夕食後のタイミングだったのだ。しかし、虫けらの病室に怖い主治医がやってきてくれる確率は低いようにも思う。なぜなら、執刀医の方が今後の注意事項のような説明をしにくる必要性があるからだ。来てくれなければ致し方ない。が、多分来てくれるのではないかと、なぜか虫けらには確信のようなものがあったのだ。ところが、19時を超えても怖い主治医が来ることはなかった。やっぱり来ないか。19時半を過ぎた頃、ベッドに座って、ブログの2編目を書いていると、ドアがトントン、と鳴った。このタイミングだと、看護師のバイタルチェックか。ドアを開けて入ってきたのは、大きなシルエットの男性。虫けらは老眼鏡をかけていたので、よく見えなかったが、多分怖い主治医だとわかった。メガネを外しながら、虫「あら、こんな遅くに。先生、お疲れでしょう?」と言った。怖い主治医はとても怖い顔をしている。びっくりするくらい鋭い目。こんな目は、これまでに見たことがない。しかし虫けらはなぜか怖くなかった。怖い主治医を責める材料がたくさんあるので、こちらのペースで話を持っていけると踏んでいたからだ。強く出るとやさしくなるのが怖い主治医。ベッドを降りて靴を履く。ベッド近くに立ったまま怖「どうでした? 手術は」と聞かれる。依然として鋭い表情をしている。虫「痛かったです。生き地獄みたいな痛さでした」怖「そんなに痛かった?」少し心配気だが、表情は硬いまま。虫「先生が執刀してくださるんじゃなかったんですか?」怖「怒られると思ってたんや」怖い主治医が表情を緩めて笑った。え? まさか、虫けらが怒るのが怖かったの?怒られるのを覚悟してた顔があの怖い顔?虫「先生、おかけになりませんか?」と、奥のソファセットを指し示した。怖「いや、いいよ」と顔を歪める。???なんで? この病室には椅子がない。4人部屋にはパイプ椅子があり、以前はそれに座って、ベッドの上の虫けらと面談してくれた。この条件下でなぜ座るのを嫌がるのかわからない。怖い主治医は、本当に真意がわからない人だ。答え合わせができるときが来るだろうかと、いつも思う。虫「そうですか」怖「いい?」『いい』の意味が不明。立ったままでいいか、ということなのだろうと勝手に考え虫「はい」怖「僕がやるつもりやったんよ」虫「先生からはお聞きしてませんでしたが、 看護師さんが、執刀は先生っておっしゃってました」怖「そやねんけどな。 夕方やったら僕できるでって言うたんやけど、 やりますよって」なんでそんな主張をするのだ、あの執刀医は。身の程知らず! と罵ってやりたい。患者はあんたの実験台でもおもちゃでもない、と。虫「手術の途中で、先生が来られると聞いてましたけど」怖「行ったよ」虫「え? いつですか?」怖「顔見たら、痛そうな顔して目つむってたから 声かけへんかってん」虫けらは、手術中ずっと目を開いていた。目をつむっていたとしたら、ほんの一瞬だろう。そんな時に来るか?これが間の悪さ、タイミングの悪さにかけてはピカイチの虫けらさまの真骨頂なのだ。虫「声をかけてくださったら、少し元気になれたのに」怖「元気になれた?」何の質問だか。単なるおうむ返しか?虫「地獄をさまよってましたから」虫けらは手術痕を怖い主治医に見えるように向けた。虫「いっぱい切られたし、腫れてるし、 ここなんか、これで正解か? って疑問やし」怖「あ、たくさん切ってるね」怖い主治医は他の医師のやったことを評価しない。多分、どの医師もそうだろうと思う。患者と一緒になって他の医師の悪口を言う医師など見たことがない。よって、虫けらが訴えるだけの愚痴になってしまった。修正手術が必要など、よほどのことがない限りこのままだし、もう怖い主治医に執刀してもらうことはないのだ。諦念するしかない。怖「血液検査の結果やねんけどな」虫けら、ハッとした。血液検査など気にもかけていなかった。入院の検査項目になかったからだ。前日までたくさん酒を飲んでいた。虫「血液検査、いつされたんですか? いかん! ぬかってました」怖「手術中、ちょっと横から抜いてもろた。 そのためにわざわざ針刺すのかわいそうやから」虫「お声、聞こえなかった」怖「こそっと言うたもん」なぜ、身を隠すような仕草をするのだ。こちとら、怖い主治医の登場を待ちに待っていたのに。本当によくわからない人だ。手術中に虫けらが、「なぜ、先生が執刀してくれなかった!」と苦情を言うとでも思って、それを恐れていたのか。怖「熱ある?」デジャヴーである。以前もこう聞かれたことがある。虫「CRPが上がってました?」怖「お酒、たくさん飲んだ?」虫「はい。大変たくさん。 そのために入院を先延ばししたようなものですから」怖「そんな感じはしてたんやけどな。 ほんの少し高いだけやねん。何もない正常なときと、 ちょっと高いときがあったやろ、 ちょっと高いときぐらいやねんけどね」それは嘘だ。血液検査があるとわかっているときは、少なくとも1週間、長いときは20日間酒やサプリを抜いたりした。今回は、ずっと飲んでいた。サプリも。5月最終日の前回検査以来2ヵ月半、旅行、誕生日、会食、飲み会、お客さんと店でと、機会あるごとに飲み倒していた。治療に入ったら、酒を飲めないかもしれないと覚悟して、飲めるうちに飲んでおけとばかりに飲んだ。数値もかなり上がっていたはずだ。肝臓系、CRP、消化器系はもちろん、腫瘍マーカーも上がっていたに違いない。多分、怖い主治医のやさしさだろう。「悪かった」と言ったところで、今回の治療に何らいい影響を与えない。心配させないこと、ストレスを与えないことも治療には必要なのだ。わかってますって、虫けらでも。ありがとうございます。怖い主治医先生。そうだ!あの、紙媒体のことを言わねば。虫「先生、先日、失礼な物言いをしてしまって、 あ、『下手くそ』っておっしゃったのは先生ですけど」虫けら、ファイルから数枚の紙を引っ張り出して虫「私の言った意味を理解していただくために 書いてきました。これを読んでいただいたら、 何が言いたかったのかわかっていただけると思います」怖い主治医に紙を差し出す。怖い主治医がそれを手にして怖「へぇ、すごいな。 ほな、もうこれをホームページに載せよか」調子のいいことをおっしゃる。読んでからにしてくださいな。虫「タダで使っていただいて結構ですよ」怖「タダ…」怖い主治医、笑う。虫けら、昔はそれを本業にしていたのだからそれなりの金子(きんす)はいただいていたのだ。そのことを知らない人には、お金のことを言う虫けらががめついと思われるだろう。訂正や言い訳はしなかった。昔の本業の説明をすることもしなかった。そのとき(前回の外来時)、一応そういう(印刷物を作る)仕事をしていたとは言った。それで十分だろう。ここで虫けら、さらに大胆な行動に出る。虫「先生、もう一つ、わがままを聞いていただけますか?」怖「何?」そう言いながら、やけにニコニコしている怖い主治医。これはどういう関係と比喩することができるだろう。「友達」ではないな。そこまで打ち解けてはいない。「上司と部下」怖い主治医が上司だとしたら、こんなに下手(したて)に出てくれる上司はいないだろう。「先生と生徒」私が従順でもないし、かわいくもないので、生徒ではあり得ない。しっくりくる関係が思いつかないが、医師と患者ではないことは明らかだ。いずれにしても、これまでの怖い主治医と虫けらの関係では考えられなかった言動を展開していた。次に発した虫けらの言葉がその証左だ。虫「先生、一緒に写真撮っていただけますか?」虫けらは拒否されることも想定していた。理由は何とでも言える。怖い主治医なら、うまく断るだろう。何なら、嫌な顔一つで断ることができる人だ。怖「いいよ」あっさりと承諾。これには、虫けらの方がびっくり。カメラを回転させてツーショットの自撮り方式。怖「これ、左右反転するけど、いい?」何にこだわっているのだ。そうなるのは必至。それが嫌だとして、どうやって撮るのだ。これが医者脳、理数脳というやつだろうか。虫「左右逆でもさほど違いませんから、こんな顔」ツーショットに収まろうとすると、怖い医師が大変長身なことに驚く。虫「先生、背が高いですね」怖「高いですよ」何だその返しは。いつもおうむ返しだ。虫けらがカメラを持って撮ろうとするとフレームにうまく収まらない。怖「僕が撮ろか?」虫「いいですか?」怖い主治医が虫けらのスマホを手に取る。高い位置から構えると、うまく収まった。2枚ほど撮る。怖「マスク取ってもいいけど」何ということだ。サービス精神旺盛だ。というか、マスクを取った方が男前と自負しているのか。すごい自信。虫「素顔、いいんですか?」怖「どこにも出せへんねんやったらいいよ」どこに出すというのだ。自分の顔すら出さない虫けらが、他人様の顔を公に晒すことなどない。虫「どこにも出しません。遺影にします」怖「またそんなこと言うて…」怖い主治医が少し表情を曇らす。虫けらはいつもそんなことを言っている。死ぬ、死ぬ言うのが癖なのだ。無事、マスクなしのツーショットをいただく。(実は、マスクなしの主治医を見るのは初めてである。マスクを取っても違和感がなかったので、よかった、よかった)自撮りに慣れていない虫けらは、視線がおかしかったが、怖い主治医はバッチリ表情をつくり、カメラ目線で写っている。この表情は、もしやプレイおっさんか?(プレイボーイという年でもないので)遊び慣れたおっさんかもしれない。虫けらは、いろいろ間違っていたように思う。怖い主治医の人物評価が最初からおかしかったのかもしれない。胃を痛めた日々を激しく後悔している。もっと話しておけばよかった。最後に聞かれたのが、怖「個室、希望してた?」どういう意味だろう。何が引っかかったのか?貧乏人の虫けらに、個室料金が払えるか心配しているのか?虫「はい、副作用でゲーゲーしたら、同室の皆さんに申し訳ないので」怖「それはあんまりないと思う」いや、その回答より、何で引っかかったのかを教えてくれい。怖「吐き気より、冷たいもん飲んだらびっくりするかもしれない。 普通の水を飲んでも、冷たい炭酸水飲んだ時みたいな刺激が あると言う人もいる。 テキーラは知らんけど」なんじゃ、その最後のぶっ込みは。虫「そんなきついお酒、飲めません」虫けらも何つまらん返ししとんのや。「テキーラ一杯飲むんだったら、ワイン10杯飲む方が得な気がします。酒飲みとしては」(アルコール濃度から割り出した数字)くらい言いなさい。怖「きょうはよく休んでください」とやさしい言葉を残して怖い主治医は去っていった。ドアが閉まった後、その場に立ち尽くす虫けらだった。どう咀嚼して、どう昇華したらいいかわからない時間だった。交わした会話を反芻し、怖い主治医の表情を脳内再生しては、ニヤニヤしたり、?を浮かべたり、失敗した! と後悔したり。しかし、この経験は、個室でなければできなかっただろう。もしかしたら、こういう事態も見越していたようにも思う。入院が決まったときから個室と決めていた。虫けら、すごい奴だったのかもしれない。死ぬ前の人間は美しくなり、勘が冴えるという。ふむ。勘が冴えていたのだな。……まだ美しくはなっていないが。なら、しばらく死なないのか。 完
2024.08.15
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執刀医が交代したことを知り、撃沈された虫けらは、意気消沈して無表情になっていたようだ。手術台傍の看護師がしきりに「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。「途中でいらっしゃるようです」!!!怖い主治医が手術途中で手術室に来てくれるという。これを光明にしよう。もし、若い執刀医が下手な手術をしていたら、きっと指導したり、代わったりしてくれるだろう。「ちょっとチクっとしますよ〜」と若い男の声。左手の前腕部中央あたりに注射針が入ってきた。術中の点滴のためだろう。い、痛い。虫けらは注射の痛さにとても強い。しかし…これは痛い。痛い。痛い。探っているな。4回探られて、痛すぎて声を出した。虫けら「大変痛いです」「あ、痛いですよね。…抜きます」この病院の外科は注射がすこぶる下手だ。内科は上手だった。痛みもなければ失敗もなかった。前回の手術のときも外科で2度失敗されて、人がチェンジし、3回目も危なっかしかったが、虫「前(内科)はここに刺しておられました」と指示し、ようやく入ったという経緯がある。結局前腕部で場所を見つけることができず(虫けらが、以前はここに打ったと言ったが、採用されず)、手の甲の血管に打たれた。ここは皮膚が薄く、痛い上に点滴液が入りにくい。実は、長い人生でこんなところに打たれたのは初めてだ。虫けらの血管は体表に出ている上、とても太い。これまでの看護師さんは、「打ちやすいわ」と言っていた。なぜこの病院の外科はこんなに下手なのか。先行きを暗示するようで、さらに意気消沈するのであった。執刀医「ベッド、ちょっとずらそか」全員でガサガサと作業。執「エコー、こっちに置こか」看護師がガサガサと作業。執「ここにあれ持って来て」助手的担当医がガサガサと作業。こういう、術前にしておくべきことを30分近く。虫けらは鯉のまま手術台の上でさらに意気消沈。こういう、段取りの悪い医師が上手なオペをするわけがない。不安や焦りというより、体がペラペラになるような感覚。何というか…感情を失い、生命体としての厚みを失い、手術台に張り付く薄い物体になった感じだ。かくしてオペが始まる。消毒作業、エコーで切開部の確認、器具の準備、と進んでいくが、もう一切信用できない気分。何をされても疑心暗鬼になる。部分麻酔。痛い。場所を変えて何度も刺す。痛い。首の切開は、痛くはなかったが、しばしば何をどうしたらそんなに痛いのかという激痛が襲う。首の皮膚が引っ張られて、麻酔の効いていない皮膚の内部が痛い。どんな手術をしているのだろう。見てみたいが、顔には布がかかっているので、何がなんだかわからない。虫けらは痛みには強い。これまで、一度も「痛い」と声をあげたことがなかった。痛いという感覚があっても、我慢できたのだ。しかし今回、辛抱できなかった。これまでと何が違ったのか。「信頼」だと思う。この先生なら、きっと変なことはしていないだろう。このくらいの痛みは当たり前なのだろう。痛いと訴えても、作業が進まなくなるだけで、こちらにはメリットはない。先生がやりやすいなら、我慢しよう。と思えたのだ。が、今回はそんな気持ちにはなれなかった。ここで口を開かないと、無茶苦茶にされるのではないか、ひどい傷口にされてしまうのではないか、そう思ってしまった。と同時に、「早く来てください」と怖い主治医が来るのを願った。しかし、相当の痛みに耐えた後、もう辛抱できないと口をついて出た言葉が虫「痛すぎます」執「麻酔足します」なんだ、もっと早く言えばよかった。このやりとりが何度か続いた。麻酔注射も相当痛い。首や鎖骨下という、人間の体の中では敏感な部分にグイーッと麻酔薬が入って来る痛みは相当なものだ。10回ほど追加麻酔をされたとき、虫「全身麻酔にしてください」と言った。もちろん冗談である。この手術は局所麻酔と決まっている。だが、こうでも言うしかないほどの苦痛だったのだ。そう言いながらも、目を閉じたら痛みが増すような気がしてずっと目を開いていた。すると、痛みのせいか、手術室の空気が乾いているせいか自然と涙が出た。下にしている左目からずっと涙が流れていた。さまざまな痛さの間に、執刀医の軽すぎる言葉が懸念や不安を増長させた。執「あ、そういう感じっすかね」執「いいんじゃないっすか」執「もうちょっと足しとこか。別にええけど」執「ズバッといく人もいるけどな」言葉から想像されることを脳裏で図にすると、自分が傷ついたり、ぞんざいに扱われたりしているのがまざまざと理解できるのだ。1時間の阿鼻叫喚地獄だった。虫「顎がち切れるー!」虫「尋常じゃない痛みです」虫「こんな痛みあります?」何度か痛みを訴えたが、麻酔の追加以外、何ら対処してもらった気がしない。結局、怖い主治医が来ることなく手術は終了した。大変不安だったのは、縫合しているだろう箇所が多いことだ。怖い主治医は首に一箇所わずかに傷が残るくらいだろう、コンシーラーで隠せるくらいだ、と言っていたが、少なくとも4箇所縫合しているのがわかる。これはきっと、怖い主治医がする手術とは全く違うものなのだろう。この若い執刀医が独自に考えたものか、経験不足、技術不足のためなのかよくわからないが、少なくとも一般的な女性が耐えられる代物ではないのは確かだ。現代医療で、こんなに痛い思いをする世界があるとは。生き地獄が1時間。想像を絶するものだった。術後、いつもの虫けらなら、執刀医に質問的な言葉遣いながら、不満や愚痴を言うのだが、今回はとてもそんな気力さえ残っていなかった。虫「ありがとうございました」と言って、手術室を後にした。 さらにつづく
2024.08.15
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延ばしに延ばした入院日になった。前回の入院のときは4人部屋にした。手術をするための入院だったのだが、腹に小さな穴を開けて鉗子やカメラなどを挿入して臓器を切除するなどの処置を行う腹腔鏡手術だったので、開腹手術に比べて大変楽だと聞いていたし、術後の入院期間も極めて短くて済む、ということだったので、病室を気にかけることはなかった。しかし!大変な目に遭った。術後の下痢、痛み、動きづらさは予想外だった。1日に30回以上トイレに通うことになった。起き上がるたびに腹部に激痛が走り、点滴スタンドにあれやこれやをぶら下げて動くのは、大変な苦痛である。麻酔を背中から入れているので、立ち上がるとふらつくし、歩くのが心もとない。便意をもよおすと、痛い腹を押さえながら起き上がる。ベッドに柵がつけてあるので、それを避けて足を下ろすのが一苦労。ベッドに引っ掛けてある硬膜外麻酔、ドレンが入ったバッグを点滴スタンドに吊り下げる。スタンドを押し、点滴の管に絡まりながら慌ててトイレに駆け込む。これを1時間に数回。同部屋の方々には大変ご迷惑をおかけした。いつもトイレが使用中になっているのに辟易されただろう。今回の入院は、手術はあるが、歩くのに支障は出ない。痛みもさほどのことはないだろう。が、抗がん剤の治療によって、吐き気(嘔吐)や下痢、食欲不振など、自覚できる症状が幾つも出る。そのことによって、同室の方々にご迷惑をかけることが予想されたので、個室を希望した。一般個室は1病棟に2部屋ほどしかない。価格は15000円/日くらいだが、これが取れないと、40000円/日以上の特別室になる。幾らなんでもそれは無理なので、一般個室に限って入室希望、と申し出た。「現在、個室は満室です」「一旦4人部屋に入ってもらって、あいたら移動でも?」致し方ない。かくしてきょう、運よくあいたらしい。個室に入ることができた。早速PCを広げ、3台の携帯を置いて仕事場をつくる。別に仕事はしないが、いつも家にある空間のようにしつらえる。看護師さんがバイタルを計測に来たり、手術着を持って来たり、薬剤師が抗がん剤治療の説明をしに来たりとなかなかゆっくりできないが、お昼ご飯を食べたら、15:30分の手術まで、携帯に届いたメールをチェックしたり、YouTubeを見たりといつものように過ごす。15時過ぎに病棟の看護師さんが迎えに来てくれて、手術室へ。怖い主治医の話では、首からカテーテルを挿入して鎖骨下に設置するポートと心臓をつなぐというよくわからない手術なのだが、とてもさらっと、簡単に説明された。自分でも調べてみたが、手術についての技術的な解説ではなく、カテーテルがどう入っているか、くらいの説明しか探すことができなかった。手術は怖い主治医がしてくれることになっている。心配あるまい。局所麻酔であることが少々不安だが、部長先生の手にかかれば、チョチョイのチョイだろう。手術室の前室で病棟の看護師さんから手術担当の看護師さんにチェンジし、手術室に誘(いざな)われて手術台へ。早速さまざまな計器類が手や足に取り付けられ、とらわれの身となる。看護師と、執刀医以外のスタッフが会話している。「先生が変わられました」!!!!!え、え、えー! 怖い主治医じゃないの?「○○先生です」え、え、えーーーー!しかも、すごく若い先生じゃーんちょっと待ってよーーーー!まな板の鯉になってるのにぃーーー!虫けらの心の声は、発せられることなく虚しく消えゆくのであった。 つづく
2024.08.14
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以前、「メガネ男と帽子女」で書いたが、私(虫けら)はメガネが似合わない。唯一、ダイソーの100円老眼鏡はどれでも似合うようで、「え、それ100円?」と皆さんが驚いてくれる。ところが、調子に乗って、楽天で2000円くらいの老眼鏡を奮発したら……全く似合わない。老眼鏡が似合うわけではなくて、100円の老眼鏡が似合うだけなのだ。ふん。昨日、娑婆最後の寿司に、小学時代からの友達が付き合ってくれた。彼女と私の共通点は、「よく食べる」「食べるのが速い」ということ。小学生のときは、いつも給食を「おかわり」する順番を競い合っていた。現在の私はというと、お酒を飲むときは、食べるペースがぐんと落ちる。酒なしのランチや定食のときは、「よく食べる」「食べるのが速い」と言われるが、酒があると、酒優先になってしまうので、食べるペースが遅いし、食べる量も少ない。一方彼女は、いまだに食べるのが速い。飲むのも速い。私が2皿食べる間に5皿食べている。決して意地汚い食べ方ではなく、さらっと食べている感じ。私も人から、「え、もう食べたの? いつ口に入れたかわからない」とよく言われた。大食い、早食いの極意である。「食べている」感を出さない上、一口が多く、咀嚼が早い。喉が太いというもの大きな一因かもしれない。飲むのが早いのは、喉の太さにかかわる。私は1合(180ml)のビールを1.4秒で飲む。(早飲み大会で、審判が測ってくれた)気合を入れたら、1秒で飲めると思う。彼女も大概の速さである。そんな二人が食事すると、凸凹になる。「もうおなかいっぱいやわ」というセリフを聞くのが、始まって15分程度なのだ。私は寿司を3皿ほどしか食べていない。ビールは1本飲み終わっているのだが、彼女は生ビールを2杯。15分で会食終了とは。わかってはいるのだが(毎回そうなので)、焦ってしまう。ま、今後、こんなおいしい寿司は食べられないかもしれないので、今回は「もうちょっと待って。もう少し食べたいから」と、わがままを言った。治療に入ると、食欲がなくなり、味覚が変わる。治療を続ける限り、いや、治療を中断しても、もう2度とこのおいしさが味わえなくなるだろうと覚悟している。そんな治療、する意味があるのか?と何度も考えたが、「標準治療というバカげた関門」で書いたとおり、致し方のない選択なのだ。ま、それはさておき。彼女から、たくさんの贈り物をもらった。入院生活に必要なもの、退院してから必要になるもの、治療による体の変化を見越してのもの、お守り、根付け、お札など幾種類もの神社の授けもの。虫けら「こんなにたくさん、どこに置いとこ」彼女「枕の下に敷いとき」虫けら「枕が高こなって、首の筋違えるわ」ケラケラ笑った。病院で着ればいいと、「アッパッパー」を2枚くれた。「アッパッパー」と言って、理解できる人はどれくらいいるだろう。我々は、昭和初期の親に育ててもらったので、この言葉を自然と耳にしているが、平成の人は知らないだろう。「ムームー」と言えば、わかる人が増えるだろうか。……わからないだろうな。ボタニカルな柄のアッパッパーである。鏡の前で当ててみると……全くもって似合わない。実は、私が持っている服はほぼ無地である。たまーにドットやストライプがあるが、数えるほどだ。柄物が激しく似合わないのだ。ジャーナリストの有本香さんも、柄物が似合わない。よきブランドのよき製品だとは思うが、変な柄の服をよく着ておられる。よくもまぁ、そんな柄をお見つけになられたものよ、と思うほど、奇抜な柄の服だ。対して飯山陽さんは、無地が多い。たまにドットや柄物をお召しになっているが、モノトーンであることが多い。この二人のセンスを見ていると、「柄物」がいかに難しいかがわかる。私は、ボタニカル、ペイズリー、チェック、何もかも似合わない。グレンチェックや格子柄は、かろうじて着られないことはない、程度だ。何が原因なのか…。顔が濃い。肩幅がでかい。土管のような体型(凹凸がない)。ひどい。多分、顔が小さくて、柄に負けてしまうのだ。一見すると、私の顔は小さく見えない。(大きな顔をしている、という態度の問題か)(面の皮が厚い、というふてぶてしさも加わる)しかし、帽子をかぶるとわかる。普通に売られている帽子はどれもブカブカで、調整のアジャスターが付いていないとダメなのだ。中学のとき、部活に必要なキャップを注文しようとして、私だけ特注になった。見本の帽子をかぶったが、どれも大きくて「もっと小さいものを」と言ったら、「小学生用になります」と、そのとき用意されたもの以外のサイズを注文した。「頭は小さいけど、顔は大きいのだろう」と言わないでほしい。ジャイアント馬場さんのような頭と顔の比率ではなく、ごく普通の比率のなので、顔も小さいと思う。柄に負ける。屈辱である。色も似合わない。モノトーンは一応大丈夫なのだが、少しでも色が入ると、顔や体型にそぐわなくなる。薄いオレンジくらいだろうか。まだ大丈夫なのは。若い時は、ピンクも赤も着てみたが、似合うと思ったことは一度もなかった。ブルーやグリーンはもってのほか。かといって、この年になって、ドドメ色は似合いすぎてNGだろう。肩幅がでかくて、尻が小さいのも致命的。パリコレのモデルじゃないんだから、肩幅が47cmで、尻が80cmはおかしい。シルエットは、頭でっかち尻すぼみである。そうした残念な要素がいろいろ重なって、虫けらは、あれもこれも似合わない。ちょっと入院しようと思ったら、自分の多くの欠点に気づき、落ち込むのであった。 悲哀※決して有本香さんや飯山陽さん、ジャイアント馬場さんを揶揄しているのではありません。飽くまで私見ですし、虫けら個人の勝手な言い分であることをご理解の上、ご容赦賜りますようお願いいたします。
2024.08.10
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いつごろからだろう。多分、日本がクレーム大国になり始めたころだと思う。2000年代か。病院のパンフレットやHPで、病院の利用者に対して「患者さま」という表現を用いるようになった。これがどうにも気持ち悪い。ずっと気持ち悪かった。「患者」というのは単称(個称)ではなく総称である。「患う者」「罹患している者」を一括りにしているだけで、個々人を称しているのではない。ゆえに、「患者」と表記して何ら問題ない。ただし、医師が患者に向かって「患者さん」というのは、気持ちの問題であって、許される用法だろう。例えば、「囚人」も総称であるが、囚人に向かって「囚人さん」とは決して言わない。もちろん、「さん」という敬称を囚人に対して用いるのはおかしいという理由で、「囚人」と呼ぶこともない。当人に向かって使わない言葉なのだ。では、患者を表現する場合、どうすれば適切か。「お客さま」とするのはおかしい。病気になった人を病院がお客さまと呼ぶと、あからさまに「儲け」の対象になってしまう。そのまま「患者」でいい。どこでどう間違えて、「患者」を「単称(個称)」のように使うようになったのか。そういう商売(コピーライター)をしていた者としては、責任を感ぜずにはいられない。私個人としては、このような変な言葉は使ったことがない。文章中に使うなら、「〜方」で事足りる。「入院を切望される患者さま」「入院を切望される方」厳然と対峙している相手に「患っている」という意味が含まれる「患者」と言う必要はない。「病院対患者」「医療従事者対患者」という構図の中で表現する場合は、「患者」でよい。「さん」も「さま」も全くもって不要である。病院のシステムの中で称する場合は、「受診される方」「来院される方」などでいい。病院が、ビジネス的立ち位置に立ってしまってから、こんな変な表現がまかり通るようになった。自分が患者だから言うのではないが、病院には、「医は仁術」という姿勢を貫いてほしい。医師がそうであってほしいのはもちろんだが、病院全体が、その姿勢で構えていてほしいのだ。病院が異様に患者に「媚びへつらう」のが気にくわない。この場合の「病院」とは、経営陣であり、医事課の人々のことになろう。そうでないと、何に対しても疑心暗鬼になる。偉そうでもいい、冷たくてもいい、信じていれば、光明が射すに違いないと、安心して診療を受けられる存在であってほしい。なんて。そんなこと、いまの世の中では無理なのに。パソコンと、血液検査の数字しか見ない医師ばかりだ。触診どころか、聴診器も当てない医師ばかりだ。患者の顔色も表情も読み取れない医師ばかりだ。患者の心をえぐる言葉を投げかける医師ばかりだ。このままだと、そのうち医師はAIに取って代わられるだろう。 合掌※上記の「医師」は、怖い主治医のことを言っているのではありません。決して。怖い主治医は、ここのところ大変優しく、人間らしい言葉をかけてくださいます。これまでのことはさておき、現在は信頼できると言える…かな。。そう思っていないと、これからの治療は耐えられませんので。
2024.08.07
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昨年、大腸を27cm切除した。「切ってしまえばスッキリ」などと思っていた自分の無知を恥じる。大腸を切るということの弊害は計り知れない。大腸だけではないだろう。胃、腎臓、肺、胆のう……どこを切っても弊害はあろう。そちらは体験していないので言及しない。大腸に限って言えば、女性にとっては致命的な影響がある。「体内の水分が不足する」というとんでもない事態。大腸は水分を吸収する臓器。水分を吸収して排泄物を凝縮すると同時に、体に必要な水分を血管に送り込む。この大切な機能を一部にしろ失うと、体内の水分量が不足する。するとどうなるか。皮膚の弾力が低下し、痩せる、たるむ、しわ寄る。えらいことである。以前は、肌だけは年より若いと言われていた。ハリがあり、ツヤがあり、シワがなかった。それが、手術を境に見るも無残な…。そして、体験して初めてわかったのだが、日焼けをしやすい、戻りにくい。水分のない皮膚はすぐに焼ける。チリチリと音が出そうなくらい焼ける。そして、元に戻らない。以前は、冬の間にすっかり元に戻っていたのに、全く戻らないどころか、この季節になってしまったので、さらに焼けて黒くなっている。通常の日焼け止めを塗ってもダメ。UVカットの上着を着てもダメ。水分量の足りない肌は、紫外線の格好の餌食なのだ。いまのところ、シミにはなっていないが、時間の問題だろう。脱水しやすい。先日、旅行に行き、岩盤浴の後温泉に浸かった。その後、どうも体調が悪くなり、しばらく部屋で休んだ。体調不良の理由がわからず、食事や酒を控えたりしたのだが、夜遅くになってようやく原因が解明した。「脱水」だったのだ。汗をかき過ぎると脱水が進み、湯あたり、もしくは熱中症のような状態になる。気分が悪くなり、視界が狭まり、立っていられなくなる。脱水と気づいてから、炭酸水をたくさん飲んで、何とか復調した。炭酸水が正解かどうかはわからないが、水より好きなので、しこたま飲んだ。汗をかくと疲れる。元来、代謝がいい方なので、体温が高い。この季節に動くと、えらい量の汗をかく。ウォーキングはしばし休止。必要欠くべからざる買い物や振り込みなどの作業のみに限定しているものの、どうしても外に出ないといけないことがある。それらの用を済ませて家に戻ると、とんでもない量の汗をかいている。毎度シャワーを浴びないと、下着も衣服もビチャビチャだ。シャワーを浴びた直後は気持ちいいのだが、すぐに疲れが襲ってくる。体内の水分量が足りなくなっているのだ。慌てて水分補給するが、吸収する臓器が短くなっているのだから、十分吸収できない。人の何倍もの水分を摂取するが、悲しくもその多くが排出されてしまう。夏はおとなしくしていないといけない。なら、冬はいいのかというと、豈図らんや。冬は湿度が低い。水分の足りていない肌はカサカサになる。風呂に入ったり、保湿剤を塗ったりしてできるだけ体表からの水分の蒸発を抑えなければならない。足がつるとにかく足がつる。指、足の裏、甲、ふくらはぎ、太もも。手指や背中、脇腹と、あらゆるところがつる。体内の水分量が不足するとつりやすくなるらしい。通常なら、寝起きとか、激しい運動をした後とか、特定の時間につりやすいらしいのだが、私の場合、四六時中つる。一度つると、何分も治らない。運動由来でつった場合は、対処法があるが、水分不足でつった場合は、対処法がない。痛い時間を耐えるしかない。大変な苦痛である。……手術前には予想もしていなかった事態。手術など、するものではない。後の祭りだが。。。 玉砕
2024.08.05
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さんざんわがままをグダグダ言い、入院を2週間以上引き延ばした虫けらは、次の診察日を前に緊張していた。また造影剤CTを撮らなければいけないし、その結果によっては、怖い主治医から厳しい(冷たい)言葉を投げつけられるかもしれない。そして、いよいよ覚悟せねばならない事態になるかもしれない。2週間の間に、処理しないといけないことの2/3以上を処理できたし、あとは、こちらからはどうにもできないことばかりなので、できることをやったと思う。しかし、それは怖い主治医のあずかり知らぬことだし、細かなことは言っていない。いまさらそれらを提示して許しを乞うつもりもない。許しを乞うも何も、それで状態が悪化することも覚悟していたし、自分の判断で日延べしたのだ。しかし前回、怖い主治医は「僕も甘いな。無責任な言い方やけど、自己責任やわな。それを許した僕も共犯やけど」と言ってくれた。もちろん虫けらもそれを理解していると言った。だから、状態が激しく変化していたら、怖い主治医も責任を感じてくれる可能性がある。…ないか。次のステージに入ったことを告げられて、ほぼ強制的に日程や治療方針を決められるだけだろう。ま、そういういつもの葛藤とともに2週間を過ごし、さすがに診察前の数日は緊張した。かくして検査・診察当日。ジタバタしても仕方ないが、CTの結果が気になる。前回と変わっているのか、いないのか。造影剤CT撮影は滞りなく終了し、待合室で待つ。意外にも早く名前を呼ばれた。静かに診察室に入った。いつもなら、きちんと挨拶するのだが、「失礼します」と小声で言うだけで、丸椅子に座った。怖い主治医はCT画像を見ている。虫けらも画面を見る。しばらく沈黙が続く。怖「まぁ、2ヵ月前とそんなに極端に変わってないかな」虫けら、少し安心する。今回は、口を開くまいと決めていたので、怖い主治医の言葉が続く。虫けらは頷くか、「はい」としか言わない。怖い主治医が一人で喋って、かなりの時間が過ぎた。虫けらは気づいた。怖い主治医の言葉と言葉の間に「スー」という呼吸を入れる。これは、多分次に言うことを考えているか、言葉を選んでいるのだと思う。これまでにはなかった。サドなのに、気を使っているのだな。知らんけど。ひと通りCTに関する説明を終え、やおらこちらに向き直り、少し笑いながら口を開く怖い主治医。怖「天神祭、終わりました。 あとはお誕生日ですか? 来週ですか? 先に言うとこ。おめでとうございます。 明日の淀川の花火は関係ないか?」おもろいやないかい。確かに「天神祭」と「誕生日」は、日延べの理由にした。ふーん、覚えているのだな。淀川の花火を付け加えるところ、ユーモアに富んでいるわ。やればできるやないかい。ええで、先生。怖「で、どうしましょう…って聞くからあかんねんな。 僕が何日にしましょ、って言えばいいんやな(笑)」ほほう。学習しとるやないか。ちょっと後悔してるのかな。怖い主治医に似合わんやさしいお言葉。感激してしまうでぇ。虫「病院はお盆休み、ないんですか?」怖「ないです。施設としては、休みません」虫「先生はお休みになるでしょう?」怖「僕は出てきてます」虫「あらららら…」怖「あらら、計算狂った?」おお、やるやんか。口調も大阪的やで。部長先生がお盆休みに出てきてることに敬服したんやで。決して、入院をまた日延べしたいのんと違う。伝わらへんですんませんなぁ。というやり取りをしつつ、入院の日取りを決定し、手術の内容など必要な説明を全部聞いた。逃げも隠れもできなくなった。ふと、検査待ちのときに待合スペースで手にしたパンフレットのことを思い出した。病院の「がん医療」に対する取り組みを記したものだった。A3二つ折りのありきたりなものだが、内容がひどい。視点が定まっていないし、病院発信にはなっていないのに、病院の医療体制を賛美したり、肯定する内容になっていない。とにかく、最後まで読んでも、2度読んでも、「ふわっ」とした感じから抜け出せない。言いたいことがわからない。文章が拙い。基礎知識がないからか、突っ込んだ表現ができていない。私なら、もっと魅力的なものがつくれるだろうと思う。第一、当事者であるがん患者の私が見ても、何一つ心に響く文章がないのだ。致命的ではないか。怖い主治医が必要書類をプリントアウトしている間にパンフレットを鞄から引っ張り出して、虫「これは、病院がおつくりになったものではないですよね。 この原稿は先生がお書きになったもの? 違いますよね」と聞いた。怖「つくったのは、病院ではないです」虫「取材協力という形ですか」怖「そう。ここの原稿は、僕が…全部書いたわけじゃないけど、はい、僕が書いたものです」怖い主治医が登場するページがあるのだ。顔写真入りで。しかし、医師が主張する内容ではなく、誰かがインタビューしたような表現になっている。なのに、どうも謙虚すぎる内容なのだ。こういうものは、データや実績に裏打ちされた強い主張がPRポイントとなる。「主張」が全くなく、とても謙虚な表現だ。例えば、「○○を導入することによって、ようやく及第点の体制となりました」言葉は違うが、こういう表現。本来なら、「医療体制の充実のために、本院では○○を導入。地域のがん医療の一翼を担っています」といったような強い表現を用いる。これは医師、もしくは病院視点。同じことを言っていても、肯定感を出さなければ大変弱くて頼りない表現になってしまう。しかも、医師発信なのかインタビューなのかわからない、とにかくもやっとした文章なのだ。このパンフレットをネタに怖い主治医と話をしていたら、とても普通の人間の会話ができた。病気を介した会話は怖い主治医と虫けらの関係をどうしても解くことができないし、言葉も口調も上下関係ができる。しかし、印刷物という第三者を挟んだ会話はとても自然で、普通のやり取りになった。もちろん虫けらは終始敬語だが、怖い主治医はタメ口調で、怖「下手くそ、っていうこと?」怖「これ、僕見たことないわ」怖「あの辺まで含めて、そう言うんやわ」怖「一駅で3つあるからな」計算したところ、怖い主治医は虫けらより2〜3歳年下。ま、タメ口でもよい。虫けらは、オケラからコガネムシに昇格したのかと思うくらい、自然な会話ができた。次はカナブンになれるかな。うむ。と、ヘラヘラしていてはいけない。入院したら即手術、そして恐ろしい治療が待っている。楽しい時間はもう終わりなのだ。そして、一生、こういう平穏な時間は戻ってこないかもしれない。それが、がんという病なのだ。 合掌
2024.08.03
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