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旅行してきた。10歳からの友達と。連泊でのんびりできた。海の見えるバリをイメージした宿で、飲み物が飲み放題、駄菓子を取り放題、グリーンカレー食べ放題の酒飲みにはありがたいシステムだった。温泉(くみ湯)があり、ちょっと変わった半露天風呂や岩盤浴も無料(オールインクルーシブシステム)だった。食事はまあまあだったが、もともと食事に過度な期待をしない質(たち)なので、及第点だった。夜になると、積もる話になる。彼女との旅行は十数年振り。昨年来、食事は3度ほどしているのだが、余り病気のことについては話していなかった。彼女は看護師をしているので、ここぞとばかりに的確に核心をついた質問をしてくる。隠したり、ごまかしたり、嘘をついたりしても、矛盾点を指摘されて、真相を解き明かしてしまう。だから、最初から本当のことを言った。すると、「なんていう名前?」怖い主治医のことを聞いてきた。素直に答えると、すぐにネットでプロフィールを探し当てた。私「そんなん探してどうするの?」彼女「何かあったら訴えてやる!」穏やかでない。先日、ヘルシンキの君が言ってくれた「一緒に行ったろか?」の顛末を彼女に話した。かくも楽しきゲストたち ⑥ 〜スーパーの男 その4〜彼女「私も妹連れて一緒に行く!」私「妹3人もおるの? 私」彼女「もっといっぱいぞろぞろ連れて行ったろや」私「明らかに年上のおっさんとか入れて10人くらい妹にしよか」話がエスカレートする。彼女「どんな顔するやろ、その主治医」私「『あ、妹さん、多いんですね』くらいの反応ちゃう?」彼女「サイコパスか!」私「そうかも」怖い主治医の人物像を勝手につくり上げて行きながら、二人で大笑いした。彼女も、私の術後の診察過程には相当疑問を持っていた。私がそれを指摘したときの主治医の反応を話した。彼女「そんなん、許せんわ」彼女の母親も、がんで亡くなっていて、治療は彼女の監視下で行われていたので、医療従事者としてその過程を昇華して記憶している。それと私の場合が余りに違うので、怒ってくれているというわけだ。しかし、今更怒ったところで時間を巻き戻すことはできない。残念ながら、先の運命は開けていない。そんな状況下で、ちょっとしたことを大笑いできる材料にしてくれたことは大変ありがたいことだし、彼女でなければできなかったことだととても感謝している。10人の妹か…。本当にそんなことをしたら、怖い主治医にしこたまどやしつけられるだろうし、治療を拒否されるかもしれない。決して実現はしないが、その図を想像して、泣くほど笑った。待てよ。どうして「妹」という設定になったのだっけ?「姉」の方が医者に意見できる立場じゃないのか?あえて弱い設定で、厳しく切り込む方が効果があるのか?明らかに年上で、男という現実とのギャップを「意外性」として利用しようということなのか?ま、「姉」より「兄」より、「妹」の方が笑えるのは確かなので、それはそれでよしとしよう。旅行の時間は短かった。毎回思うことだが、旅行や休みの期間というのは、どうしてこうも過ぎ去るのが早いのか。もしかしたら、もう2度と旅行には行けないかもしれない。貴重な旅だった。わかっていたし、景色を見ても、風呂に入っても、車窓を眺めていても、「これが最後かも」と思ってはいたが、なぜか実感がわかない。きっと、治療で想像を絶するつらい目に遭ってから実感するのだろう。これまでの、私の壮絶な人生でも経験しなかった、つらく、苦しい現実が目の前にある。人が生きるとは、かくも過酷なものなのだ。ちょとした残業が嫌だとか、上司に怒られるのがつらいだとか、朝起きるのがしんどいとか、そんな小さなことを言っていられるのは大変幸せなことだと心得よし。現在の私の最大の苦痛は、前回、散々わがままを言った後に控えている怖い主治医との対面。来週。。あー、過酷、過酷、過酷。 チーン
2024.07.27
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虫「治療については納得しています。 一度も標準治療をせずに死んでいくのは 何か違うと思いますので」怖「素晴らしいお言葉をいただきました。標準治療」前回の怖い主治医と虫けらの会話。「標準治療」というのをご存知だろうか。厚生労働省が決めたがん患者に対する治療方針。「外科的治療」「放射線」「抗がん剤」の3つしかない。外科的治療というのは、手術をして固形がんを中心とした、切除可能な患部を取り除くというもの。放射線治療は外科的治療と同じく、条件が厳しい。固形がんの数や大きさ、進行度が限られるので、放射線治療ができるのはラッキーだ。抗がん剤が使われるのは、こうした条件に外れる場合、あるいは、外科的治療でなくても消失させられるほど小さいなど条件のいいがんに適用される。私の場合、抗がん剤以外の選択肢がなかった。つまり、条件の悪い方のがんの治療方法だ。米国では、抗がん剤治療は一般的ではなくなっているらしい。効果に比して副作用が強すぎるので、他の治療法が選ばれる。日本で言うところの「代替治療」というものだ。が、米国では、保険制度が日本ほど充実していないので、「標準治療」がない。つまり、日本で言う代替治療が一般的な治療法になっていて、「免疫療法」など民間療法も合わせれば幾つもあるらしい。坂口力元厚生労働大臣が大腸がんになったが、免疫療法で治ってしまった。がん治療についての厚生行政を推進するときにそれをひた隠しにしていたという話を聞いた。実は、免疫療法は、義父が行なっていた。私は病院への送迎のために付き添っていたが、あるとき義父が「先生の話を聞いてあなたの判断を言ってほしい」と話してきた。そのとき、医師から詳しい説明を聞き、『あぁ、もう少し早くここに来ていれば』と激しく後悔した。その前に受けた放射線治療がネックになって、切望していた陽子線治療を断念せねばならなくなり、ようやくたどり着いた治療法だったという経緯があった。治療には時間がなさすぎた。放射線治療をやめてこちらに切り替えればよかったのだが、後の祭りだった。しかし、義父の治療にあたっては、主治医は迷うことなく放射線治療を選んだ。それは正しかったのか。そう。日本におけるがん治療では、それしかない、というほかない。なぜなら、それが「標準治療」だからだ。患者によって、がんの特性によって、医師の知見によって、それに外れた治療を行うことはあるだろう。新しい薬剤や治療法の治験だったり、患者の希望によって特殊な薬剤を使ったり。それによって、目を見張るような成果を得られることもある。残念ながら、これまで知られていないような副作用が発現したり、治療結果に悲しむことになる可能性もある。しかし、異を唱えることはできない。その治療を選んだのは、患者の意思だからだ。しかし、決められた治療法では死を待つだけ、という切羽詰まった状況より、新たな治療法を選ぶという人がいることは理解できる。が、「標準治療」ではないことの弊害は知っておくべきだ。というか、「標準治療」でないと、日本の医療行政のメリットを得られないことを理解しておくべきと言う方が適切だろうか。まず、保険適用。高額医療の上限額適用。生命保険の治療費請求適用。「標準治療」を受けることが前提になっているのだ。では、「標準治療」とは何か。厚生労働省(厚生省である。労働省は関係ない)が決めた基準だ。製薬会社や医師会などの利権団体と役所がつるんで決めた金儲けの指示書だと言える。米国で使用禁止になった抗がん剤、売れなくなった(効果がない)抗がん剤を押し付けられ、日本の役所と医療機関は、日本人が真面目で従順なことをいいことに、「標準治療」などというだまくらかしのシステムに組み込んで双方が金儲けしているのだ。それもこれも、「日本民族消滅」というGHQの策略を未だに実行し続ける売国政府と官僚の思惑が礎となっている。先進国の中でも突出して日本だけがん患者が増え続け、がんによる死亡者数が他国よりも多く、なのに、相も変わらず同じ治療法を実行しているのは、患者の命より、金儲けを優先している厚生行政の現実を物語っている。ではなぜ虫けらは、「標準治療」を受け入れるのか。保険適用されない治療法は、一般人には無理だから。そして、生命保険の保障を受けるためには、選択肢は「標準治療」にせざるを得ないから。虫けらは、30年以上生命保険をかけている。自分の意思ではなく、自社が依頼していた労務士が保険代理店をしており、「入ってほしい」と懇願されたからだ。保障内容など見もしなかった。必要になるのは随分先だし、その頃は稼いでいたので、自費治療という選択肢もあったからだ。しかし、30年以上にわたって支払ってきた保険料は膨大なものだ。昨年、入院・手術・治療を要したときに下りた給付金は、支払った保険料の1/3ほどにしかならなかった。この先、他の事案で下りることもないだろうから、同じ病気で何らかの給付金をもらおうとすれば、「標準治療」を受けた上での治療費以外ないのだ。「先進医療」という項目もあるにはあるが、「標準治療」を経た場合にしかもらえない。ことほどさように、「標準治療」というのは、理不尽な関門なのだ。しかも、厚生省も、医師も、患者のことを思って決めたのではない。多分、自分たちががんになっても、標準治療は受けないだろう。坂口元大臣のように、効果がある高価な医療を選択するのだ。最低限200万円。結局1000万円を超える、ややもすれば億の単位にもなることが当たり前の保険外医療を受けることは、一般人には不可能だ。それが無理なら、死んでください、という国の姿勢。いや、違う。そんな高額医療を受けたいなら、元気なうちに金を蓄えなさい、という国からの警告というべきか。(つまり、がんという病気に限って言えば、生命保険などかけずに、蓄えた方が得策なのだ)かくして虫けらは、甘んじて標準治療を受け、効果を得られずに死んでいく。それはそれでいい。しかし、苦痛がなく、患者が幸せに受けられる治療を「標準治療」にできないものか。副作用の負の連鎖の中でむざむざと苦しんで死んでいくものを「治療」と呼んでいいのか。これは、命をかけて「拷問」を受けるに等しい。その後に元気に解放されるなら、我慢して受けてもいいが、その果てに死を迎えるものを「治療」と呼んではばからない医師は、何とも思わないのか。わかっていながら、そんな治療を受けようとする虫けらをどなたか慰めてくださいませぬか。あーーーー、苦痛。神も仏もないものなのか。 爆死
2024.07.24
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「余命(よめい)」とは、どういう意味だろうと考えた。「平均余命」というものがある。「へいきんよみょう」と読むのだが、0歳→80となっていたら、「現在0歳の乳児があと80年生きられます」という意味。これなら理屈はわかる。しかし、「あなたの余命(よめい)は半年です」と言われたら、「あなたはあと半年しか生きられません」となり、「余命(よみょう)」とは対極の意味になる。しかし、「余命(よめい)」は当たり前に使われる。突然だが、「余」をじっと見てほしい。私は毎度ゲシュタルト崩壊を起こす。「あまる」って、こんな字だったっけ?と不思議な気持ちになる。話を戻して。「余った命」ではない。「残された命」だろう。だが、この言葉はちょっと残酷さを伴うし、ストレート過ぎるきらいもあるにはある。しかし、慣れればそんなものだと思えるに違いない。「残」をじっと見ていても、ゲシュタルト崩壊は起こさないので、ぜひこれからは「残命」」と言ってほしい。私の「残命1年」は、まだほとんど誰にも明かしていない。家族はもちろん、親しい常連さんにも言っていない。が、二人にだけ、話した。聞かれたからだ。嘘は嫌なので、ありのままを話そうとは思っているのだが、皆、元気な私を見てイメージしないのだろう。「余命」なんていう言葉を想像すらしないはずだ。ただ、私がそう言ったときに、「知り合いも余命1年って言われたわ。半年くらいで亡くなったけど」と返され、少々背筋を冷たくした。そうなのだ。1年というのは、医者の経験則であって、確たる計算式や統計学を元にしたものではない。1年と言われながら3年生きる人もいれば、半年、3ヵ月で亡くなる人もいるだろう。怖い主治医は意外にもやさしい人かもしれないので、自分の弾き出した数字より長めに言ってくれたのかもしれない。大変だ。1年あると思い込んでいた。えらいことだ。ゆっくりしていられない。(ゆっくりしてはいないが)大丈夫。そういうこともあろうかと、再度検査をしてもらう手筈になっている。検査してから2ヵ月たつので、「いま、どうなっているか知りたい」とわがままを言い来週には現状を把握できる。そこで、意外にも速い進行が確認されたら、心を決めなければならないだろう。治療は期待できないと思っている。怖い主治医からは、「数を減らす、小さくする」を第一に、「他の治療法が取れないものか検討する」と言われているが、無理だと思う。「数が増える、大きくなる、違う場所に発生する──それを少しでも抑える」くらいのレベルになるだろう。なので、すぐに治療をやめたいと思っている。延命は、期待していない。ただ、「治療を試みた」くらいはやっておかないと、後を託している家族(姪)に申し訳ないというだけだ。ということを考えても、「残命」が正しいだろう。 南無
2024.07.22
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ヘルシンキ大学卒業という異色の経歴を持つスーパーの男は、身長は170cm弱(身長表示に「弱」を使うものなのか)と小柄ながら、筋骨隆々でマスクも精悍、格闘家のような風貌。最初にヘルシンキの君と出会ったときの印象は、素肌に皮のチョッキ、だった。これは、夫も同じで、ヘルシンキの君のことを二人で話すときは、この最初のワイルドな印象がベースになっていた。が、不思議なことに、「ワシ、皮のチョッキなんか持ってへんわ!」とヘルシンキの君が言う。夫も私も、「いや、素肌に皮のチョッキ着てた!」と主張し、何度ヘルシンキの君と言い合いになったことか。という話でわかるように、極めて野性味溢れるおっさんなのだ。そのヘルシンキの君が「妹になって病院に行ったるで」と言うので、面食らったのが1週間前。そんなことをしたら、いろんな意味で怖い主治医を驚かせてしまうではないか。へ「その主治医の本性が出るかもわからへんで」とうれしそうに言う。ま、それは実行されることはなかったけれど、報告がてら外来に行った顛末を告げた。へルシンキの君「そうやろ、やっぱりMやったんや、その医者」え、どこでMと思ったのか?へ「怖い印象に持っていったのは、Mを隠すためや」虫けらの私「そうかなぁ、今回はむちゃくちゃやさしかったのは確かやけど」へ「相手が強気に出たら、そうなるんや。Mの特徴やで」虫「そうなんか…」そう言われても、私はどこか納得がいかなかった。私の言うことや質問にことごとく否定的な言葉を発し、打ちのめさんとばかりの強い言葉を吐く怖い主治医がM?虫「やっぱり、一緒に行ってもらおかな。 強気なこと、言うてみてよ」へ「ええでぇ。ウエストニッパー見せながら、 威嚇したるわ」虫「Mやったら、ウエストニッパー着ける方かもよ」へ「へたら、女の声で『お宅も着けはるでしょ』言うたる」全くハチャメチャな話だが、もしかしてMかも、というのはあながち間違いではないかもしれない。冷静沈着、聡明ではっきりした視線と言葉、無駄のない言い回し、静かな口調はどう考えてもSなのだが、ここ2回の診察時の怖い主治医の対応は、予想を超えたやさしさだったし、本当に意外だった。もちろん、虫けらの状態が悪いのは間違いない。それをなだめすかすように入院に持っていくことは、虫けらを考えてのこと、と思えなくもない。ま、病院側の段取りや利益を考えてのことというのは、必ずベースにあるだろうが。へ「医者は変態、変人が多いからな」それには、一般論として納得。変態、変人というより、選民思想をほとんどの医者が持っている。「自分は特別」という優越感。このブログでも、2ちゃんねるにURLを載せられたため、1200件を超えるアクセス、800件以上の書き込みをされるといういわゆる「炎上」を経験しているが、「アホ」「ボケ」「カス」「う○こ」といった極めて低レベルな書き込みがほとんどだったことからして、我々一般人を見下していることは容易に想像できた。怖い主治医がそういう人種だとは思いたくないが…。次回はまた2週間後に面会するので、それまでにヘルシンキの君に何らかの指南を受けよう。また、奇想天外な奇策を授けてくれるかもしれない。ただ、その奇策が気になる余り、変な態度を取らないようにしなければ、これまでの無礼や醜態を詫びる気持ちを封じかねない。ことほどさように、奇人変人的才人、「天満のエロ男爵」がヘルシンキの君なのである。 尊崇
2024.07.21
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怖「再来週あたり、もう一度確認しましょうか。 また来てもらうのも面倒でしょうけれど」と、2週間前に言われた。治療のための入院日程を決めたのだけれど、それでいいかの確認日を設けてくれるというわけだ。やさしい配慮だと思った。治療を始めると、私のQOLは確実に下がる。数々の副作用で、仕事どころか日常生活も困難になる可能性がある。大変な覚悟がいるのだ。悪くすると、死ぬまでその地獄から抜け出せないかもしれない。そのことを理解し、覚悟を決める時間を2週間上げましょう、ということだ。2週間後の診察室。怖「前言った日程でよろしいか?」と問われたら、「あの…」と、逆を言いたくなるのが心情。実は、前回日程を決めてから、さまざまな雑事が浮上して、このまま入院して大丈夫か? という気持ちになっていた。一つは、小学生時代からの友人との旅行。たまたま連絡を取り合ったら、「旅行しようよ」と言われた。「ボーナスが入ったし」と。彼女は割と大きな病院の看護師長なので、相当よい額のボーナスが出たのだろう。多分、彼女との旅行は最後になるだろう。彼女の誘いに乗った。当初決めた日程は、入院予定日の2週前だった。が、彼女の都合と希望により、次の週の週末になった。週末を挟んで、すぐに入院するという日程。折しも来月、2枚のクレジットカードの有効期限が来る。カード会社に問い合わせたところ、新しいカードが旅行〜入院期間に届く予定であることが判明。郵便局の保管期間が過ぎると、カード会社に返送される。再度郵送申請をしなければならないが、手元に届くのに煩雑な手間と時間を要する。少し早い発送、もしくは事前の再送の手続きができないかと問い合わせたが、両方無理との回答。さらに、親戚の相続放棄の手続きを依頼されたのだが、その書面が届くのが、どうもその時期と重なりそうだ。できれば早急に対処したいのに、私だけが返信できなければ迷惑をかける。その上、運転免許の更新、不動産売却契約の更新、納税、保険関係の書類受け取りと申請、店の家賃の振込、当該病院以外の病院への通院、誕生日の営業、祭りの花火鑑賞のお誘い……。その合間に通常営業をこなし、自身の生活の雑事にまみれる。どうしてこんなにごっそりあるのかと思う。できることは済ませた。が、できないことが多過ぎる。怖い主治医にスケジュールを問われたが、答えることができずに思わず笑った。怖「大丈夫そう? やたらニコニコしてるけど」虫「へへへへへ」怖「笑いながら、どうにかならんかって?」虫「いえ、覚悟はできているんですが」と言いながら、グダグダ言い訳や愚痴を言いつづけた。予定が気になるなら、「日延べしたい」と言えば済むことだし、治療がいやなら「辞めます」と言えばいい。なのに、20分にも渡って、グダグダ言い続けた。これまでの診察は、3分で終わるくらい淡白なものだった。怖い主治医も必要最低限のことしか聞かないし、虫けらもそれに答えるだけで、質問などしない。20分も医師(だけではないが)相手にダラダラ話すなど私の人生になかったことだ。何事も即断即決。返事は一言。全ては自分の責任で世の中を渡り歩いてきた。それが…、この体たらく。怖い主治医に甘えているとしか思えない言動。しかし、怖い主治医はこれまでにはなかったほど穏やかな表情で、私のグダグダに付き合ってくれた。もちろん、当初の予定を変えない方向に持っていくために言葉を費やしているのは察することができた。しかし虫けらは、こうなったらどうしても日延べしたい。実は、いま、近年にないほど体調がいいのだ。寿司も、トンカツも、ビールもおいしい。筋トレ(というほどのことではないが)も順調で、体も少し引き締まった。体調が悪いときは、生魚も油物も受け付けない体質なのに、ここのところ、食欲もあるし、食べ物もお酒も「おいしい」と感じる。筋肉はもともと多い方だが、使っていなかったところを動かしたことで、少し若いころのような感じになっている。この状態を治療によって壊してしまうのは忍びないのだ。少しでも「おいしい」「食べたい」「幸せ」と感じていたい。治療が始まったら、2度と感じられない感覚かもしれない。かくして、グダグダを重ねてようやく日延べできた。怖い主治医は半ばあきれていたと思う。しかし、表情は穏やかだった。怖「僕も甘いな」虫「……」(バツが悪そうに笑う)怖「無責任な言い方やけど、自己責任…やわな」虫「はい」怖「それを許した僕も共犯やけどね」素晴らしいお言葉。私のわがままを自分のせいでもあると言ってくれる度量。見上げたものだ!これこそ、医師と患者の会話ではないか。ようやく、人間と会話したような気分になった。怖い主治医も人間だったのだ(サドだとは思うが)。と、気を許してはいけない。怖い主治医は怖いのだ。こんなことで、懐柔できたと思ってはいけない。これまでより人間的な会話ができたのは、単に私が「金儲けできる患者」に昇格できたからに他ならない。金にならないエセ患者ではなく、これからは確実に金になるのだ。虫「意外とあかんたれなので、すぐに治療をやめると言うかもしれません」怖「まぁ、手ぇ変え、品を変え、メニューを持っていきますわ」わーわーわーっ!やめさせてくれないんかい!すぐにやめたいと思ってるのにぃーーー。やっぱり怖い主治医は怖かった。 合掌
2024.07.20
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世の女性、夫婦の中には、「子を産まない」という選択をした方がいらっしゃるだろう。事情は人それぞれ。私も子を産んでいない。先日、20年振りに会った元得意先から「なんで子供産まんかったんや? 仕事が大事やったか」と問われた。その社長とは割と深い付き合い(もちろん仕事で)をしていたので、少し喋ったことがあったかと思って、「私、何も話してませんでしたか?」と問うたら、「知らんで、わし。聞いてへんわ」とのことだった。私を妊娠したとき、母は大病を患った後で、後遺症のある病気だったので、それを抑えるために大変強い薬を使っていた。幸い、兄の妊娠は早くわかり、医師から言われて薬を中断していたのだが、兄が生まれてすぐに服用を再開した。兄を出産してすぐだったので、母は油断していたのだと思うが、近所の仲のいい奥さんから「あんた、妊娠してるんと違う?」と言われたのになお、「そんなわけないやん、産んだばっかりやで」と呑気なことを言い、薬もやめなかった。そんな母を、その奥さんは引きずるようにして病院に連れて行ってくれた。医師「6ヶ月です」という診断。加えて医師は、医師「この子を産むのは、あなたが死ぬか、子が死ぬか、両方死ぬかのどれかです。私の責任で堕胎します」母「堕胎ですか…」医師「もう一つ、悪い話ですが、この子は何らかの障害を持って生まれてくる可能性が高い」医師「表に出る障害もあれば、体内で起こる障害もある。この子に直接出なくても、その子には確実に出ます」恐ろしい話である。手術日を決め、母は帰宅。父に相談する。母「堕ろさなあかんねんて」父「そうか」かくして私は葬り去られる運命となった。手術当日、姉と兄の面倒を見るために母方の祖母がやってきた。祖母は「堕ろすなんて、やめて! あんたが死んだら、3人とも私が育てる」実は、兄が生まれる前にも、堕胎したことがあった。祖母はその時のことを覚えていて、もう子を殺すのはいやだと思っていたようだ。母はそのまま病院に行かず、私は命拾いした。しかも幸いにも、私には目立った障害はなかったし、母も私も無事だった。ただ、私が5歳のとき、姉から上記のことを聞いた。(姉とは7歳違いなので、見聞きしたことを覚えていた)「私は子を産めない」ということを強く記憶した。25歳のとき、好きな人ができたことで、「私は子を産めない」ということが、いよいよ現実的になってきた。仕事の関係で知り合った医師とゴルフに行ったとき、一連のことを話し、母に話した医師の言葉は真実かを問うてみた。医師「そんな強い薬、ありませんよ」と笑って返される。私は意を決して私「母の病気は…」と、当時の母の病気の詳しい内容を話した。医師「うーん……、あり得ます。その頃、まだ適した薬がなくて、劇薬を使うしかなかった病気です」薄々気づいていた。いくら薬を飲んでも、後遺症がよくならなかったからだ。多分、私が12歳の頃に、適応する薬が開発されたと記憶している。かくして私は子供が産めない人間と認定されたわけだ。後(病気から52年後)に、母を後遺症の専門病院に連れて行って判明したのだが、母が患った病気は、その頃は不治の病で、かかったら死ぬしかなかったのだが、たまたまアメリカ研修から一時帰国していた医師が執刀してくれてどうにか一命を取りとめたという経緯を話したら、医師「まだ、日本では病名さえなかった病気ですからね」と言われた。母は、大変な病気にかかったものだ。「いや、それでも産めたはずだ」という人がいるかもしれない。その通り。覚悟すれば、それもできたかもしれない。しかし、障害児が生まれるとわかって産むという選択は、私にはできなかった。夫と付き合い始めたとき、すぐにこのことを話した。夫「いいよ。もし幸い障害がなかったとしても、僕の子はまともなわけがないし」と言ってあっさり話を終了させた。もちろんその時だけではなく、何度も確かめたし、義父や義母にも聞いた。皆、了解してくれた。というわけで、子を産まなかった。こういうことがあるから、「運命」というものを感じずにはいられない。私には、いつもつらい運命がつきまとう。またの機会に。
2024.07.16
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ベッドや椅子の生活をしていると、気づかないことが多いのだが、手を使わずに立つことができるだろうか。(体育座りからの起立)子供の頃は畳の生活が当たり前だった。ベッドの生活になって25年。その後再び畳の生活になったので、地べたから立ち上がることになったが、起床すぐに立ち上がるのは「きついなぁ」と思うようになった。体が痛いからだ。引っ越ししてしばらく、畳に薄い布団を一枚敷いて寝ていたのだが、余りに体が痛いので、マットレスを購入した。本当はベッドを買いたいのだが、事情があって、しばらくダンボールが積み上がっていたので、ベッドを置く余裕がなかったのだ。14cm厚さのマットレスによって、随分楽になった。ベッドとテーブルの生活は、楽な分、肉体の機能を下げるように思う。私はずっと地べたから立ち上がるときは手を使わなかった。両手にものを持って立ち上がるのを見て夫が「えー、なんで立ち上がれるんや!」と驚いた。夫は立ち上がれなかった。「足首が固いんよ」と私は言ったが、本当にそれが理由かどうかわからなかった。随分後になって、カイロの先生に問うてみた。私「足首が固いせいですよね」カ「お尻が重たいからですよ」と言われた。重心が後ろにある人は立ち上がれないというのだ。夫は骨盤は大きかったが、尻に無駄肉がついているタイプではない。ほんとか? と思った。ついさっき、「そういえば、長らく手を使わずに立ち上がってなかったな」と思って、立ち上がってみた。立ち上がれた。そのとき、ちょっとわかった気がした。私の場合、かかとを尻近くまで引き寄せることができる。つまり、ふくらはぎと太ももが折りたためるのだ。そうすると、上半身を前に倒せる。重心が前に移って立ち上がることができる足首が柔らかいというのは必須だが、重心が前に移せることが第一の条件。となると、足が太い、腹に肉があるという条件下では、無理な所業なのだ。夫の場合、足首が固いのは確実だったが、前に重心を移せなかったのは、膝も固かったのではないかと思う。尻の近くにかかとを引き寄せることができていなかったという記憶がある。別に、手を使わずに立ち上がれなくとも今の生活で困ることはないだろう。しかし、できないよりできる方がよい。私は姪をあやしているとき、抱きついてきた姪を抱き上げながら立ち上がったことがある。親の兄夫婦に大変驚かれた。姪は10kg近かった(生後10月ほどだった)上、首がグラグラしていたので、片手で抱きながら立ち上がるのは危険だった。つまりこの場合、両手がふさがっていても立ち上がれるのは危険回避能力が高いということになる。ま、大した話ではないが、畳から床の生活に変わってしまった日本人に、こういう身体能力がなくなってしまったのではないかとちょっと危惧している年寄りがいるということで、聞き流して欲しい。和式トイレが一般的でなくなったのも大きな原因かもしれない。かくいう私も、和式トイレには入りたくない。酔っ払って入ると、用が済んでから立ち上がるのに大変難儀するのだ。(外食時は多少おしゃれをして、ヒールのある靴を履いているのが凶。つんのめって立ち上がりにくい)知り合いが、立ち上がる際、手すりがなくて送水の管を掴んだら、勢い余って外してしまって、水が吹き出て大惨事になったという話を聞いてから、和式を敬遠する日々である。 トホホのホ
2024.07.14
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これまで、このブログに2回も登場しているのだが、初見の方にはわからないだろうから、再度披露。「スーパーの男」というのは、河内出身ながら(地域的な蔑視は決してしていない)、ヘルシンキ大学を卒業したという異色の経歴の持ち主。現在はスーパーの青果部で早朝から働く。うちの店では、酒を飲みながら政治の話、芸能界の話、音楽の話、時事ネタ、スポーツ界の話と、多彩な話題に花を咲かせるが、最近はそれに加えて、私の怖い主治医の話をよく聞いてくれる。主治医の衝撃的な事実を書きなぐった「衝撃! 主治医の闇を知る!!」で記したのだが、どんな意図で出たのかが全く不明な怖い主治医の言葉をそれなりに解説ばかりか説諭をしてくれ、女性と男性の思考の違いを端的に示してくれるとてもよい存在なのだ(正しいかどうかは別にして)。知識や保持している情報がグローバル、思考は現代的だが、常識や良識は昭和基準。男っぽいが、昔のような閉鎖性はなく、男女や年齢といった領域での差別はない。ま、現代に生きるおっさん(いや、「漢」)である。そういう人間だから、私が色をつけずに言ったつもりの話の中で、怖い主治医のちょっと斜め上の言い方や治療のやり方が、引っかかっていたのかもしれない。根本は、きっと私に近い感性なのだと思う。「来週、病院に行く」と言ったら、「一緒に行こか?」と問われた。驚いた。抗がん剤治療の話もしていないし、命の年限も言っていない。どこで私に付き添う意味を見出してくれたのだろうと戸惑った。これまでずっと一人で何もかもを処理してきたことを「当たり前」と思っていたが、誰かが随行してくれて、助言や手続きの手助けをしてくれたら、とても助かるかもしれない、と、少し温かな心持ちになった。いやしかし! そこでヘルシンキの君の口から出た言葉はヘ「妹として」????私「妹? 何で?」ヘ「どんな顔するか見たいやんか」私「主治医が?」ヘ「女の声で、『姉がお世話になってますぅ』言うで」私「そ、そ、そんな荒技!?」ヘ「ウエストニッパー着けていくでぇ」私「わーわーわーーっ」『ウエストニッパー』というのは、怖い主治医の口から出た衝撃的過ぎる単語だった。(前出のブログでは、記述できなかった。私の心の平静を保てないほどの衝撃だったからだ)へ「この俺でも知らんかったのに! どういうことやねん」(ヘルシンキの君は、『天満のエロ男爵』という異名を持つその筋に知られた人。その彼が知らなかった女性の下着の名称を怖い主治医が言ったことにプライドが傷ついたようだ)私「私はショックで記憶が飛んだもん」へ「俺が着けていったらどんな顔するか見たいわ」そのときの怖い主治医の表情や言葉や動作を想像して、二人とも大笑いした。(注意:ヘルシンキの君は年下ではない。彼の設定上で「妹」にしただけ。誤解なきように)そうか……。ま、そうだろうな。当たり前といえば当たり前だが、私の残命を思った話ではないわな。それでも、そんなことを言ってくれたヘルシンキの君には感謝。多分、違った意味で「随行してほしい」と言ったら、それなりに応えてくれたのではないかと思う。私からそういう申し出は決してしないが。そして彼も、私がそんなことを言わないことを承知しているだろうが。経歴、人生観、私生活、思考、嗜好……いろんな意味で私には理解しきれないが、とても面白くて、楽しい出会ってよかったと思う人である。この人もまた、私の「運命の輪」の中にいる人なのかもしれない。
2024.07.13
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自分の自慢話は他人はもちろん、家族にもしないので、誰も知らない私の過去の事どもがたくさんある。自分でも、「あれは夢だったか?」と思うようなことがあり、最近、高校時代の担任に確認したほどだ。(高校時代の担任は男性だが、私が店を出してから年に一度くらいのペースで訪ねてくれる)家族も知らないような私の自慢話を書き留めておこうと思う。●賞状建売を購入し、団地から引っ越したのが私が21歳のとき。父は、一部屋に不良姉、アホ兄、私の賞状を額に入れて飾ろうとした。部屋を一周しても、額が余るほどの賞状があった。最も多かったのは私だ。絵に関するものが2枚、スポーツに関するものが1枚、文学に関するものが2枚、検定合格認定証や学校の役員任命証など多分20枚ほどあったと思う。姉は1枚(学級委員任命証)、兄は3枚ほどだったと記憶している。どうだ。●模試高校2年の冬か3年の春だったと思う。私は大学進学はしない予定だった。父親からそう言い渡されていたし、家の家計を考えても無理なことはわかっていた。が、大阪では進学校と言える高校に通っていたし、席次がヒト桁となれば、教師陣は進学するだろうと考えていた。同級生も教師も、学校で行われる模試を受けるだろうと勝手に思っていたようで、「受けない」と言うとしつこく勧められた。多分福武の模試だったと思う。全国で数十万人が受ける試験だが、一生に一度のイベントだと思って受けた。全体の成績は、まあまあだったが、一つだけ校長から直々に表彰されることがあった。「現代国語」で全国2位になった。読解の問題が多かったように思うが、得意分野だったので、運がよかったのだろう。●小説高校2年生の夏休み、自由課題で「小説」を書いた。短編で、原稿用紙20枚を切る程度のものだった。担任に呼び出され、「20枚を超えるように調整しなさい」と言われ、少し文章を増やしたり、点、マル、改行を慎重にしたりして、21枚にして再提出した。全国学芸コンクールに出展され、2席になった。また「2」か、と思ったが、素直に嬉しかった。●席次模試の項で触れたが、高校2年の夏以降、卒業するまで席次はヒト桁だった。実は、1年時は100〜120番をうろうろしていたのだが、学力拮抗で入学したのだから、640人中100番なら上出来だと思っていた。しかし、2年生になり、担任が席次順に席を決める人で、一番後ろが最も成績がよく、前にいくほど悪くなるという並び。私は後ろから二列目。現実を具体的に見ると愕然とし、せめて一番後ろの一列に入りたいと自分で編み出した勉強法(機会があればまた書きます)で一気に30番になった。それから2度ほどのテストでヒト桁に。不思議なもので、一桁の人間はどのクラスに何番の子がいるかわかっていて、新顔の私に教えてくれた。それほど順位が入れ替わりにくいのだ。奇跡のような躍進だった。●停学(自慢話ではない)これも高校2年の時だが、停学になった。修学旅行で起こった事件が発端だが、実は私は濡れ衣だった。しかし、私が真実を暴露すると、私以外の人間が停学になることは必至だった。わざと被った。このことは、くだんの担任も今年まで知らなかった。ずっと、本当のことを言ってなかったとは思わなかった。不良グループが中心となった事件だったが、私が濡れ衣を被ったことで、その不良グループからある種の信頼のようなものを得ることができ、その後、それらを牛耳ることができた。それでよし、と思っていた。●生徒会長前述の停学騒動から半年、3年になって早々このことを知っている1年時の担任から呼び出された。「あなた、生徒会長に立候補しなさい」な、なにをバカなことを!「先生、停学処分になった人間が会長になんかなれませんよ」「大丈夫、あなたならできる!」「そういう問題ではなく、名門校の会長ですよ。無理です」こういうやりとりを何度もした。回を重ねるごとに参戦する教師が増えて行く。立候補者は他にもいた。私に席次一桁の顔ぶれを教えれくれた人だ。私はその人に会長になってほしいと教師に訴えたがダメだった。最終的には根負けして、形だけ立候補した。積極的な宣伝活動もせず、演説も、著名な詩人の詩を朗読するというやる気のなさ。しかし、会長になってしまう。これは、陰謀だと思っている。歴史ある学校にありがちな裏の力というものだ。読み返してみると、大した自慢話ではないなぁ。ま、もっと軽いものもあるし、ここで登場した自慢話の「その後」もある。また書くとしよう。とりあえず、子供時代の話はこれまで。
2024.07.12
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1年前に病気になってから、死ぬまでに会いたい人に会い、行っておきたい場所に行くという日々を送った。今年に入ってからは、能動的な連絡や行動は一応終えて、機会があれば、という状態(心情)になっていたが、先月初めにいよいよあと一年くらいか、という現実を目の前にすることになり、さて、どうしようかと思っていた。やらなければならないことを優先にしなければならない。親から相続した家の売却もある。店の契約をどうするかの判断もある。大したことはないが、自分の遺産相続に関する手続きがまたややこしい。さまざまな契約関係の解除方法や連絡先といった資料を作成しなくてはならない。細かなことだが、保険会社への連絡と手続き、病院との間の手続き、病院外の施設関係との折衝や契約、現在思いつくだけでも、数ヶ月は要するだろうなと予想できる。会いたい人に会い尽くしたわけではない。遠すぎたり、連絡先が変わっていたり、長年会っていない人とは交流するのも難しかったりする。が、なぜか最近、お相手から連絡をいただく。「そうそう、この人にも会っておきたかった」と思っていた人からメールが来たり、突然店を訪ねてくれたりするのだ。昨日も、30年ほど前に一緒にCMをやっていたタレントさんが店を訪ねてくれた。(このブログにも既に写真付きで登場している)私はシナリオと現場監督(ディレクター)、彼女はMC。テレビの生番組内でコマーシャルをやっていた。2年半も続いたので、忘年会や打ち上げなどで食事やカラオケにも行ったし、スタジオから彼女の希望する場所まで車で送ったりもした。そのCMが終了してからも、こちらからビデオのナレーションをお願いしたり、アホ兄の結婚式の司会をお願いしたりと会う機会は何度かあったが、ここ10年ほど音信不通だった。が、今年に入って急に連絡があり、春に店に顔を出してくれた。その後私の状況が変化してしまったのだが、再び連絡をくれて、また訪ねてくれた。何か、感じることがあったのかもしれない。昨日は病状についていろいろ聞かれた。聞かれなければ、こちらから言うことはなかったが、聞かれたことへの嘘は嫌なので、正直に話した。驚かれはしたが、さまざまな言葉でアドバイスをいただいた。この人もまた、私の運命の輪の中にいる人なのかもしれないと感じた。仕事で親しくなった人は数少ない。私は仕事とプライベートを完全に分ける人間だったので、「接待」という形式の食事や食事会は頻繁にしたが、個人的に食事に行くことは滅多になかった。しかし、彼女とは何度か食事に行き、楽しい思い出を重ねていた。年齢は10歳近く上だが、全く上下関係をつくらない人だし、何なら「年下か?」 と思うくらい幼い言動をするので、こちらがたしなめたり、言動を揶揄したりして楽しい会話を繰り広げられる。ちなみに昨日は、彼女「今から電車に乗ります」とのメール。私「道がわからなくなったら、連絡くださいね」彼女「さすがにこれで間違えたら恥ずい」私「ハードル上げてますやんw」この後はご想像の通り、道がわからなくなって、電話してきた。私もそれが予想できる返しをしているし、あらかじめ店を出て迎えに行っていた。ここのところ、こういう温かな時間を過ごせている。病気はするものだ。今月末に入院予定なのだが、その日程中に「えー、来たいと思ってたのに」という常連さん(奥さんが怖くて滅多に来られないが、奥さんが子供、実母、実妹と旅行予定)がいるので、怖い主治医に日程変更を申し出ねばならない。怖い主治医の反応を想像すると今から胃が痛いが、これも私の楽しいひと時のためだと我慢する。作家だか、編集者だか、あ、作詞家かな、が言っていた。「締め切りは尊い」そのとおり。期限があるから目標(目的)を完遂できる。忙しくも楽しい日々である。
2024.07.08
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検査責めの日々を終了し、今後の治療方針を決定するために怖い主治医と対峙した。いつものとおり、2日前からひどい下痢に悩まされた。しかし、怖い主治医との面談の後は、例の回転寿司を食べに行く、というのをよすがに何とか気持ちを保っていた。気持ちを保たなければならないというのは、ハードな治療が待っている、とか、入院が嫌だ、とか、痛いことがある、とか、という不安要素があるからというのではない。そんなもの、ガン患者なら誰でも通る道だし、嫌ならやめればいいわけで、私が気に病んでいたのは、主治医との会話がどうなるか、の一点に絞られていた。検査結果によっては、手術などの対処が必要になるかもしれない。あるいは、新たな病気が見つかったかもしれない。戦々恐々の心境だった。「トントントン」診察室に入ると、いつもと様子が違っていた。いつもは主治医と、医事課の女性が一人いるだけなのだが、見たことのない看護師が主治医の斜め後ろに座っている。誰なのか、何の目的か不明ながら、怖い主治医と一対一の対面をせずに済む様子に少し安堵した。怖「検査、お疲れ様でした」という言葉の後、先日のMRIの検査結果と今後の方針を説明された。怖「抗がん剤の前に治療が必要かどうかの判断をしましたが、今のところ、それは不必要だろうと思います」虫「そうですか」虫けら、ホッとする。寿司がおいしいだろうとウキウキ。怖「抗がん剤の治療についてですが…」机の引き出しを開けてパンフレットをガサガサし出した。怖「これかな…」すかさず斜め後ろに座っていた看護師が立ち上がり、看「これですね」と指示をする。そうか、この人が抗がん剤の担当の看護師だな、と虫けらが理解する。同じようなやり取りを2度繰り返し、2冊のパンフレットを私に提示しながら怖い主治医が説明をする。怖「副作用は、程度の差があるとはいえ、100%出ます」恐怖の発言である。現代の医療で、なんとかならないものなのか。まさか、副作用を抑えるための薬を売りたいためにわざと残しているのか。ま、途中でやめるつもりなので、虫「程度問題ですね。副作用を我慢してまで治療を続けるつもりはありません。 そのストレスでもっと悪くなるより、やめることを選択します」怖「そういうことやね」何がそういうことなのか。怖い主治医から「そういうことやね」という言葉を何度が聞いた。よく言えば、「患者主体の治療方針を考えてくれている」だが、悪く言えば、「主治医としての判断を患者に投げている」だろう。私としては、ありがたいのだが。抗がん剤を投与されるときに安全性や薬剤の効果を高めるために「ポート」というのを胸に取り付ける。手術が必要なのだが、そのこと自体は予防的抗がん剤を拒否したときに調べて知っていた。怖「ポートについては、知っていますか?」虫「はい」怖「僕、説明したかな」虫「いえ、予防的抗がん剤をお断りする前に調べました」怖「理解できた?」虫「はい。それが嫌だからお断りしたわけではないですが」そこで、看護師に向かって虫「こんなのをつけてると、私はガン患者だと思い知らされて嫌ですね」と言ってみた。看護師はにっこり笑いながら遠慮がちに看「そうですよね。でも、毎回針を刺すより楽ですから」と返してくれた。私はなぜかすごくホッとした。この人は、波長が合う人だと。無論、看護師という職業柄、患者に寄せてきてくれているのはわかる。そういう技術的なことではなく、思考の波長が合うと瞬時に理解できた。すると、主治医の怖い顔が怖くなくなった。怖「日程ですけれど…」虫「祭りが終わるまでは、仕事がややこしいので…」怖「そうでしょうね」え、私、先生にどんな仕事をしているか言っていませんが。どこで商売しているかも。病院の周辺もいろいろ影響があるだろうけれど、天神さんのすぐ近くにあるうちの店の比ではない。いつ、何で、「そうでしょうね」と言える情報を仕入れたのだろう。内科に入院したとき、看護師の一人に店のことを話したが、外科の主治医との接点はないだろう。???を頭に浮かべるしかなかった。一応の入院日程案をこちらから提示し、受け入れられた。怖「再来週あたり、もう一度確認しましょうか。 また来てもらうのも面倒でしょうけれど」虫「いえ、まいります。先生にお会いできるし」なぜそんなことを言ったのか、自分でも理解できない。強気になったのをいいことに、怖い主治医の反応を見たいと思ったのか。それとも、ひどい言葉を返されて、サドだと再認識したかったのか。怖い主治医、視線をこちらに向けずに一瞬固まる。怖「僕に会ってもご利益ないけど。天神さんに賽銭した方がいいよ」意外すぎる返答。賽銭…。所詮私は金づるということか。虫「今時賽銭も大変なんですよ。硬貨は両替に費用がかかるから。 札で賽銭しないと、神社は死活問題です」私も明後日の返答。どうかしてるぜ。このことは、天満宮の神職さんが嘆いていたのだが、ここで言うか。怖「札やったら投げられへんやん」え、何を言ってるのか、この人。虫「賽銭を投げるって、どういうことですか?」怖「人が多いから、投げるやん」虫「初詣しかしないタイプですか? 賽銭を投げるなんて、 通常はないですよ。ねぇ?」看護師に振る。看護師笑いながら、看「前の人に当たったりしますよね」看護師も明後日の返答。明後日の人間ばかりか。虫「パーカーに入ったり、ね。賽銭は投げるものではありません」怖「そうか…」バツが悪そうにパソコンを弄る。転移の話のとき、「すみません」と言ったが、そのときの調子とは明らかに違う、医師としてではなく、人間としてやり込められた感じのバツの悪い顔だった。怖「申し訳ないんやけど、この後、血液検査してほしいねん」虫「はい」怖「肝炎の検査をしとかないと」虫「してますよ」怖「え、そうやったっけ?」虫「抗がん剤不要って言ってるのに、検査されて」怖「あ、また怒られた」私、怒ったことないですけど。これまで、どれほど我慢してきたことか。しかし、主治医としては、私が怒って言ったと誤解する何かがあったのかもしれない。顔が悪いのだ。私は、きつい顔をしているのだと思う。怒ってなくても怒っているように相手に受け取られる。客商売など、全く合わないのだが、なぜか客商売をしている。これがストレスになったのかもしれない。ストレスはガンの元凶だ。こういうやり取りで、今回は私が優位に立った。というより、いつもの私と違うので、怖い主治医が混乱したのだろう。私が感じたストレスを、怖い主治医も感じていたのかもしれない。波長が合わないというのは、そういうことだ。夫とは、本当にすんなり馴染めた。出会ったばかりでも、旅行できたし、一緒に過ごす時間に違和感を感じなかった。しかし…怖い主治医と旅行したら、、と想像しただけでも吐きそうになる。とんでもないストレスだろうと目の前が暗くなる。それほどの話はできないが、その一端をくだんの看護師に話すことができた。看「そうですか? すごく和やかに会話なさっていたのに」虫「初めてです。いつも緊張して汗だくですよ」看「えー、そんな風には見えなかった。先生も気さくに会話されてたし」虫「あんな先生を見たのは初めてです」看「意外ー。そうなんだー」虫「〇〇さん(看護師さんの名前)のおかげです。ありがとうございます」本当に、看護師に感謝、である。
2024.07.06
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昼の営業を1年間休んでいる。夜はずっとやっているのだが、昼を休んでいることだけを見て、いろいろ問われる。「どうしたの?」この問いの裏には、「病気?」「経営不振?」など負の疑問を帯びたものがあるのだと思う。この程度なら、「コロナ以降いろいろありまして」「家族の問題に対応しています」などと答えられる。嘘ではない。「家族」というのは、夫のこともあるが、親の法要や姪の子供の問題があったりもしたので、いろいろ言い訳ができる。が、夜の予約をしてくださった方には、もっと具体的に聞かれる。「病気?」と聞かれたら、嘘は言えないので、「ま、そうですね」と答えると、「どこが悪いの?」「手術したの?」「どこを切ったの?」「病名は?」「予後はいいの?」とどんどん質問がエスカレートする。医師の資格がある人相手ならまだしも、素人のあなたに本当のことを答えて、何か私にメリットはありますか?と思う気持ちもある。しかし、私の真意は本当のことを言ったとき、あなたは耐えられますか?という気持ちだ。なぜ聞きたがるのだろう。全部聞かないと気が済まない人種が一定程度いるのはわかる。好奇心が強いのか、人に寄り添いたいという偽善を偽善と気づかずに本心だと思っているのか、後学のために少しでも情報を仕入れたいのか、定かではないが、とにかく突っ込んでくる。が、そういう人に問いたい。聞いたことへの「責任」が取れるのかと。「責任」というのは、言いたくないのにそれを言った私に、それ相応の返しをしてくれるのか、ということ。こちらの心情を図らずに放ったその言葉の意味をあなたは分かっていますか?と問いたい。そういう言葉を放った人に、ぐうの音も出ないほど畳み掛ける自信はある。言ったことを後悔させたり、泣かせたり、謝らせたり、一生モノの心の傷にしたり……。しかし、それはできないから、多くの言葉を使ってやり過ごそうとする。それも面倒臭くなってきた。本当のことを言ってやろうかと思うことが増えてきた。店をたたむ覚悟ができたら、店をたたむ状況になったら(シロアリの被害が決定的になったら)、言ってやろう。まぁ、その人が再び私の前に現れて、同じ言葉を投げかけてくれるかどうかわからないが。
2024.07.03
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