走走走 歌唄歌 走ること、歌うことのお薦め

走走走 歌唄歌 走ること、歌うことのお薦め

2005.03.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
天気も良くなりそうだし、調子も悪くないので楽しみなのだけれど、久々の42キロ、最後の10キロくらいが不安と言えば不安なところ。

皆さん同じだと思うのだけれど、序盤は比較的気持ち良く走れる。天気が良ければなおのこと、走れる幸せを感じることが出来る。序盤で調子に乗って飛ばし過ぎると、もちろん俗に言う「撃沈」の憂き目に会うのだけれど、ある程度のオーバーペースは別として、それなりに守って走れていれば、身体的にも精神的にも落ち着いた感じで20キロや25キロ地点までは到達してしまう。

そして、何回もフルを走り、そして何回も体験してわかっていることなのだけれど、ふとこのままの調子で42.195キロを走りきれるのでは、などという錯覚に陥ってしまうのだ。本当に何回走っても、である。

初マラソンから7~8年めまでのフルは最後は走れないか、あるいは頑張って走りとおした時でも最後のペースはほとんど歩いているも同様で、この時は距離との戦いでもあり、ある意味時間との戦い、でもあった。この「時間」、決して早くゴールする、すなわち記録を縮めるという「時間」ではなく、長時間に渡り運動を続けることに耐えなければいけない、という意味での「時間」。次のキロ表示が見えて来ているのだけれど、いつまでたっても到達できないあのいやになるくらいの時間の長さ、である。

今でも結局フルに関して言うと、最後にいかに粘れるかなのだが、最後の5キロから10キロは、それまでの「喜び」や「幸せ」がある時点を境に、一転して「悲哀」、「不幸」、果ては「憎悪」(自分自身への)にまで発展してしまうのだから恐ろしいものだ。

もちろん、だからこそゴールした時の達成感が素晴らしく、得難いものなのだけれど、これも30キロまで幸せに満ちた走りを展開しながら、先に来る「不幸」を何度も走って知っているのに忘れてしまっているのと同様で、ゴールまでの苦しい展開の中ではゴール後のその満ち足りた気持ちは想像もできない代物なのだ。

まぁ、今からその地獄を思い浮かべても仕方ないので、最初の20から30キロは、子供を授かり、その子供が小さいうちに親として子供の愛らしさを堪能し、親として幸福な人生を送っているかのように、先のことは考えず、中間地点を折り返すまでは走れることの幸せに没頭したいと思う。自分は子供はいないので、親としての体験はないのだけど、自分の親と、子供としての自分、という観点での話でした、念のため。





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最終更新日  2005.03.18 12:59:13
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