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2007年3月25日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.94 07/03/25(日) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは、随分暖かくなってきました。でも朝と夜は寒くなるので、まだ分厚い上着が必要です。昼間はとても暖かく、春ももうすぐそこです。 この1週間は、色んなことが私に次々に起こりました。楽しかったです。 何回かメルマガにも書いたりしていますが、私はお料理が結構好きで、美味しいものを食べるたびに、「これどうやって作っているんだろう?知りたいな」と興味が湧いて調べていました。 自分でも作ってみたくなってしまう質なのです。そのせいで、料理が趣味になってしまって、それが高じて時々、お料理を教えて欲しいと頼まれることもありました。 そんな感じで、先週から、某お宅に週に1回、家庭料理を作りに通うことになりました。いつも私の仕事はひとりで家でやることばかりなので、どうしても家にこもりがちになってしまって、だんだん新たに人と知り合ったり出かけたりする機会がなくて、刺激がなかったからです。 もっと出歩いて人とどんどん会った方がいいのですが、ついつい家にこもってごそごそと何かを作ったり書いたりしてしまう性分なのです。家で一人で居ても、一人で気分転換が出来てしまうので、いいんだか、わるいんだか分かりませんね。(「書く、描く、音楽作ったりキーボード弾く、ジュエリー作る」と、ぐるぐると回っていけば一日中でもルンルンで続けられるし、行き詰まることがないのです。1日8時間労働どころか、毎日15時間くらい何かやっています。自家発電機みたいですね。まあ、自己完結型です。) 時々、NYで著名な画伯の家に描きに通っているヌードデッサンも、とても気分転換になっています。(数人でヌードモデルをシェアさせていただいています。)「あー、せっかくニューヨークにいるのに、なんか面白い人達と新たに知り合いたいなあ、家にこもっていたらダメだなあ、時々外に出ないとな~!」と考えていたので、ちょうどよいタイミングで料理人の仕事をしばらくの間することになりました。 知り合ってビックリ、そのお宅は有名な作家のお孫さんだったのです。そりゃあニューヨークだもの、道を歩いていれば著名人だらけだし、そんな人達だって普通に暮らしているはずですよね。 そのお家はご親戚にも料理研究家がいて料理本も出しているようなお家で、それでそこまでして自宅で食べるお料理に神経を使っていたのですね、と理解できました。美食家のお家ですね。文化的にもすごく高度で面白そうな人達です。 ご親戚が書かれた料理本を何冊か見せていただいた時には、「え、私は何を作ったらいいのだろうか?どうしよう、私のお料理でお口に合うのだろうか、わわわ~!」と心配になってきてしまいました。それで、「あの、何か食べたいものがあれば、何でもおっしゃってください、作りなれていないものならちゃんと予習してきてから作りますので。しかし、オデブにならないように一切の揚げ物と天ぷらは作らない主義なので慣れていないので、天ぷらだけは避けてもよろしいでしょうか? 酸化油は太るのです。」と言ってしまいました。すると笑って、「天ぷらなんて別に要らないですよ、全部お任せします」と言ってくださったのでほっとしました。 料理の仕事となると、家で作るのと違ってちゃんと予習したり、栄養のバランスを考えたり、作る手順や段取りを考えたりするので、勉強になります。1回に5~6品を作っています。 美味しいと喜んでいただけているので、今まで趣味でやってきたことが人のお役に立って良かったと思いました。 おまけに、私自身の料理の手際もさらに良くなってきました。 一方、日本の友人もNYに来て、彼女はミュージカルのプロデューサーなのですが、初めて自分でファンドしてプロデュースしたコンサートを上演しました。これも素晴らしいコンサートで、すごくいい企画でした。それを彼女が全部プロデュースしたなんて、すごいなあと思いました。 一緒につるんでいた友達が、プロデューサーになって活躍し始めて、私も本を書いたりして、だんだんとお互いに社会的にも成長してきているということですね。もうすぐ働き盛りになっていくのでしょうね。 そして突然、留守電にメッセージが残っていたので、誰からかとチェックすると、「ほっほっほっ。Mです。明日、日帰りでニューヨークに用事で行くから貴女に会いたい!朝到着するから」と、アトランタのMから! え!明日来るんですか?突然!これにはホントにびっくりしました。これが先週で一番ビックリしたことです。 Mというのは、70年代から20年間くらいヨーロッパヒットチャートでスターだった、BONEY M (ボニー・エム)というグループの元メンバーのMのことです。黒人女性のシンガーソングライターです。 彼女はお友達がマイケル・ジャクソンとかティナ・ターナーとか、別世界の。 私とは全く別世界だったのですが、この人とは、なんとスペインで知り合ったのです。ドイツ人に呼ばれたパーティーで隣の席だったのです。“I feel you! You are special. Wouderful!”と、何か私の霊体から漂ってくるものを身体で感知して、すごく興味を持ってくれていました。そして、彼女は私に対して、色々な予言をし続けています。 初めて会ったのはニューヨークに引っ越す直前だったので、彼女と知り合ってかれこれ5年弱くらいです。一度スペインで個展をしに戻った時に会ったのが最後だったので、Mと会うのは4年振りくらいでした。 すぐに折り返しMに電話したら、「明日NYに行くのよ~!貴女に会うのが待ちきれないいいいいい! 空港から貴女の家に寄って、貴女をひろって一緒に行きたい!」と言うので、え、そんなことまでしなくてもいいよ、「空港まで迎えに行くって!」と約束しました。 Mは強烈なサイキックで、彼女の心臓の鼓動の様子が、いい波動と悪い波動のセンサーになっているのです。心臓が気持ち悪くなると、良くないことの印だとか。その反対で心臓に気持ちよく感じたら、すごく良いことなのだそうです。 100発100中だそうです。 彼女がいくつか私について予言したことで、まず1つ当たったことがあります。それは、「作曲」のことです。「私に何か曲を作ってよ。ジャズの曲で。私はもうポップミュージックはやらないから。貴女には、曲が宇宙から降ってくるんだから!そういう人が自然に曲を作るべきなのよ、そっちのほうがいい」と突然言うので、「え?私は作曲なんてしませんよ、したことないです。作曲しようと思ったら出来るのかなあ?」と言うと、「貴女には、宇宙から曲が次々に降ってくるのです。貴女には聴こえてくるのよ。だから私に作曲して!トライしてごらんなさい」と彼女は言い張るのです。 それから何年も、いつもいつもメールで、「今あなたはどこにいて何をしているの? 何か曲ができたかしら? 曲が宇宙から降ってきた?どう?」と、私に聞いてき続けていました。「いや、まだ作ってみていないです。曲なんて宇宙から降ってこないけどなあ」と答えると、「ホッホッホ。そのうちもうすぐ、宇宙から貴女に曲が降ってき始めるのよ。まだ降ってこないのね。」とMは不思議なことを言い続けていました。 彼女はずっと私を追いかけ続けてきていて、なんだか知りませんが、無名の私の大ファンなのですよ。 彼女は大スターで有名人で、私は無名なのに。ティナ・ターナーに追いかけられているようなものでした。 そして、例の、七福神が出現して私に曲を送り始めて止まらなくなって、形にしてミュージシャンを集めて録音した話につながるのです。 Mが予言したとおりのことが起こってしまったのです。これは、私がどうしようも逃れられず、曲を外に出すしか仕方がなかったのです。 Mにこのことを言った時には全く驚かず、「私は知っていたのよ。だから、最初から、貴女には宇宙から曲が降ってくるよ、作曲してって言っていたでしょう?」と言いました。 この話、まだまだ続くお話しで、Mは他にも色んなことを予言しています。 今回急にニューヨークに来たのも、私にとってすごく励ましになり、先輩として貴重なアドバイスもしてくれました。すごく心配して応援してくれています。(Gパン禁止令が出ました(笑)) Mも私も、将来一緒に何か音楽活動をやっていきたいのですが、今は場所も離れ離れなので、その時期ではないようです。 彼女の音楽スタイルと、私のジャズファンク(歌なし、楽器のみ)は違うスタイルなので、このままでは合わないので、なんとか上手く楽しく融合できたらいいのですが、どうなることやら。2人とも気持ちでは盛り上がっていても、どうやって音楽スタイルをあわせていけばいいのかがまだ見えないのです。「貴女の曲は私にはファンキーすぎてついていけない、もっとスローな、スタンダードみたいなの作ってよ」と頼まれました。 まさか、日本人の私が、黒人の彼女に、「ファンキーすぎてついていけない」などと言われるとはびっくりです。 これ、私にとっては本望ですよ。 私は、前世はアフリカ人だったのではないかというくらい、身体の中に最初からリズムがあって、打楽器の音を聴くと血が騒いで沸騰してくるのです。だから、私が音楽を好きなように作ると、どうしてもパーカッシヴになってしまいます。 Mとの活動はもっと時間をかけて、2人のいいところをあわせて融合させて、スローな曲にしていかなければなりません。 いつになるか分かりませんが、Mが私に予言して引っ張っていってくれているので、期待しないで待っていてくださいね。 ご声援をよろしくお願いします。
2007年12月31日
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2007年3月16日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.93 07/03/16(金) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークでは、夏時間に変わり、日本との時差が1時間縮まりました。でも、まだまだ肌寒いです。春はすぐそこですが、待ち遠しいものです。 さて、前回、「カルソッツ」について初めてエッセイに書きましたが、あのあとネットで検索してみたら、今ではたくさんの方が日記やブログに書いておられるようですね。そういえば、どのガイドブックにもカルソッツについて書いてなかったのは、私がスペインに留学したばかりの頃のことですから、もう10年少し前になります。そうか、その頃は、今よりもうんと情報が少ない時代だったのですね。 インターネットが発達してきてから、10年間で、あっという間に世界中の情報量が増えたのですね。便利な世の中です。 こんなに情報化社会が進んだら、今まで一部の人達にしか行き渡らなかった情報を、例えば10代でも見つけてつかむことが可能になると思います。そうすると、有益な情報を探し出して選んでつかんでいく人と、全くそうしない人との差が広がっていってしまうでしょう。 その先を想像すると、もっともっと今まで以上に、格差が広がっていってしまうでしょう。格差社会はますます広がって、加速されていくでしょうね。 でも、これは、殻を破る人にとったら、チャンス到来の世の中でもあるのです。勝ち組と負け組みの差が広まっていくでしょう。 今までは、歴史の長いどこの国でも、一部分の特権階級が一般市民を飼いならして黙々と働かせるために、貴重な情報を握っていました。 日本も実はそういうところがあって、「民に知らしむべからず、寄らしむべし」といって、情報を民に与えずに、飼いならして懐柔しておくという政策(?)が、なんと2000年以上も続いてきたのです。 この歴史の長さのお陰で、この飼いならされてきた人々の意識の問題は根が深いもので、どうにもならない側面があります。 こういうことについては、大学(経済学部)で詳しく習ってショックを受けて、人生観が180度変わったものでした。ほんと、ショッキングなこと、世の中の仕組みや経済の歴史を学んで、ゾーッとして愕然としました。 日本だけではなく、例えば、ブラジルやスペインなどもそうですが、民の意識と注意を現実の政治や経済からそらすために、また貴重な情報を知るチャンスを与えないために、特権階級は何をしてきたと思いますか?もし気がついたら飼いならしておくことができなくなるのを恐れているからなのですが。 それは、例えば1つには、定期的に大々的に「祭り」をすることなのです。目そらし作戦ですね。祭りでワーッと民が発散すると、何も考えずにいさせることができ、目をそらすことができるからだそうです。 日頃の不満から、自分の置かれた状況を改善するために民が何かを必死で調べ始めて、貴重な情報をつかんでいったら、もし民が情報をたくさん手に入れて賢くなってしまったら、そしてもし民が飼いならされてきた状況から抜け出そうとし始めたら、一番困るのは特権階級なのです。 一揆もそうなのです。実際には祭りと変わらず。農民は、理屈や情報が分かって一揆していたわけではなかったのです。ただ、日頃のうっぷんを発散したかった、何か分からないけどひもじい状況に対して反抗したかっただけなのです。もしも農民がひもじくなくて、毎日そこそこ問題なく生活していけていれば、一揆は起こらなかったようです。 これについても詳しく大学で習って、目からうろこが落ちたことを覚えています。経済学は奥が深いのです。生きるための知恵をつけることができるので、趣味でいいので、経済学に一歩踏み入れることはおすすめです。 そういえば、何もこのような経済の仕組みを分かっていない10代の人が、何か分からずに社会や大人に対して反抗してみたりするパンクも、この一揆にそっくりだと気がつきました。イギリスのパンクも、彼らは理由が分からずにただうっぷんを晴らそうとしているだけの、飼いならされてきた労働者階級の一揆みたいなものだったのでしょうね。 あと、何か理由や理屈は全く分からずに、反権力をふりかざしていて権力嫌いな人も、この農民一揆やイギリスのパンクとそっくりで、同一平面上にあるものです。良く分かっていないのです。それから抜けるには、知識と情報を手に入れなくてはなりません。 この点では、農民一揆とパンクと反権力主義は、根っこに同じ問題を抱えています。家系の環境の遺伝です。 この「民」というのは、農民をほとんど指します。特権階級が農民を飼いならして、情報を握って与えず、盲目に目の前にある自分の状況を信じさせて黙々と働かせるために、そうしてきたのです。そして、自分たちだけが美味しい目的を握り、得をしてきたのでしょう。 この問題は根深くて、まだまだ現代の日本でもその影響が続いています。 どういう形で続いているかというと、DNAだけではない、環境の遺伝です。 各家系、各家庭で、家訓のようなものや、優先順位のつけ方などの、生きる姿勢の意識が、目に見えない形で何百年にも渡って脈々と受け継がれてきています。こういう家系の意識は、無意識下で知らないうちに影響を受けていて、環境が遺伝してきているという状況なのです。 特に、何百年も農民だった人は、余程、経済を学ぶなり何なりして、自分の意識の殻を破って、「民に知らしむべからず、寄らしむべし」という飼いならされてきた環境の遺伝を打破して自分の代でそれを抜けなければ、情報を選んでつかむ感覚を身に付けるのは難しいものです。 何百年にも渡って代々、骨身にしみついているのですから、条件反射的に情報操作に飼いならされていってしまっているものなのです。 つくられたマスコミの情報を鵜呑みにして、気にして振り回されたり、流行を追ってしまうことなどもその影響です。 なんとなく大多数の意見に従って、大多数の真似をして、なんとなく生きているほとんどの人は、飼いならされてきた側の先祖を持つ可能性が非常に高いのです。 ・・・と、ここまで、経済学の中身(真実)を書いた時点で、何か理由は分からないがムカついてブチ切れそうになった方は、要注意です。それと同時に、今、自分の代で脱却するチャンスでもあります。 この上記のことは、経済学部では詳しく教えていることなのですが、この現実を直視すると、かなりショッキングなのは分かります。 特に、ほとんどの家系が何百年にも渡って飼いならされてきた側なので、そういう事実を知ったときに、ムカついてしまう人もいるということなのです。そこで止まるか、もっと調べて先に進むかは、その人次第なのです。 何かを知ったときに、条件反射的にムカついてしまい、避ける傾向があるのは、ずっと何百年も農民として飼いならされてきた先祖から受け継いだ環境の遺伝の可能性が大なのです。 ムカつくということは、劣等感の裏返しです。劣等感が全く無ければ、ムカついたり嫉妬したりひがんだりできないからです。 自分たちが置かれてきた状況の真実を知るということは、特権階級の家系の歴史を目の当たりにするということでもありショッキングで、同時に何百年も飼いならされ続けてきた先祖の姿も浮き彫りになり、自分の中に流れる血と家系の環境の遺伝に気がつくということなのです。 インターネットと情報化社会の発達は、10代でも40代が気付いていない貴重な情報をつかむことができる、気をつければ誰でもチャンスを選んでつかむことが出来る、とても良い時代なのだと思います。 これからは、情報を選んでつかみ出すことが出来る人が、よりチャンスをつかむことができて幸せになることが出来る時代です。情報と選択肢が多いほうが、より有利な時代到来です。 家系に無意識下で受け継がれてきてしまった意識を変えることは、並大抵のことではないですが、クールになって経済学を覗いてみればいいと思います。 では、また来週!
2007年12月30日
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2007年3月4日発行号 公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.92 07/03/04(日) 発行 こんにちは。お久しぶりです。ニューヨークはずい分暖かくなってきました。日本は、暖冬だそうですね。 さて、先週はちょっと趣向を変えたメルマガにしてみて、思考や独我論を書くのをやめて、ソフト路線でいきました。そうしたら、「ああいうの、たまにはとてもいいですよ!あんなパンの食べ方、初めて聞きました。ためになりました」とか、反響が良かったです。 私のように長く海外を点々としていると、日本では物珍しいことでも、自分の中では当たり前みたいになってしまっているものなので、その良さにかえって気がつかないのです。そういうことをみんなが知りたいということには、なかなか気がつかなかったです。「スペインの食生活事情」 パン・コン・トマテにしたって、帰国時に家族に教えてあげたら、彼らはもんのすご~く驚いて、「こんなパンの食べ方するの?スペインって!へえー、ヘルシーねェ!すご~い!」とあまりにびっくり仰天していたのです。それ以来、彼らはこの食べ方にはまっていて、ホールトマトの缶詰で代用して朝食によく食べています。 これは自分の中では当たり前のことなので、それが日本ではこんなに物珍しく感心するようなことなのかと、私には新鮮でした。今後も、時々、レシピをメルマガに織り交ぜますね。お楽しみに! 地中海料理は、世界的にもとてもヘルシーで、理にかなっているそうです。エキストラ・ヴァージン・オリーブ・オイルを使うからです。全ての料理のベースは、「にんにく、玉ねぎ、トマト、塩(シーソルト)」なのです。 これが、日本料理ではちょうど、「昆布、かつお節、しょう油 OR 味噌」にあたります。(玉ねぎは、今ニューヨークで流行りのデトックスの食事方法で、いちおしの食材です。毒素を身体から出すそうですよ。) スペインに渡ってすぐに、「カルド」という家庭の煮込み料理の美味しさとヘルシーさにびっくりして、「これはすごい!」と日本の友人達にすぐさま教えたことがあります。牛肉の骨付きの、赤身と脂肪がしましまになっている部分の肉を塊で使います。 そしたら、友人は、「こんな肉、日本で買ったら一体いくらかかるねん!これってカルビ肉やんか~!こんなん家庭料理って、日本では無理やでええええ! もっと庶民でも気軽に作れそうなものを教えてや~!」ってずっこけていましたね。 その時になって初めて、私は、「ああ、あれってカルビの部分なのか!知らなかったな~!」と、スペインの食文化の贅沢さにびっくりしてしまったほどです。そんなの、カルビの部分でも、スペインでは1キロ千円くらいで当時は売られていたものですから。私は、カルビって、焼肉屋で薄~くスライスされて出てくるものしか見たことがなかったので、まさか気がつきませんでした。 ですから、日本で安く手に入りそうな食材で、地中海料理のレシピをメルマガに盛り込んでいこうと思っています。 スペインは、食文化がとても贅沢で豊かな国です。みんな食べることがすごく好きな国民なのです。ファーストフードのハンバーガーなんて、誰も食べようとしません。そういうものは「コミーダ・デ・バスーラ」と呼ばれています。直訳すると「ゴミ箱の食べ物」という意味ですが、ニュアンス的には、ゴミ箱から拾った食べ物という感じの、きっつ~い意味です。 スペイン人は、例外なく、全員が毎度の食事に気を使って、しっかりした食事をしています。 そのお陰で、私は、スペインでの留学中6年間、食生活という点では、日本での生活に比べてものすごく贅沢三昧の日々でした。「こんな定食、ニューヨークだったら100ドルプラスチップだな」というようなすごく豪華な内容で、当時、千円くらいで食べられるのですから。昼食時に、どんな高級なレストランでも、それぞれがメニュー・デル・ディーアという定食をサービスしているのです。前菜、メインディッシュ、手作りデザート、ワインか水かアグア・コン・ガス(炭酸入りミネラルウォーター)が全部ついてきます。 ちなみに、日本でスペイン料理のメインに扱われているパエーリャは、スペインではたったの前菜です。びっくりですよね~! パエーリャって、スペインではサラダくらいの扱いなのですよ。その後、メインディッシュが続きます。メニューは何種類かの中から選びますが、つい、外国人の癖で、「日本とかニューヨークで食べると値段が高そうなもの」を中心に頼んだものでした。例えば、「大きなもんごイカを丸ごと1匹を蒸し焼きしてワインソースで調理したもの」とか。 お陰で、スペインに6年住んでいた私は、毎日贅沢な食事ができて、舌が相当肥えました。料理の作り方もそのお陰でたくさん覚えました。いい料理を食べる経験をすると、自然に料理の作り方も上手になるものなのです。 美味しくて上等な料理を食べなければ、料理は上手にはなれないです。料理人の人達は、だからこそ、自腹で日頃から食べ歩きをしているのです。 皆様に、もしバルセロナに冬に行かれる方がいれば、ぜひ体験していただきたい郷土料理があります。 私は初めて食べた時にものすごく感動して、「すご~い!美味しい!これ、日本の家族全員に食べさせたい!」と願ったものです。冬季限定料理です。 その名は「カルソッツ」カタラン語で、ねぎという意味です。日本でよく使う、普通の青ネギを、根っこと土がついたままで焼いてでてきます。大きなお皿にてんこ盛りになっているので、よく覚えていないですが、一皿で30本以上100本未満くらいのネギです。外側は焦げていて土がついているので、根っこをブチっとちぎって、外側も捨てて、内側のやわらかく火が通っている部分だけを食べます。 ソースをつけるのですが、これには、アーモンドをつぶしてどろどろにしたものとトマト、にんにく、玉ねぎや香辛料が入っています。このソースは家庭によって違うそうで、秘伝だそうです。 ネギの内側の部分だけを、ネギの先っちょを右手でつまんで、下の部分だけそのソースにドボッとつけて、顔を上向けて口を大きく開けて、一気に一口でネギ全体をガボッと食べるのですよ。すごく美味しいのです。美味しすぎて、私ははまってしまいました。 お行儀の悪い食べ方を悩んで、何口にも分けてちょぼちょぼと食べていると、レストランのボーイさんが、「もっとガボっといかんかい!ガボッと~! 一口で食べないとダメだよ!」と、顔と手でジェスチャーをしてきましたよ。 すごい豪快な料理でしょう? あんなに一度にたくさんのネギを食べれるなんて、しかも安いし、赤ワインを入れても2千円かからないくらいですよ。ゴージャス、贅沢さにびっくりしてしまったものです。 これもきっと、日本では珍しい料理なのでしょうね。この話もそういえば、あまり友人にもしたことがなかったので、もっとこの手の話題をメルマガに入れたほうがいいのでしょうね。 今は、バルセロナではちょうどカルソッツの食べごろの季節です。
2007年12月29日
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2007年2月19日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.91 07/02/19(月) 発行 皆様、こんにちは。お久しぶりです。日本は寒かったようですね。お元気でお過ごしでしょうか。 ニューヨークはとても寒くなり、マイナス20度とかで、凍えそうでした。こんなに寒いと身体に悪そうです。身体を冷やさないように過ごしていました。「パン コン トマテ」 さて、たまには美味しいスペイン料理をご紹介します。料理のレシピもメルマガで書いて欲しいというご要望がございましたので、早速取り入れさせていただきます。そういえば、私は見かけによらず、料理が好きなのですよね。料理なんてしなさそうにいつも観られてしまうのですが(笑)。いつも美味しい料理をいただく度に、「これ、どうやって作っているんだろう? 美味しいな、こんなのを自分でも作れるようになりたいな、作り方が知りたいな」と思うたちだったので、後で作り方を調べたり、教えてもらったりしてきました。 まあ、油絵にしてもそうですが、「うわー!この絵、どうやって描いたんだろう? すごいな~! この人、歴史上の画家になるに違いない!描いているところを知りたい、教えて欲しい!」と、今は亡き歴史上のスペイン人画家であるトレンツ・リャドが来日個展したときに思ったのが、スペインに留学までしてしまったきっかけだったのです。リャド本人に尋ねましたよ。直観で(というか霊感で)、彼は大化けすると思っていました。 そのせいでスペインのマヨルカ島のリャドの絵画学校に行き、全課程を6年間フルタイムで修了したのです。 お陰で、今では描き方が分かりました。(笑) NYに来てからは、まだアトリエの場所がないので、毎週火曜日のヌードデッサンを描きに行っています。(生活スペースで油絵を描くと、身体によくないらしいのです。) そしてまた、NYに来てから、また同じように、「うわ~!カルティエとかヴァン・クリのこんな値段の高いジュエリーって、一体どうやって作っているんだろう?どうしたら作れるようになるのだろう?目玉が飛び出るような値段の高い何百万円、何千万円のジュエリーの作り方を知りたい!ダイヤとか宝石のことも見分けられるようになりたい!」と思ったのがきっかけで、今の師匠(ヴァン・クリのデザイナー)と知り合って、とうとう今では作れるようになりました。 なんでカルティエとかヴァン・クリってあんなに値段が高いのかな~、どうしてかな~とずっと謎だったのですが、ジュエリーを一流の師匠から学ぶと、理解できました。高いジュエリーと安いジュエリーは、造りとデザインと、工程が全然違うのです。 今ではおかげさまで、いいジュエリーといい宝石を見分けられるようになりました。 ジュエリーをやり始めて、もうすぐ丸3年が経ちます。早いものです。 音楽も同じで、子供の頃から音楽を学んでいたので、いつもジャズとかボサノヴァをコレクションしていました。 聴きながら、「うわー、これ、どうやって演奏しているんだろう、何の楽器を、何人で組み合わせてセッションしているんだろうか? このシャカシャカ鳴っている音は何の、どんな形のパーカッションなのだろうか?」などと、音から、使われている楽器を全て想像して、楽器の名前や写真を調べたりしていました。 大きくなってから、やっとジャズの来日の生演奏を聴きにいけるようになって、「あのパーカッションって、ああやって鳴らすものだったのか! へえ、シェーカーは、ああやって手を動かして鳴らすといいのか」などと感動して覚えていきました。 お陰で、スペインに留学してから最初は部屋にキーボードを持っていなかったので、小さなパーカッションを色々集めていました。 レコードやCDを日本から150枚以上ちょっとずつ運んできていたので、部屋で鳴らしながら、音楽にあわせてパーカッションを演奏していました。 話しが脱線してしまいました。 すっごく簡単なレシピからいきます! 「パン コン トマテ」です。 ヘルシーで美味しくて、朝のあわただしい時間にもさっと作れて便利です。朝食にピッタリです。(トマテって、トマトのことです。) ご用意していただくものは、 固めのパン(日本で手に入るものならフランスパンがおすすめ)、 トマト(フレッシュでも、無ければ缶詰のホールトマト) エキストラ・ヴァージン・オリーブオイル 塩 コショウ(お好みで)これだけです! パンを適当にスライスして、フレッシュトマトなら半分に切って、缶詰のトマトならそのままで、トマトをパンに手でなすりつける。そしてオリーブオイルを振りかけて、塩、お好みでコショウをして出来上がり! 簡単でしょう? それなのに、すごく美味しいのですよ。 帰国時に家族に教えたら、それ以来彼らははまっているほどです。バターぬって食べるより、本当に美味しいので、試してみてください。 オプションで、オードブルや夕食の代わりに、この「パン コン トマテ」のうえに、生ハムのスライスをのせて食べます。 バターはコレステロールが高まるのでよくないので、オリーブオイルを使う習慣がスペインにはあります。彼らは一切、バターを料理にも使わないのです。それも、生でオリーブオイルをとったほうが身体にいいらしいのです。 それで、彼らは、この「パン コン トマテ」や、サラダに振りかけたりします。地中海料理は、とってもヘルシーです。
2007年12月28日
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2007年2月2日 発行号公開:続きブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.90 07/02/02 (火) 発行:続き「“正しい”という言葉に過敏になった訳」 前回、「正しい」「間違っている」という言葉のニュアンスについて論じた箇所が、読者の方々には「なぜそこまで説明する必要があるの? そんなの分かっているから説明しなくてもいいのに~」と、不思議に思った方もちらほらいらっしゃいました。「意識を「高い」「低い」と表現しています。それは、意識も含めて全ての波動には高低があるからなのです。 「正しい」「間違っている」ということは、言語的にはふさわしい単語の選び方ではないので、言葉で上手く表現するには限界があります。私の場合、人に説明する時は、「宇宙の真理において、進化の方向に向かっている状態は意識が高い状態で、プラスの状態なので、それはその人を含めてその子孫まで幸せに生きるためには、正しい選択だ」というように表現しています。 その反対に、「進化と反対の方向に向かっているマイナスの意識の状態は、その人を含めてその子孫まで不幸になっていくので、幸福になるためには間違っている選択だ」と表現しています。」と前回、解説した箇所です。 そして、「言葉で表現することは、難しいですね。」と私はボヤきました。すると、「言葉で気持ちを伝えるのはそんなに難しい事ではありませんよ」というメールでのお便りも届きましたし、知人からも、「そこまで説明しなくても、読む人には分かるよ」と言われました。 ああ、なぜ私があそこまで説明するようになったのか、きっと不可思議に思うのでしょうね? それには訳があったのです。 私は霊感のせいもあるし、幼少時の2歳から守護霊の某お坊さんと会話したりチャネリングをしてきたせいで、宇宙の法則を理解しています。それを、周りで間違っている方向に進んでいる人達へ出来る範囲で説明していたら、「正しい」という言葉に彼らは必要以上にやけに反発するのです。 「じゃあ、お前は正しいのかー!」とか、 「正しい間違っているって言ったから戦争が起こったんじゃないのか!」とか。 これは、なぜかというと、本人が無意識の底で「まっとうではない」ということ、「正しくないかもしれない」「間違っているのだろうな」と分かっているからこそ、「正しい」真実にそこに触れられると、反応して反発してしまうのです。間違っているかもしれないことを、本人はちゃんと分かっているのです。(現実に、100人が見て100人ともが、その本人の私生活はまっとうなものではない、と認めるような私生活をしています。)だから、怒るのです。 そういうことが度々あってから、一字一句をメモして全て記録に残しておいて、研究してみて、「正しい」という言葉を使う時は説明を加えなければならないようになったのです。 今回、こう答えたら、「えー! そんなこと言う人がいるんですかああああ? それ、信じられない! 言葉の重箱の隅をつついてるだけじゃないですか!」とびっくりした人もいました。 はい、言葉だけで人に伝えるために表現することは、難しいことなのですよ。つっつかれますからね。世の中には卑屈にひねくれてしまっているもったいない人もいますから。実にもったいない人です。 聖者のサイババは、正しいとか間違っているということをどう表現しているのだろうかと調べたら、正しいということも使っていますが、彼は、「闇」「光」という言葉で表現しています。「闇から光へ」と!あー、そっかー!間違っている方向が闇で、正しい方向が光へ向かっているということなんだ! 私も同じ事が言いたかったのに、言葉の選び方1つで、ニュアンスの伝わり方が変わるなー、とつくづく思ったわけです。 それで、反発してくる人に正しい方向を説明するために、言葉選びに慎重になっていき、神経質に解説するようになっていったのです。「闇から光へ」というこの方向を説明していた時に、「じゃあ、あんたは正しいのか!」などと食ってかかられたら、何と言っていいのやら・・・でしたよ。「正しい方向はどっちか知っているよ。じゃあ、あなたと私とどっちが正しかったかは、あと20年以上経ったときには、ある程度結果が出ているでしょう。その時になってお互いの人生を比べたらいいじゃない、どっちが正しいか。時間が解決するから」と答えましたけど。 現実に、時間がどんどん経っていけば、どちらのほうがまっとうで正しかったのか、結果がでてくるものです。>>>私は、基本的に、スピリチュアルな事はまず当然と思っていますので内容自体に何の疑問も持たないどころか、読むたび納得しています私も含めてそうですが結局、「興味のある人が読む」のだから世の中全ての人にわかってもらおうと思わなくてもいいのでは。>>>とお便りにありました。 こんな、スピリチュアルに理解の深い人ばかりではないのが難しいところです。 私は、スピリチュアルに興味がない人にも読んでいただきたいと思っているので、そのためにはやはり、論理的に解説する必要もあるのです。 ですから、読みづらい点があるとは存じますが、引き続き、どうぞよろしくお願いします。
2007年12月27日
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ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.90 07/02/02 (火) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは、とても寒くなって、外に出かけるのがおっくうです。顔が凍ってしまいそうです。日本の気候はいかがですか?「本当に全部完璧に自分でやってるのか?」 さて、最近、面白いお便りをいただきました。画家の方からです。>>>「何か参考になるいい絵はないかしら」 と思ってアクセスしたのが最初でしたがその多芸ぶりに感心するとともに 「本当にこれだけの事を完璧にやっているのだろうか」 そんな疑問さえ湧きましたが、ヨーロッパからアメリカへ 何かに突き動かされるように進んでいく様子を拝見し、 また周囲の声などによって貴女の姿が浮かんでくるのを見て 「世の中にはこういう人も居るのだな」と思っていました>>> ありがとうございました。 最近のメルマガでは、3つの専門分野(美術、音楽、文筆)を本格的に生業として活動している私に、30代から50代の日本人男性たちがよくあたってくることを書きましたが、そのせいで、皮肉にも誤解が解けて理解していただけたのですね! 私のことをよく知っている友人や知人たちは、私が全部自分で作品を作っていることも知っています。その知人たちの言った内容、私をたたいた卑屈な人に対する憤りを書いたことが良かったのですね。 私は3つの専門分野を本格的にやっているので、しょっちゅう、「これ、全部自分で描いたのですか?」とか、「自分で全部、あの本を書いたのですか?」とか、「本当に自分で全部、音楽を作ったのですか? 誰かに手伝ってもらったのではないですか?」とか、色々言われることがあります。 こう言う人がいるということは、そう思っている人も多いのかもしれませんね。 もちろん、全部、自分で作っているし、描いているし、書いていますよ! 音楽も、全部自分で作りましたよ~。 それは、当たり前のことです! まさか、誰かに手伝ってもらって作品を作るなんてことは、私はしていません。そうであれば、それは私の作品ではなくなってしまいますから、そんなことはしないです。 3つの全く違う分野のことをマスターしていて表現できるということは、きっと、皆様は、不思議に思うのでしょうね。疑わしい気持ちになるのでしょう。 私にとっては、ごくごく自然なことなのです。自然に、表現したいものが3種類の形になって、美術、文章、音楽となって湧いてくるので、それをそのまま外に出して表現しているだけなのです。 他の人が想像しているように、私は頑張っちゃって無理してひねり出しているのではなく、自然にリラックスして出てくるものです。これが、私にとってはとても自然なことなのだから、私は自分自身でこの活動形態を受け入れているし、自分で自分を無理に1つの型に押し込めて押さえつけて縮む必要ないと思います。 1つに絞って縮ませることは、私にとってはとても不自然なのです。 自分にとって自然な状態が一番です。 私の場合は、3種類の専門分野を持っているのは、霊能力のせいも大きいと思います。前世で積み上げたことを手が覚えていて、それを思い出していることも多いでしょう。 例えば、前世では教会でパイプオルガンを弾いていた記憶があり、ハープシーコードが自宅にあっていつも弾いていた感触を覚えています。 宇宙霊から直接チャネリングして受信する情報も多いです。チャネリングした宇宙の真理みたいなものを、文章に書いています。 絵は、私にとって、一番チャネリングしやすい表現方法です。 また、とても芸術が好きな両親のもとで文化のある家庭だったので、幼少時からバレエと音楽(オルガン)を長年学んだという英才教育のお陰でもあります。 普通なら、こういう状況でしたら音楽かダンスの道にまっしぐらに進むのでしょうけれど、私の場合は何か生きていくために役に立つ“お勉強”もやってみたかったので、結果的に経済学部に進みました。 幼少時から将来まで音楽やダンスだけに突き進んでしまうと、視野が狭い人間になると思いましたし、“出会う人々の種類が狭い範囲になってしまう、賢い人達(知識人)とも知り合いたい!”と考えたのがきっかけです。特に、賢い人達(知識人)と知り合って友達を増やしたかったのです。 音楽の業界だけにいたら、いわゆる賢い人達(知識人)とは無縁ですから。音楽だけでその道一筋だったら、箱入り娘になってしまいますよ~。 軽い気持ちで経済学部に進んだのに、意外にも、世の中の仕組みや将来の予測などを理解できて、生きるための入れ知恵がついて、とても役に立ちました。 特に、スペインに単身で渡ったりニューヨークに移動してきた際に、経済学は、私の身を守るツールになってくれました。もし知らなかったら気付いていなくて、道を誤っていたこともあったはずです。 知らなかったら、“日本から出たい!外国に留学したい!”と単純にニューヨークに直行していただろうと思います。 経済学の知識のお陰もあり、ヨーロッパとアメリカ、スペイン語圏と英語圏の両方に、長期滞在して文化を吸収するという知恵が湧いてきたのです。女性ですけれど、常に一人で自分の頭で判断して決断し、間違えずに直線を進むことができました。そのせいで、色んなことを学んで身につける余裕を確保できたのです。 ですから、私が知っていて助かったこと、考えて選んだ結果正しかったこと、将来の後輩たちへシェアしてあげたいと思ったことを、自然に文章に書くようになっていきました。私は、文章については、私が知っていることや学んだこと、選択が正しかったせいで助かったことなど、皆様の人生にも実際に役にたちそうなことをシェアするために書いています。 自分一人だけ助かったらいいとか、自分さえ良かったらいいなんて、考えられないです。私が実践してみてよかったことは、後輩にも勧めてあげたいのです。そういうことをくわしく伝達するためには、文章で表現して説明することが一番いいのです。 例えば、スペインとニューヨークでいろんな人を観てきたので、年下の後輩には、確信を持って、「不倫は絶対にしたらダメ!霊界のご先祖や守護霊を何万人も敵に回すし、いいことは1つもない! 人の不幸の上に幸せは絶対に築けない! 誰かを不幸にさせたらダメ」と言い切ることができるからです。 長年の不倫の末に、離婚して元不倫相手と再婚しても、幸せには絶対になれないのです。カルマの法則です。 こんなふうに、他にも様々なことを、「それはヤメたほうがいい!」と断言できるようになりました。 「3つの大陸(日本、ヨーロッパ、アメリカ)」に住んで色々な経験をしたことと、「3つの分野」を専門的にやっていることと、経済学と、霊感と、様々な要素のお陰で視野が広くなって、色々なことが理解できました。 宇宙の法則についても理解が深まりました。だからこそ、絶対の自信を持って断言できるようになったことが多いので、文章で書くことになりました。不幸を予防する方法を、具体的に書いていきたいと思っています。
2007年12月26日
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ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.89 07/01/23(火) 発行 霊的な法則で、「自分と似たような霊的波長の人と引き合い、出会って結婚する」というものがあります。 これについては過去のメルマガで時々書いたことがありますが、実は、物事や災害に関しても言えることなのです。災害が起こりそうな時でも、霊的に自分の意識を高く保っていれば、自分の波動が高くなるので、どんな場所にいても災害に巻き込まれないということです。 一口に、ポジティブに自分の意識を高く保つと言っても、どういうことなのか分かりにくいこととお察しします。これは、生まれ付き霊能者だった私が、誰に教わったわけでもなく、霊的な法則を理解していて当たり前のように知っていたため、幼少時から起きている間中、常に、気をつけて自分の意識を上に上に、コントロールし続けてきたことです。 この意識のコントロールは、1分1秒たりとも気を抜いてはいけないのです。 「こういう意識が高いということ」「こういう意識が低いということ」と例を挙げて示すとそれは宗教になってしまうので、宗教は私の希望する活動形式ではないため、このような書き方をすることはしないです。 私が言えることは、「自分なりに毎秒の瞬間瞬間を、常に上へ、高い方に意識をアップして保っていって、意識の高い状態とはそういうことかを自分で体験して学んで各自学習していってください」ということだけです。 実は、周りの人々には、意識を高く保つ秘訣を話したり教えたこともあるのですが、低い意識状態になりがちで自縛霊に憑依されがちな人ほど、ひどく反発してきます。意識が低くなっている時に自縛霊が寄ってきて憑依されます。「じゃあ、あんたは正しいのか?」とか、「俺が間違っているとでも言うのか?」などと反発してきます。もう、会話が成り立たないのです。これは、自ら学ぶまで放っておくしか仕方ありません。 意識を「高い」「低い」と表現しています。それは、意識も含めて全ての波動には高低があるからなのです。「正しい」「間違っている」ということは、言語的にはふさわしい単語の選び方ではないので、言葉で上手く表現するには限界があります。私の場合、人に説明する時は、「宇宙の真理において、進化の方向に向かっている状態は意識が高い状態で、プラスの状態なので、それはその人を含めてその子孫まで幸せに生きるためには、正しい選択だ」というように表現しています。 その反対に、「進化と反対の方向に向かっているマイナスの意識の状態は、その人を含めてその子孫まで不幸になっていくので、幸福になるためには間違っている選択だ」と表現しています。 それを、「じゃあ、あんたは正しいのか?俺が間違っているとでも言いたいのか?」と食ってかかられても、せっかくいい方向にそっと導いてあげようとしているのに水の泡で、それ以上何も言えずに放っておくしかありません。首の付け根の背中に自縛霊が憑依していても放っておくしか仕方ないのです。 子々孫々まで幸福になるためには、どうしていけばいいかという意識のコントロールの方法は確かにあります。 人によって、幸福になることを正しいとすれば、その反対のことは自ずと相対的になりますので、不幸になることは間違っているということになります。もしもその人が自分の子々孫々まで不幸になりたくてそれを希望しているのならば、その人にとっては不幸になることが正しくて、幸福になることが間違っているということになるのです。 ですから、正しい、間違っていると言うことは、結局は、厳密に言えば、その人の希望する現象に左右されることです。 言葉で表現することは、難しいですね。 私は、自分自身も皆様も、全員が幸福になったほうがいいと思っています。皆さん、子々孫々も含めて、幸福になっていただきたいと願っています。 幸福に向かうには、霊的な法則があるので、やはり霊的なものが観えてよく分かっている人が、それが観えずにつまずいている人々を幸福にとって正しい方向に修正して導いていってあげなければならないと思っています。 時には、幸福にとって正しい思想の例、間違っている例も具体的に示す必要もあります。そのほうが、皆さんが具体的に何かを感じて、自分の意識を修正して学んでいくことが出来るからです。 実は、自分の中で間違っているなと分かっている人は、間違っている例を具体的に挙げると、自分の中の劣等感に触ってまるで自分のことを指摘されたように感じて、反応して怒ります。 ですから、同じものを観たり読んだりしても、共感する人と、反発してひどく怒る人と、パッカリと2つに反応が分かれてしまうのです。 前回のメルマガで挙げた具体的な例も、反面教師として、そうならないために自分の代から子孫へと気をつけていくために、シェアさせていただきました。 これと全くそっくりな、同じ現象が起こった家系があったため、全く違う家族で同じ現象が起こるなんて、ゾーッとしました。 どちらの家系も祖母が働いて家庭を放ったらかしていたことのほころびが、子孫に出てきてしまっているのです。 別の家系では、子供が病気になったのは嫁ぎ先の霊的なたたりかその家の祖父の行いが孫に出たんじゃないかと相手の家のせいにしているお家がありましたが、よくそんな相手の家のせいにできるなとびっくりしたことがあります。 嫁ぎ先の家のせいだけではなくて、その嫁の母親が働いていて家庭を放ったらかしたせいなのです。 祖母の行いと思想のカルマが、孫にでてくるのです。家庭にとって、母親の役目は、想像以上に霊的にとても重要で、その影響は子孫まで響きます。父親は外で働いてエネルギーを外に向ける役目、母親は子供を育てることを優先順位の一番において家庭にエネルギーを向けなければなりません。これは、断言いたします。 子供がおかしくなってきているのは母親が働きに出るような時代になってからです。女性は家庭にいて子供を一生懸命育てることを他のどんなことよりも最優先させるべきなのです。
2007年12月25日
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2007年1月21日発行号公開:続きブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.88 07/01/21 (日) 発行:続き「子供を持って始めて分かること」 前のメルマガで、「特に、私の音楽活動についてたたいてきた人の言動の、「親の財力で音楽勉強させてもらってただけのくせに~。」のような内容の箇所が、一番反応が大きかったです。」「英才教育のお陰で才能が開花した、そういう賜物は、世の中にたくさんあることです。モーツァルトだってそうです。」と書いた箇所について、続きです。 主婦の方から、とても参考になる、人類全員でシェアできる教訓になるようなお言葉をいただきました。私は目からうろこが落ちました。「貴女にそんなことを言ってあたってくる人がいるなんて、信じられないです。 それは完全に嫉妬ですね。視野が狭くて自分のことしか考えてない人です。 貴女とご両親の立場にたって考えていない。どれだけ手間と努力がかかったか、その立場に立って考えられない人なのです。 私には子供がいるから、貴女とそのご両親の気持ちと両方がよく分かります。 それを嫉妬するなんて人は、きっと、母親が働いていたか何かで放ったらかしにされて育ったのでしょう? 母親に、犬や動物みたいに放ったらかされて育ったのですよ。それに、そんなことを言った人は独身でしょう? 子供を持つ母親なら、貴女に向かってそんな嫉妬はできないです。」と、この方はこのように憤慨していらっしゃいました。「え? どうして子供がいない人だって分かるのですか?」と私は絶句しました。「そんな嫉妬心まるだしのことを貴女に言うなんてことは、その人は、全く人の立場に立って物が考えられない人なのですよ。 結婚して子供がいない人は、その人の代のところで思想が止まってしまっているから、自分のことしか考えていないのです。自分の代までの短いスパンでしか考えられないから、自分のことばっかり考えていて自分の代で成功しようとして、自分と人と比べて嫉妬するのです。 物事を長いスパンで考えることができなければ、人間は生き方でつまづきます。 もしもそういう嫉妬深い人が、将来の結婚と自分の子供や孫のことまで今の時点から想像することが出来れば、貴女とご両親に対しても“子供の頃から音楽を学べて良かったね”って心から喜べるように自然になるのです。 もしも自分が両親にしてもらえなかったとしても、自分の子供や孫にはしてあげようとか考えられるし、自分の代ばっかりではなくもっともっと長いスパンの視野で物を考えるようになるのです。子孫の将来にまで視野が広がるからです。」と主婦の方は語りました。「ああ、なるほど。嫉妬心の強い人は、視野が狭くて、自分のことしか考えられない人なのですね。人の立場に立って物を考えられない人だったのですね。」「そうですよ。その人は、人の立場に立って物が考えられない人間だから、貴女に嫉妬してあたってくるのですよ。 そんな人間は、ほぼ100%、母親が働いていて放ったらかしにされて、御飯も作ってもらえず、構ってくれなくてレッスンもつけさせてもらえず、犬みたいにして動物みたいに育っているはずなのです。 だからそうでない貴女に嫉妬するのですよ。貴女の母親が立派なのですよ。母親にとって子供って、大切な自分の作品のようなものなのです。でもその人でも将来、やがて結婚して自分の子供を持てば、成長することができますよ。」「そうですか、結婚して子供を持つことは、とても学べることなのですね」「そうです。子供を育てることによって、学んで成長できることは多いのです。視野と時間軸が先の先のほうまで広がります。だからこそ、今、私は主婦として集中して子供を真剣に育てるポリシーを持っているのです。私は子供を育てることによって色んなことを理解できました。 細木数子さんも私と同じことを言っていますが、“自分のしたことは3代先になって現れる”のです。私もそう思っているからこそ、今真剣に子供を育てているのです。私の行いが孫の代になって出るのですから」「それ、分かります。私もそう思います」と私はうなずきました。「目先のわずかなお金に囚われて子供がいるのに働き続けて、子供を放ったらかして御飯も作らず缶詰でも与えて犬みたいに育てたら、それは孫の代になって自分自身に返ってくるのです。 私は主婦として子供を育てることによって色んなことが見えてくるようになりました。今日本で事件が多くて子供がおかしくなってきているのは、親である団塊の世代が原因です。その団塊の世代の親はちょうど戦後の貧しい時代にいたからとても物質主義に偏ったのです。貧しい余りに、働くこととお金を稼ぐことが一番になってしまった。本来家庭で子供をちゃんと育てるべき女性が働きにでてしまって、子育てがおろそかになってしまった、そのツケが団塊の世代にきて、またその子供に来ているのですよ。 私の知人で娘を残して先日亡くなった女性がいますが、その娘はグレてしまっています。その時にその方の母(娘の祖母)がNYに来てお会いして、全て観えて分かりました、どうしてそうなったのかが。娘さんがグレたけど、1代でそんなふうにはならないのです。 祖母に原因があります。その祖母、私のことを優秀な男性の主婦で有閑マダムで悠々自適に暮らしていると思ったのか、嫉妬をした様子で、私にあたってきましたよ。主婦が羨ましいみたいなのです。“私はずっと働いていましたから自分の保険もあったし、年金もいただいているのよ”と、不機嫌な顔をして唐突に言ってきました。それで私は、“ああ、だから娘と孫がこんなになったんだ”と分かってしまいました。 その祖母の別のお孫さんにもツケが出てきているんですよ。他にもう一人のお孫さんが10歳で脳腫瘍になってしまって瀕死の重傷なのです。私はなんでそうなるのかなあと思っていましたが、この祖母に会って分かりました。 祖母の生き方のツケが孫に出てきてしまっているのです。3代先に出るのです。祖母が働いて家庭を放ったらかしてロクに御飯を作らなかったから孫がそうなったのです。貧しかった時代のツケが今になって出てきているのですよ。 細木さんは10万人も鑑定しているからこそそういえるのだろうけれど、私は真面目に主婦をしてきた結果、私も彼女と同じ意見なのです」と、語ってくださいました。迫力があり、言葉に真実味がこもっていました。 そういえば私の周りでも、10歳で脳腫瘍になったとか同じような話がチラホラあったので、そんな、祖母の行いが孫に出てくるなんて!と驚きました。 私はまだ子供を育てたことがないので、彼女のようには力強く断言できませんが、彼女からとても大切なことを今回学びました。子供がいない人であっても、将来の先の子孫のことまで思いをはせて、劣等感を持たないように、人に嫉妬をしないように、八つ当たりをしないように生きていかなければなりませんね。 それは結局、自分の子孫のためでもあるのですね。
2007年12月24日
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2007年1月21日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.88 07/01/21 (日) 発行 皆様、こんにちは。いつもメルマガを読んで下さいまして、ありがとうございます。すごく個人的な意見を正直に書いているメルマガは賛否両論激しかったはずなのに、なぜか読者からの支持もあって、出版者の優秀な編集者の方にも絶賛していただいたため、分からないものだなと自分で思いました。読者もてっきり減ってくるだろうと思っていたのに、ちょっとずつ増えていたのでびっくりしてしまいます。人の気持ちって分からないものだなあと思います。 きっと、私のメルマガが曲がりなりにも読者や編集者の支持を得てきていることは、私が考えていることをありのままで勇気を持って書いているからこそ、読んだ方の胸のどこかを打つのでしょうね。 もしも、「読む人に嫌われたくない」とか、「読む人に好かれたい」と人からどう思われるかを気にしすぎて文章を書いていたら、このようなことにはならなかったはずです。「人から嫌われないように、好かれるように文章を書く」ということは、卑しいことなので、私には出来かねますので、これまで通り、メルマガも出版する本もこのスタンスで書いていきます。よろしくお願いいたします。 異常気象で暖冬だったニューヨークは、数日前から急に寒くなりました。とても寒くて過ごしにくいですが、ようやくいつものニューヨークらしくなり、ほっとしています。雪も降りました。「劣等感をなくすことは、人類の最大の課題」 前々回、前回の号のメルマガに反響があって、いくつかお便りを頂き、また新たに色々と学ばせていただきました。私は物書きでもあるので、人々の心の問題や、宇宙の真理から外れた生き方をしている人を本来の道にどのように戻していけばいいのかとか、そういった人間の問題や業の深さについて、よく考え事をしています。「人間の深い業」に、とても興味があります。 色々な思索を通して、人間の業について突き詰めて考えた結果、私は、「劣等感をなくすことは、人類の最大の課題」だという結論に行き着いたので、これについても早急に書物に書いて発表していかなければならない、これこそが多くの人を救うテーマだと自覚を強く持ちました。人間のあらゆる問題や衝突は、この、人が抱えている劣等感が原因になっているので、その人それぞれが自分の劣等感をなくしていけば、全ての争いごとの問題が解決し、なくなってしまいます。人類全員が劣等感をなくすことができたら、全ての問題が無くなるのです。何度も言いますが、「劣等感の無い人は、嫉妬心が全く無いので、人に嫌味を言ったり八つ当たりを全くしません。人の幸せを素直に喜べます」のです! ワタクシが断言いたします!「その人の思想を見るには私生活を観察して下さい」今回の反響で、とても参考になるご意見を聞かせてくださった読者の方々は、なんと、男性女性とも、ご結婚なさっていて子供を持っていて、離婚歴が無い方でした。とてもまっとうなご意見でした。人間としてまともなご意見は、まともな私生活をまっとうに送っている人から生まれるものなのですね!私の持論である、「原因と結果の法則(カルマの法則):その人の思想や価値観の積み重ねが、その人の人生と私生活を作っていく。その人の私生活は、その人の思想の結果である」「私生活をまっとうに送っているまともな人は、まっとうでまともな価値観と思想を持っている」「私生活がまともではない人(不倫や離婚など)は、まっとうでまともな考え方でないからこそ出てきた結果が現象として表に現れているので、価値観や考え方のどこかが「必ず」「致命的に」間違っている証拠である」「私生活がまともではない人は、必ずその人の中に何らかの劣等感を抱えていて、それが原因になっている」「誰かに何か意見やアドバイスを言われたら、まずその人の私生活をよく観察してください。その私生活がまっとうでまともであればアドバイスを参考にする価値がありますが、まともではない人のアドバイスは全く聞く価値がありません」ということの、証明になったような気がします。 その人の私生活と人生と、その人のご意見は、とても深い相関関係があります。これは当たり前ですよね、カルマの法則は原因が先にあって結果がくるので、その人の私生活と人生はその人の思想が作っているわけですから。原因がないのに結果が出てくるわけがないのです。 原因と結果の法則は、私生活に現れるのです。 前から、ごく身近な周りの人にはこの私の持論を話したことがあるのですが、やはりまともな私生活を送っていない人はひどく反発してきますね。「そんな、私生活なんて、関係ないって!」などと。 いえいえ、私生活はその人の思想の結果が現れるので、大いに関係あります。これは、断言します!まともな私生活でない人は、それを自分で反省に向けて思想を修正していくことをせずにフタをして、「そうなったのはアイツのせいだ!」と、人のせいにしがちなのです。それを繰り返してきたからこそ、私生活がまともではなくなっていったのです。 例えば、「私が離婚したのは変な男にひっかかったからだ。結婚が上手くいっている人はいい男に当たったから運がいいだけだ」などと言っている人もいたので、びっくりしたことがあります。そんな、人のせいにしてはいけません。自分の波長と思想に合った人物が結婚相手として引き寄せられるのです。 全て、原因と結果の法則です。 読者の方々は意外と思われるかもしれませんが、今回、とても参考になる素晴らしいご意見を聞かせてくださった方々は、主婦が目立っていました。決して仕事をフルタイムで持っているキャリアのある女性たちや男性たちではなかったのが、意外なことですね。案外、人間として立派な思想を持つ人は、主婦であったりするのです。「社会で活躍すること、仕事を持つこと、お金を稼ぐことは、一体何の意味があるのだろう?人間として成長できるということとは、仕事とかキャリアとは関係がなさそうだなあ。主婦の方がよっぽどまともで立派なこともあるので、人間は、社会で仕事をしてもしていなくても、その人の生き方と思想次第で、まっとうにまともに人間として成長していけるのではないか?真面目な主婦だって素晴らしい思想の方がいるものだな」と、私はふと、考えさせられました。 以下、今回、主婦の方からいただいた素晴らしいご意見があるので、読者の皆様とシェアさせていただきたく存じます。きっと私のようにまだ子供を持ったことがない人にも、とても参考になることです。「子供を持って始めて分かること」続きは、明日!
2007年12月23日
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2007年1月12日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.87 07/01/12(金) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは異常気象で、暖冬のため、桜が咲きました。世界的に暖冬でおかしな気候だそうで、気になっています。「前回のメルマガが予想外の反響」 さて、前回のメルマガは、反響が大きくて、いくつか読者からメールを頂いたので、びっくりしました。「今回のメルマガ、特にとてもよかったです。」といった反応がたくさん返ってきました。このメルマガを読んでくださっている周りの友人達も、驚いて連絡をくれました。 私は、あのような心の中で考えている本音を書いたのは自由につづっているメルマガの世界だけですので、普段は友人の前ではあんな話はすることはほとんどなく、あたってこられたことも自分の胸にしまってあったことだったため、友人達がびっくりした様子です。嫌味を言って当たってきた人達に対して、ものすごく憤っているようでした。 中には、そういう嫉妬心のある卑屈な人の精神構造を分析している本を紹介してくださる方も数名いたので、私が書いたメルマガによって、読者からためになる数冊の本の情報をいただけました。 やっぱり、自分から何か行動を起こすと、何らかの反応が返ってきて、勉強になりますね。私自身、ここまで反響があると思ってもみなかったことなので、正直言って、本当に驚きました。予想外の出来事でした。 特に、私の音楽活動についてたたいてきた人の言動の、「親の財力で音楽勉強させてもらってただけのくせに~。」のような内容の箇所が、一番反応が大きかったです。男性女性両方から反応がありました。「あなたは絵、音楽、文筆など様々な才能があり、好奇心旺盛で努力を怠らない。日本では一般的に一つのことを追い求める人は、精神性の純度が高いとか言って持ち上げる傾向がありますよね。そんなのは作者の無教養からくる視野狭窄、生き方としては堕落だと感じています。どうか雑音などほっておいてください。周りでがたがた言う連中は嫉妬をしているのです。」「ただの妬みですね。何とかして、引っ張って下に落としたいっていう気持ちを感じます。そんなことを言って、後で自己嫌悪とかにならないのでしょうか?」「貴女にそんなこと言ってくる人がいるなんて、信じられない! それは、完全に嫉妬よ! 視野が狭くて自分のことしか考えてない人だよ。貴女とご両親の立場にたって考えていない。どれだけ手間と努力がかかったか、その立場に立って考えられない人だ。貴女のご両親のことまで否定しているのだから、嫉妬心の塊だね」「その人、嫉妬心が強くて、人の立場にたってものが考えられない人だよ。貴女のご両親のことも否定しているようなもんじゃない! 私は子供がいるから、子供に親がレッスン続けさせるのってどんなに大変か知ってるから。それを嫉妬するなんて人は、きっと、母親が働いていたか何かで放ったらかしにされて育ったんじゃないの? どうして、“良かったね”と言って、人の幸せを素直に喜んであげることができないの? 卑屈でネガティブな人だねー。」などなど。「そうかー、そういう嫉妬心が強い人間って、人の立場にたって物が考えられない状態なのかー!?」と、逆に読者に教えられました。彼らが、全く人の立場に立って物を考えられない人だとまでは、私は気付いていませんでした。ご指摘をありがとうございました。 そういえば、それは、レッスンをつけさせてくださった私の両親やそれを続けた私の立場にたって、その長年の努力について考えられないで、嫉妬してムカついているのですものね。相手の立場に立って考えられるかどうかは、とても大切なことですね。 じっと黙っていることがいいことばかりではないということです。今回のように疑問を投げかけることによって、周りの人々とコミュニケートできて、彼らの情報(参考文献や視点)を教えていただけて、もっともっとたくさんのことを学ぶことができます。私自身、今回のことで、このような、「自分の意見を言ってみることの大事さ」を新たに身にしみて学びました。 それと同時に、同じような体験をしている人、嫉妬心のある卑屈な人と接触して嫌な思いをしてきた人がたくさんいることを知り、間違っている嫉妬の精神構造を分析する本を彼らなりに読んでみている様子を見て、「たくさんのこのような立場の人々のために、こんな内容のことも書いていったほうがよさそうだな。これは、きっと多くの人々のためになることだなあ」と新たな課題も見つけることができました。 私自身は、表面はとても穏やかですが、中身は心臓に毛が生えていると家族に幼少時から言われ続けていたくらい、芯がものすごく強くてびくともしない性質なので、あの前回の大爆発の時までは、批判であっても私に対して投げかけられた言動について、一旦じっくりと様々な方向からよく考えてみていました。 特に、批判については、何か学べることがあるかもしれないと考えて、メモしたり、最近では全て過去の批判のメールなどはパソコンのファイルに入れて保存しています。日時と誰からかまで、全部置いています。私はもの書きの端くれですので、日常のあらゆることをじっくり一旦考察してみる習慣があります。「もしかして私のほうが間違っていることもあるかもしれないし」と、大変謙虚な姿勢でじっくり考えるほうでした。 しかし、多くの場合、あらゆる方向から様々な角度で分析してみた結果、誰かが何か私にあたってきた内容は意味のないことでつじつまが合っていなくて、明らかに間違っているし、ただ単にむしゃくしゃして当たってきているだけとか、その人は嫉妬心の塊で卑屈な精神構造だとかがほとんどでした。あたってきている内容は、ほんとに意味のないことばかりでした。先日の思考の大爆発以降は、全て底まで理解できてしまったので、今では全く眼中になく、気にならなくなりました。 だんだん彼らの精神構造が分かってきて、彼らの中に「劣等感」という実際には存在しないはずのモンスターを抱えていることが原因だと突き詰めてから、一切気にならなくなりました。劣等感の無い人は、人にあたったりできませんし、人の幸せを素直に喜ぶことしかできないですから。自分の中に劣等感がある人って、誰か他人の存在に自分の劣等感をつつかれて触れられると、嫉妬したり怒ったり、ムカついたりするものみたいですね。一々、自分の中の劣等感が刺激されて、反応してしまっている状態です。劣等感が無ければ、反応しません。 それは結局、本人の問題で、いつか本人が自分の中にある全ての劣等感をなくしていかなくては解決できないことです。「劣等感」というモンスターは実際にはいないはずのものを勝手に自分の中に作り出していて、そのモンスターに苦しんでいるだけのバカらしいことなので、その幻を自分なりに無くすようにしなければなりません。 劣等感を持ったまま生きていると、常に、自分以上のものに感じられる人に出会う度に、衝突してしまうことでしょう。そして、まともな精神構造の人々とは人間関係を築くことができなくなって、どんどんプラスになる人付き合いのチャンスを失っていってしまいます。 本当は、自分以上とか、以下とか、そういうものも実際には無いのです。自分以上とか以下とかいうものも単なる幻です。人間の価値に上下はありません。 劣等感を抱える人は、自分で自分のことをありのままの姿で受け入れていなくてどこかが凹んでいるので、相手のこともありのままの姿で受け入れることができないのです。発想がネガティブになっている状態なのです。劣等感が原因で、人のことを自分より上とか下とか、勝手に値踏みしているだけで、それは人間として間違っています。 劣等感が全て無くなると、人のことを上とか下とか値踏みなんてすることはなくなりますし、嫉妬心から人と衝突することは一切なくなります。 劣等感をなくすことは、人類の最大の課題です。
2007年12月22日
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2007年1月2日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.86 07/01/02(火) 発行 !Feliz Ano Nuevo! (ハッピーニューイヤー!) !Que tenga buena suerte para todos en este ano 2007 tambien!(今年2007年も、皆様に幸運が訪れますように!) 明けましておめでとうございます。メルマガを読んでくださいまして、ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 私は久しぶりに、ぶらっと一人でスペインに帰省(?)したいですね。スペインはやっぱり第二の故郷みたいなものなので。スペインにいるときはスペイン語しか使いたくないし、スペイン時代の友人とゆっくり会いたいので、一人で帰るのが一番気が楽です。スペインにいる時まで、日本語とスペイン語の通訳をしないといけないような日が旅行中続くと、スペインに来た気がしないのですよねー。だからやっぱり、スペインに帰るときは一人で行くほうが幸せです。ニューヨーク特派員としてチャコットでバレエのコラムの仕事を毎月続けているため、なかなかニューヨークを離れられる状況ではないので、今では、旅行のタイミングを見つけるのが難しいです。なかなかゆっくり帰れないです。「本を出したい人?」 時々、読者からのお便りや、知人で、「私も本を出版したいけどどうすればいいのですか?」という質問があります。 これはねー、作家によって、いろんなケースがあると思うので、みんなそれぞれ、独自に切り開いて出版のチャンスをつかんできているのではないでしょうか? 自費出版でない、出版社が全て経費を負担する企画出版は、とてもお金がかかることなので、なかなか出版してもらえるところまでたどりつくことは、大変なことだと思います。 やはり、他の職業の場合と同じように、コツコツとあきらめず、その道を長い間続けていくことしかないのではないでしょうか? 文章の技術はさほどたいした難しさがないので、全然たいしたことではないのです。文章力よりも、内容と思考のほうが大事なことです。出版社が多額のお金を投資して、読者がお金を出して買ってくれるような、人が読んでためになって「よかったな」と思ってもらえるような内容を書けなければ、出版にたどりつくことは難しいと思います。 文章の学校に通って技術を身に付けることは、あまり効果が上がらないことだと思います。文章の技術っていったって、日本人で日本語を読み書きしていれば、それで普通に大学を出ていればある程度論文やなんかは書けるように自然になっているので、文章力って、人間の持っている才能の中で、本当にそんなにたいしたものではないですから。文章を書いている人達って、ものすごく大勢いらっしゃるので、その人数の多さからいって、誰でもできることなのです。文章が書けることって、全然たいしたことじゃないです。偉くもなんともない、ごくごく普通のことですよ。 よく、人に、「文章書けるなんてうらやましい、すごいですねー」なんて言われるのですが、ほんっとうに文章力なんて、大したことじゃないのです。全然すごくないです。これは、私が謙遜して言っていることではないのです。 時々、文章を書いている人達のなかで、中途半端にライター業をやっていてまだ本を出したことがないけどいつか出版してみたいような人に限って、自分の文章力を才能の1つのように捉えている人を見たことがあるのですが、それをみていて、全然理解できませんでした。 それでつい、「あのー、私も文章書くけど、文章なんて誰でもできるし、文章書いている人って世の中にたくさんいるんだから簡単なことですよ。だから文章書けるなんてことは、そんなに重要なたいしたことじゃないですよ。中身の方が大事ですよ」というと、相手は怒ってしまったことがありました。 こういう価値観と考え方の人は、なかなか本を出版することができないものなのです。考え方が浅はかなのです。本を何冊か出版してきている、本当に実力のあるもの書きの人なら、文章力に必要以上にとらわれる考え方になるはずがありません。文章よりも中身のほうが重要だとよく分かっている人が、本を出版できるものなのです。 これは、私の価値観と考え方ですが、ものを書くために何が大事かというと、決して文章力ではなくて、「思考力」、「人が気がつかないことに気がつく感受性」、「内容」とか、こういったその人の中身のほうです。言いたいこと、伝えたいことという中身が先に強く明確に自分の頭の中にあれば、あとはその中身を一生懸命に人に伝えようとして試行錯誤しているうちに、自然に文章がでてくるようになります。 あとは、外国にちょっと住んでみた経験を活かしてなんか文章を書いて出版してみたいという人も多いのですが、外国に住んだ経験を本にするには、2,3年の滞在だと少ないと思います。10年以上は住まないと、経験として全然珍しいことでもなんでもないと思います。 私は、アート(絵画、ジュエリー、写真)、音楽(元プロのクラブDJ、現在作曲家、プロデューサー)、文章と3つの仕事を続けているため、人から見ると、その1つである文章も、パッとやってサッとやったというような、軽々やったように見られることが多いのですが、それは誤解です。 芸術家志望だった私は、大学は経済学部だったと言えども、家でせっせと独自に文章を書いてみてはコンクールに出してみていました。それで、いくつか応募したら、必ず全ての作品が最終選考まで残っていたので、「審査員に最後まで文章を読んでもらえるだけの内容は書けるのだな、これなら文章を公に書いていくことを生業にさせていただいてもいいな」と自覚してきました。在学中に、エッセイのコンテストで入賞(副賞:ニューヨーク1週間の旅)して、実績をつけたので、雑誌に記事を書き始めました。 ですから、私の文章は、パッとやってみてたまたま上手くいったような程度のものではないのです。その後ライターをやり始めて、雑誌の記事のライターだと使い捨てで物足りないので、その後本を出版する方向に活動が発展していったのです。 音楽も、5歳から19歳まで学んで、そのあとスペインでDJになったし、色んな実績を積んだ後で、本格的に活動を始めました。幼少時からの英才教育があるし、パッとやってみたようなレベルのものではありません。音楽は、英才教育のお陰です。 よくあることなのですが、遅く18歳くらいから音楽をやり始めたミュージシャン達にたたかれるような筋合いはないです。私は5歳からやり始めたのですから、音楽はできて当たり前です。 周りの人達に、「音楽をプロとして必死でやっている人達がいるのに、そんな、絵と文章をやっているくせに音楽をやってみるなんて、なめてるんじゃないか」とか言われることがありましたが、「何言うてるの! 私は5歳から毎日音楽を練習し続けてきて、学び続けたんだから、音楽は日本語を読み書きすることと同じレベルで、出来て当たり前! 5歳からの英才教育だよ! 私に向かって音楽をやめろって言うことは、日本語を話すのやめろって言うことと同じだよ」と言い返すと、「・・・・」と無言だったり、「たまたま親が金持ちでその財力で音楽勉強させてもらってただけのくせに~。親にレッスンつけさせてもらえなくてもミュージシャンになった人だっているのに、かわいそうだ」とか訳の分からないことを言ってくる人もいました。 親が金持ちとか、財力でとか、何なのそれ?ってかんじで、訳分かりませんねー。どうしてそういう発想になるのか? お金っていう問題ではなくて、「文化がある家庭だったかどうか」という問題だと思います。 親がいくらお金をかけても、子ども本人に才能が無くてやる気がなかったら、レッスンは続くわけがないのです。結局、本人の問題です。 私たちの時代は、レッスンを受けた人って山のようにたくさんいる世代ですが、それを続けるのは本人の問題だし、続けた後それを生かしていくかどうかも本人の問題だと思います。 それに、特にクラシック界で活躍している音楽家の方たちは、全員、幼少時から音楽の英才教育を受け続けてきた人達ばかりですよね? 英才教育のお陰で才能が開花した、そういう賜物は、世の中にたくさんあることです。モーツァルトだってそうです。 ですから、親が子供に与える英才教育まで、ずるいと捉える感覚の方が、卑屈なのではないでしょうか? 絵画は言うまでもない、スペインの名門の絵画学校(歴史上の画家トレンツ・リャド創設の地中海自由学校、リャド財団、画家ジョアン・ミロ財団)に、6年間フルタイムで留学したし2回個展をやっているのでキャリアがあります。 そういうわけで、美術、音楽、文章と3つの分野でプロとして活動をしているのです。 私は、2001年に1冊目の本を企画出版で出版していただいたあと、ニューヨークに引っ越してきて、生活が落ち着いてきてからやっと次の本に取り掛かっていて、6年ぶりに出版予定です。 今後は、コンスタントに本を出せるように、今年来年で、作家としても土台を作っていくつもりです。
2007年12月21日
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2006年12月23日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.85 06/12/23(土) 発行 皆様こんにちは。もう年末ですね。あっという間に1年が過ぎ去りました。今年も波乱万丈で、色々なことがたくさんありました。今年もメルマガのご愛読をありがとうございました。来年からは、もっと活動を広げてスパートしていきますので、引き続きご愛読をいただけたらありがたいです。皆様も、どうぞよいお年をお過ごしください。“! Felices Fiestas !” “! Feliz Navidad !”「頭脳線が一晩で思考型に!!」 前回のメルマガで書きました、思考が大爆発した件で、その直後に自分の手をチラッと見たときに、びっくりしました。思考が大爆発して完全な理解にいたって、私をたたいてくる人々が可哀想に見えてきて、人生で何も怖いものがなくなってしまったという話のことです。覚えていらっしゃいますか? 実は、私の手相は、ずっと両手とも「直観型」だったのですが、両手のうち片手だけが、一晩で「超思考型」に劇的に変化していたのです。直観型の人は直観力が発達していて、何でも直観で進む傾向がありますが、思考型はその逆で、何でもよく思考して決めて進む傾向にあります。私の片手が、思考型のなかでも、極端な「超思考型」に変わっていました。手相のしわにも本当に変化が現れるのですね。改めて驚きました。 きっと、あの思考の大爆発の時、私の脳の中で思考が極度に深まったのは、本当だったのでしょう。自分の手相が一晩で劇的に変わってしまうくらい、思考が深い状態だったということです。こんなことってあるんだなと、びっくりしています。手相が片手だけ「超思考型」に変わったということは、一度、あの大爆発のように極度に思考が深まった状態を学習して、今後は何事にも深い思考が自然にできるようになったことを表しています。一時的な深い思考ということではありません。私はもの書きでもあるので、良かったです! あの大爆発で深い思考を授かって、嬉しく思っています。深い思考力は、もの書きの職業にとってなくてはならないものです。直観力だけだったら、浅はかな視点しかない文章しかでてきませんから。人の何倍も深い思考をして、直感も交えて、深い文章を書いて本を公に出版していくことができたら、そのほうが社会に還元できます。大爆発は、今まで努力し続けてきた私への、神様からの授かりものだったようです。「主婦とキャリアウーマン」 以前、読者からの質問で、こんな内容がありました。30代の方からです。会話していたのですが、その実際の会話の中に、詳しい説明も加えて、物語風にまとめてみました。“ブルーシャさんは学歴経歴、仕事のキャリアもありますよね、それなのにご結婚もなさっている。世の中には、キャリアウーマンで独身になってしまっている女性のほうがあまりにも多いのに、珍しいですよね。私はもうじき結婚予定ですが、彼は私に主婦として家庭を守ってちゃんと子供を育てて欲しいと希望しています。私は仕事もしたいと言うと、彼は、仕事よりも子供をきちんと育てることのほうが重要だから、仕事は週に3日くらいにしてほしいと言います。俺がちゃんと家族を養う分くらい稼ぐからって。ブルーシャさんは、主婦についてどう思われますか?”と聞かれました。 この方は高学歴で、全米で名門のNYU(ニューヨーク大学)大学院修士です。 さて、私はどう答えたでしょう?“もちろん、核家族で子供を産んだ女性のなかでは、主婦の方が立派です。それは、断言します! あなたの婚約者の考え方は正しいです。子孫をきちんと育てることの重要性をよく分かっています。子供にとって、お母さんは一人しかいませんから。祖父母も同居する世帯であれば子育てを手伝っていただいて、仕事を続けることも出来ますが、核家族なら主婦になるべきです。 そうでないなら、中途半端に子供を産まなければいいのです。産むならきちんと母親業をやらなければならないです。“二兎を追うもの一兎をも得ず”です。仕事を持ちながら子育ても両方きちんとやり遂げることはできません。どちらかがおろそかになります。子供がちゃんと育ちません。”と、このように答えました。“え? ブルーシャさんみたいにすごい経歴があっても、そう思われるのですか? それは意外でした。きっと、主婦よりも仕事を持つ母親のほうが立派だとおっしゃるに違いないと思っていました。それを聞いて安心しました。私は仕事を少しだけ週に3日くらいにして、結婚して主婦業をする決心がつきました。どうもありがとうございました。”と、彼女は驚きつつ、ホッとされたようで安心しました。“当たり前ですよ! あなたは家庭を作って子供を育てて生きたいのでしょう? それなら、子供にとって母親は一人しかいないんだから、主婦業に力を入れてちゃんと育てなければいけないですよ。会社勤めの仕事と両方は無理です。 子供って、小さいから、自分でご飯を作って食べることができないでしょう?栄養のことも分からないし、弱い立場なのです。特に、子供の育ち盛りの時、成長して身体を作っていく時期に、きちんと栄養のバランスをよく考えて、お母さんが毎日全てのご飯を作ってあげることが、一番大事なのです。これが一番大事って、断言しますよ。まずは、子供の口に入れる全てのものに母親が気を使って、いいものを選んで食べさせてあげないと、いい肉体は出来ないです。 食事の次に、しつけです。しつけの次に、文化とクオリティーの高いものを与えて教えることが大事です。子供を育てることは、次の世代の人材を育てることと同じなので、社会に貢献していることです。だから真面目な主婦は立派なのです。”“そうですよね。安心しました。でも、ブルーシャさんがそう言うなんて、思いもよらなかったです。世間でも、キャリアウーマンがもてはやされてきた世代だし、きっと、ブルーシャさんは、主婦反対派だろうなと思っていたのです。”“まさか! 私は子育てに手抜きしているキャリアウーマンは、自分で自分の首を絞めているおバカさんにしか見えません。お金は稼げているかもしれないけれど、お金と引き換えに、どんな取り返しのつかないことを失っているのか気付いていない。 子供にちゃんとご飯を与えず、犬のような育て方をしたら、それ相応の寿命の身体に育ててしまいますよ。そんな肉体は、大人に育てた頃には、すでに万病の源のようになってしまっていて、ガンが勃発寸前なんです。 母親が働いていたために子供に御飯を作るのがわずらわしくなって、成長期にインスタント食品と御飯ばかりしか与えられなかった肉体は、ガンで早死にしてしまいます。ニューヨークにたくさん、70代くらいで子供を40台くらいで亡くして先立たれて、孤独になってしまった老人がいっぱいいるそうなんです。 どうしてそうなったのか? それは母親が仕事をして、子育てをおっくうがったからですよ。犬並のエサしか子供に与えなかったんでしょうね。それが原因!そういう取り返しのつかないことって、いくらお金を積んだって、時間を逆に回せなくて戻ってこないのです。 仕事で得るお金なんて、その貴重な子育てに比べたら、ビビたるものですよ。「そんなはした金で、子育て期間中のワタクシの貴重な時間を企業に売ってたまるものか!」くらいのプライドを持って、子育てに臨んだ方がいいですよ。御飯はちゃんと作ってあげてください!”“はい、分かりました。御飯は一生懸命、ちゃんと家族のために作ります。食べ物がそんなに大事なんですか。”“その通り!口から入れる食べ物は大事です。大人よりも、成長期で身体を作っている最中の子供が、一番、食べ物に気をつけないといけないのです。それがちゃんとできるのは、その子供に愛情を持っている母親だけでしょう? キャリアウーマンはカッコよく見えるのかもしれないけれど、普通の真面目な主婦のほうが、よっぽどまともで立派だと思います。毎日繰り返し、坦々と家庭生活を送り続けることも、大変なことです。 仕事命で子育てほったらかしの女性は、”オカマ化”しています。そんなのは女性本能を失った状態です。女性の本能が正常であれば、もし子供を産んだら、きちんと御飯を作って食べさせてあげなければ罪悪感を感じるくらい、子供が口に入れるものに関して気になるはずなのです。”“じゃあ、ブルーシャさんがもし将来子供を産んだとしたら、主婦になるんですか?”“主婦にはならないです。私の仕事は全て家でできることばかりですから、もし子供を産んだとしたら、子育て中は仕事の作品のペースをゆっくりにしたり調節しながらも続けます。でも、御飯は毎日全部、力を入れて作り続けます。家族に変な毒素のかたまりみたいな食べ物を食べさせられません!” こんな感じで、説明したら、この女性は、すっかり安心していました。彼女の婚約者の考えが間違っていないこと、まっとうなことにも安心できたようです。彼は彼女の学歴にもちゃんと理解があって、子育て中も、仕事は週に3日くらいならしてもいいと言ってくれていて、いい人だと思います。 それでも、家族のために御飯をちゃんと作ってほしいという希望があり、それは一見、フェミニストの人達から観たら、女性に家事を押し付けて不公平だ、とか言いそうなことですが、御飯を家族のためにちゃんと作ってあげられるのは母親だけです。ケータリングと、母親がちゃんと愛情を込めて作った御飯は、質と波動が違います。 ガンは、誰でも身体の中に出来たり消失したりしているものらしいですが、そのガンができて、どんどん大きく育ってしまう体は、肉体が添加物で汚れていたり、疲れが溜まっていたりして、ガン体質に傾いてきていることが原因になっているそうです。ガンは、できるまでに10年はかかるそうです。 女性は、健康な子供を産みたければ、実は出産前から添加物や薬を遠ざけて、肉体をクリーンに保っておかなくてはならないです。 ですから女の子が子供で生まれたら、その母親がちゃんと御飯をきちんと食べさせて育てなければ、大人になった頃には、すごく添加物で汚れきった肉体の女性にさせてしまいます。 このような肉体の女性は、ガン体質です。医学的に観て、母親がガン体質で、そこから生まれた子供は、生まれたときからすでにガン体質で生まれてきてしまうので、ちょうどガンが育って勃発する10年後くらい、10歳くらいですでに小児ガンになってしまうそうです。 これは、日本の予防医学の専門家から直に最近教えていただいたことです。小児ガンの原因が、現代では解明されつつあるのですね。霊的なたたりでも何でもない、母体がガン体質に汚れていたということです。 将来母親になる女性たちは全員、子育てと食事を全部作ることは、手を抜かないようにしてください。
2007年12月20日
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2006年12月4日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.84 06/12/04(月) 発行 皆様、とってもお久しぶりです。 先月は色々な仕事でとても忙しくて、息つく暇もなく、ヘトヘトになりました。 私は、暇なら暇で人生楽しめるし、忙しければそれで仕事を楽しめるし、超ポジティブなのです。どういう方向に転んでもそれを幸せに解釈して生きていける、すごく能天気で幸せな人間なのです。今月も原稿書きに集中する予定です。「ジュエリー」 最近、執筆に忙しいので、よく人から、「ジュエリーは最近はやっていないのですか?」なんて聞かれます。いえいえ、ジュエリーは続けていますよ。週に2日のペースで続けるようにしています。忙しい時は週に1回です。ジュエリーはもともと、宝石を使って金かホワイトゴールドかプラチナのものしかオーダーを受けないので、そんなに毎日やらなければならないほどたくさん注文が来るものではないのです。いい宝石は値段が高いですから、みんな、一生に1個とか、数個とか、そのくらいしか買えないものです。ですから、このペースでちょうど良いくらいです。注文は、おかげさまで、2年半ほど途切れずに続いています。この仕事は楽しいし人に喜んでいただけるので、ずっと続けていきたいです。 先月はジュエリーの注文で、サファイアとブラウンダイヤモンドのネックレスと、1カラット以上のルビーの指輪を作っていました。まだ作業は続けています。両方とも大作です。指輪のほうは、石の形が左右上下非対称で変わっているため、シルバーで型作りの手法ではなく、ワックスから石の形に合わせて手で彫刻していく方法を取ったので、時間がかかって大変でした。ワックスを彫刻して実際に石を埋め込んでみて、形がピタッと合うまで直してから、シルバーでキャスティングして型を作って、一度シルバーで作った指輪の土台と石のベジル(土台)を溶接してからもう一度型を取って、やっと最後に18金でキャスティングできます。ハンドメイドは結構手間がかかります。 ハンドメイドの指輪は、たった1つのデザインのために全工程を手作業で丁寧に作るので、せっかくでしたら、結婚指輪や婚約指輪など、一生の思い出になるような指輪をお作りするのにおすすめです。宝石店でみんなが持っているものと同じようなものを買うよりも、特別にオーダーメイドで作ったほうが、良い思い出になると思います。 サファイアやルビーでしたら仕入れルートがあるので、ティファニーの数分の一のお値段でお作りすることができるので意外にリーズナブルなお値段でオーダーメイドできますよ。(例えばティファニーでは、サファイア1カラットの指輪が1万6千ドル。)ご予算やデザインは、お気軽にご相談ください。ご予算は、大体2500ドルくらいからの相談になります。あとは、ご予算に合わせて、ダイヤをちりばめたりオプションを追加していきます。デザインにもよりますが、1-2ヶ月くらいで出来上がります。「大爆発」 絵本の制作にここ1-2ヶ月集中していましたが、そのテンションが高まった毎日の中、同時に色々な思考が深まって、自分の中で思考が頂点に達し、大爆発が起こりました。私は、何か複数の分野のことを、同時に一生懸命やって完成に近づけようとすると、そのほうが1つのことをするよりもシナジー効果が高まって、さらに思考が深まる傾向があります。視点が広がるからでしょうね。ゲーテもそんな感じだったのでしょうか。 思考の大爆発です。怒りとは全く違う状態ですが、つかえていた塊のようなものが、どっカーンと大爆発して四方に飛び散っていった感じです。疑問が無くなったのです。霧が晴れた感じです。完全な理解に到達しました。 はっきり言って、人生で怖いものが無くなりました。「私に文句を言いたい人、たたきたい人、突っかかってきたい人はどうぞご勝手に、全部本人に10倍から100倍になって返って行きますよ~」、ということが理解できたのです。なんだ、そうだったのかと理解に達したら、何も怖いものが無くなってしまったのです。たたいてくる人に対して、何とも思わなくなってしまって、全く何も反応することは無くなってしまいました。可哀想に。アホらしいです。 人にしたことって、本人に全部返っていくのです。これは、別に神様がバツを与えているのではなくて、カルマの法則で、本人が学ぶために、本人に全部、何倍にもなって返っていくのです。自分の行動の責任は、自分で最後には取らされるのです。「蒔いた種は自らが刈り取る」ということです。 特に! 理解に達したことは、もし誰かがAを注意したりたたいたりしたとして、もしAのほうが宇宙の真理に沿って正しい方向に進んでいるとすれば、たたいている人はその反対の方向に足を引っ張っていて、宇宙の心理から観れば間違っていることをしていたとします。「せっかく宇宙の真理に沿って正しい方向のものを間違っている方向に導いたりすると、その場合は、大きなマイナスのカルマとなってたたいた本人に全部返っていく」のです。 ですから、誰かをたたいたりする前に、「本当に自分の思考や価値観は宇宙の真理に沿って正しい方向に行っているのかどうか」を、良く考え抜いて、自分が言葉を発する前に責任を持ってチェックしつくす必要があるのです。 人類も宇宙も、全部が進化の方向を目指して進んでいます。「せっかく宇宙の真理に沿って進化の方向に進んでいるものを、たたいたり足を引っ張ったりすることは、ものすごい大きなカルマとなって自分に返っていく!」のです。なぜか?それは、「進化しようとしている宇宙全体に対しても足を引っ張っていることと同じ」だからなのです。 例えば、サイババはとても霊的に宇宙の法則に沿った正しい聖者だと思いますが、彼のような霊的に進化した指導者をたたく人って、そのカルマの大きさはとんでもないものになって、100倍くらいのカルマがたたいたご本人に必ず返っていくそうですよね。なぜかというと、サイババをたたくことは、宇宙の進化の方向に向かっているものに対して足を引っ張って邪魔をすることと同じだからです。それは、宇宙の進化の妨害と同じことなのです。たたくまえに、自分でそれが宇宙の進化にとって正しいのか間違っているのかを良く考えてからにしたほうが身のためだと思います。 その反対に、宇宙の法則に沿って間違っているものを、正しい方向に導いたりアドバイスすることは、いいカルマになります。宇宙全体の進化に参加しているからです。 今まで、私は、ヨーロッパにも長期で住んでいたこともあり、やりたいことを片っぱしからどんどんやって、好きなことを追求して芸術のために貫いて生きてきたので、特に日本人の30代から50代の男性たちが私によくつっかかってきて、たたいてきていました。そのような人々の特徴は、1つの職業を貫いている人でした。私がいくつもの仕事を同時にしていると、たたいてくる人、注意してくる男性がとても多かったのです。何人に言われたことか。呼び出されて説教をされたこともありました。「音楽を作るなんて辞めなさい、貴女は文章を書いていればいいんだ」とか、また別の人は全く正反対のこと、「貴女は文章なんて書くのをお辞めなさい、音楽に集中しなさい、誰があんたの文章なんて読むんですか、誰も読まないそんなもの」とか。 まともに聞いていると、人によって、全く正反対の内容のことを言ってくるので、その内容自体がばかばかしくて、意味のないこと、ただ単に私をたたいてきているだけなんだなとよく分かっていました。人は、やりたいことをやればいいんです。 でも、良く考えてみると、「なぜ彼らはそんなことをわざわざ私に言ってくるんだろう?」「もし彼らの言っていること自体が間違っていたらどうするつもりなんだろう?」「どう責任取るんだろう? いいかげんだなあ。おバカさんだなあ」、とだんだん分かってきました。 もし、人にこうしなさいああしなさいとか、これをするなとか、そういうことを言いたいのであれば、その人は、人の人生に踏み込もうとする以上は、相手の生活費を全て出してからこうしなさいと言うべきなのです。 それ以外は、そこまで人に踏み込んで言ってはいけません!それにその言っている内容が間違っていた場合、それはかえってご本人にマイナスのカルマを大きく作ってしまうだけなので、本人に全て何倍にも、それこそ100倍以上にもなって返っていくのです。これは逃れられません。私の人生で、日本人しか、そんなことを言ってたたいてくる人はいませんでした。 そこで、私は、坦々と自分の信念を貫いて自分の仕事を完成させて、やり抜いていったわけですが、やり遂げてからフタを空けると、あらあら、音楽を録音して作ってみたら、すごいクオリティーの高い録音に仕上がったではないですか。そして、結局、オルケスタ・デ・ラ・ルスのプロデューサーだった人も絶賛しているし、私の選択は正しかったわけです。音楽は作ってみたほうが良かったのです。 また他にも、文章を辞めなさいなんて言ってきた人は、どうするつもりでしょう? 辞めろと言わないまでも、他にも、「あれは書かないほうがいい」「これは書いたらだめだ」とか言っていた人もいますが、もし私が文章を書かなかったら、今の出版社の担当の名編集者(名著、ベストセラーを作ってきた人)の目には留めてもらえなかったわけですから、一体どういうつもりだったのでしょう? どっちが間違っていたのでしょう? 間違ったことを言って注意するなんて、無責任ですね。もし書くのを辞めていたら、本の出版はありえないことになってしまっていました。 ですから私はこのような数々の経験から学んで、人に対しては滅多なことでは強くアドバイスをしない主義です。間違った方向にアドバイスをすると、それがかえって、自分にとって「マイナスの大きなカルマ」を作ってしまうのです。 私は人のアドバイスは謙虚に一旦は聞いてみることにしていますが、その内容について、「正しいか間違っているか」よく考え抜きます。鵜呑みにすることは決してありません。私の経験から言って、私に対して霊的に正しいアドバイスを下さる人は、「私生活もきちんとまともにしていて、まっとうな人」です。「私生活がまともな人」のアドバイスは耳を傾けるようにしています。 私生活がまともではない人、例えば「不倫」をしているとか、「離婚して家庭と子供を捨てて女性のもとに走ってしまった」とか、そういう「まっとうではない人」のアドバイスは、昔から全く何も、一度も聞いたことはありません。聞く価値がないです。「その人の考え方の根本が間違っているからこそ、人生を間違えたんでしょう?」と分かっていました。私生活には、その人の思想が結果となって現れます。「原因と結果の法則」は、宇宙の厳然とした法則なので、その人の思想は必ず私生活にくっきりと現れるのです。 前述した、私につっかかってきた人やたたいてきた人達は、よくよく考えると、「全員、私生活がまともではないという共通点がある」のです。やはり、人生がある程度進んで年齢が上がってくると、その人の私生活も、考え方や価値観も、結果となって出始めてきます。 何度もいいますが、「原因と結果の法則」です。 私は、今後も、「私生活がまともな人、離婚や不倫歴が無い人」という、まっとうな人物のアドバイスだけを、耳を傾けていくことになるでしょう。 私生活がまっとうではない人に誰に何を言われても、何も気にならないです。諸行無常ですね。
2007年12月20日
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2006年11月12日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.83 06/11/12(日) 発行 皆様、こんにちは。お元気にしていらっしゃいますか?ニューヨークは肌寒くなってきました。 今日は取材で、アルゼンチンタンゴ(生演奏付き)の公演を観に行くので、とてもワクワクして楽しみにしています。「親友W」 先日の長期帰国は、私の芸術家としての仕事の商談のためだったので、ずっとフル回転で忙しく、友人たちと連絡を取ってゆっくり会う暇がありませんでした。 私は自由業なので、全て自分の責任で営業して判断し、取引先を決めていかなければならないので、人の何倍も動かなければならないのです。 そんな中で、大学時代の親友W君が仕事で数日間上京するということで、何年ぶりかで久しぶりに再会しました。 「XXリンに会えるなんて、嬉しいわああ。色々外国の話聞かせてや~。」と、再会する前から楽しみにしてくれていました。私も同じく楽しみにしていました。(ちなみに、昔から私のニックネームはXXリンでした。) 彼は、神戸出身で、当時から私の目には、何か抜きん出たところがある人だと映っていて、注目していました。オーラが全然違っていました。 W君とは大学時代に自分の進路とか夢を語り合っていましたが、私は芸術家になりたかったのでスペインのアートスクールに留学したいと言っていたことについて、M君はすごく賛成してくれて、応援し続けてくれていました。 当時、経済学部を出たのに就職しないなんてもったいないと、周りの人達から言われることが多かったですが、私にとっては、自分がやりたいことはもう分かっているというのにそれと違う方向に就職する方が、お金は儲かるかもしれないけれど時間がもったいないと考えていたのです。 若いピチピチしている時間って、どんな億万長者でも、いくらお金を積んでも買えない無形の貴重なものですし、無駄に使ってしまったら決して戻ってこないから後悔するものだからです。 新しい勉強がスイスイと楽に身に付くのは若い年齢の時だけで、年を取ってから留学しても、語学もアートも身に付きにくくなってしまうと、私はよく分かっていました。 人間の脳の老化が急激に始まるのは、28歳からだからです。28歳以降になると、同じことを覚えて身に付けるのに倍の労力がかかって、非常にスローラーナー(記憶力が低下して学んで習得するのにものすごく時間がかかってしまう人)になってしまうのです。 ですからそれまでにお金を貯めて準備して、ささっと留学したいという計画を立てていました。留学後も、W君とはお互いに時々連絡しあっていました。「久しぶり!元気そうでよかった。仕事はどう?上手くいってる?」と私が聞くと、「もう、ばりばり稼がせていただいてまっせ~!」「奥さんは、元気にしてる?上手くいってる?」「もう、ラブラブですわぁ~!」という感じで、近況報告に盛り上がり、お互いの順調な人生と仕事の成功に、心から喜び合いました。「XXリン、すごく幸せそうで仕事も上手くいってて、すごく嬉しいわぁ。これからどんどん成功していってや~! 友達が成功してくれるとすごく嬉しいわ。」と言うので、改めて、M君って、性格がいいなあと感心してしまいました。 というのも、人の幸せを素直に喜べる人ってあまりいないものだということに、最近になって改めて気がついてきたからです。大勢の人と知り合えば知り合うほど、そう思います。 こんなふうに、お互いに気を使わずに色んなことを話せて、お互いの幸せと成功を心から喜んだり、励ましたりできる友人がいることを、改めてありがたいと思いました。W君の存在に、感謝しました。「そうだそうだ、私の親友って、本来こんな感じだったっけ」と思いました。 W君だって、「稼いでまっせ~! ラブラブですわ~!」なんて本当のことを言ったら、言う相手によればムッとされたりしてしまうでしょう。 本当のことを安心して言える、言っても素直に幸せを喜べる人が、親友と呼べるのだなと、この感覚を久しぶりに思い出しました。 今は私は、下手に出て小さくなって暮らすようにしていたので、久々にこの心地いい感覚を思い出したのです。 特にニューヨークの30代、特に35歳以上の日本人独身女性には不幸な人がとても多いため、禁句を言わないように気をつける必要があるからです。ニューヨークは両極端な街で、ものすごく不幸なウラメシヤ人生の人達も大量に引き付けられて集まってくるところなのです。 そんな不幸な女性達に対して、「ラブラブですわ~!」とかW君みたいに言ったら、キズ口に塩を塗り込めるようなもので、一気に空気がささくれ立ってしまいます。 そんなところに何年も住んでいたからこそ、W君の存在のありがたみをしみじみ感じてしまいました。「W君みたいに、何でも素直に率直に本当のことが言えて、人の幸せを素直に喜べる人って、世の中にほとんどいないということが、私はよく分かってきたよ」と私が言うと、「本当にそうだよね。人の幸せを素直に喜ぶことが出来る人は、世の中にほとんどいないよね。僕もだんだん分かってきたよ。実は、僕の親友っていえる人は、XXリンもいれて4人しかいないねん」「ありがとう。そんなものだよ。4人いたらいいほうなんじゃないかな。親友って呼べる人は少ないよね。人の幸せを喜べない、嫉妬心がある人って、見苦しいね。私は嫉妬心がある人とは友達にはなれないよ。苦手。」「そうやね。世の中の人間って、ほとんどの人が嫉妬心あるんやなって、僕もだんだん気がついてきたよ。 僕は、昔からそうなんだけど、自分の中に人に対する嫉妬心が、”全く”無い。人が幸せだったり上手くいったら良かったねって、心から思うし、それは素晴らしいことなのに。 僕には、嫉妬心が少しでもある人の気持ちが「全く」分からない。 なんで嫉妬心があるのかなあ? 僕は、嫉妬心がある人って苦手だから、避けてるよ。」「W君って、本当に嫉妬心ないよね。」「うん。XXリンだって全く嫉妬心ないよね。」「うん。私も、少しでも嫉妬心がある人のことがよく分からない。なんでああなのか? 私は、なるべくどんな人でも、分け隔て無くオープンにつきあうようにしているけれど、特に不幸な女性に対しては、自分のことはあまり話さずにすごくした手にでているよ。 でもね、した手に謙遜していると、勝手に向こうが“自分より格下”とか解釈しているみたいで、自分より下の子分にしようとする人もいて、これは不幸な独身女性に多いよ。 それがある日、なんかの拍子で、出身大学が分かったりすると、急に機嫌が悪くなったりするんだよ。“え?アートスクールって言ってたのに? へえ、おりこうさんなんだ~”とかね。“アートスクール行く前に経済学部出てるよ”と言うと、ムッとして無言になった人もいるもの。あっけにとられたことが何度かあるよ。 勝手に向こうが上とか下とか決め付けてるんだよね。彼女たちの中では、アートスクールだったらバカだから自分より下、とか思い込んでいたんだよ。 なにそれ? 私という人間の中身は最初から同じなんだし、言う必要がないから黙っていただけなのに。人間って、自分と人と比べて、自分より上とか下とか決め付ける人が多いんだね」「そうだね。それ、彼女たち、すごく性格悪いね。だから彼氏と長続きしないし、彼女たちは独身とか離婚しているんじゃないの? 」「でもね、世の中の人間は、そういうものだよ。 人間って、その程度のものなんじゃないかな。 最初からあまり期待しすぎないほうが、人と上手くやっていけるよ。 だからこそ、W君のような嫉妬心が全く無い人の存在が素晴らしく思えるし、ありがたいのだから。 ほとんどの普通の人は、自分と人と比べて、相手を自分より下にしたがるし。 そういう人達は、相手が自分よりも上だと勝手に向こうが判断したら、今度はそれが嫉妬心になるし。 そういう人は、人と自分と比べて、人のことも自分のことも下とか上とか値踏みするからそうなるんじゃないかなあ。人間を値踏みなんてしたらだめだよね」「僕にとっても、XXリンみたいな人の存在は、ありがたい」「どうもありがとう。」などなど、久しぶりにざっくばらんにお話しすることができました。 大学時代のあと、彼も私も社会の様々な人達に出会い、気分が悪い思いもたくさん経験してきたからこそ、お互いの存在をありがたく思えるようになったのです。お互いに、「そういえば、あんな良い奴は、世間にはほとんどいないな」と、気がついてきたのです。そう気が付いた時に、「こういう人こそ親友と呼べる人だったんだ」と、その存在に感謝することができました。 お互いの存在を、今までよく気付いていなかったけれど、実はダイヤモンドのように目立って輝く存在だったのだと再認識しました。 世の中に出ると、今まで自分がすれ違ったこともないような、接点がなかったような種類の変な人々に次々に出会っていきますから、驚きの連続です。「動物園のゴリラを初めて見たわ~!」という感じでしょうか? でも、変な人に出会って気分を悪くしても、それは1つの貴重な経験なので、そこから何かを学んでつかみとって、教訓として、人生に生かしていけばプラスになります。 嫌な人に会ったら、それを「反面教師」にすれば、どんなことでも人生の役に立ちます。「ああなりたくない」「ああなってはいけないな」と、反面教師にするといいでしょう。 嫌な人は、悪い見本を見せてくれたと思えば、その存在さえ、感謝できるようになります。 でも、本人が変わらない限り人の性格を変えることはできないので、嫉妬心が強い人に出会ったら、そっと避けるほうが問題が少なくなるでしょう。 人生では、人から学ぶことが一番多いと思います。「ああなりたくない人」を見て、反面教師にして学んで気をつけることができます。 その反対に、「ああなりたい人」を見つけたら、それを理想にして、自分もその理想に近づけるように努力することができます。 周りに誰も人がいなかったら、いい意味でも悪い意味でも、自力で気付いて直していくことはほとんど出来ません。 気付いて直して向上していくことが出来るように、神様が色々な人を自分の周りに配置してくださっているのです。
2007年12月19日
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2006年10月29日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.82 06/10/29 (木) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは、随分肌寒くなってきました。 私は、最近、クラシックのバッハのオルガン曲(教会のパイプオルガン用)を、毎日、朝晩の細切れ時間に練習しています。バッハのオルガン曲は難解ですが、弾いていると手先から全身にゾワゾワと快感が起こります。気持ち良い曲です。快楽ですね。少しずつ、たくさん弾けるようになりたいと思います。 実は私はずっと前から、前世でパイプオルガンとハープシーコードを演奏していた音楽家(オルガン奏者)で、教会(多分イタリアか?)で弾いていた気がしています。たくさんの鍵盤を両手で同時に押さえ続けて、和音を重ねて「ブーーーッ」と鳴らし続けることに快感が得られるからです。 子供の頃から、ピアノの音色はあまり好きでなくて、パイプオルガンやハモンドオルガンとピアノの原型だったハープシーコードの音色が、ものすごく必要以上に大好きでした。オルガンとハープシーコードの音色には鳥肌が立ちますね。私にとって、ピアノはあまりやりたい気にはなりませんが、オルガンとハープシーコードは感情移入しやすく、ずっと弾いていたい楽器です。でも、パイプオルガンは数千万円、ハープシーコードは300万円以上するので、なかなか弾ける機会はなさそうです。ちゃんと弾けるようになったら、マンハッタンのどこかの教会で弾くことが出来たらいいなと思います。「グリーンマーケット」 毎週、マンハッタンの色々な広場で、オーガニックの野菜などが売られているグリーンマーケットが開かれています。私も時々通りかかって、根と土つきのバジルの束や、しぼりたての100%アップルジュースなどを手に入れています。特に、このバジルは、スーパーのパックのものよりもワサワサと何倍も大きくて安いし、新鮮です。バジルの香りが大好きで、いつも常備しています。前世イタリア人だったかも!(笑)パスタやサラダに使っています。 ところで、最近になって、このマーケットで、無添加の手作りチェリーパイを始めて買ってみましたが、これがとても美味しすぎてびっくりしました。前に他のところで食べてみたものは甘すぎて残したことがありましたが、今度のものは酸っぱくて美味しかったです。パイの中にはぎっしりとチェリーの実がたくさん入っていて、チェリージュースとゼラチンがまざっています。Unsweetened という砂糖抜きのものも売っていました(これは酸っぱすぎました)。 もう4年もニューヨークに住んでいるのに、なんで今まで気付かなかったのだろう!と思いました。アメリカのデザートは甘すぎて美味しくないと思い込んでいたので、普段はほとんどケーキなんて買ったことがなかったのです。(スペインのケーキも甘すぎたが。)そういえば、「アメリカンチェリーパイ」という歌があるくらいですから、きっとこのチェリーパイは、典型的なアメリカのデザートなのでしょうね。ニューヨークにお越しの際は、ぜひマーケットのチェリーパイを試してみてください!大中小とサイズが色々あります。「人間なんて」 以前、何度かメルマガで書きましたが、人間だから、外見で人を判断してしまうところがありますよね。それについて、見た目で決め付けるという人間の恐ろしい事実を書きます。 なぜ大多数の人間は、外見だけでその人と知り合うか知り合わないかまで判断してしまうのか、どうしてそうなるのか、しばらく考えてみましたが、「みんな普通は霊感がないので、どんな人なのか見ただけでは分からないため、目で見える外見の様子でその人のクラス(階層)を想像して判断してしまう」ということではないでしょうか? ・・・と以前のメルマガに書きました。 実は、私の知人で、普段はスーツ姿でお堅い仕事をしているために、自分に無い正反対な「とび職」に憧れていて、その格好を一回やってみたいと熱望して、時々変装して町をうろついている人がいます。この人は、前世でとび職だったのでしょうかね?(笑)。寅壱(とび職の作業服のメーカー)で上から下まで一式そろえています。ニッカボッカ(ボンタン)、襟にボアがついた作業服のジャンパー、足袋など。首にはタオルをねじって巻いています。ニッカボッカは、さすが、とび職の基本なだけあって、足が動かしやすくて機能的で、「こんなはきやすい楽なズボンは、もうやめられない!」という状態だそうです。 彼がとび職の格好に変身(コスプレ?)して町に繰り出すと、いつも周りの人々が、もう“サーッ”と彼を避けて下を向いてサササッと逃げるように通り過ぎていくそうです。東京での話しです。道が込んでいても、彼の周りは、半径2メートルくらい、人がいなくなってしまうそうなのです。スタバに入って一服しようとしても、店内の人々が彼をあからさまに避けて、隣に座っていた人達もいぶかしい顔をして、彼を避けて遠ざかって、席を移動してしまうそうです。「みんな、ほんとにひどいんだよ。僕がとび職の格好をしているだけで、避けて、周りに人がいなくなってしまうんだ。全員が例外なく僕を避けるんだ。毎回そうなんだよ。人間って、見かけだけで人を差別して避けるなんて、なんて愚かな生き物なんだと悟ったよ。いつもスーツ姿のときは、誰も僕を避けて通ったりしないのに。」と、彼は語っていました。 この話、本当に私はびっくりしました。まさか、人々は、外見の格好で、そこまで差別して避けるなんて、そこまであからさまにひどいとは想像が及ばなかったからです。多少、一部の人だけが避けるのではなく、全員があからさまに彼を避けるなんて、それはひどい話だと思いました。恐ろしい話しです。人間って、普通は、見かけだけで人を差別して、避けたり近づいたりしてしまうものだということでしょう。愚かなことですが、人間とは、相手の格好や服装から、見た目だけで判断して、つきあうかつきあわないか決めているものなのでしょうね。 この人間の愚かさを考慮に入れると、若い女性ほど服装の選び方を気をつけたほうがいいです。実は前から、手相やタロットのお客様にもすすめてきましたが、特に彼氏募集中の若い女性は、素材と仕立てがきちんとした服を身に付けたほうが、格段に出会い運がアップして、最初からしょうもない男性は声をかけてこなくなります。 ヘアスタイルは顔の額縁、服とアクセサリーは自分の鎧です。男性は、服装にはあまり気を使わなくてもいいし、仕事と中身で勝負でいいと思います。しかし、女性は、普通は男性から声をかけられるまで待っていて自分からは声をかけない人が多いので、しょうもない男性から声をかけられないように跳ね除けるガードはあったほうがいいでしょう。そういう場合は、きちんとした服装がガードになって身を守ってくれるので、しょうもない安っぽい男性は一切近寄って来なくなります。自分と似たような波動のものを、男性も含めて引き寄せるのです。波動の法則です。 前に、日本でガングロやヤマンバのファッションが流行りましたし、日焼けサロンで肌を焼いてケバい化粧や茶髪にする女性もいらっしゃいますが、これは、良縁と出会う方向とは正反対の道を一直線で進んでいることです。こんな格好が流行っているとは、彼女たちは変な動物霊に憑依されているのかなと本能的に思ってしまったことがあります。(親にエサだけ与えられて放ったらかされているから動物霊が憑依するのでしょうか? 親の教育って大事です。)若い女性がこんな格好をしていたら、同じような動物霊が憑依した男性しか寄ってこないです。 せっかく若い女性なのに、白髪でもないのに茶髪に染めるなんて、もったいないことです。東洋人で若いなら、黒髪が一番美しいのです。ヤンキーの格好やボロいパンクのような格好もやめたほうがいいです。それこそボロボロな男性が寄ってきます。女性らしさがみじんも感じられないハードすぎる格好も良くないです。これではまるで商店街のおばちゃんです。誰も寄って来なくなり、30代を超えてから不倫に走りがちになっている女性が多いです。ケバ過ぎる化粧もやめたほうがいいです。 何事もバランスよく、多少は女性らしさを表現したファッションの方がおすすめです。男らしい良い男性が寄ってくるようになりますから。私は、若い女性たちには、少しでも幸せになってもらいたいという愛情があるので、最近は身の周りの人々から、少しずつ服装について教えています。その結果、1000人に一人くらいは、良縁を手に入れて幸せな人生を送る人もでてくるだろうと確信しています。
2007年12月18日
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2006年10月19日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.81 06/10/19 (木) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? ニューヨークは、秋になり、とても過ごしやすい季節で気持ちがいいです。 さて、前回のメルマガで、アーティスト&作家としてメッセージを公に発信するために、私は人生の前半でその土台となる教養を身に付けるために様々な分野の勉強を長く長く積む人生設計をしてきたということと、哲学者のレオ・バスカーリアが生涯でたった一冊だけ作った絵本で「葉っぱのフレディー」という名作を残した、そういう厳選した作品だけを残すという生き方のほうが好きだ、というお話しを書きました。 それに対して、いくつかお便りを頂きました。身近な人からの感想もありました。私の、芸術家として生きる真摯な姿勢に共感する人が多いので、ありがたいことだと思いました。「ものを書いたり作品を作り出すために、そこまで真摯に土台作りにとりくんで色々勉強しているなんて驚きました。ぜひそういう人が書いた本こそ読みたいです。本が出たら、ぜひメルマガで知らせてください」「アーティストになるからこそ、経済学部で勉強したということは、とても正しいとおもいます。人々にメッセージを発信するのですからね!」「ブルーシャさんが経済を学んだというバックボーンがあることは、芸術家としてとても正しいですよ。ゲーテに似ていますね!彼は、法学部だし政治にも関わっていたうえに、歴史に残る名作をたくさん残しましたから。色彩論も残しているから、ゲーテは本当にすごい芸術家ですよ」などなど。「ゲーテに似ている」だなんて、“おありがとうございます”。恐れ多いですが、大変光栄です。ゲーテのように歴史に残るようないい作品を生み出せるかどうかはまだ分かりませんが、私の目指す方向と作品に対する取り組み方の姿勢は、ゲーテによく似ています。人々のためになるようないい作品を生み出そうと思ったら、自然と、「学んで土台となる教養を身に付けよう」という意識になってしまうものなのです。(ゲーテ:ドイツの裕福な家庭に生まれ、法律を学びヴァイマール公国の宰相を務めた。詩人、劇作家、哲学者として多くの作品を残し、晩年は色彩学に没頭した。ヴァイマール公公国枢密顧問官・政務長官 (1749-1832).) ただ単に、頭の中身が無いうちから一生懸命毎日作品を書こうとしたって、何も出てこないのは当たり前です。そんな姿勢で作品を公に発表したら、お金を払って買う人に失礼ですね。中身が無いのに一生懸命やっても、果てしなく無駄が広がっていくばかりです。 作家とか芸術家は、一生懸命に毎日作品を作り続けるということよりも、中身である教養を積み上げてから、作品数は少なくてもいいので厳選して名作を残す努力をするほうが、読者など人々のことを尊重しているのです。人々のために書こうとしている、いい作品を作ろうとしているという姿勢のほうが重要です。その反対に、ご飯を食べるために職業として続けて、駄作でもいいから毎日一生懸命たくさんの作品を作るという姿勢は、人々を尊重していないと私は感じます。 ゲーテなんて、ファウストを”60年”かかって書き上げたそうだし、色彩論は晩年になってから取り組み始めたことだそうです。それこそが、芸術家の生き方の鏡です。 芸術家として生きるという道は、「芸術家道」とでも言い換えられることで、他の職業のように、サラリーマンとして生きる生き方とは、全く性質が違うものです。「道」ですね。「茶道」や「武道」と同じようなものです。 会社勤めは、お金をもらって自分の受け持つ与えられた仕事を会社の中で毎日こなしていくことですが、芸術家や作家は、普段生活に追われて考える時間や余裕のない人々の代わりにじっくり哲学して学んだことを、作品に表現して社会に還元していく役割です。 考える時間や余裕がない人々や、何かにつまづいて迷える人々や、立ち直るヒントを探しに本を手に取る人々などに向けて、何か新しい視点や解決方法、生きる意味やきっかけになるようなヒントになるようなものを人々の代わりに作品として送るのが芸術家の仕事です。 人の何倍も勉強し続けて土台となる教養がなければ、人々のヒントになるようなメッセージを送ることは決してできないと、私は思っています。教養が無いのに文章を書くなんて姿勢は、なめた姿勢で、読者のことを尊重していないとしか考えられません。 私は、最初から、子供の頃から一貫して、芸術家になりたかったので、上に書いたようなそういうことを色々考えて努力し続けてきました。言っていることとやっていることは、幼少時からずっと一貫し続けています。霊感のせいもあって、霊感で一瞬にして本質を見抜いてしまうので、迷いがないのです。いつも一貫しています。ブレません。 そして、宇宙の法則に沿って、霊的にどれが正しくてどれが間違っているか一瞬で分かってしまうので、いつまで経っても一貫して揺らぎません。 霊感が無くて道につまづいて迷っている人々に、きっかけになるヒントとして、「どれが正しくてどれが間違っているのか」という内容を、工夫してオブラートにくるんで書いていきたいと計画しています。見抜いた本質を、分かりやすく文章化して、コンスタントに本として出版していこうと思っています。それこそが、他の作家には出来ない、私にできるお役目だと理解しています。 メルマガは、読者の反応がリアルタイムで返ってくるので、ご意見がとても参考になります。私も、その度に、書き方を考え直したり、どこまで書いていいのか検討し続けるきっかけになっています。どのくらいまでの内容なら書いてもいいのかということは、その一線を決めるのは微妙なテーマです。今までも賛否両論ありましたが、このメルマガは、題名が題名なので、できるだけ本音を書こうと努力してきました。 特に一般的な意見とは違うこと、何か人と違った意見を書くと、賛成と反対と、ものすごい反応が返ってくるものです。かといって、波風立てないように考えてから文章を書くと、当たり障りの無い、毒にも薬にもならないような、他の人でも代わりに書ける程度の内容の文章や、まるで道徳の先生のような文章しかでてきません。それなら、私が書かなくてもいいということになります。ジレンマですね。 心の師として仰いでいる詩人&芸術家のジャン・コクトーは、晩年に、「人生で、書くことができないことを書かなさすぎて、書かなければならないことを書きすぎたことを、今、とても後悔している」というような内容の文章を書き残しています。 これは、今になって、私も彼の気持ちがよく分かりかけてきました。彼自身も、作家で芸術家だったので、読者のことを想像すると、どこまで書いていいのかどうか、その一線を考えて左右されたことがあったはずです。 このメルマガは2年続けてきましたし、七福神の音楽を制作する前から最中、その後のお話まで、リアルタイムで書いて、記録になりました。霊的なことも混ぜて書いたので、本音をつづって、率直に意見を述べてきました。 それが、良かったのかどうだか、ジャン・コクトーのようにふと考え直したりしていた矢先、最近になって、私の1冊目の本を絶賛してくださっている名編集者やその周りの人達が、この過去のメルマガを大絶賛しています。本当に、私にとっては予想外で、びっくりしていまいました。こんな独我論を、一般的ではない意見を、プロ中のプロが絶賛するなんて、意外でした。「構えず自然体で語っているのがとてもいい印象を持ちました。」とか、「文章、内容、本当にその通りであり素晴らしいの一言です。揺らぎがなく、深みもあり、感心いたしました。このままでも出版できるレベルです。」などです。 これは、本当に予想外でしたので、驚いています。 あれ?今まで周りでメルマガの書き方に反対していた人達は、あれは一体、何だったのだろう?と思いました。 率直に意見を述べるということは、自然体ということですものね。その自然体なままでいいのか、それをオブラートにくるんで一般に受けるようにしたほうがいいのか、どっちも、それぞれ受け入れることができる人と出来ない人に分かれるようですね。 自然体に書いてきて、色々な反応があり、反対して離れていく人もいたし、絶賛して熱狂的な読者もでてきました。でも今、こうやって、素晴らしい名編集者たちに出会うことが出来て、ここ数ヶ月で、私の周りで出入りする人の種類がガラッと変わっていったので、今、私の運気(?)か霊的レベルが向上してきているのを体で感じています。私自身が成長して、私の運気と霊体が急にアップして変わってきたという証拠です。出会う人達の種類がさらにレベルが高い人達に変わってきました。人生が面白くなってきました。
2007年12月17日
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2006年10月11日発行号 公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.80 06/10/11 (水) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? 私は、超長期の一時帰国から、ようやくニューヨークに帰ってきました。仕事と商談のための帰国だったので1ヵ月半かかって、すごく忙しくしていました。4年前までフルタイムでスペインの美術学校に通っていて留学生をしていたので、そのあとやっと(笑)ニューヨークで社会人になってから4年が経ち、ようやくアーティスト活動が軌道に乗ってきたところです。つい4年前までずっと学生だった頃は、あまり働いていなくて勉強に集中させていただいていました。学生の時は勉強が仕事なので、労働には時間を避けませんね。今もニューヨークでジュエリーを2年半ほど勉強中なので、半学生生活を続けながら、アーティストとしての仕事を少しずつ広げてきています。 私は人生の前半をずっと学生生活に費やして長い間勉強させていただくことができたので、アーティストとしての土台となる教養を身に付けることが出来て、ありがたく思っています。勉強する機会を長く長く与えていただいたことを、神様に大変感謝しています。 私の守護霊からのご指導で、「勉強期間は長ければ長いほうが良いのです。あなたはもっともっと勉強しなければだめです!まだまだ足りません。勉強を続けなさい!」と、すさまじく厳しいお導きがずっと続いていました。そのうえ、「美術や音楽、人文だけの分野では偏るので足りない! あなたは経済学を勉強しなければダメです! 人文系の人間になってはいけません! スペイン語も極めなさい!」、「“子育て”は“子育てられ”という魂の修行ですから、今はあなたは子育てはしなくていいから、とにかく土台作りの勉強を先に優先してやっておかなくてはダメです」とまで、厳しい厳しい霊界からのお導きが続きました。それから私は逃れられませんでした。 霊界の先生方は、ほんとに厳しかったです。でもそのお陰で、アーティストでは珍しく、経済・社会や法律の情報にもアレルギーを持たずに理解して駆使する土台が出来たので、お陰さまで幅の広い人間になりました。 私は、実は1年間に3回くらい40度くらいの知恵熱を出して倒れて寝込むほど、脳みそのあらゆる分野をフル回転させられた人生が、超長期間続きました。脳って、使いすぎると熱が出るのです。学生期間が終わった今はもう知恵熱を出すことはなくなりました。生まれ持った私の宿命なので仕方がなかったですね。 人生の前半で霊界からのご指導に素直に従って私のお役目を果たさせていただくことに専念して、私が長く勉強を続けた分野は、「美術」、「音楽」、「執筆業」の3つの分野です。 それ以外の土台は、「クラシックバレエ」、「経済学」(経済学部出身)、「スペイン語」(最上級レベルディプロマ(=教師資格)取得)です。経済学とスペイン語などの視野の広い私のバックボーンから、スペインに住んでいるうちに自然に気が付いてマスターした「比較文化」もそうです。 霊界からの、「もっと勉強しなさい!」「ニューヨークに引っ越す前にスペインに留学しなさい! ニューヨークに直接行くだけでは足りません! あなたはメッセージを発信する人間として、ヨーロッパ大陸での見聞がなければダメです!」、「勉強が足りないと来世でお役目をやり直さなくてはならなくなりますよ!」というご指導が、やっと4年前に一段落して、次の段階に入りました。スペインからニューヨークに引っ越してきて4年経って生活が落ち着いて、ようやく、今まで吸収してきたものをシェアするために外に出す時期に入ってきました。 今から思うと、自分で客観的に冷静に見ても、一人の人間が、これだけ様々な専門分野を身に付けて兼ね備えているということは、メッセージを発信する側の作家として、何事にも変えがたい財産で、なくてはならないものです。 それぞれの分野が、ちょっとかじっただけのものではなく、専門分野としてどっぷり勉強して全てその道のプロとして生業にしていくレベルまで到達させられました。全部の分野を、霊界の先生方は、中途半端なレベルまででは私を許してくれませんでした。「ちょっとだけの勉強ではダメです!あなたはそれぞれの分野をプロの域まで勉強して到達しなければなりません。その能力がなければ、あなたのお役目を果たすことが出来ません。」と、お導きが続きました。 霊界が言っている通り、良く考えると、文章を書く職業の人間は、人文の分野だけではなく美術や音楽など芸術と、「経済」や「法律」の知識を兼ね備えていた方が、それだけ深い普遍的なメッセージを発信できる可能性が高くなると思います。 もしも芸術が分からなかったり、経済や法律に疎かったりしたら、出てくる文章が非常に偏った狭い視野のものになってしまっていただろうと気が付きました。狭い視野だと普遍的な文章(時間に淘汰されて残っていく文章)は決して書くことができません。 確かに、霊界の先生方のお導きは、理にかなっていたのだなと気が付いて納得してきた今日この頃です。霊界の、三つ巴分野作戦だったのでしょうね。霊界の非常に高次の次元からのご指導だったので、それはとても厳しいものでつらかったですが、私は熱を出しても音を上げず、なんとか土台作りをやり遂げることが出来た様子です。 長く勉強をし続けた今後は、これまで長く積み上げてきた教養の土台を、日本の読者の皆様に本という形で出版して、作家として活動を続けて社会に還元させていただきたいと考えています。霊界からのご指導で人の何倍も身に付けた教養から派生する、新しい視点や世界観をシェアして、社会に還元することが、社会に対する恩返しだと思っています。再び2冊目以降の私の著作を日本で出版していくことになったということは、霊界からの、「そろそろメッセージを発信していきなさい」というお導きだと解釈しています。もしメッセージを発信する必要がなければ、出版できないはずですから。 絵画も本業なので、今後、私は、絵本という形でも作品を作っていきたいと温めています。 世界の名作の絵本に、「葉っぱのフレディー」がありますが、これは、「生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか」という作者の哲学が込められています。最近人から奨めていただきましたが、素晴らしい内容の普遍的な絵本です。時間に淘汰されて歴史に残っていく名作です。 作者は、レオ・バスカーリアという人で、彼は一生にたった1冊だけ、この絵本しか作っていません。彼はなんと、絵本作家という職業ではなく、哲学者だったのです。アメリカの著名な哲学者です。彼は、哲学を深く勉強したお陰で、その教養から派生した深いメッセージを、絵本という形にしたため、普遍的な名作が生まれたのです。絵本作家という職業でたくさんの作品を作っていく方法よりも、哲学者として生きて、たった1冊の絵本で名作を残したのです。普遍的な作品を残すためには、身に付けた教養と内容の方が大事なのです。普遍的な価値のない作品は、時間に淘汰されて、忘却の海に沈められていくものです。 これによって、私は、再び、人の「職業」について、考えさせられました。「“絵本作家”とか職業をカテゴライズして内容の薄い本をたくさん作る人よりも、深い教養を身に付けてメッセージを厳選して発信して、1冊だけでも普遍的な作品を残す人のほうが、私には尊敬できるな。生み出す作品の数の多さではなく、質のほうが大切だ。数を作っていればいいってものじゃない」と、つくづく思いました。 「絵本作家でないと絵本を発売したらだめだ」とか、「画家でなければ絵を描いて売ったらダメだ」とか、「音楽家でなければ音楽を発売したらダメだ」とか、「ジャーナリストじゃなければ情報を発信してお金を得たらダメだ」とか、人間界の世の中では、「職業を1つに絞ってカテゴライズして生きなければ生きていきにくい」という暗黙の呪縛がまかり通っています。 「1つの職業を貫く」ということは、「他の教養を身に付ける可能性を除外する」こととほとんど等しいので、どうしても視野が狭くなってしまうというマイナス面も併せ持っています。絵本で例えると、視野が狭い作家からは、「葉っぱのフレディー」のような普遍的メッセージをたたえた名作は生まれてくることは不可能です。同じく視野の狭いジャーナリストからは、視野の狭いメッセージしか生まれてきません。 生き方とは、その人それぞれの人生観や好みの問題ですが、私は、このレオ・バスカーリアのように、教養の土台を深めて、できるだけいい作品を世の中に発表して、普遍的な作品を作る努力をしていく生き方が好きです。彼のお陰で、自分の生き方についても、ゆるぎなく確信を持って選ぶことができました。私はこれからも、自分のことを音楽家とか作家とか画家とかカテゴライズせずに、それぞれの作品の数は厳選して少なくていいので、いい音楽、いい絵画、いい本だけを作って公に発信していきたいと、改めて決心した今日この頃です。
2007年12月16日
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2006年9月30日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.79 06/09/30(土) 発行 皆様、こんにちは。私の強烈な独我論を展開している、メルマガを読んでいただいて、ありがとうございます。題名が題名なので、本音を書くようにしています。言葉をオブラートにくるんでいないので、あまりにも独我論です。 スペインに6年も住んでいたときに、スペイン人の「丸出し」で言いたいことを本音で語り合う習慣が心地よくなってしまいました(笑)。大目に見てやってくださいね。「私の最初の著作より」 帰国中に色々出版社に興味を持っていただけて、私の1冊目の著作「マヨルカ島のゲイ友達」(ポット出版、2001年出版)を大絶賛してくださっている名編集者にもお会いしたので、大変光栄でした。私の愛読書を作ったようなすごい編集者が、私の本の内容の濃さをすごく褒めていらっしゃったので、嬉しかったです。ほんとにびっくりしましたよ。 それで、何年かぶりに自分の著作をもういちど読み返してみたら、「あれ?こんなこと書いたっけ?」と、書いた内容を細かいことは忘れていたくらい、濃い充実した一字一句の内容で、自分でもキツネにつままれたような気持ちになってしまいました。取材に3年かけたし、体験に基づいて、比較文化を地でいっている内容です。そして読み進めるうちに、「あ!そうだったっけ!これで宇宙的に正しいんだった! これで良かったんだ!」と普遍的な価値観の気付きに至って、現在の自分が過去の自分の本に救われました! それはインタビュー集で、Bが語ったその箇所を要約すると、「まだ会話をする準備ができていない人と話をしていると、僕が愛情を込めて言ったことを悪く受け取って怒ってしまう人もでてくる。怒ったままの人も。そういう人は僕の友達にはなりえないので、‘ほな、さいなら!‘でしたね。」とのこと。「ふ・深い・・・」。その通りですね。 自分でインタビューして縮めて書いた本なのに、すっかり忘れていました。スペインは、言葉をオブラートにくるまずに、本音で話す文化なのです。そのため、みんな伸び伸びとしていて、人間が縮こまっていないので、中には自分の持つ能力と可能性を最大限に伸ばすことができた人々も大勢でてきます。だからこそ、ダリとかピカソとか、ミロとか、歴史的大芸術家がたくさん出てくるのです。そういう土壌です。私は、人間の持つ潜在的可能性と才能を最大限に伸ばせる状態が、一番理想的だと思っています。 ニューヨークに引っ越してきて10月で丸4年が経ち、6万人も(!)日本人が住んでいるニューヨークの日本人社会が巨大な世界で再び日本人たちと交流するようになり、また時々窮屈な生活になってきていたのです。 すっかりスペインで伸び伸びとした丸出しな生き方が気に入った私は、ここでも、そのスペイン的な調子で話をしていると、「そんなことは言わない方がいいよ」とか、「そんなこと言ったら角が立つよ」とか、知人から注意を受けることが多かったです。彼らは、日本から直接、日本人社会の大きなニューヨークに来ていて、他の国に住んだことがないし、他の文化にどっぷり触れたことがないので、どうしても視点が狭くなりがちだから、仕方がないですね。 よく考えたら、私は、幸いにして、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸とアジア(日本)に長期で住んで観察することができたので、3つの大陸の影響をすごく強く受けて吸収してきています。きちんとマスターしたスペイン語の、言語の影響も強く受けています。すごくはっきりした言語なのです。日本語みたいにあいまいな表現はありません。 普通はなかなかできないこんな体験を人生でさせていただいたので、この3つの大陸で学んだことや気がついたことを、もっとこれから本に書き記していかなければならないなあと自覚して、気持ちを引き締めました。これも私のお役目だと思っています。今後はコンスタントに出版していく私の本を読んだ日本の若者が、新しい視点を増やしてくれるきっかけになりたいです。 若者は、縮こまってしまってはいけません!縮んで自分の可能性を狭めてズブズブと沈むようなことにはなってほしくないです。「私のバンドのピアニストが日本で大活躍!」 さて、日本でもう1つびっくりしたことがあります。私のバンドに入っていただいたジャズピアニスト(ハモンドB3オルガンも弾ける人)の、ウィル・ブールウェアが、去年から日本で注目されているのです。 彼が1976年に録音した「クリスタル・グリーン/レインボー~フィーチャリング・ウィル・ブールウェア」(East Wind / 現Universal Music)が、名盤(時間に淘汰されて音楽の歴史に残る録音作品)として再評価が高まったのです。 そして、立て続けにソニー系列のレコード会社から、3枚も新録音のアルバムを発売しています。今年2月には、来日してツアーも行ったほどです。これからも、まだまだ録音を残していく企画を彼は抱えています。来日の様子が、HMVのサイトに出ていたので、参考に貼り付けます。http://www.hmv.co.jp/news/newsdetail.asp?newsnum=602200071 私は5歳から19歳くらいまでずっと電子オルガン(テク二クス)を学び続けたので、鍵盤奏者に関しては特に耳が肥えていてうるさいのです。「私が練習しても弾けないレベル、プロの中でも明らかに世界的に抜きん出ているピアニストにメンバーになってもらいたい」という一心で、探して行き着いたのが、このウィルでした。 ドラマーの紹介で知り合いました。私が練習して弾けそうなレベルのプロはたくさんいるので、ものすごくこだわって選びました。ウィルは、どんな日本人のピアニストが逆立ちしてもかなわないようなレベルの、歴史的なピアニストだと思っていましたが、本当にそのような評価が高まってきたので、私の審美眼は正確でした。 霊感を使っているのかもしれませんね。私が周りに言っていたとおりになってきています。 他の全ての楽器のミュージシャンたちも、ウィルと同格の凄腕のズバ抜けた才能の人ばかりを集めたので、私の中ではできるだけの努力はした自信があります。霊感を酷使してプロの中で才能が抜きん出たミュージシャンたちを選び抜きました。どうしても、こだわっていい録音を残したかったからです。名盤並みの音に仕上がったと、自分では自負しています。このくらいのこだわりがあったからこそ、自主制作で発売を始めて、お客さまにお奨めしました次第です。自信がない作品を、「いえ、それほどでも・・」とか、「つまらないものですが・・・」などと人にお奨めすることは、私には出来ません。 ミュージシャンは、歴史に名を残すようなレベルの人は、明らかに抜きん出ています。持って生まれた才能としか言いようがありません。並のプロがいくら長い時間をかけて一生懸命練習しても、持って生まれた才能があるほんの一握りのミュージシャンにはかなわないのです。 ジャーンと一音鳴らしただけで違います。そんな歴史的にすごい人は、プロのなかでも、ポツン・ポツンとしか、たまにしか存在しません。ほとんどが並のプロで、ほんのわずかがスバ抜けた才能があるのです。厳しいですが、それが現実です。 上手な人はいくらでもいますが、才能がずば抜けた音を鳴らせる人は、ほんのわずかなのです。 私は、それに早めに気付いて、「ジミー・スミス(オルガンの巨匠)にはどうしてもかなわないな・・・。私は音楽にしがみつき続けるのではなくて、他にもっと自分に向いている才能があるのかもしれない。自分に向いている才能を伸ばしていこう」と悟りました。 それで、自分で実際に弾くのを辞めてから、音楽のアレンジや構造の研究をしはじめて、レア盤を集め、スペインでレジデンスDJになっていきました。 耳の感覚だけは確かなので、いいミュージシャンを集めて自分でプロデュースして、名盤並みの録音を残そうと努力することはできます。 何事も、自分に向いていることを伸ばしていけばいいと思います。私が、もしいつまでも弾くことにだけしがみつき続けていたのなら、今日の私は決して無かったです。 自分に向いていないことはしないで、自分に一番向いていることは何かつきつめて考えて、向いていることやもとから才能があることを伸ばしていくといいと思います。 私の場合は、オルガンを弾くのを辞めてからDJになり、録音のプロデューサーになり、絵(美術全般)の才能を徹底的に伸ばすことにこだわり、文章を書く仕事も続けてきました。全部、一番自分に向いていることだけをやっています。 私はきっと自分で自分のことをよく見つめてきたので、自分のことがよく分かっていて、自分に何が向いているのか慎重に考えたのです。「汝自身を知れ」という聖書の言葉は、真実ですね。
2007年12月15日
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2006年9月22日発行号 公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」vol.78 06/09/22 (金) 発行 皆様、こんにちは。もう秋ですね。時間が過ぎるのは早いものです。 さて、前回のメルマガで、「若い未婚の彼氏募集中の女性ほど、安っぽいものを着ないようにして、高級で上等な仕立ての良いものを身に着けると出会い運が高まりますよ」と書いたら、男性女性両方から反響が多くありました。「絵画教室に参加してみたい」という問い合わせもありましたが、大歓迎です。誰でも気軽に参加できます。私が気がつく範囲でしたら、服装の選び方についてアドバイスもできますので、ご遠慮なく、ついでに何でも相談してください。 やっぱり、人間だから、世間では、そういう外見で人を判断するところがありますよね。アメリカなんて、日本以上に、外見(服装)で人の中身まで判断されてしまいます。なぜ大多数の人間は、外見だけでその人と知り合うか知り合わないかまで判断してしまうのか、どうしてそうなるのか、しばらく考えてみましたが、「みんな普通は霊感がないので、どんな人なのか見ただけでは分からないため、目で見える外見の様子でその人の出身階層(クラス)を想像して判断する」ということではないでしょうか? 前回、「出会い運が高まります」と私が言葉を選んだニュアンスは、「霊的にも精神的にも上等な男性と知り合って、結婚につながること」という意味です。霊的にも精神的にも安っぽい男性からしかお声がかからないことを「出会い運が悪い」、その反対に霊的にも精神的にも上等な男性からお声がかかることを「出会い運が良い」と表現しています。霊的に上等な男性は、生まれ変わった回数が圧倒的に多い古い魂なので、もちろんもとから優秀だし、仕事もできるし、男らしくて強いです。上等な男性も人間ですから、ちゃんと女性のことを観察していて、自分につりあっている女性を選んでいるものです。お目が高い男性の目に留まるには、出会う前から中身も外見もきちんとしておく必要があります。 これは10代から気をつけておくほうがいいです。親が、全ての物(服装、教養、文化)のクオリティーについて、子供に教えておかなければならないはずです。 私はスペイン時代から、手相鑑定とタロット鑑定を長く続けてきたので、さまざまな悩みを抱える人たちに接してきました。その結果、出会い運が悪くて安っぽい男性と結婚してしまって、後で色々な問題が起こって離婚してしまった人や、安っぽい男性しか寄ってこなくて35歳以上で不幸そうになっている女性が、世の中にあまりにも多いのです。 そして、そのほとんどが、「過去にお付き合いした安っぽい男性の悪口を言い続けている」のです。「あんな男!」とか、「あのバカ!」とか。ひどいものですね。自分が選んでお付き合いさせていただいた男性に対して暴言を吐き続けるなんて、それは、自分に対して「このバカ!」と言っているのと同じことだと思います。 そんな安っぽいクダらない男性しか寄ってこなかったにせよ、消極的に自分で選んでその男性とお付き合いしているということなのですから。 それで彼女たちに、「じゃあ、なぜそんなしょうもない安い男性と付き合ったのですか?(OR 結婚したのですか?)」と聞くと、「向こうが言い寄ってきたから。」と答えるのです。「言い寄ってきたからって付き合うのですか? 自分でいいなあと思える人を選ばないのですか?」と聞き返すと、「言い寄ってきた男性のなかから選んで付き合う」と答えました。 私はあっけにとられることが多いです。「向こうが言い寄ってきたから」と相手のせいにしているのですから。 こういう人たちが減ってみんなハッピーになれば、世の中はもっとハッピーになると思っていますので、その出会いの前の段階から、せめて出会い運を少しでも高めておくことをすすめるほうが、人のために役立つかなと考えています。 もちろん、出会いの前はクラスの高い服装を心がけることも大切ですが、中身である価値観や考え方、教養を身につけておくこと、性格を良くしておくことはもっと大事です。せっかくいい男性から声がかかって知り合ったとしても、話が合わなかったらお付き合いが続くはずがありませんから。 結局は、自分と似たもの同士、同じような波動の人同士しか仲良くなりようがありません。あまりにも波動が違いすぎる自分以上にずいぶん霊的に上等な人とは、知り合えたとしてもそのあとの付き合いを続けていくのは無理があります。外見をきちんとしているだけでは、出会い運は高まりますが、長くは続かないでしょう。 それにしても、私には、一度でもお付き合いした男性とか自分が結婚していたことがある男性に対して、「あのバカ!」とか、「あんな男!」だなんて、悪口は言えません。言おうと思うことさえないです。 その男性一人を見るのではなく、その人が成長する背後で、両親が大切に育てて可愛がられてきただろうし、その人が今存在しているのはそのご先祖たちのお陰でもあるし、いったい何人の人々にその人は支えられてきたのかその愛情の量を考えると、「ありがとうございます」という感謝の気持ちしかでてこないです。「この方を育ててくださいましてありがとうございます。現在は、彼は私と親しくしておりますが、この方を大切に扱わせていただきます。お預かりさせていただきます」と、彼のご先祖と主語霊の方々に、いつも感謝の念を送っています。 このように考えると、悪口なんて出てくることは決して、永遠にないです。 今回のメルマガに対して、男性陣からの反論もありました。「そんなの、しょうもない下司な女に、きちんとした服を着るのをすすめて出会い運を高めるなんて、僕は反対です。仮にクラスの高い格好に変えていい男と知り合ったとしても、そんな女をつかんだ男の方に僕は同情します。いい男って、男から見ても本当に素晴らしいヤツだから。男にとったらありがた迷惑です。なんでしょうもない女をいい男にあてがう必要があるのですか? いい女は周りが放っておかないし、すぐにいい男性が見つかっているはずです。クズ女はクズ男としかくっつきようがないのです。今の時代に、負け犬女という現象がでてきたのは、僕から観たら自然の摂理に戻ってきて本来の姿になってきているというだけです。長い目で見たら人類のためです。」って! 男性って、結構、厳しい目で見ているのですね。 男性の立場からみると、こんなふうにとらえているのか~!とビックリしました。恐れ入りました。
2007年12月14日
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2006年9月2日発行号公開: 続きブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」vol.77:続き 06/09/02 (土) 発行「若い女性ほど、高級で上等な洋服を!」 私の、アクセサリや小物や服の好みは、「エレガント」、「フェミニン」、「シック」、「カラフルでバランスも取れている色彩の組み合わせ」です。 モノトーンは基本的にあまり好きではありません。たくさんの色彩に満ちた、綺麗な色の、カラフルなものが好きです。柄は、小花とか小さな模様よりも、大きな模様のものが好きです。色の波動をふんだんに受けたいので、いつも色の綺麗なものを身に付けるようにしています。 そして、できれば、素材が高級で仕立てに手の込んだ良いものがいいです。服の細かい形よりも、色使いと素材のほうを重視しています。 前にもメルマガで書いたり、手相やタロットのお客様にもすすめてきましたが、特に彼氏募集中の若い女性は、素材と仕立てが高級で上等な服を身に付けたほうが、格段に出会い運がアップします。出会い運がよくなります。 ヘアスタイルは顔の額縁、服とアクセサリーは自分の鎧です。 全てのものは、それぞれ特有の波動を発しているので、服やアクセサリーも波動を持っています。特に、服は面積が大きいので、その波動の影響は思っている以上にとても大きいです。 高級で上等なものは高級で上等な波動を発していて、その反対に安っぽいものは安い波動を発しています。 上等な波動には上等な人が吸い寄せられて寄ってくるし、安っぽい波動には安っぽい人が寄ってきます。上等な男性に寄ってきてもらいたければ、自分の波動を上等なものにしなければなりませんが、若くて中身が追いつかない時期には、鎧である服やアクセサリーを上等なものに統一するだけで、自分の波動を高める手助けになるのです。 顔の化粧やダイエットに力を入れるよりも、服を高級な素材と仕立てのものに変えるほうが大事なのです。 若い女性には、すぐに効果のあるおすすめの身を守る方法です。 ニューヨークには色々な階層の人達が住んでいるので、私自身が実験して導いた結論です。上下GパンにTシャツとか安い素材のものを着ているときは、いかにも安っぽい黒人がナンパしてくることがありましたが、その反対に素材のいい服で全身固めているときにナンパしてくる人は、白人の医者や中東の某国大使などでした。 ちなみに、私はほとんどノーメイクで、ダイエットもしません。数年間のうちにまったく同じ医者が声をかけてきたので、「あ、またあなた!前にも声をかけてきたでしょう!」といってお互いにびっくり仰天したこともあります。その場で七福神のCDを買ってくれましたが(笑)。 それにしても、外見の格好を変えただけで、声をかけてくる人々の社会的な階層がこんなにも天と地ほどに上下に激しく差が出てしまうのでしょうか? 知り合う以前から、こんなに声をかけてくる人々の社会的階層の差がものすごく激しくでるなんて、本当にびっくりしています。知り合う前の段階ですでに、声をかけてくる人を服が選別しているのです。まるで、服にも意識とか意思があるみたいですね。 なぜこんな現象が起こるのでしょうか? それはやはり、それだけ、女性にとって服は鎧の役割を果たすということなのです。服は面積が大きいので、その服の高級な波動や作り手のセンスの波動を発していて、周りに及ぼす目に見えない影響が大きいのです。 彼氏募集中の若い未婚の女性には、私は気がついたら日ごろからこのマジックを教えてあげています。ぜひ、実験してみてください。安っぽい男性と結婚して後で問題が起こって後悔して離婚した人や、ひからびたオヤジしか寄ってこなくて若いのに不倫を長く続けてしまっている人は、今まで自分が着ていた服を上下全部変えるだけで、出会い運がガラッと改善されますよ。 ニットならカシミア、シルクや生地質の良い綿素材100%のものがおすすめで、化繊が何割か入っているものはあまりおすすめしません。ボタンも高級なもの、靴もバーゲンでもいいのでイタリア製やスペイン製の職人が手で丹精を込めて作ったものを選んで履くことをおすすめします。ただ単に、ブランド物で身を固めるのは逆によくないです。ブランド好きなスノッブ達が自分に寄ってくることになってしまいます。 そのココロは、作り手が手を込めたエネルギーとその精神と選りすぐった上質な素材の波動に敬意を表しているということです。そして、自分自身がその上等な波動に包まれて、心地よさを味わうためです。 本質的に自分が気持ちよくなるためにすることです。 決して、高級ぶったりハイソぶっているのとは違うので、誤解なさらないよう。
2007年12月13日
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2006年9月2日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.77 06/09/02 (土) 発行 皆様、こんにちは。私は、日本での仕事のため、一時帰国中です。これからは仕事柄、日本とニューヨークとスペインと、行ったり来たりの生活になりそうです。音楽やジュエリーもそうですが、私の著作は日本で出していくので、制作の拠点はニューヨークで、仕事先は日本が多いです。「デザイナーのスカウトマンに」 最近は、私が発掘するアーティストの作品(アクセサリーや服など)のバイヤーも兼ねています。 将来性のあるセンス抜群のデザイナーを発掘することは、とっても楽しい作業です。私が発掘することがきっかけになって、彼らが将来活躍してくれたら嬉しく思います。スペインに単身で渡ってアートの修行を積み、アーティスト活動を始めて海外に住み続けて十年になりましたが、地道な活動のお陰で、知らないうちに後輩のアーティストを発掘する立場になってしまいました。自分では、まだまだこれからがんばって活動を広げていきたいと思っているし、自分の才能を伸ばすことで精一杯だったので、意外な展開です。まだまだ細腕だというのに、いつの間にか、後輩を育てる立場になっていたのです。 でも、きっと仕事を頼まれるということは、その仕事はできるという宇宙からのお導きとサインだと解釈しているので、引き受けることにしました。 ついこの間までは、色々なマスコミの取材は断り続けていました。ニューヨークに渡った直後に、「日本のテレビで特集番組を作りたいから霊能者として出演してほしい」とか、雑誌でサイキックとして特集に出てほしいと頼まれたことがありますが、全部断っていました。霊能力のことはあまり知られたくなかったので、ずっと奥に引っ込んでいたのです。 それが、自分のそういう意思と反して、七福神が出現してその音楽を形にして発売し始めてからは、肝が座って、霊能力も自分のごく一部分なのだから、隠さなくてもいいという価値観に変わっていきました。「頼まれるということは、それが出来るからだという宇宙からのサインだ」という結論にたどり着きました。そういうわけで、最近のNYジャピオンの心霊特集の取材を引き受けたのです。その結果、反響があったので、引き受けたほうが良かったです。これで学んだので、アーティストの発掘の仕事も引き受けた次第です。 デザイナーの発掘といっても、私のアーティストとしての独断と偏見の好みでお任せしてくれているお仕事で、とてもやりやすいです。私はモードとかデザインを学んだことはないですが、長年、美術と音楽とバレエを学んできたので、ベースになる美的センスは培ってきました。今回のこの発掘の仕事は、まさに私のバックボーンを評価してくださった方からの依頼でした。どれを美しいと感じるかという審美眼は、美術もデザインも音楽に関しても同じものだと思います。 ニューヨークには色々な国の人達が集まってきていますが、私がいいなと思ったデザイナーは、なぜかヨーロピアンばかり! アメリカ人のセンスは、私にとって、なんかダサ~いものが多いです。アメリカンは、大味で大雑把で、細かいセンスまで行き届いていないです。ハンバーガーとフライドチキンっていう印象です。メキシコは面白いものがあります。 アジアンといえば、インドとかネパール、チベットは面白いものが時々ありますが、中国人とか韓国人は赤とか金が多くて押しが強くて引きが無く、大陸的でがさつな感じです。性格も「大陸の人だな」という印象を受けます。スペインもセンス抜群で面白いですが、感性がむき出しになっているような野性的な印象で、フランスやイタリアほどは洗練されていない印象を受けます。日本は、色彩が中間色が多くて、微妙でデリケートな色使いの独特な国なので、探せば日本人のアーティストも面白いセンスの人がたくさんいることでしょうね。 あ、センスいいなと思って声をかけるとき、「あなた、アメリカ人じゃないでしょう? ヨーロッパ出身でしょう?」と必ず聞くと、100%、「そのとおりです! イタリア出身です。」という答えが返ってきますね。イタリア人は、なんであんなにセンスがずば抜けていいのでしょうか? きっと、ブラジルで育ったサッカー選手のようなものなのでしょうね。イタリア人には、血とDNAに、美的センスの良さが先祖代々組み込まれているのですね。
2007年12月11日
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2006年8月16日発行号公開 ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.76 06/08/16 (水) 発行 皆様、こんにちは。お盆が過ぎましたね。遠くに住んでいてお墓にいけない人でも、心の中でご先祖様にお祈りをするといいです。「七福神録音記念日1周年」 8月15日は、お盆でもありましたが、七福神のアルバムを去年8月15日に録音したのでその記念日でもあります。私も周りの関係者たちも、それぞれ各自で七福神にお祈りをしました。 七福神が私に出現して、彼らが私に音楽を送ってきはじめて以来、それから常に私の側に七福神がいて見守っている気配を感じます。できるだけ彼らに対してオープンにして、彼らのメッセージを受信しています。 七福神が出現してからは、それについて周りの身近な人々の反応が、両極端に2つに別れていきました。聴く前から嫌悪感と拒絶を示す人と、何かを直観でピンと感じて「買わせてください!」という人と、正反対に分かれます。 出来上がった音楽の驚異的なクオリティーとか醸し出すバイブレーションで、音楽を聴いてすぐに真実を理解できる人も大勢いて、彼らは感じるままに、毎日この音楽を聴いているそうです。素直な性格なのでしょうね。彼らには、それぞれ、だんだんとラッキーな出来事が起こってくるようになりました。私自身が、この音楽を作って以来、より一層ラッキーな出来事が次々に起こっています。やっぱり、七福神の波動なのでしょうね。そのため、少しずつ、周りの人達にもお奨めしています。 きっと、芸術というものは、音楽も絵画も、受け取る準備が整っていない人には、何を観ても、何も理解できず何とも感じないものなのではないでしょうか。私の音楽は七福神から授かったものですが、それを奨めるときには、受け取る準備が整っている人にしか奨められません。欲しい人だけが買えばいいし、欲しくない人は買わなくていいのです。結局、人それぞれ、自分と同じような波動のもの、音楽も含めて似た波動のものを引き寄せて吸収していくものです。 特に音楽は波動そのものなので、肉体と精神に直接反応し、作用していきます。どれがいい波動の音楽か感じる力、見分ける力は、その人の霊的レベルがどのくらい進化しているかのバロメーターになります。自分の魂が霊的に凹んでいて劣等感がある場合は、素直にその音楽の波動を感じることが出来ないので、何とも感じることができません。その反対で、劣等感がなく、魂が霊的に進化している人は、音楽の波動そのものをダイレクトに感じ取ることが出来ます。リトマス試験紙のようなものです。「どの音楽がいい波動か分からない」という人は、自分の魂がかなり凹んでいて劣等感の塊で、波動そのものを感じ取る野生の能力が衰えている状態にあるので、凹みを治して自分の魂を本来の丸い形に戻す必要があります。なぜなら、音楽を感じ取れない人は、他の全てのものに対しても感じ取れない状態にあり、心が凹んでいるせいで斜に構えたものの感じ方になってしまっていて間違いを犯しやすいからです。そういう人は、感じられないのは音楽だけでなく、「どの男性(女性)がいい人なのか分からない」、「やりたい仕事につきたいけれどお金のためにしたくない仕事をしていてつらくて、どうやって抜け出せるのか分からない」、「誰と結婚したらいいのか分からない」、「どうやってお金儲けをしたらいいのか分からない」、「どこでどうやって男性(女性)のパートナーを見つけたらいいのか分からない」、「なんでこんな人と結婚したのかと後悔していて離婚したい」などなど、自分の身の周りに起こるあらゆる現象について、どれを選んでいいのか分からなくて迷っているものなのです。 人も物事も、全てのものにはそれぞれ特有の波動があり、私達サイキックはそのものの波動をダイレクトに、普通の人達よりも敏感に正確に身体で感じ取ります。死んでいる霊も生きている人間も同じように感じます。ですから物事だけでなく、波動そのものである音や色彩も良いものか悪いものか身体で感じ取ります。 音の波動を感じ取ることが出来るからこそ、物事や情報の波動を感じ取ることができるのであって、だからこそ、たくさんのあらゆる情報の中から重要な情報を正確に瞬時に選び出せるのです。 全ての物事が発している波動を正確に感じて選別して取り入れるので、「誰をパートナーに選んで結婚すればいいのか」、「やりたい仕事をするにはどうしたらいいのか」、「どこに住めばいいのか」などを正確に選び出せるのです。 逆に言うと、良いサイキックの見分け方は、そのサイキックと称している人の私生活、どんな人生を送っているのかを観察すればいいのです。ちゃんと良いパートナーを選んでいてやりたい仕事についているかどうか、幸せかどうかをチェックしてください。正確に全ての物事や人の波動を読み取ることが出来る人が、サイキックなのです。 不幸せな人生を送っているサイキックや占い師のほうが世の中には多いですが、そういう人は大してちゃんと観えていないという証拠です。本当に観えているのなら、そのサイキック本人が幸せな人生を送っているはずだからです。 この世で、音楽こそが純粋な波動そのもので、波動しかないので、その音楽が持っている特有の波動を身体と魂で感知することは、とても大事なことです。音は音霊(おとだま)と呼ばれていますが、音は純粋な波動そのものです。心の凹みをなくして、自分の心を素直に治して、オープンにして、音を素直に感じ取るといいでしょう。 霊界は、素晴らしい音楽と色彩で満ちています。私に何かご霊が出現する時は、必ず音楽と美しい色彩の情景付きです。それほど、霊界は、いつも音楽で満ち満ちています。霊界は波動そのものなので、私にはそのご霊の波動から発する音が聴こえて、その色彩が観えているということです。霊界の全ての現象は、音と色を同時に発して伴って存在しています。音と色抜きで宇宙霊が私に出現したことはありません。 その反対に、人間界は物質界のため、波動が荒くなっているので、全ての現象が発している色彩と音が見えたり聴こえたりしにくくなっている次元の世界です。 人間界に存在する人間は物質なので、音と色が感じにくくなっているのは仕方ないのですが、人間の本体は魂なのですから、音と色の波動を感じることができるようになるはずです。 斜に構えずに素直になること、音霊を素直に感じ取ることに注意を向けて気をつけていれば、音と色の波動をダイレクトに感じることができるようになります。 音の波動を感じ取れるようになれば、他の物事の波動も瞬時に感じ取ることが出来るようになるでしょう。
2007年12月10日
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2006年8月10日号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.75 06/08/10 (木) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは酷暑が過ぎ去って、涼しくなってきましたね。日本はいかがでしょうか。「NYジャピオンの記事」 さて、マンハッタンの心霊スポットの、ミステリーツアーの取材記事が出ました。ニューヨークの週間無料紙の、NYジャピオンの365号です。現在発行配布中のものです。NY在住の方は、よかったらご覧になってみてください。この記事は面白く出来上がって、周りではとても好評でした。(その後、ウェブサイトのeジャピオンでも記事がアップされています。) 3ページの特集記事ですが、私はそのうち、2ページほとんど丸々、大きく掲載されています。暗い場所でサングラスをかけて撮った、あやし~い顔写真が載っています(笑)。 思ったよりも面積が大きく取り上げられていたので、驚きました。好意的に書いてくださっているので、ありがたく感謝しています。“霊感が極めて強いことで知られるアーティストのブルーシャ西村・・・”などと紹介文が書かれていました。(そうか、このように自己紹介をすれば人々に分かりやすいのか、なるほどなと感心しました。いつも自分の自己紹介をどうやって書いたらいいのか悩むことが多かったのです。霊能者であることも、アーティストであることも、音楽家であることも、全て自分の一部なので、全部受け入れてそのまま紹介すれば伝わりやすいのですね。七福神の音楽についても触れてくださっていました。“霊能者”と書くよりも、“霊感が極めて強い”と書いたほうが、読者に伝わりやすいと編集部が判断したのでしょうね。一つ、学ばせていただきました。) マンハッタンの心霊スポットの調査を、私の霊感を使って何をどう感じるかどうか、編集部の方と周りました。霊がいるかどうか確認するためには、赤外線カメラや電磁波測定器を使う方法がありますが、今回は、電磁波測定器で測って裏づけ調査もしました。 まず、心霊スポットで有名なワシントンスクエアで集合して、ゆっくり歩いて、どこで邪悪な霊気を感じるか調べ、私が「この辺りが強く邪悪な霊気を感じます!」と指差したところを、電磁波測定器で測って周りました。そうしたら、なんと、私が指摘した場所に測定器を近づけると、電磁波を示す針が、いっぱいに大きく振り切れてしまいました。「やっぱり! 針が振り切れたでしょう? 何か邪悪な霊がいるときは、その場所に触れると、何かショックな出来事があって落ち込んで“ガーン”と真っ青になるような感じが身体に実際に伝わってくるのですよ。気持ちが悪いのです。あとはきな臭い匂いがしたり、手で触るとピリピリと冷たいものを感じたりします。」などと私が説明すると、編集部の方々はとても関心を持っていらっしゃいました。 他に、アメリカ人の歴史学者も別の日に取材に協力することになっていたので、この機会に、私がマンハッタンでものすごく邪悪な霊気を感じて気持ちが悪い場所について、昔何があったのか、調査していただけるかどうかお願いしました。すると、歴史学者に調査していただけるとのこと! 嬉しかったです! 私が通ってみたところしか分かりませんが、場所は3箇所あって、中華街のジョーズ上海周辺、イーストビレッジの10th St.のAve.B,Ave.Aとイーストリバー方面に行くにつれて増すこと(すごい妖気で気持ち悪くて通れないです)、ソーホーのチャールトン通り全部、を調べていただきました。 すると、ジョーズ上海周辺は、1646年から1872年までポルトガル人とスペイン人の墓地だったそうです。 イーストビレッジのアルファベットシティーの辺りは、1904年にスローカムの大惨事があったそうで、イーストリバーに入港してきた商業船が火事になり1000人もの人が船上や川で亡くなったそうです。私が特に霊気を感じたトンプキンスクエアの10th St.側には、その慰霊碑が建っているそうです。 チャールトン通りは、歴史的には特に何もないそうですが、電磁波測定器の針は、大きく振り切っていて、すごい反応を示しました。でも、この場所は、絶対に何かあったと思います。この通りのチェイス銀行前の四つ角が事故多発地点で死亡事故が多いので、これと関係していると思います。 怖い記事ばかりでは何も参考にならないので、読者に少しでもお役に立ちたいと思い、「ブルーシャさんが行っている除霊と浄化方法」も特集で小さく載せていただきました。(湯船に浸かる、般若心経を唱える、背中を太陽に当てる、水晶や宝石を身に付ける) これで、ちょっとは役に立つ前向きな記事になったと思います。 取材前はお役に立てるのかどうか不安もありましたが、フタを開けると、私の霊感はやっぱりとても正確だったのでホッとしました。 視覚だけでなく、手の触感でも分かります。自分の直観力や霊感は正確なのだという再認識に至り、もっとこれまで以上に人々のために発言していかなければならないと自覚が出ました。「世間に発言していくかいかないか?」ということでいまいち踏ん切りがつかなかったこの頃なので、今回私に向けられたこの取材は、宇宙からのメッセージ、“あなたの霊感で感じたり観えている事はとても正しいのですよ、自信を持って人々に、気付いたことを教えてあげなさい!”ということだと受け止めています。 天からのお導きです。 前に、2004年の年末と2005年の年始に沖縄から来た霊能者の先生とたまたまご一緒した時に、「貴女は霊能者ですよ、それも稀に見る高い能力の霊能者です。それだけ観えているのだから、もっと一歩踏み込んで、観えていることを人々に教えてあげなさい。」と言われてアドバイスをいただいたことを思い出しました。 その時に、「貴女は、何か観えても人に何も言わずに放っておいたでしょう?言ってあげないとだめですよ」と霊能者の先生にしかられて、「そりゃそうですよ、私だって人間なんだし、間違った方向に行動している彼らだって彼らが選ぶ権利があるし彼らの人生があるのだから、私が何か意見を言う権利はないですから、放っておくに決まっているじゃないですか! 何も言えるわけがないですよ。間違っているのは分かるんですがね。」と答えました。それでも、「もっと一歩踏み込んで、人々に言ってあげなさい。特に、色情霊がついている人はたくさんいます。わたくしは、そういう人には、きつく言い聞かせていますよ!」とおっしゃいました。「間違っている人々に、私には何も言えないな・・・」とそのまま時が過ぎ、この沖縄の霊能者の先生に言われたことは保留になっていましたが、今回の取材で、やっぱり私は霊能者だったのかと再認識して、ゆるぎない確信に至りました。 電磁波測定器のお陰と、歴史学者のお陰です。 周りの身近な他人に対して、「間違っているよ」という言葉を使って説明を試みようとしたことはそれから何度もあるのですが、「間違っている、正しいって、じゃあお前は正しいのか! あんただって人間なんだから、どれが正しいとか間違っているとか言うのはおかしいんじゃないか!」と、かえって逆上されてしまうばかりでした。 邪悪な霊や自縛霊や色情霊を呼び寄せて憑依させてしまっているような生き方の人々のことを、間違っているという言葉で表現したのが悪かったのかもしれませんが。そのまま放ったらかしておいて彼らがますます不幸のスパイラルにズブズブとはまっていってしまうのを見殺しにするのは、よくないと思っています。 神様や天使や七福神などいい御霊に好かれて呼び寄せて憑依させるような生き方をしている人々を、「正しい」と、私は表現しています。 これは、宇宙から観て、正しいか間違っているか、ということだと思います。正しいということは、進化の方向に向かっていることです。間違った方向に行っている人々でも、考え方を変えるだけで正しい方向に修正され、幸せになることができます。 私が霊感で感じていることが、思っていた以上に正しかったと証明された今回の件で、死んでいる霊だけでなく、生きている人間に関して感じていることや観えていることも、きっと同じように正しいのかと気付きました。気持ちが悪い人はたくさんいますが、彼らのいい面だけを伸ばして見るようにしているというのに、私の霊体と合わない場合は、自然に遠ざかっていってくれます。守護霊や霊界の先生方が、害のないように調節しているのでしょうね。 言い方、言葉の選び方は難しいですが、できるだけ、公に不特定多数に発言していく予定です。一人一人に、特に間違っている方向にいっている人々に、それについて何かを言うのは、角が立つし大変なことなので、公に本を出したりして、不幸の予防について注意を即していきたいと思っています。そのほうが、皆様が、お好きなときに本を読んで確認していただけると思います。
2007年12月08日
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2006年7月30日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」vol.74 06/07/30 (日) 発行 皆様、こんにちは。暑い夏ですが、お元気ですか? ヨーロッパではまた今年も酷暑だそうで、スペインはまるでアフリカみたいになっていると向こうの友人から聞きました。異常気象のようですね。「不幸の予防」 さて、最近のメルマガで、除霊についてや、変な霊に憑依されないように心身の健康を保つこと、食事に気をつけることなどを書きました。そして改めて、このような内容をもっと多くの人々に知らせたい、不運と不幸の予防方法をシェアすることに力を入れたいと思うようになってきました。 予防って大事で、かけがえのないことだと信じています。取り返しがつかなくなってしまってから治療するのは大変なことで、不可能に近いことも多いです。苦労って自分で作ってしまっているのです。ですから予防に力を入れたほうが、みんな楽に簡単に(!)ハッピーになれると考えています。 そう考えている矢先、某誌から、納涼の、心霊特集の取材の依頼が舞い込んできたので、“あっ!”(オノレの念力のせいかなあ・・・)とびっくりして、取材を承諾しました。最近、メルマガの通りに、“ゴォォォォォーッ”という勢いで“予防方法を人にシェアしなくては!”と強く考えていたので。この取材の紙面では多くは語れないですが、少しは魔除けや不幸の予防方法について触れていただくので、人のお役に立てたら嬉しく思います。
2007年12月07日
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2006年7月15日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.73 06/07/15 (土) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? NYは、6月7月と、ダンスやバレエ公演のシーズン中で、私はせっせと劇場に取材しに通っています。楽しく拝見させていただいています。毎年恒例のリンカーン・センター・フェスティバルも開催されています。こちらも楽しみにしています。「食事が大事」 さて、前回のメルマガで、日頃から心身の浄化に気を配ることが開運につながることについて書きましたが、「このメッセージはとても嬉しいです。参考になりました。」と、いくつか反響がありました。 幸運を呼ぶためには、気力や精神だけではなく肉体のメンテナンスもとても重要なのに、忘れられがちです。特に、食事の大切さは肉体の健康を維持するための基本なのですが、案外それに気付いていない若い人達も多いので心配です。常に食事内容に気をつけずおろそかにして、不摂生を続ければ、10年後くらいには大病をしてしまいます。 例えばガンは、10年かかってできると言われています。ガンになってしまった人は、それ以前の10年間の食生活を反省して振り返らなければならないのです。口から取り入れる食べ物には、十分に気を配ってください。 健全な肉体を持って初めて、健全な精神が宿ります。肉体が病気なのに健全な精神を持つことは不可能です。 日本で最近どんどん増えているうつ病も、根本的には長年食事をきちんと取っていなかったことが大きな原因なのではないかと感じています。肉体的に健康であれば、多少のことではへこまない強靭な魂を維持できるからです。「へこむ」「落ち込む」「自信が無い」「死にたい」などと気持ちがふさぎこんでしまう人は、それ以前の数年間(きっと10年間以上)の食事に原因があるはずです。同じことが起こっても、へこむ人とへこまない人がでてくるのは、10年間以上の食生活の積み重ねに原因があると思います。それほど、口から取り入れる食べ物は、肉体にも精神にも影響があるのです。食べ物はそれぞれ特有の波動があるので、肉体にも精神にも直接影響してしまいます。いい波動の食べ物を取り入れるようにしてください。 また、自分で簡単にできる魂の浄化方法と除霊方法は、背中を朝日に当てることです。他の霊能者の先生もこのようにおっしゃっていました。ですから、これは私だけの意見や勘違いではないと裏づけが取れましたので、貴重な有益な情報として、読者の皆様にもシェアしたいと思います。 なぜ浄化には太陽が有効なのか、その理由は、自縛霊などの悪霊は太陽が大の苦手だからです。例えば、昔事件が多発した公園などで、夜うじゃうじゃいた自縛霊が、朝日が出始めるとサーッとどこかに散っていってしまうのをよく目にしたことがあり、この経験から自然に学びました。太陽には強い浄化の作用があるのですね。特に、朝日は一番エネルギーがクリーンなので、お奨めです。 自縛霊に憑依されている人が、なぜ背中を朝日に当てると良いかというと、人間に霊が憑依する出入り口が肉体の首の下あたりにあるからなのです。 悪霊は、夜は汚い場所や暗くて色情の多い盛り場に集まってきます。こういうところには魂の弱い人は近づかないようにするのをお奨めします。色情霊は、本当にたくさんあちこちにいて、多分その数は悪霊の中で一番多いです。あまりにも何度も観たことがあるので、私はベッドの四隅に盛り塩をして結界を張っています(笑)。 また例えば、不倫は文字通り、霊界の上層部の神様から見ても、人としての倫理を外したことなので、そのへんに山のようにたむろっている色情霊を瞬間で呼び寄せて自分たちに憑依させてしまうことになります。そして、その家庭の先祖の霊や守護霊を何万人も敵に回してしまいますので彼らの怨念をもろにグサッと受けてしまいます。霊だって人間と変わらないのです。不倫にうつつを抜かしている女性は、決して幸せにはなれませんので、お奨めしません。 憑依されてしまうような弱い精神を宿さないために、肉体のメンテナンスとして食事には十分気をつけてください。 毎日の食事の大切さは、本来ならば出身家庭の母親が自分の子供にきちんと教えるべきことです。これは、人生の基本で、一番大切なことです。母親は、子供に健康であって欲しいと願う本能を持っているものです。子々孫々と健康をつなげていってほしいはずです。母親がきちんと食事について教えてきた人は、男性でも、毎日食事に気をつけています。 私は、男尊女卑ではありませんし、男女平等の価値観を持っていますが、結婚して子供がいる家庭の母親は子供と家族の食生活の管理をきちんとするために、仕事を減らして家庭にいるほうがいいという考え方です。 子供の成長期で身体を作っている時期にきちんと食事を作ってあげられない母親は、将来早く子供を病気にして亡くすことになりがちで、結局自分にそのツケが返ってきてしまいます。 母親にとって、自分の子供の心身の健康は、自分が稼ぐお金なんかで引き換え代えにできないものです。霊的に観れば、母親が子供の食事にちゃんとケアしないことは、その家のご先祖様に申し訳が立たないことでもあるのです。 長年の食事の不摂生に気付いた時点で、食事の内容を全て変えてそれを毎日続けると、体質改善できます。身体にたまった毒素を食事によって出すデトックスや、腸を洗浄するハイドロコロンが流行ってきていますが、それを取り入れるのも1つの方法です。富士山のふもとに体質改善センターもあるので、調べてみるのもいいでしょう。体質改善の方法は、現在はとても研究が進んでおり、いい時代です。「予防の大切さ」 食事は健康な肉体を手に入れるための基本で、病気の予防でもあります。 肉体だけでなく、不運の予防も、とても大切なことです。不運になって落ち込んでしまってからケアすることは、ガンになってから治療することと同じようなもので、大変なことで手遅れです。治療不可能なことも多いです。 不運になってから治すのではなく、不運にならないように予防することが一番大事です。不運になって人生が手遅れになってしまったりする前に、若いうちから良く考えて何事も選択し、予防に力を入れるようにしてください。 人生でどれにプライオリティーを置いて生きていけばよいか、霊的に観てどういう価値観だと不幸な人生を予防することができるのか、不運と不幸の予防方法をくわしく人々に伝えていくことにも使命を感じています。 できれば15歳までに知るのがいいですが、20代までに知っておくと、随分違います。 不幸の治療は他の人に任せて、私は、不幸の予防について、少しでも周りの人々に伝えていかなければならないと使命感を持っています。予防は、掛け替えのないものです。
2007年12月06日
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2006年7月5日発行号 公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.72 06/07/05 (水) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは随分暑くなってきて、すっかり夏らしくなりました。アメリカでもスイカが美味しい季節なので、毎日のように食べています。スイカは身体に良さそうですね。食べるとスーッと入ってきて、身体がスイカを欲しているのが分かります。「外でくっつけてきた邪気の浄化」 ここニューヨークは大都会で、良いものも悪いものもたくさん集まっているので、悪い波動を受けないように気をつけたほうがいい場所でもあります。私は毎日、心身の浄化に気をつけています。毎日湯船に浸かって、邪気を流すようにしています。 様々な方々から、「最近運気が落ちている気がして、災難が続くんだけど、どうしたらいいの?」と聞かれます。今日も友人から相談を受けたので、いい機会だと思い、メルマガに書くことにしました。 不運を遠ざけて、運気を上げるには、心身ともに両方のコンディションを整えることが重要です。 健康を維持するために食事に気をつけて、毎朝フルーツを取ること、野菜を多く食べることが大事です。口から取り入れる食べものは、おそろしいですよ。自分の運気に、とても大きな影響力があります。何を食べて生きているかによって、人の運気も変わります。食べ物も波動なので、気をつけなければならないことです。揚げ物は酸化油を食べているようなもので身体に悪いので、私はできるだけ食べないようにしています。 あと、食べ物だけでマルチミネラルは摂れないので、マルチビタミン&マルチミネラルのサプリを飲むとよいでしょう。アメリカでは、日本で高価な健康食品でも安く手に入るので、おすすめです。例えばザクロのエキスは抗酸化作用が強い健康食品ですが、イラン人の必需品なので、NYのスーパーには安く売っていますし、クロレラの何倍も強力なスピルリナも、ハワイ産のものが安く手に入ります。 身体が病気になると自分の波動が下がるので、不運を呼ぶ原因にもなります。 あとは、精神のコントロールです。ポジティブに、前向きに考えて、正しいと思う方向で行動を選び続けていくとよいでしょう。落ち込んだり、へこんだりしないように、精神をコントロールしてください。精神をいかに高く保つかということが、一番大事なことです。 また、毎日、外で受けてきた邪気を洗い流して浄化に力を入れるとよいでしょう。前述したように、湯船に浸かることは、とてもお奨めです。私は、様々な入浴剤やバスオイルを集めていて、楽しんでいます。日本の入浴剤で最近気に入っていたものは、唐辛子エキス入りの発汗のための入浴剤で、冬はホカホカします。唐辛子で痩せるらしいです(笑)。あと、ゲルマニウム入りの入浴剤も発汗にいいですね。 アメリカは様々な国の人達が住んでいるので、おもしろい入浴剤がたくさんあります。死海の塩の入浴剤や、スイスのハーブの入浴剤など。薬局で普通に売っている、世界の温泉地の成分を分析して作った大きくて安い入浴剤もスッとします。 そんな中でも、インドのアーユルヴェーダの入浴剤が最近のお気に入りです。マスタードとローズマリーとミントが入っています。これは強烈で、30分じっと浸かれと書いてあるのでその通りにじっとしていたら、大量に発汗してきます。カゼはこれで治ってしまいます。お風呂から出た後も一晩中、ホカホカして血行が急激に良くなります。暑い夏には、ミントの入浴剤が、涼しくて気持ちいいですよ。 あと、最近はまっているのが、ローズの香りのグッズ! 天然素材のローズの花びら入りの石鹸は、手を洗うたびにローズの香りが充満して、魂までが洗われます。ローズの香りって、多分、魂にいいのだと直感的に思います。私は、ローズの香り無しでは生きていけません(笑)。「いい波動、悪い波動」 友人たちも、いい波動の人々、運のいい人々に囲まれているようにすればいいでしょう。友人だけでなく、身に付けるもの、着るものも、数は少なくていいので質が良くて仕立てが手の込んだ良いものを身に付けたほうが運気が高まります。 きっと、人だけでなく物からも波動が発しているからでしょう。これは、私が今までの人生で経験済みの確かな法則です。 スペインに住んでいた時に家にアンティーク家具が最初から備わっていたので、その良さを覚えて、2年前くらいからアンティークの家具、ヴィンテージ食器を集め始めましたが、重厚な波動からはさらに重厚な現象を運んできてくれるようになりました。 アンティーク家具は、大量生産のものとは仕立てが違うし、素材も合板やオガクズを接着剤で固めたものとは違うので、重厚だし、制作にかけられたエネルギーが大きくて、それがいい波動を発しています。人間の手が込められたものは、とてもパワーを発しています。それにアンティークのものは、価値があるものなら値段は年々上がっていく一方なので、決して買った時よりも値段が下がることはありません。将来高くで転売できるので、利率のいい貯金と同じで、おすすめです。 ジュエリーをやりはじめて、同時に宝石について深く勉強していくようになりましたが、今度は、宝石を身に付けることによって、宝石が運気を運んできてくれているような気がします。ダイヤ、ルビー、サファイアは、特にパワーが強いです。 フタを開けると、結局、私のジュエリーを扱ってくださる銀座の老舗の宝石店の社長も、アンティークが趣味でした。サザビーズやクリスティーズでよく買い物をするそうです。彼の友人たちもアンティークの収集家やショップの人が多いことが分かりました。「なーんだ、同じ趣味だったなんて!」と、意気投合してしまいました。似た波動は集まるのです。私の集めたアンティーク家具が、仲間のアンティークの波動を呼んで、宝石店にめぐり合わせてくれたのではないかと思います。 さらに、いいジュエリーを作りたい一心で、シルバーはやめて、宝石を使ってハイジュエリーだけを作るように変わっていきましたが、お客様の層も変わってきました。品質が良いものが欲しいという本物志向の大人のお客様が、急に増えました。私自身が、思い切って上質で高級な作品にこだわり続けていたら、かえってお客様が増えてき始めました。どの客層にターゲットするかによって、作る物の内容や品質、エネルギーのかけ方が全然違いますね。私は、上質で高級なものを作るほうが得意なので、大量生産して多くの人に売る商売はしませんが、人それぞれ自分の個性に合わせて仕事をして、生きていけばいいと思います。 引き続き、中断していた本の執筆を続けていますので、著作では、精神を高くコントロールして保つことについて、書いていこうと思います。 精神を上質に高貴に保つということは、自分のなかから劣等感を全て無くすということです。これがまた難しいことなので、じっくりと世の中に問いかけていこうと思っています。世の中の全ての問題は、その根源に、人間の持つ劣等感が原因になっているのです。私はそう確信に至りました。
2007年12月04日
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2006年6月20日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.71 06/06/20 (火) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? ニューヨークは、急に暑くなり、すっかり夏らしくなりました。 絵画の個人レッスンの生徒で子供は、とても吸収力が早くて、どんどん才能が伸びているのでびっくりしています。子供の教育の大切さを自覚しました。15歳以下の子供の教育に興味がでてきている今日この頃です。 「霊的な教訓」 さて、数年前から書き溜めていた霊的な教訓についての本の原稿を、現在もう一度見直して、修正しています。このお話が持ち上がった当初は、書き上げてみたものの、イマイチ納得がいかなくて、ずっと2年ほどお蔵入りにしていました。再び書き直してまとめてみようと思っています。 というのも、前回の号にも書きましたが、最近になって、私に尋ねてくる25歳以下の年下の女性たちが急激に増えたからなのです。「どうしたら、そんなふうに生きられるのですか?」とか、「どうすれば、そんなにやりたいことをしながら結婚も出来て幸せになれるのですか?」などなど。「もっと早くブルーシャさんのことを知りたかったです。今までそんな女性が周りにいなかったから。私にも、何に気をつけてこれから選んで生きていけばいいのか、教えてください。本を書いてくださいよ」と、よく聞かれます。 彼女たちにとって、私の存在はカルチャーショックで、新しいロールモデルの1つのようです。私もそれにお答えしたいので、できる範囲で、アドバイスをしています。 彼女たちが元気を出して蘇ってくれるのを目の当たりにすると、「少しでも、自分が知っている霊的なことを教えることが出来るなら、もっと人のためになれるなあ。頓挫していた本をもう一度書き上げて出せば、人のお役に立てるかもしれない」と感じています。 まだ偉そうなことが言える年代ではありませんが、彼女たちのためにも書かなければならないという義務感のようなものを抱えています。年齢が若い人達のほうが、霊的なことは修正しやすいからです。「気をつけることは?」 自分の人生の、優先順位のつけかたを時々見直して、修正しながら進むことが一番大事です。どれを得てどれを捨てるのか、どれが一番大事なことなのか、などです。 心の理想みたいなものを持つようにして、つねに上へ上へと、自分の意識をコントロールして修正し続けるのです。上というのは、皆が神と呼んでいるところで、宇宙の中心みたいな、霊界の最上級の部分です。志を高く持って、低いところに流されないように気をつけます。 これは、私が自然に霊界とチャネリングして覚えたもので、ずっと常に、毎日24時間、自分の意識をできるだけ上へ上へと修正し続けてきました。気を抜いたらダメなのです。 誰も見ていないときでも同じように修正し続けることが大事なのです。「お試し」 私は、霊が見えたり感じたりする体質なので、上へと意識を修正して保っている間は、変な霊が寄ってこないのが理解できました。これは子供の頃から自然に覚えました。 さらに、自分に厳しい課題を課したり、上へと意識をコントロールしていると、霊界の上のほうの存在が助けてくれるようになります。ラジオのチューニングと似ています。 そして霊界のお導きはずっと続いていましたが、ある日突然、七福神が現れて、音楽を送ってきて制作しました。どうして七福神が今頃私に出てきたのか、その時期もNYという場所も最初から決まっていたことなのでしょう。 思い返せば、その時期が来るまで、私のことを上から観察し続けていて、何度も何度もお試しがあったのです。そのお試しが来る度に、上に自分の意識をコントロールして正して、自分が正しいと思う選択肢を選んできました。人生で数々のお試しをクリアして、彼ら(七福神と背後の神様)の合格点に達したので、やっと出てきたのでしょう。 現在も七福神について、霊界で渦が起こっているのを感じています。お試しをクリアしてそのパイプ役を私が授かったのですが、まだまだお試しは続いています。生まれる前から決まっていたお役目なのですが、実際に授かるまでは彼らのお試しがたくさんあったのです。 お役目をイエスと受け入れることもできたし、ノーと拒否して無視し続けて抵抗することもできました。私は霊界の仕組みがある程度分かっているので、これは自分が拒否すればいいという簡単な問題ではないと知っているため、素直に受け入れました。覚悟がいります。でもこのお役目を拒否すれば、自分の役割から逃げているというカルマを作ってしまうので、また別の形で自分の前に問題となって返ってきます。霊界の要望を受け入れるか受け入れないかの判断は、静かになって自分の心の声を聞くしか方法がありません。 直接のパイプ役は私なのですが、一人ですることではないので、その周りの人々についても最初から霊界で青写真が決まっていた要素が強く、周りでも様々なお試しや霊界からのサインが続いています。この方々も、きっと、知らないうちに上へと意識を高めてチューニングすることができていたのだと思います。 霊界から私たちに気付きのサインを送り続けているものです。霊とか霊界が見えない人々でも、それらのサインを観察して、自分の心の奥に聞いてみて、霊界のお役目を受け入れるか受け入れないか、どう生きていくかの判断をするとよいでしょう。 私の場合は、もともと生まれ付きの霊感のせいで、上へと意識を高めてチューニングし続けてきましたが、ふと振り返ってみて、良いことだったのかまだ実はよく分かりません。上へ意識を高めすぎたのはいいですが、そのせいで中や下(自縛霊など)にチューニングし続けている人の気持ちが全く分からないのです。なぜそんなに下にチューニングしてしまうのか、その気持ちがよく分からないです。「上へ意識をコントロールしなさい、下に合わせたらだめです」とか、そんなに簡単な問題ではないはずです。除霊はしない主義なのですが、そのような人達のことと原因を理解しようとしているところです。霊感も、プラス・マイナス=ゼロですね。霊能者といっても、私はまだまだ手探りで学んでいる最中です。 今までは霊界の指導で私自身を鍛えて学んで、上へと意識を高めていく修行期間だったわけですが、それらのお試しをクリアして、ふと振り返った時に、最近新しく観えてきたことです。私の今の課題でしょう。
2007年12月02日
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ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.70 06/06/14 (水) 発行:続き「執着ゼロ」 私は、何事も、どんなことでも、「プラス・マイナス=ゼロ」だと考えています。いろいろなことを観察して、つくづくそう思っています。何事も、いい面もあれば悪い面もあるということです。 それに人生の早い時点で気がついたため、それ以来、全く執着がなくなってしまいました。どうしてもこれしかないとしがみついてまでやろうとする意味が全くないので、執着が無くなったら、恐れるものが限りなく無くなってきました。 「これしかない」という気持ちだと、失うかもしれないという不安感からきた恐怖心があるので、そうではなくて、「他の可能性もあるから大丈夫、そっちをやればいい」とポジティブに解釈していけばいいと思います。 例えば、仕事に関して考えてみると、早く成功するのも遅く成功するのも、どちらもいい面悪い面があるので、本人の好みで選択していけばいいのです。成功をあせる必要は全くなくて、別の観点から観れば、貴族の教育観の王道は「急がば回れ」と「大器晩成」なのですから。勉強期間が長ければ長いほど、その後、大きく社会のために貢献できるのですから、あせることはないのです。ゆっくり進めばいいのです。 そして、誰かと競り合って仕事のチャンスを失った人も、全く落ち込む必要はなくて、「そことはご縁がなかったのだな、今はまだその時期ではないのだな」と冷静に別の観点から考えればいいのです。しがみつく必要はないです。そこを逃しても、また後でさらに大きな別のチャンスが必ずめぐってくるものなのです。働く会社や環境も、ご縁だと考えています。 占いをやってきたせいもありますが、年下の女性たちから、よく相談を受けます。その度に、私は上記のようにアドバイスをし続けています。チャレンジする時はどんどん強気でやったらいいですが、ダメだった時は落ち込まないでいいし、しがみつく必要は全くないです。悔しい思いをする必要も全くないです。落ち込んでいる人には、その話をしたらとても元気をだして蘇ってくれます。何事も、別の方向から見て、発想の転換を図ればいいのです。 彼女たちは、「ブルーシャさんって、私達が欲しいものを全部持っているけど、どうしたらそんなふうになれるんですか? 幸せそうにしか見えないもの。私もそんなふうになりたい。結婚して旦那さんがいるし、やりたいことをやり続けていられているし、留学しているし、色んな才能があるし、未だにジュエリーの勉強をしているでしょう? どうやったら、そんなふうに生きられるのか、ぜひ教えて欲しいです」と、いつも聞いてきます。あまりにもしょっ中聞かれるので、そんなふうに彼女たちが見ているなんて、ただただ驚くばかりです。「そんなことないですよ。とても地味に生きていますよ。何事もプラス・マイナス=ゼロって気付いたのが早かったから、執着がないから、幸せそうに見えるだけですよ。何事にもしがみつかないから、どんどん新しいことにチャレンジしていくことができるだけ。嫌な時や無理な時はその場を去ればいいのです。あとは、やりかけたことは長く続けるように気をつけているだけですよ」などと答えています。 辞めることを恐れないということも、実は大事なポイントです。辞めるときはスパッと辞めるのです。潔さが大事です。そうすれば別の道が開けることもあるので、怖がらずに、優先順位をつけながら行動して選べばいいです。例えば、私の場合は、バレエも長年やっていましたがスパっと辞めたし、DJの仕事も3年弱でスパッと辞めてNYでは一切やっていないです。 でも辞めたお陰で別の可能性がどんどん育ってきて、ジャーナリストになったり、音楽制作に没頭するようになったりしています。ずっと踊りにしがみついたままだとか、DJの仕事を失いたくないとしがみついたままでいたら、今の私は全くなかったです。絵を本格的に描くのもしばらく休止していますが、もし今忙しく制作していたら、七福神の音楽を制作することが出来ていなかったはずなのです。 不安で恐れずに、「去るもの追わず」でご縁がないものには執着せずに、突き進んでいけばいいと思います。
2007年12月01日
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