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2009年11月29日
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ニューヨークはけっこう寒くなってきました☆

昨日なんて風がすごく強かったです~☆

私は今日は家で仕事をしていたので、ずっと家の中にいました☆ 
あとでちょっと近所のデリかなにかに散歩に行こうかな~と思います。




さて、前回少し書きましたブラックフライデーは、毎年アメリカでサンクスギビングデーの翌日に行われる大バーゲンなのですが、朝の5時台とか6時台からお店がオープンしてスタートします。

この習慣はきっと感謝祭にちなんで、「日頃のご愛好を感謝する大セール」なのかな~と思います。

なぜか1年のうちこの1日だけ、家具などの大型日用品が一斉に半額とかになるのですよ~。

そして、この日だけはどの店も黒字になるので、「ブラックフライデー」と呼ばれるようですヨ☆



お店にとっても在庫がはけるし、助かるのでしょうね。








さて、「嫉妬心が全く無い状態」になるために効果的なものの価値観は、クリスチャンやユダヤ教徒の人達の宗教観からくる自信が、無宗教(多宗教)の日本人にとって参考になるな~と気がつきました。



今日はそれについてちょっと書いてみますネ☆




嫉妬心がある人の原因は、「自信がない」からということだと思います。他人の良い面を単純にうらやましがることが出来るというのは、自分の中の自信が乏しいからなのでしょう。



私がスペインに住んでいた時に感じたことは、スペインはカトリック国なので、先祖代々みなさまカトリック教徒で、その価値観が根付いていて、環境の遺伝で考え方まで子孫に受け継がれていっています。



そして、彼らカトリック教徒は、なんだか当たり前のように「自信」があって、それがぐらつかないのですよ、ちゃんと円満な家庭に育った大抵の人々は。
もちろんカトリック国にも例外があって、複雑な家庭で育った人は精神的にトラウマをたくさん抱えてアダルトチルドレンになっていくので、当てはまらないケースもごく一部でありますけれど。
ここでは、大抵のスペイン人のことを書いてみます。




たいていのスペイン人たちはカトリック=神に守られている、という信仰心からくるものだと思われるゆるぎない自信があるので、そういう人達が当たり前でごく普通の世界の中では、人々は自分が思ったことや考えていることをごく普通に表現しています。

みんなのびのびしていて、好きなことを言ったりやったりしていて、日本から行った私はビックリしてカルチャーショックを受けましたよ~。

「そんなこと日本で言ったら、たたかれるで~!」というような内容でも、彼らは平気で言うのですよ~。それで周りもそのまま、ありのままで受け止めて、何とも気にしていないのですよね。
そして自分と他人のことを比べないし、うらやましいとも思わないので、嫉妬しないのです、彼らは。



だからカトリックは嫉妬しないのですよね。




例えば、私が驚いた出来事のなかには、現地で私に親切に助けてくださったスペイン人女性の方が、
「あなたは、一緒に住むにはインテリが良いわよ。
任せなさい! インテリを紹介してあげる!」
とおっしゃって、アーティストである私を一緒に住まわせて下さるインテリ家庭を紹介してくださったのです。




これはスペイン上陸後半年くらいの出来事だったので、こんなにはっきりと言うスペイン人達のことを、面食らって驚いてしまいました。



この出来事も、ポット出版から出しました私の一冊目の本の「マヨルカ島のゲイ友達」にも少し書いています。



日本から日本の価値観のままで現地に行った私は、
「ええ~!”あなたには、一緒に住むにはインテリのほうが良い”とか、そんなにはっきり言うなんて!」
と驚いたわけです。

日本だったら、「インテリのほうが合っている」のようなこんなことは言ってはいけないことだと思います。
実際にもし日本の中でこんなことを言ったら、ひんしゅくを買うでしょう。



でも、彼らスペイン人は、これだけでなく何事でもそうですが、日本人みたいに言葉をオブラートに包まずに、ダイレクトにそのまま言います。

「事実」を淡々とそのまま言うのですよ。



逆に日本人みたいに事実をオブラートにくるんで角が立たないようにして婉曲に表現するほうが、彼らスペイン人にとっては信じられないようなことなのですよ。



これは、宗教観と文化と言語構造の違いが関係していることだと思いますが、「事実」はそのままの姿で自分も周りも受け入れるもので、その方が自然、それを受け入れられない人は嫉妬深くてひねくれている、というふうにとらえているのですね。



そして、日本人にとっては、例えば「インテリ」という言葉の意味と価値観を、「良い」「悪い」でとらえてしまったり、人と自分と比べて嫉妬したりしてしまいがちですよね。

「インテリ」が良くて、「インテリじゃない」のが悪いみたいにネガティブに受け取ってしまうのでしょう。


でもそれはよく考えると、自分が自分の中で思っている「自分はインテリじゃないから劣っている」みたいな傷になっている価値観が、「インテリのほうが合っている」という言葉に反応してしまって、落ち込んだりムカついたり嫉妬してしまうだけのことなのですよね。




だから、逆に言うと、日本人のほうが、「インテリ」と「インテリでない」のを区別してポジ&ネガでとらえてしまっているから、そういうことは言わないような空気になっているのでしょう。



よく考えると、「インテリ」も「インテリでない」のも神が創ったのだから、ありのままの姿でそこにいて良いのですよね。
そして、それは単にそれぞれの「個性」なのであって、どちらが優れているとか劣っているとかは無いですから。



だから、この点ではスペイン人を見習って、私たち日本人も、「周りの優れていると感じるものでもありのままで受け入れると気にならなくなり、嫉妬心がなくなる」のだと思います。




カトリックの人達は、自分は神に守られているしみんなも神に守られている、という価値観が当たり前のように強くあるので、「自信」があります。それが普通の状態です。
だから、「もしこれを言ったら、周りの誰かが傷つくかもしれないから言わない」という気を使う言葉の選び方は、日本人のようにはしないのです。




日本人は多神教ではあるけれども、無宗教みたいなものなので、自分のアイデンティティーを築きにくいのかもしれませんね。
だから周りに反応してしまって、嫉妬したり落ち込んだりする人やうつ病が多いのでしょう。



カトリックとか特定の宗教の信者として生きるほうが、精神的にはうんと楽に生きていきやすいのだと思います。




そして、ユダヤ教の十戒とか、キリスト教の大罪とかは、「しないほうが良い」ということを禁止事項として、きっとキリストも親切で民衆に教えてくれていたのだと感じています。


どうしてこのような「しないほうが良い」ことをしなければ幸せになれますとキリストたちが説いたのかというと、「そのほうが人生を進めていって将来的に罪悪感を抱えなくて済み、明るくのんびりした平安な気持ちで生きていけるから」ということだと思います。


人間はみんな神の子なのだと思うので、何かネガティブなことをしても心の底に罪悪感というしこりが残るのは当たり前なのです。
自分の心の奥底、潜在意識の中には、「ああ、しなければよかったな」という罪悪感というものが、自然に宇宙の光と闇のことを本能で知っているからこそ沸いてくるのだと思うのです。

宇宙には「光」と「闇」の両方があるので。

サイババも「闇から光へ!」向うようにと説いていらっしゃいますよね。



だから、キリストはそれを簡単に説明するために、「しないほうが良いこと」をしないようにすれば、罪悪感を抱えることなくずっと平安に生きていくことができるから精神が楽になります、ということを教えようとしていたのだと感じます。



だからカトリックの人々は、毎日毎日を生まれたときからこのように過ごしてきているので、それは心の中に闇(=罪悪感)を作らないようにする生き方でもあるため、大人になると「自信」が強くなるのでしょう。




「罪悪感の原因になるような負のカルマを積む行動をしないほうが良い」という生き方は、続けると人生のあとの方がどんどん楽になってくるのですよ。

最初から罪悪感を作らないように生きることは精神が楽になるので、余力ができてきて、他のやりたいこともできるようになるのだと思います。

そしてそれまでの自分の人生を振り返って、神に守られているという実感と供に自信がゆるぎなくなってくるのでしょうね。




確かに「不倫や離婚」など、霊的には「しないほうが良いこと」というのはあるので、それを知って実践するだけでも、あとあとが楽になると思いますヨ☆




モーゼもキリストも、禁止を作って人々に罪悪感を植え付けて支配しようとしていたのではないと思いますし、その反対に「親切心で」教えてあげていたのだと感じます。




これらの事実も、それぞれの言葉の受け取り方の問題なのでしょうね~。





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最終更新日  2009年11月29日 10時15分13秒
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