年子と私とそして夫 年子育児 51歳の自分探し
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主人の祖母が先週の水曜日に危篤になり夜中に家族でかけつけた突然部屋で倒れていたので救急車で運ばれた心臓に水がたまっているとの事で息がとても苦しそうだ何とか持ち直してくれて私達もほっとしたおばあちゃんは92歳になるが1人で家事を一切行い自立的に暮らし私の憧れの人である2年前には大腿骨を骨折したが手術後のリハビリをがんばり普通の暮らしができるようになっていた2年前の手術時も心臓が悪いので手術は難しいかもと先生が言えば「先生手術中にぽっくりいけば本望です手術してください」とおばあちゃん自らお願いして手術をしてもらった私とも色々な話をしたおじいちゃんとの出会いやおばあちゃんがデパートで働いていたこと子供がギターを買ったけどすぐに飽きてしまったので自分で習いに行ったけど「あなたの年ならギターでなくて三味線がいい」と言われ三味線を習いだしたこと自分が死ぬのならコタツのところで座って「眠ってると思ったらおばあちゃん死んでたよ」って言われるように死にたい老人会に行っても「一番年寄りになったからみんなが大切にしてくれるのよ危ないって手もかしてくれる大丈夫なんだけどみんなが気を使ってくれるからできないふりしちゃうのよ」(笑)「みんなが集まると足が痛い腰が痛いそんな話ばっかり私はどこも痛いとこないけど痛いわっーて話あわせるのよ」(笑)おばあちゃんは絶対この調子のまま100歳まで元気と思ってたのにでも私が100才までがんばってと言うと「80歳の1年と90歳の1年はぜんぜん違うから日に日に弱っていくような気がするよ」と言っていた「だから100歳は無理だね」とも・・・様態は良くなってきたが誤飲が危険なため水さえもとろみをつけないと飲むことができない「水も飲めないなら死んだほうがいい」「なんで生まれてくるときは 予定日があるのに 死ぬときは予定日はないのかね・・」病院のベッドで上記の言葉を聴いた翌日おばあちゃんは完全に私の事がわからなくなっていた昨日までは「おさわがせばあさんだね」と私たちを笑わせてくれる余裕さえもあったのにおばあちゃんの様子がおかしくなったのは様態は安定してきた頃からだ目の焦点が合っていなく話がかみ合わない 私達が見えない物も見えるようだし突然笑う事もあるボケてしまったのだろうか私はいいようのない喪失感でいっぱいになったあたりまえと思っていた普通に生きる事、生活することはすごく貴重で 尊いことそれはこんなにもあっけなく崩れてしまうのだ。。。。時間があるとおばあちゃんのことを考えてしまうしかし考えても解決策も答えも生きるって事も死って事も何ひとつよくわからない食事もほとんど食べない点滴で生き延びているおばあちゃんは悲しい気持ちになっていないか拘束されて ずっと天井を見ているしかない時間そういうことから逃れたい為にボケたのだろうかはたしてこの状態で生きていることは幸せか自分だったらどう思うでも一時的なボケかも知れない改善して又もとの生活に戻れるかもそれであれば 点滴を受けて つらい時間を耐えた 治療をすべきか先生も家族も 高齢だから。。という言葉が端々にでてくる高齢だからあきらめたほうがよいのか考えれば考えるほどなにが正しいか分からなくなる孫の嫁のの私がどうこうできる問題ではないのだがおばあちゃんが望んでいたこたつでぽっくり眠るような。。。死ばかりは理想通りに演出できないものなのだと改めて思った青く腫れ上がったおばあちゃんの細い腕を見ると今のおばあちゃんに早く元気になってねと声をかけることは酷な気がした
2012年03月30日
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