《櫻井ジャーナル》

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2011.10.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 核兵器であろうと原子力発電であろうと、大量の放射性廃棄物が残されることは避けられない。そうした物質を無害化することは本質的に不可能であり、数万年にわたって管理しなければならない物質もある。人間文明の歴史はたかだか1万年余りにすぎないことを考えれば、その無謀さは明らかだろう。福島第一原発では事故後、空気中だけでなく海中へ膨大な量の放射性物質を排出しているが、それらは地球上を汚染し続けるわけだ。

 年単位でも管理は容易でない。そうした現実を垣間見せる出来事が現在、アメリカで進行中である。 アメリカのペンシルベニア州で埋められていた廃棄物が地下水を汚染していることがわかった のだ。USACE(アメリカ陸軍工兵団)が掘り返そうとしたものの、何らかのトラブルが発生してらしく、作業は中断している。

 1960年代、そこにはNUMEC(核物質設備社)のプルトニウム施設があり、隣接した広大な場所で放射性廃棄物を処分していた。その施設が使われていた期間は1958年から83年にかけて。1963年まではウラン燃料の製造が主な仕事だったという。1967年にこのサイトはアトランティック・リッチフィールドがNUMECから買い取っている。

 放射性廃棄物は55ガロン(約210リットル)のドラム缶に入れられて敷地内に埋められたのだが、その数は膨大。しかも処分が不適切だった。そこで、USACEが掘り返さなければならなくなったたわけだ。

 今年8月に公開されたFBIの文書によると、敷地内で汚染された場所を掘り起こしたところ、10万cpmという数値が出ている。この数値がどのような意味を持つのかを福島第一原発の事故に絡め、 徳田毅衆議院議員が自身の「オフィシャルブログ」で書いている ので、それを紹介する。

「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」

 核問題に興味のある人なら、NUMECの名前を聞いたことがあるだろう。イスラエルの核兵器開発に協力したと信じられている会社だからである。ちなみに、会社設立者のひとり、ザルマン・シャピロ博士の父親はユダヤ教正統派のラビで、自身はZOA(米国シオニスト機構)のピッツバーグにおける責任者を務めた経験がある。



 1965年にAECは、ウェスチングハウスや米国海軍からNUMECへ持ち込まれた濃縮ウランのうち90キログラム以上が行方不明になっていることに気づいている。問題の施設における「紛失核物質」の総量はNUMEC時代が269キログラム、それ以降が76キログラムだという。

 イスラエルの核兵器開発拠点、ディモナで原子炉が本格的に操業を開始したのは1964年のこと。つまりNUMECにおける「核物質紛失」とタイミングが合っている。行方不明になった濃縮ウランがイスラエルに運ばれたと関係者が疑うのは当然だろう。

 CIAのカール・ダケットが1968年に作成した秘密報告書の中で、イスラエルはシャピロ経由で入手した濃縮ウランを使い、3ないし4発の核爆弾を製造したと推測されているのだが、シャピロやNUMECが摘発されることはなかった。

 NUMECの問題をCIAで担当していたのは防諜部門。1951年から74年までこの部門に君臨していたジェームズ・ジーザス・アングルトンがモサド(イスラエルの情報機関)と親密な関係にあったことは有名だ。

 第2次世界大戦中、アングルトンはレジスタンスに参加していたメイア・デシャリトなる人物と親しくしていたが、イスラエル建国後、この人物は同国の情報機関員としてワシントンに派遣されている。メイアの弟、アモスはイスラエルの核兵器開発に参加した物理学者だ。

 当時、FBIも捜査に乗り出しているのだが、国務省からの政治的な圧力がかかったこともあり、事件を深く追及することはなかった。1963年にはイスラエルに批判的だったジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたこともあり、事件は闇に葬り去られるかと思われたのだが、1977年にダケットが事実を明らかにしてしまう。そこで、イスラエルは重要な核物質の供給源を失うことになった。

 勿論、イスラエルはNUMEC意外からもウランを入手していた。例えば、1968年には西ドイツの小さな化学会社「アスマラ・ケミー」をダミーに使い、200トンの酸化ウラニウムをソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックから購入している。このほか、3600キログラム以上のウランとプルトニウムをアメリカで盗んだという記事をローリング・ストーン誌は1977年12月号に掲載している。その後、イスラエルが南アフリカやペルーに接近した目的のひとつは核関連物資の入手だったと言われている。





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最終更新日  2011.10.22 01:56:52


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