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イスラエルのハーレツ紙によると、同国の将兵は、脅威が存在しないにもかかわらず、ガザの食糧配給所付近に集まっている非武装の群衆へ発砲するように命令されたと語ったという。パレスチナ人を虐殺しつづけているわけだ。 2025年5月にガザで援助物資の配給施設を建設、活動を開始した「ガザ人道財団(GHF)」の計画は人道支援活動に重点を置いたものではなく、主にイスラエル軍の戦略と戦術に合わせて設計され、ガザの大半の住民がアクセスできないようにしているとヤコブ・ガルブは報告している。 ハーレツ紙によると、GHFの設立経緯と資金提供は不透明で、イスラエルが米国の福音派や民間警備会社と連携して設立、現在の最高経営責任者(CEO)はアメリカのドナルド・トランプ大統領とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に近い福音派指導者だキリスト教シオニストだと言って良いだろう。 しかし、食糧配給所を建設したことでイスラエルやアメリカの「人道支援」のイメージを広げることができ、イスラエル軍による住民虐殺に対する怒りが世界に広がることにブレーキをかけることに成功、パレスチナにおける「民族浄化」を継続できている。 ガザでは民間請負業者が土木機械を運び込み、家屋を破壊している。家屋を1軒破壊するごとに5000シェケル(約1500ドル)を受け取っているという。そうした仕事にイスラエル軍は協力している。5000シェケルで家屋を破壊する行為は食糧を求めて集まるパレスチナ人の殺害につながる。 こうした報道に対し、配給所へ集まる人を含む民間人への「故意の発砲」を部隊に命令したことはないとイスラエル軍は主張しているが、発砲されていることは事実であり、「故意」ではないので許されていると言っているように聞こえる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.30
イスラエル軍のデータを分析することでガザの惨状を明らかにするヤコブ・ガルブの報告書が「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載された。2023年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前、ガザの人口は約222万7000人だったが、ガルブによると、現在の推定人口は185万人。つまり37万7000人が行方不明だ。ガザは事実上の強制収容所であり、住民が逃走した可能性は小さい。つまり殺された可能性が高いと言える。 今年1月9日、医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表、この論文を読んで衝撃を受けた人は少なくない。ガザの保健省は同じ時期において戦争で死亡した人の数を3万7877人と報告していたからだが、ガルブの報告書はそれをはるかに上回る。実際の死亡者数をガザ保健省の数値の10倍近くだと示唆している。死体は瓦礫の下にあるのか、バラバラな状態で確認できないということは想像できる イスラエルが主導しアメリカが支援する民間人道支援団体「ガザ人道財団(GHF)」は2025年5月にガザで援助物資の配給施設を建設、活動を開始したが、ガルブの報告書によると、その建設計画は人道支援活動に重点を置いたものではなく、主にイスラエル軍の戦略と戦術に合わせて設計され、ガザの大半の住民がアクセスできないようになっていると指摘している。それでもこの「援助物資配給拠点」にパレスチナ人は来るが、その飢えた人びとをイスラエル軍は発砲していると伝えられている。 こうした状況であることを熟知していたはずである西側の有力メディアはイスラエル軍によるガザの破壊と大量殺戮に「寛容」な姿勢を示してきたが、その理由をドイツのフリードリヒ・メルツ首相はG7サミットが開催されたカナダで説明した。イスラエルの行動は欧米諸国のために「汚れ仕事」を行なっているのだ。 そうした大量殺戮の環境作りは10月7日の前から始まっている。2022年4月1日にイスラエルの警察官がアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺し、4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、さらにユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/2023年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人がそのモスクを襲撃、さらにユダヤ教の「仮庵の祭り」(昨年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入、挑発していたのだ。 勿論、イスラエルによるパレスチナ人虐殺をここから始まったわけではない。シオニストは1946年夏までに7万3000人以上のユダヤ人をパレスチナへ運び、アメリカの「民間団体」は1947年に同国の軍艦を利用してユダヤ人をバルカン半島からパレスチナへ運んだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) シオニストはユダヤ人の移住をエルサレム旧市街の周辺に集中させ、1948年4月の時点では、その地区に住む人の3分の2はユダヤ人。その月の4日には先住のアラブ系住民を追い出すための「ダーレット作戦」を発動させる。これは1936年から39年にかけて行われたパレスチナ人殲滅作戦の詰めだったという見方もある。 ダーレット作戦ではテロリスト団体のイルグンとスターン・ギャングが4月9日にデイル・ヤシンという村を襲うが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近く、攻撃しやすかったからだという。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃する計画だった。早朝ということで、残された女性や子どもは眠っている。 9日午前4時半にイルグンとスターン・ギャングはマシンガンの銃撃を合図にしてデイル・ヤシンを襲撃、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺され、家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされている。 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されてしまう。そして同年5月14日にイスラエルの建国が宣言された。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択した。ジョン・F・ケネディ米大統領は「イスラエル建国」のために故郷を追われて難民化したパレスチナ人の苦境に同情、この194号決議を支持したが、1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その後、アメリカの大統領はイスラエルを経済的にも軍事的にも支援している。イギリス、ドイツ、フランスを含むヨーロッパ諸国もパレスチナ人虐殺の共犯者だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.30
イギリスの対外情報機関であるSIS(通称MI6)の長官が今年10月1日にリチャード・ムーアからブレーズ・メトレベリへ交代する予定なのだが、この人選が問題になっている。彼女の父方の祖父にあたるコンスタンチン・ドブロボルスキーがナチス占領下のウクライナでナチス親衛隊の戦車部隊に所属した後、憲兵隊に入った人物。その際、反ナチスの抵抗運動に参加していた数百人のウクライナ人を処刑したと自慢、「虐殺者」と呼ばれていたと伝えられているのだ。 メトレベリはケンブリッジ大学を卒業した後、表世界から姿を消しているが、祖父に関する情報を消し去ることはできない。この話を最初に伝えたのはイギリスの新聞、デイリー・メイル紙だが、こうした情報が漏れることをイギリス政府のわかっていたはずで、同紙はダメージ・コントロールのために記事を書いたのではないだろうか。イギリスの外務省はメトレベリが父方の祖父と面識がなかったと主張、次期長官を擁護している。 アメリカ/NATOはウクライナでステパン・バンデラの信奉者を手先として利用してきた。2014年のクーデター当時、彼らは自分たちがナチズムに傾倒している事実を隠していなかった。ウクライナにおけるネオ・ナチの源流はOUN(ウクライナ民族主義者機構)。1929年に創設されたが、1930年代の後半に内部で対立が激しくなる。そしてMI6のフィンランド支局長だったハリー・カーはバンデラ派を雇う。 1941年3月になるとOUN-M(メルニク派)とOUN-B(バンデラ派)に分裂した。ドイツ軍は1941年6月にソ連へ軍事侵攻、リビウを制圧し、ユダヤ人を虐殺し始める。6月30日から7月2日にかけて犠牲になったユダヤ人は3万8000名から3万9000名だとされている。ドイツがソ連へ攻め込んだ後、OUN-Bは武装集団を組織したが、ハインリッヒ・ヒムラーの指示で1941年8月と9月にその集団は警察組織へ作り替えられた。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) 1943年春にOUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立。摘発の対象になっていたはずのOUNやUPAの幹部だが、その半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。その後、UPAは民族浄化に乗り出し、ユダヤ人やポーランド人を殺戮し始めた。妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出し、脅しのために灌木に引っかけるといったことをしたと伝えられている。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) ナチスは戦況が悪化してくるとOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスたちと接触しはじめたが、OUN-Bを含む東ヨーロッパの反ソ連勢力もドイツが降伏するとアメリカやイギリスへ接近、まずイギリスの保護下へ入る。ドイツが降伏するとOUN-Bのメンバーはオーストリアのインスブルックへ逃げ込んだ。ソ連に追われていた彼らとしては、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に占領されていたウィーンは危険な場所だった。1945年夏になると、バンデラたちはドイツの情報法機関を統轄することになるラインハルト・ゲーレンの機関に匿われる。 ドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を目論み、アンシンカブル作戦が作成された。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだが、イギリスの参謀本部がこの計画を拒否したので実行されていない。 第2次世界大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展し、66年にはAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)と合流してWACL(世界反共連盟。91年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986) 戦争が終わった直後、MI6は反ソ連組織の勢力拡大を図り、1947年7月にインテルマリウムとABNを連合させ、9月にはプロメテウス同盟も合流させた。翌年の後半、新装ABNはバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコを中心に活動を開始。ステツコと同じようにバンデラの側近だったミコラ・レベドはアメリカのアレン・ダレスの配下に入る。 ステツコの人脈は後にKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を創設、1986年に彼が死亡すると妻のスラワ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いることになる。 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいたが、その教え子のひとりであるドミトロ・ヤロシュはイワニシンが2007年に死亡すると後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。 イギリスの情報機関は19世紀からロシア制圧を目論んでいる。第1次世界大戦ではロシアとドイツを戦わせるように画策、地主や農民の意向を受けてドイツとの戦争に反対していたグリゴリー・ラスプーチンを1916年12月30日に暗殺している。 暗殺のため、1916年にイギリス外務省はサミュエル・ホーアー中佐を責任者とするMI6のチームをペトログラードへ派遣する。そのチームには。スティーブン・アリー、ジョン・スケール、オズワルド・レイナーが含まれていたが、レイナーはオックスフォード大学の学生だった当時からロシアの有力貴族であるフェリックス・ユスポフ公と親密な関係にあった。アリーはモスクワの近くで1876年に生まれ、15歳の時にイギリスへ帰国、家族の経営するアリー・アンド・マクレランで働くようになるが、その裏では情報機関員として活動していた。スティーブンが生まれた場所はモスクワ近くの家はユスポフの宮殿で、父親はユスポフ家の家庭教師だったとも言われている。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013) ラスプーチンを暗殺するために3種類の銃が使われているが、トドメを刺したのは455ウェブリー弾。イギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだった。 この出来事以来、イギリスはロシア/ソ連を倒そうとしている。その最前線にいるのがMI6であり、そのトップにナチスの家系の人物が就任する。 ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は西側諸国の要職にナチスの子孫を意図的に昇進させる傾向は明らかだと述べているが、その通りだ。そもそもナチスのスポンサーは米英金融資本だった。 ナチスの家系だと指摘されている人物にはドイツのフリードリヒ・メルツ首相、アンナレーナ・ベアボック全外相、カナダのクリスティア・フリーランド運輸内務貿易相、ジョージアのサロメ・ズラビシビリ元大統領が含まれているが、日本でも思想や言論を統制するシステムの中核だった思想検察や特別高等警察の人脈は戦後も要職についている。裁判官も責任を問われなかった。 現在、EUはウクライナでロシアと戦っている。アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターのドキュメンタリーによると、ウクライナで大統領を名乗っているウォロディミル・ゼレンスキーはMI6のエージェントであり、そのハンドラー(エージェントを管理する担当オフィサー)はムーアMI6長官だと推測されている。 リッターのドキュメンタリーには、ゼレンスキーが2020年10月にイギリスを公式訪問した際、ムーア長官を非公式に訪問した際に撮影された映像が含まれている。訪問したゼレンスキーをジャーナリストが撮影したのだ。会談後、ゼレンスキーの警護担当者はウクライナ人からイギリス人へ交代になったという。 メトレベリをMI6長官にするという人事は、イギリスがロシアとの戦争を継続するという意志を示すものだと言われても仕方がないだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.29

厚生労働省は6月24日、4月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は12万9794人。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まる前年の2019年の同じ月に比べて1万6855名増えている。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」と呼ばれている遺伝子操作薬が作り出すスパイク・タンパク質が長期にわたって体内に残ることが確認されつつある。 この遺伝子操作薬を世界規模で接種させる口実に使われたSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)は人工的に作られた可能性が高いのだが、このウイルスに感染した動物が中国の自然界で発見されていないのだ。つまり中国で作り出された可能性は小さい。 それに対し、北アメリカの自然界ではシカ、ノネズミ、コウモリを含む5種類の動物が感染していることが判明、それらの種はモンタナ州にあるロッキー・マウンテン研究所で実験動物として使用されていたことが突き止められた。そこで、SARS-CoV-2はこの研究所で作られたのではないかと推測する人もいる。 しかし、別の研究所を怪しいと言う人もいる。イングランドのポートン・ダウンにあるイギリス国防総省の国防科学技術研究所(Dstl)だ。 ポートン・ダウンから約9キロメートルの地点にあるソールズベリーでは2018年3月4日、セルゲイ・スクリパリと娘のユリアが「ノビチョク」なる神経ガスに汚染され、ふたりはショッピングセンター前のベンチで倒れているところを発見されたスティーブン・コックロフト医師に話している。その後、同医師は発言を禁じられ、治療チームから外された。 COVID-19騒動ではSARS-CoV-2が注目されたが、本当の主役はこのウイルスを口実にして接種された遺伝子操作薬。ワクチンについて厳しい見方をしているロバート・ケネディ・ジュニアが保健福祉省(HHS)長官に就任したことから情報が公開されると期待されたのだが、ドナルド・トランプ政権には怪しい人物が少なくない。そのひとりが大統領出席補佐官を務めているスージー・ワイルズだ。 ワイルズが共同会長を務めたマーキュリー・パブリック・アフェアーズはリビー活動を行う会社で、ジョー・バイデンとカマラ・ハリスのコンビともつながる。同社の顧客にはファイザー、ジョンソン・エンド・ジョンソン、グラクソ・スミスクライン、ギリアド・サイエンシズなど主要製薬会社、あるいはGAVIが含まれている。ロバート・ケネディ・ジュニアとは逆の立場の人物だ。 トランプ大統領がイランの核施設を攻撃する前、ワイルズはそうした攻撃に疑問を示していたトゥルシ・ギャバード国家情報長官、ピート・ヘグゼス国防長官、ジョー・ケント国家テロ対策センター所長らを会合から排除したと伝えられている。その代わりにワイルズはイスラエルに育てられたと言われているジョン・ラトクリフCIA長官や親イスラエルで有名なマイケル・E・クリラ米中央軍司令官を参加させた。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、COVID-19騒動はアメリカ国防総省のプロジェクトで、CIAも関係している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.28
ドナルド・トランプ米大統領は自国軍にイランのフォルドにあるウラン濃縮工場を空爆させた。B-2戦略爆撃機7機、偵察機、空中給油機、戦闘機などを含む125機以上の航空機を投入、6発のバンカー・バスター(大型地中貫通爆弾)GBU-57を使ったと言われているが、予想通り、構造物を破壊することはできなかったようだ。勿論、アメリカ側もそうしたことを認識、地下施設へ続く入り口や通路を破壊、出入りできなくしようと計画したとされている。 その計画通りになったかどうかは現地を調べなければわからない。そこで登場するのがIAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシー事務局長。アメリカによる攻撃後、グロッシーはイランが核活動を兵器化に転用したことを示す証拠はないと発言しているが、この事務局長はイスラエルの情報機関が2018年に発表した報告書に基づいて調査を開始、IAEA理事会がイスラエルと米国に望む戦争の口実を与える決議を可決するよう仕向けた。 イランと核兵器を結びつける根拠とされたのは施設で濃縮ウランが発見されたことだとされている。イスラエルの諜報機関モサドやそのイラン協力者であるモジャヘディネ・ハルク(MEK)などが置いたとする反論にIAEAは公に説明していない。 ちなみに、イスラエルは2006年にレバノン南部を攻撃したが、キアムとアトティリで着弾地点でクリス・バスビー博士は濃縮ウランを発見している。新タイプの核分裂装置/兵器、あるいは濃縮ウランを使用した爆弾をイスラエルは使ったのではないかと疑われたが、大きな問題にはされなかった。 IAEA理事会は6月12日、トランプ大統領がイランに突きつけた60日間の猶予期間が終わる日に会議を開き、イランがIAEA加盟国としての義務を遵守していないとする決議を賛成19カ国、反対3カ国、棄権11カ国、無投票2カ国で可決、アメリカがイランを空爆する口実を与えた。アメリカは6月10日に理事会メンバー8カ国と連絡を取り、決議案が可決されるように交錯していたと伝えられている。採択中、イスラエル軍は攻撃の準備をしていたわけだ。アメリカとイスラエルの政治家はイラクを2003年に先制攻撃するときと同様、イランが核兵器を製造する寸前だと叫び始めた。 アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した当時のIAEA事務局長、モハメド・エルバラダイはイラクが核兵器を開発しているという証拠は見つかっていないと安全保障理事会に繰り返し報告、ネオコンがたてた侵略計画の障害になっていた。そこでアメリカのエリートたちは自分たちに従順な人物を事務局長に据える。それが天野之弥、そしてグロッシーにほかならない。IAEAがイランの核科学者に関する情報をイスラエルへ漏らし、暗殺につながったという疑惑がある。 イラン議会はアメリカによる攻撃の後、核施設の安全が保証されない限り、IAEAとの協力を停止することを決議したが、エルバラダイは今回の空爆を受け、2025年6月17日に「交渉ではなく武力に頼ることは、NPTと核不拡散体制(不完全ではあるものの)を確実に破壊する道であり、多くの国々に『究極の安全保障』は核兵器開発であるという明確なメッセージを送ることになる」と書き込んだ。 また、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はIAEAがイランに対して核施設への即時アクセスを認めるよう強く求めていることに対し、その情報が漏洩しないという保証はないと主張、イランがIAEAへの協力を停止することを理解するとしている。 イランのアッバス・アラグチ外相は核開発に関する交渉について、それは攻撃計画を隠すことが目的だったのであり、アメリカを信頼することはできなくなったとジュネーブで発言している。イランのマスード・ペゼシュキヤン政権は新欧米派だが、その政権からそうした発言が出てくるようになった。ただ、政権内にはまだ欧米に従属したがっている勢力がいるようだ。その中にペゼシュキヤンが含まれている可能性も否定できない。 イスラエルはアメリカと手を組んでイランを空爆したが、彼らはガザをはじめパレスチナで住民を大量虐殺、そうした行為を西側の「民主主義国家」は容認してきた。 その現実をドイツのフリードリヒ・メルツ首相はG7サミットが開催されたカナダで正直に語っている。イスラエルの行動は欧米諸国のために「汚れ仕事」を行なっているのだと主張、自分たちは感謝しなければならないというのだ。イラク、リビア、シリアなどにおけるアル・カイダ系武装集団やウクライナにおけるネオ・ナチもイスラエルと同様、欧米諸国のために「汚れ仕事」を行なっている。「自由」や「民主主義」という看板を掲げながら帝国主義を推進する仕掛けだとも言える。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.27
イーロン・マスクは6月5日、ドナルド・トランプ大統領が「エプスタイン・ファイル」に載っていると書き込んだ。それがファイルの全面公開を妨げているというのだ。トランプを攻撃する材料としてこの問題を持ち出してきたわけだ。トランプとジェフリー・エプスタインが親しくしていたことは知られている話だが、その内容次第では大きな問題になる。 エプスタインは未成年の男女を有力者に提供する一方、そうした関係を秘密裏に記録して有力者を脅して操っていたとされている人物で、彼の背後にはイスラエルの情報機関が存在する。一般的にモサドがその情報機関だとされているが、軍の情報機関AMANの可能性が高い。250人以上の未成年女性に対する性犯罪で2019年7月6日に彼は逮捕されたのだが、翌月の10日にニューヨーク市のメトロポリタン矯正センターで死亡した。エプスタインが収集したような情報は世界の要人、例えばアメリカ大統領を操るために使われる。 2008年6月にもエプスタインは同様の容疑で起訴され、懲役18カ月の判決を受けているが、このときは刑務所に収監されていない。検察の姿勢が異様に甘いと批判されたが、その時に地方検事として事件を担当したのは2017年4月から19年7月まで労働長官を務めたアレキサンダー・アコスタ。エプスタインの事件が発覚し、辞任を余儀なくされたということだ。アコスタによると、上司からエプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたとしている。 イスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたこともあるアリ・ベンメナシェによると、エプスタインだけでなく彼と内縁関係にあったギスレイン・マクスウェル、そして彼女の父親であるミラー・グループのロバート・マクスウェルはいずれもアマンに所属していた。アリ・ベンメナシェはエプスタインもギスレインも1980年代の後半からイスラエル軍の情報機関に所属してたとしている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) イスラエル軍の情報機関AMANの局長を務めた後に参謀総長に就任し、1999年7月から2001年5月まで首相を務めたエフード・バラクは03年にエプスタインと始めて会った。2013年から17年にかけては約30回にわたってエプスタインを訪問、エプスタインのジェット機にも搭乗した。 バラクによると、彼をエプスタインに引き合わせたのはイスラエル労働党の政治家で首相にもなったシモン・ペレス。その兄弟であるギデオン・ペルスキーが創設したスイス・イスラエル銀行から融資を受けていたブルース・ラッパポートはウイリアム・ケイシーの友人で、ミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルを介してロシア暗黒街におけるボスの中のボス、セミオン・モギレビッチと結びついていた。ロシアの犯罪組織は事実上、イスラエル・マフィアだ。(Whitney Webb, “One Nation Under Blackmail Vol. 1,” Trine Day, 2022) バラクが重役を務めていたカービンは決済サービス企業のペイパルを創業したピーター・ティールらが創設した緊急通報システムの会社で、イスラエルの電子情報機関8200部隊と関係が深い。重役の大半はその部隊の「元将校」が大半を占めるのだ。エプスタインはカービンの主要な資金源のひとりだった。トランプ以上にマスクはエプスタインと関係が深いと言えるかもしれない。(Gidi Weitz, “Revealed: Jeffrey Epstein Entered Partnership Worth Millions With Ehud Barak in 2015,” Haaretz, July 11, 2019 / “Jeffrey Epstein was Ehud Barak’s business partner as late as 2015,” Times of Israel, 11 July 2019など) 8200部隊は米英の電子情報機関、つまりNSAやGCHQと連携して情報を収集、分析、シリコンバレーの大企業、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックなどと結びつき、グーグルとはシステムを共同で開発している。こうしたハイテク企業はトランプのスポンサーだ。 アメリカ、イギリス、イスラエルが電子情報機関を設置、「民間企業」と連携して通信情報を集める目的は、言うまでもなく、世界の人びとを監視することにある。その主要ターゲットには各国の政治家、官僚、大企業経営者、国際機関の幹部、学者、ジャーナリスト、活動家なども含まれている。 ところで、エプスタインは私立大学のクーパー・ユニオンとニューヨーク大学をともに中退しているのだが、有名人の子弟が通う予科学校のドルトン・スクールに教師として1974年に雇われている。雇ったのは校長だったドナルド・バー、つまり第1期のトランプ政権で司法長官を務めたウィリアム・バーの父親だ。ちなみにウィリアムはCIA出身、ドナルドはCIAの前身である戦時情報機関OSSに所属していた。 その学校に通っていた生徒の父親のひとりがベア・スターンズのCEOだったアラン・グリーンバーグ。その縁でエプスタインは1976年に同社へ入り、そこで顧客だった酒造メーカー、シーグラムのエドガー・ブロンフマンと知り合った。エドガー・ブロンフマンの父親、サミュエル・ブロンフマンは密造酒で財をなした人物として知られている。サミュエルの同業者で親しくしていたひとりがルイス・ローゼンスティール。その妻だったスーザン・カウフマンによると、ルイスはユダヤ系マフィアの大物、メイヤー・ランスキーと親しく、CIAとも緊密な関係にあった。ローゼンスティールは1922年、フランスのリビエラに滞在していた際、ウィンストン・チャーチルから、アメリカで酒を合法的に販売できるようになるので準備をするようにとアドバイスされたという。 このローゼンスティールと親子のような関係だったと言われているロイ・コーンは大学を出て間もない頃、性的スキャンダルによる恐喝を生業としている暗黒街の一味の下で働いていたとも言われているが、その後、弁護士として「赤狩り」のジョセフ・マッカーシーの法律顧問になった。その一方、彼はニューヨークの犯罪組織、ガンビーノ・ファミリーのメンバー何人かの法律顧問にもなっている。そのひとりがジョン・ゴッチ。カトリックのフランシス・スペルマン枢機卿とも親しくしていたが、この「聖職者」はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物だった。死の直前にはドナルド・トランプの顧問も務めている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.26
ドナルド・トランプ米大統領はイランの核濃縮施設を空爆することでイスラエルを助けようとした。イスラエルは保有する防空ミサイルが10日から12日程度でなくなると見られ、追い詰められていたのだ。アメリカやヨーロッパ諸国にも余力はない。その後、イランが高性能ミサイルを使い始めることが予想された。しかも、イスラエルはイランの攻撃で石油精製能力を失い、燃料危機に直面している。 窮地のイスラエルを助けるため、トランプ政権はB-2戦略爆撃機7機のほか、偵察機、空中給油機、戦闘機などを含む125機以上の航空機を投入、6発の大型地中貫通爆弾(バンカー・バスター)GBU-57を投下したという。この空爆でイランを屈服させ、「和平」を実現するというシナリオだったようだが、この攻撃で核濃縮施設を破壊することに失敗し、シナリオ通りには進まなかった。 トランプ政権はイランのアッバス・アラグチ外相をワシントンに呼びつけるつもりだったのかもしれないが、外相は6月23日にモスクワを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領を含むロシア政府の高官と会談した。外相は記者団に対し、「イランとロシアがより緊密で、より的確かつ真剣な協議を行うことが不可欠だ」と述べている。こうした展開をマルコ・ルビオ国務長官は眺めているしかなかった。 アジズ・ナシルザデ国防相は6月23日、ロシアのアンドレイ・ベロウソフ国防相との電話会談で侵略者との強制的な和解には決して屈しないと主張。その日にイラン軍はカタールのアル・ウデイド基地をミサイルで攻撃した。ここはアメリカ空軍の司令部として機能、中東におけるアメリカ軍の中心的な存在だ。1万人以上のアメリカ兵が駐留している。ただ、カタールの基地から兵士や航空機はかなり前に他の基地へ移動していたという。またイラクのキャンプ・タジなどアメリカ軍が駐留している基地で爆発があったが、これはイラクの武装組織によるものだとされている。 ベロウソフ外相はイスラエルによるイラン攻撃について、核問題は攻撃の口実にすぎず、真の目的はイランを弱体化させ、中東全域に混乱を広げようとしていると述べ、イランを支持すると発言している。セルゲイ・リャブコフ外務次官も6月23日にロシアはイスラム共和国を支持すると語り、イスラエルとアメリカを非難した。 カタールやイラクのアメリカ軍基地に対する攻撃が伝えられてから数時間後、トランプ大統領はイランとイスラエルの包括的停戦を発表した。アラグチ外相をワシントンへ呼び出すことに成功すればイランを降伏させたという印象を広められただろうが、当初、イラン当局者は停戦案を受け取っていないとアメリカのメディアに対して発言。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は停戦の承認を発表した。 アラグチ外相はトランプ大統領の発言について、イスラエルがイラン国民への違法な攻撃を停止する限り、イランは戦争を継続する意図はないと述べた。そして戦闘は続き、トランプは癇癪を起こしそうだ。シリアにアル・カイダ/親シオニスト体制を樹立することに成功、イランに取り掛かったシオニストだが、思惑通りに進んでいない。 停戦を発表したトランプがシオニストだということは明白。彼の背後にはシェルドン・アデルソンとミリアム・アデルソンの夫妻のようなシオニストの富豪がいる。シリコンバレーの富豪たちも資金を出しているが、彼らの大半も親イスラエルだ。 政権の内部にも親イスラエル派は少なくない。国務省で報道官を務めるタミー・ブルースの場合、JNS(ユダヤ・ニュース・シンジケート)のインタビューで「アメリカはイスラエルに次いで地球上で最も偉大な国だ」と発言、その映像をケン・クリッペンシュタインがXで公表、話題になっている。 ブルースは「文脈から外れていると」と反論、クリッペンシュタインは前より長い映像をアップロード。それによると、ブルースは「残念ながら」ユダヤ人ではないと述べ、「イタリア人は失われた部族だったのかもしれない」としているものの、彼女の「最も偉大な国」発言が文脈から外れているとは言えない。 アメリカでネオコン、イスラエルでリクードが台頭できたのはアメリカのキリスト教シオニストが支援したからだが、そうした信仰の持ち主のひとりがテッド・クルーズ上院議員。そのクルーズがタッカー・カールソンのインタビューを受けたのだが、その中でカールソンはイスラエルのためにアメリカがイランを攻撃するというクルーズを批判、話題になっている。 アメリカの歴代政府は基本的に外交と軍事の分野をシオニストに委ねてきた。大統領に就任した後、イスラエルのパレスチナ人弾圧や核兵器開発を批判したのはジョン・F・ケネディくらいだろう。1974年8月にリチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚、副大統領だったジェラルド・フォードが昇格してから台頭したネオコンもシオニストの一派だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.25

イランのアッバス・アラグチ外相は6月23日早朝、モスクワに到着した。ウラジミル・プーチン露大統領を含むロシア政府の高官と重要な会談を行うためだとされている。到着した際、外相は記者団に対し、「イランとロシアがより緊密で、より的確かつ真剣な協議を行うことが不可欠だ」と述べた。これは6月22日にアメリカ軍が実行したイランの核施設に対する空爆を受けての訪問だ。 プーチン大統領は防空能力の強化、情報提供、そしてイランの核エネルギー生産能力増強といった支援をする用意があると発言していることから、イラン側が要望すればS-400を含む高性能の防空システムも供与されるだろう。こうしたロシア製兵器の提供をイランは自尊心からこれまで拒んでいたとされている。イランがロシアの支援を受け入れ、戦略拠点周辺にS-400システムを配備した場合、アメリカ軍にとっても厄介だ。 アメリカのダン・ケイン統合参謀本部議長によると、この作戦の暗号名は「ミッドナイト・ハンマー」。B-2戦略爆撃機7機、偵察機、空中給油機、戦闘機などを含む125機以上の航空機が参加、6発の大型地中貫通爆弾(バンカー・バスター)GBU-57を核濃縮施設に投下、さらに潜水艦から20発以上のトマホーク巡航ミサイルを発射したとされている。こうした攻撃直後にイランの外相は自分のところへ飛んでくると予想していたマルコ・ルビオ国務長官は不満を抱いているという。 アメリカ政府はイランの核開発計画を消滅させたとしているが、重要な施設はほとんど被害を受けていないとも言われている。イラン国家核安全保障システムセンターは放射能汚染や漏洩の兆候を確認していないと発表、国際原子力機関(IAEA)も攻撃された3ヵ所の核施設で放射線量の上昇は報告されていないとしている。イラン国営のIRIBによると、貯蔵されていた濃縮ウランなどは事前に安全な場所へ移動させていたという。GBU-57でも1発だけなら破壊できないとされていたが、6発でもダメだったのかもしれない。 今回の攻撃でイランが屈服せず、戦闘が長期化すると、イスラエルやアメリカにとって面倒なことになる。イスラエルが保有する防空ミサイルは10日から12日程度でなくなると言われているのだ。イランはイスラエルに防空ミサイルを使い切らせるため、旧式で性能の劣るミサイルから使ってきた。イランが高性能ミサイルを使うのはこれからだと考えられている。しかもイスラエルはイランの攻撃で石油精製能力を失い、燃料危機に直面している。 イスラエルは石油精製施設だけでなく、テルアビブにあるイスラエルの情報機関モサドの本部や軍情報部アマンの兵站拠点もイランの発射したミサイルの直撃を受け、破壊された。イスラエル政府は、イランによるイスラエルへの攻撃による打撃や被害の撮影を禁止したが、路上やバルコニーから攻撃や被害の様子を撮影、発信する人を取り締まることは至難の業。イスラエルの破壊された市街の様子が世界に発信されことを防ぐことは困難だ。 すでに発信された写真から、イランはイスラエル軍のICTキャンパス(ガブ・ヤム・ハイテクパークの一部)、そして数千人のイスラエル軍・治安部隊員の住宅も破壊されたと推測されている。アメリカの大手企業で、イスラエルと緊密な関係にあるマイクロソフトのオフィス付近で火の手が上がっている映像も流れた。アメリカだけでなく、イギリス、フランス、ドイツといった対イラン攻撃に協力している国も今後、厳しい状況になりそうだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.24

第2次世界大戦後、沖縄はアメリカの重要な戦略的拠点になった。そのアメリカの戦略に従い、南西諸島にはミサイルの発射基地が建設されている。新たな戦争の準備を進める沖縄で、6月23日には「戦後80年沖縄全戦没者追悼式」が開催された。 南西諸島から台湾にかけての島々は日本軍にとって「不沈空母」とみなされていたようだが、これは戦後のアメリカ軍にとっても同じことである。そこでアメリカ軍は1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収、軍事基地化を推し進めた。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。 沖縄基地化の背景にはソ連に対する先制核攻撃計画が存在していた。1945年9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるとされ、それには204発の原爆が必要だと推計。そのうえでソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だとしているが、その当時、アメリカはこれだけの原発を持っていなかった。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) その後の計画は実態が伴うものになり、1957年に作成されたドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1961年7月に軍や情報機関の幹部はジョン・F・ケネディ大統領に対して先制核攻撃計画の内容を説明している。1963年の後半にはソ連を核攻撃するというスケジュールになっていた。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備できると信じていたからである。 ソ連に対する先制核攻撃を実行しようという動きが出てきた当時の統合参謀本部議長ライマン・レムニッツァーは1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めている。 この計画を大統領は拒否、1961年11月にアレン・ダレス長官や彼の側近で秘密工作部門の責任者だったリチャード・ビッセル計画局長らを解任、チャールズ・キャベルCIA副長官も62年1月に辞めさせた。そして1963年6月10日に大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言するのだが、11月22日にダラスで暗殺された。 そして2016年、与那国島でミサイル発射施設が建設された。それに続いて2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設が作られている。これはアメリカの軍事戦略に基づくもので、中国や朝鮮を攻撃する準備にほかならない。 その軍事戦略をアメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は2022年の4月に説明している。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表したのだ。アメリカはヨーロッパでロシアとの国境近くにミサイルを配備してきたが、東アジアでも同じことをしようとしている。「戦前X年」と言える状況になっている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.23

イスラエル政府の希望通り、ドナルド・トランプ米大統領は自国軍にイランの核濃縮施設を空爆させた。イスラエル軍が保有する兵器ではその施設を破壊できないためで、6発のバンカー・バスターGBU-57が使われたとされている。 トランプ政権を動かすため、イスラエルの情報機関モサドは影響下にあるジョン・ラトクリフCIA長官とマイケル・クリラ米中央軍司令官を使う一方、イラン攻撃に消極的なトゥルシ・ギャバード国家情報長官、ヘグセス国防長官、ジョー・ケント国家テロ対策センター長は会議から排除された。ヘグセスの代わりに出席したのがクリラだ。 スージー・ワイルズ大統領首席補佐官に会議から排除されたという。ワイルズは医薬品産業のロビー活動を行っていた人物。スティーブン・ウィトコフ中東特使も軍事攻撃に反対していたが、その意見は無視された。 アメリカにはAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)というイスラエルのロビー団体が存在している。イスラエルの代理人として活動している以上、外国代理人登録法(FARA)に基づいて登録すべきだと言われているが、イスラエルやその他の外国団体から「いかなる財政支援も受けていない」と主張、登録を拒否している。そうしたことが許されるほど強力な団体だ。 議員を抱き込むことで政策をコントロールしているが、AIPACのエリオット・ブラントCEOによると、現政権内の「命綱」はCIAのラットクリフ長官。議会入りしたこの人物をイスラエルは育ててきたという。同じように育てられたのがマルコ・ルビオ国務長官やマイク・ウォルツ前国家安全保障問題補佐官だとブラントは語っている。そのウォルツはベンヤミン・ネタニヤフ首相と秘密裏に連携し、アメリカによるイラン攻撃を画策していたことが5月1日に発覚、解任されたのだが、補佐官代理はルビオだ。 こうした流れの結果、イスラエルにとってラトクリフCIA長官の存在価値は大きくなり、今年4月にはエルサレムでネタニヤフ首相やモサドのデビッド・バルネア長官と会見した。 イランに関するブリーフィングをトランプ大統領はラトクリフCIA長官とイスラエルと緊密な関係にあるアメリカ中央軍のマイケル・クリラ司令官に挟まれた形で聞くことになっていた。クリラは「イスラエルにとって不可欠な資産」と言われている軍人だが、そのように配置しているのはワイルズ首席補佐官だ。イスラエルはトランプをそうやって洗脳したと言えるだろう。 ネタニヤフ政権に操られ、イランとの戦争へ突き進むトランプ大統領をギャバード長官はソーシャルメディアに投稿した動画で批判する。政治エリートの好戦主義者たちが恐怖と緊張を煽り、危険な状態を作り出していると警告した。その発言にトランプは激怒、ギャバードが「何を言ったかは気にしない」と吐き捨てた。6月20日、彼女はXで発表した声明で、イランの核濃縮に関する自身の見解はトランプ大統領の見解と完全に一致しているとしている。 イスラエルを作り出したイギリスはイランを再び自分たちの植民地にしようと目論んでいるが、そのイギリスの情報機関MI6が何を言い出すか注目されている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.23

ナチス時代のドイツがソ連に対する軍事侵攻を始めてから84年後の6月22日、アメリカはイランのフォルドゥにある核濃縮施設に6発の大型地中貫通爆弾(バンカー・バスター)GBU-57を投下したと伝えられている。この施設は地下約90メートルにあり、イスラエル軍は破壊できなかった。そこでGBU-57を使ったのだが、これを投下する能力はイスラエル軍になく、しかも1発では破壊できるとは言い切れない。そのため、アメリカ軍が6発のGBU-57を落としたのだろう。ナタンズとエスファハーンの施設にはトマホーク巡航ミサイルを発射したという。 ジョン・ラトクリフCIA長官は非公開の公聴会でイランの核兵器保有について発言、「1ヤードラインまで迫っている」としていたが、国家情報長官を務めるトルシ・ギャバードは3月25日、イランが核兵器を開発しているとする話を否定していた。アメリカの情報機関はイランで核兵器計画が承認されていないとアメリカの情報機関は評価しているとしていたのだ。IAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシ事務局長イランの核施設について、「核兵器開発に向けた組織的な取り組みの証拠は発見されなかった」としている。 ネオコンやイスラエルがイランを攻撃する理由は核兵器開発にあるわけではない。イラクを先制攻撃する際、「大量破壊兵器」という作り話を使ったのと同じこと。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めた経験のあるウェズリー・クラークによると(3月、10月)、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見ている。リストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが記載されていたが、残るはイラン。この計画を実行しているだけ。ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、ジョー・バイデン、ドナルド・トランプ、いずれも外交や軍事はネオコンにコントロールされているわけで、全ての政権がひとつの目的に向かった進んできた。ネオコン離れを演出していたトランプだが、結局、その支配から抜け出せなかった。 しかも、イスラエルは先制第一撃でイランを屈服させることに失敗、報復攻撃でテル・アビブやハイファなどイスラエルの都市が破壊されている。イランは長期戦を考え、ミサイルの発射を調整しているが、イスラエルやアメリカは近い将来、ミサイルが枯渇する。 イスラエルやその支援国は早くイランを屈服させる必要があり、アメリカは一線を越えざるをえなくなったが、イランの攻撃はアメリカ軍の直接参戦により、事態は深刻。すでにモサドの司令部やワイツマン科学研究所が破壊されているが、新たな攻撃目標のなかにイスラエル軍のサイバーコマンド(C4I本部)や軍事情報センターも含まれている。すでに報復攻撃から戦略的な攻撃へエスカレートしたとも言われている。 当初、イランがイスラエルの攻撃を防げなかった理由のひとつに、ロシア製の高性能防空システムを保有していなかったことが指摘されている。破壊活動への対応も甘かった。 ロシア駐在イラン大使のカゼム・ジャラリは、イランがロシアと防衛協定を結んでいなかったとしている。マスード・ペゼシュキアン大統領は1月17日にモスクワを訪問した際、ロシアと包括的戦略的パートナーシップ協定を結んでいるのだが、防衛協定ではない。イランはロシアと友好的な関係を築きつつあるが、そのブロックには参加しないという立場だ。 防衛分野ではロシアと一線を画しているイランだが、核開発の分野では関係を深めている。ウラジミル・プーチン露大統領によると、ロシアはブシェールに原子炉を建設し、さらに2基の建設契約を締結したが、ロシア人スタッフを避難させる予定はないという。もしイスラエルやアメリカがロシア人の命を危険にさらすならば、事態はエスカレートすることになる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.22
テルアビブやハイファといったイスラエルの都市ではイランのミサイル攻撃を受け、ビルが破壊されつつある。テルアビブにあるイスラエルの情報機関モサドの本部や軍情報部アマンの兵站拠点もイランの発射したミサイルの直撃を受け、炎上している様子を撮影した映像が流れている。 イスラエル当局は6月19日の集中攻撃の後、イランのミサイル着弾地点の正確な位置を報じた外国メディアの放送を停止するため、イスラエル警察の隊員を派遣したと発表した。 イスラエルでの報道によると、イスラエルのシュロモ・カルヒ通信大臣とイタマール・ベン-グビル国家安全保障大臣は6月20日、イスラエルからのあらゆる放送について、外国ジャーナリストは軍の検閲官から事前の書面による承認を得る必要があると発表した。必要な承認を得ずに戦闘地域やミサイル着弾地点から放送を行うことは刑事犯罪であり、検閲規則違反となると述べている。 しかし、撮影機能が搭載されたスマートフォンが社会に広まっている現在、メディアを取り締まっても情報が流れることを止めることは難しい。路上やバルコニーから攻撃や被害の様子を撮影、発信する人を取り締まることは至難の業だろう 6月13日にイスラエル軍はイランをミサイルとドローンで攻撃した。サイバー攻撃で防空システムを麻痺させ、イラン領内からドローンやミサイルを発射したと言われている。この攻撃で軍の幹部や核科学者らが殺害された。この攻撃にはアメリカの軍や情報機関が協力していた可能性がある。 イスラエル側はこうした攻撃でイラン軍の指令系統は麻痺、防空システムも機能しなくなると想定、反撃を受けない状態で徹底的に破壊できると考えていたようだが、イランの防空システムは8時間から10時間で回復、報復攻撃も始まった。こうした事態をイスラエルの政府は想定していなかっただろう。 鉄壁だと宣伝されていた防空システム「アイアン・ドーム」をイランのミサイルは突破、ミサイル攻撃を受けたイスラエルの都市では政府を批判する声が高まっている。 イスラエル軍の攻撃でイランの諸都市も破壊され、数百人が死亡したとされているが、核施設は破壊されていないようだ。フォルドゥ核濃縮施設は地下約90メートルにあり、通常の攻撃では破壊できない。大型地中貫通爆弾(バンカー・バスター)のGBU-57を使うという話も伝えられているが、そのためにはアメリカ軍が協力する必要があり、それでも破壊できるとは言い切れない。 イスラエル軍は2006年にレバノン南部を攻撃した際、バンカー・バスター爆弾を使用したとされているのだが、新タイプの核分裂装置/兵器、あるいは濃縮ウランを使用したバンカー・バスター爆弾が使用されたのではないかとも言われていた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.22
2003年3月にイラクを先制攻撃した勢力も、2011年春にリビアやシリアをジハード傭兵に侵略させた勢力も、2014年2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを仕掛けた勢力も、そして今、イランを攻撃している勢力も同じである。最前線にいるのはシオニストの一派であるネオコンだが、この勢力が仕掛けた侵略作戦は全て計算間違い。この愚かな集団をここでは「帝国主義者」と呼ぶことにする。 帝国主義者は世界を支配下に置き、富を独占しようと目論む。そのために戦争は不可欠だが、アメリカにもそうした政策を否定する大統領がいた。1963年6月にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言したジョン・F・ケネディだ。ケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。 帝国主義者が世界制覇プロジェクトを始動させる切っ掛けは、本ブログで繰り返し書いてきたように、1991年12月のソ連消滅にほかならない。この瞬間、アメリカが「唯一の超大国」になったと興奮、92年2月にはアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇計画を作成した。 当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、そして作成の中心は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツだ。そのため、この指針は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。2001年9月11日、このドクトリンは本格的に始動した。 しかし、この段階でプロジェクトの雲行きが怪しくなる。彼らはソ連消滅にともない、ロシアは欧米資本の植民地になったと認識、ボリス・エリツィンが大統領を務めた1990年代は目論見通りに進んだのが、21世紀に入り、ウラジミル・プーチン体制になってから再独立に成功するのだ。その後、ロシアの再植民地化を目論むが、失敗している。 その間、欧米の帝国主義者はNATOを東へ拡大させていくが、その当時はヨーロッパの支配層にもこうした好戦的な政策に反対する人たちがいた。彼らは天然ガスの取り引きを通じてロシアとの関係を強めていくのだが、帝国主義者にとってそれは許し難いことだった。 ナチス時代のドイツがソ連を侵略する際、ベラルーシとウクライナが主な侵攻ルートになった。そこで2014年2月にアメリカのバラク・オバマ政権はキエフでクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除するのだが、このクーデターに賛成する国民は多くなかった。特にヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部でそうした傾向が強く、クリミアはロシアと一体化、東部のドンバスでは武装闘争が始まる。 軍や治安機関でも7割程度のメンバーがクーデター体制を拒否、その一部はドンバスの反クーデター軍に合流したと言われ、内戦では反クーデター軍が優勢だった。そこで西側が目論んだのが停戦。反クーデター軍の勢いを弱め、その間に戦力の増強を図ろうとしたのだ。そうした理由で2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」は締結された。 後に当時のドイツ首相、アンゲラ・メルケルはキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎに使われたと証言、フランソワ・オランド元仏大統領もその発言を肯定している。現在、ロシア政府が西側の停戦要求を拒否している理由のひとつはここにある。 オバマ政権がウクライナでクーデターを仕掛けた理由のひとつはこの国を天然ガスを輸送するパイプラインの多くが通過しているからだが、ほかにも理由はある。鉱物資源が存在しているほか、世界有数の穀倉地帯が広がっているからだ。 食糧はエネルギーと並ぶアメリカの重要な戦略物資のひとつだが、その食糧の生産が危機的な状況になっている。食糧生産を支えているオガララ帯水層の水位が低下しているのだ。シェール・ガスやシェール・オイルの開発に伴う水汚染が帯水層の状況をさらに悪化させている。 この地下水は2050年から70年の間に枯渇する可能性があるとも言われているが、ハイプレーンズでの生産はこの水に頼っている。この地域ではトウモロコシ、大豆、小麦、綿花などが生産され、その生産量は年間5000万トン以上だとされている。その灌漑用水の90%を危機的な状況のオガララ帯水層を含む地下水資源に頼っているのだ。 この地域の生産量はアメリカの年間農業収穫量の少なくとも5分の1に達し、もし帯水層が枯渇すれば世界の食糧事情に深刻な影響を及ぼす。当然、日本にとっても深刻な問題だ。 1990年代より前からアメリカの外交や軍事はシオニストの影響下にあった。そのシオニストが信じるシオニズムは遅くともエリザベス1世の時代から存在する。 この時代、つまり1558年から1603年にかけてのイギリスでは王室に雇われた海賊がスペインやポルトガルの船を襲い、積荷を略奪して富を築いていた。スペインやポルトガルの船は南アメリカなどで奪った財宝を運んでいたのだ。 イギリスの海賊の中でもジョン・ホーキンス、フランシス・ドレイク、ウォルター・ローリーは特に有名。海賊行為だけでなくアイルランドで住民を虐殺しているが、こうしたことをエリザベス1世は高く評価、3人の海賊にナイトの爵位を与えている。スペインにしろ、ポルトガルにしろ、イギリスにしろ、国というより犯罪組織と言うべきだろう。 シオニズムの始まりはエリザベス1世の時代に出現した「ブリティッシュ・イスラエル主義」だが、それを生み出したのは女王の顧問を務めていたジョン・ディーだと言われている。この人物は『ユークリッド原論』を英訳本の序文を書いた数学者で、黒魔術、錬金術、占星術、ヘルメス主義などに傾倒していたことでも知られている。 ブリティッシュ・イスラエル主義によると、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だと主張。人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配するとしている。 19世紀に入ると、イギリスではアングロ-サクソンが世界を支配するという信仰が現れる。帝国主義者のセシル・ローズが1877年に書いた『信仰告白』の中で、「私たち(アングロ・サクソン)は世界で最も優れた人種であり、私たちが住む世界が増えれば増えるほど、人類にとってより良いものになる」と主張している。 「より多くの領土を獲得するあらゆる機会を捉えることは我々の義務であり、より多くの領土は単にアングロサクソン人種の増加、つまり世界が所有する最も優れた、最も人間的で最も名誉ある人種の増加を意味するという考えを常に念頭に置くべきである」というのだ。 その前、19世紀の前半にイギリスには強い反ロシア感情を持つ有力政治家が存在した。首相や外相を歴任したヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)だ。 彼はロシアをイギリスにとって最大のライバルとみなし、「ウクライナ人はわれわれが反ロシア蜂起のストーブに投げ込む薪だ」と語り、ポーランドをロシアとドイツの間の障壁として復活させる計画を立てていたほか、中国におけるイギリスの権益を守るためにチャールズ・エリオットを1836年に広東へ派遣、東インド艦隊の軍事行動の規制を緩めて清(中国)への軍事的な圧力を強化、1840年にはアヘン戦争を始めている。彼の政策はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、アルフレッド・ミルナー、ウィンストン・チャーチルらが引き継いだ。 作家で政治家でもあったベンジャミン・ディズレーリは小説の中でこうしたイギリス支配層について書いている。例えば1844年に出版された『カニングスビー』には、「(ジョン・)ハムデン(オリバー・クロムウェルの従兄弟)による最初の運動から1688年の最後の最も成功した運動(名誉革命)に至るまで、イングランドにおけるホイッグ党指導者たちの最大の目的はベネツィア共和国をモデルとした高貴な貴族制の共和国をイングランドに樹立することであり、当時のあらゆる思索的な政治家がそれを研究し称賛することだった」としている。この指摘はおそらく正しい。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.21
イスラエル軍が6月13日、イランに対してサイバー攻撃を仕掛けると同時にイラン領内からドローンやミサイルを発射したと言われている。8時間から10時間にわたって防空システムが麻痺したので、その間、戦闘機による攻撃もあったようだが、軍の幹部や核科学者らの殺害は「テロ」に近い手段による。 アメリカでの報道によると、イスラエルは数カ月かけてドローンの部品を商業貨物として秘密裏にイランへ持ち込み、組み立て、主要地域に配置し、トレーラーに設置された発射装置などから攻撃したという。軍の作戦ではなく情報機関の工作だったわけだ。こうした手法はロシアの空軍基地に対する攻撃でも使われた。その類似性から、計画の指揮者は同じではないかとも言われている。 イランではイスラエルの情報機関、つまりモサドの協力者を摘発し始めた。これまで活動してこなかったようなので、スリーパーということになるだろう。 しかし、イランの防諜機関がそうしたスリーパーのネットワークを摘発できず、ドローンの部品をイラン国内へ運び込むことを許したのは大きな失態だ。しかもターゲットになった軍人や科学者の動きが把握されていた。 ドローンやミサイルをイラン領内から発射するという方法にイスラエル軍が切り替えた理由は昨年の経験が影響しているのだろう。 昨年、イスラエル軍はイラク、シリア、イランの防空軍を破壊した上で侵入し、標的を破壊するという計画を立て、実行に移したのだが、イランの領空へ侵入することができなかったと言われている。防空システムを破壊するための長距離ミサイルを搭載したイスラエルの航空機はイランから70キロ以内に近づけなかったという。 アメリカは6月10日に空対地ミサイルのヘルファイア約300機をイスラエルへ渡しているが、その理由もイランの防空システム対策だと考えられている。イスラエルは空中発射弾道ミサイルも使っているが、これも同じ理由だろう。今回、攻撃前に防空システムを麻痺させたのも前の経験に学んでのことだと見られているが、それでもイラン国内からの攻撃の方が効果的だったようだ。 こうした国内からの攻撃を実行したモサドの工作員や協力者の摘発が始まっている。イラン情報省は国民に対し、警戒を強め、不審な人物、住宅、小型トラック、ピックアップトラックを見つけたら通報するよう呼びかけ、イランの一般人はそれに応えている。 それに対し、イスラエル側は自動車を使った爆破工作に切り替えたという。革命防衛隊(IRGC)情報部長官モハメド・カゼミらは6月15日に自動車爆弾で殺されている。 ちなみに、ロシアでは昨年12月17日、同国軍の放射線・化学・生物防衛部隊を率いていたイゴール・キリロフ中将がモスクワで暗殺されたが、この時は電動スクーターに取り付けられた爆発物が遠隔操作で作動する仕組みだった。 こうした破壊工作を実行しているモサドの協力者は、ムジャヒディーン・ハルク(MEK)の関係者だとする情報が流れている。MEKは王政時代、革命組織として活動していたのだが、イスラム革命後の弱体化、「テロ請負組織」のような存在になり、イスラエルや西側諸国の情報機関と関係が深くなったと言われている。 今回のイランに対する攻撃では西側諸国の情報機関が関係していると疑われている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.20

ドナルド・トランプ大統領がジョー・バイデン政権化している。ジョージ・W・ブッシュ化、バラク・オバマ化とも言えるだろう。世界制覇戦争を推進しているということだが、これはロシアや中国との戦争へ突き進んでいることを意味する。広く言われているように、アメリカの選挙は無意味だ。 19世紀以降、ヨーロッパ諸国、アメリカ、そして日本は帝国主義国として生きてきた。見にまとう服装を変えてはきたが、中身は帝国主義のままである。帝国主義国が突如、民主主義体制に変わるなどということはありえない。長い時間をかけて民主主義的な思想が培われていなければ、そうした思想が噴出することはない。 逆に、帝国主義的な思想が噴出することもある。その切っ掛けになったのは、1991年12月のソ連消滅だ。ソ連というライバルが消滅したことで西側諸国は民主主義の衣を脱ぎ捨て、帝国主義という本性を見せることになった。そうした動きを扇動したのがシオニストの一派であるネオコンにほかならない。 アメリカの外交や安全保障をコントロールしていたネオコンは1992年2月、アメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇計画を作成した。リチャード・チェイニー国防長官の下、国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。アメリカのライバルだったソ連が消滅した後、ロシアを含む旧ソ連圏はアメリカの支配下に入り、自分たちに歯向かう国は存在しなくなったという前提でドクトリンは作られた。 そのプロジェクトが本格的に指導したのは2001年9月11日。この日、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されている。この出来事を利用してジョージ・W・ブッシュ政権はイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したが、イラクに親イスラエル体制を築くという当初の目的は達成できなかった。 正規軍の投入で失敗したことを反省したのか、オバマ大統領は師匠に当たるズビグネフ・ブレジンスキーが編み出した方法を使う。1970年代にブレジンスキーはムスリム同胞団やワッハーブ派を主な戦闘員とする武装集団を編成してソ連と戦わせたが、この時にCIAが訓練した戦闘員のデータベースを作成、それが「アル・カイダ」。そのデータベースに基づいてアル・カイダ系武装集団が作り出される。その手法をオバマは採用したのだ。リビアやシリアはこの手口で破壊された。 ネオコンはヒラリー・クリントンをオバマの後継者に決めていたが、トランプに負けてしまう。ロシアを軍事的に制圧するという戦略をヒラリーは引き継ぐと見られていた。 2015年5月26日の時点で民主党幹部たちがヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールが存在、同年6月11日から14日にかけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加していたことから欧米支配層はオバマの次はヒラリーを大統領すると決めたと推測されていたのだ。 ところが2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談。その後、流れが変わったとする噂が流れ始めた。2014年3月5日付けワシントンポスト紙でキッシンジャーはウクライナにおけるネオコンの政策は危険だと警鐘を鳴らしていた。ウクライナは複雑な歴史と多言語多文化他宗教の国であり、こうした国で一方が他方を支配しようとすれば内戦、または分裂につながると指摘している。 そして2016年8月9日、チャーリー・ローズはマイク・モレルをインタビューした映像を公開した。モレルはクリントンを支援するためにCIA副長官を辞めた人物で、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと主張している。 それに対し、モレルはローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われ、その通りだと答えた。「わからないように」と付け加えたが、殺すといったことは消えない。 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡したが、さらにロシア政府の幹部が変死している。 例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。 オバマ政権は2014年2月にキエフでネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、ロシアとの戦争を始めたが、その政権で副大統領を務めたバイデンは大統領に就任して間もない2021年3月16日、ABCニュースの番組に登場し、ジョージ・ステファノプロスからウラジミル・プーチン露大統領は人殺しだと考えるかと問われ、「その通り」と答えている。ロシアとの戦争を継承したのだ。 こうした狂気の政策を批判することで支持されたトランプだが、その背後にはシェルドン・アデルソンとミリアム・アデルソンの夫妻のようなシオニストやシリコンバレーの富豪たちの資金が存在した。こうした富豪はネオコンが怒りを引き起こしてきたことを懸念したと言われている。今、こうしたエネルギーを革命へと導くようの集団は存在しないだろうが、富豪たちはトランプを利用して庶民の怒りが暴力的な方向へ流れないように誘導しようと試みたのだろう。 しかし、トランプも人びとの怒りを抑えきれなくなり、結局、ブッシュ・ジュニア、オバマ、バイデンらと同じ道を歩かざるをえなくなっているようだ。ニュアンスの違いはあるものの、皆、同じ帝国主義者に過ぎない。 情報機関の報告として、イランは核兵器を開発していないと3月に述べたトルシー・ギャバード情報長官は現在、世界がかつてないほど核戦争による破滅に近づいていると警告した。そうした彼女の発言をトランプ大統領は気にしないとしている。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の言うことを気にするということなのだろう。 **********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.19
イランは6月17日にもイスラエルに対するミサイル攻撃を実施、情報機関モサドの本部や軍の情報部アマンの兵站拠点に命中したと言われている。またモサドと関係の深く、軍事研究の拠点だったワイツマン科学研究所もイランのミサイル攻撃で破壊され、研究資料も灰燼に帰した。 この日、イラン軍はイスラエルへ向かって20機から30機の弾道ミサイルを発射したというが、そのうち1機は新型で、マッハ14から15で飛行、最大射程距離は1500キロメートルだとされている。これまでの攻撃でもイスラエルの防空システムは突破されているわけで、イスラエル軍だけでなくアメリカ軍も全く対応できないだろう。 革命防衛隊(IRGC)のほか、テヘラン郊外にある石油精製所、あるいは水道や電力の施設などをイスラエルは空爆しているが、核施設は地上部分が破壊されただけで、地下にある施設を破壊できていない。アメリカのメディアAxiosは大型地中貫通爆弾のGBU-57をイスラエルへ移送すると伝えているが、事実ではないと言われている。輸送し、投下するためにはアメリカ軍が関与しなければならず、今のところ、そうした動きは見られない。もしアメリカ軍がイランの核施設をGBU-57で爆撃しようとした場合、ロシアや中国が黙ってはいないだろう。 イスラエルは世界有数の核兵器保有国。150発から400発の核弾頭を保有、その中には原子爆弾だけでなく水素爆弾、そして中性子爆弾も含まれている可能性が高いのだが、中性子爆弾は使った疑いがある。 2006年7月から9月にかけてイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻したものの、ヒズボラに敗北、その際にイスラエルが誇るメルカバ4戦車も破壊された。その直後にウルスター大学のクリストファー・バスビー教授はレバノンへ入り、残されたクレーターを調査したところ、濃縮ウラニウムを見つけたという。レバノンやガザを走っていた自動車のフィルターからもそうした物質が発見されたという。バスビー教授はイラクの2011年10月にイラクのファルージャでも調査、そこで濃縮ウラニウムが人の髪の毛や土の中から検出されたと語っている。 イスラエルがイランに対して核兵器を使う可能性はあるのだが、パキスタンは、イスラエルがイランに対して核兵器を使用したならば、イスラエルに対して核兵器を使うと警告した。 そのパキスタンと対立しているインドのナレンドラ・モディ首相はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と緊密な関係にある。4月22日にはインド領カシミールにあるパハルガムで26名の観光客が殺されるという事件が引き起こされた。反政府民兵組織「カシミール抵抗戦線」が犯行声明を出したが、その後、声明は撤回されている。アカウントがハッキングされたのだという。 この事件の背景にはインドとパキスタンの「水争い」がある。中国からインドのカシミールからパキスタンを抜けてアラビア海へ注ぐインダス川の水は両国にとって重要。パキスタンでは人口の9割以上がこの水に依存しているのだが、インドはパキスタンへのインダス川の流入を遮断して4つの水門すべてを閉鎖した。 1960年に締結されたインダス川水利条約で、全水量の20%にあたる東側の支流3本をインドに、また西側の支流2本をパキスタンに割り当てることなどが定められているのだが、事件後、インド政府はこの条約を停止すると決めてしまう。 ヒンズー至上主義のモディ首相は今回の事件を口実にして、インダス川水利条約を破棄しようと試みている。条約の破棄はモディ首相の長年の願望で、今回の襲撃はモディ首相にとって好都合だった。インド政府が条約の停止を決めたことに対し、パキスタン政府は「戦争行為とみなされる」と反発した。 事件後、インドは「シンドゥール作戦」を開始したが、この作戦で使用されたドローンの多くはイスラエル製で、その中にはイスラエル航空宇宙産業(IAI)が開発した「自爆ドローン」のハロップも含まれていた。このドローンは10キログラムの弾頭を搭載し、約6時間空中に留まることができる。またインドはイスラエル製のバラク8ミサイル防衛システムや無人機「ヘロン」も保有。モディ政権はイスラエルのパレスチナ人弾圧を手本にしている。かつてパレスチナを支持していたインドだが、モディ政権はイスラエルによるパレスチナでの大量殺戮を支援している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.18
イスラエル軍は6月13日早朝にイランをミサイルとドローンで攻撃、イラン軍のモハンマド・バゲリ参謀総長や革命防衛隊(IRGC)のホセイン・サラミ司令官を含む軍幹部、さらに少なからぬ核科学者が殺害された直後、アメリカのドナルド・トランプ大統領はその攻撃を「素晴らしい」と表現した。 トランプは、「われわれはイランにチャンスを与えたが、彼らはそれを逃した。彼らは大きな打撃を受けた。非常に大きな打撃だ」とした上で、「さらに大きな打撃がこれから来るだろう」と語り、テヘランが核合意に同意しない限り、つまりアメリカの命令に従わない限り、「さらに多くの攻撃が行われるだろう」ともは警告。屈服しなければイランには何も残らないと脅した。 アメリカ大統領は事前にイスラエルの作戦を知っていたことを認めているので、脅して屈服させると最初から予定していたのだろうが、イランは数時間後には報復攻撃を開始、イスラエルの都市をドローンやミサイルで破壊しはじめた。イスラエルはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツといった国々から兵器を供給され、情報を提供されてきた。ガザでの虐殺もこうした欧米諸国の支援を受けて行なっている。そうしたイスラエルが単独でイランに勝つことは困難だ。 最終的には、1973年10月に勃発した第4次中東戦争の時と同じように核兵器を使おうとするかもしれない。この戦争でもアメリカは軍事物資をイスラエルへ供給していたが、戦況が悪化した際、ゴルダ・メイア首相の執務室で核兵器の使用について議論されている。その際、モシェ・ダヤン国防相は核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。 ソ連の情報機関は早い段階でイスラエルが核弾頭を使う準備をしている疑いを抱き、その情報はエジプトのモハメッド・アブデル・ガーニー・エル・ガマシ参謀長に伝えられ、アメリカ政府へもイスラエルが核兵器を使う準備をしていると警告した。(William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978) そこでソ連のレオニード・ブレジネフ書記長はリチャード・ニクソン大統領に書簡を送り、その中でアメリカがソ連と手を組めないならば、ソ連は単独で行動すると警告している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)その当時にCIA長官だったウィリアム・コルビーもそう証言している。(William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978) その直後にヘンリー・キッシンジャーはWSAG(ワシントン特別行動グループ)を招集して討議するが、その会議にリチャード・ニクソン大統領は呼ばれなかった。 その結果、まずニクソンの名前でブレジネフへソフトな内容の返信を送り、その一方でアメリカが核戦争の警戒レベルをDEFCON(防空準備態勢)を通常の5から3へ引き上げているということ。その後、全世界のアメリカ軍に対して「赤色防空警報」が出されたとも言われている。イスラエルのダヤン国防相は核攻撃の準備を始め、2基のミサイルに核弾頭をセット、目標をダマスカスとカイロに定めた。結局、イスラエルは核兵器を使わなかったが、使おうとしたことは確かである。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) 1986年10月5日付けのサンデー・タイムズ紙に掲載された内部告発者モルデカイ・バヌヌの話よると、イスラエルが保有する核弾頭の数は生産のペースから推計して150から200発。水爆の製造に必要なリチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影したという。また、イスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたとしている。(The Sunday Times, 5 October 1986)なお、ジミー・カーター元米大統領はイスラエルの保有する核弾頭の数は150発以上だと推測、400発だとする人もいる。 このようにイスラエルが核兵器を使う可能性はあるのだが、それを懸念したパキスタンは、イスラエルがイランに対して核兵器を使用したならば、パキスタンがイスラエルに対して使うと警告した。 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はアメリカの大手メディアの番組で、イランが核兵器の開発に取り組んでいて、アメリカ東海岸を核攻撃するための大陸間弾道ミサイルの開発にも取り組んでいると、かつて聞いたことがあるような話を述べ、イランはトランプ大統領の暗殺を2度試みたとも主張した。だからアメリカは配下の国の軍隊を引き連れてイランを破壊してくれというわけだろう。そうしたことを口にするほどネタニヤフは追い込まれている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.17

イスラエル軍は6月13日早朝にイランをミサイルとドローンで攻撃したが、その直前、イスラエルとイスラエルを支援する西側諸国の情報機関がイランにサイバー攻撃を仕掛け、イランの防空システムを麻痺させていたという。 その攻撃でイスラエル軍はイラン軍のモハメド・バゲリ参謀総長やイラン革命防衛隊(IRGC)のホセイン・サラミ司令官を含む軍幹部、そして核科学者のモハンマド・メフディ・テランチやフェレイドゥーン・アッバシらを殺した。 こうした要人はドローンで殺されたというが、ワシントン・ポスト紙によると、イスラエルは数カ月かけてドローンの部品を商業貨物として秘密裏にイランへ持ち込み、組み立て、主要地域に配置し、トレーラーに設置された発射装置から攻撃したという。 防空システムが麻痺してからイスラエル軍は戦闘機を侵入させ、イラン国内の目標を空爆、IAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシ事務局長によると、イスラエルの攻撃で核施設の地上部分が破壊されている。敷地内の地下濃縮施設に損傷の兆候が見られるとされているものの、大きなダメージは受けていないようだ。 イスラエルの攻撃は事前にアメリカやヨーロッパ諸国の政府と調整して行われた可能性が高い。こうした欧米諸国もイスラエルと同様、イランの防空システムは数日にわたって麻痺し、その間にイランの重要施設を破壊できると計算していたのかもしれないが、実際は10時間ほどで復旧したという。実際、その頃には防空システムが機能していた。しかもミサイルの発射システムも破壊されていないことがすぐに判明する。 同時にイランによるイスラエルへの報復攻撃が本格化する。最初はドローン、そしてミサイルが発射されたが、映像を見ると、翌日になると超音速ミサイルが使われ始めたようだ。アメリカをはじめとする欧米諸国やヨルダンはイランのドローンやミサイルを撃墜しようとしているものの、相当数がテル・アビブやハイファに着弾、建造物が破壊され、死傷者が出ているようだ。今回もイスラエルの防空システム「アイアン・ドーム」は突破され、イスラエル国防省を守っていたTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムが破壊された。6月15日早朝にイランが実施したミサイル攻撃により、イスラエルでは200人以上が死傷している。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やアメリカのドナルド・トランプ大統領の思惑は外れた。 バラク・オバマ政権がウクライナで仕掛けたクーデターでロシア産天然ガスの入手が困難になったヨーロッパでは独立を志向する勢力が弱体化、ネオコンの手下としてロシアとの戦争へ向かう勢力が実権を握ったが、そのヨーロッパの「リーダー」たちも混乱しているだろう。ロシアに続き、イランでも大失敗だ。 イスラエル政府はイランの親欧米派に対し、反政府蜂起を呼びかけているが、それだけイスラエル政府は追い詰められているのだろう。反体制運動が体制転覆に成功するためには、まず多くの人びとの支持が必要であり、そのエネルギーをコントロールする指導部も必要だ。かつてウラジミル・レーニンが言った「前衛」とはそうした存在だが、アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6は配下の人びとにそうした役割を負わせる。 今回、イスラエルも米英もそうした準備をしていないようで、投獄された経験のあるイランの反体制派、サデグ・ジバカラムは「このような状況下でネタニヤフ首相、トランプ大統領、あるいはレザ・パフラヴィ王子(イラン最後の国王の長男)が私にイスラエルを支持し、政権に対抗するよう期待していることに驚いている」と切り捨てている。 イランはイスラエルがイランに対する攻撃をやめない限りイスラエルに対する攻撃をやめないとしている。その間、欧米諸国はイスラエルに武器を供給しなければならないが、すでに西側はウクライナの戦争で武器弾薬が枯渇している。アメリカの国防長官は同国がドローン防衛システムの一部をウクライナから中東へ移転したことを確認したという。ウクライナから武器弾薬をイスラエルへ移動させれば、ウクライナの降伏時期が早まらざるをえない。 しかも、イランのマスード・ペゼシュキアン大統領は1月17日にモスクワを訪問した際、ロシアと包括的戦略的パートナーシップ協定を結んでいる。6月13日にイスラエルはイランを侵略したわけで、ロシアは国連憲章その他の適用可能な国際法の規則に基づいて解決されるよう支援しなければならない。つまりイランが自衛権を行使することを支援する義務がある。イランとイスラエルの戦争でロシアが「中立」を主張することはありえない。アメリカやヨーロッパ諸国がイスラエル支持を打ち出せば、それはロシアに敵対することを意味する。もっとも、すでにイギリス、フランス、ドイツはウクライナでロシアと敵対する道を選んでいる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.16
イスラエルに対するイランの報復攻撃が繰り広げられている。テル・アビブに対する攻撃の様子を撮影した映像を西側の有力メディアでさえ伝え、イスラム世界ではそうした映像を見て歓声を上げる人が少なくない。欧米の帝国主義国やその協力者であるイスラエルに対する怒りが爆発したとも言える。 アメリカのスティーブ・ウィトコフ特使はアメリカ上院の共和党幹部に対し、イスラエルに対するイランの報復はイスラエルの防空網を圧倒し、甚大な被害と死傷者をもたらす可能性があると語っていたと伝えられているが、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やアメリカのドナルド・トランプ大統領は理解していなかったように思える。 トランプ自身、事前にイスラエルの作戦を知っていたことを認めている。トランプはネタニヤフと距離を置いていたと言われていたが、これは怪しい。イランを騙すことが目的だろう。 アメリカ政府は単にイスラエルの攻撃を知っていただけでなく、直前に兵器を供与している。6月10日に空対地ミサイルのヘルファイアを約300機、イスラエルへ渡しているのだ。今回、イスラエルは空中発射弾道ミサイルも使った。トランプ大統領にイランと核交渉を継続する意思があったとは思えない。 親欧米派で固められたマスウード・ペゼシュキアン政権はアメリカが本気で核交渉に臨んでいたと信じていたようだが、これも攻撃の準備をするために時間稼ぎだった可能性が高い。似たようなことを西側はウクライナでも行っている。 ウクライナでヨーロッパは話し合いで解決するように装い、停戦で合意した。2014年のミンスク1と15年のミンスク2だが、ウクライナもNATOも取り決めを守らなかった。後にアンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領も時間稼ぎにすぎなかったことを認めている。イランはロシアの失敗から学ばなかったということだ。 イスラエルに対する欧米帝国主義国の支援はウクライナに対するものより露骨だ。兵器の供給にはアメリカ、イギリス、ドイツといった国々が特に深く関与してきた。さらに軍事情報もアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6から提供されていたはずだ。この2カ国とイスラエルの情報機関は緊密な関係にある。今回の攻撃ではアメリカ中央軍のマイケル・E・クリラ司令官が重要な役割を果たした可能性も高い。 アメリカの外交や軍事をコントロールしてきたシオニストの一派であるネオコンは1980年代からイラクに親イスラエル体制を樹立、イランをシリアを分断してそれぞれを制圧、中東全域を支配下に置く計画を立てていた。これはゼエブ・ジャボチンスキーの「修正主義シオニズム」が打ち出した「大イスラエル構想」と合致する。トランプの人脈を見ると、彼は修正主義シオニズムに近い。 先制第一撃でイランを完膚なきまで叩き、報復する余力を残させないとトランプは信じ込まされたのかもしれないが、そうした展開にはなっていない。イランでの報道によると、イスラエルが攻撃を始めた直後に防空システムが何らかの理由で一時的に麻痺し、F-35戦闘機がイラン領空へ侵入することができたというが、その数時間後には報復のミサイル攻撃を開始、テル・アビブに着弾している様子が世界に向かって発信されている。 今後、イランは石油生産の停止やホルムズ海峡の封鎖といった手段を講じる可能性があるが、イランの情報機関がイスラエルから入手したという核開発計画に関する極秘データを使う可能性もある。の遺体が発見されている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.15
イスラエル軍は6月13日にイランを攻撃したが、その数時間後にイラン軍はドローンやミサイルで報復攻撃を開始、ミサイルがテリアビブに着弾する様子を撮影した映像が流されている。少なからぬミサイルがイスラエルの防空システムを突破、市内の建造物に甚大な被害を与え、テルアビブにあるイスラエル軍司令部やイスラエル軍の3飛行場も攻撃されたというが、第1波や第2波は旧型のミサイルやドローンで行われ、最新型のミサイルはその後に使われると見られている。そのほか石油生産の停止やホルムズ海峡の封鎖ということも考えられる。 イラン国内へイスラエルの情報機関/特殊部隊が秘密裏に持ち込んだドローンやミサイルの攻撃で対イラン戦争は始まった。ウクライナの治安機関SBUが6月1日にロシア国内で実行した攻撃と同じ手法が使われたと言える。軍の幹部を殺害した後に攻撃するというパターンはヒズボラに対して行った手法と同じだ。 ドローによる暗殺後、イスラエルはF-35とF-16を使い、空対地弾道ミサイルも発射されたようだ。その際、防空システムが無力化されている。イスラエルの攻撃を許した原因はイランの治安機関がイスラエルの情報機関/特殊部隊が侵入することを防げなかったことにある。 イスラエル軍が実施しいた次の攻撃ではイランの防空システムが機能しているようだが、その間にロシアから防空システムが補充されたとは思えない。6月13日の攻撃で機能しなかった理由は不明だ。 その攻撃にはトレーラーに積み込まれたドローンが使用され、少なからぬイラン軍の幹部や核科学者が殺された。革命防衛隊(IRGC)への攻撃についてイスラエルの治安当局者は、イラン空軍の最高司令官を騙して会議に招き入れ、そのままそこに留めていたとしている。会議を開かせ、そこに止める方法をイスラエルは知っていたというのだ。 IAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシ事務局長によると、イスラエルの攻撃で核施設の地上部分が破壊され、敷地内の地下濃縮施設に損傷の兆候が見られるとしているが、大きなダメージは受けていないようだ。 今回のイランに対する攻撃を侵入したイスラエルの情報機関/特殊部隊だけで行った可能性は小さいと考えられている。イラン国内に張り巡らされたスパイ網のほか、アメリカやイギリスの情報機関が支援したと見られている。アメリカ、イギリス、イスラエルの情報機関/特殊部隊は強く結びついている。 この3カ国のほか、ドイツとフランスはIAEAを利用し、イランが「大量破壊兵器」を保有しようとしていると主張、先制攻撃を正当化しようとしたが、攻撃の直前、イランの当局者はイスラエルの機密文書を押収したと発表している。イギリス、ドイツ、フランスはウクライナでの戦争にアメリカを巻き込もうとしている国だ。 その文書の中には「イスラエル占領下のプロジェクトと核施設に関する数千点の文書」が含まれ、IAEAのグロッシ事務局長とイスラエルとの連携を示す情報が存在することも判明したという。核兵器を製造するための機密情報も含まれていたはずで、イランの核武装を容易にする可能性が高い。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.14

イスラエル軍が6月13日に実行した攻撃でモハメド・バゲリ参謀総長も死亡していたことが確認されたようだ。イラン革命防衛隊(IRGC)のホセイン・サラミ司令官を含む複数の幹部、ゴラム・アリ・ラシド中央司令部司令官、さらに6名以上のイラン人核科学者も殺されたことが確認されたと伝えられている。イスラエル軍のエフィー・デフリン報道官によると、イスラエル軍は200機の戦闘機を用いて100以上の標的を攻撃したというが、要人の殺害は、テヘラン周辺に作られた秘密の基地から飛びたったドローンが使われたようだ。 イラン軍は大きなダメージを受けたと言えるが、親欧米派のマスウード・ペゼシュキアン政権の動きは鈍い。イスラエルによる攻撃への備えが十分でなかったのかもしれないが、報復計画を練る過程でペゼシュキアンの影響力が衰える可能性もあるだろう。 6月1日にウクライナの治安機関SBUは約120機のドローンでロシアのオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)の戦略核基地を攻撃したが、この攻撃でも基地の近くからドローンを飛び立たせている。似た手口だ。 今回の攻撃では、アメリカ中央軍のマイケル・E・クリラ司令官が注目されている。この軍人は熱烈な親イスラエル派で、アメリカとイスラエルだけでなく、アラブ首長国連邦、バーレーン、ヨルダンなどを巻き込んで連合体を作ろうとしてきたが、今年中に退任する。彼の後継者がテヘランに対する軍事行動に消極的である可能性があるため、クリラが退任する前にイスラエルはイランを攻撃するのではないかと4月には報じられていた。 ドナルド・トランプ政権の内部はイランに対する攻撃に消極的は人たちもいるが、それに対抗してクリラはイスラエルと共同で軍事攻撃するように働きかけてきたと伝えられている。6月10日にクリラは下院軍事委員会で、彼がトランプ大統領とピート・ヘグゼス国防長官に選択肢を提示したと語っている。トランプ政権を戦争へ向かわせようとしたように見えるが、過去を振り返っても、トランプが平和的だとは言えない。 イランは昨年10月1日、イスラエル南部と中部に200機から400機の弾道ミサイルを発射、イスラエルが誇る防空システム「アイアン・ドーム」を突破して標的に命中させた。80から90%が標的に命中したとイラン側は主張しているが、現地から流れてくる映像はその主張の信憑性を高めている。その様子を撮影した映像は世界に伝えられた。 アメリカのスティーブ・ウィトコフ特使はアメリカ上院の共和党幹部に対し、イスラエルに対するイランの報復はイスラエルの防空網を圧倒し、甚大な被害と死傷者をもたらす可能性があると語ったようだが、彼も現実を理解しているわけだ。そうした場合、クリラ司令官が率いるアメリカ軍は介入することになる。 ところで、クリラは2022年にドイツへ派遣され、現地のアメリカ軍を監督したというが、目的はウクライナでの戦闘に対応するためだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.14
イスラエル軍は6月13日早朝、イランをミサイル攻撃した。その際にイラン革命防衛隊(IRGC)のホセイン・サラミ司令官を含む軍幹部、そして核科学者のモハンマド・メフディ・テランチやフェレイドゥーン・アッバシも殺されたと伝えられている。 軍事的な緊張が高まる中、何らかの会議を開いていた可能性があるが、そうした会議は地下施設で行うだろう。ミサイルでなく爆弾テロで殺された可能性も否定できない。自宅が攻撃されたとも伝えられている。モハメド・バゲリ参謀総長も死亡したとする情報も流れていたが、イスラエルの攻撃による負傷はなかったと伝えられている。 今回のイスラエルによる攻撃は本格的なイランとの戦争を意図しているようには見えないが、イスラム革命指導者のセイイド・アリー・ハメネイ師は声明で、今回の攻撃を非難し、テルアビブ政権に対するイランの厳しい報復を誓っている。 ネオコンもイランの体制転覆を目論んでいる。ウェズリー・クラーク欧州連合軍(NATO作戦連合軍)の元最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという(3月、10月)が、これはネオコンの計画にほかならない。 イスラエル軍による攻撃についてアメリカのドナルド・トランプ政権は無関係だと主張しているが、信じる人は多くないだろう。ただ、ウクライナでの状況を考えると、CIAなど情報機関の一部が独断で動いている可能性は否定できない。(その辺の仕組みは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房、2005年)で説明してある。) イスラエルとアメリカはイランの体制を倒すため、軍事攻撃を仕掛けるだけでなく、その中枢を殺害してきた。そうした対イラン工作の大きな節目になった出来事は2020年1月3日のガーセム・ソレイマーニー暗殺だ。 ソレイマーニーはIRGCの特殊部隊クッズ軍を指揮していた人物で、イスラエルに対するイスラム世界を統合する役割も果たしていた。モサド元長官のヨシ・コーエンによると、彼の戦略はイスラエルの首に縄をかけ、締め上げたとしている。 暗殺はバグダッド国際空港で行われた。当時、イランとサウジアラビアは関係修復に向かって交渉を始めていたのだが、ソレイマーニーはイラン側のメッセンジャーを務めていた。イラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディによると、その日、ソレイマーニーはサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。 イスラエル空軍は2024年4月1日、ゴラン高原方向からダマスカスを攻撃してイラン大使館領事部を破壊、IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊コッズの上級司令官だったモハマド・レザー・ザヘディ准将と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害。イランは報復として4月13日にドローンやミサイルでイスラエルのネバティム空軍基地、ラモン空軍基地、そしてハルケレン山頂にある「サイト512」基地のAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設を攻撃した。イランが発射したミサイルの大半は目標にヒットしたと伝えられているが、これは形式的な攻撃で、イスラエルに打撃を与える意思はなかったと見られている。 この攻撃を命じたエブラヒム・ライシー大統領は2024年5月19日、アゼルバイジャンからアメリカ製のベル212ヘリコプターで帰国する際、そのヘリコプターが墜落、同乗していたホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らと一緒に死亡した。濃い霧で視界が悪かったことが原因だとされているのだが、同行していた2機のロシア製ヘリコプターは問題なく帰還している。 2024年7月28日から大統領を務めているマスウード・ペゼシュキアンは親欧米派と言われる人物で、イスラエルに対する報復にも消極的だった。そのペゼシュキアンの就任式に出席するためにパレスチナでイスラエルと戦っているハマスのイスマイル・ハニヤもテヘランを訪れたが、そこで暗殺されてしまう。7月30日にはベイルートでヒズボラのフアド・シュクルが殺された。ハニヤやシュクルの場合、居場所に関する情報が漏れていた可能性が高い。 そして2024年10月1日、イランはイスラエル南部と中部に200機から400機の弾道ミサイルを発射させ、イスラエルが誇る防空システム「アイアン・ドーム」を突破して標的に命中させている。80から90%が標的に命中したとイラン側は主張しているが、現地から流れてくる映像はその主張の信憑性を高めた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.13
アメリカの国務省は不要不急の政府職員にイラクからの退避を命令、またバーレーン、クウェート、アラブ首長国連邦の基地から軍人の家族は自主退去するように勧告した。また国防総省は中東各地の基地から軍人の家族が退避することを認め、カタールのアル・ウデイド米空軍基地では人員の避難が始まったと報じられている。 イスラエルはアメリカ当局に対し、イランで軍事作戦を開始する準備が整っていると伝えたと報道されているが、ドナルド・トランプ米大統領はイラン攻撃を決定したとも伝えられている。現在、イラン政府は最高レベルの軍事態勢にあり、同国軍のモハンマド・バゲリ参謀総長は予定外の軍事演習を命じたと報じられている。 ウクライナではイギリス、フランス、ドイツの各国政府がアメリカをロシアとの戦争へ引き摺り込もうとしているが、トランプ大統領は今のところ拒否している。ところがイスラエルの要求には応じそうな雲行きだ。 イランの最高指導者であるアリ・ハメネイ師は4月4日の時点でトランプ大統領に対し、イスラム共和国(イラン)と対峙する際に脅しでは何も得られないことを知っておくべきだと警告、イランの軍隊に厳戒態勢を敷いたとも語っていた。またモハンマド・バーゲル・カリバフ国会議長は、イスラム国を脅迫すればこの地域のアメリカの同盟国とアメリカ軍基地は危険にさらされるだろうと述べている。 イランはアメリカ軍基地を抱える近隣諸国、つまりイラク、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、トルコ、バーレーンに対し、攻撃に関与すれば反撃の標的になる可能性があると警告したわけだが、アメリカの重要な軍事基地があるディエゴガルシア島を標的にするとも警告している。 以前、イスラエル軍はイランを攻撃するため、100機以上の戦闘機をシリアやイラクのアメリカ軍が管理している空域へ侵入させたことがある。そこから200機程度のミサイルを撃ち込んだと見られているが、そのミサイルは撃墜され、イランは平穏だ。イランの防空システムが予想以上に強力で、イスラエルの航空機はイランから70キロ以内に近づけなかったと言われている。その際、テヘラン上空に未知の防空システムを発見したとされているが、これはアメリカの「ステルス戦闘機」を攻撃できるロシアの防空システムだった可能性があるという。 つまり、イスラエル単独でイランの重要な施設を破壊できる可能性は小さく、アメリカに頼らざるをえない。アメリカ空軍はイランの射程外から空対地ミサイルで攻撃すると推測されているが、そのアメリカが目的を達成できるとは言えない。 このタイミングでイランの当局者はイスラエルの機密文書を押収したと発表している。その中には「イスラエル占領下のプロジェクトと核施設に関する数千点の文書」が含まれ、その中にはIAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシ事務局長とイスラエルとの連携を示す情報が存在することも判明したという。この話が事実なら、イスラエル軍に攻撃目標に関する重要な機密情報を提供したということになる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.13
日本では原子力発電所を推進しようとする動きが強まっている。東京高裁(木納敏和裁判長)は13兆3210億円の支払いを命じた東京地裁の判決を取り消し、東電旧経営陣の責任を認めなかったが、これもそうした流れの中での出来事なのだろう。 日本の核開発は1943年にふたつのグループによって始められたと言われている。ひとつは理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究、もうひとつは海軍が京都帝大と検討していたF研究だ。仁科を中心とするグループは福島県石川郡でのウラン採掘を決定、海軍は上海の闇市場で130キログラムの二酸化ウランを手に入れたという。 それに対し、ドイツは1945年の初め、日本へ1200ポンド(約540キログラム)の二酸化ウランを潜水艦(U234)で運ぼうとしたが、アメリカの軍艦に拿捕されてしまう。日本の士官が乗り込んでいたこともあり、日本へ向かう予定だと考えられている。 拿捕後、この潜水艦に乗り込んでいた日本人士官は自殺、そのウラン化合物はオーク・リッジへ運ばれたという。アドルフ・ヒトラーが最も信頼していた側近だというマルチン・ボルマンはこのUボートに対し、アメリカの東海岸へ向かい、暗号などを除く積み荷をアメリカ海軍へ引き渡すように命じていたとされている。(Simon Dunstan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011) 連合国側でも原子爆弾の製造計画は存在した。アメリカの原爆製造計画は「マンハッタン計画」と呼ばれている。開発は1939年8月にアルバート・アインシュタインがアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領へ出した勧告書から始まるのだが、その後、アインシュタインは核兵器に反対するようになった。1941年6月にルーズベルト大統領がEO(行政命令)8807という大統領令を出し、OSRD(価格研究開発局)が設置される。 しかし、連合国側で最も核兵器の開発に積極的だった国はイギリスであり、1940年2月にはバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてプロジェクトが始まり、MAUD委員会が設立された。1941年8月にMAUD委員会のマーク・オリファントがアメリカへ派遣されてアーネスト・ローレンスと会い、アメリカの学者も原子爆弾の可能性に興味を持つようになったと言われている。日本軍が真珠湾を奇襲攻撃する2カ月前の1941年10月、ルーズベルト大統領は原子爆弾の開発を許可、イギリスとの共同開発が始まった。 マンハッタン計画を統括していた陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) 1945年4月12日にルーズベルト大統領は急死、ハリー・トルーマン副大統領が昇格した。1945年7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功。トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可する。そして26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表、8月6日に広島へウラン型が、またその3日後には長崎へプルトニウム型が投下されている。 第2次世界大戦後、原子力政策を推進したのは中曽根康弘にほかならない。中曽根が権力の階段を上り始めるのはCIA系の疑似宗教団体、MRA(道徳再武装運動)に関わるようになってから。その団体には岸信介や三井本家の弟、三井高維(みついたかすみ)が参加していた。中曽根はMRAでヘンリー・キッシンジャーなどCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合ってもいる。(グレン・デイビス、ジョン・G・ロバーツ著、森山尚美訳『軍隊なき占領』新潮社、1996年) 1953年に中曽根は「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加。このセミナーの責任者はキッシンジャーで、スポンサーにはロックフェラー財団をはじめ、フォード財団、「中東の友」といった団体が名を連ねていた。この「中東の友」はCIAが隠れ蓑に使っていた団体だと言われている。 中曽根をはじめとする34議員は1954年3月、原子力予算(2億3500万円)を国会に提出、修正を経て予算案は4月に可決された。ドワイト・アイゼンハワー米大統領が1953年12月に国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言を受けてのことだ。 1954年12月に藤岡由夫を団長とする原子力海外調査団が欧米の原子力事情を調査するために出発した。1955年4月には通産省工業技術院に原子力課が新設され、経団連は「原子力平和利用懇談会」を発足させ、6月には日米原子力協定が仮調印、12月に成立した。1955年12月に中曽根は原子力基本法を成立させている。1956年1月には原子力委員会が設置され、初代委員長には読売新聞の社主だった正力松太郎が就いた。 こうした核開発は「平和利用」だとされたが、この段階から核兵器を開発しようという動くはあった。1957年5月には総理大臣に就任して間もない岸信介が参議院で、「たとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈」として持っていると答弁、1959年3月には参議院予算委員会で「防衛用小型核兵器」は合憲だと主張。岸の弟、佐藤栄作が総理大臣だった1964年になると、日本政府内で核武装への道を模索する動きが具体的に出始めた。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) 佐藤政権で核武装を目指す活動を始めたグループは10年から15年の間で核武装できると想定し、具体的な調査を開始。その中心は内閣調査室の主幹だった志垣民郎だった。原爆の原料として考えられていたプルトニウムは日本原子力発電所の東海発電所で生産することになり、志垣らは高純度のプルトニウムを年間100キログラム余りを作れると見積もった。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日) ところで、内閣調査室は1952年4月に創設されている。初代の室長に就任した人物は国警本部警備第1課長だった村井順。後に綜合警備保障を創設する人物だ。村井は1953年9月から3カ月の予定で国外に出ているのだが、その名目はスイスで開かれるMRA大会への出席。この人物もCIAにつながっているということだろう。 村井が国外へ出た本当の理由は、当時西ドイツのボンに滞在していたアレン・ダレスCIA長官に会い、新情報機関に関する助言を得ることにあったとされているが、ボン空港に到着すると間もなく村井はイギリスの情報機関員と思われる人物につきまとわれ、ロンドンの税関では腹巻きの中に隠していた闇ドルを発見された。日本の核兵器開発にはCIAの関係しているように見えるが、これは秘密工作部門。分析部門は日本の核兵器開発を警戒している。 1980年代後半から日本の電力業界がアメリカの一部勢力と連携して核兵器の開発に乗り出したことは本ブログでもすでに書いた通り。それ以降、日本における核兵器開発では電力産業が重要な役割を演じているわけで、その電力産業が主張する原発再稼働の目的を単なる発電だと考えるべきではないだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.12

アメリカの保健福祉省(HHS)は6月9日、予防接種実施諮問委員会(ACIP)の現職委員17名を解任し、新委員に交代させると発表した。国民の信頼を回復することが目的だという。解任される17名はいずれもジョー・バイデン政権が任命、そのうち13名は2024年にその職についた。つまりドナルド・トランプ政権の医療政策を妨害したわけだ。 アメリカに限った話ではないが、2019年末にCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まって以来、WHOを中心とする世界に医療利権に対する信頼度は急落した。当初からWHOや各国の保健機関が打ち出す政策に疑問を抱く人は少なくなかった。当局は関連文書の公開を75年後にしようと目論んでいる。 これに対し、テキサス州では連邦判事は2023年5月9日、FDA(食品医薬品局)に対して「COVID-19ワクチン」の認可に必要とされたデータを2025年6月30日までに公開するよう命令、文書は公開され始めた。判事は命令の冒頭、「民主主義は密室の中で死ぬ」としている。 公開された文書を分析したサーシャ・ラティポワは、バラク・オバマ大統領の時代から国防総省が「COVID-19ワクチン」の接種計画を始めたと主張している。ラティポワは長年、医薬品業界で研究開発に携わってきた人物だ。接種が始まる前から医薬品メーカーや監督官庁はその危険性を認識、どのような副作用が起こるかを知っていたことが判明している。 保健福祉長官は2020年2月4日にCBRN(化学、生物、核、放射線)緊急事態に関するふたつの宣言を発表している。そのひとつがEUA(緊急使用許可)で、大量破壊兵器が関与する重大な緊急事態を想定、CBRN物質に対する対抗手段を安全性と有効性を確保するため、規制監督なしに使用する許可。そしてPREP法の宣言。EUAに基づいて使用する対抗手段によって生じる可能性がある付随的損害について、誰も法的責任を負わないことを保証している。要するに免責。2029年12月31日まで有効だ。WHOがパンデミックを宣言したのは2020年3月11日のことだ。 オバマ政権は2014年2月にキエフでネオ・ナチを使ってビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、大統領は国外に脱出したが、その前からアメリカの国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を行なっていた。その問題に関する報道もあった。 2022年2月にロシア軍はウクライナに対する攻撃を開始、ドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍のほか、軍事施設や生物化学兵器の研究開発施設を破壊、機密文書を回収したが、そうした文書の中に、生物化学兵器に関する約2000文書が含まれていた。 回収文書の分析を指揮してきたロシア軍のイゴール・キリロフ中将は2022年3月7日に分析結果を公表、研究開発はDTRAから資金の提供を受け、CBEP(共同生物学的関与プログラム)の下で進められ、ウクライナにはDTRAにコントロールされた研究施設が約30カ所あったとされている。ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党が病原体研究の思想的な支柱であり、その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDCを含むアメリカの政府機関だ。 キリロフが記者会見でウクライナにおける生物兵器の問題について発表した翌日の3月8日、アメリカの上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について語っている。マルコ・ルビオ上院議員の質問を受け、兵器クラスの危険な病原体がロシア軍に押収されるかもしれないと語ったのだ。つまりウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを事実上、認めた。その件に関する報告書をロシア議会は2023年4月に発表している。 2022年8月4日にもキリロフは記者会見を開き、SARS-CoV-2は中国に対して意図的に放出されたアメリカの生物兵器であるという強い証拠があると語っている。 そのキリロフは2024年12月17日、モスクワの自宅の前に仕掛けられていた爆発装置によって暗殺された。実行したのはウクライナの情報機関だが、アメリカ/NATOの承認なしにそうした挑発的な作戦を実行することは不可能だと考えられている。 COVID-19騒動はアメリカ国防総省を黒幕とする軍事プロジェクトであり、医薬品会社は国防総省の契約企業だ。医療産業のロビー団体と化しているWHOもそうした軍事プロジェクトの駒にすぎない。5月20日にWHOの総会で「パンデミック条約」が採択されたが、これもアメリカを支配する勢力が行なっている軍事プロジェクトの一環だ。 WHOでの投票結果は賛成124、反対0、棄権11。棄権した国の中にはポーランド、イスラエル、イタリア、ロシア、スロバキア、イランが含まれ、スロバキア政府はこの条約について、「我が国の国益と国民の自由に対する脅威」だとして条約を拒否する姿勢を明確にした。 WHOからの脱退を表明しているアメリカは総会を欠席、ロバート・ケネディ・ジュニアHHS長官は条約への不参加を明らかにしているのだが、トランプ政権が医療利権と戦っているとは言い難い。大統領出席補佐官を務めているスージー・ワイルズは製薬品産業のロビイストだった人物で、彼女が所属していたマーキュリーはジョー・バイデンとカマラ・ハリスのコンビともつながっている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.11
ロシア軍は6月4日にポルタバにあるドイツ軍の訓練場をミサイルで破壊、6月6日から3日連続でキエフ、ハリコフ、リウネ、オデッサなどに対し、ドローンやミサイルで激しく攻撃した。目標はウクライナ軍の設計局、兵器などを製造、あるいは修理を行う会社、攻撃用ドローンの組立工場、飛行訓練センター、兵器や軍事装備品の倉庫などだとされているが、、NATOの将校も出入りする司令部のような重要な地下施設が破壊されているという。今回の攻撃により、ウクライナ側で死亡した外国人兵士の数は1000人に迫り、病院は負傷者で溢れているようだ。(例えば、ココやココやココやココやココやココやココやココ) ロシアで伝えられている未確認情報によると、6月6日にはウクライナがロシアをドイツ世の巡航ミサイル「タウルス」で攻撃したというが、その日から始まったロシア軍の攻撃はタウルスによる攻撃に対する報復だとは考えられていない。報復はあるだろうが、それには準備が必要。まだ先に話ということになる。 ウクライナにはソ連時代から地下施設が存在、ウクライナ/NATOはそうした施設を利用してきた。マリウポリ、ソレダル、マリインカ、アウディーウカには地下要塞を建設、ドンバス周辺を囲む要塞線を築いていた。 ドナルド・トランプ米大統領は現在行われているロシア軍のウクライナに対する攻撃について、ウクライナの行動が報復を招いたと語っている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.10
ロシア軍は6月6日、ウクライナに対する大規模な高精度長距離ミサイルや攻撃用ドローンを用いた大規模な攻撃を実施しはじめた。攻撃目標はウクライナ軍の設計局、兵器などを生産したり修理する企業、攻撃用ドローンの組立工場、飛行訓練センター、そして兵器や軍事装備品の倉庫だ。激しい攻撃の様子は西側の有力メディアも伝えている。 ウクライナの治安機関SBUが6月1日に約120機のドローンでロシアの戦略核基地、つまりオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)の基地を攻撃、またロシアのクルスクやブリャンスクで鉄道に対する破壊工作を仕掛けしたことに対する報復だとされている。 いずれの攻撃もSBUが単独で行うことは不可能。地上での情報収集だけでなく、衛星からの目標に関する情報収集も必要。その目標へドローンを誘導するのも衛星だ。イギリス、フランス、ドイツなどの情報機関が共犯関係にあることは間違いない。こうした攻撃をドナルド・トランプ米大統領はウラジミル・プーチン露大統領に対し、知らなかったと発言したそうだが、情報機関は知っていたはずだ。トランプの発言が事実ならば、クーデターが進行中なのか、地下政府が指導したということになる。 ソ連が消滅した1991年12月、アメリカの軍事と外交をコントロールしてきたネオコンは世界制覇プロジェクトを始めているが、彼らがホワイトハウスで完全に主導権を握るのは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後だ。 ソ連消滅後、ロシアは米英の強大な私的権力の植民地と化していたのだが、21世紀にウラジミル・プーチンを中心にロシアが動き始めてから再独立ヘ向かう。そこでネオコンたちはロシアを再植民地化しようとするのだが、思惑通りに進まない。その間、NATOを東へ拡大して圧力をかけるが、その結果、2014年2月にウクライナで戦争が始まる。 この戦争はクーデター政権と反クーデター派住民との内戦という形で始まったが、ネオコンにとってウクライナ制服は対ロシア戦争の一環にほかならない。NATOがウクライナに入ることをロシアが許さないことは明白であり、大規模な戦争に発展することも想定できた。 対ロシア戦争の中心にはネオコンがいるのだが、そのネオコンはシオニストの一派であり、東ヨーロッパで「修正主義シオニズム」を作り上げたウラジミル・ジャボチンスキーと関係が深い。 ジャボチンスキーは第1次世界大戦が始まるとイギリス軍の「ユダヤ人部隊」に参加、パレスチナがイギリスの委任統治領になると、そこで「ユダヤ人」の秘密部隊として「ハガナ」を組織。後にハガナが中核となり、イスラエル軍が編成されることになる。彼が「修正主義シオニズム」を創設するのは1925年のことだ。 ジャボチンスキーは死の直前、アメリカで住んでいたが、その時代に彼の秘書を務めていたベンシオン・ネタニヤフは現在、イスラエルの首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフ。1970年代にイスラエルで台頭した政党リクードは修正主義シオニズムの政党である。 シオニズムとは「シオンの地」へ帰るという考え方なのだが、ナチス時代のドイツでも「シオンの地」とされているパレスチナへ行きたいと考えるユダヤ教徒/人は少数だった。そもそもユダヤ人がシオニズムを言い始めたわけでもない。 一般的に「近代シオニズムの創設者」とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだが、その前からシオニズムという考え方は存在した。海賊行為で富を蓄積していたエリザベス1世の時代、イングランドに出現した「ブリティッシュ・イスラエル主義」が始まりだと考えられている。 その当時、イングランドの支配層の間で、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信じ、人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているという妄想が広まっていた。 イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。 その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたとされている。クルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可したが、稼ぎ方を海賊行為から商取引へ切り替えるためだった灯されている。ユダヤ人は商取引や金貸しに長けていた。 エリザベス1世が統治していた1593年から1603年にかけてイングランドはアイルランドで現地の連合軍と戦闘、勝利する。アイルランドを率いていたヒュー・オニールとロリー・オドネルが1607年にヨーロッパ本土へ逃亡するとイングランド王室はアイルランドの先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。 クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧、さらにアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺。侵攻前の1641年には147万人だった人口は侵攻後の52年に62万人へ減少した。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。 ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師は1830年代から宗教活動を始めたが、彼はキリストの千年王国がすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考えていた。 世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということだ。 19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。 このように始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。 こうして見ると、シオニズムは「ユダヤ人」ではなく、「アングロ・サクソン」が生み出し、イギリスで始まったと言うべきだろう。ガザでの虐殺にしろ、ウクライナでの対ロシア戦争でもイギリスの存在が浮上しているが、これは必然。そのイギリスがアメリカと共同で支配してきたNATOが対ロシア戦争に積極的なのも必然だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.09
東京電力福島第1原発は2011年3月11日に炉心が溶融するという大事故を引き起こした。その大事故を引き起こした東電や監督官庁の幹部は責任を問われて当然だが、東京高裁(木納敏和裁判長)は13兆3210億円の支払いを命じた東京地裁の判決を取り消し、東電旧経営陣の責任を認めなかった。 日本の場合、原子力発電の危険性、放射性廃棄物の処理問題だけでなく、地震と津波の問題がある。日本ではどこでも大規模な地震が起こる可能性があり、それに伴って大きな津波の発生も予見できるのだ。木納敏和もその程度のことは理解できているだろう。今回の判決は、地震や津波で破壊されることが予見できても原子力発電所は建設するという支配者たちの意思表明だと考えるべきだ。 この原発事故は三陸沖で発生したマグニチュード9.0という地震が原因。その地震で引き起こされた津波が原因であるかのように言われているが、データを分析すると揺れで破壊されている可能性が高い。この地震で観測された震度は7だ。 武田薬品系のアルカリスが明治グループのMeiji Seika ファルマが共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設した福島県南相馬市は双葉郡の北に位置し、東電福島第1原発の「過酷事故」で大きな被害を受けている。 その地震で原子炉内にあった核燃料のほぼ全量が溶融、周辺の装置などを含むデブリ(塊)は600トンと言われているのだが、それがどこにあるか明確でない。「チャイナシンドローム状態」で、それを大量の地下水が冷却、高濃度汚染水が太平洋へ流れ込んでいる可能性がある。 原発の専門家であるアーニー・ガンダーセンも指摘しているように、福島第一原発から環境中へ放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発のそれを大幅に上回ることは間違いない。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 東電福島第1原発の事故で放出された放射性物質はチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だとする話が流されたが、その可能性は小さい。福島のケースでは圧力容器が破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたので放射性物質を除去することになっている圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰、しかも急上昇した圧力のためトーラスへは爆発的な勢いで気体と固体の混じったものが噴出したはずだ。 つまり、トーラスで99%の放射性物質が除去されるという計算の前提は成り立たないわけで、チェルノブイリ原発事故で漏洩した量の十数倍、少なくとも2~5倍を福島第1原発は放出した。その大半は太平洋へ流れたと考えられているが、風向き次第では、東日本が壊滅していただろう。 2011年3月11日には福島第2原発や女川原発もメルトダウンしかねない状況だった。地震で壊れる可能性があっただけでなく、第1原発の使用済み核燃料プールが倒壊、その中に入っていた1500本を超す燃料棒が入っていて、それらが剥き出しになると、近くの福島第2原発や女川原発へも影響が及び、それらも冷却が不能になる寸前だった。 幸運にもそうした事態にならなかったが、それでも被害は甚大。衆議院議員だった徳田毅は2011年4月17日、「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いていた。「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係差には人脈がある。これは一種の内部告発だ。これだけ被曝して人体に影響がないとは考えられない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはずだ。 その後、徳田毅は2013年2月に国土交通大臣政務官を辞任、11月には姉など徳洲会グループ幹部6人を東京地検特捜部が公職選挙法違反事件で逮捕、徳洲会東京本部や親族のマンションなどを家宅捜索した。徳田は自民党へ離党届を提出、14年2月に議員を辞職している。 事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。 井戸川元町長を作品の中で登場させた週刊ビッグコミックスピリッツ誌の「美味しんぼ」という漫画は、その内容が気に入らないとして環境省、福島県、福島市、双葉町、大阪府、大阪市などが抗議、福島大学も教職員を威圧するような「見解」を出し、発行元の小学館は「編集部の見解」を掲載、この作品は次号から休載すると決めたという。 ロシア科学アカデミー評議会のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループによると、1986年から2004年の期間に事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下、あるいは知能の問題が報告されている。 2011年3月12日に爆発したのは1号機で、14日には3号機も爆発している。政府や東電はいずれも水素爆発だとしているが、3号機の場合は1号機と明らかに爆発の様子が違い、より深刻なものだった。15日には2号機で「異音」、また4号機の建屋で大きな爆発音があったという。 その後、建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測できるとしている。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出した。 その会議の直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。ダメージコントロールのために発表したようにも思える。 事故で溶けた燃料棒を含むデブリが格納容器の底部へ落下、地中へ潜り込んでいる可能性もある。破壊された原発を廃炉にする前にデブリを回収しなければならない。日本政府は2051年までに廃炉させるとしていたが、イギリスのタイムズ紙はこの原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定。実際は数百年必要だと考えられているが、廃炉作業が終了した後、10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要があると言われている。 福島第1原発では発電以外の作業が行われていたと疑われていたのだが、その背景には日本の核兵器開発の疑惑が存在する。 第2次世界大戦後、日本で核武装が具体的に検討され始めたのは、岸信介の弟、佐藤栄作が総理大臣だった時代。1964年に中国が初めて核実験を実施した後だ。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。こうした日本側の発言に対し、ジョンソン政権は日本に対し、思いとどまるよう伝えたという。 この番組によると、この時代、日本政府の内部で核武装が議論され、西ドイツ政府に秘密協議を申し入れている。1969年2月に開かれた両国政府の協議へは日本側から外務省の国際資料部長だった鈴木孝、分析課長だった岡崎久彦、そして調査課長だった村田良平が出席した。日独両国はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと日本側は主張したのだという。 アメリカでは1969年にリチャード・ニクソンが大統領に就任。シーモア・ハーシュによると、この政権で大統領補佐官を務めたヘンリー・キッシンジャーは日本の核武装に前向きだった。彼はスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) 佐藤政権では核武装の調査をするチームが編成され、その中心はCIAと関係の深い内閣調査室で主幹を務めていた志垣民郎。調査項目には核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などが含まれ、技術的には容易に実現できるという結論に達している。原爆の原料として考えられていた高純度プルトニウムは日本原子力発電所の東海発電所で年間100キログラム余りを生産できると見積もられていた。 当然、こうした日本の動きをアメリカ政府も承知していた。1972年2月にリチャード・ニクソン米大統領は中国を訪問しているが、それまでの交渉過程でキッシンジャーは周恩来に対し、日本の核武装について話している。シーモア・ハーシュによると、アメリカと中国が友好関係を結ぶことに同意しないならば、アメリカは日本に核武装を許すと脅したというのだ。 原爆の製造に必要なプルトニウムを製造することになっていた東海発電所の原発はGCR(黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉)で、原爆用のプルトニウムを生産するには適していると言われている。アメリカやソ連はこの型の原子炉でプルトニウムを生産、原爆を製造している。 ジミー・カーター政権がスタートした年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入る。2006年までに1116トンを処理、その1パーセントのプルトニウムが生産されるとして10トン強、その1パーセントは誤差として認められるので、0・1トンになる。計算上、これだけのプルトニウムを「合法的」に隠し持つことができる。 日本が核武装を目指していると信じられている一因はリサイクル機器試験施設(RETF)の建設を計画したことにある。RETFとはプルトニウムを分離/抽出することを目的とする特殊再処理工場で、東海再処理工場に付属する形で作られることになった。常陽やもんじゅで生産した兵器級プルトニウムをRETFで再処理すれば日本は核兵器を製造できる。 そうした日本の核兵器製造計画をアメリカ政府が支援していると思わせることもあった。アメリカ政府が東海村のRETFへ移転した技術の中に「機微な核技術」、例えば小型遠心抽出機などの軍事技術が含まれていることがわかっている。(Greenpeace International, "The Unlawful Plutonium Alliance", Greenpeace International, 1994) かつてNSA(国家安全保障庁)の分析官をしていた人物によると、アメリカの情報機関は現在でも計画は生きていると確信しているというが、ジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、東京電力福島第1原子力発電所で炉心が用揺する事故が起こった2011年当時、日本は約70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積していたという。 アメリカでは1972年にCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画が開始されるが、77年にカーターが大統領に就任しすると核政策の変更があって基礎的な研究計画を除いて中止になる。1981年にロナルド・レーガン政権が始まると計画は復活するのだが、挫折。1987年に議会はクリンチ・リバーへの予算を打ち切る。 そこで高速増殖炉を推進していた勢力が目をつけたのが日本。トレントによると、この延命策を指揮することになったのがリチャード・T・ケネディー陸軍大佐はクリンチ・リバー計画の技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにした。 こうした流れの中、毎年何十人もの科学者たちが日本からクリンチ・リバー計画の関連施設を訪れ、ハンフォードとサバンナ・リバーの施設へ入ることも許されていた。中でも日本人が最も欲しがった技術はサバンナ・リバーにある高性能プルトニウム分離装置に関するもの。実際、その装置はRETFへ送られた。日本の核武装を警戒しているCIAは動燃を監視するため、プルトニウムの管理システムにトラップドアを仕込んでいた可能性がある。 日本の核武装を推進しようとしていた日本とアメリカの勢力は高速増殖炉と再処理技術の日本への全面移転、核物質を無制限に日本が輸入し、それをプルトニウムに再処理し、他国、例えばイスラエルのような国へ再移転する権利を与える協定を結ぶが、こうした取り決めを実現する上で重要な役割を果たした軍人がジェームズ・アワーだと言われている。アワーは1988年9月退官してバンダービルト大学の教授に就任、同大学の日米研究協力センターの所長になった。 ちなみに、東電福島第1原発の警備を担当していたのはイスラエルのマグナBSP。セキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラが原発内に設置していたとエルサレム・ポスト紙やハーレツ紙が伝えている。(The Jerusalem Post, March 15, 2011 / Haaretz, March 18, 2011) この協定によりアメリカから干渉されず、日本はフランスやイギリスからプルトニウムを「返還」されたが、イギリス核燃料会社(BNFL)が生産するプルトニウムは核兵器に使用できるほど純度が高かったとされている。そのBNFLは1960年代にイギリスは核兵器用のプルトニウムをイスラエルへ秘密裏に供給していた。また東芝はBNFLからウェスチングハウスを買収、それが原因で東芝は経済危機に陥った。 アメリカの好戦派が日本に核武装させようとした理由のひとつは、東アジアにおけるアメリカの軍事的な負担を軽減し、ヨーロッパを舞台としたロシアとの全面戦に備えることだったと言われている。 日本で原子力を取り巻く状況は1990年代後半に大きく変化する。まず1995年12月に「もんじゅ」で冷却剤の金属ナトリウムが漏れ出るという事故が発生し、それから約15年の間、停止を余儀なくされていた。2010年5月に再開されるのだが、8月には直径46センチメートルのパイプ状装置を原子炉の内部に落としてしまい、再び運転は休止状態になった。1997年4月には東海再処理工場で深刻な放射能漏れ事故が引き起こされる。 日本の原発にはガザで住民を虐殺し、ウクライナでロシアと戦争を始めたアメリカの好戦派が日本の支配層と関係している。樋口健二が言っているように、「原発には政治屋、官僚、財界、学者、大マスコミが関わってる。それに司法と、人出し業の暴力団も絡んでるんだよ。」 原発事故で東電と裁判所は共犯関係にあるということだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.08
世界の覇者となるためには強力な軍事力を持ち、食糧とエネルギーを支配するだけでなく、影響力を持っている人びとの弱みを握るために監視システムを構築することも必要だ。そうした能力の高い機関として、イギリスのMI6とGCHQ、アメリカのCIAとNSA、イスラエルのモサドや8200部隊を挙げられるが、この3カ国の情報機関は連携している。 そうした情報機関のネットワークには「民間企業」も含まれているのだが、そのひとつがパランティア・テクノロジーズなるデータ分析の会社。CIAのベンチャー・キャピタル部門であるIn-Q-Telからの資金で創設されたのは2003年。この年にジョージ・W・ブッシュ政権はアメリカ主導軍にイラクを先制攻撃させたが、そのイラク、そしてアフガニスタンにおける軍事作戦にパランティアは加わっている。また同社はイスラエルの情報機関とも関係が深く、共同創設者のひとりで、現在会長を務めているピーター・ティールはドナルド・トランプ大統領を支持、J・D・バンス副大統領は彼の弟子的な存在だ。 キア・スターマー英首相が駐米イギリス大使に指名したピーター・マンデルソンは2010年にロビー活動会社のグローバル・カウンセルを設立した。昨年、彼はこの会社の取締役を辞任したが、大株主ではある。このグローバル・カウンセルはパランティアの取引相手だ。 2022年に入るとウクライナ軍はドンバスの周辺に集結、住民への砲撃を激化させた。ウクライナ軍の軍事侵攻が近いと言われる中、2月にロシア軍が戦争の準備をしないままウクライナに対する攻撃を開始するのだが、その攻撃によるウクライナ側のダメージは小さくなかったようで、停戦交渉が始まり、ほぼ合意に達した。それを潰すため、4月9日にキエフへ乗り込んだのがイギリスの首相だったボリス・ジョンソンだ。 そして2022年6月、パランティアはウクライナ政府へ分析AIソフトを持ち込んだ。その後、同国の国防省、デジタル変革省、経済省、教育省などがそのAIを使っているという。AI信奉者はこれで勝利を確信したかもしれないが、結果は無惨で、ロシアの勝利は決定的だ。 しかし、そうしたシステムが導入されたことにより、パランティアはウクライナ政府のほぼ全データへアクセスできるようになった。ウクライナ政府をアメリカやイギリスの情報機関が操るためのシステムが作られたとも言えるだろうが、ウォロディミル・ゼレンスキーはMI6のエージェントである可能性が高い。 5月20日にウクライナの治安機関SBUはウラジミル・プーチン露大統領を乗せたヘリコプターをクルスク上空で46機のドローンを使って攻撃し、6月1日にはロシアのオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)にある戦略核基地をやはりドローンで攻撃、6月3日にはケルチ橋(クリミア橋)の防護柵を爆破した。 いずれも西側諸国、おそらくイギリス、フランス、ドイツ、アメリカの情報機関から支援を受けていたはずだが、トランプは事前に知らされていなかった可能性がある。しかもアメリカにはジェフリー・エプスタインが行っていたような恫喝システムが存在、その網に中にトランプも入っている。情報機関やパランティアのような「民間企業」に監視されているだけでなく、罠も仕掛けられているのだ。 アメリカで1982年にロナルド・レーガン大統領が出したNSDD55によってCOGプロジェクトが承認され、NPO(国家計画局)が創設された。核戦争の際に地下政府を始動させるという計画だ。しかも1988年に出された大統領令12656によって、地下政府を始動させる条件が核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更、権力者が恣意的に憲法や政府の機能を停止させるという仕組みができあがった。憲法や政府を超えた力を持つ何者かが国を動かすことができる仕組みだ。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007) 1933年から34年にかけてJPモルガンをはじめとするウォール街の大物たちはニューディールを掲げるフランクリン・ルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画したが、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将によって阻止された。そのルーズベルトは1938年4月、ファシズムについて次のように語っている。 「民主国家そのものよりも私的権力が強大になることを国民が容認するならば、民主主義の自由は安全ではない。それは本質的にファシズムであり、個人、集団、あるいはその他の私的権力による政府所有だ。」**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.07
シリアではバシャール・アル・アサド政権が倒された後、暫定大統領に就任したアーメド・フセイン・アル-シャラー(アブ・モハメド・アル-ジュラニ)は、ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)と呼ばれる武装集団のリーダーを務めていた人物だが、ここにきてラザン・サフォーというイギリス系シリア人が注目されている。 アル-シャラーは2月にサウジアラビアを訪問、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子と会談しているが、その際、サフォーが同行していたのだ。ミュンヘン安全保障会議に出席するシリア外相アサド・アル・シャイバニにも同行した。この女性はムスリム同胞団の家庭に育った反アサドの活動家だが、アサド政権が倒れるまでシリアを訪れていない。 サフォーはロンドンで生まれ育ち、SOAS(東洋アフリカ研究学院)で学んだ人物。シリアで戦争は始まった直後、シリアの反体制派として名前を売った。彼女の父親であるワリド・サフォーがムスリム同胞団の指導的な活動家だったことも影響したのだろう。 アル-シャラーが率いていたHTSはアル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線を改名した組織で、その前身はAQI(イラクのアル・カイダ)。2016年にアル・カイダ系武装集団と決別したことになっているが、名称は単なるタグ、あるいはプロジェクト名にすぎない。イギリスの外相を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に書いているように、「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストを意味していた。 サフォーの家族と関係が深いムスリム同胞団は1928年にハッサン・アル・バンナが創設した。その際、スエズ運河会社の支援を受けたとされている。この団体の源流である汎イスラム運動は1885年にイギリスの情報機関や外交機関の人間がロンドンでペルシャ系アフガニスタン人の活動家と会談したところから始まる。会談の目的は帝政ロシアに対抗することにあった。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) エジプトのムスリム同胞団は1930年代に戦闘員の訓練施設をカイロ郊外に建設する一方、エジプト軍の内部へ入り込んでいくが、1940年代になるとイギリス、ドイツ、ソ連の情報機関が同胞団の内部に潜入、戦後になるとアメリカやフランスの情報機関も入り込む。 1945年2月、そして48年12月にムスリム同胞団はエジプトの首相を暗殺、49年2月には報復でバンナが殺された。その直後に同胞団のメンバーは大半が逮捕され、組織は解散させられたのだが、アメリカとイギリスの情報機関は組織解体から2年半後に復活させている。CIAは新生ムスリム同胞団の指導者にサイード・クトブを据えた。 エジプトでは1952年7月にクーデターで王制から共和制へ移行する。その背後にはムスリム同胞団が存在していたのだが、実権を握ったのは自由将校団のガマール・アブデル・ナセルだった。このクーデターを好ましいと考えなかったイギリスは自由将校団の政府を倒そうとするが、アメリカから止められる。 イギリスの対外情報機関MI6は1956年2月頃にナセル暗殺を検討し始める。ロンドンにいたCIAのオフィサーからワシントンのアレン・ダレスに宛てたテレックスの中にMI6がナセルを殺す話をしていたとする記述があるのだという(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)が、ナセルは1956年6月、エジプト大統領に就任。彼はアラブ諸国の団結を訴え、非同盟運動にも参加した。 その2年前、1954年にムスリム同胞団がナセル暗殺を目論んでいる。その暗殺計画で中心的な役割を果たしたひとりはハッサン・アル・バンナの義理の息子であるサイド・ラマダーンだが、彼を操っていたのはイギリスだと見られている。ジョン・フォスター・ダレス国務長官やアレン・ダレスCIA長官はイギリスに同調していた。 ナセルは1956年7月にスエズ運河の国有化を宣言。その2日後にイギリスはプロパンダ放送局「自由エジプトの声」で反ナセル宣伝を開始、イスラエルに武器を提供。イスラエルはイギリスやフランスの代理としてエジプトと戦争を始めた。 戦争はイスラエルが優勢だったが、アメリカとソ連の仲裁で戦争は終わる。ソ連のニコライ・ブルガーリン首相がイギリス、フランス、イスラエルに対して強硬で、エジプトから軍隊を撤退させない場合、その3カ国の首都をミサイルで攻撃すると通告している。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) 亡命生活に入ったラマダンはサウジアラビアへ逃れ、そこで世界ムスリム連盟を創設、西ドイツ政府から提供された同国の外交旅券を使ってミュンヘン経由でスイスへ入り、1961年にジュネーブ・イスラム・センターを設立。資金はサウジアラビアが提供したという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) このムスリム同胞団をバラク・オバマ大統領も使った。2003年3月にジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを軍事侵攻したが、所期の目的を達することができず、オバマ政権はムスリム同胞団を使うことにしたのだ。そのため、2010年8月に出されたのがPSD-11。この当時、国務長官を務めていたヒラリー・クリントンにはヒューマ・アベディンという側近がいたのだが、彼女の母親サレハはムスリム同胞団の幹部だ。 PSD-11が作成される前年、ロラン・デュマ元仏外相はイギリスを訪問しているのだが、その際、彼はイギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたという。2010年には地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けたる工作が始まった。いわゆる「アラブの春」だ。 トニー・ブレア政権で首席補佐官を務め、キール・スターマー政権で国家安全保障補佐官を務めているジョナサン・パウエルは2011年、反アサド勢力との秘密ルート開設を目的とするインター・メディエイトを設立した。このNGOはイギリス外務省の資金援助を受けていた。2012年3月にパウエルはヒラリー・クリントンの顧問を務めていたシドニー・ブルメンソール宛ての書簡でアメリカの支援を求めている。 2011年2月になるとリビアで、また3月にはシリアでムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とする傭兵部隊による侵略作戦が始まり、その年の10月にアメリカなど侵略の黒幕国はムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ本人は惨殺された。その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)の連携が明白になる。 カダフィの破壊に成功した外国勢力、つまりアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、イギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、パイプラインの建設をシリアに拒否されたカタール、そしてトルコはシリアに兵器や戦闘員を集中させる。 こうした動きをを危険だとアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は考え、報告書を2012年にホワイトハウスへ提出した。外部勢力が編成した反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告している。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。 この警告通り2014年には新たな武装集団ダーイッシュが登場。この武装集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。 その一方、オバマ大統領は政府の陣容を好戦派へ変えていく。例えば2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、同年9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させた。 ところが、デンプシーが統合参謀本部議長の座を降りてから5日後の9月30日、ロシア軍がシリア政府の要請で介入し、ジハード傭兵を攻撃して占領地域を急速に縮小させていった。そこでアメリカはクルドを新たな傭兵として使い始めるが、クルドを敵視するトルコは侵略同盟から離脱。ロシア軍はイドリブへ逃げ込んだアル・カイダ系武装勢力にとどめを刺さない。その一方でアサド政権は経済戦争で疲弊、11月27日にHTSがシリア軍を奇襲攻撃すると、呆気なくアサド政権は倒れた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.06

ウクライナの治安機関SBUは6月1日、ロシアのオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)にある戦略核基地をドローンで攻撃、6月3日にはケルチ橋(クリミア橋)の防護柵を爆破した。いずれも西側諸国、おそらくイギリス、フランス、ドイツ、アメリカの情報機関から支援を受けていただろう。 2度の攻撃に挟まれた6月2日にウクライナのルステム・ウメロフ国防相とロシアのウラジーミル・メジンスキー特使はイスタンブールで会談した。まず2時間半ほど非公式の会談を行い、その後に公式会談を1時間ほど行った。ロシア側はウクライナ側に対し、停戦から30日以内にウクライナ軍をドンバス(ドネツクとルガンスク)、サポリージャ、ヘルソンから完全に撤退させ、軍や準軍事組織の再展開を禁止、クリミア、ドンバス、ノボロシアをロシアの一部として国際的に承認することを要求してきた。 ノボロシアとは、帝政ロシアの時代に由来する歴史用語で、オデッサ、ヘルソン、ミコライフ、ドニプロペトロフスク、ザポリージャ、クリミア、ベッサラビアの一部などが含まれていたが、1917年のロシア革命後、クリミアを除く部分はウクライナへ併合された。クリミアがウクライナになるのはウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがソ連の最高指導者だった1954年のことだ。今のところ、ロシアはオデッサをロシア領として承認しろとは言っていない。 ロシアが軍事作戦を始めた最大の理由はNATOがウクライナを支配、ロシアとの国境近くにミサイルを配備することを嫌ったからだ。つまり新たなバルバロッサ作戦を許さないということである。そこで現在、ロシア政府はウクライナの中立性を求め、ウクライナにおける核兵器の受け入れと配備を禁止。ウクライナへの西側諸国の兵器供給や情報提供も認めない。 また、ウクライナは「政治犯」を恩赦し、戒厳令を廃止、拘束されている軍人と民間人を釈放、ロシア語話者の完全な権利、自由、利益を確保、さらに軍事行動による損害に関するウクライナとの相互請求権を放棄、さらにウクライナで選挙を実施、平和条約に署名するすることも要求している。大統領の任期が切れているウォロディミル・ゼレンスキーをロシアは正当なウクライナの代表だとはみなしていない。 SBUが6月1日にロシア軍の核兵器基地を攻撃した理由として、ロシア政府を怒らせ、イスタンブールへ代表団を送り込まないという展開をウクライナの後ろ盾になっているNATO諸国は望んだのだろうとも言われている。西側でロシアと戦争できる国はアメリカしかないわけで、ロシアとアメリカが関係を修復することを欧米の反ロシア勢力は阻止しようと必死だが、ケルチ橋の防護柵へ無人艇を突入させても事態は変わらないだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.05

6月3日にケルチ橋(クリミア橋)が攻撃されて防護柵が爆発したものの、橋本体に大きな損傷はなかったようだ。ウクライナは治安機関SBUがTNT火薬換算で約1トンの爆薬を橋脚の下に仕掛けたと主張したが、実際は無人艇によるもの。西側の情報機関が関与した可能性は高い。 ケルチ橋は2022年10月8日にも攻撃されたが、その年の4月にイギリスの情報機関が作成した資料によると、破壊活動の訓練を受けたウクライナ軍兵士を動員してケルチ橋を爆破するという計画が練られていた。このテロ攻撃を実行したのはSBUだが、計画したのはイギリスの対外情報機関MI6だとロシア政府は主張している。 その年の10月29日、クリミアのセバストポリをキエフ政権が9機のUAV(無人機)と7隻の無人艦で攻撃、いずれもロシア軍に破壊されたとされているが、その攻撃を実行したウクライナの第73海軍特殊作戦センター隊員を訓練したのはオチャコフにいるイギリスの専門家だった。 フリードリヒ・メルツ独首相は空中発射型巡航ミサイルの「タウルスKEPD 350」をウクライナへ供与すると主張していたが、この攻撃計画はドイツ空軍の中で議論されていることを示す会話が昨年3月1日、RTによって公開されている。 この攻撃に関する相談をドイツ空軍の幹部は2024年2月19日にリモート会議で行ったが、その幹部とはインゴ・ゲルハルツ独空軍総監、作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部のフェンスケとフロシュテッテ。ゲルハルツらは2023年年10月の時点で計画の内容を太平洋空軍司令官だったケネス・ウイルスバックに伝えているという。 ウイルスバックは2023年5月、航空戦闘軍団司令官に指名されて昨年2月に就任、ウイルスバックの後任としてケビン・シュナイダーが太平洋空軍司令官になったのは昨年2月9日。問題のリモート会談が行われる10日前のことだ。その時点でシュナイダーはウクライナでの攻撃計画について知らなかったようだ。 計画を知らなかったのはシュナイダーだけでなく、ドイツの首相だったオラフ・ショルツや国防相だったボリス・ピストリウスも知らなかった。つまりアメリカ軍幹部の一部とドイツ空軍幹部など限られたグループがロシア軍と本格的な軍事衝突を目論んでいる可能性がある。 こうしたことを考えると、6月1日にSBUが実行したオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)の戦略核基地への攻撃をドナルド・トランプ米大統領が知らなかった可能性は否定できない。 モスクワ近郊のボスクレセンスクにある空軍基地が攻撃する様子だとする映像が拡散されているが、オレゴルスクにあるホテルが写っていることから、偽情報だということがすぐに発覚した。発信源はウクライナ情報心理作戦センターだとされている。 6月1日の「スパイダー・ウェブ作戦」は計画通りの結果は得られなかったようだが、アメリカを含む西側諸国で軍の内部で反乱組織が主導権を握りつつあるのかもしれない。その反乱組織はCIAやMI6のような情報機関に指揮下されている可能性もある。 この作戦によってダメージを受けた爆撃機の数はロシア空軍が保有していた総数の3%強で、軍事的に大きな影響はないが、攻撃された意味は小さくない。ロシア国内でも報復を求める声が高まり、核戦争を回避しようとしてきたウラジミル・プーチン政権にとっては舵取りが難しくなっている。 ロシアの安全保障会議で副議長を務めているドミートリー・メドベージェフは報復を求める声に対し、「心配するのは当然」だとした上で、ロシア軍は前進を続け、爆破すべきものはすべて爆破し、排除すべきものは排除すると発言している。 ロシアとの戦争を始めたネオコンに従属しているEUの「エリート」はウクライナでの戦闘が終わることを恐怖している。戦闘が終わるということはロシアの勝利を意味するからだ。 ウォロディミル・ゼレンスキー体制はブラックロックのほか、JPモルガン・チェースやゴールドマン・サックスの影響下にあり、メルツ独首相はブラックロックの元監査役、エマニュエル・マクロン仏大統領は財務官僚からロスチャイルド銀行へ転職した人物。こうした西側の金融資本はウクライナの資源を手に入れようとしているだけでなく、広大な工作地帯を支配しつつある。ロシア軍の勝利はそうした西側資本の利権を危うくする。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.04
ウクライナの治安機関SBUは6月1日、約120機のドローンでロシアのオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)の戦略核基地を攻撃した。「スパイダーズ・ウェブ作戦」だ。 確認された被害は戦略爆撃機Tu-95が5機(オレニャで4機、ベラヤで1機)、超音速爆撃機Tu-22が2機(ベラヤ)、そしてAn-12輸送機が1機(オレニャ)。ロシア軍が動かしているTu-95はターボプロップ機であり、しかもロシアは58機保有していた。つまり大半は健在。しかもTu-95はターボプロップ機で、古いタイプ。Tu-22も旧タイプだ。ウクライナ側は40機以上を破壊したとしているが、これは「計画通りなら」ということだろう。計画通りにはいかなかった。 これまでアメリカとロシアは戦略爆撃機を衛星画像上で視認できるようにしてきた。2011年に発効した新START(新戦略兵器削減)条約では、戦略爆撃機を相手国が監視できるように、衛星画像などの国家技術検証手段(NTM)で視認できるようにしなければならないと規定していた。この条約が停止された後も、両国はそうしたルールを尊重してきたのだが、今回の攻撃はそうしたルールを悪用したものであり、核戦争勃発の危険性を高めることになる。 表面的には、こうしたルールを悪用したのはウクライナ。だがウクライナだけで実行できる攻撃ではないことも確かである。地上で情報を収集だけでなく、衛星からの目標に関する情報も必要。その目標へドローンを誘導するのも衛星だ。イギリス、フランス、ドイツなどの情報機関が共犯関係にあることは間違いないだろう。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは攻撃の直前、こうした国々と接触していたが、アメリカが関与している疑いもある。 アメリカやイギリスの情報機関や特殊部隊は2014年2月にネオ・ナチがキエフでクーデターを成功させてから破壊活動を含む軍事訓練をウクライナ人に対して実施してきた。アメリカの情報機関はウクライナの特殊部隊内で活動しているわけで、彼らが今回の攻撃計画を知らなかったということはないだろう。 本ブログでもすでに書いたことだが、この攻撃をドナルド・トランプ米大統領が知っていたのかどうかが問題になっている。もし知らなかったとすれば、これは攻撃を企んだ者たちによるトランプ大統領に対するクーデターであり、知っていたとするならばロシアと核戦争を始めるという意思表示だと考えられても仕方がない。 アメリカの外交や軍事で主導権を握っていたネオコンはソ連消滅後、自国が唯一の超大国になったと認識、世界を制覇するためのドクトリンを作成、2001年9月11日の出来事を利用してそのドクトリンを始動させた。外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文には、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカ軍の先制第1撃で破壊できるようになる日は近いと書かれている。 しかし、21世紀に入ってからロシアは弱体化していた経済面でも軍事面を復活させ、その実力をシリアやウクライナでの戦争で示した。ところが「冷戦に勝利」し、自分たちが世界の支配者になったと信じたネオコンたちは軌道修正できないまま、現在に至っている。その結果、西側諸国は崩壊し始めたのだが、そうした国々の「エリート」は軌道修正できず、核戦争へと向かっている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.04
ロシア政府とウクライナ政府の代表がイスタンブールで会談する直前の6月1日、ロシアのムルマンスク、イルクーツク、イバノボ、リャザン、アムールにある空軍基地が約120機のドローンに攻撃された。ウクライナ軍というより、CIAの配下にある治安機関SBUがロシアに対するテロ攻撃を本格化させようとしている可能性があるが、今のところ戦況に影響を及ぼすような攻撃は実施されていない。CIAはキエフでクーデターが実施された直後、つまり10年以上前からウクライナ全土に基地を建設、ウクライナ人をロシアでの作戦を遂行させるために訓練していた。 攻撃された基地のうち、ムルマンスクとイルクーツクでは火災が発生し、破壊または損傷されたTu-95戦略爆撃機は最大で5機。さらにIl-20が1機。ちなみに、ロシア軍が動かしているTu-95は58機だ。同じ日にウクライナ軍はルガンスクのクラスノドン市にある工業地帯をイギリス製のストームシャドウで攻撃している。 ウクライナからの情報によると、このドローンを使った作戦は18カ月かけて準備、ドローンの遠隔操作にはロシアの携帯電話ネットワークが使用されたという。18カ月前にロシアへ潜入した工作員だけでなく、その前から西側諸国の情報機関が構築していたネットワークが協力していたのだろう。この攻撃について、ウクライナ側からドナルド・トランプ米大統領に対して事前に警告があったとする報道があったが、すぐに否定された。 しかし、トランプが事前に知らされていなかったという主張には説得力がないとする意見もある。そうした主張をするひとりが元CIA分析官のラリー・ジョンソン。西側の情報機関やNATO軍の支援、あるいは直接の関与なしに計画し、実行することは不可能だという。この手の攻撃には地上での情報活動だけでなく、衛星からの情報と誘導なしに実行することはできない。トランプが事前に攻撃を知らされていたとする情報や推測が正しいなら、ロシアがアメリカに報復攻撃を実施してもおかしくない。 5月31日から6月1日にかけてウクライナの破壊工作チームはクルスクとブリャンスクにあるロシアの鉄橋ふたつを破壊、約10人が死亡、約100人が負傷した。5月20日にウクライナ軍はウラジミル・プーチン露大統領を乗せたヘリコプターをクルスク上空で46機のドローンを使って攻撃したと伝えられている。暗殺未遂だ。その時にプーチンがクルスクを訪問することを知ったウクライナ側が攻撃した可能性が高く、ロシアの重要な内部情報が西側に漏れていると推測されている。この事実はプーチンが安全な場所へ戻るまで伏せられていた。 ロシアとウクライナの代表団が会談したのはイスタンブールだが、トルコでは、自分たちが果たすべき重要な役割は、戦争を継続させようとしているEU代表団の参加を阻止することだと報じられている。ウクライナ外務省の発表によると、ウクライナ代表団のメンバーは交渉の前夜にドイツ、イタリア、イギリスの代表とイスタンブールで会談した。 しかし、2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権がキエフでクーデターを仕掛けた際、ヨーロッパは話し合いでの解決を望んでいた。そのため、国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドはウクライナ駐在アメリカ大使を務めていたジェオフリー・パイアットとの電話で話をしていた際、「EUなんかくそくらえ」と口にしたわけだ。EUがキエフの混乱を話し合いで解決しようとしていたことに対する怒りだった。 戦況はロシア軍が優勢。プーチン大統領暗殺作戦は一発逆転を狙ってのことだろうが、失敗した。ロシア空軍の飛行場に対する攻撃も戦況を変えるほどの成果はなかった。6月2日の会談後、ロシア軍は報復攻撃を行うと見られている。ロシア軍は再び極超音速(マッハ10以上)で飛行する中距離弾道ミサイルのオレシュニクを使うかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.03
ウクライナでの戦闘でNATOはロシアに負けている。これは西側の有力メディアも否定できなくなっている。ウクライナ軍はNATO諸国の兵器を使ってロシア領内を攻撃しているものの、防空システムを突破できず、その一方でロシア軍の高性能ミサイルでウクライナ側の軍事施設が破壊されている。 1991年12月にソ連が消滅すると、西側では少なからぬ人がアメリカを唯一の超大国だと考えるようになった。ネオコンもそう考え、世界を制覇できると認識。1992年2月にアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクト(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成された。国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツを中心として作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 それまでもアメリカは最強の国だと考える人は存在したが、ソ連消滅後、そうした傾向は強まった。その最強の国に従属していれば、その権勢をかさにきて好き勝手なことができるという信仰は強まり、2001年9月11日以降、侵略戦争は本格化するのだが、その結果、アメリカが最強の国でないことが明らかになってしまう。 戦力に圧倒的な差がある相手との戦いなら「勝利」を演出できるが、シリアやウクライナで間接的にではあるが、NATO諸国はロシアと戦うことになり、負けてしまったのだ。ミサイルや戦闘機といった兵器の性能だけでなく、製造力でも西側がロシアに負けていることが明確になった。 例えば戦車。アメリカは自国の主力戦車M1エイブラムス31両を2023年10月16日までにウクライナへ供給したと言われている。この戦車でロシア軍は粉砕されると日本でも信じる人が少なくなかったが、逆にウクライナ軍がロシア軍に粉砕され、すでに22両のエイブラムスが破壊されたと伝えられている。ドイツのレオパルト2戦車もイスラエルのメルカバ戦車も似たような状態だ。 ウクライナでの戦闘は2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権が仕掛けたクーデターから始まった。南部のクリミアはロシアと一体化、東部のドンバスはキエフのクーデター政権に対する軍事抵抗を始めたのだが、軍や治安機関でも約7割はネオ・ナチが支配するクーデター政権を拒否する。そこでクーデターの後ろ盾であるNATO諸国は新体制の戦力を増強しなければならなくなった。そこでドイツやフランスが仲介する形で停戦交渉が始まる。2014年には「ミンスク1」、15年いは「ミンスク2」が締結されたのだ。 後に当時のドイツ首相、アンゲラ・メルケルはキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎに使われたと証言、フランソワ・オランド元仏大統領もその発言を肯定している。現在、ロシア政府が西側の停戦要求を拒否している理由のひとつはここにある。 ミンスク1から8年かけてNATOはキエフのクーデター軍を増強した。兵器を供与して兵士を訓練、さらに「ヒトラーユーゲント」的なプロジェクトで年少者をネオ・ナチの戦闘員へ育て、マリウポリ、ソレダル、マリインカ、アウディーウカには地下要塞を建設、それらを結ぶ要塞線を構築した。 2022年に入るとNATOを後ろ盾とするウクライナ軍はドンバス(ドネツクとルガンスク)のロシア語系住民を虐殺するために軍事侵攻する準備を始めたが、その計画を実行に移す前、2月24日にロシア軍はドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍を殲滅、さらにウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを巡航ミサイルなどで攻撃しはじめた。 その直後、ロシアとウクライナはイスラエルやトルコを仲介役として停戦交渉を開始、イスラエルの首相だったナフタリ・ベネットによると両国はほぼ合意に達し、ベネットは3月5日にモスクワへ飛んでプーチンからゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その日、ウクライナの治安機関であるSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺した。トルコを仲介役とする停戦交渉でもロシアとウクライナは停戦で合意し、「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する文書にウクライナ代表団は署名している。 こうした停戦交渉を潰すため、2022年4月9日にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令。同年4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓った。それ以降、西側はウクライナに対し、ロシアを疲弊させるため、戦い続けるように要求している。 ヨーロッパ諸国の政府もウクライナでの戦争を続けさせようとしている。ブラックロックの元監査役で祖父がナチスの突撃隊員だったドイツのフリードリヒ・メルツ首相はウクライナでの戦争終結に向けた外交努力を妨害しようと必死で、5月6日にはタウルス巡航ミサイルをウクライナへの供給承認も検討していることを示唆。アメリカ、イギリス、フランスと同じように、ロシア領土への長距離ミサイル発射をウクライナに許可すると公言している。 その種のミサイルはオペレーターが必要だが、それだけでなく地上だけでなく衛星からの情報や誘導システムが必要。つまりミサイル供与国は攻撃の当事者ということになる。そこで、ウクライナがドイツのタウルスをロシアに向けて発射した場合、ロシアは報復としてドイツを攻撃するだろうと語る人もいる。すでにロシアは長距離ミサイル発射への報復として、昨年11月にマッハ10の極超音速兵器「オレシュニク」を配備、アメリカ、イギリス、フランスは長距離ミサイルの発射を止めた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.02
フランスのエマニュエル・マクロン大統領、ドイツのフリードリヒ・メルツ首相、イギリスのキール・スターマー首相、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長、エストニアの首相から欧州連合外務安全保障政策上級代表(外相)になったカヤ・カラスなどはヨーロッパの利益を度外視、経済活動を麻痺させ、社会を破壊している。そして彼らが行なっているのは、ウクライナを犠牲にしてロシアとの戦争を継続すること。その実態を西側の有力メディアは隠してきたが、すでに隠しきれなくなり、各国の国民は不満を高めている。 ヨーロッパの反ロシア勢力の背後にはナチスの系譜が存在している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、米英の金融機関はナチスに資金を供給していた。中でもアメリカのディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングがパイプ役として有名だが、イングランド銀行やBIS(国際決済銀行)もナチスを支援していたとされている。 ジョージ・H・W・ブッシュの父親、プレスコット・ブッシュは上院議員になる前、大手銀行の重役を務め、ウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しくしていた。ユニオン・バンキングはプレスコットとW・アベレル・ハリマンが1924年に共同で創設した銀行だ。1931年にプレスコットはブラウン・ブラザース・ハリマンの共同経営者になる。そして1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちはニューディールを掲げるフランクリン・ルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画、スメドリー・バトラー退役少将に阻止された。 ナチスに支配されたドイツは1941年6月22日に300万人以上の兵力でソ連に対する攻撃を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。ウクライナとベラルーシを経由してロシアへ攻め込んだのだが、この時、西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーに退けられたという。 中央ヨーロッパにはナチスの協力者が存在していたが、そのひとつがウクライナのOUN-B。ステパン・バンデラを信奉する組織だが、1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動を始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) ドイツでポグロムが始まった翌年、1939年には少なからぬユダヤ人がポーランドからリトアニアへ逃げ込んだが、リトアニアでは約90%のユダヤ人が殺されたと言われている。リトアニアに武装SS(ナチ親衛隊)大隊は存在しなかったことになっているが、リトアニア領土防衛軍として存在、ユダヤ人、コミュニスト、反体制派を襲撃していたという。当時、リトアニアでは、ほぼ全国民がナチスに協力していたとされ、今でもナチスの高官だった人物が英雄視されている。またエストニアでは約7万人が志願兵としてSSに入隊、ラトビアではSSの部隊に合わせて8万7500人が参加したとされている。 1942年冬にドイツ軍は東部戦線でソ連軍に敗北、SSはアメリカとの単独講和への道を探りはじめた。実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアメリカの戦時情報機関OSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣している。そこからダレスはドイツ側との接触を繰り返した。 その後、ダレスたちは大統領に無断で話し合いを続け、1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介し、ダレスたちはドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将と接触、アメリカ側はゲーレンを同志と見なすようになった。1945年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だったカール・ウルフに隠れ家を提供、北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。サンライズ作戦だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014) ドイツは1945年5月に降伏するが、その直前、4月にルーズベルト大統領は急死、シオニストをスポンサーとするハリー・トルーマンが大統領に就任した。ゲーレンはアメリカ陸軍のCICに投降、ソ連関連の資料を手渡している。ゲーレンをの後ろ盾になったアメリカ第12軍G2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将は1946年、ドイツに新しい情報機関を創設する。いわゆる「ゲーレン機関」だ。 ドイツが降伏した直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を目論む。そして作成されたのがアンシンカブル作戦だが、この作戦を参謀本部は拒否、その直後にチャーチルは下野する。そのチャーチルは冷戦の開幕を宣言、アメリカの政府や議員にソ連を核攻撃するように求めている。 トルーマン政権の国務省はコミュニズムに反対する亡命者、つまりナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる「ブラッドストーン作戦」を1948年から秘密裏に始めている。この年に作成されたNSC20では、「結果として戦争を起こし、ソ連政府を打倒する」という方針が示されていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) ゲーレン機関は1949年7月からCIAの監督下に入り、資金の提供を受けるようになるが、その一方で元ナチスとの関係は強まっていく。CIAに支援され、元ナチス将校に率いられた約2000名の若者グループを西ドイツの警察が発見したのは1952年のことだ。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)ゲーレン機関は1956年4月から西ドイツ政府の情報機関BND(連邦情報局)になった。 反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。 イギリスの対外情報機関MI6は反ソ連勢力を拡大するため、1947年7月にインテルマリウムとABNを連合させ、9月にはプロメテウス同盟も合流させた。 APACLは1954年に韓国で創設されたが、その際に中心的な役割を果たしたのは台湾の蒋介石や韓国の李承晩。日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部を設置する際には岸信介が推進役になっている。同じ頃、「世界基督教統一神霊協会(統一教会)/後に世界平和統一家庭連合」も韓国で設立された。 それでも2003年にジョージ・W・ブッシュ政権がアメリカ主導軍でイラクを先制攻撃する当時のヨーロッパには自分たちの意思があり、フランスのジャック・シラク大統領、ドイツのゲアハルト・シュレーダーらはアメリカやイギリスの侵略計画に反対していたが、現在のヨーロッパを動かしているリーダーたちにはそうした意思が存在しない。「首なし鶏」の状態だ。 第2次世界大戦でナチスは負けなかった。ナチスの黒幕が健在だからである。ウクライナでネオ・ナチが出現したのは必然であり、今後、ナチズムが広がっていく可能性がある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.06.01
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