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チャーリー・カーク・ショーに出演したJDバンス副大統領はホストのカークに対し、戦争の長期化がウクライナを勝利に導き、ロシアを崩壊させるという有力メディアの主張を否定した。そうしたメディアの中には、現在の状況が数年続けばロシアは崩壊し、ウクライナは領土を取り戻し、すべてが戦争前の状態に戻るという考えが広まっているが、それは現実と乖離しているとしている。これは事実だ。戦争がこれから数年続けば何百万人が命を落とし、核戦争へとエスカレートする恐れがあるともバンスは語っている。 それに対し、ドナルド・トランプ大統領のウクライナ担当特使を務めているキース・ケロッグ退役中将はロシア経済が脆弱だと認識、アメリカの「制裁」に屈すると考え、またウクライナでの戦闘は膠着状態にあり、ロシア軍は継続が困難なほど多くの死傷者を出していると信じているようだ。そこでロシア政府はアメリカが要求する停戦条件を簡単に呑むとケロッグは考え、大統領を説得した。 ケロッグの判断は間違っていたのだが、ウラジミル・プーチン露大統領と長時間にわたる会談を3度行った中東担当特使のスティーブ・ウィトコフはケロッグの間違いに気づき、ロシア政府は政治的枠組みが合意されるまで停戦も受け入れないと繰り返し述べていた。 ネオコンと似た認識を持つ好戦的なケロッグと客観的な判断をしているウィトコフは対立しているように見えるが、問題はトランプ大統領も好戦的な側面があり、ロシアの確固たる立場を無視し続けていること。彼もバラク・オバマやジョー・バイデンと同じようにウクライナを軍事支援し、ロシアとの戦争を煽ってきたことを忘れてはならない。戦争を終えたいなら、トランプはそうした過去と決別する必要がある。 BRICSの会議に出席するためにブラジルを訪れたロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は4月27日、地元のオ・グロボ紙に対し、ウクライナ紛争を終わらせるために満たさなければならない条件を改めて述べた。条件のひとつはウクライナによるロシアとの交渉の法的な禁止を解除すること、またウクライナは中立かつ非同盟の地位を維持し、NATOに加盟しないこと、西側諸国は制裁を解除し、凍結されたロシアの資産を返還することを求めている。またクリミア、セバストポリ、ドネツク、ルガンスク、ヘルソン、そしてザポリージャにおけるロシアの主権的な支配を国際的に承認すること、ロシアの言語、メディア、文化、伝統、そして正教会などに対する弾圧を止めることも要求。 こうした条件が満たされ、和平合意への明確な道筋が示されない限り、戦闘は終わらないということだろうが、さらに大きな問題が残されている。ナチズムを信奉する武装集団をどうするのかという問題やウォロディミル・ゼレンスキーとイギリスの情報機関MI6の関係だ。例えトランプがロシアとの和平を願っているとしても、19世紀からロシア征服を目論んでいるイギリスの支配層は違う。 ウクライナの戦乱は1990年に西側の好戦派が持ち込んだ。そうした勢力の働きかけもあり、この年にウクライナ議会がソ連からの独立を可決したのである。クリミアでは1991年1月にウクライナからの独立を問う住民投票が実施され、94%以上が賛成しているのだが、その民意を無視してクリミア議会はウクライナへの統合を決めてしまった。クリミアと同じようにロシアからウクライナへ割譲された東部ドンバスでも独立や自治権の獲得を目指している。 そうした事情を配慮して1990年代のウクライナでは中立を掲げることになる。一方、そうしたことを認めたくない西側は中立政策をやめさせ、欧米に従属するように要求するのだが、2004年の大統領選挙では東部や南部を支持基盤にし、中立政策を進めようとしていたビクトル・ヤヌコビッチが勝利してしまう。 その結果を翻すため、アメリカは2004年から05年にかけて「オレンジ革命」と呼ばれたクーデターを実行、西側の傀儡だったビクトル・ユシチェンコを大統領に据えたのだが、ユシチェンコ政権は新自由主義政策を推進、不公正な政策で貧富の差を拡大させたことからウクライナ人の怒りを買う。そして2010年の大統領選挙では再びヤヌコビッチが勝利することなった。 それに対し、アメリカのバラク・オバマ政権は2013年から14年にかけてネオ・ナチを利用したクーデターを実行、西側資本の属国にするのだが、このクーデターをヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部は拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバスでは武装闘争を開始する。 軍や治安機関の約7割は新体制を拒否したと言われているが、クリミアの場合は9割近い兵士が離脱したと伝えられている。東部や南部を制圧することは困難な状況だった。そこで西側はキエフ体制の戦力を増強するために必要な時間を稼ごうとする。そこでミンスク合意だ。 8年間に兵器を供給、兵士を訓練、地下要塞を中心とする要塞線を築き、2022年に入るとドンバス周辺に部隊を集中させ、大規模な軍事作戦を始める様相を見せた。のちにそうした作戦があったことを裏付ける文書が出てきている。 1990年代へ入る頃にはアメリカの外交や安全保障はシオニストの一派であるネオコンが支配、そのグループは1992年2月にアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクト(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)を作成した。リチャード・チェイニー国防長官の下、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心として作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 このドクトリンはソ連が消滅した後、ロシアを含む旧ソ連圏はアメリカの支配下に入ったということが前提になっている。そのプロジェクトが本格的に指導したのは2001年9月11日。この日、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されている。 ネオコンは1991年12月の段階でアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、その認識に基づき、2001年9月11日の攻撃を利用して世界制覇を目指す戦争を始めたのである。その判断が間違っていたとは信じたくないのだろう。ウクライナでNATO諸国がロシアに負けている中、ロシア経済は脆弱で軍事的に大きなダメージを負っているという幻影にしがみつくのはそのためだ。第2次世界大戦の終盤に少なからぬ日本人が「神風信仰」にしがみついたことを思い起こさせる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.30
ロシア軍参謀本部のヤロスラフ・モスカリク作戦部副部長が4月25日にモスクワ東部のバラシハで暗殺された。同副部長の自宅近くに駐車していたフォルクスワーゲンのゴルフに仕掛けられていたIED(即席爆発装置)がウクライナ領内からの遠隔操作で爆発したとされている。 それを仕掛けたウクライナの特殊部隊員イグナト・クジンは爆発の前に逃走したが、トルコで治安部隊に拘束され、モスクワに連行されたと報道されている。西側が背後にいるウクライナ軍がロシアとの戦争で敗北したことは明確で、テロに頼らざるをえなくなっているのだろう。 アメリカのドナルド・トランプ大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領とウクライナを舞台とした戦闘を終わらせようと話し合いを続けているが、戦況が自分たちにとって有利なロシアは急いでいない。西側から何度も煮湯を飲まされてきたロシアが求めているのは停戦でなく降伏のはずだ。 24日に録画されたと見られているCBSのインタビューでロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はこの点を指摘している。停戦交渉は西側からウクライナへの武器供給を止めてからでなければ始められないというのだ。当然だろう。西側を信頼したロシアは何度も煮湯を飲まされている。 アメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を2014年2月に倒したが、クーデターに反対する人は軍や治安機関でも少なくなかった。そのメンバーの約7割が離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。 そこでクーデター体制の戦力を増強させる必要が生じ、そのため時間を稼がねばならなくなった。アンゲラ・メルケル元独首相は2022年12月7日、ツァイトに対して「ミンスク合意」は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。その直後にフランソワ・オランド元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語った。アメリカ/NATOは8年かけてウクライナの戦力を増強したのだ。 ところで、クジンは2023年4月にウクライナの特殊部隊に採用され、9月にロシアへ入国、11月にモスカリク中将と同じ集合住宅に引っ越している。2025年2月に彼は自動車を購入、爆発物とカメラを車両の後部に設置したというが、こうした作戦は事前の調査をする必要があり、暗殺を支援するためのチームが編成されていたはず。西側、おそらくイギリスの情報機関がターゲットを監視、クジンを指導していたのだろう。 昨年12月17日にはロシア軍の放射線・化学・生物防衛部隊を率いていたイゴール・キリロフ中将がモスクワで暗殺されたが、この時は電動スクーターに取り付けられた爆発物が遠隔操作で作動している。ウクライナの情報機関が実行したのだが、その背後にはアメリカやイギリスの情報機関がいる可能性は高いと見られている。 4月22日にインドが実効支配しているカシミール地方でテロ攻撃があり、同国とパキスタンとの間で軍事的な緊張が高まり、4月26日にはイランのバンダル・アッバース港で大規模な爆発が発生している。これらとモスカリク暗殺との間に関係があるかどうか不明だが、何者かが混乱を望んでいる可能性がある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.29
ロシアのドミトリ・ペスコフ大統領報道官は4月26日、ロシア軍のバレリー・ゲラシモフ参謀総長がウラジミル・プーチン大統領に対し、ウクライナ軍からクルスクを解放する作戦が完了したと報告したと発表した。 ゲラシモフ参謀総長によると、この作戦でウクライナ軍は7万6000人以上の兵士が死傷、またこの作戦に朝鮮の戦闘員が参加していたことも明らかにされている。ただ、朝鮮人戦闘員の人数は戦局を左右するほど多くはないと見られている。 ウクライナ軍が1万人から3万人の兵力でクルスクへ軍事侵攻したのは昨年8月6日。ロシア側は国境警備隊しか配置されていなかったことから装甲車両を連ねた部隊に対抗することができなかった。ウクライナ軍はクルスク原発を制圧、ロシアを脅す計画だったと推測する人もいたが、そこへ到達することはできていない。 その直後からロシア軍は部隊を派遣し、反撃を始めているのだが、東部戦線から部隊を移動させていない。つまり東部におけるウクライナ軍の敗走は続いた。ウクライナを舞台とした戦闘でロシア軍の兵士は10万人程度が死傷したと言われているが、ウクライナ軍はその10倍程度だと見られている。 ウクライナでロシア軍が戦闘を始めたのは2022年2月24日のこと。クライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを巡航ミサイルなどで攻撃しはじめたのだ。その3日前、プーチン大統領はドンバスの独立を承認している。 攻撃を始めた時点でロシア軍は戦争の準備ができていなかった。そこでロシア軍の侵攻はないと判断されていたのだが、不十分な体制で始めたことになる。攻撃を始めざるをえない事態が生じていたのだ。 ロシア外務省によると、ウクライナ国家親衛隊司令官ニコライ・バラン大将が署名したとされる2022年1月22日付の秘密命令には、ドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されている。ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」。この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。実際、2022年に入るとウクライナ軍はドンバスに対する砲撃を強めていた。 ロシア軍はドンバス周辺に集結していたウクライナ軍を叩き、戦況はロシア軍が優勢になった。そこで停戦交渉がふたつのルートを使って始まる。仲介役はイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットやトルコ政府だった。2023年2月4日に公開されたインタビューの中で、ベネットはロシアとウクライナはともに妥協、停戦は実現しそうだったと語っている。 2022年3月5日にベネットはモスクワでプーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけた。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・シュルツ首相と会っている。ウクライナの治安機関SBUがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺したのはその3月5日だ。トルコを仲介役とする停戦交渉は仮調印まで漕ぎ着けている。 その交渉を壊すため、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンは4月9日にキエフへ乗り込み(ココやココ)、4月30日にはナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。そうした中、西側の有力メディアはロシア軍がブチャで住民を虐殺したと宣伝し始める。その主張を否定する事実が次々と現れたが、停戦交渉は壊された。 こうした展開を受け、ロシア政府は2022年9月に部分的動員の実施を発表した。軍事衝突は新たなステージへ進むことになったと言える。 同年10月8日にはクリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)で爆破事件があり、自動車用道路の桁ふたつが落下、ディーゼル燃料を運んでいた列車7両に引火した。当初、トラックに積まれていた爆発物による自爆テロだと見られていたが、橋に爆弾が仕掛けられていたという情報もある。爆弾テロを実行したのはウクライナのSBU(ウクライナ保安庁)だとロシア政府は主張しているが、計画したのはイギリスの対外情報機関MI6だとも言われている。 ロシア軍は11月11日にヘルソン地域のドニエプル川西岸から東岸へ約3万人の部隊を撤退させたと発表した。撤兵の際、11万5000人以上の住民を避難させている。アメリカの統合参謀本部は撤退を完了させるまで数週間を要すると見ていたが、2日で終わらせている。これはウクライナ軍やその後ろ盾になっている欧米諸国にとって計算違いだったようだ。 2023年6月にカホフカ・ダムが爆破された。ダムが破壊された場合、ロシア軍が撤退していなければ下流のヘルソンが洪水に襲われ、少なからぬ犠牲者が出る可能性があった。ドニエプル川西岸にいたロシア軍への補給も厳しくなった。 また、ロシア側の地域に対する水の供給に問題が生じるほか、水力発電による電力の供給量が落ちる。ロシア軍がドニエプル川西岸に作った地雷原がダメージを受け、クリミアの防衛力が落ちる可能性があるとも指摘されている。 ドニエプル川西岸を「死守」しようとすれば、ロシア側に少なからぬ犠牲者が出ることは避けられず、そうした事態になった場合、動員に応じた若者の親はクレムリンに対する非難を強め、戦争継続が難しくなったかもしれない。 西側はダムの爆破を「ロシアの工作員」の仕業だと主張しているが、ダムの破壊はロシアにとってデメリットばかりでメリットはない。現場の状況からカホフカ・ダムはHIMARS(高機動ロケット砲システム)などで攻撃された可能性が高い。 ウクライナ軍の背後に「プロジェクト・アルケミー(錬金術計画)」なる対ロシア計画を遂行するためのグループが存在していると言われている。この組織はイギリス軍のチャーリー・スティックランド中将が2022年2月26日に組織している。 カホフカ・ダムが爆破されてから4カ月半後の10月30日に数十名のウクライナ特殊部隊員が小型ボートでドニエプル川を渡り、ロシア占領下のヘルソンにあるクリンキー村を制圧したが、これもプロジェクト・アルケミーの作戦だと見られている。クリミア半島へ侵攻するための橋頭堡を築くことが作戦の目的だった。 攻撃に参加した海兵隊員はイギリスで2カ月にわたってイギリス軍の訓練を受けていたが、装備は不十分。ロシア軍の攻撃を受け、補給は困難、撤退もできない状況に陥り、無惨なことになった。それにもかかわらずイギリスで訓練を受けたウクライナ軍の兵士は9カ月にわたってクリンキーへ送り込まれ、戦死者は増えていく。そうした状況は西側の有力メディアでさえ伝えていたが、ウクライナ兵の死をイギリス軍の幹部は気にかけていないようだ。 この無謀なロシアとの戦争を継続するため、ウクライナ軍は外国から戦闘員を募っている。アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、リトアニア、ポーランド、コロンビアなどから特殊部隊や傭兵がウクライナ軍に合流していると言われているが、2022年3月1日の時点で約70人の日本人が志願していると伝えられていた。約50人は「元自衛官」だとされているが、相当数の戦死者が出ていても不思議ではない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.28
西側世界に君臨している金融資本の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)を1971年に創設したクラウス・シュワブはスイスのチューリッヒ工科大学で工学博士号を、またフリブール大学で経済学博士号を取得した後、66年から67年にかけてハーバード大学の公共政策大学院で修士号を取得している。ハーバード大学でシュワブはヘンリー・キッシンジャーの教えを受け、大きな影響を受けた。そのシュワブが4月21日に高齢を理由にしてWEF会長の職を辞した。 シュワブとその妻がWEFの資金を不正流用したと告発する匿名の手紙が評議会に送られ、調査が開始されたと伝えられている。部下に数千ドルをATMから引き出させ、ホテルで頼んだ個人的なマッサージの費用をフォーラムに請求、贅沢な休暇や高級不動産の取得を正当化するため、妻に形式的な会合を手配させたという。また職場におけるセクハラやその他の差別的行為を野放しにしていたとも非難されている。 シュワブ本人はこうした告発を否定しているが、WEFの評議会は告発を受け、外部の法律顧問と協議した上で独立調査を開始することを全会一致で決めたという。別の理由でシュワブを処分しなければならなくなり、その口実として「内部告発」が利用されたのかもしれない。 WEF評議会メンバーにはシュワブのほかブラックロックのラリー・フィンクCEO、カナダの副首相兼財務相を務めるクリスティア・フリーランド、アル・ゴア元米副大統領、ヨーロッパ中央銀行頭取で元IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルド、カーライル・グループの共同設立者兼共同会長のデイビッド・ルベンシュタイン、CCIEE(中国国際経済交流センター)の朱民副理事長、チェロ奏者のヨーヨー・マ、竹中平蔵などが名を連ねている。2016年から19年にかけての時期にはウルスラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長も評議員だった。 WEFはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動でも重要な役割を演じ、遺伝子操作薬の接種、ロックダウン、デジタルIDの推進などを後押ししてきた。 デジタルIDの背景には、2015年9月に国連で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」の「SDGs(持続可能な開発目標)」がある。デジタルIDをチップ化し、それを体内にインプラントするという計画もある。 その計画についてシュワブも話している。例えば、彼は2016年1月にスイスのテレビ番組に出演し、そこでマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話しているのだ。チップを服に取り付けるところから始め、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合、人間を端末化しようと考えているようだ。 シュワブの辞任を受けて暫定会長に就任したピーター・ブラベック-レッツマットは1997年から2008年までネスレのCEOを務めた人物で、水について「他の食料と同じように市場価値を持つべきだ」、つまり商品にすぎないと主張、水を基本的人権だとする主張を否定している。 言うまでもなく、生物は水なしに生きることはできない。水がなければ食糧を生産することもできない。エネルギーと同様、水を支配すると言うことは生殺与奪の権を握ることを意味し、人類を支配することができる。だからこそ、WEFの背後にいる強大な私的権力は水を商品として独占しようとしているのだ。水道の「民営化」はその一環であり、人びとを苦しめてきた。 ちなみに、ロマン・ポランスキーが監督、1974年に公開された映画「チャイナタウン」ではストーリーの背景としてカリフォルニアの水戦争、つまり水道の私物化によって生じる問題が描かれている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.27

厚生労働省は4月25日、2月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は14万3045人。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まる前年の2019年の同じ月に比べて2万4006名増えている。「COVID-19ワクチン」というタグのついた遺伝子操作薬の接種数は当初に比べて大幅に減少していることから短期の副作用は減っていると推測できるが、すでに中期の副作用が現れている可能性が高く、今後、長期の副作用も顕在化してくるだろう。 この「COVID-19ワクチン」が「遺伝子治療」と同じ技術であり、その技術が危険な代物で、不妊化やなどを引き起こし、癌を誘発することをアメリカの監督官庁であるFDA(食品医薬品局)は知っていたと考えられている。おそらく日本の厚生労働省の研究機関も知っていたはずであり、数十万人を死に至らしめることも予測していただろう。 一般の人びとはこうしたことを知らなかったが、それでも「COVID-19ワクチン」の危険性を認識する人は増えている。この薬物は人間の細胞に病気の原因であるスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るのだが、このスパイク・タンパク質が病気の原因になることは2021年3月にカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるソーク研究所が発表、その解説が4月に出されている。 スパイク・タンパク質を製造する細胞を人間の免疫システムは病原体だと認識して攻撃し、炎症を引き起こす。自己免疫疾患だ。接種が始まる前からADE(抗体依存性感染増強)も懸念されていた。 自己免疫疾患を抑えるため、「COVID-19ワクチン」には免疫を抑える仕組みが組み込まれているが、人体も危険性を察知し、IgG4交代を産生して免疫を下げる。つまりAIDS(後天性免疫不全症候群)状態にするわけだ。VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も作られた。免疫が低下すれば炎症を抑えられるが、病原体の増殖を抑えられない。 AIDSは1980年代に社会問題化、その原因はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)だとされたが、PCRを開発、1993年にノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスを含む学者がこの仮説に疑問を示している。 1969年6月にはアメリカ下院の予算委員会で、自然の免疫システムが対応できない人工的な「伝染性微生物」を5年から10年の間に、つまり1974年から79年の間に開発できる見込みだとDDR&E(国防研究技術副部長)を務めていたドナルド・マッカーサーが発言している。 それだけでなく、「COVID-19ワクチン」にはDNAの混入、mRNAを細胞の内部へ運ぶために使われているLNP(脂質ナノ粒子)の毒性、グラフェン誘導体の混入といった問題も指摘されている。DNAの混入によって癌が誘発され、LNPは卵巣を含むあらゆる臓器に蓄積、生殖システムが破壊される可能性がある。 また、mRNAワクチンに含まれるスパイクタンパク質がタンパク質と結合し、プリオンになる可能性あるとも言われている。プリオンが原因になり、CJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)やアルツハイマー病が引き起こされる可能性があるということだ。 こうした危険な薬物を医薬品メーカーは政府機関や国際機関と連携して接種したのだが、その背後にアメリカの国防総省が存在していることが公表された文書によって明確になっている。 その「COVID-19ワクチン」に関する文書を医薬品メーカーのファイザーやアメリカの監督官庁であるFDAは75年の間隠そうとしたのだが、裁判所の命令で公開せざるをえなくなり、国防総省のプロジェクトだということが判明したのだ。医薬品メーカーは国防総省の契約企業であり、COVID-19騒動はアメリカの軍事作戦だ。 最初にこの事実を指摘したのは、長年医薬品業界で研究開発に携わってきたサーシャ・ラティポワだろう。彼女はその文書を分析、バラク・オバマ大統領の時代からアメリカの国防総省が「COVID-19ワクチン」の接種計画を始めたという結論に達したのだ。 この薬物を地球規模で接種させるために使われたSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)が人工的に作られたということは研究者から指摘されている。NIAID(国立アレルギー感染症研究所)の長官を務めていたアンソニー・ファウチたちは自然に発生したと主張したいが、それは正しくないということだ。 2019年12月、中国の湖北省武漢の病院でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見されたところからCOVID-19騒動は始まったので、武漢病毒研究所(WIV)から漏れ出たと主張する人は少なくなかった。 その仮説は反中国勢力にとって好都合だったのだが、ドナルド・トランプ政権も同じ意見で、アメリカの大統領官邸(ホワイト・ハウス)のサイトにCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)の発生源に関する文書を掲載している。 しかし、SARS-CoV-2が中国で作り出された可能性は小さい。このウイルスに感染した動物が中国の自然界では発見されていないのだ。ウクライナに建設されたアメリカ国防総省の生物化学兵器の研究開発施設でもSARS-CoV-2を扱っていたと言われている。 また、北アメリカに生息するシカ、ノネズミ、コウモリを含む5種類の動物が感染していることが判明、それらの種はモンタナ州にあるロッキー・マウンテン研究所で実験動物として使用されていたことが突き止められた。 イングランドのポートン・ダウンにあるイギリス国防総省の国防科学技術研究所(Dstl)を怪しんでいる人もいる。ポートン・ダウンから約9キロメートルの地点にあるソールズベリーでは2018年3月4日、セルゲイ・スクリパリと娘のユリアが「ノビチョク」なる神経ガスに汚染され、ふたりはショッピングセンター前のベンチで倒れているところを発見されている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.26

ロシアのドミトリ・ペスコフ大統領報道官がフランスのル・ポワン誌に対し、ウクライナはドンバスやノボロシアから軍を撤退させなければならないと述べたのだが、「ノボロシア」という用語を使ったことに注目する人がいる。 黒海とクリミア半島の北側に存在していたクリミア・ハン国をロシア帝国は1764年に征服、併合した後、そこを「ノボロシア」と呼ぶようになったが、1917年のロシア革命後、クリミアを除く部分はウクライナへ併合される。クリミアがウクライナになるのはウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがソ連の最高指導者だった1954年のことだ。ソ連時代にロシアから割譲された地域をロシアは取り戻そうとしていると理解されている。 今後、特に重要になると思われる場所はオデッサを含む南部だろう。ロシア軍はオデッサへ進撃する準備を進めていると見られている。ここをロシアが支配するということは、ウクライナが黒海に面した地域を失うということを意味し、またモルドバからの独立を目指しているトランスニストリアともロシアはつながる。 バラク・オバマ政権はキエフでネオ・ナチを使ったクーデターを実行し、2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。その状況に危機感を抱いたクリミアの住民は3月16日にロシアへの加盟の是非を問う住民投票を実施、95%以上が賛成(投票率は80%以上)し、ロシアと一体化する。 クーデター直後、ウクライナの軍や治安機関でクーデターを拒否したメンバーの比率は7割程度と言われているが、クリミアに限ると9割程度の兵士がクーデター体制に従おうとしなかった。クリミアが平和的にロシアへ編入された一因はそこにある。 そうした中、オバマ政権も動く。ジョン・ブレナンCIA長官が4月12日にキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れたのだ。そして5月2日、オデッサでクーデターに反対していた住民が虐殺される。 虐殺は5月2日午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まった。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導されている。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいる。 その後、外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になる様子は撮影され、インターネット上に流れた。建物へ向かって銃撃する人物も撮られているが、その中にはパルビーから防弾チョッキを受け取った人物も含まれている。 建物の中は火の海になる。焼き殺された人は少なくないが、地下室で殴り殺されたり射殺された人もいた。その際、屋上へ出るためのドアはロックされていたとする情報もある。会館の中で48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられたが、現地の人の話では多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名に達するという。当然のことながら虐殺の詳しい調査をキエフのクーデター政権が拒否している。 5月11日にはドネツクとルガンスクで住民投票が実施された。ドネツクは自治を、またルガンスクは独立の是非が問われたのだが、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、プーチン政権は動かなかった。そして武装抵抗が始まった。 現在、ウクライナは国として機能していない。軍も壊滅状態で、西側の支援で戦闘を続けているのだが、限界にきている。西側の好戦派がロシアとの戦争を続けるひとつの理由はロシアを疲弊させることにあるのだが、それ以外に兵器の実験やロシアの戦術研究にあるとも言われている。 戦争はウクライナだけでなくヨーロッパも疲弊させている。フランスではジャック・シラクが失脚してから事実上主権を放棄、ドイツのオラフ・ショルツや次期首相と見られているフリードリヒ・メルツは米英の反ロシア勢力に操られているように見える。「首なし鶏」状態だ。国民は怒り、「エリート」は民主主義的な装いを脱ぎ始め、寡頭制の実態が露見しつつある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.25

ウクライナ、イギリス、フランス、アメリカの代表は4月23日にロンドンでウクライナを舞台とした対ロシア戦争について話し合う予定だったが、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が「どたキャン」、それを知ったアメリカのマルコ・ルビオ国務長官やスティーブ・ウィトコフ特使はロンドンへ向かわず、ワシントンDCに留まった。 この会談は4月21日にゼレンスキーが発表、同じ日にドナルド・トランプ米大統領は記者団に対し、ウクライナ和平について合意に至る可能性は「非常に高い」と述べていた。トランプ政権はこの会合でアメリカの停戦案をゼレンスキーに受諾させる予定だったのだろうが、もしそれを拒否したなら「好戦派」とされ、ロシアとの戦争に積極的なイギリス政府にとっても不都合な事態になっていた可能性がある。 ゼレンスキーは大統領として2020年10月にイギリスを公式訪問したが、その際、同国の対外情報機関MI6のリチャード・ムーア長官を非公式に訪問している。その訪問を事前に察知していたジャーナリストに撮影され、インタビューを受けた。 こうした事実からゼレンスキーはMI6のエージェントであり、そのハンドラー(エージェントを管理する担当オフィサー)はムーア長官だとする推測もある。ゼレンスキー政権はMI6政権だということもできるだろう。今回、ゼレンスキーが急遽、ロンドン行きを取り止めたのはMI6からの指示だったのかもしれない。 イギリスには19世紀の前半にヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)という反ロシアの政治家がいた。戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めた人物である。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。それ以来、イギリスはロシア征服を長期戦略の中心に据え、それをアメリカの権力者もその戦略に基づいて政策を決めてきた。 その戦略が実現したと思える出来事が1991年12月にあった。当時、ソ連で実権を握っていたボリス・エリツィンがベラルーシにあるベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連の解体を決めたのだ。 その年の8月にウクライナ議会は独断でソ連からの独立を宣言、西側諸国はそれを承認。それに対し、クリミアでは1992年2月にクリミア議会が同地域を「クリミア共和国」と改名、5月にはウクライナからの独立を宣言したが、西側によって潰されてしまった。 ウクライナについてヘンリー・キッシンジャーは2014年3月5日、ワシントン・ポスト紙に次のような評論を書いた。「西側諸国は、ロシアにとってウクライナは決して単なる外国ではないことを理解しなければならない。ロシアの歴史はいわゆるキエフ・ルーシ(キエフ大公国)から始まったのだ。ロシアの宗教はそこから広まった。ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その歴史はそれ以前から複雑に絡み合っていた。」 そしてクリミアについて彼は、ウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフが1954年にロシアとコサックの協定締結300周年記念の一環としてウクライナの一部と認めたのだと書いている。クリミアだけでなく、東部や南部はソ連時代に政治的な思惑からロシアからウクライナへ割譲されたのであり、住民は自分たちをロシア人だと認識している。「ウクライナ人はウクライナ語もロシア語も話せる」と言うような言い方で誤魔化す人もいるが、そうした話ではない。またウクライナの西部はカトリック教徒、東部はロシア正教徒が多く、文化的にも違いがある。そこでキッシンジャーは「ウクライナの一方が他方を支配しようとする試みは、これまでのパターンのように、最終的には内戦や分裂につながるだろう」と警告したのだ。 しかし、シオニストの一派で好戦派のネオコンはウクライナを制圧しようとしてきた。その始まりは、2004年11月から05年1月にかけてのいわゆる「オレンジ革命」。ジョージ・W・ブッシュ政権はこのクーデターでビクトル・ヤヌコビッチを排除し、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えたのだが、その政権は貧富の差を拡大させ、国民の怒りを買う。 そこで2010年の選挙ではヤヌコビッチが勝利、オバマ政権はクーデターを実行してヤヌコビッチを排除しなければならなくなった。そして2014年2月のネオ・ナチによるクーデターだ。それを見てクリミアの住民は2014年3月16日に住民投票を実施、ロシアへの編入を決めた。賛成した人の比率は96.77%、投票率は83%だった。東部では反クーデターの武装抵抗が始まった。 こうした歴史があるため、クーデター直後、ウクライナの軍や治安機関では約7割が組織から離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。そこで当初、反クーデター軍が優勢。西側諸国はクーデター体制の戦力を増強するため、時間が必要だった。そうした中での「ミンスク合意だ、 その合意を利用し、8年かけて西側諸国はキエフのクーデター軍を増強、本格的な攻撃を始めつつあった2022年2月、ロシア軍がウクライナ軍への攻撃を開始した。そこですぐに停戦交渉が始まる。 この段階でロシア軍の勝利は確定的。そこでイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役として停戦交渉が始まり、双方とも妥協して停戦の見通しが立った。ベネットは3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけることに成功。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その3月5日にウクライナの治安機関であるSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺した。クーデター後、SBUはCIAの下部機関として機能している。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 ロシアとウクライナだけなら、ここで戦闘は終わっているのだが、言うまでもなく、終わらなかった。こうした停戦交渉を潰すため、2022年4月9日にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令している。ホワイトハウスの指示だと見られている。同年4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓った。それ以降、西側はウクライナに対し、ロシアを疲弊させるため、戦い続けるように要求している。 ドナルド・トランプ政権は離脱しようとしているのだが、ロシア側はミンスク合意などで煮湯を飲まされているので、不十分な形での停戦は受け入れないだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.24

日本のQPS研究所(iQPS)はウクライナ国防省の情報総局(GUR)に対し、一般的なレーダーより解像度が高い合成開口レーダーの画像を提供すると伝えられている。ロシアとの戦争に日本企業が深くコミットしはじめたと言える。 衛星画像の分析のためにフランスのサフランAIはデータ統合プラットフォームをGURへ提供することで2月に合意したが、その頃から日本の当局とGURは交渉を進めていたという。日本とウクライナのGEOINT(地理空間情報)における連携は軍事的な側面だけでなく地政学的にも重要な意味を持つと考えられている。 ウクライナへはフィンランドのICEYEが衛星画像を提供してきたが、同社とアメリカとの関係を考え、情報源の多様化を図っているようだ。ドイツの偵察衛星システムのSAR-LupeとSARah、イタリアの地球観測衛生システムのCosmo-SkyMedからもレーダー画像が提供されている。 日本がアメリカの戦略に従い、ロシアや中国との戦争を準備していることは本ブログでも繰り返し書いてきた。大きな節目は1992年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案だろう。リチャード・チェイニー国防長官の下、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心とするネオコンのグループが作成した。そこで「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。このドクトリンのベースを考えた人物は、国防総省内部のシンクタンクONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルだ。 このプロジェクトの目的は新たなライバルの出現を防ぐことにあり、その対象には旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、西南アジアも含まれている。ドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、「民主的な平和地域」を創設するともされている。つまりアメリカは日本を自国の戦争マシーンに組み込むと宣言したのだ。 それに対し、細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して対抗するのだが、倒されてしまう。1994年6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗する。 そうした状況をネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。 1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのはこの1995年だと言えるだろう。 アメリカの軍事戦略に基づき、2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設。2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。これは中国や朝鮮を攻撃する準備にほかならない。今後、南西諸島の周辺へアメリカ軍とその装備を移動させる可能性がある。 また、共同通信は3月16日、日本政府が九州に陸上配備型長距離ミサイルの配備を検討していると報じた。緊急事態の際に敵の標的を攻撃する「反撃能力」を獲得する取り組みの一環だという。そのミサイルとは射程距離が約1000kmの12式地対艦誘導弾能力向上型で、配備は2026年3月に始まるとされている。 アメリカの軍事戦略を国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は2022年の4月に説明している。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表したのだ。 その間、日本は外国と軍事的なつながりを強めている。例えば2017年11月にアメリカはオーストラリア、インド、日本とクワドの復活を協議、18年5月にはアメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更。さらにJAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なるものが作られ、アメリカの軍事顧問団は金門諸島と澎湖諸島に駐留して台湾の特殊部隊を訓練している。 2020年6月になるとNATO(北大西洋条約機構)事務総長だったイェンス・ストルテンベルグはオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言し、2021年9月にはアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン3カ国が太平洋でAUKUSなる軍事同盟を創設したとする発表があった。 日本のGEOINT能力は東アジアでの戦争にも使われるのだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.23
ローマ教皇フランシスコはイースター(復活祭)の演説でガザの和平を訴えた翌日に死亡した。この演説に限らず教皇フランシスコはイスラエルによるガザでの大量虐殺行為を強く批判し、ジェノサイド疑惑の調査を求め、病院への爆撃や人道支援活動のスタッフや民間人の殺害を非難してきた。 2023年12月21日に教皇は、ガザでの爆撃は残虐行為であって戦争ではないと非難、ピエルバティスタ・ピッツァバラ枢機卿がガザへ入れなかったことを批判した。22日にイスラエル当局は枢機卿のガザ入りを許可したが、その日、教皇はイスラエルがガザで続けている子どもの虐殺を改めて非難している。 2022年5月にはウクライナで戦闘が始まった原因について教皇フランシスコはロシアの玄関先でNATOが吠えたことにあるのではないかと語り、ウラジミル・プーチン露大統領と会談する希望も口にしていたが、ウクライナ正教会で首座主教を務めるエピファニーは、教皇が「ロシアの侵略」を支持したために死んだと嘲笑している。 ローマ教皇庁はシリアでの戦争も西側の政府や有力メディアの宣伝に同調していない。例えば、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語ればシリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。 フランシスコは教皇になる前、ブエノスアイレスで大司教を務めていた。当時の名前はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿だが、この人物、軍事政権下のアルゼンチンで展開された「汚い戦争」、要するに巨大資本のカネ儲けにとって邪魔だとみなされた人間の虐殺に責任があると批判されている。軍事政権下で「行方不明」となった人数は3万人とも言われているが、1976年にふたりの司祭が誘拐されて拷問を受けた事件では、ベルゴリオ自身も告発されている。 その軍事政権は現地の経済界とも友好的な関係にあり、経済大臣に選ばれたホセ・アルフレド・マルティネス・デ・ホスはデイビッド・ロックフェラーの親友としても知られている。軍事政権の経済政策は1973年に軍事クーデターがあったチリと同じように、強者総取りの新自由主義だった。 ベルゴリオは1973年から79年にかけて、イエズス会アルゼンチン管区の管区長を務めている。この間、1976年にクーデターで軍事政権が誕生、83年まで続いた。チリのクーデターと同じように、黒幕はヘンリー・キッシンジャーだと言われている。 しかし、教皇に就任した後、ベルゴリオの言動はネオコンやその配下にある西側支配層を刺激してきた。彼らにとって教皇フランシスコの死は願ってもないことだろう。ウクライナやパレスチナに対する教皇の言動に怒っていた西側支配層は配下の情報機関を使い、何らかの工作を進めている可能性が高い。 例えば1978年8月にCIAと関係が深いと言われていたパウロ6世が死亡した際のケース。パウロ6世は1963年に教皇となったが、その前からCIAの大物、例えばアレン・ダレスやジェームズ・アングルトンと緊密な関係にあったことが知られている。 パウロ6世の側近だったシカゴ出身のポール・マルチンクスが1971年にIOR、いわゆるバチカン銀行の総裁に就任。この時代にバチカン銀行を舞台として、債券偽造事件や不正融資事件が起こるが、いずれも非公然結社のP2が関係、アメリカ政府の東欧工作を支援していた。 次の教皇に選ばれたアルビーノ・ルチャーニはヨハネ・パウロ1世を名乗る。新教皇は若い頃から社会的弱者の救済に熱心だった人物で、CIAとの関係はなかったと見られているが、就任してから1カ月余り後の1978年9月に急死した。今でも他殺説は消えていない。 そこで登場してくるのがポーランド出身のカロル・ユゼフ・ボイティワ。1978年10月に次の教皇となり、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれるようになった。 1977年頃にはイタリア銀行監督局のマリオ・サルチネッリ局長が銀行の調査を命令、78年4月になるとアンブロシアーノ銀行の調査が始まり、79年には関係者が殺されるなど捜査妨害が活発化する。 1981年3月にP2の頭目、リチオ・ジェッリの自宅や事務所が家宅捜索され、イタリアの情報機関、SISDEとSISMIの長官、ジュリオ・グラッシーニとジュゼッペ・サントビトを含むP2の会員リストが国家機密文書のコピーとともに発見された。P2は米英情報機関が操る「NATOの秘密部隊」、つまりグラディオと結びついていた。 アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビは1982年6月17日にロンドンで変死しているが、そのカルビは生前、アンブロシアーノ銀行経由で流れた不正融資の行き先はポーランドの反体制労組「連帯」だと家族や友人に話していた。 アメリカのジャーナリスト、カール・バーンスタインによると、連帯が受け取った資金の出所はウィリアム・ケイシーCIA長官(当時)と関係が深い「民主主義のための愛国的援助」で、そこからバチカンや西側の労働組合などを介して流れたというのだ。 連帯に送られたのは資金だけではなく、当時は珍しかったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドに密輸されたという。連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。連帯へ送られた資金の源泉はCIAで、NEDが利用されたほか、バチカンと西側諸国の労働組合の秘密口座から提供された。 カルビが変死した1982年6月7日にレーガン大統領とヨハネ・パウロ2世がバチカン図書館で会い、50分間の大半をポーランドと東欧におけるソ連の支配に費やされ、両者はソ連の崩壊を早めるための秘密作戦を実行することで合意した。作戦の中心は言うまでもなくポーランドだ。その核になる団体が連帯にほかならない。 レーガン政権はソ連を解体するためにバチカンのネットワークを利用し、成功した。ウクライナでの工作に失敗したネオコンやその背後にいる勢力は同じ手を使おうとするかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.22
5月6日からドイツの首相を務める予定のフリードリッヒ・メルツはロシアとの戦争に前向きの発言を繰り返し、第3次世界大戦を望んでいるかのように見えた。メルツは巡航ミサイルの「タウルスKEPD 350」をウクライナへ供与すると主張している。 このミサイルでクリミア橋(ケルチ橋)を攻撃する計画についてドイツ空軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部の2名が昨年2月19日にリモート会議で話し合っているが、その音声を昨年3月1日にRTが明らかにした。 ロシアとの戦争についてはイギリスやフランスも積極的で、ウクライナでの停戦を実現したいドナルド・トランプ米大統領は苛立っているようで、ヨーロッパに対し、ロシアと戦いたいのなら自分たちだけでやってみろと言っている。ロシアとの戦争にアメリカを巻き込むなと釘を刺したわけだ。トランプ政権はロシアとビジネスの話をしていると言われている。 2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した段階におけるヨーロッパの姿勢はそれほど光線的ではなかった。そのクーデターの際、EUは話し合いでの解決を模索していたようで、アメリカの国務次官をだったビクトリア・ヌランドは電話でウクライナ駐在アメリカ大使のジェオフリー・パイアットに対し、「EUなんかくそくらえ」と口にしているのだが、その後、EU諸国はネオコンの戦略に従うようになった。ところがトランプ政権になり、EUの現幹部は梯子を外されたような状態だ。 第2次世界大戦でドイツ軍はソ連へ軍事侵攻したが、1943年1月31日にフリードリヒ・パウルス第6軍司令官とアルトゥール・シュミット参謀長らがソ連軍に降伏、2月2日にはカール・シュトレッカー歩兵大将の第11軍団が投降し、事実上、ドイツの敗北が決まった。 そうした展開に慌てた米英仏の首脳は1943年1月にカサブランカで会談、「ソ連勝利」の印象が広がらないように戦争を長引かせようと考えた。そして同年7月にイギリス軍とアメリカ軍はシチリア島へ上陸するが、その目的はコミュニストが主力のレジスタンス対策だったと言われている。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。日本の降伏も時間の問題になる。フランクリン・ルーズベルトが初めて大統領になった1933年に反ルーズベルトのクーデターを計画、ナチスを資金面から支援していたウォール街にとって良くない状況だ。そうした中、1945年4月12日にルーズベルト大統領は急死、5月8日にベルリンでウィルヘルム・カイテル元帥が降伏文書に調印する。 その段階でイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を目論み、アンシンカブル作戦が作成された。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだが、イギリスの参謀本部がこの計画を拒否したので実行されなかった。チャーチルは1945年7月26日に辞任する。 現在、イギリス、ドイツ、ポーランドに加えてフランスの政府はロシアとの戦争に積極的な姿勢を見せているが、ここにきてロシア軍はドネツクでポーランド軍部隊を全滅させ、ヘルソンでポーランドとイギリスの傭兵が粉砕され、スミィにあったウクライナ軍の司令部とNATO軍の司令部をイスカンデルM戦術弾道ミサイル2発で破壊したとロシア軍は発表している。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相によると、スミィでウクライナ軍の将校たちは西側の将校らと会談していたという。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.21
アメリカの大統領官邸(ホワイト・ハウス)のサイトにCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)の発生源に関する文書が掲載され、話題になっている。それによると、COVID-19は自然に発生したという主張はNIAID(国立アレルギー感染症研究所)の長官を務めていたアンソニー・ファウチが宣伝していたもので、中国の武漢にある武漢病毒研究所(WIV)から漏れ出た可能性を指摘している。 NIAIDは2014年からコロナウイルスの研究費として、ピーター・ダザックが率いるエコヘルス連合へ数百万ドルを提供、その一部はWIVの研究員へ提供されていたと伝えられている。ダザックはウクライナ人の父親を持つ人物で、WIVの研究者とも親しくしていたとされている。 エコヘルス連合はWHO(世界保健機関)へアドバイスする立場にある団体で、NIAIDの上部機関であるNIHからWIVの石正麗へ研究費として370万ドルが提供されていたとも伝えられていた。ニューヨーク・タイムズ紙によると、石正麗は中国共産党の党員ではない。また中国政府の研究機関の研究機関の大半は北京にあり、WIVはアメリカ政府の影響下にある機関だと言えるだろう。 COVID-19騒動ではウイルス以上に「ワクチン」というタグのつけられた遺伝子操作薬が問題になっている。ファイザーやFDA(食品医薬品局)が75年間隠そうとした「ワクチン」に関する文書の開示をアメリカの裁判所が命令、その文書を分析したサーシャ・ラティポワはバラク・オバマ大統領の時代からアメリカの国防総省が「COVID-19ワクチン」の接種計画を始めていると指摘している。ラティポワは長年医薬品業界で研究開発に携わってきた専門家だ。 彼女によると、2020年2月4日に保健福祉長官はCBRN(化学、生物、核、放射線)緊急事態に関するふたつの宣言をしている。そのひとつがEUA(緊急使用許可)で、大量破壊兵器が関与する重大な緊急事態を想定、CBRN物質に対する対抗手段を安全性と有効性を確保するために規制監督なしで使用する許可だ。 COVID-19の原因はSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)だとされている。このウイルスは人工的に作られた可能性が高いのだが、中国で作り出された可能性は小さい。このウイルスに感染した動物が中国の自然界で発見されていないのだ。 しかし、北アメリカの自然界ではシカ、ノネズミ、コウモリを含む5種類の動物が感染していることが判明、それらの種はモンタナ州にあるロッキー・マウンテン研究所で実験動物として使用されていたことが突き止められた。そこで、SARS-CoV-2はこの研究所で作られたのではないかと推測する人もいるのだが、別の研究所を怪しいと言う人もいる。イングランドのポートン・ダウンにあるイギリス国防総省の国防科学技術研究所(Dstl)だ。 ポートン・ダウンから約9キロメートルの地点にあるソールズベリーでは2018年3月4日、セルゲイ・スクリパリと娘のユリアが「ノビチョク」なる神経ガスに汚染され、ふたりはショッピングセンター前のベンチで倒れているところを発見された。 3月21日には化学兵器禁止機関(OPCW)の査察官がソールズベリーに到着、調査を開始するのだが、調査は妨害された。ユリアは気管切開の手術を受け、チューブが取り外されたのはOPCWの査察官が去った後の3月27日だ。 5月18日に退院したとされているが、ユリアは3月8日に昏睡状態から目覚め、レストランで食事中に彼女と父親のセルゲイは何かを散布されたと話していたことが判明した。ユリアの証言はスティーブン・コックロフト医師が聞いているが、その後、同医師は発言を禁じられ、治療チームから外された。彼女の話はイギリス当局のストーリーと違うため、隠されていたようだ。これはノビチョクを吸引して死亡したとされるドーン・スタージェスの死に関するイギリスの公式調査で明らかにされている。スタージェスは2018年7月に毒殺された。 スクリパリ父子の事件ではロシア軍の情報機関GRUのエージェントふたりが犯人として逮捕されたが、レストランで毒物を散布されたとするならば、このふたりが犯人だとする主張が怪しくなる。 セルゲイは1990年代からイギリスの情報機関MI6のスパイとして活動していたが、2004年12月にモスクワで逮捕され、06年8月に有罪判決を受けている。そして2010年7月、スクリパリは恩赦で釈放され、ソールズベリーで住み始めた。つまり、ロシア政府にとってセルゲイは過去の人であり、殺す理由が見当たらない。 事件当時からソールズベリーとポートン・ダウンの近さは話題になっていた。国防科学技術研究所にBC兵器が存在するからだ。GRUのエージェントはポートン・ダウンを調べていたのではないかとも言われている。 事件の翌年、COVID-19が始まった。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.20
アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターはシオニズムを寄生バチの一種であるエメラルドゴキブリバチに準えている。この寄生バチの親は寄主となる動物に卵を産みつけ、卵からかえった幼虫は寄主の体を食べて成長、成長が完了すると宿主を殺すのだが、イスラエルは現代版のエメラルドゴキブリバチだと指摘している。こうしたことは以前から言われていたことで、シオニストは寄生バチであり、宿主はアメリカだということだ。 言うまでもなく、イスラエルは1948年5月14日に建国が宣言されたシオニストの国である。その際に多くの先住民が虐殺され、追放されている。そうした虐殺の中、生き残り、逃げ出さなかった人びとがパレスチナ人と呼ばれているのだが、シオニストは現在に至るまでパレスチナ人を抹殺するため、破壊と殺戮を続けている。アメリカでは「左翼」、あるいは「リベラル」というタグをつけたバーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオ・コルテスも「イスラエルには自国を守る権利がある」として虐殺を支持している。 1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルが「近代シオニズムの創設者」とされているのだが、「近代」という冠が曲者だ。シオニズムの流れをそこで断ち切りたいのだろうが、そうした見方は正しくない。 シオニズムはエリザベス1世の時代に始まった「ブリティッシュ・イスラエル主義」だと考えられている。アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする彼らは信じ、人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているというのだ。 この時代、エリザベス1世の顧問を務めていたジョン・ディーは数学など学問に秀でた人物だとされているが、その一方で黒魔術へものめりこんでいた。大英帝国の富は海賊によって築かれたが、そのひとりであるフランシス・ドレイク卿はイングランドを「イスラエル」や「新エルサレム」と表現していたという。 イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。 その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたようだ。 エリザベス1世が統治していた1593年から1603年にかけてイングランドはアイルランドで現地の連合軍と戦闘、勝利する。アイルランドを率いていたヒュー・オニールとロリー・オドネルが1607年にヨーロッパ本土へ逃亡するとイングランド王室はアイルランドの先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。 クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧、さらにアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺。侵攻前の1641年には147万人だった人口は侵攻後の52年に62万人へ減少した。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。 ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師が1830年代に活動を活発化させた。彼はキリストの千年王国はすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考え、世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということだ。エルサレムに神殿を建設しようとしている人びとの目的は終末をもたらし、救世主を再臨させたいからなのだろう。 19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。 アヘン戦争でイギリスは清(中国)に勝利したが、これは海戦。陸地を制圧する戦力はなかった。中国大陸を軍事侵攻したのは日本にほかならない。その日本をクーデター、いわゆる明治維新で「近代化」して天皇を中心とするカルト体制を築いたのはイギリスを中心とする勢力である。 イギリスで始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。 19世紀後半にイギリスを動かしていたグループ、「選民秘密協会」の中心はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッドといった人たちだ。少し後からアルフレッド・ミルナーがグループを率いるようになった。アングロ・サクソンとユダヤのエリートが手を組んでいる。 セシル・ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会し、その直後に『信仰告白』を書いた。その中で彼は「私たち(アングロ・サクソン)は世界で最も優れた人種であり、私たちが住む世界が増えれば増えるほど、人類にとってより良いものになる」と主張している。 「より多くの領土を獲得するあらゆる機会を捉えることは我々の義務であり、より多くの領土は単にアングロサクソン人種の増加、つまり世界が所有する最も優れた、最も人間的で最も名誉ある人種の増加を意味するという考えを常に念頭に置くべきである」というのだ。 ガザでの住民虐殺やウクライナを舞台としたロシアとの戦争でイギリスが浮上してきたのは必然だと言えるだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.19
坂本慎太郎というミュージシャンが2014年5月にリリースしたアルバム『ナマで踊ろう』の中に『あなたもロボットになれる』という作品が入っている。この作品が2年ほど前から話題になっているらしい。恥ずかしながら、そのことを知ったのは最近だ。 眉間に小さなチップを埋めるだけ 決して痛くはないですよ ロボット 新しいロボットになろう 不安や虚無から解放されるなら 決して高くはないですよ ロボット 素晴らしいロボットになろうよ そして「危険のランプが点滅している」で終わる。 その曲が世に出てから2年後、2016年1月にWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブはスイスのテレビ番組に出演、マイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。チップを服に取り付けるところから始め、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合、人間を端末化しようと考えているようだ。人間をサイバー・システムの一部にしようということだろう。 シュワブの顧問でイスラエル人のユバル・ノア・ハラリはAI(人工知能)によって不必要な人間が生み出されると見通している。特に専門化された仕事で人間はAIに勝てず、不必要な人間が街にあふれるというのだ。相当数の仕事はAIを搭載したロボットで代用でき、人間を必要としなくなるということである。 シュワブは1938年3月にドイツのラーフェンスブルクで誕生、スイスのチューリッヒ工科大学で工学博士号を、フリブール大学で経済学博士号を、また66年から67年にかけてハーバード大学の公共政策大学院で修士号を取得したが、ハーバード大学ではヘンリー・キッシンジャーの教えを受け、大きな影響を受けたという。彼の父親、オイゲン・シュワブはナチスを支援していたスイスのエンジニアリング会社エッシャー・ビスを率い、ノルウェーの工場でナチスの核開発計画のための重水生産を支援していた。 こうした支配層の思考を坂本慎太郎は感じていたのかもしれない。 4月13日から「大阪・関西万博2025」が開催されている。問題山積みのイベントだが、入場者から生体情報を含む個人情報を集めているとも批判されている。坂本慎太郎の描く世界と重なる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.18

ドイツの次期首相とされているフリードリヒ・メルツは4月13日、国営放送ARDのインタビューで、欧州諸国との協調が条件だとはしているものの、キエフは今後、西側諸国から供給されるミサイルを用いて攻勢に転じ、例えば「ロシアとクリミアを結ぶ最も重要な陸上の橋」を破壊すべきだと述べた。 それに対し、ロシアの元大統領で安全保障会議の副議長を務めているドミートリー・メドベージェフは激しい言葉で批判している。彼は「ナチス」という用語を使ったが、メルツの父ヨアヒムは1941年頃にナチス・ドイツの統一軍であるドイツ国防軍に徴兵され、祖父のヨーゼフ・パウル・ソーヴィニーは1933年からナチ党員だった。 メルツは以前から空中発射型巡航ミサイルの「タウルスKEPD 350」をウクライナへ供与すると主張しているが、この攻撃計画はドイツ空軍の中で議論されていることを示す会話がすでに公表されている。同軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部の2名が昨年2月19日にリモート会議で行った会議の中で、クリミア橋(ケルチ橋)をタウルスで攻撃する計画が議論されているのだ。イギリスの情報機関もこの橋の爆破を試み、失敗したと言われている。 ドイツ空軍幹部の音声は昨年3月1日にRTが公開したが、ディルク・ポールマンとトビアス・アウゲンブラウンの分析によると、ゲルハルツらは2023年10月の時点で計画の内容を太平洋空軍司令官だったケネス・ウイルスバックに伝えているという。 ウイルスバックは2023年5月、航空戦闘軍団司令官に指名され、24年2月に就任した。ウイルスバックの後任としてケビン・シュナイダーが太平洋空軍司令官になったのは24年2月9日。問題のリモート会談が行われる10日前のこと。その時点でシュナイダーはウクライナでの攻撃計画について知らなかったようだ。グレーフェによると、シュナイダーは彼が何を話しているのか理解できていなかったという。 計画を知らなかったのはシュナイダーだけでない。ドイツの首相だったオラフ・ショルツや国防相だったボリス・ピストリウスも知らなかった。つまりアメリカ軍幹部の一部とドイツ空軍幹部など限られたグループがロシア軍と本格的な軍事衝突を目論んでいる可能性がある。この計画と同じことをメルツは4月13日に語ったわけだ。 ドイツ空軍がクリミア橋をタウルスで破壊することに成功した場合、アメリカの太平洋空軍が何らかの形でロシアとの戦争に加わる可能性もあり、そうなると日本も巻き込まれる。 すでに自衛隊はアメリカの戦略に基づき、2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。2022年の4月にアメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表している。 南西諸島にミサイル発射基地が建設されつつあった2017年11月、アメリカはオーストラリア、インド、日本とクワドの復活を協議、18年5月にはアメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更した。インド洋と太平洋を一体のものとして扱うということだろう。 共同通信は3月16日、日本政府が九州に陸上配備型長距離ミサイルの配備を検討していると報じた。緊急事態の際に敵の標的を攻撃する「反撃能力」を獲得する取り組みの一環だという。そのミサイルとは、射程距離が約1000kmの12式地対艦誘導弾能力向上型で、配備は2026年3月に始まるとされている。 ドイツ国民の61%はウクライナへのタウルス供与に反対、4月9日に実施された世論調査の結果、メルツが率いるCDU/CSUは24%で、25%だったAfD(ドイツのための選択肢)を下回っている。2月23日に行われた選挙ではCDU/CSUが32%を獲得、AfDは21%だった。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.17

昨年12月8日にHTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)やRCA(革命コマンド軍)がアル・カイダやダーイッシュの旗を掲げながらダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド体制は倒された。アサド体制が守っていたアラウィー派やキリスト教徒をはじめとする少数派を新体制派弾圧、殺害された少数派は1万人を越すと言われているが、HTSはトルコの傭兵、RCAはアメリカやイギリスの傭兵だということもあり、そうした虐殺が西側では報道されにくい構図になっている。アル・カイダ/ダーイッシュを利用した外部勢力による侵略戦争を批判してきたメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のアグネス・マリアム修道女は逮捕され、刑務所で拘束されている。 シリアに対する侵略戦争を始めた外国勢力の中心的な存在はアメリカのバラク・オバマ政権。この政権はムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けようと計画し、2010年8月にPSD-11を承認した。そして「アラブの春」が始まり、11年2月にはリビアに対する侵略を開始、同年3月にはシリアへの侵略を始めた。 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ政権が崩壊、カダフィ本人は惨殺され、アメリカなど侵略勢力は戦闘員や兵器をシリアへ移動させ、さらにアル・カイダ系武装勢力への軍事的な支援を強化している。そうしたオバマ政権のジハード傭兵支援を危険だとする報告書をアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年に政府へ提出している。反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。 その2012年にCIAはシリアのジハード傭兵を訓練、資金や武器弾薬を供与する極秘のプログラムを初めている。「ティンバー・シカモア」作戦だ。作戦の司令部はアンマンにあり、イギリスやサウジアラビアなどの情報機関から支援されている。そしてシリアでの戦争はエスカレートし、2011年以降、シリアでは30万人以上が死亡したとされている。基本構造はウクライナと同じだ。 このプログラムを提案したのはCIA長官だったネオコンのデビッド・ペトレイアス。ヨルダン国王アブドラ2世やイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相などのロビー活動もあり、承認されたとされている。 2012年5月にはシリア北部ホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝していたが、同年6月に現地を調査したメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はそうした報道の内容を否定、虐殺を実行したのは政府軍と戦っているサラフィ主義者や外国人傭兵だとローマ教皇庁のフィデス通信で報告した。同大主教は「誰もが真実を語れば、シリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」ともしている。修道女のアグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判していた。 同年8月にオバマ大統領はNATO軍/アメリカ軍による直接的な軍事介入のレッド・ラインは生物化学兵器の使用だと宣言、12月には国務長官だったヒラリー・クリントンが、自暴自棄になったアサド大統領が化学兵器を使う可能性があると主張。翌年の1月になると、イギリスのデイリー・メール紙はアメリカ政府がシリアでの化学兵器の使用を許可し、その責任をシリア政府へ押しつけてアサド体制を転覆させるというプランが存在すると報道した。 2013年3月に反政府軍がアレッポで化学兵器が使用したとアサド政権は発表、国連に対してすみやかに調査するように要求するが、それに対して反政府軍側や西側諸国は政府軍が使ったと主張した。 それに対し、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事をミントプレスが8月に掲載、アグネス・マリアムもアル・カイダ系武装勢力や西側の主張に対する疑問を明らかにしている。 12月には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがシリアの反政府軍がサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとする記事をロンドン・リビュー・オブ・ブックスに書く。(London Review of Books, 19 December 2013) さらに、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張について、ミサイルの性能を考えると科学的に成り立たないとする報告を発表した。西側が必死に宣伝していた化学兵器話は荒唐無稽だったということだ。 また、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったとしている。 アル・カイダ/ダーイッシュやアメリカをはじめとする反アサド勢力にとってアグネス・マリアムは目障りな存在だった。その修道女をシリアの新体制は刑務所で拘束したが、それだけでなく少なからぬキリスト教の聖職者が拘束されたり惨殺されている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.16

ドナルド・トランプ政権で特使を務めているスティーブ・ウィトコフは4月12日、ロシアのサンクトペテルブルクでウラジーミル・プーチン露大統領と4時間にわたって会談したと伝えられている。会談にはロシアの政府系ファンドでCEOを務めるキリル・ドミトリエフも出席したという。 アメリカとロシアの間では話し合いが進展しているように見えるが、イギリス、フランス、ドイツを含むヨーロッパ諸国はロシアに対する攻撃的な姿勢を強めている。軍事的にも経済的にもロシアに対抗することはできないが、有力メディアを利用し、必死に「ウクライナは負けていない」という幻影を広めようとしているようだ。こうした幻影を広めるために「将軍」も動員され、ウクライナとロシアは膠着状態にあると主張しているのだが、すでに欧米を信じていないロシアは停戦に応じないため、シナリオが狂っている。 2003年3月にジョージ・W・ブッシュ政権はアメリカ主導軍でイラクを先制攻撃、サダム・フセインを殺害したが、その攻撃に反対する将軍が統合参謀本部には少なくなかった。またフランスのジャック・シラク大統領やドイツのゲアハルト・シュレーダー首相も攻撃に反対。そのため、攻撃開始は半年から一年ほど遅れたと言われている。 しかしその後、統合参謀本部も独仏政府も米英政府に従属するようになり、ヨーロッパは好戦的な反ロシア派に牛耳られている。例えば、欧州委員会委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエン、エストニアの首相から欧州連合外務安全保障政策上級代表になったカヤ・カラス、ドイツで外相を務めるアンナレーナ・ベアボック、国際通貨基金(IMF)の専務理事から欧州中央銀行総裁になったクリスティーヌ・ラガルドなどだ。 フォン・デア・ライエンはロシアを敵視、イスラエルを支持しているだけでなく、遺伝子操作薬である「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」を推進、副作用で少なからぬ人を死に至らしめてたり、深刻な後遺症で苦しめている。 この危険性の高い「ワクチン」9億回分をEUはファイザーから購入しているが、この取り引きをフォン・デア・ライエンはファイザーのアルバート・ブーラCEOと個人的に交渉したとニューヨーク・タイムズ紙は2021年4月28日に伝えた。 調達プロセスを回避するために携帯電話を利用、しかもメッセージは削除している。交渉のプロセスが不透明だということだ。しかもウルズラの夫であるハイコ・フォン・デア・ライエンはアメリカのバイオテクノロジー企業オロジェネシスの取締役だ。 こうした疑惑からフォン・デア・ライエンは告訴され、ベルギーの裁判官が審理したのだが、これについて欧州検察庁は彼女に免責特権があると異を唱えた。EUでも司法システムは寡頭体制を守るために使われているのだが、そのシステムを起動させた結果、腐敗した実態を人びとに知らせることにもなった。支配層の中にフォン・デア・ライエンを守る勢力が存在する。 そのフォン・デア・ライエンは2022年6月13日にイスラエルを訪問、6月14日にはネゲブ・ベングリオン大学から名誉博士号を授与された。その際に行われたスピーチの中で彼女は「ヨーロッパにはタルムードの価値観がある」と語っているのだが、タルムードが価値観の体系であるわけではない。 タルムードとはユダヤ教の口伝律法とその註釈を集大成したもので、数千ページに及ぶ百科事典的なテキスト。ラビだけが議論し研究している。4世紀末のパレスチナ・タルムードと5世紀末のバビロニア・タルムードが残っているが、これらを聖典と認めていないユダヤ教の宗派もある。タルムードの中にイエスに対する批判が存在しているため、イエスを侮辱するものだとしてキリスト教徒から激しく非難された過去もある。そのタルムードと同じ価値観がヨーロッパにはあるというフォン・デア・ライエンの主張はスキャンダラスだ。2023年に彼女はユダヤ文化遺産賞を創設した。 クリスティーヌ・ラガルドは2014年1月15日にワシントンDCにあるナショナル・プレス・クラブで講演した際、2014年は重要な年だということを「魔法の7」を持ち出して説明している。公の席で彼女が数秘術を披露したことに驚いた人は少なくない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.15
アメリカの外交や軍事を支配しているネオコンはソ連が消滅した後、1992年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクトを作成した。当時の国防長官はリチャード・チェイニー、執筆の中心人物はポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれているが、このドクトリンの基盤を考えたのは国防総省内のシンクタンクONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルだとされている。 ドクトリンの中で、新たなライバルが出現することを防ぎ、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制、つまり戦争マシーンに組み入れるとしている。ネオコンが潜在的なライバルと考えた国にはロシアをはじめとする旧ソ連圏のほか西ヨーロッパや東アジアも含まれ、エネルギー資源のある南西アジアも征服の対象だった。 しかし、細川護煕政権は国連中心主義を打ち出してネオコンの要求に対抗。細川政権が倒れた後、1994年6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗する。 そうした状況をネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。 1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのはこの1995年だと言えるだろう。 1990年代に入ると、日本では証券会社や銀行のスキャンダルが相次ぎ、97年には山一證券が自主廃業。またBIS規制の問題もあり、銀行は優良な中小企業から貸しはがしをする事態になり、日本経済の基盤が崩れ始めた。しかも1997年には消費税率が3%から5%に上昇、日本の衰退が本格化する。2001年4月に始まった小泉純一郎政権は弱った日本を欧米の巨大資本に叩き売る政策を推進し始めた。小泉政権で大臣として財政や金融を指揮していたのが竹中平蔵にほかならない。 2001年9月11日にはニューヨークの世界貿易センターや国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるが、その後、ジョージ・W・ブッシュ政権はアメリカ憲法の機能を停止、世界制覇戦争を本格化させた。 そして2004年11月から05年1月にかけてウクライナで「オレンジ革命」を仕掛けてヤヌコビッチを排除、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えたが、その政権は貧富の差を拡大させ、国民の怒りを買う。そこで2010年の選挙ではヤヌコビッチが勝利、オバマ政権は2014年2月22日にネオ・ナチを利用してウクライナでクーデターを実行、ヤヌコビッチ政権を倒した。 それに対してヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部に住む人びとはクーデター政権を拒否、クリミアはロシアと一体化する道を選び、東部では内戦が始まった。クーデターを実行した目的のひとつはロシアに軍事的に脅すことだが、もうひとつはロシアとヨーロッパを分断することだった。ロシアとヨーロッパを結びつけていた天然ガスを運ぶパイプラインがウクライナを通過しているが、そのパイプラインをコントロールすることでロシアからマーケットを奪い、ヨーロッパから安いエネルギー資源を奪おうとしたわけだ。その結果、ヨーロッパ経済は崩壊に向かっている。 ところで、日本の消費税はざっくり言うと、課税売上から総支出を引いた当期利益に非課税支出を足し、それに税率をかけて算出する。非課税支出には正規社員の賃金も含まれるため、経営者は派遣労働へ切り替えることになる。消費税は正規社員から低賃金の派遣労働者への切り替えを促しているわけだ。必然的に技術の継承が困難になり、日本の生産力は低下する一因になった。これはウォルフォウィッツ・ドクトリンの目的に合致している。輸出している大企業は還付金を受け取れるが、日本を支えてきたのは技術力のある中小企業だった。そうした実態をアメリカは第2次世界大戦中から理解していたようだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.14
ガザではイスラエル軍が再び住民虐殺を激化させ、シリアではHTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)やRCA(革命コマンド軍)がアラウィー派やキリスト教徒をはじめとする住民を虐殺しているのだが、西側世界では政府も有力メディアも虐殺に寛容だ。 SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)によると、イスラエルの武器輸入の69%はアメリカが占め、その次がドイツで30%。イギリスはアメリカと連携してイスラエルへ軍事物資を空輸しているほか、偵察機をパレスチナ上空に飛ばして情報収集に努め、2021年にはイスラエルと軍事協力協定を締結している。アメリカ、イギリス、ドイツはガザでの住民虐殺でイスラエルと共謀している。 医学雑誌「ランセット」は今年1月9日、2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。このほか、瓦礫の下に数千とも数万とも言われる遺体があるとも言われている。 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は1949年にテル・アビブで生まれたが、1956年から58年、そして63年から67年の期間、アメリカで生活。1972年にはマサチューセッツ工科大学へ留学、その後も断続的にアメリカで暮らしている。 ベンヤミンの父、ベンツィオンはベンツィオン・ミレイコウスキーとしてポーランドのワルシャワでラビの子どもとして誕生、1920年に一家はパレスチナへ移住、姓をネタニヤフに改め、ヘブライ大学へ入学してからゼエブ・ジャボチンスキーの修正主義シオニズムに傾倒。1940年にベンツィオンはニューヨークへ渡り、数カ月の間、ジャボチンスキーの秘書と務めている。 ジャボチンスキーが親しくしていたレオ・シュトラウスは1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にジャボチンスキーのシオニスト運動に加わった。シュトラウスはネオコンの思想的な支柱と言われているが、カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、彼の思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」である。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) 修正主義シオニズムの一派であるシンクタンクの「IASPS(高等戦略政治研究所)」は1996年にイスラエル新戦略研究グループを編成、リチャード・パールを中心とするネオコンたちが「クリーンブレイク:国家安全保障のための新たな戦略」なる文書をネタニヤフ首相への提言として作成した。 彼らはシリアをイスラエル北部における脅威だと認識、トルコやヨルダンと協力してシリアを弱体化させて封じ込め、国境地帯で主導権を握り、シリアだけでなくヒズボラやイランを攻撃するとしている。イラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立させ、シリアとイランを分断して個別撃破するという計画をネオコンは1980年代から立てていた。アメリカは2003年3月、同国軍が主導してイラクを先制攻撃、フセイン体制を倒し、フセイン自身を処刑している。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めた経験のあるウェズリー・クラークによると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見ている。そのリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが記載されていた。(3月、10月) リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年11月にNATO軍とアル・カイダ系武装集団の連合軍が倒し、カダフィ自身を惨殺しているが、リビアより1カ月遅れで侵略戦争が始まったシリアは昨年12月8日にダマスカスが制圧され、バシャール・アル・アサド体制はアル・カイダ系武装集団に倒された。その背後にはトルコ、アメリカ、イギリスといった国が存在している。 こうした国々はアル・カイダ系の戦闘員を傭兵として使ってきたが、イギリスの外相を務めた経験のあるロビン・クックはアル・カイダについて、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだと2005年7月に説明している。この仕組みをズビグネフ・ブラジンスキーは1970年代に作った。 それだけでなく、サウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦、カタールなどもイスラエルと緊密な関係を築き、ガザでの住民虐殺を事実上、支援してきた。こうした一部のアラブ諸国はイスラエルとの貿易をここにきて急増させている。ペルシャ湾岸諸国は兵站ルートを利用してスラエルへ武器を輸送、アメリカの軍事物資輸送に協力、イスラエルの武器産業に投資もしているという。 アル・カイダ系戦闘員はムスリム同胞団やワッハーブ派が中心だが、いずれもイギリスと関係が深い。 ムスリム同胞団は1928年にハッサン・アル・バンナが創設したが、その源流とされる汎イスラム運動は1885年にイギリスの情報機関員や外交官がロンドンでアフガニスタン人の活動家と会談、帝政ロシアに対抗するために汎イスラム同盟を結成できないかが話し合われたという。 エジプトのムスリム同胞団は1930年代にカイロの郊外に戦闘員を訓練するための秘密基地を建設したが、教官はエジプト軍の将校が務めていた。第2次世界大戦の際にムスリム同胞団は秘密機構を創設し、王党派と手を組んで判事、警察幹部、政府高官らを暗殺していた。 1945年2月、そして48年12月にムスリム同胞団はエジプトの首相を暗殺、49年2月には報復でバンナが殺された。その直後に同胞団のメンバーは大半が逮捕され、組織は解散させられたのだが、アメリカとイギリスの情報機関は組織解体から2年半後に復活させている。 エジプトでは1952年7月にクーデターで王制から共和制へ移行するのだが、その背後にはCIAがいたと言われている。クーデターにはムスリム同胞団が参加していたが、実権を握ったのは自由将校団のガマール・アブデル・ナセルだ。 このクーデターを好ましくないと考えたイギリスは自由将校団の政府を倒そうとするが、アメリカに止められた。そのアメリカはナチスの親衛隊で幹部だったオットー・スコルツェニーのほか、軍人や数百名の元ゲシュタポ将校を送り込み、このグループはエジプトの警察でナチス的な手法を教える。 ムスリム同胞団は1954年にナセル暗殺を目論む。その暗殺計画で中心的な役割を果たしたひとりはサイド・ラマダーン。同胞団を創設したハッサン・アル・バンナの義理の息子だ。この計画の黒幕はイギリスだと見られている。ラマダーンはサウジアラビアへ逃れ、そこで世界ムスリム連盟を創設、西ドイツ政府から提供された同国の外交旅券を使い、ミュンヘン経由でスイスへ入っている。そこで1961年にジュネーブ・イスラム・センターを設立した。資金はサウジアラビアが提供したという。この当時、スイス当局はラマダンをイギリスやアメリカの情報機関のエージェントだと見なしていたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) サウジアラビアはイスラエルと同じようにイギリスが作り上げた国である。イギリス外務省アラブ局はエージェントを後のサウジアラビア国王でワッハーブ派のイブン・サウドに接触させ、1916年6月にアラブ人を扇動して反乱を引き起こした。トーマス・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」もその部署に所属していた。オスマン帝国を解体し、中東を支配することが目的だ。 ローレンスが接触していたイラク・イブン・アリにイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンは書簡を出し、その中でイギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束した。フセイン・マクマホン協定である。このイブン・アリを追い出したイブン・サウドを中心として1932年に作られた国がサウジアラビアにほかならない。 その一方、イギリスのアーサー・バルフォア外相はロスチャイルド卿に宛てに出した書簡の中で「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。1917年11月のことだ。 また、イギリスとフランスは石油資源に目をつけ、サイクス・ピコ協定を1916年5月に結んでいる。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからそう呼ばれている。 そして2023年4月、修正主義シオニズム人脈のネタニヤフ首相はイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクへ警官隊を突入させ、同年10月3日にはイスラエル軍に保護された832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入してイスラム教徒を挑発。ハマスなどの武装集団がイスラエルを陸海空から攻撃したのはその後、10月7日のことだ。 その攻撃から間もなく、ネタニヤフ首相は「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、パレスチナ人虐殺を正当化している。聖書の中でユダヤ人と敵だとされている「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を彼は引用、「アマレク人」をイスラエルが敵視しているパレスチナ人に重ねたのである。その記述の中で、「アマレク人」を家畜と一緒に殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神は命じたというわけだ。 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだと言えるだろう。ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民」なのである。 ネタニヤフ政権はパレスチナ人だけでなく家畜も皆殺しにした上、彼らの存在を歴史から抹殺すると言っているのだ。そのイスラエルをアメリカやイギリスをはじめとする西側諸国は支援している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.13

ソ連が消滅した後、アメリカの外交と軍事を支配するネオコンは世界制覇戦争を開始、世界はカオスの中へ引き摺り込まれていった。唯一の超大国になったアメリカは他国を考慮することなく勝手気ままに行動できると考えたようで、西側の有力メディアは侵略を煽るプロパガンダを繰り広げ始めた。そしてもつれた国際情勢をドナルド・トランプはほぐそうとしているようだが、事態は悪化している。 ネオコンが手始めに狙ったのはユーゴスラビア。この国を解体した上で支配しょうとしたのだが、そうした侵略を正当化するため、ニューズデーのロイ・ガットマンは16歳の女性3人がセルビア兵にレイプされたとする記事を書いた。1992年8月のことだ。 しかし、ガットマンはドイツのボンで支局長を務めていた人物で、バルカンに常駐しているわけではなく、現地を取材していない。彼はヤドランカ・シゲリなる人物から得た情報をそのまま書いたのだ。 シゲリはクロアチアの与党で民族主義の政党HDZ(クロアチア民主団)の副党首を務め、CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。ガットマンに話した内容はプロパガンダの一環だったのである。 アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーなどの記者はガットマンの話が嘘だということを明らかにしたが、これはユーゴスラビアを制圧しようと計画している西側の支配者にとって都合が悪いために無視され、1993年にガットマンはピューリッツァー賞が贈られた。シゲリは人権問題のヒロインとなり、ジョージ・ソロスの影響下にある人権擁護団体HRWは彼女を主役にしたドキュメント映画を1996年に発表している。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002) ガットマンに限らず、西側の有力メディアはユーゴスラビアを攻撃させようと必死になり、偽情報を撒き散らすが、1993年1月にアメリカ大統領となったビル・クリントンは戦争に消極的。そこでクリントンはスキャンダルで攻撃された。その中核にはマイケル・レディーンのようなシオニストがいたのだが、反クリントン工作のスポンサーはリチャード・メロン・スケイフというCIAと関係の深い富豪だった。 戦争に消極的なクリントンに不安を抱く人びとが西側の支配層にはいて、1993年9月には、ボスニアへの軍事介入を求める公開書簡がウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載される。そこに署名した人物には米英の有力者が名を連ねていた。 その人物とは、例えばイギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、ジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールだ。 当初、クリントン大統領は戦争に消極的なクリストファー・ウォーレンを国務長官に据えるが、圧力に屈したのか、第2期目の1997年1月にはチェコスロバキア出身で反ロシア感情の強い好戦派のマデリーン・オルブライトへ交代させた。オルブライトはコロンビア大学でポーランド出身のズビグネフ・ブレジンスキーから学んでいる。ちなみに、この国務長官人事を大統領に働きかけていたのはヒラリー・クリントン、つまり大統領の妻だと言われている。 オルブライトは1998年秋にユーゴスラビア空爆を支持すると表明、翌年の3月から6月にかけて実際に爆撃した。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃された。 中国大使館を空爆したのはB-2爆撃機で、目標を設定したのはCIA。アメリカ政府は「誤爆」だと弁明しているが、3機のミサイルが別々の方向から大使館の主要部分に直撃していることもあり、中国側は「計画的な爆撃」だと主張している。 また、オルブライトと同じようにヒラリーと親しいビクトリア・ヌランドは1993年から1996年までストローブ・タルボット国務副長官の首席補佐官を務め、その後旧ソ連問題担当副長官に就任した。ヌランドは2014年2月のウクライナにおけるクーデターでは国務次官補として現地に入ってネオ・ナチを指揮していたが、その前から旧ソ連圏に対する侵略に参加していたわけである。ちなみに、彼女の結婚相手はネオコンの大物として知られているロバート・ケーガンだ。 ジョージ・W・ブッシュ政権が始まった2001年の9月11日にはニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その後にアメリカでは憲法の規定が停止、支配層の中でもネオコンが主導権を握った。バラク・オバマ、ドナルド・トランプの第1期目、そしてジョー・バイデン政権でも軍事や外交はネオコンがコントロールしている。 ネオコンは世界制覇戦争をユーゴスラビア侵略で始めたのだが、この計画はロナルド・レーガン大統領が1984年にNSDD133(ユーゴスラビアに対する米国の政策)に署名したときから始まっている。ユーゴスラビアやほかの東ヨーロッパ諸国のコミュニスト体制を「静かな革命」で倒そうという計画だ。最初のターゲットはソ連だったのかもしれない。 そのソ連は1991年12月に消滅したが、ネイコンが世界制覇戦争を初めて間もなくロシアが再独立に成功。ネオコンはウクライナのネオ・ナチを利用してロシアとの戦争を始めたが、敗北が決定的だ。 ウクライナでの戦闘は国防総省系シンクタンクの「RANDコーポレーション」が2019年に出した報告書の中で触れている。ウクライナの戦力を増強するとしているのだ。そのほか、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアとアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張を煽る、そしてトランスニストリアの孤立化をあげていた。このうちウクライナでは敗北、ベラルーシでのクーデターは失敗したが、南カフカスでは軍事的な緊張が高まり、トランスニストリアは孤立している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.12
ドナルド・トランプ政権が打ち出した高関税政策で世界は混乱している。そうした政策で中心的な役割を果たしているのは財務省だろうが、同省の長官、スコット・ベセントはソロス・ファンド・マネジメントのロンドン事務所長を務めた金融界の人間だ。ソロス・ファンド・マネジメントを2015年に退社、自分自身の投資会社であるキー・スクエア・グループを設立したが、その会社にジョージ・ソロスは20億ドルのアンカー投資をしている。財務長官に就任したからといってソロスとの関係が簡単に切れるとは思えない。 ソロスはハンガリーのブダペストで1930年に生まれた。家族はユダヤ教徒の中でもエリートに属していた。1938年11月にドイツでは「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人襲撃が引き起こされ、弾圧が始まるのだが、ソロス家は弾圧の対象になっていない。 当時、ソロスは父親から自分の身を守る方法を教えられたという。危険を察知したなら周囲の風景に溶け込み、姿を消せというのだ。それだけでなく、10代のソロスはユダヤ人からの略奪に加担、彼自身も財産を築いたと言われている。ソロスは道徳に左右されるようなタイプの人間ではなく、そうした行動に罪悪感を感じなかったとしている。それは投機家として必要な資質だ。 ソロスは第2次世界大戦後、1947年にイギリスへ移住、54年から金融の世界へ入った。そして彼のビジネスにとって目障りな体制を転覆させる活動を本格化、1984年にはハンガリーで「オープン・ソサエティ協会」を設立する。1991年12月にソ連が消滅すると旧ソ連圏での活動を活発化させ、体制の転覆と新自由主義化を推進した。 2009年1月から17年1月にかけてアメリカ大統領を務めたバラク・オバマはロシアを敵視、軍事的な緊張を高めた。その間、2014年2月にはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを仕掛け、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒している。その政権で副大統領を務めたジョー・バイデンも反ロシア感情が強い人物。バイデンは大統領に就任した後、ロシアに対して軍事的な挑発を繰り返している。またオバマ政権の第1期目で国務長官を務めたヒラリー・クリントンはロッキード・マーティンをスポンサーにする政治家で、ソロスの強い影響下にあった反ロシア派だということでも知られている。 2014年にクーデターを仕掛けた理由のひとつは、NATOがいつでもモスクワを軍事的に破壊できる態勢を整えることだったが、もうひとつはロシアとヨーロッパを結びつけていた天然ガスのパイプラインを止めることにあった。 パイプラインが断ち切られれば、ロシアから天然ガスのマーケットを奪い、ヨーロッパから低価格のエネルギー源を奪うことで両方の経済を弱体化させられると計算したのだ。実際、ヨーロッパ経済は崩壊しはじめて国民の怒りが強まっているが、ロシアは経済が成長、軍事力も強化された。オバマ政権で副大統領を務めたジョー・バイデンは大統領に就任した後、ロシアとの軍事的な緊張を高め、戦争へと向かった。 しかし、ロシアとヨーロッパはウクライナを迂回するルートでも天然ガスを運んでいた。バルト海を経由する「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」だが、これらは2022年9月に爆破された。 この爆破をジョー・バイデン政権は予告していた。ビクトリア・ヌランドは2022年1月27日、ロシアがウクライナを侵略したらNS2は前進しないと発言し、同年2月7日にバイデン大統領がNS2を終わらせると主張、記者に実行を約束している。そして2022年9月、NS1とNS2は爆破された。この爆破によってヨーロッパ経済は大きなダメージを受け、社会は破壊された。それを現在のEU指導部は容認している。 ソロスは意に沿わない体制を「カラー革命」や為替攻撃などで倒してきたが、体制転覆には有力メディア、裁判所、検察当局なども利用される。 ここにきて欧米の手先としての活動が目立つICC(国際刑事裁判所)もソロスから資金が提供されている。旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所にもソロスは資金を直接提供していた。「人権団体」のヒューマン・ライツ・ウォッチもソロスの影響下にある。 ウクライナの場合、ウォロディミル・ゼレンスキーはブラックロックのほか、JPモルガン・チェースやゴールドマン・サックスと協力関係にあることを明らかにしている。ブラックロックやJPモルガン・チェースのほか、バンガード、フィデリティ、ステート・ストリート、モルガン・スタンレーはメガバンクとも呼ばれ、アメリカ政府と連携している。この連携は世界の金融経済に対する支配力を強めてきた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.11

ドナルド・トランプ政権はロシアを懐柔しようと試みる一方、イランに対しては経済的な圧力だけでなく軍事的に威嚇、またイエメンに対しては大規模な空爆を実施している。アメリカでは国防総省が近いうちに長距離精密誘導兵器をアジア太平洋から中東へ移動させるのではないかと懸念され始めた。 しかし、イランのマスード・ペゼシュキアン大統領は1月17日にモスクワを訪問、その際にロシアと包括的戦略的パートナーシップ協定に署名している。しかも両国は中国と同じように、BRICS+と上海協力機構(SCO)の主要メンバーだ。 アメリカやイギリスの情報機関は2014年にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを仕掛けて、香港では「佔領行動(雨傘運動)」なる反中国運動を展開した。ウクライナのクーデターは新たなバルバロッサの始まりであり、香港の運動は大英金融帝国の拠点を奪還すると同時に北京政府を揺さぶることが目的だったのだろう。この年、中国とロシアはアメリカとイギリスが共通の敵であることを認識、戦略的な同盟関係に入った。中国とロシアは天然ガスのパイプライン、鉄道、道路などを建設して結びつきを強めている。 中国の王毅外相は2月にロシアのセルゲイ・ラブロフ外相とヨハネスブルグで会談、3月にはラブロフ外相が中国を訪問、4月には王毅外相がモスクワを訪れてウラジーミル・プーチン大統領やラブロフ外相らと会談している。またロシア政府はイランの核/エネルギー施設への爆撃を容認しないという姿勢だ。このトライアングルを西側諸国は崩そうと試みてきたが、壊れそうにはない。この同盟はアメリカとイスラエルとの関係にも影響を及ぼすと見られている。 アメリカにとって、イエメンのアンサール・アッラー(フーシ派)も大きな問題だ。アメリカやロシアがイエメン政府とみなしている大統領指導会議はアデンを臨時の首都にしているが、実際にはサウジアラビアの首都であるリヤドの高級ホテルを拠点にしている。事実上のイエメン政府はサナアを拠点とするアンサール・アッラーである。このイエメンはイスラム世界で唯一、パレスチナ人を虐殺しているイスラエルと戦っている国だ。このイエメンに対する激しい空爆をアメリカやイギリスは展開してきたが、屈服させられないでいる。 アメリカやイギリスの戦術が失敗したという点ではロシアに対する攻撃も同様だ。米英両国を中心とする西側諸国はロシアに対し、軍事的な支援だけでなく、経済的な「制裁」を実行してきたのだが、これはロシアの国内産業を成長させ、軍事力も強化させてしまった。トランプはこの手法をアメリカに対して使おうとしているのかもしれないが、すでに産業の空洞化が進み、教育システムが崩壊しているアメリカでは成功しそうにない。 バラク・オバマ政権とジョー・バイデン政権が進めたロシアとの戦争はアメリカやヨーロッパを窮地に追い込んだ。勿論、日本も巻き込まれている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.10
アメリカのドナルド・トランプ大統領は3月の初め、イランに対して新たな核合意に関する協議に参加するように求める書簡を送った。2カ月以内に核開発に関して合意することを求めるものだ。 この恫喝書簡をトランプ政権は当初、ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官から渡されたと伝えられていたが、ロシア政府は断ったとされている。実際に届けたのは親イスラエルのアラブ首長国連邦で外務大臣を務めるアンワル・ガルガシュで、3月12日にイランのアッバス・アラグチ外務大臣と会談している。 この書簡が送られる前、アメリカ政府はイスラエル、サウジアラビア、アラブ首長国連邦を含む主要なアメリカの同盟国に内容を知らせたという。トランプ政権の恫喝に屈しないイランを攻撃することでアメリカはイギリスやイスラエルと合意、近日中に攻撃する、あるいはイスラエルが単独で攻撃するという情報が伝えられている。 それに対し、イランの最高指導者であるアリ・ハメネイ師は4月4日、トランプ大統領に対し、イスラム共和国と対峙する際に脅しでは何も得られないことを知っておくべきだと警告、イランの軍隊に厳戒態勢を敷いたとも語っている。 またモハンマド・バーゲル・カリバフ国会議長は、イスラム国を脅迫すればこの地域のアメリカの同盟国とアメリカ軍基地は危険にさらされるだろうと述べた。イランはアメリカ軍基地を抱える近隣諸国、つまりイラク、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、トルコ、バーレーンに対し、攻撃に関与すれば反撃の標的になる可能性があると警告したわけだ。 トランプ政権はアンサール・アッラー(フーシ派)が支配するイエメンを3月28日から空爆、民間人を殺害する現場をアメリカ政府は公表しているが、これは上空からの映像と電子監視に頼っているアメリカ側の情報レベルが低いことを示しているようにも見える。アメリカが情報収集に利用している無人機のMQ-9リーパーをアンサール・アッラーは16か月の間に17機を撃墜したとイエメン側は主張している。アメリカの艦隊は攻撃用だけでなく防空用のミサイルを相当数発射しているはずだが、それにも限界があり、早晩引き上げなければならなくなるだろう。 アメリカがイランを攻撃する動きを見せる中、イギリス領のディエゴガルシア島にあるアメリカ軍基地に3機のB-2爆撃機が配備されている。この航空機はF-117攻撃機と同じように「ステルス」だとされているのだが、実戦で撃墜されている。「見えない」というのは兵器メーカーの宣伝文句にすぎず、実際は見えているようだ。 1999年にセルビア軍はF-117を1機撃墜し、別の1機も修理不能な損傷を与えているが、その時に使われたのは旧式のS-125地対空ミサイル・システム。それより性能が良いロシア製の防空システムなら確実に撃ち落とされるだろう。そうしたシステムをイランも保有している。 昨年4月1日にイスラエル空軍はゴラン高原方向からダマスカスを攻撃してイラン大使館領事部を破壊、IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊コッズの上級司令官だったモハマド・レザー・ザヘディ准将と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害した。 そうした攻撃に対する報復としてイランは4月13日にドローンやミサイルでイスラエルのネバティム空軍基地、ラモン空軍基地、そしてハルケレン山頂にある「サイト512」基地のAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設を攻撃、大半のミサイルは目標にヒットしたと伝えられているが、これは形式的な攻撃で、イスラエルに打撃を与える意思はなかったと見られている。新大統領で親米派のマスード・ペゼシュキアンはイスラエルに対して寛容だったと言えるだろう。 しかし、2024年10月1日にイランはイスラエル南部と中部に200機から400機の弾道ミサイルを発射、イスラエルが誇る防空システム「アイアン・ドーム」を突破して標的に命中させた。80から90%が標的に命中したとイラン側は主張しているが、現地から流れてくる映像はその主張の信憑性を高めている。つまり、アメリカやイスラエルがイランを攻撃した場合、イスラエルを含むアメリカの「同盟国」はこうした攻撃にさらされることになる。 イスラエルの戦争にはイギリス軍も深く関係している。3月4日にアメリカ軍のB-52爆撃機がイギリスのグロスタシャーにあるアメリカ空軍の基地から飛び立ち、東地中海上空でイスラエルのF-35およびF-16戦闘機とランデブー飛行しているが、これは象徴的な光景だ。2月5日にはイスラエル空軍のヤベル・ハレル准将を含む9名の代表団をイギリス国防省は迎え入れた。イギリス軍はイスラエルのために物資の輸送だけでなく偵察飛行を繰り返していることも知られているわけで、ガザでの住民虐殺で共謀しているとも言えるのだが、イランに対する攻撃でもアメリカ、イギリス、イスラエルは共謀する可能性がある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.09

2月23日に実施されたドイツの連邦議会選挙で第1党になったCDU/CSU(キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟)の支持率が組閣前に低下、最新の世論調査によると、その支持率は第2党のAfD(ドイツのための選択肢)と同じ24%だ。組閣前に新政府は国民から見放され始めている。 選挙でCDU/CSUは32%を獲得、第2党のAfD(ドイツのための選択肢)は21%だった。現首相のオラフ・ショルツが率いるSPD(社会民主党)は20%で第3党だが、CDU/CSUを率いるフリードリヒ・メルツは選挙公約を投げ捨て、ロシアとの戦争を続けるために多額の負債を国民に追わせることを決め、SPDや第4党の同盟90/緑の党に接近している。 メルツはアンゲラ・メルケルのライバルと言われた政治家だったが、2004年にはメイヤー・ブラウン法律事務所の上級顧問に就任した弁護士でもある。2009年には政界から身を引き、大企業の重役を務めているのだが、そうした会社のひとつがブラックロック。2016年から20年にかけて監査役を務めている。 1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって銀行のような規制は受けない新しいタイプの金融機関が誕生、世界経済に対して大きな影響力を及ぼすようになった。いわゆる「闇の銀行」だ。その上位3社がブラックロック、バンガード、ステート・ストリートである。この3社はメディアやシリコンバレーのハイテク企業を含むアメリカの主要500社の9割近くを支配している。 ブラックロックを率いるラリー・フィンクはウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領とも関係が深い。ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントである可能性が高いことは本ブログでも書いてきた。MI6はシティ、つまりイギリスの金融界と関係が深い機関だ。 ウクライナは兵器のほか「復興資金」を西側政府から提供されているが、その資金の使い道に関してアドバイスしているのがブラックロックだという。ゼレンスキーはブラックロックのほか、JPモルガンやゴールドマン・サックスと協力関係にあることを明らかにしている。メルツはこうした金融資本の手先であり、2021年に政界へ舞い戻った。 こうした西側の巨大金融機関は1991年12月にソ連が消滅した際、旧ソ連圏は自分たちのものになったと信じた。ソ連を解体、ロシアも略奪の対象になった。略奪の黒幕は西側の私的権力だが、ロシアにはその手先が存在、巨万の富を築いて「オリガルヒ」と呼ばれるようになった。その一方、大多数の人は貧困化する。 オリガルヒの大半は若かい。例えばミハイル・ホドルコフスキー(1963年生まれ)、アレックス・コナニヒン(1966年生まれ)、ロマン・アブラモビッチ(1966年生まれ)、ボリス・ベレゾフスキー(1946年生まれ)たちだ。1991年当時、ベレゾフスキーは45歳だが、その他は25歳から28歳である。 こうした若者の上に「誰か」がいると考えるのが自然だが、それはKGBの幹部だったフィリップ・ボブコフやアレクセイ・コンドーロフたちだと言われている。ボブコフはKGBの頭脳と呼ばれ、政治警察局を指揮していた。ボブコフやコンドーロフはジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIAのネットワークと連携、ミハイル・ゴルバチョフをコントロールしていたと言われている。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018) 米英金融機関によるロシア支配は万全だと思われたが、21世紀に入ってから状況が一変した。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアの再独立に成功したのだが、それは西側の巨大資本が奪う寸前だった利権が手からこぼれ落ちてしまったことを意味する。ロシアの技術、資源、穀倉地帯などを奪うことを前提にしてカネを注ぎ込んできた私的権力にとって深刻な事態だ。西側の私的権力は利権を取り戻そうと必死だが、その一方でステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチは狂気の戦術でロシアを破壊しようとしている。 その狂気を支えているのは西側エリートの幻想。CDU/CSU、SPD同盟90/緑の党もその幻想にどっぷり浸かっているが、その足元は崩れ始めている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.08
ドナルド・トランプ政権は各国に高率の関税を課そうとしている。貿易赤字に応じて税率を決めているようで、世界経済に対する悪影響を懸念する声があがり、報復するという発言もある。 こうした懸念は当然だろうが、ヨーロッパはバラク・オバマ政権がウクライナで仕掛けたクーデターによって大きなダメージを受けている。2014年2月のクーデターによってキエフは事実上のネオ・ナチ体制。その体制をコントロールしているのはイギリスやアメリカのネオコンだ。 クーデターの前、ヨーロッパとロシアは経済的な結びつきを強めていた。最も重要な商品はロシア産の天然ガス。アメリカや中東で生産されるエネルギー資源より安く、ヨーロッパ経済を支えていたのだが、クーデター後、ベラルーシとポーランドを経由してドイツへつながるヤマル-ヨーロッパ・パイプライン、ウクライナを経由するソユーズ・パイプラインはアメリカによって寸断されてしまった。 それに対し、ロシアとドイツはウクライナを迂回するパイプラインのプロジェクトを建設していた。そのひとつが「ノード・ストリーム1(NS1)」だ。最初のパイプランは2011年11月に、また次のラインは翌年の10月に完成した。 輸送力を増強するため、クーデター後の2018年には新たなパイプライン「ノード・ストリーム2(NS2)の建設が始まり、21年9月に完成するが、ドイツのオラフ・ショルツ首相は認証せず、アメリカ政府はノード・ストリームの破壊を予告していた。 例えば、国務次官を務めていたビクトリア・ヌランドは2022年1月27日、ロシアがウクライナを侵略したらNS2は前進しないと発言、その年の2月7日にはジョー・バイデン大統領がNS2を終わらせると主張、記者に実行を約束している。そして2022年9月、NS1とNS2は爆破された。ロシア産の安い天然ガスを失ったドイツをはじめとするEUの経済は大きなダメージを受けたが、その原因を作ったバイデン政権に対してEUは何も言えない。関税を課すと宣言したトランプ大統領に対して激しく批判しているのとは対照的だ。 ところで、関税は外国からの輸入を抑制し、国内産業を刺激することが目的である。西側諸国はロシアを弱体化するために経済的な「制裁」を課したが、結果は関税と似ている。この対露制裁はロシアの国内産業を発展させることになった。現在、ロシア経済は好調だ。ロシアの潜在能力を開花させたとも言えるだろう。こうしたことはロシアを軍事面からも強化することになった。 オバマ政権やバイデン政権を操っていたネオコンは1992年2月にアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクトを作成した。この草案はポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 このドクトリンの目的は、旧ソ連圏を制圧するだけでなくドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制(戦争マシーン)に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐことにある。この戦争マシーンは世界を軍事的に制圧することが目的であり、自衛隊をそうした攻撃的な軍隊にするということだ。 このドクトリンが作成された当時、ネオコンはアメリカが冷戦で勝利し、唯一の超大国になったと考えた。誰にも邪魔されず、世界制覇に向かうことができると信じたのだろう。 欧米のエリートに大きな影響力を持つ外交問題評議会(CFR)は定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」を発行しているが、その2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文には、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカ軍の先制第1撃で破壊できるようになる日は近いと書かれている。こうした考えを彼らは最近まで保持していたようだ。その結果、ウクライナで不様なことになった。 ロシア経済が西側による「制裁」によって強くなったことをトランプ大統領は理解、関税を課すことで自国の製造業を育成しようとしていると推測する人もいるが、アメリカではネオコンが1970年代から製造業を放棄、金融マジックで国を運営してきた。産業の空洞化だ。この状態でアメリカ国内の製造業を育てることは難しい。しかもトランプ政権の政策は各国にアメリカ依存をやめさせる可能性もある。 トランプ政権が輸入品に関税を課すと発表したことを受けて景気後退を投資家は懸念、安全を求めて財務省証券を購入、その結果、金利が低下するという現象が予想された。莫大な財政赤字のアメリカでは金利の低下は大きな意味を持つ。トランプ大統領は財務省証券を低い利率で借り換えるために関税を利用しているという見方もある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.07
ウクライナを舞台としたNATO諸国とロシアとの戦闘はロシアの勝利が確定的である。この事実を西側の支配勢力も否定できず、メディアによる宣伝で隠せなくなっている。そこで敗北の責任をウクライナ軍に押し付けようとしはじめたが、実際はNATOの将軍たちがウクライナ軍に押し付けた無理な作戦でウクライナは壊滅的な状態になっているのだ。 そうした状況の中、アメリカのドナルド・トランプ大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領とウクライナを舞台とした戦闘を終わらせようと話し合いを続けているが、戦況が自分たちにとって有利なロシアは急いでいない。それだけでなくロシアは西側から何度も煮湯を飲まされてきた。ロシア側が西側に求めているのは停戦でなく降伏だろう。 1991年12月にソ連が消滅する直前、同年8月にウクライナ議会は民意に問うことなくソ連からの独立を宣言したのだが、この年の3月にソ連全土で実施された国民投票で、ウクライナは71%がソ連残留に賛成している。ソ連時代に政治的な思惑からウクライナへロシアから割譲された東部や南部の住民はウクライナ議会の独立宣言後、自治権の要求、あるいはウクライナからの独立を求めている。ソ連を解体し、ロシアを弱体化させるため、アメリカをはじめとする西側諸国はウクライナの独立を認める一方、ウクライナの東部や南部の人びとの意思は無視した。 西部は1939年にソ連へ編入され、人口の60パーセントがロシア人であるクリミアは54年にウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えたのだ。ドンバスを含む東部もソ連時代にロシアからウクライナへ割譲されている。最も後でロシアからウクライナへ割譲されたクリミアには自分たちをロシア人だと考える人が多く、1992年2月にクリミア議会が同地域を「クリミア共和国」と改名、5月にはウクライナからの独立を宣言している。ウクライナの独立宣言を認めた西側諸国はクリミアの独立宣言を認めなかった。 ロシアの弱体化を目論む西側の勢力はウクライナを均一の国であるかのように主張するが、実際は違う。故ヘンリー・キッシンジャー元国務長官は2014年3月5日付けワシントンポスト紙で書いたように、ウクライナは複雑な歴史と多言語多文化多宗教の国である。キッシンジャーが指摘しているように、こうした国で一方が他方を支配しようとすれば内戦または分裂につながる。 キッシンジャーの論説はキエフのユーロマイダンを中心に展開されたネオ・ナチのクーデターを受けてのもの。そのクーデターは2013年11月に始まった。 2014年に入ってから前面に出てきたステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチのグループは2月に入るとチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ始め、さらにトラクターやトラックを持ち出す。2月中旬になると広場で無差別の狙撃を始めた。 狙撃を指揮したのはネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだということがのちに判明、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相もネオ・ナチが実行した可能性が高いと報告している。その報告をEUの外務安全保障政策上級代表(外相)を務めていたキャサリン・アシュトンは封印した。 狙撃が始まる前、EU諸国は話し合いでウクライナの戦乱を話し合いで解決しようとしていたようだが、2014年2月上旬、バラク・オバマ政権で国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドはそうしたEUに対し、「くそくらえ」と罵倒する。ヌランドは暴力的にヤヌコビッチを排除したかったのだ。 こうしたキエフのクーデターを知ったクリミアの住民はロシアとの一体化を決める。2014年3月16日にクリミアで実施された住民投票でロシアへの編入に賛成した人の比率は96.77%、投票率は83%だった。 南部のオデッサでは5月2日にネオ・ナチの一団がクーデターに反対していた住民を虐殺、東部のドネツクとルガンスクでは5月11日に住民投票が実施されている。ドネツクは自治を、ルガンスクは独立の是非が問われ、ドネツクでは89%が自治に賛成、ルガンスクでは96%が独立に賛成しているのだが、クーデター政権やその黒幕である西側諸国はその結果を拒否し、ロシア政府も救いの手を差し伸べない。そして内戦が始まった。 ウクライナ全体ではクーデター体制に対する反発は強く、軍や治安機関では約7割が離脱、その一部はドネツクとルガンスクの反クーデター軍に合流したと言われている。そこで当初は反クーデター軍が優勢だった。クーデターを仕掛けた西側諸国はクーデター政権の戦力を増強するために時間が必要になる。 そうした中、ドイツやフランスが仲介する形で停戦交渉が始まり、2014年には「ミンスク1」、15年いは「ミンスク2」が締結されるのだが、キエフ政権は合意に関係なく東部や南部を攻撃し続けた。のちにアンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領はこの合意がキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。 ミンスク1から8年間、西側諸国はキエフのクーデター軍を増強した。兵器を供与して兵士を訓練、さらに「ヒトラーユーゲント」的なプロジェクトで年少者をネオ・ナチの戦闘員へ育て、マリウポリ、ソレダル、マリインカ、アウディーウカには地下要塞を建設、それらを結ぶ要塞線を構築した。そして2022年に入るとキエフ政権は東部地域に対する砲撃を激化させるのだが、キエフ軍が本格的な攻撃を始める直前、戦争準備のできていなかったロシア軍がウクライナへの攻撃を始めた。 これ以降、一貫してロシア軍が優勢で、ロシアとウクライナは停戦で合意、仮調印もしているのだが、2022年4月9日、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令(ココやココ)。4月30日にはナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。 こうした動きを見てロシア政府は話し合いで問題を解決できないと腹を括ったようで、2022年9月に部分的動員を発表、ウクライナでの戦闘は新たな段階へ進んだ。アメリカやイギリスの好戦派は戦況を逆転してロシアを倒せると信じていたようだが、それは妄想にすぎなかった。 その妄想から抜け出せない欧米の好戦派はトランプ政権とプーチン政権との関係を悪化させようとしている。ヨーロッパ諸国の軍隊だけではロシアに対抗できないため、アメリカを引き込む必要があるのだ。そうした工作を熱心に進めているのはイギリス、フランス、バルト三国、ポーランド、そしてアメリカのネオコンなどだ。彼らにとって和平は破滅を意味。ネオコンの中にはマルコ・ルビオ国務長官も含まれていると言われている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.06
シリアではHTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)やRCA(革命コマンド軍)が昨年12月8日にダマスカスを制圧して以来、住民が虐殺され、殺害された人の数は1万人を越したと伝えられているが、子どもや女性が殺される映像も流れている。犠牲者の中心はアラウィー派やキリスト教徒だが、シーア派、スンニ派、さらにはメノナイト派やその他の少数民族へと標的は拡大しはじめた。こうした現実を西側世界は黙認、犠牲者も1000人程度だと低く発表している。 バシャール・アル・アサド体制を倒したアル・カイダ系武装集団の戦闘員は約85カ国から集まっていると言われている。特に残虐だとされているグループはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の秘密警察に雇われ人たちだが、チェチェンや中国の新疆ウイルグル自治区などからシリアへやってきた戦闘員も評判は良くない。ウイルグ系は「ダマスカスの首切り人」とも呼ばれている。シリアで戦闘を経験した「首切り人」が新疆ウイルグル自治区へ戻る可能性はあり、中国政府は警戒しているだろう。 こうした状態のシリアにおける戦争をウラジミル・プーチン露大統領は早く終わらせたかった。そこでロシア政府はアサドとエルドアンを引き合わせ、戦闘を終活させようとしていた。そこでプーチン大統領はエルドアン大統領とアサド大統領を引き合わせようとしたが、アサドが拒否したと言われている。しかもシリアは経済封鎖で疲弊、低賃金であることも影響し、兵士の戦意は弱かった。 ところで、シリアからレバノンにかけての地域はHTSのようなアル・カイダ系武装集団だけでなく、イスラエル軍の侵略も受け、状況は悪化。ガザではイスラエル軍による住民虐殺が激しくなってきた。そうした虐殺を支援しているアメリカやイギリスはイエメンを空爆、破壊と殺戮を繰り広げている。 シリアやレバノンを含む地域をヨーロッパは11世紀から侵略、知識や財宝を盗み、住民を虐殺、建造物を破壊してきたが、20世紀に入るとイギリスの外交顧問だったマーク・サイクスとフランスの外交官だったフランソワ・ジョルジュ-ピコはオスマン帝国を解体して支配するための協定を作成している。 帝国主義国による中東の植民地化だが、イギリスではエリザベス1世が統治していた16世紀後半にアングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だと主張する「ブリティッシュ・イスラエル主義」が出現した。それがシオニズムの始まりだと言えるだろう。そのカルト的な信仰を信じる人はピューリタンを率いたオリバー・クロムウェルの側近にもいた。 イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収した。その際に資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) しかし、「シオニズム」という用語が初めて使われたのは1893年のことで、使ったのはウィーン生まれのナータン・ビルンバウムだが、「近代シオニズムの創設者」とされているのは1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルである。シオニズムはイギリスでは帝国主義と結びついた。 ロシアでは1881年3月にアレクサンドル2世が暗殺され、その事件のう捜査を指揮したビャチェスラフ・フォン・プレーベは警察局長を経て1902年から04年まで内務大臣を務めているが、このプレーベは1903年8月にヘルツルとユダヤ人問題について話し合う。その際、ヘルツルはプレーベに対し、パレスチナにユダヤ人の植民地にすることをトルコ政府に認めさせるよう求めたという。 サイクス-ピコ協定が批准されたのは1916年5月だが、パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩と言われる書簡をアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出したのは1917年11月のこと。これがいわゆる「バルフォア宣言」だ。 イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。 そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。 この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。 1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃した。 そして、イギリスはアラビア半島を支配するためにイスラム系カルトのワッハーブ派を利用してサウジアラビアを樹立、シオニストを利用してイスラエルを樹立した。両国は戦略上重要な場所にあるが、それだけでなくサウジアラビアには石油という富の源泉が存在、イスラエルの目と鼻の先には世界の交易で重要な意味を持つスエズ運河がある。イスラム諸国が団結し、欧米の帝国主義国に刃向かうようなことがあってはならない、と彼らは考えているだろう。シリア情勢の背後には帝国主義国の利権争いがある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.05
イスラエルはアメリカにイランを攻撃させたがっている。イスラエルはアメリカ抜きにイランを攻撃できないのだ。 これは以前から指摘されていたが、イスラエルによる空爆の報復として、昨年10月にイランはイスラエルをミサイル攻撃した。その攻撃でイスラエルの防空システム「アイアン・ドーム」が無力だということが判明している。80から90%が標的に命中したとイラン側は主張しているが、現地から流れてきた映像はその主張を裏付けている。イランがその気になればイスラエルに大きな打撃を与えることができることが示された。 イスラエルは防空能力だけでなく攻撃能力も劣ることが一連の攻撃で判明している。イスラエルは航空機でイラク、シリア、イランの防空軍を破壊した上で侵入し、選ばれた標的を破壊するはずだったのだが、イランの領空へ侵入することができなかった。防空システムを破壊するための長距離ミサイルを搭載したイスラエルの航空機はイランから70キロ以内に近づかなかったと言われている。 イスラエルの航空機はテヘラン上空に未知の防空システムを発見したとされているが、これはアメリカの「ステルス戦闘機」を攻撃できるロシアの防空システムだった可能性があるという。ちなみに「ステルス」とは兵器メーカーの宣伝文句にすぎない。どうしてもイランを攻撃したいなら核兵器を使うしかないだろう。 そうしたトランプ政権の動きに対し、イランは自国が攻撃されたならディエゴガルシア島を標的にすると警告しているが、戦争が始まったならイランは中東全域のアメリカやイスラエルの基地、軍事施設、主要インフラ、石油施設に対する報復攻撃を実施すると推測されている。 イスラム世界にはイスラエルとの関係を強めようとしている国が少なくない。アラブ首長国連邦を中心とする国々はハマスの降伏と指導者のガザから退去を求めている。こうした要求をハマスは拒否しいた。 これと似たような出来事が1981年から82年にかけてレバノンで引き起こされている。1981年6月にイスラエル軍はイラクのオシラク原子炉を空爆、その翌月、ベイルートにあったPLOのビルに対する大規模な空爆を実施。1982年1月にイスラエルのアリエル・シャロン国防相がベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決めた。 1月の終わりにペルシャ湾岸産油国の国防相は秘密会合を開く。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないことを決め、アメリカに伝えることが目的だった。6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使、シュロモ・アルゴブの暗殺を試みた。 イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)が、この組織には相当数のイスラエルのエージェントが潜入していて、暗殺の目標を決めたのもそうしたエージェントだったともされている。この事件を口実にしてイスラエルは6日、レバノンへ軍事侵攻、1万数千名の市民が殺された。(Alan Hart, “Zionism: Volume Three,” World Focus Publishing, 2005) イスラエルは1982年6月にレバノンへ軍事侵攻、8月30日までにPLOは多国籍軍の監視の下、レバノンから撤退する。レバノンのパレスチナ難民キャンプ、サブラとシャティーラでパレスチナ難民が虐殺されたのはその直後のことだ。殺害された難民の人数はイスラエル側によると700名、パレスチナ側によると2750名だ。この虐殺はファランジスト党の武装勢力はイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧したうえで実行したと言われている。ハマスがガザからの撤退を拒否する理由のひとつはここにある。 サブラとシャティーラの虐殺をペルシャ湾岸の産油国は黙認したが、これは支配層の話にすぎない。外交官でもイスラエルに対する怒りは高まっていた。 西側でもイスラエルが主導したパレスチナでの大量殺戮に反発した人は少なくない。反イスラエル感情はイギリスだけでなくヨーロッパ全体に広がった。それを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP。このプロジェクトの特徴として編集者や記者が参加していることが指摘されている。その結果、有力メディアのプロパガンダ機関化が強化され、状況は悪化し続けている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.04
パレスチナにおけるイスラエル軍の住民虐殺に抗議するデモに参加した4名の外国人をベルリン州の移民当局はドイツの移民法に基づいて国外追放する。この4名は4月21日までにドイツを出るように命じられていて、従わない場合は強制送還される。ベルリン移民局で犯罪防止や送還の責任者であるシルケ・ブールマンは異議を唱え、移民局を率いるエンゲルハルト・マザンケも同じ意見だったが、外部からの圧力に屈したという。 彼らの国籍はアメリカとポーランドがひとりずつ、アイルランドがふたり。ベルリン中央駅での座り込み、道路封鎖、ベルリン自由大学の建物占拠などが問題にされたというが、誰も有罪判決を受けていない。しかもEU内の移動が自由であるはずのEU加盟国市民3名が含まれ、ドイツ当局の決定は移動の自由を否定するものでもある。 パレスチナでイスラエル軍が行っている破壊と殺戮に抗議する声はアメリカでもあがり、2024年4月から6月にかけてコロンビア大学で学生による抗議活動があり、キャンパス内に約50のテントからなる野営地ができあがった。それに対し、ミヌーシュ・シャフィク学長はニューヨーク市警察に構内への立ち入りと逮捕を許可。3000人以上が逮捕され、その中には教職員も含まれ、抗議活動に参加した学生の一部は停学や退学といった処分を受けている。コロンビア大学以外の大学でも抗議活動があったが、学生だけでなく教職員も逮捕された。 コロンビア大学の国際公共政策学部を卒業したマフムード・カリルが移民関税執行局に拘束されたが、その背後には同学部のケレン・ヤルヒ・ミロ学部長がいた。この人物はイスラエル軍の情報部門に所属、同国の国連代表部の職員でもあった。 こうした人びとは「反ユダヤ主義」という呪文を使い、イスラエルによるパレスチナ人虐殺を支援していると言える。その呪文は相手に「ナチス」というイメージを重ね合わせることが目的だ。 ドイツはナチスが実権を握っていた時代に強制収容所を建設、ユダヤ人、ロマ(かつてはジプシーと呼ばれた)、ソ連兵、心身障害者、同性愛者などを収容、多くの人が死亡している。 そうした収容所の象徴的な存在であるアウシュビッツ(オシフィエンチム)の施設は1945年1月27日、ソ連軍によって解放された。解放から80年目にあたる今年、ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館で記念式典が開催されたのだが、ポーランド政府はロシアの代表を排除している。 今回、ふたりが追放されるアイルランドは繰り返しイングランドに侵略され、住民が殺されてきた。例えば17世紀初頭にイングランドはアイルランドへ軍事侵攻、先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させている。 17世紀の半ばにはピューリタンのオリバー・クロムウェルが率いる革命軍はチャールズ1世を処刑してから革命の仲間だった水平派を弾圧、アイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺している。侵攻前の1641年には147万人だった人口は侵攻後の52年に62万人へ減少。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。 その後、イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。 そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。 この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。 1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃した。 つまり、パレスチナでの虐殺はアイルランドでの虐殺と結びついている。今でもアイルランドでパレスチナ人に同情する人が多い理由には、そうした歴史的背景があるのだ。 抗議活動の原因になった2023年10月7日以降のガザにおけるイスラエル軍による住民虐殺は唐突に始まったわけではない。2022年4月1日にイスラエルの警察官がアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺し、4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入している。 さらに、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/2023年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人がそのモスクを襲撃、さらにユダヤ教の「仮庵の祭り」(昨年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。 これは直前のイスラエルによる挑発行為だが、そもそもパレスチナ問題は1948年5月にシオニストがイスラエルの建国を宣言する前から始まっている。その背後にはイギリスが存在している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.03
フランスでは2027年4月に大統領選挙が実施される予定だ。世論調査の結果を見ると、最有力候補は支持率が3割強の国民連合のマリーヌ・ル・ペン、次いで3割弱が支持する共和党のエドアール・フィリップ、そして2割強が支持する再生のガブリエル・アタルだ。フランスの司法システムは異端者のル・ペンを排除するため、懲役4年、選挙権剥奪5年の判決を言い渡した。異端者に対する懲罰であると同時に、2027年4月の大統領選挙に出馬させないということだ。 ル・ペンが支持されている理由は庶民を貧困化させる政策や戦争に反対しているからだが、そうした主張はヨーロッパを支配している私的権力を怒らせている。庶民の生活を悪化させる政策に反対、平和を主張する政治家を西側の有力メディアは「極右」と呼んでいるが、その有力メディアは広告収入、資本、人事権などで私的権力にコントロールされている。 そうした私的権力は政略結婚によって結びつきを強め、ネットワークを築いてきた。そうした人びとにとってヨーロッパはひとつであり、主権国家は目障り。非民主主義的で寡頭制的なEUの創設は必然だった。 ヨーロッパを配下に置こうとしたアメリカやイギリスを拠点とする私的権力にとってEUという仕組みは都合が良い。米英両国が主導する軍事同盟のNATOもヨーロッパ支配の道具として機能してきた。そのEUという仕組みに疑問を投げかけるル・ペンのような人びとは彼らにとって「異端者」であり、「危険人物」でもある。 EUやNATOは米英を中心とする強大な私的権力がヨーロッパを支配するための仕組みであり、庶民を不幸にする。そうした現実に少なからぬ庶民が気づきはじめ、ル・ペンを支持する人が増えているのだが、これはフランスだけの話ではない。ルーマニアでもそうした支配システムに批判的なカリン・ジョルジェスクが2024年の大統領選挙の第1ラウンドで23%を獲得。これは最多得票だった。当初、彼の支持率は5%程度だと見られていたことから支配勢力は無警戒だった。慌てた彼らは「不正」を宣伝する一方、ルーマニア憲法裁判所は12月6日に第1回投票の結果を無効と決定、3月11日には5月に予定されている大統領選挙においてジョルジェスク氏の立候補を禁止した。 ウクライナで2004年11月から05年1月にかけてビクトル・ヤヌコビッチを排除するために展開された「オレンジ革命」、あるいはアメリカでドナルド・トランプを攻撃するために実行された「ロシアゲート」プロパガンダと同じ手口だ。オレンジ革命の口実として主張された不正は証明されず、ロシアゲートは民主党がCIA、FBI、そしてイギリスのMI6と手を組んで実行されたことが判明している。 それに対し、欧州委員会の委員長でロシアとの戦争を推進してきたウルズラ・フォン・デア・ライエンは米英の支配勢力が打ち出す政策に従い、ロシアを敵視、イスラエルを支持、そして「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」を推進してきた。この「ワクチン」の実態は遺伝子操作薬であり、安全性と有効性が確認されないまま、接種が強行された。その結果、副作用で少なからぬ人が死亡、深刻な後遺症に悩むことになっている。 この危険性の高い「COVID-19ワクチン」9億回分をEUはファイザーから購入している。これは350億ユーロ相当の契約で、さらに9億回分を購入できると発表されている。 この取り引きをウルズラ・フォン・デア・ライエンはファイザーのアルバート・ブーラCEOと個人的に交渉したとニューヨーク・タイムズ紙は2021年4月28日に伝えた。調達プロセスを回避するために携帯電話を利用、しかもメッセージは削除している。交渉のプロセスが不透明だということだ。しかもウルズラの夫であるハイコ・フォン・デア・ライエンはアメリカのバイオテクノロジー企業オロジェネシスの取締役で、ファイザーゲートに関係しているという。 こうしいた疑惑からフォン・デア・ライエンは告訴され、ベルギーの裁判官が審理したが、これについて欧州検察庁は彼女に免責特権があると異を唱えた。EUでも司法システムは寡頭体制を守るために使われているのだが、そのシステムを起動させた結果、腐敗した実態を人びとに知らせることにもなった。EUやアメリカを支配してきた強大な私的権力は追い詰められている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.02
4月13日から大阪の夢洲で開催される「2025年 日本国際博覧会」は2018年10月11日に開場した豊洲市場と類似点がある。 夢洲は産業廃棄物処理場として利用されていた埋立地のために地盤が軟弱でメタンガスが発生しやすく、昨年3月には建設現場で爆発火災が発生した。 豊洲は東京ガスの豊洲ガス埠頭だった場所で、1950年代から70年代にかけて1日当たり200万立方メートルのガスを供給できる工場があった。ガスの製造過程で排出されたベンジンや重金属などは工場の地中に投棄され、そのまま埋められている。 東京都が豊洲へ市場を移転させると決めたのは2001年のこと。同年7月に東京ガスと基本合意し、12月に正式決定したのだが、創業時のガス製造過程で排出されたベンジンや重金属などは工場の敷地内に放棄され、そのまま封じ込められていた。 こうした歴史があるため豊洲の重金属による汚染は深刻で、東京ガスの調査によるとベンゼンが環境基準の1500倍、ヒ素は49倍、水銀は24倍、六価クロムは14.54倍、鉛は9倍など。2007年に再選された石原慎太郎都知事の指示で実施された土地の再調査で、ベンゼンは環境基準の4万3000倍、シアン化合物は860倍。開場間近の2018年6月に行われた地下水の調査では環境基準の170倍のベンゼンが検出され、本来は検出されてはいけないシアンも複数箇所で検出された。つまり豊洲市場の汚染問題は解決されていない。 石原が市場を築地から豊洲へ移転させると強引に決めた背景には臨海副都心開発の赤字がある。この事実を誤魔化すために「臨海副都心事業会計」を黒字の「埋立事業会計」や「羽田沖埋立事業会計」と統合、帳簿の上で赤字と借金の一部を帳消しにするという詐欺的なことを東京都は行っているのだが、勿論地方債と金利負担がなくなるわけではない。 都の財政にとって大きな負担になっていたのは臨海副都心開発。これは鈴木俊一知事の置き土産だ。 1979年に初当選した鈴木は巨大企業が求める政策を打ち出し、新宿へ都庁を移転させて巨大庁舎を建設したほか、江戸東京博物館や東京芸術劇場も作り、臨海副都心開発の検討を開始、1989年には臨海副都心で建設を始めている。この「再開発」は都民へ重くのしかかった。 この問題を解決できないまま時は過ぎていくが、そうした中、臨海副都心の台場エリアにカジノを建設しようという話が持ち上がった。話を持ち込んだのはシオニストの富豪で、ドナルド・トランプに対する最大のスポンサーだったシェルドン・アデルソンである。大阪万博でもIR(特定複合観光施設)施設が建設される予定だが、豊洲市場の移転問題もIRが関係していたのだ。 そのアデルソンは2021年1月11日に死亡、遺体は14日にイスラエルへ運ばれ、埋葬された。生前、彼はラスベガス(ネバダ州)、ベスレヘム(ペンシルベニア州)、さらにマカオ(中国)、マリナ湾(シンガポール)でカジノを経営していた。ちなみに、アデルソンは2013年10月、イランを核攻撃で脅すべきだと語っている。 核攻撃発言から間もない2013年11月にアデルソンは来日、自民党幹事長代行だった細田博之と会った際、東京の台場エリアで複合リゾート施設、つまりカジノを作るという構想を模型やスライドを使って説明している。 日本では2010年4月に「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」が発足していたが、このグループが動き、カジノ解禁を含めたIR(特定複合観光施設)を整備するための法案が国会に提出された。 カジノ計画は2020年の東京オリンピックに間に合わせて実現するつもりで、アデルソンは14年2月に日本へ100億ドルを投資したいと語ったと伝えられている。 アデルソンは単にカジノを経営したかっただけではないという見方もある。ラスベガス、マカオ、モナコといったカジノのある場所はタックスヘイブン(租税回避地)と関係があり、地下経済と地上経済を資金が移動する役割も果たしている。出所のわからない多額の資金が動くカジノはマネーロンダリングの拠点として好ましい環境にある。 アデルソンの要望に対する日本側の動きが鈍かったため、2014年5月に来日したネタニヤフ首相は日本政府の高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が2015年2月5日付け紙面で伝えた。(この記事をハーレツ紙はすぐに削除している。)**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.04.01
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