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ロシア軍のバレリー・ゲラシモフ参謀総長はウラジミル・プーチン大統領に対し、ウクライナ北部のクピャンスクとドネツクに近いポクロフスクでウクライナ軍部隊を包囲したと報告した。それぞれ5000名、つまり約1万人の兵士が降伏するか全滅する運命にあるというわけだ。ウクライナ側の兵站は途絶えている。 ロシア軍はウクライナ東部の都市ポクロフスクをほぼ完全に包囲し、機動力の高いロシア軍部隊の小集団が市内に侵入した後、同市を制圧する寸前だとする情報をロイターは伝えている。 ウクライナを舞台とした戦争でNATO軍がロシア軍に負けていることは西側の有力メディアも認めざるをえない状況で、そうした事態になっても不思議ではないのだが、この包囲作戦で興味深いのは、ロシア軍の兵士が包囲しているだけでなく、航空機、ドローン、砲撃といった方法が使われていることだという。ロシア兵がいない場所でもウクライナ/NATO軍の戦闘員は包囲網を突破できない。 現在、ウクライナ大統領を自称しているウォロドミル・ゼレンスキーは2019年の大統領選挙でロシアとの関係修復を訴えて当選している。その時のアメリカ大統領はドナルド・トランプだが、その前任者であるバラク・オバマは2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、ウクライナを属国化していた。 トランプ政権もウクライナを自立させるつもりはなかっただろうが、2021年にオバマ政権で副大統領を務めたジョー・バイデンが大統領に就任、新大統領はオバマ時代と同じようにロシアを敵視する政策を推進し、プーチン露大統領を挑発し続けた。そして2022年に入るとウクライナ/NATO軍は反クーデター派のドンバスに対する砲撃を激化させる。 そして同年2月24日にロシア軍はドンバス周辺に終結していたウクライナ/NATO軍や軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設をミサイルなどで攻撃、ゼレンスキー政権はロシア政府と停戦交渉を開始、3月5日に両国は戦闘を終えることで合意している。当初、ロシア軍の戦力はウクライナ/NATO軍の数分の一だったが、戦況はロシア軍に有利だった。 その合意を壊したのがイギリスの首相だったボリス・ジョンソンにほかならない。2022年4月9日に彼はキエフへ乗り込んでロシアとの和平交渉を止めるように命令(ココやココ)、ゼレンスキーはその命令に従ったわけだ。 ジョンソンを含むNATO陣営のエリートたちはウクライナ人にロシア人と戦争させ、ロシアを弱体化させた上でロシアを再植民地化して資源を奪おうとしたのだろう。ナチスに支配されたドイツがソ連に軍事侵攻、疲弊させ、ソ連消滅に繋がった「成功体験」を再現し湯としたように見える。 ドイツやフランスが仲介役となり、2014年と15年にウクライナとロシアの停戦で合意する。2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。これらがクーデター体制の戦力を増強するための時間稼ぎだったことは、のちにアンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領が認めている。 こうした経験のあるロシア政府が現時点でウクライナとの停戦に合意するわけはない。トランプ大統領が本当に停戦させられると思っていたとするならば、基本的な情報を知らされていないということになるだろう。 ロシア軍は自軍の将兵が消耗しないよう、慎重に戦ってきた。ここにきて進軍のスピードが速まっているが、慌てなかった理由のひとつは兵站にあると見られている。早い段階でロシア軍が一部地域から撤退した理由もそこにある。2014年から8年かけて戦力を増強、地下要塞を含む要塞線を築いていたウクライナ/NATO軍が待ち構えている場所へ進撃するべきでないと考えたのだろう。おそらくこの判断は正しかった。 日本では戦争を陣取り合戦だと錯覚している人が少なくないが、それほど単純ではない。ロシア軍は着実に勝利しつつ、ウクライナ/NATO軍を引き込んで殲滅している。 しかも、新自由主義に毒された西側諸国では1970年代から生産を放棄して金融へシフトした結果、製造能力はロシアや中国に圧倒されているのだが、スラブ人やアジア人を「劣等種」だと思い込んでいる欧米のエリートは現実を認めることができていない。自分たちがアジア人であるにも関わらず欧米の「優生思想」に毒された日本も似たような状態にある。 その結果、ウクライナ/NATO軍は疲弊、その兵器庫は空になり、社会は崩壊しつつある。開戦前に描いていたシナリオとは全く逆の展開なのだろう。ウクライナ側は「総玉砕」に向かっている。中には予定稿を「報道」し続けている国もあるようだが。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.31

ロシアのアヴィアコン・ジトトランスに所属するIl-76TD輸送機がベネズエラに着陸した。この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されている。ベネズエラにはロシア製の防空システムなどがすでに運び込まれていると考えられるが、さらに兵器を持ち込んでいる可能性がある。対艦ミサイルが配備するかもしれない。地上作戦も予想されていることから、ワグナーの戦闘員が輸送されたとも考えられている。 今年5月にモスクワで署名されたロシアとベネズエラの「戦略的パートナーシップ及び協力に関する協定」がロシアで数日前に批准された。この協定はエネルギー、鉱物資源の採掘、輸送、通信を含む政治経済分野、安全保障、テロ対策、過激主義対策における二国間協力を強化するものだとされている。 その間、8月中旬にアメリカのドナルド・トランプ大統領は、認石油埋蔵量が世界最大であるベネズエラの沖へアメリカ海軍の駆逐艦3隻を派遣、軍事侵攻する姿勢を見せた。 ロシアの石油を奪うことに失敗、中東ではイランの体制を転覆させられず、中国との資源戦争で負けているアメリカとしては、ニコラス・マドゥロ政権を倒してベネズエラを征服するしかないのかもしれないが、軍事侵攻すればロシアとの戦争に発展する可能性がある。 ベネズエラの刑務所で誕生したという犯罪組織トレン・デ・アラグアを艦隊派遣の口実にしているが、これは2003年3月にイラクへ軍事侵攻する際に使われた「大量破壊兵器」を思い出させる。この大量破壊兵器話は嘘だった。アメリカの有力メディアがトレン・デ・アラグアを初めて取り上げたのは2024年6月のことで、その頃にはベネズエラへの軍事侵攻作戦が作成されていたのだろう。 アメリカのような帝国主義国は植民地を支配するために代理人を使う。その代理人を「シャボス・ゴイム」と呼ぶ人もいるが、ニカラグアのソモサ一族もそのような役割を演じていた。その独裁体制が1979年7月、サンディニスタによって倒され、アメリカを拠点とする巨大資本の利権が揺らぐ事態になった。そこで、CIAは革命政権を倒す秘密工作を開始する。 CIAは反革命軍を編成したが、それにはソモサ体制の武装集団、国家警備隊の隊員を再編成したFDN(ニカラグア民主戦線)、元サンディにスタのエデン・パストーラをリーダーとするARDE(民主的革命同盟)が含まれていた。 こうした秘密工作を実行する際、工作資金としてCIAは麻薬取引を利用してきた。例えば、ベトナム戦争の時には東南アジア(黄金の三角地帯)のヘロイン、アフガン戦争の際にはパキスタンからアフガニスタンにかけてのヘロイン、そしてラテン・アメリカではコカインだ。その源流はイギリスが中国を侵略するために仕掛けたアヘン戦争だと言えるだろう。 1980年代に入るとアメリカではコカインの流通量が急拡大した。イギリスのオブザーバー紙によると、チリの独裁者オーグスト・ピノチェトの側近たちも関係していたようだ。言うまでもなく、ピノチェトの背後にはアメリカの国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいて、キッシンジャーの命令でCIAの秘密工作部門が動き、1973年9月11日に軍事クーデターを成功させ、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒している。 そのピノチェト体制の軍隊と秘密警察は膨大な量の麻薬を1980年代初頭からヨーロッパへ密輸出、その量は96年と87年だけで12トンに達すると言われている。その密輸を監督していたのは、ストックホルムとマドリッドのチリ大使館に赴任していた秘密警察の担当官だとオブザーバーは伝えている。稼いだ資金はチリの支配者を富ませ、秘密警察SNI(1977年まではDINA)の活動資金になった。 CIAとコントラが麻薬取引に関係しているとする話を最初に伝えたのはAPの記者だったロバート・パリーとブライアン・バーガーであろう。ふたりはコカイン取引の話を嗅ぎつけた。 ふたりは取材を通じ、マイアミのエビ輸入会社「オーシャン・ハンター」がコカイン取引に関係している疑いを持つ。コスタリカの姉妹会社「プンタレナス冷凍」から運ばれてくる冷凍エビの中にコカインが隠されているという噂を耳にしたのだ。この噂が事実だということは、後にアメリカ上院外交委員会の調査で明らかにされた。 コントラ関係者の証言を基にして、コントラが資金調達のためにコカインを密輸しているとする記事をパリーたちは1985年に書いたが、AP本社の編集者がふたりの記事に反発、お蔵入りになりかかる。ところが「ミス」でスペイン語に翻訳され、ワールド・サービスで配信されて世界の人びとに知られることになった。 その後、サンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブ記者の書いたコカインとコントラを明らかにする連載記事『闇の同盟』が1996年8月に掲載された。 当初、有力メディアはこの記事を無視していたが、公民権運動の指導者やカリフォルニア州選出の議員はCIA長官だったジョン・ドッチに調査を要求し始めると状況は一変した。ウェッブを攻撃し始めたのだ。 コカインが蔓延していたロサンゼルスではジャーナリストや研究者だけでなく、警察官もCIAと麻薬との関係を疑っていた。1980年代になるとロサンゼルス市警は麻薬取引の中心人物を逮捕するために特捜隊を編成、87年に解散した。その直後からアメリカの司法省は麻薬業者ではなく警察官を調べはじめ、その警察官は1990年頃、税務スキャンダルで警察を追放されてしまう。CIAの存在に気づいていた特捜隊の隊員は目障りだったのだろう。 CIAとコカイン取引の関係を疑う声は広がり、ドッチ長官は内部調査の実施を約束せざるをえなくなる。そして1998年1月と10月、2度に分けて公表された。CIA監察室長による報告書、いわゆる『IGレポート』である。内部調査だという限界はあるが、10月に出た『第2巻』では、CIA自身がコントラとコカインとの関係を認めた。 APの記事はアメリカの議会を動かすことになり、上院外交委員会の『テロリズム・麻薬・国際的工作小委員会(ジョン・ケリー委員長)』が1986年4月、麻薬取引に関する調査を開始。1989年12月に公表された同委員会の報告書でもコントラと麻薬業者との深い関係が明確に指摘されていた。 ドナルド・トランプ大統領が本当に麻薬密輸を根絶させたいと思っているのなら、ラングレーを攻撃しなければならない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.30
このところロシア軍はウクライナの発電施設を激しく攻撃している。その結果、キエフ、スムイ、ドニプロペトロウシク、チェルカースイ、ポルタバ、キロボフラード、ジトーミル、ハリコフなどが停電で闇に覆われた。ウクライナ/NATOによるロシアのエネルギー関連施設への攻撃に対する報復という意味もあるだろう。NATOはロシア産の石油や天然ガスを輸入している国々に対し、ロシアから買わないように圧力をかける一方、ロシアの製油所などを破壊して供給能力を低下させようとしている。 ウクライナを舞台としているものの、ロシアが戦っている相手はアメリカやEUである。これらの国々はソ連政府との約束を破り、NATOを東へ拡大させてきた。ロシアから見ると、新たなバルバロッサ作戦にほかならない。しかもボリス・エリツィン時代のロシアでは西側の巨大資本がいわゆる「シャボス・ゴイム」を利用して資産を略奪、庶民は貧困化して西側に対する幻想が崩れ、反欧米感情が強まった。そして登場してきたのがウラジミル・プーチンにほかならない。西側の巨大資本はロシアを植民地化して耕作地や資源を奪おうとしたのだが、それをプーチンは阻止した。 それでも西側諸国は諦めず、NATOをウクライナへ拡大してロシアに対してチェックメイトを宣言するつもりだったようだ。アメリカのバラク・オバマ政権はキエフでクーデターを仕掛け、2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功した。 それに対し、ヤヌコビッチの支持基盤だったウクライナの東部や南部ではクーデター政権を拒否、クリミアはロシアと一体化する道を選び、オデッサでネオ・ナチが反クーデター派の住民を虐殺する様子を見た東部ドンバスの人びとは武装闘争を開始、内戦になった。 クーデター直後、軍や治安機関では約7割がクーデター政権を拒否して離脱、その一部はドンバスの反クーデター軍に合流したと言われている。アメリカはCIAの要員や傭兵会社の戦闘員を送り込んだものの、反クーデター軍に勝てない。そこで西側は停戦に持ち込む。それが2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。これはクーデター体制の戦力を増強するための時間稼ぎだった。これは本ブログでも繰り返し書いてきた。 そして8年。クーデター政権は2022年に入るとドンバスに対する攻撃を強め始めた。そして2月24日にロシア軍はドンバス周辺に終結していたウクライナ軍や軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設を攻撃しはじめた。 ロシア外務省によると、その時にロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書には、ウクライナ国家親衛隊のニコライ・バラン司令官が署名した2022年1月22日付秘密命令が含まれていた。これにはドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されていた。 ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」で、この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。 NATO側は8年かけ、兵器の供与や兵士を育成するだけでなく、マリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルの地下要塞を結ぶ要塞線をドンバスに築いていた。ウクライナの軍や親衛隊はドンバスへ軍事侵攻して住民を虐殺、ロシア軍を誘い出して要塞線の内側に封じ込め、その間に別働隊でクリミアを攻撃するという計画だったのではないかと推測されている。 2022年4月9日にイギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとの停戦交渉を止めるように命令(ココやココ)する。イギリスを含む西側は簡単にロシアを打ち破れると考えていたようだが、現実は違った。地下要塞が陥落した段階でロシアの勝利は決定的だった。 ウクライナ軍の死傷者数はロシア軍の約10倍と言われ、武器弾薬だけでなく兵士の数も足りなくなる。兵士不足は2023年の段階ですでに深刻で、この年の8月31日までイギリスの国防大臣を務めていたベン・ウォレスは同年10月1日、テレグラフ紙に寄稿した論稿の中でウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘している。 西側諸国はウクライナに対して射程距離の長いミサイルを供与し始めた。ロシアのインフラを攻撃させているが、こうした種類のミサイルではオペレーターのほか、ターゲットに関する情報、ミサイルを誘導する衛星が必要。ウクライナ軍にそうした能力はなく、アメリカがイギリスが行うしかない。その段階でウクライナにおける戦争は事実上、ロシアとNATOとの間で行われている。 NATOはロシアに対する破壊活動も活発化させている。正規軍の戦いでNATO軍がロシア軍に勝てないため、テロを行うしかない。特に盛んなのはイギリスの対外情報機関MI6だと言われている。 2022年9月にはロシアとドイツがバルト海に建設したパイプライン、「ノード・ストリーム(NS1)」と「ノード・ストリーム2(NS2)」が爆破されたが、主犯はアメリカのCIAかイギリスのMI6で、NATO諸国が協力したと見られている。 イギリスの軍やMI6はクリミア橋(ケルチ橋)を破壊し、クリミアを軍事的に制圧しようともしてきた。また、NATOと共同作戦を展開しているウクライナの軍や情報機関は盛んにZNPP(ザポリージャ原子力発電所)を攻撃、外部からの電力供給を断とうとしている。 そして8月2日、ロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオデッサに近いオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束したと報道された。オデッサはMI6が対ロシア攻撃を実行する拠点だ。そこをロシアの特殊部隊が襲撃、イギリス側の重要人物を連れ去ってしまった。 ロシアのSVR(対外情報局)は、フランスがウクライナに約2000人の部隊を秘密裏に派遣する準備を進めていると主張した。兵士らはウクライナ国境付近のポーランドで訓練を行っているという。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.29
小泉進次郎防衛相は10月22日の記者会見で原子力潜水艦という選択肢を排除しないと語った。高市早苗が総裁に就任した自民党は日本維新の会と連立することになり、合意書を作成した。そのなかで、長射程ミサイルを発射できる垂直発射装置(VLS)を搭載し、長距離、長期間の移動を可能にする「次世代の動力」を活用した潜水艦の保有に向け政策を推進すると記載されている。 言うまでもなく、原子力潜水艦は核分裂反応で生成されるエネルギーを利用してスクリューを回転させる。沿岸海域で敵の艦船に備える攻撃型潜水艦としても使えるが、それならわざわざ高コストの原子力を使う必要がないだろう。長期にわたって潜水することができ、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を発射できるからこその原子力潜水艦だ。 アメリカの命令で中国やロシアとの経済的な関係が弱まり、日本企業は厳しい状況に追い詰められている。その苦境を軍需産業で切り抜けようとしているのかもしれないが、そうした政策をとったEUの経済は壊滅的な状態だ。 10月21日から総理大臣を務めている高市早苗は「右翼キャラ」の政治家だが、その高市が防衛大臣に据えた小泉進次郎はネオコンの手先として日本社会を破壊した小泉純一郎の次男で、関東学院大学を卒業した後、成績を無視する形でコロンビア大学大学院への入学が許可された。同大学院では、CIAとの関係が噂されているジェラルド・カーティスの研究室に3年間在籍したという。その後、進次郎はCSIS(戦略国際問題研究所)の研究員になる。 この研究所の創設に関わったレイ・クラインはジョージ・H・W・ブッシュに近かく、1958年から62年にかけてCIA台湾支局長を務め、引き続いて66年までは情報担当のCIA副長官を務めた。その後、1969年から1973年までは国務省情報調査局長だ。 原子力潜水艦の保有は「有識者会議」で提言されていた。つまり官僚たちは高市内閣が成立する前から原子力潜水艦を保有する方針だったと言える。また、日本はイギリスやイタリアと次世代戦闘機プロジェクトのGCAP(グローバル戦闘航空計画)を始動させている。南アルプスの地下を走る巨大建造物が地下要塞として使われるかもしれない。 日本政府は判で押したように「自由で開かれたインド太平洋の実現」を主張するが、有り体に言えば、インド太平洋をアメリカの管理下に置き、中国をはじめとする国々の海上輸送路を抑え込むこと。そうしたアメリカの戦略に日本は協力するわけだ。 アメリカは同じアングロ・サクソン系国のイギリスやオーストラリアとAUKUSを創設、アメリカ、オーストラリア、インド、日本はクワドなるグループを編成、軍事的な連携を強化してきた。 NATO(北大西洋条約機構)の事務総長だったイェンス・ストルテンベルグは2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーとするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。AUKUSの後、JAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟も編成した。 また、AUKUSではアメリカ製の攻撃型原子力潜水艦を売却することになっている。そうした潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上アメリカ海軍の潜水艦になるとも言えるだろう。山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日、日本がオーストラリアの原子力潜水艦を受け入れる可能性があると表明している。 日本では核兵器の保有も主張されてきた。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事が掲載されている。外交の交渉力は核兵器であり、日本は1年以内に核兵器を開発できるは主張していた。そうしたチンピラ的な発想に対し、ロシアは西側を凌駕する兵器を保有していることを示し、実戦でも使用している。 佐藤栄作政権も核兵器を持とうとしていた。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。 第2次世界大戦後、原子力を日本へ導入したのは中曽根康弘である。彼は内務省を辞め、1947年4月の衆議院議員選挙に出馬して当選し、河野一郎の配下に入り、児玉誉士夫と知り合った。 中曽根が権力の階段を登り始めるのは、1950年6月にスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席してからだ。MRAはCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加していた。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合っている。 中曽根は1953年、キッシンジャーが責任者を務めていた「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加しているが、このセミナーのスポンサーはロックフェラー財団やフォード財団で、CIAともつながっていた。 中曽根が国会に原子力予算を提出したのは1954年3月。修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。 1964年10月に中国が核爆発の実験に成功した3カ月後、佐藤栄作首相はワシントンDCを訪れ、リンドン・ジョンソン大統領と秘密会談を実施、もしアメリカが日本の核攻撃に対する安全保障を保証しないなら日本は核兵器を開発すると伝えた。それに対し、ジョンソン大統領は日本にアメリカの「核の傘」を差し出すと約束している。 1976年にアメリカ大統領となったジミー・カーターは潜水艦の原子炉技師を務めた経験を持つ人物で、プルトニウムと高濃縮ウランについて熟知していた。そのカーターは1978年に核拡散防止法を議会で可決させた。この法律はウランとプルトニウムの輸送すべてに議会の承認を得るように義務付け、日本からの多くの機密性の高い核技術の輸入を阻止するものだ。 当時、アメリカのエネルギー省では増殖炉計画が注目されていたが、カーター大統領はその流れにブレーキをかけた。その方針に反発したひとりが原子力規制委員会のリチャード・T・ケネディにほかならない。そのケネディを助けたアメリカ海軍大佐のジェームズ・アウアーは後にバンダービルト大学の終身教授に就任、同大学の米日研究協力センター所長にもなっている。 しかし、1980年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると状況は一変し、ケネディたちを喜ばせることになる。そのケネディをレーガン大統領は核問題担当の右腕に据え、ケネディはカーター政権の政策の解体させていく。そして始められたのがクリンチリバー増殖炉計画。エネルギー省は1980年から87年にかけて、このプロジェクトに160億ドルを投入するが、議会は突如、計画を中止する。 世界的に見ても増殖炉計画は放棄されるのだが、日本は例外だった。その日本とアメリカの増殖炉計画を結びつける役割を果たした人物がリチャード・ケネディ。アメリカのエネルギー省と手を組んでいた日本の動力炉・核燃料開発事業団(後に、日本原子力研究開発機構へ再編された)はCIAに監視されていたが、動燃が使っていたシステムにはトラップドアが組み込まれていたとも言われている。 この計画に資金を提供することになった日本の電力業界の関係者は核兵器に関する技術を求め、兵器用プルトニウムを大量生産していたプルトニウム分離装置をリストに載せた。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術である遠心分離機が運び込まれている。 アメリカは日本へ技術を提供するだけでなく、日本へ限りなく核物質を輸出し、それを制限なくプルトニウムに再処理し、他国へ再移転する権利が与えられていた。 それだけでなくイギリスやフランスの再処理業者が日本へ返却するプルトニウムも核兵器に使用できるほど純度が高く、アメリカ産の核物質はトン単位で日本へ輸送されているようだ。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.28

厚生労働省は10月24日、8月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は12万3121人。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まる前年の2019年の同じ月に比べて1万1685名増えた。 COVID-19騒動は病原体の特定から全てが「ワープ・スピード」、つまり、ありえない速度で進んできた。まともな調査、研究、分析が実施されたとは思えない。それにもかかわらず、WHO(世界保健機関)は2020年3月11日にパンデミックを宣言、COVID-19は悪霊として世界を徘徊するようになった。 悪霊としてのイメージを広げる出来事のひとつがクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での感染。2020年2月4日に横浜港から出港しようとしていたこの船で患者が見つかり、人びとを恐怖させることになるのだが、「SARSと似た重症の肺炎患者」が街にあふれ、死者が急増するという事態にはならなかった。 2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミック宣言を宣言する直前、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長を務めていたアンソニー・ファウチもCOVID-19はインフルエンザ並みとする論文の執筆者に名を連ねていた。 死亡者が急増するのは「COVID-19ワクチン」の接種が始まってからだ。早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)が報告され、ギラン・バレー症候群による末梢神経の障害が報告されるようになった。2021年4月にはイスラエルで十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が発症して注目され、接種前から懸念されていた「ADE(抗体依存性感染増強)」も起こる。 この「ワクチン」は遺伝子操作薬と言うべき薬物で、mRNAを細胞内へ送り込み、そこで細胞にSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)のスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るというもの。本来短時間で消滅するmRNAを分解されにくく細工、またmRNAを細胞内へ送り込むため、LNP(脂質ナノ粒子)で包んでいる。そこで細胞は年単位でスパイク・タンパク質を製造することになり、免疫をはじめ、人体に深刻な悪影響を及ぼすことになった。 接種が始まって半年ほど後、アメリカのカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるソーク研究所は「スパイク・タンパク質」自体が病気の原因になっている可能性があると発表している。(ココやココ)血管にダメージを与え、ウイルスでなくスパイク・タンパク質が脳へ侵入し、神経にダメージを与えている可能性を指摘したのだが、それは正しかったようだ。 そのほか、LNP自体も副作用の原因になっていると見られている。この物質は人体に有害で、肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されている。特に懸念されているのは生殖能力へのダメージだ。人類の存続が懸念される事態になっている。 また、スペインのパブロ・カンプラ教授は2021年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」があることを電子顕微鏡などで発見したと発表、11月には周波数の分析で酸化グラフェンが「ワクチン」に含まれていることを確認したと発表している。その論文を読んだドイツの化学者アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく水酸化グラフェンだろうと解説したが、その直後に死亡したという。 こうした物質は体に炎症を引き起こすだろうが、「COVID-19ワクチン」は人間が持っている免疫を弱めることも判明している。免疫力が低下すると、通常なら問題にならない微生物が原因で病気になる。つまりAIDS(後天性免疫不全症候群)状態になるわけだ。VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われ始めている。 この「ワクチン」を製造している会社のひとつ、ファイザーの関連文書をアメリカの監督官庁であるFDA(食品医薬品局)は75年間封印しようとした。明るみに出ては困ることが書いてあると認識していたわけだ。 しかし、裁判所は文書の迅速な公開を命令、その内容を分析したサーシャ・ラティポワは2022年初頭、COVID-19騒動はアメリカ国防総省の軍事作戦だと発表した。 ラティポワによると、2020年2月4日にアメリカの保健福祉長官はCBRN(化学、生物、核、放射線)緊急事態に関するふたつの宣言をしている。そのひとつがEUA(緊急使用許可)で、大量破壊兵器が関与する重大な緊急事態を想定、もうひとつはCBRN物質に対する対抗手段を安全性と有効性を確保するため、規制監督なしに使用する許可だ。 つまり医薬品会社は国防総省の契約企業であり、情報開示の義務はない。しかも「COVID-19ワクチン」の接種は軍事作戦であり、何が引き起こされても免責ということになる。 この新薬を接種させる口実に使われたSARS-CoV-2は人工的に作られた可能性が高く、このウイルスに感染した動物は北アメリカで見つかっている。北アメリカの自然界ではシカ、ノネズミ、コウモリを含む5種類の動物が感染していることが判明、それらの種はモンタナ州にあるロッキー・マウンテン研究所で実験動物として使用されていたことが突き止められた。(Jim Haslam, “COVID-19 Mystery Solved,” Truth Seeking Press, 2024) COVID-19騒動で最も重要な点は、「ワクチン」の接種がアメリカの軍事作戦として実施されたということにほかならない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.27

政府の「インテリジェンス」に関する司令塔機能を強化するため「国家情報局」の創設を検討する方針だということを木原稔官房長官は10月24日の記者会見で明らかにした。情報を収集し、分析する機関を作るというのだ。外務省、警察庁、防衛省の出向者が新組織の中心になるとされている。 アメリカの下で日本を支配しているのはこの軍事、外交、治安のトライアングル。このトライアングルに財務省も逆らえない。1990年代に証券と金融はスキャンダルで揺れた。そのスキャンダルで財務省/大蔵省はアメリカに弱みを握られたはずだ。警察、検察、そしておそらく裁判所も裏金に関する情報をアメリカの情報機関に握られている。情報を収集分析するといってもそれはどのような情報なのか、それ以外のことは行わないのかという問題が当然、生じる。 しかも、この機関創設と並行して「スパイ防止法」を制定するというのだが、プロのスパイにとってそうした法律は意味がない。アメリカでもこの種の法律はジャーナリストがターゲットになる。日本の大手マスコミにジャーナリストと呼べるような記者や編集者がいるとは思えないが、大手マスコミ以外にジャーナリストは存在するかもしれない。 かつて、アメリカでは情報を収集分析する機関として、国家安全保障法に基づいてCIA(中央情報局)が1947年に設置されたのだが、アレン・ダレスやジョージ・ケナンのような人びとは破壊活動を実行する機関の創設を求め、48年にNSC10/2という文書が作成された。 この文書に基づいてOSP(特殊計画局)が設立され、すぐにOPC(政策調整局)へ名称は変更された。OPCの資金やスタッフはCIAから出ていたのだが、指揮系統はCIA長官の下になく、名目上はケナンが創設した国務省のPPS(政策企画本部)が管理していた。OPCは1952年8月1日にCIAの特殊作戦局(OSO)と統合され、計画局(DDP)の支柱になる。計画局の秘密工作を監督するために設置された部署が「工作調整会議」だ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) 破壊工作部門は活動の実態が問題になる多部に名称が変更される。計画局は1973年に作戦局に名称が変更され、2005年からはNCS(国家秘密局)、そして2015年には作戦局へ戻された。 問題になるような活動をしているのだが、CIAは情報を収集分析する機関として創設されたのだ。そこへ破壊工作機関が潜り込み、今ではその部門にCIAは乗っ取られている。そのネットワークは「民間」の世界へも広がり、「国家内国家」として機能している。 OPCは東アジアでも活動していた。創設当初は上海に拠点が置かれていた。第2次世界大戦で日本が敗北した後、アメリカのハリー・トルーマン政権は、蒋介石が率いる国民党に中国を支配させようと計画、軍事顧問団を派遣しているのだが、紅軍(1947年3月に人民解放軍へ改称)は農民の支持を背景として勢力を拡大、1949年1月には北京へ無血入城し、その指導部も北京入り、5月には上海も支配下においた。10月には中華人民共和国が成立する。そうした状況になったため、OPCは拠点を日本へ移動、新たな拠点を厚木基地をはじめ6カ所におく。その段階でOPCは中国への反抗を計画していたはずだ。そうなれば、日本は兵站の拠点になる。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998) その1949年の夏、日本では国鉄を舞台とした怪事件が引き起こされた。7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。これらの事件は共産党が実行したというプロパガンダが展開され、国鉄の組合は大きなダメージを受けた。ストライキによって物資の輸送が滞る心配がなくなったと言える。 海運の拠点である港も重要。特に神戸と横浜でストライキが引き起こされたなら、戦争はできない。そこで港の労働者を抑える仕組みが必要になる。そこで神戸を任されたのが山口組の田岡一雄、横浜を任されたのが藤木幸太郎だ。1949年7月には沖縄の軍事施設費を次年度予算に計上することが決定され、沖縄での本格的な基地建設への扉が開かれた。そして1950年、アメリカは朝鮮半島で戦争を始めたが、その前からアメリカの破壊工作機関は朝鮮半島で挑発活動を始めていた。 ところで、「国家情報局」は内閣情報調査室と内閣情報官を格上げして創設するというのだが、内閣情報調査室は1952年4月に設置された「内閣総理大臣官房調査室」が起源だとされている。首相だった吉田茂の意向を受け、緒方竹虎と村井順が中心になった。村井は国家地方警察本部警備第一課長だった人物で、のちに綜合警備保障を創設する。 村井は1953年9月から3カ月の予定で国外へ出ている。その名目は中曽根康弘と同じようにスイスで開かれるMRA(道徳再武装運動)大会への出席だったが、この組織はCIAの別働隊で、村井は西ドイツのボンに滞在していたアレン・ダレスCIA長官に会うことが本当の目的だったと言われている。新情報機関に関する助言を得ることにあったと推測されている。 しかし、内閣情報室には調査能力がなく、情報機関とは言いがたい存在だった。実際の調査は下請けに出していたのだが、調査を請け負っていた団体の多くはCIAともつながり、内閣調査室に提出される報告書より詳しい内容の報告書がCIAへ渡されていたと関係者は証言している。 官房調査室が設置された当時、公安調査庁も法務省の外局として作られ、旧軍人グループの「睦隣会」が発足、世界政経調査会になる。この旧軍人グループの中心になる有末精三陸軍中将や辰巳栄一陸軍中将は河辺虎四郎陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐らと同じように、アメリカの軍や情報機関と密接な関係にあった。こうした親米派の軍人は「KATO機関」、あるいは「KATOH機関」と呼ばれている。 森詠によると、このうち辰巳中将を除く5名は東京駅前の日本郵船ビルを拠点にしていた。その3階には「歴史課」と「地理課」があり、歴史課は1947年5月から50年12月まで活動、地理課は朝霞のキャンプ・ドレークに移転した後、75年まで王子十条の米軍施設内で活動していたと言われている。(森詠著『黒の機関』ダイヤモンド社、1977年) 歴史課には杉田一次陸軍大佐、原四郎陸軍中佐、田中兼五郎陸軍中佐、藤原岩市陸軍中佐、加登川幸太郎陸軍少佐、大田庄次陸軍大尉、曲寿郎陸軍大尉、小松演陸軍大尉、大井篤海軍大佐、千早正隆海軍中佐らが、また地理課には山崎重三郎陸軍中佐など参謀本部支那班の元メンバーが出入りしていた。(前掲書) こうした旧日本軍の軍人たちを統括していたのはGHQ/SCAPのG2(情報担当)を統括していたチャールズ・ウィロビー少将。この人物は親ファシスト/反コミュニスト派として有名で、彼に関する情報はほとんど公開されていない。退役後、彼はスペインの独裁者フランシスコ・フランコの非公式顧問に就任した。 朝鮮戦争の最中、1952年6月に大分県直入郡菅生村(現竹田市菅生)で駐在所が爆破されるという事件があった。いわゆる菅生事件である。近くにいた共産党員2人が逮捕され、3人が別件逮捕されるのだが、後に警察当局が仕組んだでっち上げだということが判明する。 この事件でカギを握る市木春秋(後に戸高公徳が本名だと判明)は事件後に姿を消すものの、共同通信の特捜班が東京で見つけ出し、彼の証言から彼は国家地方警察大分県本部警備課の警察官だということが判明した。ダイナマイトを入手し、駐在所に運んだのも彼だと言うことがわかる。 警察官が爆弾テロを実行しいたわけだが、実行者で有罪判決を受けた戸高は刑は免除され、その判決から3カ月後に警察庁は彼を巡査部長から警部補に昇任させ、しかも復職させている。最終的に彼は警視長まで出世、警察大学の術科教養部長にもなり、退職後も天下りで厚遇された。戸高の事件には、警察という組織全体を揺るがす事実が隠されているということだろう。 いや、日本の警察を超えたところまで波及する可能性がある。松橋忠光元警視監によると、アメリカは1959年から「1年に2人づつ警視庁に有資格者の中から選ばせて、往復旅費及び生活費と家賃を負担し、約5か月の特殊情報要員教育を始めた」という。公式文書に記載された渡航目的は「警察制度の視察・研究」だが、実際はCIAから特殊訓練を受けるのだともされている。(松橋忠光著『わが罪はつねにわが前にあり』オリジン出版センター、1984年) 警察、特に公安はアメリカの管理下にあるわけだが、検察、自衛隊、そして外務も同様だ。これが日本を支配する軍事、外交、治安のトライアングルである。その周辺に有力メディアもある。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.26

イスラエルとイランは6月にミサイルを撃ち合った。その際、イランの攻撃でベン・グリオン国際空港は閉鎖され、コンテナ船を扱えるふたつの港、ハイファとアシュドッドのうちハイファ港は閉鎖されている。 この攻撃の後、少なからなぬイスラエル人が国外へ脱出しているが、行き先のひとつがキプロスで、イスラエル人がそこで不動産を購入していると報道されていた。キプロスのユダヤ人コミュニティは20年前の数百世帯から今では約4000世帯へ拡大、イスラエルの拠点になりつつある。その象徴的な存在が、国際空港がある港湾都市のラルナカ。空港のフェンス周辺と管制塔にイスラエルの治安部隊が駐留しているという報道もあった。 かつてのハイファと似た役回りになりつつある。不動産価格の高騰でキプロス人は締め出される一方、シオニストのためのインフラ整備が整備され、シナゴーグも建設されている。ヨルダン川西岸のような入植地が広がりつつあると懸念する人もいる。 イスラエルがガザを破壊し、住民を大量虐殺している理由のひとつはガザ沖で発見された天然ガス田だと言われているが、そこから天然ガスを輸送するパイプラインはキプロスを経由する計画になっている。 この天然ガス田が発見されたのは2010年。イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表している。エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っているとUSGS(アメリカ地質調査所)の推定していた。 ちなみに、ビル・クリントン元米大統領はノーブル・エナジーのロビイストを務めたことが亜あり、ヒラリー・クリントンに選挙資金を提供していた。そのヒラリーをジョージ・ソロスが操っていることは2016年に漏れた電子メールで明らかにされたが、そのソロスはロスチャイルド金融資本と結びついている。 イギリスのロスチャイルドを率いていたジェイコブ・ロスチャイルドが戦略顧問として名を連ねていた会社、ジェニー社はイスラエルが不法占拠しているシリア領のゴラン高原で石油開発を目論んでいたことでも知られている。 天然ガスだけでなく、人の移動でもキプロスはイスラエルの重要な中継地になる。また、キプロスにはイギリス空軍のアクロティリ基地があり、そこはイギリス空軍だけでなくアメリカ空軍の偵察航空団も駐留している。ガザでの大量虐殺でも、アメリカやイギリスはイスラエルへの物資の輸送や偵察の拠点としてキプロスの軍事基地を拠点にしてきた。アメリカやイギリスにとってキプロスは地中海から中東にかけての地域における戦略的な要石のような存在だが、イスラエルにとっても重要な存在になるかもしれない。 イスラエル軍がイランを攻撃したのは6月13日のことだが、その10日前の6月3日、超正統派ユダヤ教と宗教的シオニストのコミュニティに属する数人の女性が6月3日にクネセト(イスラエル国会)の公聴会に登場、サディスティックで性的な宗教儀式について証言した。これには児童人身売買ネットワークが含まれていると認識され、大きな問題に発展する可能性があると考えられていた。そのスキャンダルをイスラエル軍のイラン攻撃によって、宗教儀式の話どころではなくなった。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.25

APEC(アジア太平洋経済協力)の年次総会が10月31日から11月1日にかけて韓国の慶州で開催される。その会議にドナルド・トランプ米大統領も出席する予定。その途中、日本に立ち寄るのだが、そこで新首相の高市早苗は恭順の意を表するのだろう。アメリカは日本に対し、サハリンにおける天然ガスの開発から手を引くように求め、日米の軍事的な連携を強化することも要求するはずだ。その矛先は中国とロシアに向けられている。 アメリカの世界戦略は1991年12月にソ連が消滅した際に変化した。その直後、1992年2月にアメリカ国防総省は新たな軍事戦略DPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成したが、その中でドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合、要するにドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むことや、新たなライバルが再び出現することを防ぐとも謳っている。 ソ連の消滅でアメリカが唯一の超大国になったと確信したネオコンたちは他国を気にすることなく傍若無人に振る舞えると考え、国連を無視するようになる。 それに対し、1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗したものの、94年4月に崩壊。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られた。 そうした動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令する。 その報告書には、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になった。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。 そして1995年8月、アメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載される。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆していた。この1995年に日本はウォルフォウィッツ・ドクトリンに書かれている通り、アメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。 アメリカのビル・クリントン政権はNATO軍を使い、1999年3月から6月にかけてベオグラードを空爆、翌年の大統領選挙でジョージ・W・ブッシュが次期大統領に選ばれた。ブッシュ・ジュニア政権がスタートした2001年の4月には小泉純一郎が総理大臣に就任、その年の9月にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとはショックを受けて茫然自失になる。そうした状態を利用し、アメリカ政府は戦争を開始した。 ウェズリー・クラーク欧州連合軍(NATO作戦連合軍)元最高司令官によると、2001年9月11日の攻撃から10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていた。(3月、10月) アメリカの戦略変更はソ連消滅とロシアの属国化から始まるが、21世紀に入り、ロシアではウラジミル・プーチンをはじめとする勢力が再独立に成功、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提が崩れた。それにもかかわらず世界制覇プロジェクトを推進し続け、ロシアを再属国化しようと目論み、泥沼から抜け出せなくなった。 支配力が弱まったアメリカは軍事同盟を強化するため、2017年11月にオーストラリア、インド、アメリカ、日本で組織されるクワドの復活を協議。アメリカ太平洋軍は2018年5月にインド太平洋軍へ名称を変更されている。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うとされた。 そして2020年6月にはNATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長はオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言、21年9月にアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン3カ国は太平洋で軍事同盟AUKUSを築く。さらにJAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟も編成した。 こうした仕組みが作られる一方、アメリカは日本列島にミサイル発射施設を建設する。アメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書で説明されているように、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を持っていた。 その計画に基づき、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 RANDは2022年4月の報告書の中で、専守防衛の建前と憲法第9条の制約を気にしている。そこで、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されていた。 ところが、ウクライナで本格的な戦闘が始まっていた2022年10月には、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があり、23年2月に浜田靖一防衛相はトマホークを一括購入する契約を締結する方針だと語った。その年の10月には木原稔防衛相がアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官に対し、トマホークの購入時期を1年前倒しすることを決めた伝えられている。トマホークは核弾頭を搭載できる。 9月26日に自衛隊の駆逐艦「ちょうかい」がアメリカのサンディエゴへ向かって出航したが、これは艦船を改修してトマホークの発射能力を獲得させ、来年夏頃まで実射試験を実施、その一方で乗員を訓練するためだという。 RANDの報告書が出た半年後には憲法第9条を無視している。こうした日本の動きロシアや中国を刺激していることは間違いないだろう。最近の動きを見ると、すでに中露は対応し始めている。その中国とロシアは朝鮮との連携を強めているが、その朝鮮は10月22日、同国北東部に向けて短距離弾道ミサイル(SRBM)を発射した。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.24

アメリカ政府によると、ドナルド・トランプ米大統領とウラジミル・プーチン露大統領が近い将来、会談する計画はないという。数日前にはハンガリーのブダペストで両国の首脳が会談するとされていたが、その予定が撤回されたようだ。 トランプとプーチンは8月15日にアラスカで会談、インフラへの攻撃を停止することで合意したものの、ウクライナ軍はロシアの製油所や発電所への攻撃を継続、ロシア軍はウクライナのインフラに対する攻撃を再開した。こうした状況が続くと、ウクライナの人びとは厳しい冬を過ごさなければならなくなる。 トランプ大統領は10月21日、記者団に対して「無駄な会談」や「時間の無駄」はしたくないと語ったというが、つまり彼が望む回答をロシアから引き出せないことを理解したということだろう。西側メディアの報道によると、マルコ・ルビオ米国務長官とセルゲイ・ラブロフ露外相との「建設的な電話会談」により、会談は不要になったとホワイトハウス当局者は語り、首脳会談の中止を認めている。 少なからぬ人が指摘しているように、ロシアが求めていることは、ウクライナの非軍事化、非ナチ化、NATOに加盟しないことの保証、ロシア国境付近への西側諸国軍の展開の制限、ウクライナに対する武器供与の制限、ウクライナにおけるロシア語使用の保証、また西側諸国が凍結したロシア資産を返還し、ウクライナの中立を維持すること、そして領土の「現実」、つまりクリミア、ザポリージャ、ヘルソン、ドネツク、ルハンシクにおけるロシアの主権を国際社会が承認すること、そしてウクライナ軍がロシア領から撤退し、NATO軍がウクライナから撤退することを条件としている。 ロシア政府はこの条件を変えるつもりはないようだが、EUの元指導部はこの要求を拒否している。アメリカ政府の内部にもウクライナ担当特使のキース・ケロッグのようなロシア嫌いのネオコンもいて、今でも軍事や外交の分野で影響力を保持している。トランプ大統領が実際、どのように考えているか不明だが、そうした勢力に逆らうことは困難なようだ。ケロッグのアドバイスがあると、それに従ってきた。 しかし、国際情勢を客観的に分析できる人が近くにいれば、ウクライナでNATOがロシアに勝利できないことをトランプ大統領も知っているはず。2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」で西側諸国に煮湯を飲まされたロシアが停戦に応じる可能性が小さいことも理解しているだろう。 2019年12月から24年11月にかけてEUの外務安全保障政策上級代表を務めたジョゼップ・ボレル、同じ期間に欧州理事会議長を務めたシャルル・ミシェル、19年7月から22年9月までイギリスの首相を務めたボリス・ジョンソンはウクライナ/NATOが戦場で勝利すると発言、ドイツのフリードリヒ・メルツ首相は、ウクライナが戦争に勝利しなければならないと主張してきた。 当初は何らかの理由で彼らはロシアを簡単に打ち負かせると信じていたのだろうが、そうした展開にはならなかった。ウクライナが壊滅的な打撃を受けてもロシアを疲弊させることができ、NATOは疲弊したロシアを倒せいると信じていたかもしれないが、そうした展開にもなっていない。 ロシアには資源があるだけでなく、生産能力が欧米諸国を圧倒している。それがウクライナの戦闘で明確になった。戦場におけるロシア軍の死傷者は少ないため、大規模な動員を実施していない。戦場へ送り出すため、街頭で男性を拉致しているウクライナとは全く違う。 ジョン・F・ケネディ大統領は暗殺される5カ月前の1963年6月10日、アメリカン大学で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行なっている。その中で彼は第2次世界大戦中にソ連が受けた苦しみほど大きな苦しみを味わった国はないと指摘している。ドイツ軍との戦いで少なくとも2000万人が命を落とし、国土の3分の1、産業基盤のほぼ3分の2が廃墟と化したとしている。ドイツ軍が1941年6月にソ連を奇襲攻撃して始められた「バルバロッサ作戦」の結果だ。ドイツは西側に約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識な作戦だが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。またウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入する。ここでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。 しかし、ドイツ軍との戦いでソ連は疲弊、結局、国が消滅するまで、その痛手から立ち直ることはできなかった。1991年12月にソ連が消滅してからNATOは東へ拡大するが、それは新たなバルバロッサ作戦にほかならず、ウクライナをNATOが制圧することをロシアが許すはずもなかった。 そしてウクライナでの戦争が始まるのだが、ソ連時代とは違い、ロシアは対策を練っていたようだ。現在、ロシア経済は順調で、財政状況は西側より健全。生産力もEUがロシアの資産を凍結、没収しよと目論んでいるものの、それでもロシアの外貨準備には余裕がある。生産力が高いため砲弾やミサイルが枯渇する兆候は見られない。 この状態が続けばウクライナの被害は膨らむ。すでにヨーロッパ経済は破綻しつつあるが、社会そのものが崩壊する。被害がこれ以上膨らまないようにするにはロシアの要求を受け入れるしかないが、これまで勝てると言い続け、国民に犠牲を強いてきたエリートにとって、それは個人的な破滅を意味する。アメリカ政府の内部にも同じような立場の人もいるが、トランプ大統領はEUと距離を置き、ロシアがウクライナを滅ぼすのを傍観するつもりだろうと推測する人もいる。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.23

日本の政局は日本が破局に近づいていることを示している。「日本は素晴らしい」という宣伝が動画投稿サイトには氾濫しているが、その日本はアメリカを追いかけ、社会は崩壊しつつある。 そうした中、若い女性にスポンサーを紹介するアプリがリリースされ、世界から注目されている。そうした仕組みはこれまでも存在していたようだが、システム化され、路地裏の稼業からビジネスへと昇華されたとも言えるだろう。年収が1000万円以上あることを示す資産証明書を男性は登録時に提出、女性は「若くて可愛い」かどうかが事前にチェックされることになっているようだ。 WHO(世界保健機関)は「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」なる悪霊を作り出し、2020年3月11日にパンデミック宣言、人と人の繋がりを断ち切るためにロックダウンも打ち出された。実際にこの政策が採用された国もある。 日本ではそこまで強制はされなかったが、人びとが集まることだけでなく歩行方法までが規制され、経済活動は麻痺、弱者は生活が困難になり、身を売ったり、ポルノ映像に出たりするしかなくなった女性もいるようだ。人身売買も広がっていると言われている。今、世界で話題になっている若い女性にスポンサーを紹介するアプリもそうした流れの中で登場した。 こうした弱者を搾取する仕組みは新自由主義で強化されてきた。その考え方は人間を平等な存在だとはみなさず、貧富の差は神の意思に基づくもので、善行は無意味だとする信仰につながる。 富を一部の人びとに集中させる新自由主義が実際の政策に初めて取り入れられた国はチリ。1973年9月11日の軍事クーデターでその国の実権を握ったオーグスト・ピノチェトはCIAの秘密工作部門に操られていた人物で、その当時、ヘンリー・キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官としてその部署を指揮していた。その経験に基づき、マーガレット・サッチャー英首相がイギリスに導入した。日本で新自由主義路線へ舵を切ろうとしたのは中曽根康弘だ。国鉄や電電公社の私有化はそうした流れの中で強行された。 収入が多くない家庭の子どもから学ぶ権利を新自由主義は奪う。特にアメリカはひどい状態。出世の道が開かれている「アイビー・リーグ」と呼ばれている大学へ入るためには多額の授業料を支払う資産とコネが必要。 そうした大学へ入学させるためには私立の進学校へ子どもを通わせる必要があるが、そこでも膨大な学費を支払わねばならない。そうした支出は中産階級にとって困難。公立の学校は荒廃が進んでいるため、少しでもマシな学校へ子どもを通わせるためには不動産価格の高い地域に住む必要がある。その結果、不動産で家計が破綻する人もいる。 トルーマン・カポーティは『叶えられた祈り』の中でウォール街で働いているディック・アンダーソンなる人物に次のようなことを言わせている。 「二人の息子を金のかかるエクセター校に入れたらなんだってやらなきゃならん!」(トルーマン・カポーティ著、川本三郎訳、『叶えられた祈り』、新潮文庫) 「ペニスを売り歩く」ようなことをしなければならないというのだ。アメリカの中では高い給料を得ているはずのウォール街で働く人でも教育の負担は重い。 大学へ入れても授業料を支払うことが困難な学生は少なくない。そのために登場したのが「シュガー・ベイビー」なるシステム。女子大学生(シュガー・ベイビー)と富裕な男性(シュガー・ダディー)を引き合わせ、「デート」のお膳立てをするというビジネスだ。売春の斡旋と見られても仕方がないだろう。現代版のクルチザンヌだと言う人もいる。日本では、この仕組みをアプリにしたわけだ。 「シュガー・ベイビー」なるシステムに登録している大学のリストを見ると、有力校と考えられている南カリフォルニア大学(583名)、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(614名)、コロンビア大学(1008名)、ニューヨーク大学(1676名)も含まれている。 体を売らなければ大学へ通えないという状況はアメリカ以外の国でも問題になっている。例えば2012年11月、イギリスのインディペンデント紙は学費を稼ぐための「思慮深い交際」を紹介するビジネスの存在を明らかにした。日本では「援助交際」と表現されている行為だ。 インディペンデント紙も指摘しているが、2010年代に入ってから、かなりの数の学生が生活費を稼ぐために性労働に頼っていることを示す研究報告が発表されていた。それを承知で学費は値上げされている。 体を売るような手段で学費を稼がずに済んでも、富豪の子供でもない限り、学資ローンで卒業時に多額の借金を抱えることになる。その借金を返済するためには高収入の仕事に就かねばならない。その仕事を失えば破産だ。医師や弁護士が権力者の不正に沈黙する理由のひとつはここにある。 日本でも似たような状態になっていたが、水面下で行われていた可能性がある。マスコミが取り上げなかっただけかもしれない。そうした状態が見えるようになってきた。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.22

自民党の高市早苗が日本維新の会の支援を受け、衆参両院の首相指名選挙で内閣総理大臣に選ばれた。高市に限らず、日本の政治体制は落ちるところまで落ちたと言われても仕方がないだろう。維新は閣僚は出さず、政策協定に基づいて政権運営に協力するのだというが、与党になっても高市政権とは距離を置いた方が得策だと考えたのかもしれない。 高市政権が乗り出そうとしている世界は現在、激動の時代を迎えている。アメリカやイギリスの巨大金融資本を中心とする世界秩序が揺らいでいるのだ。ネオコンは軍事力や経済力を利用してその揺らぎを抑え込もうとしたが、ロシアや中国をはじめとする国々の逆襲にあい、西側諸国の状況は悪化している。アメリカの植民地と化している日本は、その揺らいでいる西側のシステムから抜け出せない。 アメリカが日本に対して要求していることのひとつは中国やロシアと戦争する準備をすることであり、もうひとつはロシアからのエネルギー資源輸入を停止することだ。アメリカのスコット・ベッセント財務長官10月15日、日本がロシアからのエネルギー輸入を停止することを期待すると加藤勝信財務大臣に伝えたという。今月下旬に東京を訪問するドナルド・トランプ大統領に「良い返事」をしろということだろう。 ロナルド・レーガン大統領が1984年にNSDD133(ユーゴスラビアに対する米国の政策)に署名したときからアメリカの対ロシア/ソ連戦争は始まっている。この政策はユーゴスラビアを含む東ヨーロッパ諸国を「静かな革命」で倒そうというものだった。 ユーゴスラビアはIMFの要求に従って国有企業の私有化を進めたが、その結果、ユーゴスラビアのGDP(国内総生産)は1990年に7.5%、91年には15%それぞれ低下、工業生産高は21%落ち込んだ。必然的に企業は倒産し、失業者が街にあふれる。そこでアメリカはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世や配下のネオ・ナチを利用して反乱を演出した。その際に西側はネオ・ナチに「民主勢力」というタグを、またセルビア人に「新たなナチ」というタグをつけてイメージ戦争を展開、ユーゴスラビアの解体に取り掛かった。 1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同じ年の9月にはマケドニアが、翌年の3月にはボスニア・ヘルツェゴビナが続き、4月になるとセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成、社会主義連邦人民共和国は解体された。 さらにコソボのアルバニア系住民も連邦共和国から分離してアルバニアと合体しようと計画、それをNATOが支援する。この間、西側の有力メディアはセルビア人による「人権侵害」という偽情報を広め、それを口実にしてユーゴスラビアを攻撃するよう求めている。 1992年2月にはフランスのランブイエで和平交渉が始まるが、91年12月にはソ連が消滅している。ランブイエでの交渉セルビア側はコソボの自治権を認め、弾圧もやめることで合意、交渉はまとまりかけた。 しかし、それを嫌ったNATOは相手が受け入れられない条件、つまり車両、艦船、航空機、そして装備を伴ってNATOの人員がセルビアを自由に移動できるという項目が付け加えた。事実上、NATOがセルビアを占領するということだ。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009) 1991年12月にソ連が消滅した直後の92年2月、アメリカの国防総省は新たな軍事戦略DPG(国防計画指針)の草案を作成した。作成の中心は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツだったことから、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 ソ連が消滅した直後から西側の有力メディアはユーゴスラビアを攻撃するように求めるが、ビル・クリントン政権は自重。クリストファー・ウォーレン国務長官が戦争に消極的だったからだと言われている。その当時、クリントン大統領はスキャンダル攻勢に苦しんでいた。 そして1997年1月、国務長官はウォーレンから反ロシア感情の強いマデリーン・オルブライトに交代、状況は一変した。ちなみに、オルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーから学んでいる。オルブライトはビル・クリントンの妻、ヒラリーと親しい。ヒラリーは夫のビルに対し、オルブライトを国務長官にするように働きかけたと言われている。そのオルブライトは1998年秋、ユーゴスラビア空爆を支持すると表明した。 アメリカ政府は1999年3月から6月にかけ、NATO軍を使ってベルグラードを空爆。「気高い鉄床作戦」だ。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。この空爆を司令部はアメリカ大使館にあり、指揮していたのはブルガリア駐在大使だったリチャード・マイルズだ。 2000年にはアメリカ大統領選挙が実施された。1999年の段階で最も人気があった候補者は共和党のジョージ・W・ブッシュでも民主党のアル・ゴアでもなく、立候補を否定していたジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまりジョン・F・ケネディ大統領の息子。1999年前半に行われた世論調査ではブッシュとゴアが30%程度で拮抗していたのに対し、ケネディ・ジュニアは約35%だったのだ。 しかし、ケネディが大統領選挙に参加することはなかった。1999年7月、ケネディ・ジュニアを乗せ、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島へ向かっていたパイパー・サラトガが目的地へあと約12キロメートルの地点で墜落、ケネディ本人だけでなく、同乗していた妻のキャロラインとその姉、ローレン・ベッセッテも死亡している。 そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された。いわゆる「9/11」だ。ジョージ・W・ブッシュ政権は即座にアル・カイダが実行したと断定、イラクをアメリカ主導軍で攻撃、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたサダム・フセイン体制を破壊した。 ウェズリー・クラーク欧州連合軍(NATO作戦連合軍)の元最高司令官によると、9/11から10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという。(3月、10月) このプラン通りにアメリカは戦争を進め、そして2014年2月にウクライナでネオ・ナチを利用したクーデターを実行、ロシアとの戦争を始めた。この戦争に日本も巻き込まれている。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っていた。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることで合意したという。2025年度から27年度にかけて順次納入されることになっている。 こうした時期、思慮深いとは言えない高市早苗が首相に就任することをアメリカは歓迎しているだろう。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.22

1917年11月にアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ「ユダヤ人の国」を建設する第一歩と言われる書簡を出して以来、パレスチナでは多くの人が殺されてきた。ドナルド・トランプ米大統領はガザにおける和平合意の第1段階をクリアさせたと誇っているが、この合意で地域に平和が訪れると考える人がいたとするならば、その人はパレスチナ問題に関する基本的な知識がないと言える。 この和平合意とは、イスラエル政府とパレスチナ人との間で2023年春から続く一連の衝突に関するものだ。その年の4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺したところからイスラエル政府の挑発は始まった。4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃している。そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入した。 そして2023年10月7日、ハマス(イスラム抵抗運動)を中心とするパレスチナの武装グループがイスラエルを奇襲攻撃する。この攻撃では約1400名(後に1200名へ訂正)のイスラエル人が死亡したとされ、その責任はハマスにあると宣伝された。 しかし、イスラエルのハーレツ紙によると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊、殺されたイスラエル人の大半はイスラエル軍によるものだと現地では言われていた。イスラエル軍は自国民を殺害するように命令されていたというのだ。いわゆる「ハンニバル指令」である。ハマスの残虐さを印象付ける作り話も流された。 ガザでは建造物が徹底的に破壊され、多くの遺体は瓦礫の下にあるため、何人が殺されたかは明確でない。医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数は6万4260人と推計、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。 「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書では、イスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が現在は185万人に減少、つまり37万7000人が行方不明になっているという。状況から考え、行方不明者の大半は死亡している可能性が高いが、死亡者の約4割は子どもであり、女性を含めると約7割に達すると言われている。 襲撃の直後、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、パレスチナ人虐殺を正当化している。聖書の中でユダヤ人と敵だとされている「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を彼は引用、「アマレク人」をイスラエルが敵視しているパレスチナ人に重ねたのだ。 その記述の中で、「アマレク人」を家畜と一緒に殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神は命じたというわけだ。「アマレク人」を皆殺しにするという宣言だが、このアマレク人をネタニヤフたちはアラブ人やペルシャ人と考えているのだろう。 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだと言えるだろう。ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民」なのである。 ネタニヤフは8月23日、ナイル川からユーフラテス川に至る大イスラエルを創設するという「歴史的かつ精神的な使命」を宣言している。だからこそ、ネタニヤフはイランを攻撃したがっているのだ。そうした行為や計画を支援してきた欧米諸国には帝国主義的な野望がある。 イギリスは1920年から1948年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めた。1920年代に入ってアラブ系住民の入植に対する反発が強まると、イギリス政府はそうした動きを抑え込もうとする。 デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用したが、この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起する。 1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。 委任政府は外出禁止令を出し、文書を検閲、建物を占拠、弁護人を受ける権利を停止する一方、裁判なしで個人を逮捕、投獄、国外追放している。この政策はイスラエル政府の政策につながる。 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃、1948年当時、イスラエルの「建国」を宣言したシオニストの武装組織に対して無防備な状態となっていた。 第2次世界大戦後、パレスチナにはイスラエルなる国が作られ、そのイスラエルがアラブ系住民に対する弾圧を始める。イギリスの代理人として活動し始めたと言えるだろう。 イギリスはアメリカやオーストラリアで先住民を虐殺、自分たちの国を作り上げた。同じことが中東でも展開されている。今回の和平合意でパレスチナに平和が訪れるとは思えない。イスラエル人にしろ欧米諸国の政府にしろ、アラブ系住民をパレスチナから一掃したいのだとしか考えられない。虐殺の原因をハマスにあると主張する人は、パレスチナ人虐殺を容認しているにすぎない。パレスチナの住民は戦闘に巻き込まれていいるのではない。イスラエル軍のターゲットになっているのだ。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.21

ドナルド・トランプ米大統領はウクライナへ巡航ミサイルのトマホークを供与するとしていたが、ウラジミル・プーチン露大統領と電話会談した後、供与に関して姿勢を変え、消極的になった。ソ連消滅後にロシア征服プロジェクトを始め、ウクライナにおけるロシアとの戦争を推進している西側の勢力は巻き返しを図っているようだ。 トマホークは射程距離が1500から2500キロメートルで、核弾頭を搭載できる。つまりモスクワを核攻撃することも可能だ。このミサイルをウクライナ軍が使うということは、アメリカの軍や情報機関が目標に関する情報を提供し、衛星を利用してミサイルを目標へ誘導しなけらばならない。ロシアが問題にしているこのミサイルを自衛隊とアメリカ軍は与那国島、奄美大島、宮古島、石垣島に並べる計画だ。 トランプ大統領に反ロシア政策を吹き込んでいるグループの中心には筋金入りのネオコンとして知られているウクライナ担当特使のキース・ケロッグがいる。もしトマホークがウクライナに送られ、ロシア国内の標的への使用が承認されたなら、ロシアとウクライナの紛争の「力学を変える」ことになり、「不確実性」が増すだろうとケロッグは主張しているのだが、S-500やEW(電子戦)システムを含むロシアの防空能力を考えると、この巡航ミサイルが戦況を変えるとは思えない。それでもアメリカがロシアとの戦争で前面に出てくる意味は小さくない。 つまり、トマホークをウクライナへ供与するということは、アメリカの軍や情報機関がロシアを攻撃することを意味する。だからこそロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官はトマホークの供与に関し、状況の重大な変化をもたらすと語ったのだ。アンカレッジにおける米露首脳会談で生まれたウクライナ情勢解決への勢いが失速したとも彼は口にしている。 西側諸国はソ連消滅後、NATOを東へ拡大、2014年2月のクーデターでウクライナに到達した。これは新たなバルバロッサ作戦の始まりを意味するが、それをロシアが容認するわけはなかった。脅せば主導権を握れるとアメリカ側は考えたのかもしれないが、ロシアは中国と同様、脅しに屈しない。実際、ロシア政府はアメリカ政府に対し、圧力や脅迫で目的を達成することはないと伝えたようだ。 歴代のアメリカ政府は外交や軍事の分野をシオニストに任せてきた。ジョン・F・ケネディのように、その政策に逆らった大統領もいたが、政策を変えることはできていない。ケネディの場合、暗殺された。トランプ大統領の周辺もシオニストに囲まれ、その影響下にある。その行動を見る限り、彼はイスラエルに従属しているとしか考えられない。つまりシオニストに操られている。 トランプは2018年8月にINF(中距離核戦力)条約から正式に脱退、ロシアは今年8月に条約を遵守しないと発表した。ウクライナでNATOがロシアに敗北する中、アメリカが始めた行動に対し、ロシアはアメリカに対し、容赦しないことを伝えたと言えるだろう。トマホーク供与に対しても容赦しないということだ。 2020年5月、トランプは既存のミサイルと比べ17倍もの速さで飛行する「スーパーデューパー」ミサイルを開発していると宣伝した。AGM-183 ARRW(空中発射即応兵器)ミサイル、あるいはLRHW(長距離極超音速兵器)を指しているのではないかと言われているが、2023年3月にAGM-183 ARRWプログラムは中止、今のところ、この兵器は空想の産物に過ぎず、LRHWも存在しないようだ。トランプは空想の兵器でロシアと戦おうとしているのだろうか。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.20

トマホーク巡航ミサイルの供給を期待してウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーはワシントンDCに乗り込み、10月17日にホワイトハウスでアメリカのドナルド・トランプ大統領と会談したが、トランプの回答はゼレンスキーを失望させたようだ。アメリカが保有するトマホークの数は限られているとして、供給に慎重な姿勢を見せたのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でき、射程距離は最大で2500キロメートルある。迎撃されなければ、ウクライナからモスクワを容易に攻撃できる。しかも、このミサイルをウクライナが使うということは、アメリカが目標に関する情報を提供し、衛星を利用してその目標へ誘導しなけらばならない。つまり、事実上、ロシア深奥部をアメリカが攻撃することを意味する。 そうした攻撃が実行された場合、ロシアはアメリカの深奥部を報復攻撃することになるだろうが、すでにロシアはマッハ2.3で飛行できるTu-160爆撃機をアラスカやフロリダの近くを飛行させている。最高速度がマッハ1.6のF-35戦闘機では追いつかない。実際、迎撃したF-35がTu-160に置いて行かれるという醜態を演じたこともあった。 そもそもアラスカでの首脳会談は成功と言えないのだが、その後、ロシアの石油関連施設を攻撃するための情報をアメリカの情報機関はウクライナに提供、ロシアとアメリカの関係はさらに悪化した。トランプは圧力のつもりだったかもしれないが、プーチンにとってウクライナでの戦いは祖国防衛戦争であり、そうした駆け引きは適切でない。 ウクライナへトマホークを供給するという話をトランプが撤回する直前、彼はロシアのウラジミル・プーチンと約2時間にわたって電話で話したという。何が話し合われたのかは明確でないが、プーチンは多くの時間を割いてウクライナの戦況を説明したとも言われている。 ロシアを憎悪しているキース・ケロッグ特使のようなネオコンに囲まれているトランプは「ウクライナは勝っている」という彼らの御伽話に影響を受けているようで、現実を知らせたということ。公開されている情報を分析するだけでもロシアが勝っていることは明確だが、そうした情報が伝わらない態勢になっているとも言われている。 その一方、公表されていない電話会談をロシアとアメリカの首脳は行ってきたともいう。ホワイトハウスのネオコンだけでなく、ロシアとの戦争を推進、ロシアゲートを仕掛けたイギリスのMI6も警戒している可能性がある。 ともかく、トランプはプーチンと電話した後、発言内容が大きく変化した。トマホークを供給すると言えばロシアは停戦に応じるとでも思っていたのかもしれないが、屈服する見込みがないことはわかったはず。戦争がエスカレートしてアメリカとロシアが直接戦う事態になり、核戦争に発展する可能性があることも理解したのだろう。 そして決まったのがハンガリーのブダペストでの首脳会談。同国のオルバーン・ビクトル首相が何らかの役割を果たしたのかもしれないが、ロシアが停戦に応じ、NATOが戦力を回復させてロシアを攻撃する準備をする時間的な余裕を与えることはないはずだ。ウクライナが降伏し、ロシアの主張が認められた場合のみ、プーチン政権は戦争の終結に同意すると考えられている。 そうした中、戦闘能力のないEUはロシアとの戦争準備として「欧州防衛態勢ロードマップ2030」を発表した。EUのエリートを操っている勢力はすでにルビコンを渡っている。後戻りはできないのだろう。*************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.19
アメリカのドナルド・トランプ大統領は10月15日にインドのナレンドラ・モディ首相がロシアから石油を購入しなくなることを確約したと発言した。ところがその翌日、インド外務省のランディール・ジャイスワル報道官は記者会見で、10月15日にインドとアメリカの首脳が会談したとは承知していないと語り、トランプの発言を否定した。 BRICSが崩壊するという話も含め、トランプ大統領の話は何者かの作り話だということ。トランプの周辺で国際情勢について間違った情報を主張している代表格はウクライナ担当特使を務めるキース・ケロッグ退役陸軍大将だ。 トランプの発言はこれまでの流れから考えて疑問だった。誰かが彼にそう説明したとしても、疑問に思うのが当然だ。もし疑問に感じなかったとしたなら、トランプ大統領の思考力もかなり低いと言わざるをえない。自分が考えた作り話だとしても、お粗末。 ネオコンをはじめとする西側の嫌露派はロシアについて「国を装ったガソリンスタンド」、「核兵器を持ったガソリンスタンド」だと揶揄してきた。1991年12月にソ連が消滅した時、彼らは自分たちが唯一の超大国だと確信、他者を配慮することなく、好き勝手に振る舞えると考えるようになったと彼らは考えたようだ。 しかし、21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアで実権を握ってから状況は一変、ロシアは再独立に成功し、アメリカを中心とする西側世界のライバルになった。そこからロシアを潰そうと必死になるのだが、全て裏目に出ている。ロシアに対する彼らの判断が間違っていることを認識できないほど愚かなのか、認識できても一度決めた道筋を変更できないのかもしれない。ロシアには戦略も生産力も技術力もない「後進国」だという思い込みから抜け出せず、自滅への道を爆進中だ。そうした思い込みの背景には、自分たちが優秀な種族であり、神から選ばれた民だという信仰があるのだろう。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.18

アメリカのスコット・ベッセント財務長官10月15日、日本がロシアからのエネルギー輸入を停止することを期待すると加藤勝信財務大臣に伝えたという。日本がロシアからLNG(液化天然ガス)を輸入していることにドナルド・トランプ大統領が苛立っているようだ。そのトランプは今月下旬に東京を訪問する。 この件に関し、加藤大臣は「ウクライナ和平を公正な方法で実現するため、G7諸国と連携するという基本原則に基づき、日本としてできることはすべて行う」と述べた。 ロシアからドイツへ天然ガスをバルト海経由で輸送するために建設されたパイプライン、「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」が爆破されたのは2022年9月26日から27日にかけてのこと。このテロ工作でドイツの製造業は壊滅的な打撃を受け、社会は崩壊しつつあるが、その影響はヨーロッパ全域に広がっている。この冬の寒波が襲来した場合、壊滅的な状況になりかねない。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2023年2月8日、アメリカ海軍のダイバーがノルウェーの手を借りてノードストリームを破壊したとする記事を発表している。ジョー・バイデン大統領は2021年後半にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官を中心とする対ロシア工作のためのチームを編成、そして2022年初頭にはCIAがサリバンのチームに対し、パイプライン爆破を進言して実行されたというのだ。 ロシア連邦保安庁(FSB)の元長官で、現在は大統領補佐官を務めているニコライ・パトルシェフは9月7日、NS1とNS2の爆破テロは高度に訓練されたNATO特殊部隊の関与のもとで計画、監督、実行された可能性が高く、実行犯は深海での作戦経験が豊富で、バルト海での活動にも精通していたとしている。こうした条件に合致する情報機関として彼はイギリスの特殊舟艇部隊(SBS)を挙げている。 状況を考えると、アメリカかイギリスの情報機関や特殊部隊が実行した可能性が高いのだが、そもそもバラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけてキエフでクーデターを仕掛けた理由のひとつは、ロシア産天然ガスをヨーロッパへ運ぶパイプラインを抑えることにあったと見られている。そのウクライナを迂回するために建設されたのがNS1とNS2だった。 その2022年、サハリンでの天然ガス開発に参加している日本にもアメリカから圧力がかかっていた。このプロジェクトから手を引くように日本や欧米の企業にアメリカ政府は圧力をかけ、エクソンモービルは2022年3月にロシア事業からの撤退を決めているのだが、日本は継続を決めている。 プロジェクトのひとつであるサハリン1の場合、エクソンモービルが運営権益30%を保有、日本のサハリン石油ガス開発も同じく30%を保有していた。サハリン石油ガス開発には経済産業省、伊藤忠商事、丸紅、石油資源開発などが共同出資している。エクソンモービルはアメリカ政府の圧力で撤退を決めた。 もうひとつのプロジェクトであるサハリン2では2022年8月に三井物産と三菱商事が新たな運営会社であるサハリンスカヤ・エネルギヤに出資参画することを明らかにした。出資比率はそれぞれ12.5%と10%。27.5%を保有していたイギリスのシェルは同年2月に撤退、ロシアのガスプロムが50%プラスから77.5%へ増加している。 日本はロシア産天然ガスの開発を重要だと認識、アメリカの圧力を跳ね除けて出資を継続したのだろうが、その決定が発表される直前、2022年7月8日に安倍晋三は射殺された。 ウクライナではロシア軍の進撃スピードが速まり、NATO/アメリカは苛立っている。2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」で西側諸国に煮湯を飲まされたロシアは停戦に応じる気配は感じられない。 アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領は、ミンスク1やミンスク2はキエフ政権の戦力を増強する時間稼ぎが目的にすぎなかったことを認めている。 ドナルド・トランプ米大統領は、ロシアの収入源である天然ガスや石油のマーケットを潰し、クレムリンに圧力を加えて停戦に持ち込もうとしているのだろうが、すでにアメリカの「制裁」がロシアや中国より西側諸国に大きなダメージを与えることが明確になっている。 日本にとって、2023年時点でロシアからのLNG輸入量はオーストラリアとマレーシアに次ぐ第3位。総輸入量の9.3%を占めていた。日本がロシアからのエネルギー輸入を停止した場合、日本も厳しい冬を過ごさなければならない。 トランプはインドのナレンドラ・モディ首相がロシアから石油を購入しなくなることを確約したと宣伝したが、これまでの流れから考えて疑問だ。これが事実なら、インドのエネルギー戦略が劇的に転換することを意味するのだが、この発言の翌日、エネルギー政策の選択は国民の利益に基づいているとインド政府は改めて表明した。エネルギー価格の安定と安定供給の確保がエネルギー政策の優先事項だとしているインド政府は割安なロシア産原油に依存している。この状況が変化したとは思えない。トランプ大統領はプロレスのマイクパフォーマンスをまた行ったという見方もある。【追加】インド外務省のランディール・ジャイスワル報道官は10月16日の記者会見で、10月15日にインドとアメリカの首脳が会談したとは承知していないと語った。BRICSが崩壊するという話も含め、ドナルド・トランプ米大統領の話は何者かの作り話だということであろう。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.17

アンゲラ・メルケル元ドイツ首相はハンガリーのニュース・ポータル「パルチザン」に対し、ウクライナをめぐる安全保障上の懸念を解決するためにロシアと交渉しようとした彼女の試みについて語った。その試みは2021年のことだが、バルト三国(ラトビア、リトアニア、エストニア)は支持せず、ポーランドも反対、2022年2月24日の開戦に繋がったという。この4カ国はロシアとの戦争を望んでいたということだろう。 アメリカのジョー・バイデン政権は就任直後からロシアを挑発、戦争へ向かった。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、バイデン大統領は2021年後半にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官を中心とする対ロシア工作のためのチームを編成、その中には統合参謀本部、CIA、国務省、そして財務省の代表が参加している。そのチームが考えた工作のひとつがノード・ストリームの爆破だった。2022年1月27日にビクトリア・ヌランド国務次官は、ロシアがウクライナを侵略したらノード・ストリーム2を止めると発言、2月7日にはバイデン大統領がノード・ストリーム2を終わらせると主張、記者に実行を約束する。 バイデン、サリバン、ヌランドはバラク・オバマ政権にも入っていた。バイデンは副大統領、サリバンは副大統領の国家安全保障担当補佐官、ヌランドは国務次官補だった。このチームは2013年11月から14年2月にかけての時期にネオ・ナチを使い、キエフでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒している。2016年の大統領選挙でトランプがヒラリー・クリントンに負けていたなら、そのままウクライナでロシアとの戦争に突入していた可能性が高い。 2022年2月の開戦はバイデン政権の思惑通りだったのだろうが、すぐにイスラエルやトルコを仲介役とする停戦交渉が始まる。 仲介役のひとりだったイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットによると、彼は2022年3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功する。 その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会っているのだが、その3月5日にSBU(ウクライナ保安庁)のメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺した。CIAの命令だと考えるべきだろう。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われ、やはり停戦でほぼ合意に達している。その際に仮調印されているのだが、「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案をプーチン大統領はアフリカ各国のリーダーで構成される代表団が2023年6月17日にロシアのサンクトペテルブルクを訪問した際に示している。 こうした和平の流れを止めるため、2022年4月9日にイギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとの停戦交渉を止めるよう、ウォロディミル・ゼレンスキーに命令した。(ココやココ) アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターが製作したドキュメンタリーによると、ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関、MI6のエージェントであり、そのハンドラー(エージェントを管理する担当オフィサー)はムーアMI6長官だと推測されている。イギリス政府の命令には絶対服従ということだ。バルト三国やポーランドもイギリスの影響下にあるのかもしれない。 リッターは1991年から98年にかけてUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたアメリカ海兵隊の元情報将校で、ジョージ・H・W・ブッシュ米大統領が2003年3月、アメリカ主導軍にイラクを先制攻撃させた際、攻撃を批判していた。ブッシュ政権は攻撃を正当化するため、イラクが今にもアメリカを大量破壊兵器で攻撃するかのように宣伝していたのだが、根拠がないとしていた。 ブッシュ・ジュニア政権を助けるため、イギリスのトニー・ブレア首相は2002年9月、「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの危機感を煽る報告書を作成している。いわゆる「9月文書」だ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。 しかし、イラクに対する侵略戦争が始まって2カ月後の2003年5月、BBCの記者だったアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で、大量破壊兵器の話は粉飾されていると語った。サンデー・オン・メール紙で彼はアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 この話にブレア政権は激怒、イギリス国防省で生物兵器防衛部門の責任者を務めるデイビッド・ケリーが情報源だということを突き止めた。ケリーは情報機関から尋問を受け、その名前は7月9日にメディアへリークされる。7月15日にケリーは外務特別委員会へ呼び出され、17日に変死した。公式発表では手首の傷からの大量出血や鎮痛剤の注入が原因で、自殺だとされているが、手首の傷は小さく、死に至るほど出血したとは考えにくい。 しかもケリーは古傷のため、右手でブリーフケースを持ったりドアを開けたりすることもできなかった。右肘に障害があったのだが、それは1991年12月に落馬、骨折したことで生じた。ケリーは折りたたみ式のナイフを携帯していたのだが、右手の問題で刃を研ぐことが困難で、その切れ味は悪かった。(Miles Goslett, “An Inconvenient Death,” Head of Zeus, 2018) ブッシュ・ジュニアは2003年の一般教書演説の中でイラクのサダム・フセインがアフリカから相当量のウラニウムを入手しようとしていると主張しているが、そうした事実がないことを知っているジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使はショックを受け、ニューヨーク・タイムズ紙で明らかにした。(The New York Times, July 6, 2003) イラクがニジェールからイエローケーキを購入することで合意したという覚書が2002年初頭に流れたのだが、CIAからその中身の真偽を調べて欲しいと彼は要請され、調べていたのだ。その結果、情報は正しくないということが確認されていた。 2003年当時、ドイツの首相はゲアハルト・シュレーダー、フランスの大統領はジャック・シラク。ふたりともブッシュ・ジュニアの戦争に反対、参加しなかった。ドイツでは次のアンゲラ・メルケルもある程度はアメリカに抵抗していたが、オラフ・ショルツは腑抜け、フリードリヒ・メルツはネオコンの操り人形にすぎない。フランス大統領のエマニュエル・マクロンもメルツと同じだ。メルツやマクロンの政策はヨーロッパ経済を衰退させ、社会を破壊しているが、彼らを操っている勢力はそうしたことを気にしない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.16

アメリカでは10月12日が「コロンブスの日」として祝われている。クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)が1492年10月12日にバハマ諸島のグアナハニ島へたどり着いたことを記念しての祝日だが、これは南北アメリカで大量虐殺と略奪の幕開けでもあった。 その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されているが、1890年にウーンデット・ニー・クリークで先住民の女性や子ども250人から300人がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少していた。ただ、主だった地域では90%を超す住民が殺されているので、100万人ということはないだろう。そして、生き残った先住民を「保留地」と名づけらた地域に押し込めるために「強制移住法」が施行された。 ピート・ヘグセス戦争長官は今年9月25日、ウーンデット・ニーにおける虐殺に関与した20人の兵士に名誉勲章を授与すると発表した。この虐殺を実行した部隊を構成していた兵士の大半は戦闘経験がなく、誤射で味方の兵士を殺している。酩酊状態だったとも言われている。そうした兵士を「勇敢」だとヘグセスは主張、「勲章を受けるに値する」と宣言したのだ。 こうした大虐殺を実行して土地や資源を奪ったアメリカはピューリタンの国である。ピューリタンはオリバー・クロムウェルの下、革命を成功させた後、仲間だった水平派を弾圧、それと並行してアイルランドやスコットランドを侵略、住民を虐殺している。17世紀の半ばのことだ。 クロムウェルの私設秘書を務めていたジョン・サドラーはイングランド王ジェームズ1世と同じように、アングロ・サクソンをユダヤ人の「失われた十支族」の後継者だと信じていた。サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張している。 ところで、「失われた十支族」は旧約聖書の記述からきているとされているのだが、それは読み手の解釈に過ぎない。旧約聖書によるとイスラエル民族の始祖はヤコブだとされている。彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれているのだ。 ユダヤ人ではない残りは「行方不明」だとされているのだが、旧約聖書を信じるある種の人びとは「失われた十支族」と呼ぶ。ただ、この支族が存在したとしても「ユダヤ人」ではない。そもそも旧約聖書の記述を裏付ける証拠はない。 「神はイギリス人だ」と主張していたというクロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言した。海賊の国だったイングランドで金融や経済を彼らに任せるためだったともいう。 これがシオニズムの始まりだが、ピューリタン体制が倒されるとシオニズムは放棄され、クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したという。その北アメリカで先住民は「民族浄化」された。 19世紀からイギリスの支配層はパレスチナに注目、1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設し、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいうが、これはイスラエル軍の実行している。 クロムウェルが侵略して以降、アイルランドはイングランドの植民地と化すが、その一方で抵抗運動が始まる。そうした運動を実行していたIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのがブラック・アンド・タンズ。そのメンバーは殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。 1936年4月にパレスチナ人は独立を求めてイギリスに対する抵抗運動を開始するのだが、39年8月に鎮圧されて共同体は、政治的にも軍事的にも破壊された。いわゆるアラブ大反乱である。それに対し、イギリス政府は1938年以降、10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣した。 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃していく。 シオニストはパレスチナから先住民を追い出し、イスラエルなる国を建てるため、1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動、ハガナに協力する形でテロ組織のイルグンとスターン・ギャングは9日にデイル・ヤシン村を襲撃、その直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、村民254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。 イギリスの高等弁務官を務めていたアラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されてしまう。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしない。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎなかった。1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されている。国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。 勿論、先住民を消滅させるだけでは新たな国を作ることができない。「ユダヤ人」を連れてくる必要があった。そこでシオニストは1933年8月25日、ドイツのナチス政権とユダヤ人をドイツからパレスチナへ移住させる目的でハーバラ協定を締結したのだ。 1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃、多くの人が殺され、収容所へ入られ始めるが、この「水晶の夜」以降もユダヤ人はパレスチナへ向かわず、アメリカやオーストラリアを目指した。 2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)を含む戦闘部隊がイスラエルを奇襲攻撃したが、その前にイスラエルがイスラム世界を挑発している。その舞台になったのはアル・アクサ・モスクだ。 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は2023年4月に警官隊をイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクへ突入させ、同年10月3日にはイスラエル軍に保護された832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入してイスラム教徒を挑発している。 この攻撃から数時間後、アメリカ政府は2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させた。レバノンにいるヒズボラ、あるいはイランの軍事介入を牽制することが目的だとされているが、それほど早く艦隊を移動できたのは事前に攻撃を知っていたからではないかと考える人もいる。 イスラエル軍は10月27日にガザへ3師団と数旅団を侵攻させたが、中東のメディアによると、その作戦にはアメリカ軍約5000人が参加しているとする話も伝えられていた。現在伝えられている話では2000人だとされ、そのほとんどが軍事顧問だというが、ガザでの戦闘にアメリカ軍の特殊部隊が参加していることはクリストファー・マイヤー国防次官補が語っている。 イスラエル軍によるガザでの破壊と虐殺がハマスとイスラエルの停戦合意で終わるとは思えない。パレスチナでの大量虐殺は19世紀にイギリスが計画、虐殺を開始、それをイスラエルが引き継いだと考えるべきだろう。その背景には中東全域を支配しようという欧米支配層の長期戦略がある。「大イスラエル構想」もその戦略に重なる。 「コロンブスの日」の問題、つまりアメリカ先住民の虐殺とガザでの虐殺は結びついている。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.15

2019年7月から22年9月までイギリスの首相を務めたボリス・ジョンソンは首相を辞任した後、22年10月に「ボリス・ジョンソン事務所」なる民間会社を設立した。ガーディアン紙によると、ジョンソンの議員利益登録簿にはその翌月、同社へ彼の大口スポンサーであるクリストファー・ハーボーンが100万ポンドの寄付したと記録されている。100万ポンドの寄付があった2022年11月、ジョンソンとハーバーンはシンガポールで2度会食した。ハーバーンはウクライナにドローンを供給しているイギリスの兵器メーカーの大株主だ。 ジョンソンは首相時代の2022年4月9日にキエフへ乗り込み、ウォロドミル・ゼレンスキー政権に対してロシアとの停戦交渉を止めるように命令、ウクライナでの本格的な戦闘を長期化させる切っ掛けを作った人物としても知られている。(ココやココ) 2022年2月24日にロシア軍はドンバス(ドネツクとルガンスク)周辺に終結していたウクライナ軍の部隊だけでなく、軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設を攻撃し始めたが、その直後からイスラエルやトルコを仲介役とする停戦交渉が開始された。仲介役のひとりだったイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットは交渉の内容を長時間のインタビューで詳しく話している。 ベネットは2022年3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会った。 ところが、その3月5日、SBU(ウクライナ保安庁)のメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺した。クーデター後、SBUは事実上、CIAの下部機関として活動していた。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われ、やはり停戦でほぼ合意に達している。その際に仮調印されているのだが、「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案をプーチン大統領はアフリカ各国のリーダーで構成される代表団が2023年6月17日にロシアのサンクトペテルブルクを訪問した際に示している。 こうした和平の流れを止めたのがイギリスの首相だったボリス・ジョンソンにほかならない。NATO諸国は2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」を利用してキエフ体制の戦力を増強していたことから、戦闘が続けばロシアが疲弊すると思い込んでいた可能性がある。しかもロシア軍が攻撃を始めた当時、投入されたロシア軍の戦力はウクライナ軍の数分の1だったとされている。アメリカ政府のプロパガンダはともかく、西側でもロシアは戦争の準備ができていないと考える専門家が少なくなかった。 ロシア外務省によると、戦闘が始まった直後にロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書には、ウクライナ国家親衛隊のニコライ・バラン司令官が署名した2022年1月22日付秘密命令が含まれていた。これにはドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されていた。 ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」で、この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。 NATO側は8年かけ、兵器の供与や兵士を育成するだけでなく、マリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルの地下要塞を結ぶ要塞線をドンバスに築いている。ウクライナの軍や親衛隊はドンバスへ軍事侵攻して住民を虐殺、ロシア軍を誘い出して要塞線の内側に封じ込め、その間に別働隊でクリミアを攻撃するという計画だったのではないかと元CIA分析官のラリー・ジョンソンは推測している。 イギリスのベン・ウォレス元国防相はワルシャワ安全保障フォーラムで講演した際、クリミアを居住不可能にする長距離攻撃能力をウクライナが持てるように支援するべきだと主張、核弾頭を搭載できる巡航ミサイルのトマホークをウクライナへ供与するべきだとする声もある。アメリカのJ・D・バンス副大統領は9月28日、アメリカがNATO加盟国へトマホークを提供し、その後、それをウクライナへ供給することを検討していると語った。 こうした種類のミサイルはアメリカがターゲットに関する衛星や地上の情報を提供、さらにGPS衛星を利用して誘導する必要がある。フィナンシャル・タイムズ紙はイギリスが対ロシア戦争への資金と武器の供与するだけでなく、ロシアの深奥部攻撃を支援しているとしている。 また、アンゲラ・メルケル元独首相はハンガリーのメディアに対し、バルト三国やポーランドの反対でウラジミル・プーチン露大統領との直接対話が実現しなかったと語った。 2022年2月24日にロシア軍は攻撃を開始した当時、数的にウクライナ軍より劣勢で、戦争の準備はできていなかった可能性が高い。それにもかかわらず回線を決意、ドンバスの反クーデター軍と連携してウクライナ/NATO軍を押していく。 戦力不足を承知でロシア軍がキエフに迫ったのは、ウクライナ軍の別働隊にクリミアへ向かわせないためだと見られ、ロシアとウクライナが停戦でほぼ合意した段階でロシア軍は撤退した。その流れをジョンソン英首相は壊したのだ。 イギリスをはじめとする西側が戦争を望んでいることを理解したロシア政府は2022年9月に部分的動員を発表した。どのような展開でもウクライナ軍の敗北は不可避だが、戦闘が長期化すればロシアは疲弊するとネオコンは考えていていたようだ。その後も戦争を仕掛けたアメリカやイギリスの支配層はウクライナに対し、最後のひとりまでロシア軍と戦い、ロシアにダメージを与えるように命令している。「総員玉砕せよ」ということであり、ウクライナ人が死滅しても構わないということだ。 しかし、ロシアはウクライナ/NATOとの戦闘で疲弊していない。戦争の過程でロシアの生産能力は高まり、兵器の性能が西側を凌駕していることを世界に示している。1970年代から金融中心の社会にしてきた西側諸国は生産能力が低下していることから戦闘の長期化は西側諸国を苦境に追い込んでいる。エネルギー資源や鉱物資源の不足は西側の社会を破壊しつつあり、人びとの不満を抑え込むために社会の収容所化を進めている。 ジョンソンとハーボーンがカネで結びついていることは確かなのだろう。2023年9月にジョンソンが支援者を伴ってウクライナを訪問、ヤルタ欧州戦略(YES)フォーラムでウクライナの閣僚のほか、情報機関や軍の幹部らと交流したとされている。ジョンソンがウクライナ政府の高官と会談した際にはハーボーンが「ボリス・ジョンソン事務所顧問」として出席していたともいう。 しかし、ウクライナをクーデターを引き起こしてロシアとの戦争を始めたの西側世界を支配している勢力であり、ハーボーンは歯車のひとつにすぎない。ドイツ首相もフランス大統領も自国のことを顧みず、ウクライナを舞台としたロシアとの戦争に必死だが、フリードリヒ・メルツ独首相は巨大金融機関ブラックロックの元幹部、エマニュエル・マクロン仏大統領はロスチャイルド銀行出身。現在、イギリスの首相を務めているキア・スターマー首相はシオニストであることを公言している。 ゼレンスキーは大統領時代の2020年10月にイギリスを公式訪問したが、その際、同国の対外情報機関MI6のリチャード・ムーア長官を非公式に訪問している。これは異例の行動だ。 アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターが製作したドキュメンタリーによると、ゼレンスキーはMI6のエージェントであり、そのハンドラー(エージェントを管理する担当オフィサー)はムーアMI6長官だと推測されている。 このドキュメンタリーにはマクロンの政策を批判していたフランス軍情報部の元分析官、エリック・ドゥネセも出演しているが、今年6月9日に死亡した。経済的な理由による自殺とされているが、家族や友人は強く疑っている。 ソ連が消滅して以来、西側の支配層はソ連との約束を無視してNATOを東へ拡大させてきた。これはナチ時代のドイツが実行したバルバロッサ作戦を同じだ。ウクライナをNATOが支配下に置くことをロシア政府が許すはずはなかった。つまり、ウクライナでのクーデターは対ロシア戦争の始まりにほかならない。だからこそ、その時に動かなかったウラジミル・プーチンがロシア国内で批判されたのだ。 プーチンは戦争を回避したかったのだろうが、本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、イギリスの支配層は19世紀以来、ロシアと中国の征服を目指している。ウクライナで勝負に出たイギリスやアメリカの支配層、つまり巨大金融資本は負けることができないが、ウクライナでの敗北は必至だ。 「勝利か死か」ということで核戦争へ突き進むのか、原子力発電所を破壊してロシアに深刻なダメージを与えるようとするのか、あるいは誰かに敗北の責任を押し付けて自分たちは一時的に撤退するのか、西側世界の支配層では対立が生じているかもしれない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.14

ワシントン・ポスト紙は10月11日、イスラエルとアラブ諸国の協力関係を明らかにする記事を掲載した。国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手した文書に基づくもので、アメリカ軍が作成した「地域安全保障構想」と名付けられた構想には、イスラエル、カタール、バーレーン、エジプト、ヨルダン、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)が含まれ、そのほかクウェートとオマーンが「潜在的パートナー」とされている。 この連合体はペトロダラーとも関係している。アメリカは基軸通貨を発行する特権を活かすため、発行したドルを回収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラーだ。石油取引の決済をドルに限定するよう産油国を説得したのだが、アメリカはその代償として国外からの軍事侵略な国内の反乱を抑えると約束したとされている。 ワシントン・ポスト紙の記事によると、7カ国のうち6カ国は国防総省のシステムを通じて地域の一部の航空写真を入手しており、2カ国は米空軍の飛行隊を通じて自国のレーダー・データを共有。またアメリカが運営するチャット・システムにも登録され、アメリカ軍と通信できる状態になっていた。 8月8日までアメリカ中央軍の司令官を務めていたマイケル・E・クリラ大将は熱烈な親イスラエル派で、アメリカとイスラエルだけでなく、UAE、バーレーン、ヨルダンなどを巻き込む構想を実現しようとしてきた。「地域安全保障構想」はイスラエルを中心とするアメリカの中東支配構想だと言えるだろう。 ところが、こうした構想を揺るがしかねない出来事が9月9日に引き起こされた。アメリカ政府が提案した新たな停戦案について協議するためにドーハ入りしていたハリル・アルハヤ議長率いるハマスの代表団のメンバーを殺害するため、イスラエルがミサイル攻撃したのだ。ワシントン・ポスト紙の記事は、動揺しているアラブ諸国に対する脅しかもしれない。 ドーハの近くには中東最大のアメリカ軍基地であるアル・ウデイド空軍基地がある。そこには戦闘機のほか空中給油機、爆撃機などが配置され、防空システムとして「パトリオット(MIM-104 Patriot)」や「ナサムス(NASAMS)」も配備され、駐留しているアメリカ兵は数千人に上る。 ところが、9月9日にカタールが攻撃された際、パトリオットやナサムスは反応しなかった。イスラエルが攻撃する前、アメリカ軍はイスラエルからの攻撃を想定していなかったとしている。アメリカの衛星システムとレーダーシステムは「攻撃の起点となると予想されるイランやその他の地域に焦点を合わせている」ためだと弁明されている。 しかし、アメリカ軍は「シャットダウン機能」を使って防空システムを「オフ」にしていたとも噂されている。カタールが攻撃を容認していたのではないかと推測する人もいた。そうした疑惑の目を弱めるため、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はドナルド・トランプ政権の働きかけを受け、9月29日には攻撃についてカタールに謝罪、今後同様の攻撃を行わないと誓った。イスラエルは所詮、米英金融資本の手先にすぎない。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.13

10月11日にアフガニスタンとパキスタンの国境沿いで両国の舞台が激しい戦闘を始めた。アフガニスタン国防省によると、パキスタンによる度重なる空襲への報復として同国軍がパキスタン治安部隊の拠点に対する作戦を開始、パキスタン側はアフガニスタンの侵略に対し強力な反撃を行ったとしている。 注目されているのは、アフガニスタンのアミール・カーン・ムタキ外相が10月9日から1週間の予定でインドを訪問していること。ロシア経由でインド入りしたようだ。 アフガニスタンは現在、タリバーンが統治しているが、タリバーンはアメリカの情報機関CIAが1994年にパキスタンの情報機関ISIの協力を得て組織された。1996年9月にタリバーンはカブールを制圧。彼ら流のシャリーア(イスラム法)解釈でアフガニスタンを統治するが、石油をめぐり、アメリカ政府と対立する。 1998年1月にタリバーンはトルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設を計画するのだが、取引相手としてアメリカの石油資本であるUNOCALでなく、アルゼンチンのブリダスを選んでしまったのだ。翌月、パキスタンの外務大臣がカブールを訪問してUNOCALの要求を飲むように求めるが、明確な返答はなかった。 1998年8月にケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破されると、ビル・クリントン政権はオサマ・ビン・ラディンの命令で実行されたとすぐに断定、ビン・ラディンを保護しているとしてタリバーン政権とのパイプラインに関する交渉を停止、その直後にアメリカ軍はアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。 こうした攻撃でタリバーン政権は崩壊、残った勢力は指導者評議会を結成、パキスタンのクエッタに拠点を置く。反撃を開始したタリバーンは2021年8月にカブールを制圧、実権を奪還した。その際、アメリカ軍の撤退が無様だったことが話題になった。 タリバーンがカブールを制圧すると、インドはアフガニスタンにある大使館と4つの領事館を閉鎖し、学生、患者、商人、元政府高官、政治家など、あらゆる階層のアフガニスタン人へのビザ発給を停止した。 歴史的にタリバーンはパキスタンと関係が深いのだが、そのパキスタンのライバルであるインドをアフガニスタンのムタキ外相が訪問、インド当局者と外交、貿易、経済関係について協議する予定だという。10月10日にはカブールのインド大使館を再開すると発表された。 その前、9月18日にアメリカのドナルド・トランプ大統領はバグラム空軍基地への米軍の駐留を再開させる取り組みを進めていると示唆したが、タリバーン政権は9月21日、その要求を拒否している。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.12
今年の「ノーベル平和賞」が授与されるのは、ベネズエラの現体制を転覆させ、アメリカの巨大資本が支配する帝国主義体制を復活させる活動をしてきたマリア・コリナ・マチャドだという。この賞を授与されるということは、碌でもない人物だということだろう。ベネズエラの確認石油埋蔵量は世界最大で、石油や天然ガスを含むロシアの資源を奪うことに失敗したアメリカやイギリスの富豪たちは涎を垂らすほど欲しくてたまらないようだ。 北米の巨大資本は中南米の国々を植民地化し、略奪してきた。その構図を壊そうとする試みは何度かあったが、1998年にベネズエラの大統領に選ばれたウゴ・チャベスもアメリカの巨大資本への従属を拒否するひとり。そこで巨大資本の走狗であるアメリカ政府はベネズエラの体制転覆を目論み始めた。マチャドもその手先だと言える。 まずジョージ・W・ブッシュが大統領だった2002年。対ベネズエラ工作の中心には、イラン・コントラ事件に登場したエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使を務め、2001年から04年までは国連大使、04年から05年にかけてイラク大使を務めたジョン・ネグロポンテがいた。 ホンジュラス駐在大使時代、ネグロポンテはニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、死の部隊(アメリカの巨大企業にとって都合の悪い人たちを暗殺する組織)にも関係している。クーデターが試みられた際、アメリカ海軍の艦船がベネズエラ沖に待機していた。後にWikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもベネズエラではクーデターが計画されている。 アメリカの支配層はベネズエラの体制を転覆させるため、2007年に「2007年世代」を創設、09年には挑発的な反政府運動を行う。こうしたベネズエラの反政府組織に対し、NEDやUSAIDといったCIAの資金を流す組織は毎年4000万ドルから5000万ドルを提供していた。 その2年前、つまり2005年にアメリカの支配層は配下のベネズエラ人学生5名をセルビアへ送り込んでいる。そこにはCIAから資金の提供を受けているCANVASと呼ばれる組織が存在、そこで学生は体制転覆の訓練を受けていた。このCANVASを生み出したのは1998年に組織されたオトポール!なる運動だ。 この運動の背後にはCIAの別働隊であるIRIが存在した。このIRIは20名ほどのリーダーをブダペストのヒルトン・ホテルへ集め、レクチャーする。講師の中心的な存在だったのは元DIA(国防情報局)分析官のロバート・ヘルビー大佐だ。 抗議活動はヒット・エンド・ラン方式が採用された。アメリカの政府機関がGPS衛星を使って対象国の治安部隊がどのように動いているかを監視、その情報を配下の活動家へ伝えている。このとき、アメリカは情報の収集や伝達などでIT技術を使う戦術をテスト、その後の「カラー革命」におけるSNSの利用にもつながった。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018) ラテン・アメリカはアメリカだけでなく、ヨーロッパの富も築いた。15世紀から17世紀にかけての「大航海」時代、この地域で財宝を奪うだけでなく、そこで産出される金、銀、エメラルドなども奪ったのだ。中でもボリビアのポトシ銀山は有名で、この銀山だけで、1545年に発見されてから18世紀までに15万トンが運び出されたとされている。 スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われているが、詳細は不明。全採掘量の約3分の1は「私的」にラプラタ川を経由してブエノスアイレスへ運ばれ、そこからポルトガルへ向かう船へ積み込まれていた。16世紀の後半にスペインはフィリピンを植民地化、銀を使い、中国から絹など儲けの大きい商品を手に入れる拠点として使い始める。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021) そうした財宝を運ぶスペインの船を海賊に襲わせ、奪っていたのがイギリスにほかならない。エリザベス1世の時代にイギリス王室が雇った海賊は財宝を略奪しただけでなく、人もさらっていた。つまり人身売買にも手を出していた。 ジョン・ホーキンスという海賊は西アフリカでポルトガル船を襲って金や象牙などを盗み、人身売買のために拘束されていた黒人を拉致、その商品や黒人を西インド諸島で売り、金、真珠、エメラルドなどを手に入れている。こうした海賊行為をエリザベス1世は評価、ナイトの爵位をホーキンスに与えている。 フランシス・ドレイクという海賊は中央アメリカからスペインへ向かう交易船を襲撃して財宝を奪い、イギリスへ戻るが、ホーキンスと同じように英雄として扱われた。女王はそのドレイクをアイルランドへ派遣して占領を助けさせるが、その際、ラスラン島で住民を虐殺したことが知られている。その後も海賊行為を働いたドレイクもナイトになっている。 ホーキンスやドレイクについで雇われた海賊のウォルター・ローリーは侵略者のイングランドに対して住民が立ち上がったデスモンドの反乱を鎮圧するため、アイルランドにも派遣された。ローリーも後にナイトの爵位が与えられている。(Nu’man Abo Al-Wahid, “Debunking the Myth of America’s Poodle,” Zero Books, 2020) アングロ・サクソン系の人びとはオーストラリアでも先住民を虐殺して富を奪ったが、同じことをパレスチナでも行っている。勿論、アフリカも犠牲者だ。 アメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月、ネオ・ナチを利用してビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。ヤヌコビッチの支持基盤だったオデッサではネオ・ナチが攻め込んで反クーデター派の住民を虐殺して制圧したが、同じくヤヌコビッチの支持基盤だった東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)では武装闘争が始まり、南部のクリミアはいち早くロシアと一体化して身を守った。つまり、アメリカはクーデターでウクライナを完全に支配することには失敗した。ノルウェーのノーベル賞委員会が2022年に「平和賞」をベラルーシのアレシ・ビャリャツキ、ロシアの「メモリアル」、ウクライナのCCL(市民自由センター)に授与したのは、その失敗への腹いせかもしれない。なお、CCLは2007年5月にキエフで創設された組織で、資金提供者としてアメリカ国務省、欧州委員会、CIAの資金を扱っているNED、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティが含まれている。 以前から「ノーベル平和賞」は政治色が強いと言われてきた。例えば「棍棒外交」で侵略、殺戮、略奪を繰り返したテディ・ルーズベルト、核兵器を保有したがっていた佐藤栄作、チリやカンボジアでの大量殺戮の黒幕的な存在であるヘンリー・キッシンジャー、イルグンという「テロ組織」のリーダーだったイスラエルのメナヘム・ベギンも受賞している。 その後、CIAとの緊密な関係が明らかになっているポーランドの労働組合「連帯」のレフ・ワレサ、やはりCIAから支援を受けていたダライ・ラマ、CIAと連携していた人脈に周りを囲めれ、ソ連を解体してロシア人に塗炭の苦しみを舐めさせたミハイル・ゴルバチョフも登場する。 バラク・オバマは大統領に就任した年に受賞したが、任期中にドローン(無人機)を使い、アメリカ人を含む多くの人を殺害、ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を利用してアメリカへの忠誠度が低い国を侵略し、殺戮と略奪を繰り広げている。オバマの翌年にはコロンビア大学の研究員から中国の反体制活動家になった劉暁波も受賞した。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.11
ガザにおける和平合意の第1段階をクリアしたと宣言されたのは10月8日のことだが、その直後にイスラエル軍の戦車はガザ北部へ戻ろうとしていた一般市民に対して発砲、その一方でイスラエル政府は合意されていた被拘束者の交換リストから重要人物を排除した。 その重要人物には、パレスチナで最も人気のある政治家で、大統領選挙が実施されれば確実に当選されると言われているマルワン・バルグーティが含まれている。そのほかパレスチナ解放人民戦線の指導者アフメド・サアダト、ハマス幹部のハッサン・サラマ、やはりハマス指導者のアブドラ・バルグーティもリストから削除されたという。停戦が合意されたなら約束を守る必要はないとイスラエル政府は考えているようだ。 ちなみに、アメリカ政府が仲介したイスラエルとハマスの停戦協定によると、拘束されていたイスラエル人はイスラエルの刑務所で拘束されているパレスチナ人2000人と交換されるのだが、解放されるパレスチナ人のうち1700名はガザで拉致され、起訴もされていない人びと。女性や子どもを含む一般市民だ。 今年1月にも停戦が合意され、第一段階でハマスは子ども、高齢者、女性、負傷した男性を含むイスラエル人捕虜33人を解放し、イスラエルは約90人のパレスチナ人(主に女性と子供)を解放した。ついでハマスはイスラエルの女性兵士4人、イスラエルはパレスチナ人200名をそれぞれ解放、2月にはイスラエル人の遺体と引き換えにイスラエルは数百人のパレスチナ人を解放したものの、3月にイスラエルは合意を破棄した。 現在のイスラエルはベンヤミン・ネタニヤフが率いるユダヤ教カルトに支配されているが、かつては労働党が実権を握っていた。その構図を変えた一員は1970年代に入ってアメリカのキリスト教カルトが「修正主義シオニスト世界連合」を支援するようになったから。その結果、リクードが登場してくる。 しかし、1981年6月30日に予定されていたイスラエルの選挙では労働党がリクードを大きくリードしていた。その状況を変えたのが6月7日に実行されたイラクのオシラク原子炉に対する空爆。イスラエル国内では支持された。 7月17日にイスラエル軍はPLOに対する大規模な空爆を実施するが、ブライアン・アークハートNATO事務次長の説得で停戦が実現。イスラエルのアリエル・シャロン国防相も準備不足だとして停戦を望んでいたと言われている。 そのシャロンは1982年1月にベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決めた。その月の終わりにはペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開き、イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないように求めた。 1982年6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使を暗殺しようとするが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派だった。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという。(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018) この出来事を口実にしてイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻するが、8月21日にアメリカの仲介で戦闘は終結、西側諸国が監視する中、パレスチナの戦闘員は9月1日までにベイルートから撤退。西側諸国は難民と難民キャンプの保護が保証された。 撤退の直後、イスラエルのメナヘム・ベギン首相はレバノンのバシール・ジェマイエル大統領と会談し、イスラエルとの和平条約への署名を強く求めたが、イスラエルとの和平条約の締結を拒否し、残存するPLO戦闘員を掃討するための作戦を承認しなかった。 パレスチナ難民の安全を保証していた国際部隊は9月11日にベイルートから撤退、ジェマイエルは9月14日に暗殺され、その翌日にイスラエル軍は停戦協定を無視して西ベイルートへ侵攻するが、パレスチナ難民キャンプへはファランヘ党の部隊を入れることにしていた。 ファランヘ党を中心とする部隊は9月16日、イスラエル軍から提供されたジープに乗り、イスラエル軍から提供された武器を持ち、イスラエル軍の命令に従って行動、サブラとシャティーラの難民キャンプに侵攻し、大量虐殺を始めた。1万数千名の市民が殺されたとされている。その際、レイプなどの残虐行為も行われたという。 パレスチナ人を虐殺したのはレバノンのファランヘ党だが、そのファランヘ党にパレスチナ人を虐殺させたのはイスラエルであり、反イスラエル感情は世界に広がる。 それを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界で大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)。そのプロジェクトには編集者や記者も参加、有力メディアのプロパガンダ機関色は強まった。現在、ガザではサブラとシャティーラでの虐殺をはるかに上回る大量虐殺が展開されているが、西側の有力メディアのイスラエル批判は弱い。 イスラエルだけでなく、アメリカやイギリスのシオニストも約束を守らない。ロシアもウクライナで煮湯を飲まされ、停戦協定を拒否、和平協定にも慎重だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.10

ハマスとイスラエルの交渉担当者は10月8日、ガザにおける和平合意の第1段階をクリアしたという。アメリカのドナルド・トランプ大統領によると、人質全員が間もなく解放され、イスラエルは合意された線まで軍を撤退させるという。 今年1月の合意に沿った内容だが、アメリカやイスラエルは合意事項を守らない過去がある。実際、ハマスは人質が返還されたなら3月のようにイスラエルは合意を破棄するのではないかと懸念している。イスラエルに約束を守らせる役割をハマスはトランプに期待しているようだが、シオニスト、あるいはシオニストの命令に従うトランプがその期待にこたれられる可能性は高くない。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設するというシオニズムはイギリスで生まれ、先住民であるアラブ系住民の虐殺を主導してきたのはイギリスの富豪だ。エリザベス1世の時代にもユダヤ人は宮廷の中にいて、女王自身もヘブライ語を学んでいたと言われているが、イギリスが正式にユダヤ人の入国を認めたのはピューリタン革命の時代。海賊行為で稼いでいたイギリスの支配層はマーチャント・バンカーを引き入れるためにユダヤ人の入国を認めたようだ。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩と言われる書簡、いわゆる「バルフォア宣言」をアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出したのは1917年11月のこと。イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強めた。 そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。 この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。イングランドでは、ピューリタン革命を指揮したオリバー・クロムウェルの軍隊がアイルランドを軍事侵略、大量虐殺している。 アラブ系先住民がいる場所に「ユダヤ人の国」を作るためには先住民を排除しなければならない。南北アメリカやオーストラリアのように、先住民を虐殺しなければならないということだ。実際、パレスチナではそうしたことが実行されているが、パレスチナに先住民がいなくなれば中東全域に対象は広がるかもしれない。 今年1月9日、医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。ガザの保健省は同じ時期において戦争で死亡した人の数を3万7877人と報告、これでも衝撃的な数字だったのだが、それを大きく上回る。 「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書はさらに凄まじい。2023年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が、ガルブによると、現在の推定人口は185万人。つまり37万7000人が行方不明だ。ガザは事実上の強制収容所であり、住民が逃走した可能性は小さい。つまり殺された可能性が高いと言える。 こうした虐殺を西側諸国のエリートは支援してきた。すでに、民族浄化後のパレスチナを統治する仕組みも作りつつある。パレスチナ人の抵抗を鎮圧した後に土地を奪い、「平和」を祝おうというわけだ。この問題ではトランプの義理の息子であるジャレッド・クシュナーとトニー・ブレア元英首相が暗躍している。 ブレアはオックスフォード大学の学生だった時に「ブリングドン・クラブ」という学生の結社に入っていた。メンバーの多くはイートン校の出身、つまり富豪の子どもたちで、素行を悪さを誇っていた。ブレアと同じ頃にこの結社に入っていた人物にはボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、ナット・ロスチャイルド、あるいはポーランドのラデク・シコルスキー元外務大臣も含まれている。 ブレアは1994年1月、妻のチェリー・ブースと一緒にイスラエル政府の招待で同国を訪問、帰国して2カ月後にロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その2カ月後、つまり1994年5月に労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死、その1カ月後に行われた新党首を決める投票でブレアが勝利している。レビーやLFIのようなイスラエル・ロビーを資金源にしていたブレアは労働組合の影響を受けなかった。 1980年代以降、イギリスの二大政党である保守党と労働党の圧力団体である労働党イスラエル友好協会(LFI)と保守党イスラエル友好協会(CFI)の両方に資金を提供しているサー・トレバー・チン卿もブレアのスポンサー。 チンはキア・スターマーが首相になるのと助けたことでも知られている。スターマーは2020年にチン卿から5万ポンドを受け取って以来「無条件でシオニズムを支持する」と公言、親イスラエル色を強めている。その前、彼は労働党のパレスチナ中東友好協会に所属していた。 トランプにしろブレアにしろ、帝国主義の悪臭を放っている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.10

アメリカ、西ヨーロッパ、日本はかつて世界経済をリードする「先進国」と呼ばれていたが、最近は経済が衰退、社会は崩壊しつつある。そうした状況を生み出した主な原因は不公正なシステムによって富を一握りの集団に集中させ、貧富の差を拡大させたことだ。富を集中させる新自由主義が導入されると富豪たちは生産活動を軽視、金融取引に傾注するようになった。通貨を崇めるカルトだ。そのカルトの教祖的な存在がフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンだと言えるだろう。 富豪たちには資産を隠し、移動させる手段がある。そうした手段を提供しているのは金融機関にほかならない。昔から資産を隠すための仕組みとしてタックス・ヘイブンは存在していたが、新自由主義が導入された1970年代にイギリスの金融界が「地下経済の動脈」として作り出したオフショア市場のネットワークは旧来の仕組みに比べて秘密性が高い。管理には信託の仕組みが採用され、沈められた資金の持ち主は信託の管理者が話さない限り特定は難しいと言われている。(Nicholas Shaxson, “Treasure Islands”, Palgrave Macmillan, 2011) このオフショア市場のネットワークはかつての大英帝国を中心に張り巡らされている。いわば大英金融帝国。ロンドンを中心にして、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが繋がれている。(前掲書) イギリスはアヘン戦争で香港を奪い、その後も中国を収奪する拠点として機能してきた。アメリカの情報機関や犯罪組織も麻薬取引だけでなく、その取り引きによる利益を処理するためにも使われてきた。香港は一種の犯罪都市であり、世界で最も不平等な地域のひとつだが、それを「民主的」で「自由」だと考えている人もいる。 イギリスは香港を1997年に中国へ返還したものの、この場所は依然として大英金融帝国の重要な拠点であり、今でもイギリスと香港のエリートは結びついているのだが、人の結びつきだけでなく、金融の結びつきも強い。香港ドルの発行認可を受けている3銀行のうち、HSBC(香港上海銀行を母体として1991年に設立)とスタンダード・チャータードはロンドンに拠点を置いている。 オフショア市場のネットワークには地下世界と地上世界を結ぶ出入り口が存在しているが、そこにはカジノが建設されていることも少なくない。香港、シンガポール、マカオ、ラスベガスだけではない。多額の通貨が動く場所はマネーロンダリングしやすいのだろう。日本にもカジノが作られる。 帝国主義の仕組みは変異しながら生きている。軍事力だけでなく金融システムを利用しているが、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどを略奪しているという点でかつての帝国主義と違いはない。 新自由主義も帝国主義の変異種。そうした地域だけでなく、「先進国」のエリートは国内でも人びとの富を略奪し、オフショア市場のネットワークに隠蔽している。イギリス労働党の党首だったジェレミー・コービンはイスラエルによるパレスチナ人虐殺を批判すると同時に、経済的な略奪システムの中枢にいる金融エリートを批判したのだが、それを「反ユダヤ主義」だと攻撃する人もいた。 ロンドンを中心とするオフショア・ネットワークに対抗する形でアメリカは1981年にIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を開設、これをモデルにして日本では86年にJOM(ジャパン・オフショア市場)をオープンさせた。 しかし、こうした仕組みが分離、対立しているわけではない。2015年9月にロスチャルド・アンド・カンパニーのアンドリュー・ペニーはサンフランシスコ湾を臨むある法律事務所で講演した際、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語ったという。(Jesse Drucker, “The World’s Favorite New Tax Haven Is the United States,” Bloomberg, January 27, 2016) ペニーによると、アメリカこそが最善のタックス・ヘイブン。アメリカは富豪たちが絡む金融犯罪が免責され、開いた穴は庶民が埋めてくれる腐敗した国。単純に税金を払いたくない富豪だけでなく、国の資産を盗んだり、賄賂を受け取っている政治家や役人、麻薬業者のように不正な稼ぎを隠したい犯罪者などを集めているように見える。*************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.09

ここにきてアメリカ軍もレンジャー部隊の隊員がロシア軍の攻撃で死亡したというが、ドナルド・トランプ米大統領はウクライナを舞台としたロシアとの戦争から距離を置こうとしている。戦死者の報告はイギリスやフランスの方が多く、ウクライナにおけるロシア軍とは英仏が中心になって戦えという姿勢をアメリカは見せている。 トランプ大統領は英仏をはじめとするヨーロッパ諸国に対し、ウクライナへ兵器を売るので代金を支払うように求めている。戦況は以前からNATO/ウクライナが劣勢だが、ここにきてロシア軍が進撃するスピードが速まっている。ロシアは経済も順調だ。 しかし、トランプ大統領の発言が迷走していることも否定できない。その原因のひとつはウクライナ担当大統領特使を務めているロシアを蔑視するネオコンのキース・ケロッグ中将。この軍人はネオコンの一員として知られる好戦派で、ロシア蔑視の感情が強い。 ケロッグはロシア蔑視の感情が生み出す幻影の中で生きているため、事実が見えていない。ロシア軍は戦場で苦戦し、経済は崩壊の瀬戸際にあると主張、トランプ大統領もその判断に基づく発言を続けてきた。ロシアは軍需も民需も生産力は向上、経済は順調だ。泥沼の中へ引き摺り込まれたのはアメリカを含むNATO諸国。ドイツの自動車産業は壊滅的な状況だ。 これまでNATOはウクライナに対し、「ゲーム-チェンジャー」と称する兵器を供与してきた。アメリカ製の「M1エイブラムズ」、イギリス製の「チャレンジャー2」、ドイツ製の「レオパルト2」といった戦車のほか、F-16戦闘機、ATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)ミサイル、空中発射型巡航ミサイルのストームシャドウ、HIMARS(高機動ロケット砲システム)など。 ここにきて検討していると言われ始めたのは核弾頭を搭載できる巡航ミサイルのトマホーク。J・D・バンス米副大統領は9月28日、アメリカがNATO加盟国へトマホークを提供し、その後、それをウクライナへ供給することを検討していると語った。 このミサイルで戦況が一変するとは思えないが、核戦争へ近づくとは言え、ロシア政府は挑発と判断するだろう。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、アメリカがウクライナにトマホーク・ミサイルを供給する決定を下した場合、ロシアとアメリカとの関係を悪化させる可能性があるとしている。 トマホーク以外のミサイルでも言えることだが、NATOが提供したミサイルをウクライナだけで使用することはできない。衛星や地上で集めた情報、その情報の分析、ミサイルを誘導する衛星のシステムなどが必要だからだ。 日本もトマホークと無縁ではない。アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書で説明されているように、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。 その計画に基づき、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 2022年10月に「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があり、23年2月に浜田靖一防衛相はトマホークを一括購入する契約を締結する方針だと語った。その年の10月には木原稔防衛相がアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官に対し、トマホークの購入時期を1年前倒しすることを決めた伝えられている。 9月26日に自衛隊の駆逐艦「ちょうかい」がアメリカのサンディエゴへ向かって出航した。これは艦船を改修してトマホークの発射能力を獲得させ、来年夏頃まで実射試験を実施、その一方で乗員を訓練するためだという。 こうした日本の動きロシアや中国を刺激していることは間違いないだろう。最近の動きを見ると、すでに中露は対応し始めている。日本はアメリカがついていると思っているかもしれないが、トランプ政権は中国との戦争にも消極的になってきた。ネオコンの影響下にある日本の政治家や官僚に微妙な舵取りができるのだろうか?*************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.08

イスラエルがアメリカを巻き込み、イランを再び攻撃するのではないかと言われている。 アメリカのドナルド・トランプ大統領は6月22日、イスラエルの要請に基づき、7機のB-2爆撃機でイランの核施設へ合計14発のGBU-57爆弾を投下した。大統領はイランの核開発を止めたと主張したのだが、アメリカのDIA(国防情報局)は計画を数カ月遅らせたに過ぎないと評価、その情報を有力メディアが伝えた。その情報漏洩に怒ったトランプ大統領はDIAの局長を務めていたジェフリー・クルーズ中将を8月22日に解任したが、DIAの分析は正しいと見られている。 6月13日未明にイスラエルはイランを攻撃、イラン軍のモハメド・バゲリ参謀総長やイラン革命防衛隊(IRGC)のホセイン・サラミ司令官やゴラム・アリ・ラシド中央司令部司令官を含む軍幹部、そして核科学者のモハンマド・メフディ・テランチやフェレイドゥーン・アッバシなど6名以上の核科学者を殺害した。この攻撃では親イスラエル派として知られているアメリカ中央軍のマイケル・E・クリラ司令官が重要な役割を果たしたとも推測されている。 イスラエル軍のエフィー・デフリン報道官によると、イスラエル軍は200機の戦闘機を用いて100以上の標的を攻撃したというが、要人の殺害は、テヘラン周辺に作られた秘密の基地から飛びたったドローンが使われたようだ。ウクライナがロシアで使用した戦術と似ている。 それに対し、イランは6月13日夜、イスラエルに対する報復攻撃を実施、テル・アビブやハイファに大きなダメージを与えた。モサドの司令部や軍情報部アマンの施設、イスラエルの核開発計画でも中心的な役割を果たしてきたワイツマン研究所も破壊された。 そうした状況を隠すためにイスラエル政府は戦争に関するあらゆる報道を禁止、イランのミサイル攻撃や被害の画像や動画を投稿した者は敵幇助罪で起訴し、長期の懲役刑に処すると脅迫したが、漏れた。 イスラエルにはイランの核開発施設を破壊する能力がないことが明確になり、アメリカ軍が乗り出すことになったのだが、その攻撃でも目的を達成することはできなかった。また攻撃するとするならば、投下するバンカー・バスター爆弾の数をさらに増やさなければならないが、それでも成功するかどうかは不明だ。しかもイランではロシアによる核開発計画が進んでいる。軍事力による破壊と殺戮で中東各国を威圧してきたイスラエルだが、イランを相手にした戦争で限界が明確になった。 しかもイスラエルはパレスチナで非武装の住民を大量虐殺、そうしたイスラエルに対する怒りの声は世界中に広がり、ヨーロッパでは抗議活動の激しさが増している。 2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで殺害された住民の数をガザの保健省は3万7877人だとしていたが、医学雑誌「ランセット」はその期間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値を6万4260人としている。しかも女性、18歳未満、65歳以上が全体の59.1%だとする論文を発表した。 「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書によると、2023年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が、ガルブによると、現在の推定人口は185万人。つまり37万7000人が行方不明だ。ガザは事実上の強制収容所であり、住民が逃走した可能性は小さい。つまり殺された可能性が高いと言える。 この大量殺戮はイギリスの侵略計画から始まっている。1838年、イギリス政府はエルサレムに領事館を建設。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査している。イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収したが、この運河も「ユダヤ人の国」と関係があると言えるだろう。運河買収の資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩と言われる書簡、いわゆる「バルフォア宣言」をアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出したのは1917年11月のこと。 イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強めた。 そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。 この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。イングランドでは、ピューリタン革命を指揮したオリバー・クロムウェルの軍隊がアイルランドを軍事侵略、大量虐殺している。17世紀の半ばのことだ。 今回のガザでの虐殺は2023年10月7日にハマスをはじめとする武装勢力がイスラエルを攻撃したところから始まった。その際、ハマスの戦闘員は1200名のイスラエル人を殺されたとされたが、イスラエルのハーレツ紙によると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊している。イスラエル軍は自国民の殺害を命令したというのだ。いわゆる「ハンニバル指令」である。 この攻撃には伏線がある。2023年4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺、4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクに突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃。そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。イスラム教徒に対する挑発を繰り返したのである。 そして襲撃の直後、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、パレスチナ人虐殺を正当化している。 聖書の中でユダヤ人と敵だとされている「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を彼は引用、「アマレク人」をイスラエルが敵視しているパレスチナ人に重ねたのである。 その記述の中で、「アマレク人」を家畜と一緒に殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神は命じたというわけだ。「アマレク人」を皆殺しにするという宣言だが、このアマレク人をネタニヤフたちはアラブ人やペルシャ人と考えている可能性がある。 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだと言えるだろう。ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民」なのである。ネタニヤフは8月23日、ナイル川からユーフラテス川に至る大イスラエルを創設するという「歴史的かつ精神的な使命」を宣言している。だからこそ、ネタニヤフはイランを攻撃したがっているのだ。そうした行為や計画を欧米諸国は支援してきた。 イギリスが始めた帝国主義的な計画に、狂信的なシオニストのカルト的な信仰もパレスチナ問題には関係している。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.07

日本で「極右」を装っている人びとは第2次世界大戦で敗北する前における日本の在り方を肯定すると同時に、アメリカに従属している。これは矛盾だと主張する人がいるのだが、そうした人は戦前の日本がアメリカから自立していたと考えているのだろうか。本ブログで繰り返し書いてきたように、明治維新以降、日本の天皇制官僚構造は天皇を神と崇めるカルトであると同時に、アングロ・サクソン勢力の影響下にあったのだ。 明治維新によって徳川体制から明治体制へ移行した。1867年に「大政奉還」する前からイギリスの武器/麻薬承認であるジャーディン・マセソンが日本で暗躍していた。 この会社は中国(清)の茶や絹をイギリスへ運び、インドで仕入れたアヘンを中国へ持ち込んむという商売をして大儲けしていた。19世紀に麻薬取引を支配していたのは同社と「東方のロスチャイルド」ことサッスーン家だ。 麻薬取引を中国に受け入れさせるために行われたのが第1次アヘン戦争(1839年9月から42年8月)と第2次アヘン戦争(1856年10月から60年10月)。この戦争をビクトリア女王にさせたのは反ロシアで有名な政治家、ヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)にほかならない。2度のアヘン戦争でイギリスは勝利したわけだが、これは海戦でのことにすぎず、内陸部を制圧する戦力をイギリスは持っていなかった。 ジャーディン・マセソンは1859年に長崎へトーマス・グラバーを、横浜へウィリアム・ケズウィックをエージェントとして送り込む。歴史物語ではグラバーが有名だが、大物はケズウィック。母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉なのである。 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州の若者5名をイギリスへ留学させることにする。選ばれたのは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)だ。 この5名は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンにほかならない。1861年に武器商人として独立したグラバーも密航の手助けをしているが、ケズウィックは1862年にジャーディン・マセソンの共同経営者となるために香港へ戻っていた。 薩摩も1865年に留学生15名をイギリスへ派遣している。ここでも渡航のために船を手配したのはグラバーにほかならない。その留学生の中には五代友厚、森有礼、長沢鼎も含まれていた。年少の長沢以外はロンドン大学へ入学した。 その後、薩摩からの送金が途絶えたことから9名の留学生は帰国したが、長沢や森を含む6名はアメリカへ渡り、ニューヨークに拠点があった心霊主義を信奉するキリスト教系団体「新生兄弟」へ入る。 何人かはすぐに離脱したが、長沢と森は残った。その森も1868年に帰国したが、長沢ひとりは残る。のちに教団を率いることになるが、1890年代前半に解散している。その一方、ワシンの醸造所を建設してビジネスは成功、「ワイン王」とも呼ばれている。 森は文部大臣に就任、「教育勅語」を作るなど天皇カルト体制の精神的な基盤を作るが、その一方、森の下、日本へ迎えられたルーサー・ホワイティング・メーションを中心に唱歌が作られる。安田寛によると、その目的は日本人が讃美歌を歌えるようにすることにあった。(『唱歌と十字架』音楽之友社、1993年) 日本の中国侵略は1872年に琉球を併合した時から始まる。「維新」で誕生した明治体制は琉球併合の後、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、そして1894年の日清戦争、1904年の日露戦争へと進んだが、こうした侵略はアメリカやイギリスの外交官に煽られてのことだった。自覚していたかどうかはともかく、明治体制はアメリカやイギリスの手先として動いていたのだ。 日露戦争は1904年2月8日、日本軍が仁川沖と旅順港を奇襲攻撃したところから始まる。その際、日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。 この戦争について、セオドア・ルーズベルト米大統領は日本が自分たちのために戦っていると語り、日本政府の使節としてアメリカにいた金子堅太郎はアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。1910年に日本が韓国を併合した際、アメリカが容認した理由はこの辺にあるだろう。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 東京周辺は1923年9月1日、巨大地震に襲われた。その損害額は55億円から100億円に達したと言われているが、その復興資金の調達を日本政府はウォール街を拠点とする巨大金融機関のJPモルガンに頼った。それ以降、この巨大金融機関は日本の政治経済に大きな影響力を持つことになる。 当時、アメリカもウォール街の金融資本に支配されていたのだが、その構造を揺るがす出来事が1932年にあった。彼らが担いでいた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。 そこで、JPモルガンをはじめとするウォール街の住人はニューディール派を排除するためにクーデターを計画するが、これは海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将によって阻止された。その経緯は本ブログで繰り返し書いてきた。 フーバーは大統領の任期を終える直前の1932年にジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。グルーのいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻であり、グルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。 関東大震災の復興資金調達の結果、日本の政治や経済をアメリカの巨大金融資本JPモルガンの影響下に入った。そして日本では治安維持法によって思想弾圧が強化され、「満蒙は日本の生命線」と言われるようになるのだ。 1927年5月に日本軍は山東へ派兵。1928年6月に関東軍は張作霖を爆殺し、31年9月に柳条湖で南満州鉄道を爆破、中国東北部を制圧することになる。いわゆる「満州事変(九一八事変)」の勃発だ。 その後、軍事的な緊張が高まり、一触即発の状況になり、1937年7月に「盧溝橋事件」が起こる。二・二六事件の結果、米英金融資本に反発していた軍人が粛清されたのはその前年、1936年2月のこと。 1937年12月に日本軍は南京を制圧する。上海派遣軍の司令官として南京攻略戦を指揮した朝香宮鳩彦は昭和天皇の叔父にあたる人物だ。 この攻撃で日本兵は住民を虐殺するなど残虐行為を働いたと報告されているが、日本軍は組織的な財宝の略奪作戦「金の百合」を始めた。指揮したのは秩父宮雍仁、その補佐役は竹田宮恒徳だ。 その後も略奪作戦は続き、財宝はフィリピンに集積した後、日本へ運ばれるが、途中で戦局が悪化して輸送が困難になり、相当部分がフィリピンに隠された。運び出しに成功した金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003) 日本が降伏すると、アメリカ軍のエドワード・ランズデール大尉(当時)は1945年10月中旬、財宝の隠し場所を日本軍の捕虜から聞き出すことに成功した。 ランズデールは戦時情報機関OSSのメンバーだったが、彼がフィリピン入りした直後にOSSは廃止になり、ランズデールを含むOSSの50名はチャールズ・ウィロビー少将が率いるフィリピンのG2(アメリカ陸軍の情報部門)へ配属になる。財宝の隠し場所を聞き出した時、ランズデールはG2に所属していた。 ランズデールはその情報を東京にいたダグラス・マッカーサー元帥、ウィロビー少将、そしてGS(民政局)のコートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンDCへ行き、ジョン・マグルーダー准将に説明している。ランズデールをフィリピンへ行かせたのはこのマグルーダーにほかならない。マグルーダー准将はウィリアム・ドノバンOSS長官の部下だった。マグルーダー准将の指示で、ランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会っている。 金の百合の回収が進められていた頃、ヨーロッパでは「ナチ・ゴールド」が回収されていた。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチがヨーロッパで略奪した資金はドノバンのWCC(世界通商)でロンダリングされ、戦後にタイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994) 1946年にドノバンがイギリス人の仲間と設立した会社がWCC。そのイギリス人、ウィリアム・スティーブンソンは大戦中、BSC(英国安全保障局)の責任者だった。ここはイギリスの対外情報機関MI-6の下部組織で、アメリカの情報機関との連絡を担当していた。戦後も米英両国が情報活動で協力することを目的としてWCCは作られたという。 WCCの背後には経済界の大物が名を連ねていた。その中にはネルソン・ロックフェラー、ジョン・マックロイ、あるいはゴールドマン・サックスに君臨していたシドニー・ワインバーグ、アヘン取引で富を築いて香港上海銀行を創設した一族のビクター・サッスーンなども含まれている。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010) 日本軍から得た情報にも続いて財宝の掘り出し作業が始まり、1945年から47年にかけてフィリピンで回収された金塊は42カ国の銀行の176口座に分散して預けられ、「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれる秘密の基金が創設されたという。シーグレーブによると、後にイギリスの金融関係者も同トラストに参加した。 戦後日本を仕組みを決めたのはウォール街を後ろ盾とするジャパン・ロビーだが、その中心には元駐日大使でモルガン人脈のジェセフ・グルーがいた。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.06

与党の新たな総裁が決まったようだ。この人物に限らず、著名人にはさまざまなタグがつけられているのだが、それは所詮「キャラ付け」にすぎない。自分自身の価値観を持ち、自分で調査し、物事を考え、判断するような人物は排除され、有力な政治家にはなれないだろう。いわゆる「首なし鶏」だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、日本は中国やロシアと戦争をする準備を整えてきた。経済界は中国やロシアとの関係を維持したいようだが、アメリカ政府はそうしたことをやめるよう、圧力をかけてきた。 アメリカ大統領だったリチャード・ニクソンは1972年2月に中国を訪問して中国共産党中央委員会の毛沢東主席と会談、米中両国は友好的な関係を築くことになる。両国の国交が樹立されるのは1979年1月だ。 第2次世界大戦後、ハリー・トルーマン政権は蒋介石に中国を支配させようと考え、20億ドルを提供しただけでなく、軍事顧問団も派遣していた。ソ連ヨシフ・スターリンも蒋介石体制の樹立を容認している。当時の戦力を比較すると、国民党軍は200万人の正規軍を含め、総兵力は430万人。それに対し、紅軍(コミュニスト)は120万人強にすぎず、装備は日本軍から奪った旧式のもの。勝負は明らかのように見えた。 ところが、1947年の夏に農民の支持を背景として人民解放軍(同年3月に改称)が反攻を開始。兵力は国民党軍365万人に対し、人民解放軍は280万人で接近、48年の後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒するようになり、49年1月には解放軍が北京に無血入城、コミュニストの指導部も北京入りし、10月には中華人民共和国の樹立が宣言された。 当時、アメリカは極秘の秘密工作組織OPCが上海を拠点にして活動していたのだが、日本へ撤退せざるをえなくなる。厚木基地をはじめとする6カ所に拠点を作った。アメリカは態勢を整えてから中国へ攻め込もうとするのだが、そうなると日本は兵站の拠点になる。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998) そこで問題になったのは激しくなっていた労働運動。輸送が止まったなら戦争できない。輸送の中心は海運と鉄道。労働者を押さえ込まなければならない。そこで神戸港の管理を任されたのが山口組の田岡一雄であり、横浜港を任されたのが藤木幸太郎だ。 そして1949年7月と8月に国鉄で「怪事件」が続発、それを口実にして政府は国鉄の労働組合に大きなダメージを与えた。その事件とは、7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。OPCが関係していた可能性が高い。1949年7月には沖縄の軍事施設費を次年度予算に計上することが決定された。朝鮮半島で本格的な戦争が始まったのは1950年6月だ。 ニクソンが中国を訪問した7カ月後、田中角栄は北京を訪問して周恩来国務院総理と会談、両者は日中共同声明に調印し、両国の国交は正常化されている。田中角栄の動きは素早かった。 その際、尖閣諸島の領土問題は「棚上げ」にすることで合意。日本の実効支配を認め、中国は実力で実効支配の変更を求めないというものであり、日本に有利な内容だった。そして1978年8月に日中平和友好条約が結ばれ、漁業協定につながる。 その田中はスキャンダル攻勢で1974年12月に首相を辞任、76年2月にロッキード事件が浮上する。ロッキードによる航空機売り込みのリベート疑惑だが、裏で動いていたカネの額は軍用機が圧倒的に多く、それは別の政治家が関係していたと言われている。 田中は1976年7月に逮捕されたが、その約半年前、アメリカで出されていた高額のニューズレターに「田中の逮捕が決まった」とする記事が掲載されていたという。その記事について取材するため田中邸を訪ねたジャーナリストがいるのだが、田中自身は検察も警察も押さえているので大丈夫だと考えていたようだ。 日本と中国の友好的な関係を築いた田中は失脚するが、田中が築いた両国の友好的な関係は維持された。その構図を壊したのは菅直人政権にほかならない。 菅政権は2010年6月の閣議決定で尖閣諸島周辺の中国漁船を海上保安庁が取り締まれることに決め、2000年6月に発効した「日中漁業協定」を否定。そして2010年9月、石垣海上保安部は中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まり、日本と中国との関係は悪化する。 こうした行為は田中角栄と周恩来が決めた尖閣諸島の領土問題を棚上げにするという取り決めを壊すもの。2010年10月に前原誠司外務大臣は衆議院安全保障委員会で「棚上げ論について中国と合意したという事実はございません」と発言しているが、これは嘘だ。 日本では中国を敵視する発言をよく聞くが、これはアメリカにおける「ロシアゲート」のようなもので、アメリカやイギリスに支配されている現実を隠す役割を果たしている。 1991年12月にソ連が消滅した直後の92年2月、アメリカの国防総省は新たな軍事戦略DPG(国防計画指針)の草案を作成した。作成の中心は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツだったことから、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 1990年代以降、日本の経済が衰退、社会が疲弊する一方、軍事力の増強が顕著だが、そのベースにはウォルフォウィッツ・ドクトリンがあると言える。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載できる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語った。ところが10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めているのだが、そうした時期に「首なし鶏」が日本を動かすことになるようだ。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.05

イギリスのベン・ウォレス元国防相はワルシャワ安全保障フォーラムで講演した際、クリミアを居住不可能にする長距離攻撃能力をウクライナが持てるように支援するべきだと主張した。 イギリスの軍や情報機関はクリミア橋(ケルチ橋)を破壊し、クリミアを軍事的に制圧しようとしてきたわけで、そうした作戦の一環かもしれない。NATOと共同作戦を展開しているウクライナの軍や情報機関は盛んにZNPP(ザポリージャ原子力発電所)を攻撃、外部からの電力供給を断とうとしている。ZNPPでメルトダウン事故を引き起こさせれば、クリミアも人が住めなくなるかもしれない。 ウォレス発言の直後、10月2日にロシア軍はキエフ、オデッサ、スーミ、ハリコフ(ハルキウ)をミサイル攻撃したが、ハリコフに対する攻撃が特に注目されている。ロシア側の情報によると、破壊されたレストランにウクライナやNATOの軍高官数十人が集まっていた。NATOの高官は大半がイギリス人で、会議の参加者はいずれも私服を着用していたという。 ロシアを少しでも疲弊させたいNATO諸国はウクライナが長距離ミサイルを生産させようと試みてきたようで、ドイツは戦術弾道ミサイルの「サプサン」とミサイル発射装置を製造するための資金を提供したが、その工場はロシアのFSB(連邦保安庁)によって破壊され、ドイツ人技術者が死亡した。 その1週間後には、ドニプロペトロウシクのパウロフラード(パブログラード)にあった工場や兵器庫をロシア軍は破壊した。ここではイギリスが設計したという射程距離が3000キロメートルという巡航ミサイルの「フラミンゴ」を組み立てられ、兵器庫には完成したミサイルが保管されていた。攻撃の際、イギリス人技術者が死亡している。このミサイルは量産体制に入ったと宣伝されていたが、その工場をロシア軍は破壊したわけだ。なお、フラミンゴはアラブ首長国連邦とイギリスの合弁企業が開発した巡航ミサイルのコピーだと言われている。 そして8月2日、ロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオデッサに近いオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束したと報道された。オデッサはMI6が対ロシア攻撃を実行する拠点だ。そこをロシアの特殊部隊が襲撃、イギリス側の重要人物を連れ去ってしまった。 現在、ウクライナを舞台にした対ロシア戦争はイギリスやドイツのほか、フランスが主導している。そのフランス海軍の特殊部隊は9月30日にロシアのタンカー「ボラカイ」を拿捕したが、それに対してロシア軍は10月1日にウクライナ各地の兵器庫、工場、変電所などを攻撃した。 ウクライナ南部イズマイル市から南へ20キロメートルほどの地点にある造船所も攻撃されたが、そこではルーマニアから運ばれたウクライナ軍の高速艇が修理、改修されていた。 ロシア軍の攻撃で少なからぬ艦艇が破壊されただけでなく、フランス軍の工兵約20名が戦死したと伝えられている。「ボラカイ」が速やかに解放されない場合、さらにロシア軍はフランス軍を攻撃するとも言われていた。そのタンカーは10月3日、ビスケー湾からスエズへ向かい、航行している。出港の理由は不明とされているが、10月1日のロシア軍による攻撃が影響している可能性は高い。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.04

フランス海軍は9月30日にロシアのタンカー「ボラカイ」をフランス沖で拿捕した。この船は9月20日にロシアのプリモルスク港から石油を積んで出港し、バルト海を航行して北海に入り、イギリス海峡を通過したとされている。 それに対し、ロシア軍は10月1日にウクライナ各地の兵器庫、工場、変電所などを攻撃したが、その中にウクライナ南部イズマイル市から南へ20キロメートルほどの地点にある造船所も含まれていた。 そこでは、ルーマニアから運ばれたウクライナ軍の高速艇が修理、改修されていたのだが、その際に少なからぬ艦艇が破壊され、フランス軍の工兵約20名が戦死したと伝えられている。「ボラカイ」が速やかに解放されない場合、さらにロシア軍はフランス軍を攻撃するとも言われている。 そのフランスはイギリス、ルーマニア、ポーランドを含むNATO諸国tと同じように、モルドバのマイア・サンドゥ政権と二国間協定を締結、フランス軍がモルドバへ移動したとも言われている。そのモルドバでは9月28日に議会選挙が行われた。選挙前の世論調査ではサンドゥが率いる親欧米派の行動連帯党(PAS)の完敗が不可避であることが示されていたが、実際にはPASが勝利した。 モルドバの警察や司法が選挙に介入、サンドゥを支援するため、親欧米でない野党を排除、家宅捜索、逮捕などで弾圧、20社以上の新聞が廃刊になり、国外からの投票は不公正なものだった。投票所ごとのデータは公表されず、検証も困難だ。 それ以上に大きな要素は国外の投票。ロシアやトランスニストリアでの投票は困難だっただけでなく、少なくとも10万票の虚偽票が加えられたと言われているのだが、こうした行為は西側支配層の利益になる限り西側では問題にされない。 テレグラムを創設したパーベル・ドゥーロフによると、約1年前に彼がパリで拘束された際、フランスの情報機関からモルドバ大統領選挙を前に、サンドゥ政権によるテレグラム・チャンネルの検閲を手伝ってほしいと依頼されたという。要求を呑めば、彼らがドゥーロフについて好意的な発言をすると言われたというのだ。 現在、ウクライナではロシア軍の攻勢が激しくなり、NATOは厳しい状況になっている。南部の港湾都市で要衝のオデッサもロシアに制圧される可能性が強まっている。 そのオデッサをイギリスの対外情報機関MI6は拠点にしてロシアに対するテロ攻撃を繰り返してきたが、8月2日にロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオデッサに近いオチャコフを攻撃、イギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束した。NATOにとってオデッサは安全な場所でなくなったということだ。そこで重要になったのがモルドバにほかならない。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.03

自衛隊は離れた場所からの攻撃能力を高めるため、2025年度から27年度にかけてトマホークの取得を予定。その一環として駆逐艦「ちょうかい」が9月26日にアメリカのサンディエゴへ向かって出航した。改修や乗員訓練を行うためだ。今年度中にトマホークの発射能力を獲得、来年夏頃まで実射試験を実施、乗員を訓練するという。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。日本は国防総省の計画に基づき、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を進め、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。核弾頭を搭載することも可能で、中国やロシアの内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。 2023年2月、浜田靖一防衛相は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際に、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。当初、2026年度から最新型を400機を購入するという計画だったが、25年度から旧来型を最大200機に変更するとされている。ウクライナではトマホークの供与をめぐって揉めているのだが、日本ではいとも容易く決まった。 海上自衛隊は8月4日から12日にかけてイギリス、アメリカ、オーストラリア、スペイン、そしてノルウェーとフィリピン海で軍事演習を実施した。アメリカからは空母「ジョージ・ワシントン」、イギリスからは空母「プリンス・オブ・ウェールズ」、そして日本からは空母「かが」を含む艦船が参加している。 どのようなタグが付けられていようとも、「かが」は航空母艦にほかならない。2022年3月に広島県呉市のジャパンマリンユナイテッド造船所で初期改修を開始、24年4月に完了した。さらに艦内の改修が26年後半に始まり、27年度末までに完了する予定だ。 この改修はF-35B運用に向けてのもの。飛行甲板の艦首部分を台形からアメリカ海軍のワスプ級およびアメリカ級強襲揚陸艦に見られるような正方形に形状を変更した。姉妹艦の「いずも」の改修は2024年度に開始、26年度末に完了する予定になっている。 イギリスは同じアングロ・サクソン系国のオーストラリアやアメリカとAUKUSを創設、アメリカ、オーストラリア、インド、日本はクワドなるグループを編成、軍事的な連携を強化してきた。ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長はAUKUSが中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと批判している。 実際、NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。AUKUSの後、JAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟も編成した。 アメリカは中距離ミサイル・システム「タイフォン」を岩国基地で公開。沖縄や九州へのタイフォン配備が実現した場合、この地域の戦略地図を瞬時に塗り替えることになる。中国とロシアの主要資産が射程圏内に入るため、北京とモスクワの目には抑止力と圧力を狙った直接的な挑戦に映る。ロシア、中国、朝鮮は現在、結束を強めつつある。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.02

アメリカ空軍の空中給油機7機がイギリスに立ち寄った後、カタールのアル・ウデイド空軍基地へ向かったと伝えられている。過去48時間にアメリカ空軍の約12機のKC-135とボーイング767-200がヨーロッパの基地に移されたともいう。イランに対する新たな攻撃が迫っていると推測される中での出来事だけに、注目されている。ウクライナから距離を置き始めたアメリカは中東、東アジア、あるいはベネズエラ沖で軍事的な活動を活発化させている。 イランで現体制を崩壊させることに成功した場合、受け皿としてアメリカやイスラエルが考えているのはクロシュ・レザ・パーレビだと考える人が少なくない。この人物を西側では「民主化運動家」なるタグをつけているが、実態はアメリカやイギリスの帝国主義者の手先にすぎないと考えられている。 父親のモハマド・レザ・パーレビは国王を名乗っていた。陸軍の一将校にすぎなかったモハマドは1921年にテヘランを占領、その4年後にカージャール朝を廃して王位についた。それ以来、レザ・シャー・パーレビを名乗っている。 こうした動きの背景には石油が存在している。1908年5月にペルシャ(イラン)で大規模な油田が発見され、その翌年にAPOC(アングロ・ペルシャン石油)が創設された。同社の発行済み株式のうち51%を保有したのはイギリス政府だ。APOCは1935年にAIOC(アングロ・イラニアン石油会社)へ改名され、54年にはブリティッシュ・ペトロリアムになる。 バーマー石油の会長だったストラスコナ男爵(ドナルド・スミス)がAPOCの会長に就任、イギリスは1919年にペルシャを保護国にした。この動きとモハンマドの動きは連携している。イギリスがペルシャの富を略奪するためにモハンマドの独裁体制は利用された。 イギリスとフランスはロシアを巻き込み、1916年5月にオスマン帝国を分割して植民地化する秘密協定を結んだ。協定作成の中心になったイギリスのマーク・サイクスとフランスのジョルジュ・ピコの名前をからサイクス・ピコ協定と呼ばれている。1917年11月にロシアで十月革命があり、実権を握ったボルシェビキがこの秘密協定を明るみに出した。 協定が結ばれた翌月の1916年6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせている。その工作で重要な役割を果たしたのがトーマス・エドワーズ・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」だ。ローレンスは1915年に軍情報部へ入っていた。 イランの石油はAIOCを介してイギリスの巨大資本とイランの王族に膨大な利益をもたらすが、これはイラン国民を怒らせることになり、登場してくるのがムハマド・モサデク。その政権はAIOCの国有化を決定するが、イギリスはそれを認められない。イランの富を盗むことでイギリスは成り立っていたのだ。イギリスの圧力でモサデクは1952年7月に辞任するが、庶民の怒りは凄まじく、5日後にはモサデクが首相に返り咲いた。 AIOCは反政府勢力を支援、油田が接収されると石油の生産と輸送を止めることで対抗。それに対してイラン政府はオープン・マーケットで売却しようとしたが失敗、収入が激減して経済状況は急速に悪化した。そこでAGIP(イタリア石油公団)のエンリコ・マッティ総裁に接触。イラン政府とAGIPとの交渉はうまくいくかと思われたのだが、合意には達しなかった。AIOCがマッティに対し、石油の供給を申し入れたと言われている。次にモサデクが選んだ交渉相手がソ連だ。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001) イギリスでは1951年10月にウィンストン・チャーチルが首相へ返り咲いていた。チャーチル政権はイランの内政へ積極的に介入する動きを強めた。イギリスの情報機関はアレン・ダレスに接触、イランでのクーデタに協力するよう求める。 ハリー・トルーマン大統領はクーデター計画に同意しなかったが、ドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任した1953年1月に事態は変わった。アレン・ダレスは2月にCIA長官となるが、その前に兄のジョン・フォスター・ダレスが国務長官に就任、クーデター体制は整った。アイゼンハワー政権でクーデターを強く主張したのはダレス兄弟だ。 ダレス兄弟は共にウォール街の弁護士で、サリバン・アンド・クロムウェルという法律事務所の共同経営者だが、その顧客リストにはAIOCも含まれていた。 結局、3月にアイゼンハワー大統領はクーデター計画を承認、5月にはCIAのエージェントがキプロスでイギリスの対外情報機関MI6のエージェントと会談、アメリカとイギリスは連携してイランのモサデク政権を倒すことになる。両国ら連携してクーデターを実行するが、これをイギリスはブート計画、アメリカはアジャックス計画と呼んでいる。CIAでクーデター計画を推進したのはカーミット・ルーズベルトだ。 クーデター後のイランにける米英の手先として想定されていたのは、言うまでもなく、モハマド・レザ・パーレビだ。そして今、その息子も米英の手先として想定されている。 このクーデタは成功、イギリスは石油利権を守ることに成功したものの、その代償としてアメリカの巨大石油企業をイランへ引き込むことになった。そして1954年、社名はBPへ変更された。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.01

シリアの暫定大統領を務めるアフマド・ア-シャラー(アブ・モハメド・アル-ジュラニ)が9月21日にニューヨークへ到着、24日に国連総会で国家元首として演説した。 この人物がシリアの暫定大統領に就任する前に率いていたハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)はアル-ヌスラ戦線と呼ばれていた組織で、その組織の前身はAQI(イラクのアル・カイダ)。アル-ヌスラ戦線を編成するよう彼に命令した人物はダーイッシュ(ISIS、ISIL、IS、イスラム国などとも表記)を創設したアブ・バクル・アル-バグダディ。ダーイッシュ時代にア-シャラーはアル-バグダディの副官を務めていたと言われている。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、「アル・カイダ」という組織が存在しているわけではない。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に書いているように、「アル・カイダ」は「ベース」を意味し、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストを指していた。プロジェクトが決まると、そのリストから戦闘員を選ぶだけだ。 ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団はアメリカやイスラエルを基本的には攻撃してこなかった。殺害の相手はアラブ人やペルシャ人である。その理由はアル・カイダの仕組みを理解すればわかる。かつては「テロリスト」というタグをつけて暴れ回り、欧米諸国が侵略戦争を繰り広げる口実を作っていたが、今は欧米諸国の代理人としてシリアを支配しようとしている。 イスラエルは9月9日にカタールのドーハを空爆した。そのドーハでアラブ・イスラム緊急首脳会議が開かれ、ア-シャラーも参加していたのだが、イスラエルと敵対する姿勢は見られない。ダマスカスを陥落させた日にア-シャラーはヒズボラとイランが真の脅威だと宣言していた。イスラエルではないというわけだ。その姿勢がドーハ後も継続されているようだが、イスラエルに屈服し、アメリカに同調すれば破滅する。 イギリスの対外情報機関MI6の長官を10月1日に辞めるリチャード・ムーアは9月19日、トルコのイスタンブールにあるイギリス領事館で退任の演説をした。その中で彼はHTSとの関係をバシャール・アル-アサド政権が倒される「1、2年前」に築いていたことを認めた。アラブ世界では2021年からだとされている。そうした関係がアル-アサド政権が崩壊した後にイギリスがシリアとの外交を復活させることを可能にしたとしている。 アル-シャラは9月12日、ロシアとの合意の一環としてダマスカスで権力を掌握したと語っているのだが、HTSはトルコを後ろ盾としていただけでなく、アメリカやイギリスとも関係はあったはずた。**********************************************:【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.01
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