《櫻井ジャーナル》

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2011.10.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 与えられた仕事はこなせても、自分で判断する能力のない人間が増えているという声をよく聞く。大手企業の研究職やエンジニアに聞くと、最近の新入社員は「使いものにならない」と厳しいことを言う人も少なくない。それで、中国やインドの若者を雇い始めているのだという。彼らを使う能力が日本の経営者にあるかどうかは疑問だが。

 そうした状況を招いた原因のひとつが教育政策にあることは間違いないだろう。バーテルスマン基金が発表した今年の報告書( PDF )を見ると、日本は児童教育に対する公的な負担が少ないことがわかる。GDP(国内総生産)に占める比率で比較すると、OECD31カ国の中で日本は27位。1位のアイスランドに比べると12%、OECDの平均に比べても23%にすぎない。日本では中高一貫教育の普及の影響で受験の山場が小学校時代に訪れていることを考えると、この問題は大きい。

 日本では教科書に書かれた知識を正しいと信じて記憶し、想定された正解へ早く確実に到達する能力を求めてきた歴史がある。つまり、官僚的な能力を尺度にしてきた。後発国として先進技術をマスターすれば良かった時代ならいざ知らず、自分たちが新たな道を切り開いていかなければならない状況には対応できない人たちを作り上げてきたということだ。

 判断能力が育たないような教育を政策として推進してきたのは日本政府にほかならず、大企業の経営者は政府にそうした教育を求めてきた。権力者の言うことに疑問を持たず、唯々諾々として命令に従う人間を求めてきたということだ。アドルフ・アイヒマンのような人間、権力者に言われたことを確実に実行する「スペシャリスト」あるいは「机上殺人者」を大量生産しようとしたのだ。そのひとつの結果が東電福島第一原発の事故で明らかになっている。

 要するに、日本では庶民を教育するのではなく、調教しようとしてきた。東京や大阪で選ばれている知事をみると、少なくとも都会に住む人々は教育に関心がないのか、調教が好きなのだとしか思えない。

 子どもを調教するためには、その前に教師を調教する必要がある。教員免許の更新制は教師を調教する手段だ。東京都教育委員会の場合、都立高校の入学式や卒業式などで「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱するようにと教職員に対して通達を出しているが、これは江戸時代の「踏み絵」と同じこと。大阪府の場合、さらに上意下達を徹底しようとしている。

 今年の6月には八重山でも教育をめぐる問題が浮上した。中学校の社会科教科書をどの出版社のものにするかということで揉め始めたのだ。事前に調査員が推薦していなかった「新しい歴史教科書を作る会」系列の育鵬社から出された教科書をごり押しする動きが表面化したのである。

 この教科書を採択するため、まず八重山地区採択協議会の会長が「改革」に乗り出したことから今回の問題は始まる。中でも協議会委員の入れ替えは大きい。育鵬社の教科書を採択するためのメンバーにしたということである。

協議会会長の玉津博克石垣市教育長は委員に対し「教科書を見なくても見たと言えばいい」と発言 していたことも明らかにされている。何も考えず、育鵬社の教科書を選べということだろう。

 明治以降のアジア侵略を肯定的にとらえている「自由主義史観研究会」の流れを育鵬社の教科書はくんでいる。この研究会を生み出したのが関西の「新教育懇話会」と関東の「東京教育懇話会」で、それぞれ戦前の京都学派と東大朱光会が源流。「皇国史観」が基盤になっている。

 問題になっている「ゆとり教育」もこうした流れの中で出てきた。ここで言うところの「ゆとり」とは、応用だけでなく基礎も教えず、小手先のテクニック、表面的な知識を子どもに覚え込ませるという代物。「考えない庶民」を作り出すことが目的だと指摘する人もいる。

 勿論、支配層の子どもが通うような学校、つまり進学校と呼ばれている国立大学の付属や私立の学校は、そうした政策のターゲットからは外れている。「愚民化教育」の対象になっているのは公立の学校だ。つまり、「ゆとり教育」とは一種のエリート教育だとも言える。

 斎藤貴男さんの書いた『機会不平等』(文藝春秋、2004年)によると、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきまよ」と教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈さんは話していたという。

 教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門さんに言わせると、「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」

 ところが、日本で行ってきた「エリート教育」は庶民だけでなくエリートの能力も低下させてしまった。思考力と批判力は表裏一体の関係にあることを理解できていなかったようだ。

 ちなみに、バーテルスマン基金が算出した指数によると、日本の「社会的公正さ」はOECDの中で22位。日本の下にある国は、ポルトガル、スロバキア、韓国、スペイン、アメリカ、ギリシャ、チリ、メキシコ、そしてトルコだ。日本の「エリート」たちはアメリカを手本にしているようなので、日本の社会的な公平さは、さらに悪化するということなのだろう。





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最終更新日  2011.10.31 15:43:48


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