《櫻井ジャーナル》

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2014.04.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
アメリカ政府はロシア軍がウクライナとの国境近くに4万名程度の部隊を集結させている証拠だとする写真を公表

 ロシア軍が国境近くへ移動しているかどうかはともかく、アメリカをはじめとする「西側」がウクライナに介入してきたことは間違いない。「西側」が支援するキエフの暫定政権はネオ・ナチを中心とするクーデターで成立したが、このクーデターを仕組んだ張本人は「西側」だ。

 このクーデターによってウクライナを追放されたビクトル・ヤヌコビッチは選挙で選ばれた大統領。この大統領を排除するため、ビクトリア・ヌランド米国務次官補やジョン・マケイン米上院議員がキエフに乗り込んで反大統領派を扇動、ヌランドはビスケットを配るという「フラワー・チルドレン」を真似したようなパフォーマンスを演じている。アメリカ政府は民主的に成立した政権を「民主主義」の名の下に倒したのである。

 ヤヌコビッチを支持した住民の多い東部や南部の住民が今回のクーデターに反発するのは当然だが、そうした住民だけでなく、ネオ・ナチが重要なポスト、特に軍や治安機関の要職についている暫定政権を支持できない軍人や警官も少なくないようで、暫定政権はアメリカの傭兵会社から戦闘員を雇い、ネオ・ナチを中心にして「親衛隊」を編成せざるをえない状況になっている。

 住民側は、こうした暫定政権の戦闘集団に対抗するため「人民軍」を編成するべきだという声も挙がっているようだが、ウクライナの軍や治安部隊から離脱した人びとが少なくないことを考えると、キエフに対抗することは可能。「西側」が軍事支援しても簡単には倒されないだろう。

 リビアやシリアでのケースでは、「アル・カイダ」などを「西側」や湾岸産油国は傭兵として利用した。「アル・カイダ」とは「ベース」を意味する。これを「基地」と訳すとわかりにくいが、実際は「データ・ベース」。1990年代にアメリカがソ連と戦わせるために集めた数千人におよぶイスラム教スンニ派戦闘員のリストだったのである。これはロビン・クック元英外相も認めている。そしてウクライナで使われているのはネオ・ナチであり、そのメンバーはアル・カイダと結びついている。

 ラテン・アメリカに民主的な政権が成立し、「国境なき巨大資本」の利権を脅かすことを恐れたアメリカの支配層は軍人を手先として利用した。その軍人を訓練するために創設したのが「SOA」。

 1946年にパナマに建設、84年になってアメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングに移動、2001年にはWHISEC(またはWHISC)へ名称を変更している。名称には関係なく、訓練の内容は反乱に対処する技術をはじめ、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などだ。ウクライナの場合、ネオ・ナチのメンバーはバルト諸国にあるNATO系の施設で訓練を受けてきたと報告されている。



 その軍事的な側面を担っているのがNATO。一時期まで英米派と独仏派に分かれていたが、ニコラ・サルコジがフランスの大統領に就任した段階で英米派がNATOを完全支配した。その象徴的な出来事が、フランスのNATO軍事部門への復帰。

 フランスがNATOの軍事機構から離脱したのは1966年のこと。その4年前、シャルル・ド・ゴール大統領をOASと呼ばれる秘密組織のメンバーが暗殺を試みて失敗しているが、このOASはアメリカの破壊工作(テロ)組織につながっていた。この極秘組織とはOPCで、1950年代の初めにCIAの内部へ吸収されている。なお、ド・ゴールは1968年に起こった「5月革命」の対応に失敗し、翌年、政権の座を去ることになった。

 ところで、サルコジの父親はハンガリーからの「亡命貴族」。ロシアのボルシェビキ革命から逃れるため、フランスへやって来た。母親はユダヤ系の「平民」。その後離婚、父親はクリスティーヌ・ド・ガナイという貴族階級の女性と結婚する。

 クリスティーヌはシャルル・ド・ゴールのボディー・ガードだったアシール・ペレッティの秘書になるが、このペレッティはコルシカを拠点とする麻薬組織を仕切っていたことが1972年に発覚する。「フレンチ・コネクション」という映画のモデルになった組織だという。

 1977年にサルコジの父親はクリスティーヌと離婚、彼女はフランク・ウィズナー・ジュニアというアメリカ人外交官と再婚する。アレン・ダレスの側近で、OPCを指揮していたフランク・ウィズナーの息子だ。

 一方、サルコジは1982年にアシール・ペレッティの姪と結婚、弁護士として「コルシカの友人」のために働くことになった。義理の母になるクリスティーヌとも親しい関係を維持、その新しい夫の下でアメリカの手先になる。

 2003年に米英がイラクを先制攻撃する際、フランスとドイツは反対したが、そのときのフランス大統領はジャック・シラク。アメリカの支配層は怒り、ウィズナー・ジュニアはシラクをはじめとするド・ゴール派を乗っ取り、さらにリベラル派を潰す作戦を展開した。そしてサルコジを大統領へ据えることになる。サルコジがフランスをNATOの軍事部門へ復帰させたのは必然だった。後にシラクは刑事訴追され、2011年に執行猶予付きながら、禁固2年が言い渡されている。





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最終更新日  2014.04.12 02:10:54


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