《櫻井ジャーナル》

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2014.05.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ウクライナでは選挙という手続きを経て成立したビクトル・ヤヌコビッチ大統領が暴力的に追放され、憲法の規定を無視して成立した「暫定政権」が「西側」の支援を受けて暴走している。一種のクーデターが実行されたわけだが、その暴力部門を担当していたのがネオ・ナチで、治安や軍事の要職を押さえている。 クーデターの山場を超えた直後、2月28日の段階ではBBCもネオ・ナチの台頭を懸念していた

 この段階でEUの幹部たちは「暫定政権」が暴力的で危険な存在だということは知らされていた。2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は翌日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者/イギリス人)へ電話で次のように報告していることが発覚している:

 「 全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。 」「 新連合はもはや信用できない。

 この会話がYouTubeにアップロードされたのは3月5日のことだった。クーデターまでSBU(ウクライナ治安局)の長官を務めていたアレクサンドル・ヤキメンコによると、最初の狙撃はアンドレイ・パルビーなる人物が制圧していたビルから。クーデター政権でパルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長を務め、「ウクライナ社会ナショナル党(現在はスボボダ)」を創設したひとりでもある。この政党もネオ・ナチだ。

 キエフでクーデターの拠点になった広場への出入りを管理していたのはパルビーで、武器の持ち込みも彼の許可が必要だったことから、スナイパーが彼の指揮下にあったことは間違いないと見られている。パルビーはアメリカの特殊部隊と接触していたと言われている。

 ウクライナでネオ・ナチの勢力を拡大していることは「西側」もわかっていたこと。そうした状況に警鐘を鳴らし、ネオ・ナチを支援する「西側」を批判しているのがロシアであり、その大統領がウラジミール・プーチン。 そのプーチンをカナダ訪問中のチャールズ英皇太子は5月20日、アドルフ・ヒトラーに準えたとデイリー・メール紙は伝えている

 チャールズは移民博物館でひとりの女性を紹介される。メリアン・ファーガソンというボランティアで、グダンスク(現在はポーランド)で生まれ育ったのだが、1939年、13歳のときにドイツ軍が来る前に両親、祖母、そしてふたりの姉妹とカナダへ逃れたという経験の持ち主。

 事前にファーガソンの経歴を聞いていたのか、現場で初めて聞いたのかは不明だが、ともかくナチスから逃れてカナダへ来た女性がいたことを受け、チャールズは「今、プーチンはヒトラーと同じようなことをしている」と話したのだという。この発言があった 20日、BBCは過去の報道を忘れたのか、右派セクターはナチスと関係がないと宣伝 している。(この主張が正しくないことは本ブログでも書いたことだが、より詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』で書いている。)

 報道管制が敷かれ、選挙が近いウクライナへチャールズの発言やBBCの放送が伝われば「暫定政権」にとって追い風になる。チャールズの発言とBBCの放送、偶然なのだろうか?

 ところで、チャールズはエリザベス2世の息子であり、ジョージ6世は祖父、エドワード8世は大伯父にあたる。エドワード8世は「王位よりも私の愛するこの女性を選ぶ」と演説して1936年12月に退位、ウォリス・シンプソンなるアメリカ人女性と翌年の6月に結婚してウィンザー公爵と呼ばれるようになった。

 ふたりの結婚式はチャールズ・ユージン・ベドーの邸宅で行われているが、この人物はナチのエージェントだったと言われている。しかも、シンプソンは1936年10月から駐英ドイツ大使を務めたヨアヒム・フォン・リッペントロップの愛人だったということは広く信じられている。この大使はアドルフ・ヒトラーのヨーロッパにおけるスパイ網を築き上げた人物だ。エドワード8世自身もナチスの支持者として知られている。

 ウォリス・シンプソンは1928年から36年までアーネスト・シンプソンというアメリカ人実業家と、少なくとも書類上は、結婚していた。夫がいながらドイツ大使の愛人になり、イギリス国王と「恋愛関係」になったわけである。

 ナチスを支持し、ドイツのスパイ網を築き上げた人物の愛人を愛人にし、エドワード8世は退位させられたわけだが、ウォリスと結婚したもうひとつ別の理由があった。ウィンザー公爵夫人となった後、パリで開かれたパーティーで彼女は客に次のようなことを語ったとする記録が残っているのだ。

 「数多くの女性と性的関係を結ぼうとしたものの、公爵は性的に不能で、自分の欲望を満足させることができなかった。」

 ウィンザー公爵の性的な欲望を満足させられる女性はウォリスだけだったらしい。





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最終更新日  2014.05.23 02:52:38


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