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2015.01.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 現在、ウクライナのキエフ政権はふたつの柱に支えられている。西側の「国境なき巨大資本」を後ろ盾にする「オリガルヒ」の一派と、アメリカ/NATOから軍事訓練を受けてきたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)のグループだ。

 この2派が思想的に近いことをアルセニー・ヤツェニュク首相の発言は示している。同首相はドイツのARDテレビのインタビューで、「ソ連によるドイツ、ウクライナ侵略は記憶に新しい」と明言したのだ。「第2次世界大戦の結果を書き換える権利は誰にもない」と言いながら、ヤツェニュクは歴史を書き換えようとしている。

 言うまでもなく、大戦は始まりは1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻。話し合いがこじれていたポーランド回廊(ドイツ本国と東プロイセンの間に作られたポーランド領)の問題を軍事的に解決しようとしたのだが、その直後にイギリスとフランスが宣戦布告、世界大戦に発展したわけだ。この当時、ウクライナはソ連の一部だ。ロシア嫌いでアメリカの傀儡であるアンゲラ・メルケル首相としても同意することは困難だろう。西側の有力メディアは沈黙する。

 ウクライナでは昨年2月23日、憲法の規定を全く無視した形でビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任された。このクーデターの前からヤツェニュクを高く評価していたのがアメリカの ビクトリア・ヌランド国務次官補 。ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との電話会談が2月4日にYouTubeへアップロードされ、その中でそうした話が出ている。彼女はEUが話し合いで解決しようとしていることにも不満で、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしている。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンだ。

 2013年11月、ウクライナの首都キエフにあるユーロ広場(元の独立広場)で始まった反政府行動は、当初の「カーニバル」的な演出を人を集めてからネオ・ナチを中心とした暴力的な活動へ移行、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけるだけでなく、トラクターやトラックが持ち出され、ピストルやライフルも撃ちはじめる。そして始まったのが市民や警官に対する狙撃。

 西側のメディアはビクトル・ヤヌコビッチ政権が狙撃の黒幕だと宣伝していたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相は逆の認識を持っていた。26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告している音声が3月5日にYouTubeへアップロードされたのだが、それによるとパエト外相は次のように言っている:

 「 全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。 」そして「 新連合はもはや信用できない。

 つまり、狙撃しているのは西側から支援を受けている反ヤヌコビッチ政権派であり、この一派を信用することはできないと説明しているのだが、そうなると新体制への移行という西側のプランが崩壊する。そこで、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じる。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。そして東/南部での破壊と殺戮が本格化する。西側では政府もメディアも「リベラル派」も「革新勢力」もこのクーデターを「民主化」と呼ぶ。西側は嘘の上に築かれた「民主体制」だ。

 ヤヌコビッチ政権でSBU(ウクライナ治安局)の長官を務めていたアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の責任者はアンドレイ・パルビーなる人物。1991年にネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設したひとりで、クーデター後、国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している。

 この政党は2004年、オレンジ革命に合わせて党名を「スボボダ(自由)」へ変更している。旧党名は「ナショナル社会主義党(ナチス)」を連想させるということから、西側から変更の要請があったようだ。

 ウクライナのネオ・ナチはOUNという団体の流れをくんでいる。1929年に創設され、イギリスの対外情報機関MI6と結びついた後、1938年頃にナチと手を組み、1941年にドイツ軍がウクライナを占領すると「新秩序」の障害になると考えられていた人々、つまりユダヤ人、ロシア人、知識人、コミュニストなどを虐殺していった。

 本ブログでは何度も指摘しているように、アメリカでは1933年から34年にかけてクーデターが計画されている。1932年の大統領選挙でウォール街(巨大資本)が支援していたハーバート・フーバーの再選を阻止した反ファシストのフランクリン・ルーズベルトを排除することが目的だった。

 計画の中心的な存在だったのがJPモルガンで、ロックフェラー財閥やメロン財閥なども関係していたと言われている。JPモルガンは関東大震災の後、日本の政治経済に大きな影響力を及ぼし、皇室にも太いパイプを持っていた巨大金融資本。この計画が発覚するのはその当時、アメリカ軍で絶大な信頼を得ていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将、や、そのバトラー少将から話を聞いたジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言したためだ。

 バトラーに接触してきたのはジェラルド・マクガイアーとウィリアム・ドイルで、マクガイアーはグレイソン・マレ-プロボスト・マーフィーという証券ブローカーの下で働いていた人物。このマーフィーはJPモルガンと仕事上、緊密な関係にあり、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。「共産主義から国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」とマクガイアーはフレンチに話したという。

 その後もアメリカの巨大資本はファシストとの関係を解消せず、1936年にドイツ駐在のアメリカ大使だったウィリアム・ドッドはルーズベルト大統領に対し、アメリカの産業資本家がドイツやイタリアのファシストと緊密な関係を維持していると報告している。

 1939年に第2次世界大戦が勃発、41年に日本軍が真珠湾を奇襲攻撃してアメリカも参戦することになるが、1940年から42年にかけてバンデラは配下の人間にルーズベルト大統領の暗殺を命令している。ルーズベルトがバンデラの組織、OUNの合法化を拒否したことが理由だという。現在、ウクライナではアメリカがバンデラ派と手を組んで東部や南部で住民を虐殺している。同じことが第2次世界大戦で起こっていた可能性もあったということだ。

 戦後、1946年にバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコはMI6のエージェントになり、ABN(反ボルシェビキ国家連合)の議長に就任、この団体は66年にAPACL(アジア人民反共連盟/後のアジア太平洋反共連盟)と合体してWACL(世界反共連盟)になった。その後、WACLはWLFD(世界自由民主連盟)に名称を変更している。

 なお、APACLは台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関によって創設された団体で、日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部を設置する際には岸信介が推進役になっている。WACLを組織する際に協力したレイ・クラインCIA副長官はアメリカのシンクタンク、CSISの創設メンバーでもある。





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最終更新日  2015.01.12 01:52:02


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