そのバーンシュタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
ロナルド・レーガンが大統領に就任した翌年の1982年、CIAのプロパガンダを担当していたNSC(国家安全保障会議)のスタッフはウォルター・レイモンド。その年の6月にレーガン大統領はイギリス下院の本会議で「プロジェクト・デモクラシー」という用語を使う。このプロジェクトの目的はアメリカの巨大資本にとって都合の悪い国家、体制を崩壊させることにある。いわゆるレジーム・チェンジだ。国内の作戦は「プロジェクト・トゥルース」と呼ばれた。1983年1月にレーガン大統領はNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名、プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)をNSCに設置、心理戦の中心になる。相手国の人々を偽情報で混乱させ、や文化的な弱点を利用して操ろうとしたのだ。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)