新自由主義、つまり権力を巨大資本へ集中させようとする政策を巡る対立が世界規模で広がっている。中でも戦いの激しい地域がラテン・アメリカ。ブラジルやエクアドルで新自由主義派が実権を握る一方、アルゼンチンでは反自由主義勢力が大統領のポストを奪還、チリやハイチでは新自由主義的な政策に反対する活動が激しくなっている。そうした中、反新自由主義のボリビア大統領、エボ・モラレスを排除する動きが明るみに出た。
モラレスは10月20日の選挙で勝利し、大統領を続けることになった。それを嫌うアメリカ政府を後ろ盾とする勢力がモラレス政権の転覆を目論んでいる。ボリビアのラジオ局エルボルが公開した音声にはアメリカ大使館と連携して政治行動を訴える反政府派のリーダーのものがあり、マルコ・ルビオ、ボブ・メネンデス、テッド・クルーズといったアメリカ上院議員の名前も出てくるという。
新自由主義は1970年代の後半から世界的に広がっていくが、その始まりは1973年9月11日にチリで実行された軍事クーデター。選挙で選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒したのだが、その中心人物はオーグスト・ピノチェト。その背後にはCIAの破壊工作部門が存在、ヘンリー・キッシンジャーがその部門を動かしていた。
このクーデターではアジェンデ政権を揺さぶるため、アメリカの金融機関やIBRD(世界銀行)がチリへの融資を停止している。1972年9月には労働組合がストライキを敢行、社会を不安定化させていった。
軍事クーデターで実験を握ったピノチェトはアメリカ巨大資本のカネ儲けに邪魔な人びとを誘拐し、相当数が殺害された。サンチアゴの国立競技場は「拷問キャンプ」と化したと言われている。
このクーデターで巨大資本に盾突く勢力は潰滅、ピノチェト体制は新自由主義を導入する。シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。この政策を日本へ持ち込もうとしたのが中曽根康弘であり、小泉純一郎、安倍晋三、菅直人、野田佳彦らが引き継いだ。
新自由主義は「私有化」や「規制緩和」という形で資金や情報を巨大な私的権力へ集中させ、必然的に貧富の差は拡大していく。1%に満たない富豪と大多数の貧困層への分離だ。
こうした政策は1991年12月にソ連が消滅してから露骨になり、その歪みは急速に深刻化する。そうした政策への怒りは、1999年11月末から12月の初めにかけてのシアトルにおける激しい抗議活動という形で現れた。そこではWTOの会議が開かれていた。そうした運動は2001年9月11日の出来事もあって見えなくなるが、新自由主義に対する怒りが消えたわけではない。