言うまでもなく、ボリビアのエボ・モラレス大統領が辞任したのは軍の最高指揮官だったウィリアム・カリマンから「最後通牒」を受けてのこと。選挙で最も支持されたモラレスが大統領を辞めたのは軍と警察、その背後にいるアメリカの巨大資本からの恫喝に屈したわけで、自発的に辞めたわけではない。だからこそ、現在でもクーデターに反対する人びとの抗議活動は続いている。その事実を隠すための仕事をしているのがアメリカをはじめとする西側の有力メディアだ。
このカリマンのほか、クーデターを指揮したマンフレド・レイェス・ビラ、レンベルト・シレス・バスケス、ジュリオ・セーザ・マルドナド・レオニ、オスカル・パセロ・アギレ、テオバルド・カルドソ・ゲバラはSOA(南北アメリカ訓練所)で訓練を受けた軍人、あるいは元軍人である。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、SOAはラテン・アメリカの軍人を訓練するためにアメリカ政府が1946年にパナマで創設した施設。そこではアメリカの軍人や情報機関員から対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを学ぶ。
毎年700から2000名の軍人が訓練を受け、卒業生は帰国後、アメリカの巨大資本の利権にとって邪魔な人びとを排除するために「死の部隊」を編成したり、民主的に選ばれた政権を軍事クーデターで潰す際の中核になってきた。モラレス政権もその餌食になったわけである。
この仕組みで倒された政権には、チリのサルバドール・アジェンデ政権も含まれる。アジェンデは1970年の大統領選挙で勝利したが、アメリカの巨大資本による収奪を止め、チリ国民を豊かにする政策を進めた。そこでCIAの手先だったオーグスト・ピノチェトを中心とする軍人が1973年9月11日に軍事クーデターでアジェンデ政権を倒している。
このチリにはDINAという情報機関があり、これを中心にして
1984年にSOAはパナマから追い出され、アメリカのジョージア州フォート・ベニングへ移動し、2001年にはWHISC(またはWHINSEC)へ名称を変更したが、行っていることに大差はない。
アジェンデ政権が倒されたケースでは、軍事クーデターを指揮したピノチェトがアメリカの手先として実権を握ったが、そうした露骨なことを最近は行わなくなっている。見え見えではあるが、民主的な演出をするようになった。
CIAの指揮下、ピノチェトが軍事クーデターを成功させた頃にアメリカの議会では情報機関による秘密工作や多国籍企業の活動などが問題になっていた。上院のチャーチ委員会や下院のパイク委員会による調査が有名だろう。
1970年代の終盤にアメリカ政府はアフガニスタンで秘密工作を開始、戦闘員としてサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を訓練、武器などを与えて送り込んだ。仕組みはSOAと同じだが、ラテン・アメリカで戦闘員は「死の部隊」と呼ばれていたが、アフガニスタンでは「自由の戦士」というタグがつけられた。
ロナルド・レーガン政権は侵略に「民主」、「自由」、「人道」といったタグをつけるようになる。一種のイメージ戦争だが、この作戦は「プロジェクト・トゥルース」や「プロジェクト・デモクラシー」と呼ばれた。
イメージ戦争ではメディアの役割が重要になる。レーガン時代から巨大資本によるメディア支配は急速に進んだ。1990年代に入ると広告会社の存在感が強まり、作り話が多用されるようになった。この戦術は有効で、大多数の人びとは支配層が作り出す幻影に陶酔している。