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ソフトの時代オペラだ。クライバーで知った軽快な序曲。そしてアリア、楽団と歌手の融合。しかし、CDでは舞台が見えない。それに何より、イタリア語、ドイツ語などが多いので言葉の意味、ストーリが分からない。レコード、CDしか知らないころは、十分満足していた。ある時、旧知の?クライバーこうもりがレーザーデスクで店頭にあるではないか。相当ためらった末に、購入した。何が何でも、こうもりの舞台をこの目で見たいと、勝手な使命感に燃えた。これはもう、驚天動地。曇りガラスが晴れるではないか。こういうセリフ、こういうストーリーだったのか。日本の文楽、歌舞伎とあらすじは変わらない共通な部分が多いではないか。これでは学校の音楽の時間に教えられるはずが無い。面白すぎる。教育上宜しくない。といいたい人には、やはりグワイが悪い?僕には、誠に面白い。グワイがよい。それに、オペラが趣味だというと、妙に有り難がる人がいるのも面白い。一作品観るのに、2、3時間は要するので、20年後の老後の時間つぶしにも格好ではないか。(それから20年経ったが)がぜん、老後に備えて買い求めた。まさに、オペラ三昧、嬉しい限りではないか。と一人悦にいっていた。じいじのむかしばなし時変わり、人はそのまま、じいじは勝手に年を取っていく。古典には、「今の自分」には分からないことを教えてくれる何かが有る。亡父がよく言っていた「まだお前には分からん。そのうち分かるかもしれないが、、、」といいつつ亡くなってしまった。ああ情けなや。
2010.01.22
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ソフトの時代4 DVDオペラのLDV、レーザーデスク。画像で観るオペラ、字幕のあるオペラ。もちろんオペラハウスで見るものとは異なる。相撲も寄席も野球も臨場感がといえばそれまでだ。ただ地方に住まいして、臨場感のあるライブのこれらのものを常時見るわけにはいかない。ところが、DVDでオペラが。そして昨年、某社から一曲1980円でシリーズで出すとのこと。なんと、かっての一割の値段ではないか。ほとんど総ての曲は(老後に備えてLDVで)コレクションされているので、ためらったが、これまた「老後に備えて」新たに購入することに決断した。すでに11曲入手した。嬉しいかぎりだ。気楽に楽しめる。だだ、小声で言うと、なけなしの金をはたいて買ったレコードに針を下ろした感激はもう無い。それに、全集版は、一枚づつ個別に求めたものより愛着が少ないのか、聴かない読まないものまである。これは音楽だけでなく、全集の小説でもそうだ。贅沢の悩みなのか。申し訳ないことだ。じいじのむかしばなしさだまさしの「親父の一番長い日」LP45回転。娘の生まれた日に、出たばかりのレコードに針を置く。今でも鮮明に一人部屋で聴いたことを思い出す。
2010.01.22
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ソフト時代2 CDが、、、どうするか。LPだけでもこんなにあるのに。それに先輩の説に従って、一通りクラシックの歴史、録音レコード一覧などほぼ暗記できるようになっていたので、余程の演奏と新曲(クラシックなので、そもそもあまり無い)だ出ないかぎりCDにする必要は少ないのだが。その後、カセットテープ、MD、デジタルテープ、更に画像版としてCD版、レーザーデスク、ビデオテープ、(ベータ、VHS)DVD、ブルーレイ、、、その都度、ハード技術の恩恵に浴することになった(振り回されることにもなった)イムジチの四季でクラシックが、ポピュラーな?ものになった。俄然、一杯やりながら聴くにはCDのほうが良いのだ。針が飛ぶ心配もレコードを裏返す必要も無い。そのまま寝てしまっても差し障りは無い。これは画期的だと、愛聴曲からCDにしていった。年を経て。ハワイで、現地に永住をされるという先輩に。タワーレコード(日本には未上陸)で土産にCDを購入したいと言ったところ。それならオペラにしたら。との話。「オペラですか。、、、難しそう、柄でもない」と躊躇ったが、、、カルロスクライバーの{こうもり」と「魔弾の射手」を勧められ購入。新進気鋭のカルロスクライバー、(エーリッヒヒクライバーの子息)親の反対を押して指揮者になったという。当時箱入り2枚組みであった。かれこれ30年経た。これが面白い。何度も聴いた。CDだからすり減らないのが良い。NHKFM、オペラアワーのテーマ曲がこうもり序曲だった。それから、オペラの歴史を少しずつ、、、ああ、こんなに面白いものをこれまで毛嫌いしていたなんてと反省していたら、1990年頃、オペラを画像が見ることが出来るとのことだった。(ビデオやレーザーデスクで)これもLPからCDの二の舞かと案じたが、、、じいじのむかしばなし私のクラシックの楽しみ方は亜流かもしれない。専門的教育を受けていないし、楽器も出来ない、楽譜も読めない。なにより、自他ともに許す「柄でもない。」しかし、人生どんなに、辛い時、面白くない時、信じてもらえない時、思うように行かない時、この音楽、レコード(ソフト)が無限の助けをしてくれたことも事実だ。この価値は、金銭には換えられない。同時に、作曲家、指揮者、演奏家がどんな思いで演奏したのか大いに興味と楽しみがある。自分とある部分で、一緒なのだと実感することが多い。
2010.01.22
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ソフトの時代1最初に買ったレコードが「ハンガリア舞曲」かれこれ50年前。それから暫く体育会系につき、レコードから遠ざかる。社会人になり、演歌のLPを楽しんでいた。だから、カラオケといえば30年、40年以前のヒット曲ということになる。1980年頃、先輩からクラシックは面白いぞ。との話。フーーン。そんなものと聞き流していた。(というか、そんなブルジュア趣味に堕ちてなるものかと思っていた)先輩は、熱心に、まずは作曲家の歴史を勉強しろ、指揮者と交響楽団についても、同じ曲でもそれぞれが異なるからね。そんなものですかね。酒を飲むたびに、(当初は迷惑にも)熱心に話される。では、ということで、ベートーベン、モーツアルトから、ベーム、トスカニーニ、ワルター、フルトベングラー、カラヤン、クレンペラー、クライバー父子、そして、イムジチ、リヒテル、ムラビンスキー、アシュケナージ、、、、LPを給料のたびに買い求めた。音楽の友、レコード芸術、FMでも盛んにクラシックをしていた。レコード一枚3800円程度?月給3万円程度なので今から考えても?でも、最初の一針(レコード針を載せる)の緊張と、音声には堪らない悦びが溢れてくる。そして、CDが発売された。私の聴きたいLPは手許にあり数百枚になっていた。新曲が出るわけでもなく。すでに所持している。リメイク?CD化版なので、新たに聴く楽しみは無い。数年間、CD版に変えるべきか。大いに悩んだ?じいじのむかしばなしこの世のことは、ハードウエアとソフトウエア。どちらが欠けても良くない。男性と女性。大人と子供。都会と地方。東洋と西洋。混ぜればよいというものではない。それぞれが特徴、機能を活かしていくことが大切だ。ソフトは主観が多いので、個人の人格が重要で、またこのソフトによって磨くことが出来るんだ。
2010.01.22
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見栄と面子気をつけなければならないのが、見栄と面子だ。人として生きていくのに、世間体というものは大切だ。人は相手を第一印象で判断するからだ。初対面で、他に判断する方法が無い以上仕方がない。見た目は確かに大切だ。世を捨てた?尼僧でも美人なほうが良い。これも仕方がない。ところで、問題は自らの気の持ちようだ。美人でナイト生きていけないのだろうか。そんなことは無い。にもかかわらず、見栄と面子で振り回される。たった一度しかない人生を、他人の見た目で振り回されるなんて。警察で聞いた話。なんで泥棒に入ったんだ。恩師の下に挨拶に行くのに手ぶらで行けというのですか。手土産を買う金がなかったので、泥棒に入りました。え、嘘だろう。そんなことが、、、、何度も聞き返しましたが、本当の話。じいじのむかしばなし自分に対して、誇りを持つこと名誉と、決めたことをやり続ける勇気は大切だよ。どんなに辛いことでも、忍耐を持ってやってきた先祖があり自分がある。これが名誉だ。失敗ばかりでもいいんだ。巧くいかなくても仕方がない。と同時に、続けてやるという勇気が大切だ。それには、見栄とか面子が邪魔をするんだ。こんなちっちゃな自分に何が出来るか。と誰しも不安に思うものだ。しかし、これまでの世界はそんな不安を乗り越えた人たちが作ってきたのだ。最初から恵まれた人など一人もいない。最初から全員一致など無い。でも諦めず、誇りと勇気を持ち続けた人だけがなしうる満足がある。それには、見栄と面子が邪魔になる。まず、今していることで、日本一を目指すことだよ。どんなにつまらないことでもいいから、日本一だよ。そうすれば、誰も放っては置かない。
2010.01.21
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二眼レフ。2010年もすでに松の内を過ぎた。激動激変の2009年を無事過ごして、さてどこへ行く。大騒ぎしているようだが、大勢は思う所皆同じのようだ。政権交代やらせてみたけど、やっぱりね。とは言うものの、十分やれるじゃない案ずるより。世界中が、びっくりドッキリしたのが2009年。こういう時には、先人に学ぶ外はない。自分のことは、自分でする。そして思うようにいかないから、助けていただく、神様に許していただく。となると、二眼レフ、成長する、頑張る自分と、へとへとになって助けていただく自分が一つの体の中にいる。これが国全体でも、世界中でも行われる。震災15年、どれほど多くの人々に助けられたか知れない。しかし、真ん中にいる自分が立ち上がろうとしなければ、立ち上がれない。よしんば立ち上がれても嬉しくもなんとっも無い。しかし、少しの助けをいただいて、立ち上がること。両足で歩くこと。そして人を助けること。この喜びは例えようがない。強い自分、弱い自分、優しい自分、怖い自分、人は一眼レフではいけない。二眼レフ。助けられるためにも助ける貯金を。甘えるな!しかし、ムリするな!必ず助けてくれる。そう信じた時に人は生きていける。じいじのむかしばなし最初から助けてもらおうと思ったら駄目だよでも心配要らないよ。必ず誰かが見ているからね。コケタラ誰かが両側から支えてくれる。そうして、また一人で歩いて行ける。震災で、当時はボランティアという言葉すらなかった。人のために、阪急西宮駅から三宮駅まで、水を運ぶ人をラジオ番組で募集した所、想像以上の人が集まってくれて、線路の上をぞろぞろ。茶髪の若者が多かった。ありがたい。それがおもいで。
2010.01.20
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実学と古典資格、技術、実学指向とのこと。世の中の動向に左右されるのは仕方のないこと。しかし、実践、実学大賛成であるが、限界も理解しておきたい。人生を生きていくには、資格、技術よりも大切なことがある。資格、技術では時給を上げることができても、これだけでは充実した人生とは必ずしも繋がらないからだ。特に、真面目に取り組めば取り組むほど期待を裏切られることすらある。入試シーズンだ。のんきに、文学や古典、一般教養をやっている暇なんかないよ。古典を理解しておくことは地理的にも時間的にも、総ての体験や、経験が出来ないのだから、古典を通して理解する、そのことによって人の心を理解し、同情したり共感できる心の余裕を養うこと。人によって異なる心を知ることによって、辛い現実に立ち向かう自分自身が環状に流されないように疑似体験しておくことが出来ること。さもないと、自分の目標が叶えられた後のむなしさは例えようのないものとなる。これは、1000年ほど前の、枕草子に書かれていること。じいじのむかしばなしお金は大切だ。夢さえ叶えてくれる。金がなければ、腹さえ空く。手に職、資格は大切だ。しかし、いずれも手段、手がかりだ。自分の目指している大きな夢、なんだろう、人によって異なる。異なるから、自由なんだ。人に言われるものではない。自分で決めればよい。自分で決めなければならない。お金はいくら、貯めればよいのか。決めずにお金が多ければあればというのはよくない。体と精神がモタナイ。アメリカの研究によれば、お金持ち(rich man)とは自分の過去一年間の支出の10倍、即ち、これまでの生活(巡航速度)の10年分を持っている人といわれている。10年分あればなんとか生きて行ける、次のチャンスもあるということ。逆に考えれば、生活が質素であれば、少ない蓄えでも金持ちということになる。
2010.01.19
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どうしたんだろう。訳のわからないことが多すぎる。というか。分かりやすいことを、分かりにくくしている。(単に自分が時代遅れだけのことか?)セルフヘルプ=自分のことは自分でする。さもないと辛い思いをする。なぜか。人生は自分のものだからに他ならない。辛い悲しい、その後に楽しい面白い人生が待っている。お汁粉に、塩を入れるようなものだ。塩によって甘みが増す。自分の人生だから責任は自分で持つ、主観的に生きる。さもないと自分の人生を実感することが出来ない。面白くも楽しくも何とも無い。のっぺらぼうの人生。何のために生まれてきたのか分からなくなる。辛いこと、苦しいことは連続して起こる。2度あることは、3度ある。これは、何度も何度も実感することだ。ただ、10度も20度もない。それに、助けてくれる人が現れる。必ず現れる。それまでは、諦めないことだ。ただ、先約があって、すぐには来られないだけだ。案ずるな。もうすでに向かっている。もう少しだけ待て。それまでは、客観的と称してキョロキョロするな!自分のことは先ず自分でやれることをしろ!生まれた時からずーーと観てくれている。だから、客観的に、あなた任せに人生を運転するな。人には人の事情がある。ものが溢れれば部屋は狭くなるのだ。部屋を広くすれば、掃除が大変だ。旨いものを食えば、腹具合が心配。自分が何をしたいのか決めない人生なんて。じいじのむかしばなしくれない族。あれをしてくれない。これをしてくれない。ちょっとその前に、出来ることはもう無いのだろうか。思い切りやってみよう。転んでも転んでも、自分で転んでみないことには、何時まで経ってもくれない族。そうして、人生の時間切れ。
2010.01.18
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夢を買う宝くじに思う賢い生きかたとは、楽して実入りのよい収入を得ること。金を手早く儲けるには賭け事、手間がかからない。効率よく、身近なパチンコ。平日でも、朝から行列して良い席を確保する。夢を買うには宝くじ。さて、宝くじ。当選金の還元率はどうなのかしら?総発券枚数X一枚当たり金額(300円)を当選金額総計で割れば求められる。47.7%前後だそうだ。さて、この当選金合計が多いか少ないかは購入者の判断ということになるのだが。次に、高額当選者のその後を追求したものがある。米国での研究によると、高額当選者のその後の家族関係など人生は、従前より悪化した者の割合が7割以上であったとのこと。離婚したり、生活が派手になり借金をしたり、思わぬ金を手に入れて生活が狂ってしまったことが原因のようだ。もちろん、何割かの人々は、夢の生活が出来ているのかもしれないが、高額当選者に出会ったことが無いので分からない。じいじのむかしばなし買いもしない人間には、宝くじは当たらないとは言うものの、当たらないから人生にまで影響してないと思えば、気も楽だ。それでも、宝くじ買いますか。当たった後のことまで考えて買えないよ、、、、、計画的で物差しで量ったような生活は面白くないですよね。、、、
2010.01.17
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落語を聴く市民講座で落語を聴きましょうということになった。寄席へは、何十年も出かけていない。そもそも、地方にいると寄席席が無い。古典落語を聴くには1時間程度のまとまった時間が必要なので、通しでは聴きにくい。寄席へ出かけても3時間で20組以上の出し物となるので、一演目10分前後しか無いので演じられない。通しで「話し」を聴く機会がなかなかなく、「さわり」だけということになる。テレビでは、もっと時間が少ない。深夜番組で、遣っていたが、、、人の話を聴くという機会が少なくなるとしたら、これは落語だけの問題ではない。文楽、オペラも2.3時間要するので、演じるほうも聴くほうも時間が取れない。気短な、妙に忙しい人間が出来てしまうのではないか?言うまでもなく、古典落語は滑稽はなしばかりではない。思うようにいかない人情の機微を知ることは大切だ。健全な市民の財産としての文化資産を守らなければならないと思う。まあ、講釈はこの程度にして。落語を聴きたいだけなのだが、ぜひ聴きたいのは文七元結品川心中芝浜黄金餅唐茄子屋山崎屋明烏花見酒百川井戸の茶碗大工調べ文違い竃幽霊大山詣りらくだうどんや時そば三十石、、、じいじのむかしばなしああ面白い。志ん生、円生、文楽、小さん、志ん朝、三木助、、、ないないづくし。時間もねえ、寄席もねえ、機会も無ければ、金もねえ。デモね、きっと若者が愛好して、継続してくれる。それまでは、こんな良いものがあることを言い続けていこう。演歌、講談、落語、文楽、歌舞伎、宝塚、、、やはり良いものはよい。
2010.01.16
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時の経つのは毎年、おみくじを求めます。一年間、財布に入れて戒めとします。昨年は「大吉」なので慎重に暮らしました。今年は「吉」でした。そこそこのご加護と思っています。阪神淡路大震災から15年です。復旧に20年はかかると思いました。これは戦争と一緒だ、この世の地獄だ。音も、臭いもしない世界なのです。今も鮮明に記憶しています。冷静に、努めて冷静に、疲れてはいけない。疲れさせてはいけない。そのことだけを考えました。明日からも、これから先も生きていかなければならないからです。疲れてしまい、思いもしないことを言ってしまうと、取り返しがつかないからです。一生懸命頑張ってはいけないのです。隣の人と、ついつい比べてしまうからです。みんなが助け合っていかなければならないからです。誰しも、全力でやっているのです。愚痴や不平からは何も生まれません。じいじのむかしばなしあつい寒いと歎くも無駄よ 苦情言わずにニコニコとこういっている間にも、雲間から太陽が出てきた。
2010.01.15
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雪が降ってきた南の国にも雪だ。各地で雪の警報が出ている。今夜半にかけて、雪の被害が出なければよいが。中国も韓国でも、今年は雪が多いらしい。暖冬で、雪のことは忘れがちだ。原油の価格も最近では60ドルから上昇してきたのに,急に下落してWTI1バーレル80ドルとのこと。(退役して、日経を読まないので。)しかし、ピーク147ドルを思えば、まだ安い水準?原油輸入で生産活動をしているわが国では、原油価格の動向には目が離せない。原油価格と、為替の円高で救われている?のかも知れない。日本航空の破綻が報ぜられている。パンナムといわず、ベルギー、サベナ航空、スイス、スイス航空、、、いずれも破綻。これからに耐える、仕事のやり方(ビジネスモデル)が求められるのだろう。真の無駄との戦いがこれから始まる。経営者、リーダーの責任は重いが、またやりがいのあるものだと信じている。じいじのむかしばなしどんな時でも、自然は不動だ。時が来れば、雨が降るし、雪も降る。しかし、一年中、雨、ましてや雪であることは無い。日本航空の株式は67円から37円そして7円のストップ安。総ての取引が出来たわけではない。株式とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが。わずか3日間の出来事。
2010.01.14
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情報社会で大切なもの産業革命以来,同一現象で革命がおこる。最初の産業革命は蒸気機関の発明もさりながら、農業社会から工業化社会へ、第一次産業革命とは多くの人間が同時に参集できること。これに最も寄与したのは、時計ではなかろうかだ。工員が定められた時刻に事業場に集まることが絶対条件だからだ。そしてこの時計を手に入れる頃によって、定められた時刻に行動することが出来、収入を得ることが(付加価値)できた。服部時計店が銀座4丁目にあるのも理解できる。機械としての時計もさりながら、時間を自分の手に入れ、付加価値に人は対価を払う。次いで、工業社会から情報化社会へ。工場で大量に生産するだけでなく、要るものを効率よく売り切って、始めて収益になる。作るだけでは、無駄の素を増やしているに過ぎないことも多い。それには情報がいる。情報にはデータ、インフォーメーション、インテリジェンスがある。新聞や百科事典はデータだ。携帯電話、インターネットはインフォーメーションだ。このことについてどれだけ役立つかがインテリジェンスだ。ひらめき、センスのようなものだ。(残念ながら万人に公平ではない)情報出所はどこか、誰なのか、この見極めがインテリジェンスという情報だ。だから、単なる物知り博士では限界がある。伝達手段としての情報というだけでは不要なものもあり、真に役立つとはいえない。このことが、今の、自分の関心事に役に立つのか。これを理解することが情報化社会ならぬ「情報社会」では必要だ。人間が介する、ここが情報化社会と情報社会との相違と言えよう。そう考えると、平日の新幹線が満員なのも理解できる。直接に人と人が会って話すこと。このような情報社会では自立的主観的人間がなにより価値あるものとなってくる。じいじのむかしばなしどんな世の中になっても、情報は大切だ。のろしを揚げて、知らせた時代から、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットと手段は変わっても、人と人が伝達していくということと、その人が、そのことについてどれだけ通暁しているか。このことを見極めて取り入れることがなにより大切だ。総ての分野での大先生などは居ないということ。あるいは、中興の祖などと呼ばれだしたら要注意。
2010.01.13
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よい時代に生きているNHKでピアニスト辻井伸行氏のコンテスト優勝までのドキュメンタリーを放映していた。この国は経済は一流?だが、文化も遅れ、西欧にはとても叶わない。情操教育が必要だ。と数十年来いわれて来た。何時の間にやら、文化芸術家が出現しているではないか。文句なしに、辻井氏の演奏は素晴らしく、久しぶりのピアノ演奏を楽しんだ。20歳、全盲のピアニストだけではない、本物の芸術家だ。3位は無かったので同時優勝、準優勝も中国、韓国のピアニストであった。西洋のピアノは東洋人には向かないとか。協奏曲は、言葉の壁があってムリだとか。まして、全盲の人と合奏は困難だとか。こんなことはみんな嘘だといわんばかりだ。放映によると2週間もの長丁場のコンクールだそうだ。本当の芸術家を育てる、厳しさ、優しさが伝わってくる。ラフマニノフ、チャイコフスキー、ベートーベン、ただ正確に、力だけではなく、情感あふれる演奏に、テレビの前で、何度も涙があふれ出た。アルゲリッチ、リヒテル、ルービンシュタイン、アシュケナージ、、、みんなこうしてデビューしていったのだろうか。テキサス、フォトワースの観客の様子からもそのことは窺える。想像を絶する緊張と、絶え間の無い訓練、それを続ける。それは簡単には出来ないが、誰にでも出来るということを見せてくれた辻井氏の今後の活躍に大いに期待したい。20年間、応援し続けた両親に感謝したいとのこと。やはり天は自ら助けるものを助く。じいじのむかしばなし佳きものは、続けている者の上に輝く。まだまだ、凄い芸術家は生まれ出るのだなあ、と改めて実感する。ああ、いい時代に生きているものだ。久しぶりにピアノコンチェルトを聴こう。
2010.01.12
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今年こそ12 負うた子におじいちゃん、ママの言うとおりやってない。何度も何度も5歳の孫から叱られる。顔を洗う順番から、風呂の入り方まで、よく躾けたものだ。日頃言われたとおりやらないで叱られてばかりの孫はココゾとばかりに攻めたてる。教師の集会で、昼休みに手を洗いに来た人は極めて少なかったそうだ。日頃生徒には、食事の前に手を洗いましょうといっているのに。人間は人の言うことは、大半は聞かないものだそうだ。「私はそんなことは無いですよ。」「ところで、課長さん、今私はなんと言ったかな。も一度言ってくれますか?」「え、何でしたかな?」「え、え、、、、、」「昨日は、飲みすぎて頭痛いのに、、、、」「今朝、かみさんと喧嘩して来たので、、、」じいじのむかしばなし「あなた、そういわれるけど、ご自分で出来たのですか。」と永年勤続間近の人に、切り替えされる。今更変えたくないと顔に書いてある。でも、これくらいで挫けてはいけない。自分で出来てからでは、遅い。常に手遅れだ。出来なかったからこそ、やりたいんだ。との信念を持つことだ。新たなことをはじめる時は、必ず反対される。当然だ。誰しも賛成なら、とうの昔に始められている。反対が多い事こそ、真の革新、改善だ。全員賛成の策では、よほどの怠慢と考えたほうが良い。よくも、みんなが現行否定に賛成するまで、放っておくなんてと考えることだ。食事前に一度や二度手を洗わなくても死にはしないよ。ナドというから、実にしまらない。かくして。今年も始まる。
2010.01.12
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今年こそ11正月はどうしても日常とは異なる。テレビを観る。日常は時計代わりだ。勝手に消すとブーイング。(もちろん、テレビの前にいると、しがみつくなと。)暖房をつけてのどかにしていると、じーーとしていれば、それは寒いでしょう。暖房をつけずに、にわかエコロジストを気取れば。孫が来るのに、寒いでしょう風邪でも引いたらどうするの。立てば這え、這えば歩めの、、、心。立てば邪魔、動かねば運動不足、寝たきりになるわよ、、、の叱咤激励。嗚呼、テレビで漢字記憶番組を放映していた。ご丁寧に、出場芸能人?の出身大学まで表示して、格差反対、学歴社会の是正というマスコミが?(最近はメディアと自称するらしい)他の番組を見ると、裸の芸人?が一発芸と呼ばれるものを放映していた。更に、番組を変えると、大口を開けて、かにを食っている女。人様の前で食事姿は見せないものだ。ましてや、大口を開けて、高額ものを人前では食べないものだ。(一匹千数百万円が、セールスポイントのマグロが何度も画面へ、不愉快をとおり過ごして、涙が出てきた)こんなことは人前でするべきでない礼儀のイロハではないか。とまあ、いろいろ思うのだが、口に出すと、家中から反論ごうごうとなるので沈黙。今年はお父さん大人しいわね。じいじのむかしばなし知識、知恵、活識、胆識知識をいくら広めても、深めても限界がある。漢字の知識は無いよりあったほうが良い。だろうが。大漢和辞典、あるいは電子辞書を購入すれば足りる、そういえばパソコンにもついている。知恵も、無いよりはあったほうが良い。便利だし、応用が利く。活識、それを活かす。世の役に立たせることが大切だ。物と物、人と人のつながりで活かすことだ。胆識、人の上に立つ、立たざるを得ないことがある。5分5分の決断を要求される。胆、気力でするしかない。安岡正篤先生の言葉である。このことを噛みしめたい。
2010.01.11
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今年こそ10 無駄の極み頑張らない。失敗を友とする。上達を望まない。理想を追わない。頑強に過ぎない。金銭に囚われない。出来ることをやる。口の代わりに耳を使う。俺が、ではなくおかげで過ごす。いい塩梅に暮らす。じいじのむかしばなしいい加減というのがある。何事も過ぎないことだ。無駄の最たるものは作りすぎだ。やりすぎだ。いつか使えるだろう。何時の間にやらゴミ屋敷。苦労して作って捨てていたのでは無駄の極み、はた迷惑というものだ。地球に対しても申し訳ない。これは、人事(ひとごと)ではない。自分のこと。
2010.01.10
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今年こそ9 私的生きかた若い頃はテニスコートで走り回った。ゴルフ、月例に何回か優勝させていただいた。Bクラスだけど。自動車で、全県庁所在地を訪れた。英語で巧くはないが、生きてはいける。韓国語理解できる。個人でも海外旅行する。安くて旨いもの屋の目利き、不味いと思ったことは無い。落語を聴く。オペラを観る。(CD、DVD)文楽を観る。(劇場B席で)映画を観る。(割引していただける)古典文学を読む。「継続は力」を信じてきたことのおかげだ。子供の時から、賞といえば皆勤賞くらいだ。夢と希望とサムマネー。じいじのむかしばなし幸せはどんな時に実感できるのかをずーと追いかけるのが人生だ。これから先も、そうしていくのだろう。変わらないことを基に、変えなければならない事を変える。変わらないこととは、自然と古典だ。このことは万人共通だ。なにも森羅万象を知る必要は無い。この世には知らないことのほうが圧倒的に多い。知らなくても良いことばかりなのだ。今更、新たな知識は要らないのだ。真に知っていなければならないことは、このことは解る、否、解らない。解る必要があるか、否、無い。そのことが解ることではないか。そして、解らないで良いということが解れば、それで良いのだ。もうそれ以上の知識は必要ないのだ。ただし、知っていなければならないと考えたら、勉強をすることだ。そう考えたら気が楽だ。理想を追うのではなくて、夢と希望とサムマネー。
2010.01.10
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今年こそ8 さしすせそ家事のさしすせそ。さ=裁縫し=しつけす=炊事せ=洗濯そ=掃除昨年、会社勤めを辞めて、自宅族となった。残りの1万日(すこし欲深いが)の再スタート。上記、さしすせそ、の当番を家人とシェアすることとした。さ、しは、わが家には需要がないので、す、せ、そと言うことになる。さ、炊事は自分の皿は洗う。朝昼は自分で用意する。月、水、金曜日夕食準備をする。せ、洗濯は自分のものは自分でする。(洗濯機のスイッチを入れ、干すだけだが)そ、掃除は毎朝8時に電気掃除機をかける。これを毎朝6時に起床し、ラジオ体操の後、こなす。当初は、慣れてないので戸惑ったが、どこの家でもやっていることと思えば、別にどうということは無い。8時半には、一連のわが「家事」は終わる。以降は、パソコンのチェックの後、落語、オペラ、浪曲、クラシック、演歌を聴く。昼は、素麺、ラーメン、そば、スパゲティー、うどん麺類を自作し食す。午後は、散歩。カメラ持参して近所を歩く。カメラによって、これまで気がつかなかった景色に注意を払う。花や動物の名前も気になるが、さっぱり解らない。あまりの無学に、愕然とする。されど、勉強する気配、意思は無い。週の後半には、英会話、古典文学、韓国語の各講座がある。好学の士(女性のほうが圧倒的に多いが)と机を並べる。サボる人はいない。学ぶということはこういうことかなと思う。夕食(ディナーではなくサパー)は6時。大好きな風呂へ入って9時には就床。10時には就寝。これがわが日常。実に自由、かつ愉快。人生3万日計画に定めた「時間割」とおりに進める。もちろん思う通りにはいかない。これはこれまで60数年そうだったのだから、急に改善されるはずが無い。年数回の海外旅行、国内旅行、映画、演劇も予定通り、予定が実にいい加減なのでちょうど良い。人様と比べる必要もないし、採点する必要も無い。じいじのむかしばなし人には、人それぞれの、いき方がある。好むと好まざるとにかかわらず。標準、平均というものはない。ということは、どれが良いとか悪いというものではない。一時は通勤片道3時間、往復6時間の生活からすると、通勤不要というのは夢のようだ。す、せ、そ、の各項目も、実際にしてみれば、どうという事はない。家人は、老親の介護4人すでに他界し、彼女の母のみが健在。還暦を越え、介護福祉士をとって活動している。人には人の生き方がある。吾が方は毎日、指導を受けながらの生活である。
2010.01.09
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今年こそ7有り得ることを、性悪説の勧め。いつの時代にも優れたリーダーが必要だ。やるときには、きちっとルールを守って、断固やり抜かないといけない。守らない人には、断固,定めたペナルティーを科する。さもないと、真(ま)に受けてやった人も、次からやらなくなってしまう。限られた人、資源を大切にするには、やはりルールを守らないと、単に、伸び伸びすくすくでは、皆が仲良く愉快に暮らせない。これは、09年9月12日の拙日記(シンガポール)に書いたことだ。性善説と、性悪説について考えてみよう。性善説の人気は高く、性悪説というと鬼か、悪魔のように言われる。人間は皆、善い人なんでしょう。それを信じてあげない性悪説だなんて。しかし、人というものは、本来性善に生まれたのだろうが、性善に行動している者なのだろうか。もしそうでないとしたら、、、、もちろん人を悪者呼ばわりすることは、好ましくない。しかし(くどいようだけど)そうでないなら、周りの人が性悪説に立って、人の行動を監視、更正、予防することが大切ではないだろうか。ここで言う悪とは弱い、誘惑に負ける、意思が弱いという意味だと考えたらどうだろう。コンプライアンスとは、人の道を外さないということなのだ。鞭打ち刑のあるシンガポール。愛の鞭ということもある。叱るには、無限の愛情がいることもまた知るべきだ。じいじのむかしばなし多くの人が住む社会、自由の保障されている社会。これを守るには、相当以上の労力がいる。ルールの希薄な社会は、自由の無い社会と同等に住みにくいものとなる。性悪説、即ち人間の本性は本来、弱い者なので、悪いと知りつつ、悪いことをするものだ。こういう社会規範が必要なのではないか。性善に生まれた人が、我先に駆け出さないために。後ろに、もっと弱い人たちがいるのに、「性善の人たち」はその存在に気がつかない。
2010.01.09
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今年こそ6人生3万日。年数にすると82.19年。これが平均的人生の交響曲。これより長ければ、アンコール。起承転結、交響曲の四楽章に比せられる。この世に生を享けて、死ぬまでを一生。7500日X4回=30000日。1.誕生以降20歳、成人まで学習期。 右肩上がりに日々学習成長する。2.以降、42歳、厄年まで習得期。 実践しながら生き方を習得する。3.以降、60歳、還暦まで貢献期。 管理職、後進指導貢献する。4.現役引退から死ぬまで。終焉期。 人生の終焉の準備、右肩下がりに着地する。交響曲の如く、人によって各楽章の長短、内容は異なるものの、一楽章は約7500日、一生分で約3万日。第一楽章、幼年時代の人生は常に右肩上がりだ。這えば立て、立てば歩めの親心。年長組が、年中組より優れている。一年違えば、虫けら同然。しかしながら一生を通じてでは無い。このことが解っていれば間違えることは無いのだが。ベートーベンの9交響曲も、長さは異なる。指揮者によっても異なる。人生3万日の交響曲、不満だらけ裁判づけの人生にするか。忍耐とおかげおかげで過ごすのか。いずれにしても3万日に過ぎない。 じいじのむかしばなし人生は、起承転結。いくら辛くても、楽しくても3万日。80数年。それ以上の辛い思いをすることは無い。200年も苦労を背負い込むことは無い。もう死んでしまいたいとは、誰しも2度や3度は思うものだ。幸せを感じることは、100日も無いだろう。せめて、生まれて3歳くらいまでは、幸せに過ごして欲しいと、親なら誰でも願う。人生はかくも辛いものだ。しかし、ときどきは幸せを感じる時がある。だから、人生はやめられない。
2010.01.08
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今年こそ5自由人自由とは、心の自由。行動の自由ではない。多くの人が暮らしているこの地球で、真の自由を得ようと思ったら、このことを理解しなければいけない。心を自由に遊ばせる。そのために、勉強も経験もしてきてのではないか。行動を自由にしようと思うから無理が来る。自由に旅行しようと思うと、一人旅。これが真の自由かと思うと、さにあらず。何かと不自由だ。ではコンダクターつきの団体旅行はというと、これも自由ではない。少なくとも、毎日通勤の束縛から離れたことは自由度が増したといえる。にもかかわらず、生涯勤めるべきとは。もちろん勤めることが自由獲得に良いというのならばそれも良い。しかし、国を挙げて定年延長、生涯勤めるというのは如何なものか。ご隠居の仕組みに学ぶべきではないか。こうやって、好き勝手にくその役に立たないことを考えているのが自由人?じいじのむかしばなしもちろん生涯、働き、世間の役に立つことは大切だ。しかし、会社に勤務する事だけが働くことではない。自営、独立してリスクをとればよい。それならば、ご隠居を選ぶというのが良い。
2010.01.08
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今年こそ4囚われない。道天地将法。 孫子法は守らなければならない将は人間関係を良くしなければならない地は地勢の利を図らなければならない天は天然自然に逆らってはいけない道は人の道に外れたことをしてはいけない迷惑をかけてはいけないそれだけではいけない人あたりを良くしなければいけないそれだけでもいけない良い場所を占めていなければならないそれでもいけない天気の良い日を選ばなければいけないそれでよいのか都合よく解釈して、道に外れてはいけないじいじのむかしばなし当たり前を当たり前に生きていく。これが実に難しい。叱られてばかりの毎日、言われてみればそのとおりの人生。まだまだ囚われている。
2010.01.07
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今年こそ3就活、そして婚活の世の中に思う。就職もリクルート活動と呼ばれて久しい。就職人気1番の会社の人事担当していた友人いわく、「うちの会社なんか行列作ってまで、入る会社じゃないのになあ。人つかい荒いし、転勤も多い。保養所なんか一度も行ったことないよ。」かっては、玉の輿、あるいは三高。最近は結婚まで活動するそうだ。金持ちで、容姿がよくて、学歴もあるような相手と結婚する。そのための活動をする。いずれの事にも、恩恵?に浴さなかった者とすれば端から眺めるばかり。ただ、本人は活動はしなかったものの、無関心ではいられない。そこで、ゲーテいわく「恋愛と結婚には愛情が不可欠だ。しかし愛情の形は正反対だ。恋愛の愛情とは、互いに相手を褒め称えあう行為であり、結婚のそれは、相手を赦しあう行為である。」算盤ずくの就活、婚活の行く末が案じられる。損得の人生なんて、あろうはずがない。じいじのむかしばなし船場の奥さんに聞いた話、結婚する相手は、玉の輿なんてとんでもない。いまを盛りの相手さんと結婚したら、あとは下り坂だけじゃないの。それに、成功したのは内助の功はあるにしても、姑さんの貢献だけではないのよ。それでも自信満々だから、嫁にはより向上してもらいたいと。余計なお世話よ。挙句、家が傾きだすと、実家から何とか工面できないかしら。。。わが家より、少し格下の家の人と結婚したほうが良いのよ。玉の輿なんて、とんでもない。なんか、いい人いないかしらね。(婚活ご苦労様です)
2010.01.07
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今年こそ2いつの間にか、マニュアル社会になったものだ。便利でよい、コンビニエンスというのだろう。どうやればこうなる。解っていればこんなに便利なことは無い。社会人になりたての頃、稟議書の書き方の手引き(マニュアル)とか無いんですか?と上司に聞いて、コテンパンに叱られた。「ソンナもんあるわけねえだろう!馬鹿か。本当に大学出てるのか?入社試験受けたのか。字が読めるのか。」ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられた。泣きの涙で、パソコンも電卓もねえ、コピーもねえ。残業だけはある丁稚生活を続けた。その後、続々入ってくる新人は同じことを聞いてくる。「マニュアル無きゃ出来ませんよ」でもね。後輩にはあんまり可愛そうだから、後年、マニュアルを作成しておいた。これが良くなかったのかな?と反省するのだが。手作りで仕事は覚えさせないと駄目だ。と当時の上司。そんな能率の悪いことではと、当時の部下の自分。その後、部下を持ち、現役を退いた今。せめて現役でいないことを最大の貢献と思っているのだが、この国では終身雇用が金科玉条のようにも見える。若者の職場を奪うだけなのに。じいじのむかしばなし良かれと思ってしたことでも、思った通りにはならない。構造改革大賛成だったのに、いつの間にか、改革路線悪者論?まで幅を利かす。みんなインスタントラーメンじゃ無いんだからね。すぐには変わらないよ。良いことしようと思ったら、必ず反対される。これが世の中の哲理だ。みんなに喜んでもらおうナドと考えているほうが可笑しい。ただ、ひたすらやらせていただくことかな。母親だって喜んでもらおうと思って、死に物狂いで産んだんじゃないんだからね。やって、やってやり抜いて、始めて気づいてもらえば御の字さ。今日まで生きて、お飯食っているだけで幸せってもんだ。親父にもお袋にも死んだあとで、アアありがてえって、気づく馬鹿だよ俺は。今年もこうするのかな。
2010.01.06
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今年こそは欠点を探すことをやめる。わずか一つの欠点を探し、改めるなどという荒唐無稽なことをやめる。人は99の良いものを持っているのに、一つの欠点を探し出して改めるなど実に無茶ではないか。一つや二つの欠点など誰にでもある。ましてや、通常のことでは変えられない事柄に、あまりにも過大な努力を払いすぎてはいないだろうか。肌が黒くても白くても良いではないか。語学が出来なくても良いではないか。太っていても痩せていても良いではないか。近所付き合いが悪くても良いではないか。ご飯を食べるのが遅くても良いではないか。駆けっこ遅くても良いではないか。数え上げればキリが無い。その優しさ、笑顔、誇りがあるではないか。風邪一つ引かない丈夫な体があるではないか。逆上がりが出来るではないか。毎日、家事手伝いしているではないか。誰も見ていないところで花に水遣りしているではないか。孫達と毎日、相撲ごっこをしてふとそう思った。じいじのむかしばなし新年に当たり、ものの見方を変えてみよう。常識の洗い換えをしてみよう。さもないと紅白歌合戦の出場歌手さえ一人も解らなくなってしまうよ。北島三郎、五木ひろし、石川さゆり、天童よしみ、坂本冬美、、、不味いですよ。名前を知らない出場者のほうが凄い。今年は佳い年になるぞ。それにはつまらぬあら捜しは止めよう。ボール球に手を出すな、ではなくて。長所を活かして、ヤッテみよう。こういう年こそ、しくじりの大チャンス。少々、しくじったぐらいでは、誰も気にも留めない。
2010.01.05
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新たな年に暮れから、9日間の東京行き。昨年に続いて自動車で上京する。家人とともに、東名をひた走る。行きはよいよい帰りは大渋滞。片側2車線の大動脈ではね。流石に8時間の運転は疲労困憊。昔はね、、、と言っても。誰も信じてはくれない。ということで本年も始まりからお楽しみ。佳い年になる予感であります。じいじのむかしばなし心豊かに、美味しいものを食べて仲良く暮らす。子供の頃、過ごした路地に佇み、ふと思い出しては懐かしさの感傷にふける。小学校へ通う途中の天神様も、参詣者も疎ら、掃き清める人の姿のみ。通学の途中、行き帰りに頭をぺこりと下げては通学した。受験シーズンのさきがけか、絵馬がずり落ちそうなぐらいに奉納されている。都会がふるさとの人間も増えてくるのだろう。いずこにあってもふるさとは懐かしい。
2010.01.04
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