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手作りは あったかいこう暑いと、外に出る気も起こらない。お姉さんのカフェに行ってのんびりと過ごしたいが、この暑さの中30分近く歩くのは少し勇気がいる。そうするとやっぱり私のお友達は本だ。いつも近くの図書館でどっさり借りてきて、読書に耽る。最近は小説ももちろん読むが、画集を見て過ごすことが特に好き。ただ見ているだけで気分が上がる。
2011/06/30
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次は、 あの路地裏を お散歩しようかねがね、私には行動が必要だと感じていた。発表会が終わったらピアノから遠ざかるつもり。月1回だけだが、カルチャースクールに通っている。先日も、保健師さんに相談をしてみた。仕事もあまり深く考えすぎずに、気軽にバイトとして働けるような所を探している。職業訓練も受けてみようかと検討中。本も、今まで読まないような作家のものが並ぶ棚も見て回る。カフェや雑貨屋さんなど、行きたいと思った場所には少し遠くても足を運ぶことにしている。私にとってはこれでも行動範囲が広がった。そうやって見てきたもの、これから見るものを徐々に増やして糧にしていきたいと思う。
2011/06/27
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あそこの道に 繋がるんだパートナーがいるという、安定。本があるという、安定。ピアノがあるという、安定。趣味があるという、安定。夢があるという、安定。4年前は何もなかった。あるものは、ただ暗闇だけだった。4年かけて築き上げたもの。一生の支えにしたいと思う。
2011/06/26
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涼しいね 竹林先日、保健所へ行ってきた。毎年保健師さんと少しだけ面談があるので、生活のことや仕事のことについて尋ねてみた。すると、職業訓練を受けてみてはどうかという応えが返ってきた。ただ、かなり待っている人が多いので待たないといけないだろうとは言われたが、確かに受けてみるのもいいかもしれないと思った。
2011/06/25
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ソファーに 腰かけて私は幼い頃からアトピーだ。最近はほとんどわからないほどにまで良くなっていたが、毎年この梅雨の時期はどうしてもひどくなってしまう。少し、かゆい。多発性硬化症(MS)になってから、おへその辺りから足全体がずっとしびれっぱなしだ。冬の寒い時期はしびれもさほど感じなくなったが、夏はしびれをひどく感じる。足がふにゃふにゃする。しびれがジリジリと焼け付くような感覚。少し、歩くのが遅くなった。
2011/06/24
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人生は ながいながい お散歩ですアスファルトの割れ目から顔を覗かす直径1ミリにも満たないお花。あのお花は、何という名前なのだろう?
2011/06/23
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高台からの 眺め先日、念願の公園が一望できるカフェへ行ってきた。公園から階段が10段ほど延び、気持ち高台へ。たったそれだけで見える世界が全然違う。公園を吹き抜ける風がすがすがしい。ティーカップを選ばせてくれた。私にとっては極上の、至福の、時。
2011/06/22
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照らされるんじゃない、照らすんだ。9月のピアノの発表会が終わったら、ピアノから少し退こうと思っている。理由は、「型にはまらない自分のピアノを模索するため」。・・・と言うのは口実で、本当は先生から離れたいからである。先生には高校生のうつだった頃から習い始め、それはそれはお世話になった。大学を卒業だってできたし、今もこうして趣味程度には十分すぎるぐらいの腕を持つようにもなった。うつで何もなかった頃はピアノが私の分身で、心の支えだった。多発性硬化症(MS)を発病した時はさすがにピアノから遠のいたが、また発表会に復帰することができ、今年は復帰3年目を迎える。先生には感謝してもしきれない。先生無くしては今の自分は成り立たないのは十分承知している。だが、どうしても先生の人間性には付いていこうとは思えなかった。ピアノの技術としては師匠であるが、人としての師匠ではなかった。それでも今まで付いてきた私。でも、今の私の結論。もう、先生に付いて教わる時期は終わりだ。
2011/06/21
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ここから羽ばたく と いうこと。2週間前にレッスンに行った時のこと。ピアノの先生は、お見合いをして結婚し、子どもを作って家庭を持ちなさいと言う。単純に考えて私やお母さんが先に死ぬでしょう?そうすると、あなたは一人になるわよ、と。先生は70歳を超えるおばあちゃん。考え方は遠き昔のままで、それが今でも難なく通ると思っている。平気で身体障害の方や知的障害の方を差別する言葉を遣ったりもする。私は大学受験の頃からお世話になっているが、そういうところは人としてまったく理解はできなかった。身体が強かったら男なんかに頼らずバリバリ働けばいいけど、あなたは身体が弱いんだから家庭に入りなさい。病気の事は隠して結婚してしまえばこっちのものよ。ちょっと頭のキレる賢い男の人なら、あなたみたいな病気を持った子なんて逃げてくわよ。転勤のない公務員で、取り柄はただ「優しい」ってことだけでいいの。もし言うことを聞かないのなら、私よりお母さんより先に死になさいよ。どうしてそんなものの考え方をするのか?先生、それはどう考えても違うだろう。病気を隠して結婚して子どもができたら、それで万事成功なのか?病気を隠して結婚して子どもができたら、主婦業が仕事となり、もう働きに出なくて許されるのか?病気を隠して結婚して子どもができたら、もう一人じゃないのか?先生は歪んでる。いつもはただ黙って聞いているが、ついに我慢しきれなくなり、言った。「私は明日にでも死んでいいです。」と。
2011/06/20
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ま な びレッスンに行ってきた。少しずつ曲らしくなってきて、自分でも嬉しくなる。
2011/06/19
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そういう 時が きた私は幼い頃から小さい物やかわいい物を集めることが大好きだった。同じものでも大きな物には興味すら沸かない。ただ小さいというだけで、なんでこんなにもわくわく嬉しい気持ちになるのだろうと思っていた。高校生のうつだった頃から、私には本当に何もなかったので、そういう物を集めて依存する傾向にあった。ただ増えていく喜びと眺める喜び。寂しさや満たされない心の穴を埋めるものは、「小さくてかわいい物たち」だけだった。今、そうやって依存し続けてきた物は、リサイクルに回したりと次々と処分してなくなり、どれだけの依存物に囲まれて生活していたのかが歴然となる。もう、いらない。今までの私に必要だった精神安定剤からの旅立ちだ。
2011/06/18
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そういうものなんだよね「しがみついてた方がいいのに、投げだしちまったり、ほっとけばいいのに、引き受けたり。 人生が本当と思えないくらい、美しく感じられて、うっとりしているかと思うと、 たちまち地獄の苦しみと惨めさを経験する。 物事がうまくいってるときは、そのままの状態がいつまでも続くような気がするけれど、 そんなことは長続きしたためしがないんだし。 どん底に沈みこんで、 もういっぺん浮かびあがって息をつくことなんて、できそうにないと思っていると、 そうでもない、人生ってそんなものじゃないの?」
2011/06/17
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勇気って?行動するという勇気。そこに留まる、という勇気。
2011/06/16
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また 逢うかもね私は本を読むのが好き。絶えず文庫本は持ち歩いているし、家には図書館で借りてきた本が山積みされている。この間、小説を読んで久々に涙した。小説を読んでいておもしろいとか良かったと思うことはあっても、泣くことはめったになかった。重くもあり、切なくもあり、哀しくもあり、すっきりした爽快感も感じることができた傑作。この本の余韻をまどろみたい為に、今は小説は読まないでいる。
2011/06/15
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流れ星を見たらね、 3回 願い事を唱えるんだよ。今、私は普通に歩いている。早歩きだって大股歩きだって小走りだってできる。4年をかけ、私は快復した。身体は疲れやすくなった。足のしびれは後遺症として遺っている。おそらくずっと遺るとも言われている。背中にも筋肉疲労を起こし部分的にしびれている箇所がある。足に筋肉もない。体調の優れない日やとても暑い日などは歩きにくくなるものの、それは仕方のないこと。再発もなくここまで来られたことに感謝する。私は恵まれている。これからも、現実を見つめつつも自分を卑下せず、自分で自分を温かく包み込んであげようと思う。私を取り巻くあらゆる環境に、ありがとう。
2011/06/14
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みんなが ほっとする 笑顔です多発性硬化症(MS)になり家にいる生活になった後、ふと毎年一羽のうぐいすがこの辺りに住み着いていることを知った。一年目は「ほっほっ」と鳴き声の練習があまりにかわいらしく、心を和ませてくれた。最近、またこのうぐいすのさえずりが聞こえる。間違いなく毎年耳を澄まして聞いていたあの鳴き声。姿は見たことがないけど、私の癒しの一つとなっている。
2011/06/13
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閃きを 心に 留めて平凡な暮らし、平凡な仕事、健康な身体。4年前、私はそれらを失った。その代わり、私には「時間」が与えられた。当初は、その莫大な砂漠のような時間をどうやってやり過ごしたらいいのか、さっぱりわからなかった。時間を恨んだ。時計の針と睨み合い、格闘する日々だった。悶々と灰色に淀む時間が恐怖だった。4年が過ぎた。いつしか、ふてくされて惰眠に耽っていただけだった時間が色を帯びていた。ただ有り余る時間を自分の為だけに遣ったのだと思っていたが、気付けばそれは「以前」の時間よりも遥かに意味のある有意義な時間だった。自分を知った。自分を見つめ直した。感謝の念や自然の壮大さ、命の重みが身に染みた。と同時に、それは私のこれからの道を指し示してくれるものだった。今にも消え入りそうだった希望の光は、決して、決して消えはしなかった。
2011/06/12
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かくれんぼ は もう おしまいあれこれ考えてること。近々、市の保健所へ特定疾患受給者証の更新に行く。毎年、事前に書いたアンケートに基づいて少しだけ保健師さんとの面談があるが、その際にいろいろと相談してみようと思っていること。私はもともと他人を気にしたり、比べようのないものを比べてみたり、びくびくして生きてきた。今でもそうだが、これでもやっと人並みほどにはなったかと思う。多発性硬化症(MS)になって4年経った今思うのは、人はみんな自分のことで精一杯で、自分が思っているほど他人には関心がないということ。先日アレルギーの飲み薬をもらったが、あまりに眠たすぎて精神的にも落ちるので、2日で止めた。薬を飲んでも症状は何ら変わりなく、それなら気休めでも薬は飲まない方が良いに決まっているということ。雑貨屋さんやカフェ巡りが趣味だが、頭の中で将来住みたい家の外観やインテリアなどが、実は鮮明に出来上がってきている。同じお金を出して物を買うのなら、これからは手作りのものやアンティーク、ヴィンテージものなど、心が伝わる物を揃えていきたいと思うこと。そして最後に、9月のピアノの発表会が無事に終わったら、一端ピアノから退こうと思っていること。
2011/06/11
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水の 美しさ「幸福は人生の糧の一つです。 人の成長を助けるし、また同時に偉大な教師でもあります。 しかしそれは人生の目的ではないし、それだけでは人を満足させないのです」
2011/06/09
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レトロ喫茶 先週受けたアレルギー検査の結果を聞きに行ってきた。基準値をかなり大幅に上回り、ハウスダストやダニや花粉すべてに反応しているよう。と言うことは、年中アレルギーだ。少し薬を飲むことになった。
2011/06/08
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昔ながらの 長屋にて先日受けた仕事の面接は落ちた。他にも応募がいくつかあると言っていたので、その人に決まったのだろう。だが、ためらいもなく面接で病気のことを告げられるようになったことは、私にとっては大きな進歩だ。また気軽な気持ちで面接を受けてみることにしよう。
2011/06/07
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今だから、できることを。持って産まれたもの。これまでの人生で培った糧。いつの日か必ず、自己実現を。
2011/06/06
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指折り 数えます仕事の面接だけに限らず、私は多発性硬化症(MS)のことをよっぽど親しい人以外言わないでいた。理由は?と聞かれると正直返答に窮する。有無を言わさず言わなくて当たり前という心境に限るかもしれない。ただ、次に仕事の面接を受ける時は必ず告げようとは思っていた。去年の10月に仕事を辞め、その後に応募してみたりいろいろと探したりしてはみたものの、あまり気が乗らず今に至っている。そろそろ復帰しようと思い、求人誌を取ってきた。なんとなく眺めているとやたらと気になる求人があったので、いつもはうじうじと悩みまくる私が、珍しくさっさと電話をして面接予約を取っていた。そして、先日面接を受けてきた。それをパートナーに話した。すると、第一声「強くなった」と言われた。そんな風に言われるとは思ってもみなかったので驚いたが、その言葉は素直に心に響いた。私、強くなったのか?
2011/06/05
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瑠璃色ピアノの先生は、口では否定しつつも結婚して出産することが女性の幸せであり、仕事だと思っている。いや、明らかに母親もだ。確かに幸せだろう。仕事なのだろう。でも、そうしなければならない理由なんてどこにあるのか?
2011/06/04
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野花の いい匂い実は今日、仕事の面接を受けてきた。仕事と言っても日数も時間も短時間のバイトだが。「ある難病を患って・・・」と言ったら「そうですかー」とさらりと流された。その他に勤務条件や希望などを話して1分ほどであっさりと終了。少なからず緊張して行ったが、なぜかすっきり晴れ晴れしい気持ちで帰ってきた。
2011/06/03
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その「時」を 逃さないで「あなた自身のパターンにしたがって生きることです。 謙虚に、希望を失わずに」
2011/06/02
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本の世界は、夢の世界雨の日の過ごし方も、なかなか慣れたものになってきた。ひたすら読書に没頭する。とても贅沢な時間。私にとって必要不可欠な時間。
2011/06/01
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