だいちゃんと愉快な仲間たち

2014.05.24
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ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
 室生犀星のあまりに有名なこの句を知ったのは高校生のとき。
先生が、この句を読んだ場所はどこでしょう?という質問をして
生徒に手をあげさせたとき、『ふるさとだと思う人』と聞かれて
挙手したのは、私だけでした。
友人たちはクスクス笑っていました。
先生の「正解は故郷です」という声があるまでは。
このとき、はじめて、そうか、この心境は私には理解できても、
普通の家庭で育った人たちには到底理解できるものではないのだと、
知りました。
この句を再度思い出したのは、弟にはじめて会った20代のとき。
兄弟とは、一緒に育った人であり、同じ思い出を共有している人の
ことなのだと初めて気づいたとき。
一緒に育った人という意味では、妹とも一緒に暮らしたのはほんの
わずかな時間なので、そういう意味では、私には兄弟はいないのだと
実感しました。
ことの起こりは小学校3年のとき。
消息不明だった私たちを、何年もかけて、あきらめずに探して
くれたのは、叔父で、そして今回の叔父の死により、
辛い思い出から避けるように帰郷をこばんでいた私は
ふたたび故郷へと呼び寄せられました。
叔父はベテランの高校教師であり、数々の問題児と向き合ってきており、
すでに中学二年になっていた私の言動と、私の置かれている状況を
よく知っていたので、当然、私の心境も理解していて、
それで、高校はこっちに帰ってきて、自分が教鞭をとっている学校に入り、
叔父の家から学校へ通えと。 
面倒見がよい叔父が、すべてを理解したうえで、
叔父が死んでからでした。
自分は天涯孤独なのだと、誰からも気にかけられることのない存在なのだと、
そう思っているのを、まるで分かっていたかのように・・。
飾った言葉を発することができない叔父の、精一杯の愛情表現だったのだと、
あのとき、なぜ、気づかなかったのかと、自分でも不思議です。
自分しか見えていない年頃だったからでしょうか。
何度見ても、叔父の顔は少し青ざめて、そして、いかにも死に顔でした。





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最終更新日  2014.05.24 19:52:12


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