だいちゃんと愉快な仲間たち

2017.09.12
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
昨年、いまごろは・・。

ぼちぼち痛みが落ち着き、倦怠感に襲われてた頃。

パパがすい臓がんとわかってから、昨年のはじめころまで、
パパと同じすい臓がんの人のブログをちょこちょこ見てた。

久しぶりに見てみたら、力尽きた人がいたり、パパが死んでから
すい臓がんの宣告をうけて戦っている人がいたり。

普通の人には当たり前のことなんだろうけど、パパが死んでから、
新たにすい臓がんになる人がいて、その家族がいて、
私たちの日々が終わってからも、戦いの日々を続けている人たちが


パパと同じ年くらいの人で、パパより早く死んだ人もいた。
緩和ケア病棟、お年寄りばっかりで怖いと書いてあった。。。。
よかった・・いかなくて・・・。言われてみれば、確かにそうだ。

自分がお年寄りになれば気にならないんだろうけど、自分がお年寄り
ではない場合、お年寄りだらけで、みんな死を待つような状態だったら
やっぱり怖いよね。

ステージ4bで見つかっても、1年以上生きてる人もいる。
パパより年をとってるほうが、長生きできるみたい。

パパはジェムザールの耐性がつくのが早かった・・。劇的に効いてた
だけに。。。それにTS-1が全然効いてなかった。。だからジェムザールを
やめてからの数か月の治療は、ほとんど無意味だったってことだ。


いろいろな人がいるけど、この人たちと、その家族のブログを読む限り、
非常に共感できるものが多い。

生きている次元が同じというか・。

会社の人も、学校の人も、教会の人も、よく似た別の次元に生きている人にみえる。

何年も先の子供の大学受験の話だとか、教会の椅子がどーのだの、台所がどうのだの、



私たちは、この一年、どうやって生きてきたのか、断片的にしか思い出せない。
王子様は、パパと暮らした日が遠い過去のようだといったり、夢の中のようだと
言ったりしている。

私は、やっぱり同じように感じる。
ただ、パパが元気だったころの写真を見ると、私たちにもこんな日があったんだ・・と
まるで子供のころ、大好きだった絵本を見るような、そんな気持ちになる。

逆にパパが死んだ日が近づくにつれ、1年前をリアルに思い出す。
まるでパパがもう一回死ぬみたいな、そんな追い詰められたような危機感に
襲われるときがある。
受け入れるとか、受け入れられないとか、そういった次元ではなく、恐ろしいものに
追いかけられているような、どうにもならないところに追い詰められてるような
そんな感じがする。

2年前の、いまごろは、パパがすい臓がんだなんて、誰も知らなかった。
1年後に、パパが死んでるなんて、思いもよらなかったころ。

そんなときがあったんだ・・。

次はどこにいこうか・・とか、来年はどこにいこうか・・とか、
そんな、当たり前の人たちと同じように思っていたころが、私たちにもあったんだ・・。

そう考え出すと、生きるのがつらくなるので、
あれは夢なのだと、絵本の世界のことなのだと、思うようにしている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017.09.12 13:36:57


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: